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小箱の小話
東方二次小説が多目。 エログロ、ホラーミステリ洗脳色仕掛け等。
偽典地霊殿+EX
        序



 その二つ目なる生物は待っていた。地殻の奥深く、真に熱くひそむ煮えたぎる鼓動を。この世を統べる万物の霊長とは何か? それは人間もなく、妖怪でもなく、神でもない。深淵から湧き上がる灼熱の怨嗟は地上を焼き尽くし、傲慢な愚民が支配する世界を、新生の新たな大地へと変容を遂げるであろう。この世には幻想などいらぬ。崇高たる絶対神への永遠の服従、それこそが真の世界であり、幻想郷のあるべき姿なのだ。
 ただ我をはばむ障壁は幾多にわたりけり。
 崩壊の兆しは何処へと流れる?
 我はその道筋を示唆するのみ。
 さすれば堅牢な牢獄は、遥か天に近しい滝壷から、降下する流木のように崩れ落ちるであろう。
 いにしえの墓標は古き豪傑を呼び覚まし、絢爛な宮殿へと罪人を導くであろう。


 凶はすでに解き放たれた。
 四足の獣は漆黒の闇を暴く。

  


     1 


「じゃ~んけんぽんっ! わぁチルノちゃんが鬼だ~みんな隠れろ~」
 ポカポカと暖かい昼下がりの幻想郷、八雲紫の式でありさらに八雲藍の式である橙はいつものように友達とかくれんぼ遊びに興じていた。
「またあたいが鬼なんて……ありえないっ! いつもさいきょうのぐーを出しているのに」
 チルノはじゃんけんを理解していなかった。よって勝負事になると必ずチルノは負けた。何度じゃんけんの三すくみを理解させようとしても無駄だった。しかしチルノにとっては最強の手段を出しつつけることが最善であり、それがチルノそのものであった。
「い~~~ち、に~~~い、さ~~~~ん、に~~~い、さ~~~ん、し~~~~~い」
 中々数え終わらないチルノの声を聞きながら、橙は隠れ場所を探していた。暗闇の妖怪ルーミアはもうもう と茂る木の上に、ルーミアを象徴する暗闇のオーラを纏いながら隠れた。リグルは擬態と称し、自らを微少な虫と錯覚させようと堂々と草むらに鎮座していた。大妖精は丸い土管の中へとドキドキしながら隠れた。
 橙は隠れ場所が中々決まらなかった。他のメンバーがすぐ見つかってしまうので、橙はいつも最後に見つけられるのが常だった。草木の木陰、高い木の中、大体身を隠せるような場所はあらかた試していた。橙はもっと長く隠れていられる場所はないかと思案した。
「は~~~ち、きゅ~~~う、きゅ~~~~う、じゅ~~~~う。ようし、やっとあたいのターンね!」
 遠くでチルノの声が聞こえた。早くどこかに隠れなければならない。思いがけなく、一匹の薄緑色の蛙がぴょんと橙の前を横切った。橙は我慢できなかった。猫は動くものに反応するものであり、橙もその例にもれなかった。蛙の跳躍は幅広く、橙のすばしっこさをもってしても中々追いつけなかった。
 蛙と終わりの無い徒競走を繰り広げた後、橙はふと周りを見渡した。奇妙な平たい石が何重にも積み上げられている、不思議な建築物が、橙の好奇心を刺激した。
「とても不思議なところだわ。後でチルノちゃん達にも教えてあげよっと」
 橙は散策もそこそこにして、そろそろ帰ろうと思った。チルノちゃん達も自分がいなくなったことで心配しているであろう。
 くるりと踵を返した時、橙は足元が崩れ落ちるのを感じた。


「橙ちゃん全然見つからないねーチルノちゃん」
「どこなのかー?」
「私の触覚調査によると橙は半径20キロメートル四方の範囲内、さらに高さ……」
 橙が全然見つからないので、チルノ達は飽きて話し合いを始めていた。
「わかったわ!」
 チルノが急に大きな声で叫んだ。
「何がわかったの? チルノちゃん?」
「ふふふ橙はオシッコ漏らして、恥ずかしくて家に帰った! これね!」
「チルノちゃん……」
「理由はともあれ橙は家に帰ったというのが自然でしょう。日がだいぶ落ちてきました。我々もそろそろ帰るとしましょう」
「帰るのかー」


 橙は夜になっても帰らなかった。
 次の日のその次の日も帰らなかった。橙が消えた日、遊んでいた場所近辺がくまなく調査されたが、全く手がかりはつかめなかった。
 橙は神隠しにあったと言われた。
 神隠しの式が神隠しとは因果応報であると言う者もいた。


 八雲藍は橙が行方不明になったと聞いて、動転してしまった。橙は藍の生きがいだった。自分の式である橙をまるで自分の子供ようにかわいがった。それははたから見ても、目に入れても痛くないほどのかわいがりようだった。今は未熟だがきっと将来は八雲の姓を与えられ、自分を超える妖怪に成長するであろうと期待していた。
 藍はどうしてもあきらめきれなかった。一般の捜索が打ち切られても、藍は橙が消えた場所に何度も何度も足を運んだ。あのかわいい橙が黙って消えるはずがない。橙はきっと帰ってくる。いつもようにただいまと笑顔で言ってくれる。きっと今でも元気に生きている。藍はそう信じたかった。 
 藍は橙が消えてからまるで仕事に身が入らず、ふらふらと夢遊病のように同じ場所をぐるぐると回っていた。必ず何か手がかりがあるはず、必ず何か―― ふと目になつかしい物がうつった。空中に茶色い毛が浮かんでいた。忘れもしない橙の綺麗でつやののある、若々しい髪の毛だった。手を伸ばしてみた。空中に浮かんでいたと思ったのは、空間のひずみに引っかかっていただけだった。橙はきっとこの内側にいると藍は確信した。
 

 八雲紫は藍とすっかり寂しくなった夕食を共にした。
 紫は藍の落ち込み具合にはほとほと困り果てていた。子供のように思っていた橙を失った悲しみがわかるが、それでいつもの仕事が滞ってしまうのでは、式の意味がなかった。ましてや藍程優秀で融通のきく式は他にいないのだから、紫は早く藍が橙のことを忘れて立ち直ってくれることを望んでいた。藍をこのまま失ってしまうのはおしかった。
「紫様、大事なお話が」
「なぁに? 藍」
「橙の手がかりを見つけたのです」
 紫はもうはっきり言わなければいけないと思った。橙の幻影にまどわされて、式の本分を疎かにしている。そんな藍にたいしてしっかり釘を刺しておかなければならない。
「あのね藍……橙の事はもうあきらめなさい……言っておくけどあなたは私の式であり、橙はあなたと式の関係でしかないのよ。それ以上でもそれ以下でもないわ。そうそう、そろそろ藍にも新しい式をつけようと思うの。このままじゃ何かと不便だから……」
「紫様! 橙は……橙は生きています……生きて……」
 藍は顔真っ赤にして体を細かく震わせながら、しゃくりあげるように叫んだ。
「あ、あのね…藍落ち着いて……私は…」
 紫は言う時期が早かったと思って後悔してしまった。
「……橙が生きている証拠に、あの場所でこれを見つけました」
「これは…」
 よく見覚えのある橙の茶色い髪の毛だった。
「そしてそれは紫様の結界のひずみに挟まっていました。紫様……一体あそこは何を……?」
 盲点だった。
 紫は結界の管理には妙な自信を持っていたので、まさか自分の領分に知らずに侵入されているとは夢にも思わなかった。調査隊が発見できないのも無理はない。その入り口は普通の人間や妖怪には見えないように何重にも目隠しされているからだ。
「あ、あそこは関係ないはずだわ……だって……」
 紫は早急に調査しなければならないと思った。
 しかし何故橙が自分の結界を突き抜けたのかは全くもってわからなかった。



2 
 

 博麗神社にはいつ何時でも人の来訪が絶えない。
 博麗霊夢はいつものように来訪客のために、せっせとお茶菓子を運び、せっせとお茶を入れ続けていた。
「それでね、私が緋想の剣からこうクイっと剣気を出したらね、衣玖の長い袖がブワっと舞い上がったと思ったら足と首に絡まってジタバタもがいてるのよ! あのおかしさったら無かったわ。本当あなた達にも見せてあげたかったわね。っくくく、ああ見えても衣玖ったらねドジなのよ。それでね……それでね……」
 話の主導権を握っているのは有頂天のお嬢ちゃん、比那名居天子である。豪華な暇つぶしと称して近ごろは博麗神社に入り浸っている。
「はっははは、そりゃ傑作だぜ。今度私も試してみようかな」
 そう言ったのは普通の魔法使い、霧雨魔理沙である。実のところ彼女は魔法と言えるものはほとんど使えない。安いコソ泥が本業であることが周知の事実である。
「魔理沙、また変なこと考えちゃだめよ。全く……」
 二人の会話に適当に突っ込みを入れているのは、人形使いのアリス・マーガトロイドである。二人が親しげに会話をしているのをそばで見て、若干不満そうにしている。
「全くあなた達も暇ねぇ。他にすることないのかしら?」
 霊夢が部屋に入ってくる。
「食べ物は少し劣るけど地上の方が面白いわ」
「魔法使いは夜働くんだ。昼は大体暇だぜ。」
「はいはい、わかりましたわかりました」
 お茶請けをちゃぶ台に補充し、新たにお茶を入れながら霊夢は言った。
 いつものたわいない博麗神社の風景であった。
「それにしても最近平和すぎるわね……あーあ博麗の巫女なんてやめちゃおうかしら?」
「おいおい、そりゃ霊夢自身の存在否定してるぜ。よく考えたらどうだ?」
「暇すぎて頭がおかしくなる人も考えものね……ふふふ」
「じゃ、じゃあ私がまた神社の下に要石を打ち込んで、地震を起こすってのはどう?」
 そう言った天子の頬に、霊夢の鉄拳が炸裂した。
「ごふぅ……」
「また神社倒壊させたら殺すわよアンタ」


 そんなのどなか雰囲気を打ち壊すように、唐突にその来訪者は現れた。
 幻想郷を統べる、神出鬼没の妖怪八雲紫である。お供には式の八雲藍と西行寺幽々子の従者、魂魄妖夢の姿も見える。霊夢は何かただことではないと感づいた。最近藍の式の橙が行方知らずとなった聞いている。道に迷って帰れなくなったのではと霊夢は思っていたが、さすがに失踪してから時間が経ちすぎている。
「どうしたの? 紫。それに妖夢まで」
「霊夢さんお久しぶりです」
と言って妖夢はぺこりとおじぎをした。
「え、えーと今回はそのつまり……」
 
 紫がたどたどしく説明した内容はこうだった。
 橙が消えたのは紫の管轄内の結界の中だということ。橙が自力で結界内に入れる手段はなく、おそらくは何者かが結界をねじまげ橙を招き入れた可能性が高いということだった。
「……あんたの不手際で結界が開いてしまったと言うことはないの?」
「そ、そそそそそ、その可能性は限りなくゼロに等しいわ。ええ、ええもう」
「まぁいいわ。それでそこには何が封印してあったよの?それが一番の問題でしょう」
「……地底よ」
「はぁ?」
「地面の下。つまり幻想郷には地底世界があるのよ。私以外にこの事実を知っている者は少ないのだけれど。あそこには地底の入り口を封印してあったのよ。誰も近づけないようにね」
「で、今回の目的は橙捜索隊ってわけ?」
「それもあるけど、地底の奥深くを調査して欲しいの。よく地底の気を調べてみると不穏な空気が溜まっているのよ。それは異質で、燃え上がるような黒い渦をまいているイメージだわ」
「地底って陰気な所みたいねぇ。そんな所に住んでる奴の気がしれないわ」
 霊夢は心底いやそうな顔で言う。
「地底にはかなり危険な妖怪がいると聞くわ……それで妖夢と……そして藍と一緒に行って欲しいの」
「藍と?」
 霊夢は少しびっくりして言った。
 藍は先ほどから覚悟を決めたような鋭い目をしていた。紫が藍を単独で行動させるのは何かわけがあると思ったが、たのもしい味方ができたと思って安堵した。
「よろしくたのむ」
「ええ藍、こちらこそよろしくね」
「地底はよく知りませんが三人で頑張りましょう!」
 妖夢が自分を奮い立たせるように言い放った。

 紫は藍が地底へ潜ることに反対したが、結界管理を疎かにしていた引け目もあり、結局押し切られてしまった。橙が生きているという一縷の望みをかけた、藍の目は本気だった。もう誰にも止められなかった。
 しかし何故今になって、地底の入り口をこじ開けようとするものが現れたのかわからなかった。
 地底との約束もある。紫は動けなかった。
 今は博麗の巫女に全てを託すだけだった。

 
「霊夢、話は全ては聞かせてもらった。持つべきものは友達だぜ。なぁアリス。地底へ一緒に行こうぜ」
「え……? 魔理沙……ええ一緒に行くわ」
 後ろにいた魔理沙がそう言った。アリスは何故か顔を少し赤くして答えた。
「ねぇチテイって面白いの? 面白いなら私も行ってみたいなー。だめ?」
 天子はまるで、遊園地へ連れて行く事をせがむ子供のように言った。
「ちょ、ちょっとこれは遊びじゃないのよ! 観光気分で来てもらっても困るわ」
「まぁまぁ人が多けりゃ早く終わるし、その後一緒に温泉でもつかろうぜ」
「……もうしかたないわね。それじゃあ私、妖夢、藍、魔理沙、アリス、天子の六人旅行ってとこね」
「わーい、ああお小遣いもらってこなくちゃ……何着てこようかなぁ……わくわく」
 すっかり勘違いしている天子を置いて、地底潜入はこうして幕を開けた。
 


      3


 橙はうつろな意識の中目を覚ました。体のあちこちが痛んでいる。どうやら数十メートルの高さから落下してしまったらしい。周りを見渡すと暗く、そして深い闇が延々とひろがっていた。上を見上げると地上の空が遥か遠くに見えた。
「早く帰らないと藍様が心配しちゃう」
 そう橙は言って終わりのない暗闇へと飛び立って行った。

 黒谷ヤマメは全長五メートルあろうかと思われる巨大な体を、地底の壁に張った巣の中で獲物を捕らえるべくどっしりと腰を据えていた。下半身は八本の足を器用に扱い、糸を紡ぎ出す蜘蛛の体、上半身は人間の成人女性のようなグラマーな肢体で構成されている。地底のごく入り口に巣を張り迷い込んだ妖精や妖怪を主食としていた。
 ヤマメの四方八方を見渡す複眼が、薄明かりが差し込む洞窟の中で移動する物体をとらえた。ひさびさの獲物だと慎重に構えて近づく。音をたてないようにゆっくりと。糸の射程範囲までじりじり、じりじりと近づいていった。
 獲物を捕らえるために十分な距離まで近づいた。そしてヤマメは手足に絡めた粘着性の糸を広い網のよう
にして、パアッと獲物のめがけて一直線に投げかけた。

「あうっ!」
 橙はヤマメが放った網に捕らわれてしまった。いきなり落とし込まれた暗い洞穴の中では、橙の目も忍び寄る大蜘蛛の接近を感知する事はできなかったのである。
 ヤマメは慣れた手つきで橙を糸でぐるぐる巻きにし、あっという間に繭のように手足を拘束してしまった。
「おっとこれは珍しいな。地上から落ちてきたらしい。さてねぐらに連れてゆっくり味わうとするか」
 橙はヤマメの大きな背にくくりつけられてしまった。揺れる背中の上で橙は藍様、藍様助けてと消え入りそうな声でつぶやいていた。


 地底の一妖怪、水橋パルスィは四六時中妬ましくてたまらなかった。彼女は心に溜まる妬みが一定量になると、爆発してしまうのではないかという脅迫観念があった。だから定期的に発散しなくてはならないがその方法に問題があった。手に五寸釘を持ちそれで生き物を刺す。そうしなければパルスィは妬みを解消することができないのである。
 パルスィは妬みが溜まってくると元から緑の目の色がさらに濃くなった。地底の妖怪や妖精はパルスィの目の濃さを見て逃げるか否かを判断した。
 近頃パルスィは溜まりすぎていた。腐ったコケのような濁りきった緑の目で、新鮮ないい叫び声を出す獲物を求めて歩き回っていた。早く新鮮な獲物が欲しかった。早く早く刺さなければ爆発してしまう。
「……刺したい刺したい……何でもいいから早く早く……刺したい」
 廃人のような足取りでぶつぶつつぶやきながら歩いていると、前の道からヤマメがおいしそうな獲物をかかえてくるのを見つけた。パルスィにはもう我慢ができなかった。せいいっぱいの愛想を振りまい自然な形で獲物を分けてもらおうと画策してヤマメに話しかけた。
「ああヤマメさんいい天気ね。ところでその背中のもの、私にくれますよね? くれますよね?」

 濃い緑の目をしたパルスィを見て、ヤマメはなんてまずい時に出会ってしまったんだと思った。なんとかパルスィを退ける方法はないかと頭をひねって考えた。
「やぁパルスィさんいい天気ですね。あいすいませんがこの獲物は地霊殿へのお届けものなのですよ。どうかご容赦ください。それでは失礼します」
 そう行って通り過ぎようとしたが、顔色まで緑色に染まったパルスィを見てあわてて付け加えた。
「ああいえいえひどい記憶違いをしていました。納入は来週でした。来週。よってこの獲物はあなたのものです。さようならパルスィさん」
「あら悪いわねヤマメさん。私もちょうどそうだと思っていたとこなのよ。さすがは私の世界で一人だけの友達のヤマメさん。今度一緒にゆっくりお茶でも飲みましょうね」
 心にもない言葉を吐きながら、気持ち悪いくらいの満面の笑みを浮かべてパルスィは意気揚々と獲物をを担ぎ上げて地下の奥深くへと消えていった。



 パルスィはうれしさを体全体に表し、かろやかなスキップをしながら地底の水流が流れる自分のあばら家まで帰った。
「ああ久しぶりたわ。もうたまらないわたまらないわ。ああ早く準備しなくっちゃ」
  パルスィは民族衣装を白装束に着替え、頭には火のついたろうそくをさし、手には五寸釘と木槌を持ってあたふたと外へ飛び出した。
 しんとしずまりかえった闇、地下の水滴がポタポタと美しい音色を奏でるこの場所で、秘め事をするのがパルスィは好きだった。
「まぁかわいい子猫ちゃんね。今楽にしてあげるからね。えへへうひひ」
「やっ……やめて……」
 橙の必死の声など今のパルスィには全く届かなかった。
 五寸釘が橙の手にあてがわれ、パルスィの持った木槌が無残にも振り下ろされた。
「あぐぅ!」
「痛い? もっと痛がって? お姉さん感じちゃうから。うふふふふ……」
 パルスィは橙の声を聞いて喜びに打ち震えた。ああなんてかわいい声で鳴くのかしら。
「あら……子猫ちゃん綺麗な耳飾してるのね。誰にこの穴開けてもらったの? ママでちゅか~? 今からお姉さんが、もっと耳飾をたくさんつけられるようにしてあげまちゅからね~~」 
 パルスィが喜び勇んで木槌を振るうと、橙の耳には無数の穴ができてしまった。
「あーっ! ああっ!」
「またそんな甘えた声だして……お姉さんを誘ってるのね。なんていやらしい子……たっぷりおしおきが必要のようね……あぁん気持ちいい」
 木槌が釘を叩く音が響くたびに、橙の無垢な体に痛々しい穴がいつくも開いていった。手のひら、足首、指の一本一本、腕、脹脛、肩、腿、胸、腹、首、頭、目、口。徐々に急所へと釘の重量がぽっかりとした洞穴を創作していく。
 橙の悲痛な叫びはしだいにかぼそく、ついには消滅してしまった。橙がいつどの部分で幼い命を閉じたかはわからない。
 最後には一つの芸術的な彫刻が完成していた。純朴な獣の生の恐怖を、無数に開いた血が無尽蔵にあふれ出る穴が象徴していた。生への願望を、今は何も見ることのできない静かな眼窩が寂しげに主張していた。
「……ああ! ……すっきりしたわ。これで当分大丈夫だわ。何でも溜まりすぎは体によくないわねーうふふ
ふふふふふ……」
 晴れ晴れとした顔つきのパルスィの目は、とても澄んだ緑色になっていた。


  4


 霊夢達六人は紫に言われた結界の中から、地下へと降り立っていた。地面がゆるいらしく、あちこちに落とし穴ような窪みがあった。橙はここから落ちたに違いない。
 旅行と聞いて一人無邪気に騒いでいた天子も、目的地が地面の底と聞くと、あからさまに嫌悪感を露にして愚痴を言ったが、じゃああなたは来なくてもいいわよと言うと、結局首輪をつけられた犬のように後からトコトコをついて来た。
 地下には真下に長く、永遠に終わることはないと想像させるような大穴が口を広げていた。霊夢達は周りの様子をうかがいながらそろそろと下降していった。

 「さすが地下だけあって暗いぜ。私がいてよかったな、ほらっマスタースパーク!」
 魔理沙はそういって懐中電灯代わりの八卦炉で下を照らした。
「魔理沙、あんたいい加減に目くらましにしかならない物に、強そうな名前つけるのやめなさいよ。それで驚いて逃げ出すのは馬鹿な妖怪だけよ」
 霊夢はあきれた顔でいった。
「ねーねー魔理沙それどうなってるの?見せて見せて」
 どうやら天子は魔理沙になついているようだ。おもり役ができて霊夢はほっとした。
 霊夢はこの六人の大所帯に不安を感じていた。地底はまだ見ぬ危険な妖怪がいるかもしれない。無理にでも魔理沙の申し出を断っておくべきだったと後悔した。魔理沙は戦闘能力に乏しく妖怪とはまともに戦えない。いつもは派手な魔法と称する、子供だましのおもちゃや爆竹を使って遊んでいるだけだった。天子は旅行気分でここについて来ている。以前の出来事からまともに妖怪と戦う気にはならないだろう。むしろ迷子にならないか心配だった。頼りになるのは妖夢とアリスと藍と……四人でなんとかするしかないと思った。
 しかしこの陰気な空気が立ち込める地底で、果たして普段と同じように妖怪は力を発揮できるのだろうか?霊夢は登山の一歩目で言い知れぬ不安を感じていた。
 そういえば藍は先ほどから一言もしゃべらず前方の闇を見つめている。果たして橙が死んでいるかもしれないという切迫した状況の中で、冷静な心理状態を保つ事ができるのだろうか?
 霊夢の不安の種は尽きなかった。
「いい? あんた達、一番最初にいっておくわ。この地底探索において一番守られなければいけないとは、第一に自分の身の安全を最優先に考えること、第二チームの事を考えて軽率な行動は慎むこと、第三に死なないこと、わかった?」
「わかったぜ」
「わかったわ」
「了解です霊夢さん!」
「おっけーわかった」
「了解した」
 本当にわかっているかどうかわからない返事が返ってきた。
「それじゃあフォーメーションを組むわね。まず私が最前列を努めるわ。魔理沙はすぐ後ろから照明係お願いね。アリスは左前方で周囲の気配の察知をお願い。藍は右前方で同じく周囲の状況に気をつけて。妖夢は後方の安全の確保をお願いするわ。えーと後は…」
「ねぇねぇ私は何をすればいいの?」
 天子が首をちょんと傾けて聞いていた。
「お姫様は真ん中でじっとしてればいいわ」
「はーい、わかったわ」
 天子はお姫様と言われて機嫌をよくしたようだった。


 しばらく何事もなく下穴を直進していた。妖精や小動物の類は存在したが、強い妖気を発するような妖怪には未だ遭わなかった。
 霊夢は神経を鋭敏にさせながら前方の暗闇に意識を集中させていた。ふと何か異質な空気を感じて立ち
止まった。
「みんな一旦止まって!」
「どうしたんだぜ? 霊夢?」
 魔理沙が後ろから声をかける。
「アリス、そこの壁のそばちょっとつついてみて」
「わかったわ霊夢」
 アリスが壁の辺りを、鋭利な剃刀を持った人形を器用に操って探ってみた。粘着質のネバネバした白い糸が剃刀に付着した。
「これは――」
「魔理沙、そこ照らしてみて」
 魔理沙が照らした先には巨大な蜘蛛、黒谷ヤマメが壁に巣を張りゆっくりとした息遣いで待っていた。
「ちっよく私の糸に気づいたな。まぁいい六匹まとめて喰らってくれる」
 そうヤマメが言うと糸を手足に絡め始めた。
「な、何なんだ? こいつは? でっかい蜘蛛に女の体がくっついてるぜ!」
「見ればわかるでしょう、妖怪よ。みんな油断せずいくわよ。決して一箇所にとどまらないで常に動きを絶やさないで。さぁいくわよみんな一斉に散って!」
 霊夢がそう言った直後に、ヤマメから何本もの糸束が周囲に拡散して放出された。
「う、うわっ!」
「きゃー何これ助けてー」
 魔理沙と天子は回避する間も無く糸に捕まってしまった。
 他の四人は俊敏な動きで大蜘蛛の糸攻撃を避けていた。
 ヤマメの標的は現在アリスに向かっている。迫りくる糸をアリスは必死で人形で切り払ってガードしていた。
 今がチャンスだと霊夢は思った。
「藍は蜘蛛の動きをできるだけ押しとどめて、それから妖夢は蜘蛛の手足をガンガン切っちゃいなさい」
「わかりました霊夢さん!」
 藍が妖術を使い、霊夢がお札でヤマメの動きを鈍らせた。妖夢はその俊足を生かして、迫りくる糸に触られる事無く、確実にヤマメの手足にダメージを与えていた。
 形勢はしだいに傾いた。硬く強靭なヤマメの手足も今は半分に減っていた。妖夢が気合を入れて胴体に剣撃を打ち込むとヤマメの巨体はぐらりと傾き、地の底へまっさかさまに落ちていった。


「やれやれ、何とか片付いたわね」
「ふぅ手ごわかったぜ」
「怖かったわーそのまま食べられちゃうかと思ったわ」
「あんた達はほとんど何もしてないでしょーが」
 ヤマメは地底の底に巨体を横たえていた。どうやら下るのはここまでで、後は横穴が続いているらしい。ヤマメは手足から黒っぽい液体を噴出して、ピクピクと痙攣していた。まだ生きている。
「あなたにちょっと聞きたいことがあるのだけれど――ここ最近、帽子をかぶった猫の妖怪が通りかからなかったかしら?」
「……あ……ああ……何日か前私は猫の妖怪を……確かに捕まえた……でもパルスィ……水橋パルスィに横取りされたん……グハッ!」
 ヤマメの胴体に大きな穴が開いていた。どうやら藍が妖力を放ったらしい。
「……残念だったわね藍。もう橙は妖怪の手に……」
 霊夢が申し訳なさそうに言った。 
 藍は震えていた。固く握り締めたこぶしからは血がポタポタと流れていた。九本の尻尾は全て逆立ち、禍々しいような異様なオーラを解き放っていた。


    5
  

 パルスィに弄ばれた橙の死体は地底の水流へと捨てられた。死体は水の流れにのりついには地霊殿のふもとへとたどり着いた。
 火焔猫燐、通称お燐は地霊殿へ死体を運ぶのを仕事としていた。地霊殿の周りには死体が次々と堆積してしまう、いわば終着点である。よってお燐がいなければ死体の山だらけになって大変なことになってしまうのだった。
 
 お燐はいつものように地霊殿の近くで死体が流れついていないか見回りをしていた。川に猫の死体が打ち上げられているのを見つけた。体中に穴が開いて少々腐りかけていたが、お燐はつい欲情してしまった。
 お燐はたくさんの死体の中から、いくらかつまみ食いをするのが隠れた趣味だった。死んでから間もない綺麗な死体は大好きだった。死んだ直後は魂が肉体から完全には離れておらず、魂と肉体を同時に弄ぶことができるのである。お燐に弄ばれた魂は虜となり、お燐の使役する怨霊になって、絶対に成仏することはできずに永遠に捕らわれ続けるのであった。
「ああ子猫ちゃんかわいそうに……こんな穴だらけになって……。痛かっただろうねぇ苦しかっただろうねぇ。よしよしお姉さんが来たからもう安心だよ。お姉さんにかかれば子猫ちゃんのかわいそうな魂はね、自縛霊にも浮遊霊にもならずにずっとお姉さんと一緒にいられるんだからね。お姉さんはね子猫ちゃんの強い味方なのさ。……その代わりと言ってはなんだけどね……ちょっと子猫ちゃんを味見してみたいけどいいよね?……いい? ふふ……聞くまでもなかったね。お姉さんは子猫ちゃんの魂の恩人なんだから何をしてもいいよね。ああ子猫ちゃんのすべすべのお肌、つやつやの髪、死ぬ前はさぞ美しかっただろうねぇ。いやもちろん今だって子猫ちゃんはとっても綺麗さ。足の先から頭の先まで全部舐めてあげたいぐらいだよ。ひひひ。それにしてもこんなかわいい子猫ちゃんをいじめたのは誰なんだろうねぇ。そいつの気がしれないねぇ。こんなに穴ばっか開けちゃって一体何の役に……じゅる……あぁ……おっと……はぁ……お姉さん子猫ちゃんのたくさんの穴ばっかり見てたらなんだか興奮してきちゃったよ。……ああちょっと腐った傷口もおいしいよ子猫ちゃん。ああおいしいおいしい……心が洗われるようだねぇ……死体運びはこれがあるからやめられないのさ。子猫ちゃん見える? 自分の体が舐め舐めされているとこ? ほらもっと意識を集中させてみて?……そ~うそう……上手上手。ふふふよく出来たわねえらいえらい。あれれ? どうして泣いているのさ?何々? らんしゃま? はは~ぁんこれはあれだねぇ、母と子、生き別れなんちゃらってやつだねぇ。でも大丈夫さ、ここは死体が集まってくるかららんしゃまにもきっといつか会えるよ。もちろん死体になってねひひひ。おやおや? どこへ行くんだい子猫ちゃん? それにそんなんで逃げているつもりかい。もうあきらめなよ子猫ちゃん。もう魂は私の思うままなんだからね。ほーら捕まえた。あはは、なぁにすぐ慣れるよ、私の怨霊はみんないい奴ばかりさ。まぁちょっと可愛がり過ぎちゃうかもしれないけどね、ひひひ。おっと忘れてた。かわいい子猫ちゃんの体たっぷり楽しまなきゃね。同じ猫なんてそうそう出会えないんだからさ。これからお互い仲良くやっていこうよ、ねぇ。ああおいしい子猫ちゃん。ああおいしいよ、目玉の穴も、内臓も全部おいしいよ。ああなんで泣き出すのさ子猫ちゃん。そうかそうか寂しいんだね。少し待ってておくれよたのむから。体を隅から隅までしゃりぶりつくしたらさ、子猫ちゃんの魂も舐め舐めしてあげるからね。ひひひ。そうだ私をらんしゃまだと思うといいよ。かわいい子供が出来たみたいでうれしいねぇ。ああこれから毎日楽しくなるねぇ。ひひひ。ひひひ」


 




 霊夢達は地底の底に到着した後、横穴を道なりに進んでいた。しんと静まりかえった無音の世界の中にチョロチョロと流れる水音だけが耳に入っていた。水脈は地底の奥深くへと続いているようだった。
「はーぁもう疲れたわ。ねぇ帰ろうよもう」
「そう、じゃあんただけで帰ることね。さようなら」
「えぇ、こんな暗いとこで一人でいたら私死んじゃうわ」
 明らかにやる気なさそうな天子の返事に霊夢が答えた。
 もうずいぶん横穴に入ってから時間がたっている。一体この闇はどこまで続くのか、それが霊夢達を不安にさせた。
 そんな思いを胸に抱きながら歩みを進めると、大きな洞穴が三つ口を開けていた。
「三股に分かれてるわね? どうする」
 霊夢は聞いてみた。
「霊夢に任せるぜ」
「同じく」
「霊夢さんにお任せします」
 霊夢は少し考えた。
「……それじゃあ六人を二人ずつの三グループに分けましょうか。時間がもったいないわ」
「さんせーい。じゃあ私が魔理沙と組むね」
「私は構わないぜ」
「え……ちょっと魔理沙は私と……」
「どうしたんだぜ? アリス?」
「え~私は魔理沙と組みたいのに……」
「なっなによ……私は……その……」
 三人の間で言い争いが始まってしまった。アリスは泣きそうな顔で特に根拠のない自分の正当性を主張している。
 その光景を見かねたように、ふっと一つ息をついて藍が言った。
「その三人で組むといい。私は一人で大丈夫だ」
「……でも藍……それは危険すぎるわ」
 霊夢は藍の目を見た。真剣な目だった。何を言っても絶対意見は変えないと思った。
「……わかったわしかたないわね。全くチームの和を乱す奴ばっかりね。ということは必然的に私は妖夢と組むことになるわね。よろしくたのむわ妖夢」
「はい! 地底の妖怪など私がばっさばっさと切り倒してくれましょう!」
「はいはい期待してるわよ」

 話合いの結果、左の穴から順に、霊夢妖夢組、天子魔理沙アリス組、藍、で進むことになった。
「みんな次は必ず生きて会いましょうね」
 霊夢が元気付けるように声を高くして言った。
「もちろんだぜ。霊夢もな」
「当然だわ」
「もう疲れたわ。はぁ~」
 藍は何も答えずに暗闇へと消えていった。
「藍さん一人で大丈夫なんでしょうか?」
 妖夢が心配そうな声で言った。
 霊夢は何も答えられなかった。
 
 
      6


 霊夢は妖夢と共に水が流れる道を進んでいた。
「橙さんは一体今はどうなっているんでしょうかねぇ」
「それはあの蜘蛛が言っていた、水橋パルスィとかいう妖怪しだいね」
 霊夢は冷静にそう言った。
 もう橙はおそらく生きてはいまいと霊夢は思った。先ほど遭遇した蜘蛛の妖怪を見ればわかる。ここは生半可な人間や妖怪が生き残れる場所はない、完全弱肉強食の世界。紫や藍の助けがない橙が生き残っている可能性は万に一つだった。

 しばらく何事もなく進むと、天井が高く、地底湖のような広い場所に出た。誰が通るのであろうかと思われる用途不明の巨大で立派な橋がでんと構えていた。
「うゎー広いですねぇ。まるでここだけ地上に来たみたいですよ」
「そうね……! 妖夢気をつけて、何かいるわよ」
「わ、わかりました霊夢さん。とりあえず切ってみればわかりますね」
 妖夢は剣の腕は確かなのだが、喧嘩っ早いところが弱点だと霊夢は思った。

「切ってみるなんて物騒ね。まさか私達の呪われた力を求めに?」
 地底の妖怪、妬むことが生きがいの水橋パルスィが唐突に姿を現した。
「出ましたよ霊夢さん。切りますか?」
「ええとちょっと待って妖夢。妖怪さん? あなたのお名前は?」
「ふーん私の名を知りたいなんて物好きな人間ね。いいわ、私の名前は水橋パルスィ。嫉妬を操るのが得意な地底の一妖怪よ」
 パルスィは綺麗な緑色の目をパチパチさせながら嬉しそうに答えた。
「……霊夢さん」
「ええわかってるわ。妖夢、ここは私に任せて」
 霊夢はすっと前に出てパルスィに話しかけた。
「数日前あなたが蜘蛛の妖怪から帽子をかぶった妖怪猫を、受け取ったという話は本当かしら?」
「それは本当の事ね、確かにもらい受けたわ。それが……何か?」
 パルスィは不気味な笑顔をうかべて答えた。
「……もういいわ。妖夢、こいつをやりましょう」
 霊夢はパルスィの欲望に染まった顔を見て確信した。橙はこの妖怪に殺されてしまったと。今は藍のためにも何とかしてこいつを倒してしまおうと考えた。
「あなた達もしかしてあの子猫ちゃんの知り合い? うふふあの子はすごくよかったわよ……ああ今思い出しただけでも妬ましくなる…」
「問答無用!」
 パルスィが言い終わる前に妖夢が切りかかっていた。パルスィは頭から真っ二つにされ、緑色の血を噴出しながら崩れ落ちた。
「……なんかあっけないわね。でもこんなもんかしら。よくやったわ妖夢。さぁ先を急ぎましょう」


 二人は広い地底湖を探索し、細い通路を発見した。 
「どうやらここから先にいけそうね。」 
「そうですね。藍さんや魔理沙さん達と合流できるかもしれません」
 通路に向かって歩こうとしたその途端、霊夢は急に恐怖を感じて後ろを振り返った。巫女の勘はいつでも裏切らない。
 真っ二つにされたはずのパルスィがゾンビのように立っていた。切断面は緑色のスライムのようなネバネバした物体で覆われていて、先ほどは澄んでいた目が今はどす黒い緑色に染まっていた。
「……妬ましい……逃がすものか……」
「くっ、往生際が悪い妖怪ね。さっさと成仏しなさい」
 霊夢が霊力をこめた巫女棒でパルスィをなぎ払った。
 鈍い音と共にパルスィの胴体は上半身と下半身に分かれてしまった。地面に這いつくばってもぐちゃぐちゃになったパルスィの体はなおも結合しようとしていた。完全に叩き潰すしかないと思った。
「妖夢、こいつはちゃんと処理しておかないと駄目だわ」
「は、はい!」
 二人はパルスィを念入りに叩き潰した。頭蓋骨を割り目玉を割り心臓を割り肺を割り、ありとあらゆる部分を完膚なまでに破壊した。
 二人はまるで殺人現場の証拠隠滅しているような罪悪感にとらわれてしまった。暗く陰鬱な地底の空気が邪悪な気持ちを増大させていたのかもしれない。違う私は妖怪を退治しているだけよと自分いい聞かせた。
 満足いくまで叩き潰した後、お札を敷き詰めて火を灯した。緑色の蒸気がぼおっと地底湖に立ち込めた。
 霊夢は妖夢の瞳を見た。
 緑色に濁っていた。
 頭を振ってもう一度みた。
 今度は普通だった。


     7


 藍は飛んだ。力の許す限りの限界のスピードで飛んだ。このまま尻尾が全部ちぎれてもよかった。
 藍は思った。橙は必ず生きている。きっと生きている。あの橙が橙が――

 洞穴を抜け都を抜け、藍はひたすらに橙の姿を求めて飛んだ。橙の魂が私を呼んでいる。私にはわかる橙はきっといる。必ず私が迎えに来るのを笑顔で待っていると思った。



 八雲藍はエリートだった。妖怪狐の中でも一部の者しかない持たない九尾の尾。その中でも特に優秀だったのである。藍は天狗になっていた。もはや神になっても構わないのではという自負もあった。
 ある時八雲紫が訪れた。私の式となる優秀な妖獣が欲しいわと言った。
 藍の名前が一番にあがった。
 藍はそれならば私より強いという証をお見せくださいと言った。
 弱い者に従う気はなかった。
 八雲紫は笑っていいわよと言った。
 結果は完敗だった。
 井の中の蛙だった。

 藍は八雲紫の式となった。
 厳しい修行に耐え八雲の姓を与えられた。
 
 藍にも式が与えられた。
 橙と言う名だった。



「藍様ー今日人里で綺麗な耳飾を見たんです。私も欲しいなー」
「駄目だよ橙。耳飾は自分の耳を傷つけなきゃならない。親からもらった体は大事にしなきゃ駄目だよ」
「私には親なんて……」
「橙……そうだ!この術が習得できたら耳飾をつけよう」
「わぁいありがとう藍様ー。藍様大好き」

 藍は紫に土下座をして頼み込んだ。紫は別にそんなにかしこまらなくてもいいのよ、あなたの式なんだしと
言った。

 丁寧に消毒した針で橙の耳に穴を開けてあげた。
 麻酔無しだったから橙は涙こらえて傷みを我慢していた。




「藍様ただいまー今日はね……」


「藍様ーあのねあのね……


「藍様ー……」


「ら……」





 気がづくと奇妙な異国の宮殿のような建物の前に立っていた。橙が自分を呼び寄せた。橙はきっとここにいると思った。
 軽快なリズムの鼻歌が聞こえた。目を見やると、黒っぽい衣装に身を包んだ赤い長髪の猫が、白い手押し車を押しながらこちらへと歩いてきた。
「あら狐のお姉さん何か御用?」
 赤い髪の猫はそう聞いてきた。
 どう答えればいいのかわからなかった。
(……藍様……)
 今確かに橙の声が聞こえた。どこに?どこに橙が?
「んんーどうしたの子猫ちゃん? ははぁ~そっかこの人が……ふふふ面白い事になってきたねぇ」
 赤い髪の猫は横のぼおっと光る物体に声をかけていた。よく目をこらすと赤い猫の周囲にはいくつも白い発光物が浮かんでいた。一体これは……? 今赤い猫が話しかけている白い光が、何故か橙の顔に見えてきた。まさか……まさか……。
「それっお前達っ!この狐を捕まえておしまいっ!」
「くっ……」
 手足が動かなかった。
 白い光が手足の自由を奪っていく。
「やったぁ、らんしゃま捕獲成功~」
 何故私の名を……?
「ほらほら子猫ちゃん。愛しのらんしゃまだよ~ぎゅ~~って抱きついてあげなよ。ひひひ」
(……藍様……藍様……)
 ……そうか橙はもう……
 ……また助けてあげられなくてごめんな……
「あははこの狐自分の子供の魂に苦しめられてるよ。ひひひ。いやいや違う違う、狐と猫の子供なんてできるわけないじゃん。もらいっ子~子猫ちゃんはもらいっ子~。ああ今日はなんて幸運な日なのさ。子猫ちゃんとらんしゃま、二人で永遠に苦しむがいいさ。いっひひひひひ」


    8


 魔理沙達三人は水が滴る洞穴を抜け、古風の建物が立ち並ぶ広大な地底街にたどりついた。正面から幅の大きい道が一直線に貫通し、両脇には長屋のように瓦葺の家が立ち並んでいた。地底の薄暗い闇の中に提灯の明かりが点々として、それはまるではるか摩天楼から見下ろす都会の夜景のようだった。

「うわぁ……すごいわね、地底にもこんな街があるなんて」
 アリスが感激したように言った。
「やっと町の出番か。住んでいる妖怪に話を聞いてみようぜ。情報収集はRPGの基本だしな」
「ちょ、ちょっとさっきの蜘蛛を見たでしょう? 危険よ、危なすぎるわ」
 魔理沙の発言にアリスが驚いた調子で反対した。
「知らないのか?アリス。町や城では敵は出ないんだ、みんな友好的に情報を提供してくれるのがお決まりなんだぜ」
「ねぇねぇさっきから二人で訳のわからない話してるのよ。私にもわかるように説明しなさい。そのあーるぴーじーって何なの?」
 天子がかまって欲しそうに口を開いた。
「お姫様が悪い魔王を倒して、世界を救うゲームだぜ」
「まぁそれなら私が主人公ね、うふふ」
 天子は嬉しそうに言った。
「じゃあ私は天子と情報収集してくるから、アリスは適当に回ってみてくれよ、あの大きな門で落ち合おうぜ」
「も、もう魔理沙ったら勝手に決めて……」
「じゃーまたなアリス」
「またねー」
 魔理沙と天子は行ってしまった。大通りの先には巨大な門が待ち構えていた。まるで地獄の入り口を思わせるような奈落の扉が大きな口を広げていた。

 
「全くもう、魔理沙ったら自分勝手なんだから……ぶつぶつ」
 魔理沙と別れた後アリスは愚痴をつぶやきながら歩いていた。
「魔理沙ったら私も気持ちも知らないで……あんな……」
 アリス・マーガトロイドは生粋のレズビアンである。
 魔理沙の事を心から愛していた。初めは楽しげにおしゃべりをし、肩が触れ合い、手をつなぎ、しだいにお互いの距離が近くなり――キスをし、そして――。
 そんな人間の10代の乙女が夢見るような妄想を日夜反芻していた。
「はぁ……」
 アリスは軽いため息をついた。この綺麗な夜景も魔理沙と二人で見たならどんなにかロマンチックだろうにと思った。
「ま、まぁあんなボンボンの頭のネジが跳んだお嬢様なんて、私には関係ないし……魔理沙だって……」
 妄想をたくましくさせながら歩いていると、あの巨大な門の目の前まで人知れず到着していた。
「誰が作ったのやら、近くで見れば見るほど不気味な門ね……」
 アリスは門へと続く長い石段を一つ一つ上って行った。
「……これは」
 無残な生き物の死骸が門の下に放置されているのをアリスは見つけた。
 身長2メートルはあろうかという大きな体に、何匹もの烏が屍肉を喰らおうと至るところに群がっていた。まるで鈍器で殴られたような傷痕がいくつも見て取れ、額と髪の生え際には何か埋めていたようなものを、
引っこ抜かれたような深い穴が覗いていた。
「うっぷ……何よこれ……早く誰か掃除しなさいよ。死体とデートなんてごめんだわ……」
 アリスは一人立ちすくんだ。


「も、もう魔理沙ったらあんまり人を待たせるんじゃないわよ」
 アリスの門の上空で待っていた。魔理沙にあん死体を見せたくなかったからだ。
「おー悪い悪い。ずいぶん待たせたな、アリス。でも収穫は大量だぜ」
「そうそう、この門の先には地霊殿っていう観光名所があるんだって。やっと旅行らしくなってきたわね。
ああわくわくするわ」
 天子が目を輝かせながら言った。
「みんな親切で地霊殿までの地図まで書いてもらったぜ。やっぱり町には敵は出ないって本当だな」
「ふ、ふん。ええよかったわね。さっさとそこ行くわよ!」
「さっきからどうしたんぜ? アリス?」
「どうもしてないわよ!」
「こわ~~い。一体どうしたのかしら?」
 魔理沙達三人はこうして地霊殿を目的地として向かった。

   
「アリス? 何で後ろに人形捨ててるんだ?」
「馬鹿ねぇ霊夢達が迷わないように、目印よ、目印」
「そうかそうか、さすがアリス、たよりになるぜ」
 アリスは魔理沙に褒められて顔赤くしてあわてて前を向いた。
 道は複雑に入り組んでいた。これでは何の情報もない霊夢達ではどうにもならないだろうと思った。 
 天子はしきりに魔理沙に話しかけていた。アリスのイライラは頂点に達しようとしていた。

 長い長い迷路をようやく抜け出した。
 そして地底に似つかわしくないような煌びやかな宮殿が姿を現した。
「わぁ素敵、もう飛び疲れてへとへとよ。早く冷たいジュースと甘いお菓子が食べたいわぁ。たのもーお姫様の到着ですよー」
 天子は我先にと豪華な扉めがけて突進した。
「ちょっとあなた待ちなさいよ!危険な妖怪いるかもしれないのよ?」
「私達も行こうぜ、アリス。お城にも敵は出ないのはお約束だぜ」
「魔理沙……でも……」
 魔物が治める城だったらどうするのという疑問を、アリスはぐっと飲み込んだ。

 
    9


 霊夢と妖夢は藍や魔理沙達が通った旧都の道を、猛スピードで突き進んでいた。
 霊夢は焦っていた。あの緑の化け物のせいでずいぶん時間をくってしまった。魔理沙や藍は無事にここまでたどり着いたのだろうか? 街角にいくつも灯る提灯と、静かな得体のしれない妖怪の胎動が霊夢を不安にさせた。
  
 二人はアリスと同じく、巨大な門の下を通り過ぎようして、それを見た。
「こ、これは……」
「一体なんの死体でしょうね? 霊夢さん」
 霊夢はこの腐敗臭が漂うこの肉塊にどこか身近な空気を感じていた。大山を片手で打ち崩せるであろう荒々しく発達した筋肉。黄金色に輝く猛々しい頭髪。しかしまだ足りない。それにこんな僻地でのたれ死んでいるなんてアイツの仲間なわけないわと思った。
 霊夢は湧き上がる不安をどうにか頭の隅に追いやり、自分に納得させた。
「ただの妖怪の死体でしょう。こんなの関係ないわ、先を急ぎましょう妖夢」


 門を通り過ぎるとまた洞穴が続いていた。地面にはアリスの人形が一定間隔で置かれていた。
「どうやら魔理沙さん達はこの道を通って行ったみたいですね」
「そうね……」
「藍さんはご無事でしょうか……?」
 霊夢は魔理沙がすでに先へ行っていることにほっと安堵した。藍の事は心配だった。それに橙の死をどう伝えればいいか霊夢にはわからなかった。

 二人は広い空間に飛び出し、地底には激しく不釣合いな建造物に目をとめた。
「ここに入ったんでしょうか?」
「……ちょっと待って」
 霊夢は考えた。魔理沙達はこの建物の中で妖怪に捕まってしまったのではないか? こんな悪趣味の館を建てる妖怪はどうせろくな性格をしてないだろうと思った。正面からいくのはまずい、きっと何か罠がしかけられていると予想した。
「……少し周りを散策してみましょう」

 二人は館の裏手へ回ってみた。
 赤い髪の猫と見覚えのある狐の妖怪がいた。
 藍だった。
 藍はすでに事切れていた。
 金色だった髪や尻尾の毛は全て白く色が抜け落ち、いつもはぴんと背筋の伸ばしたように堂々と直立していた尻尾も、今はぐったりと水をあげない花のように萎れてしまっていた。顔はまるで二千年の時を一瞬で過ごしたかのような老け具合だった。目は落ち窪み、肌から水分は失われ、ごつごつの砂漠には深い皺だけがいくつもいくつも刻まれていた。手足の筋肉は全て失われ後は骨と皮を残すのみであった。
「……ひどいわね」
「ああ……藍さん……どうしてこんなことに……紫様にどうご報告申し上げれば……」

 藍の魂を奪った死体運びの猫、お燐は二人に気づいて言った。
「あれれ? 今日はお客さんが多いねぇ。もしかしてお姉さん達も、子猫ちゃんとらんしゃまのお友達かな?死体は死体を呼ぶからねぇ。ひひひ。魂抜き出すとこ見られたからには生かしちゃおけないよ。お姉さん達もこのお狐様みたいに私に魂取られちゃうといいよ。とっても楽しいんだからさ。ひひひ」
 お燐は二人に化け猫そのものの形相で飛び掛ってきた。
「やれやれ地底の妖怪はこんなのばっかね。ここに住んでる奴の顔が目に浮かぶわ」
「霊夢さん、ここは私に任せてくださいっ! 人の魂を喰らう悪鬼は私が成敗してくれます!」
 魂魄妖夢は白玉楼の剣術指南役兼、庭師である。彼女の剣術には幻想郷では右に並ぶ者がない。二つの剣、楼観剣と白楼剣を持ち、スピードを活かした踏み込みから次々と剣技を繰り出すさまは修羅として恐れられた。
「死ねギニャァー!!」
「そこです!」
 お燐の鋭い爪を妖夢の剣が打ち払った。
 お燐も猫の柔軟性をいかして予測のできない動きを展開するが、妖夢には全て見切られていた。
「ギニャー! こうなったら怨霊にまかれて魂吐き出してしまえ」
 何合か打ち合った後、しびれを切らしたお燐が怨霊を使いだした。
 しかし妖夢の持つ、楼観剣と白楼剣は怨霊をいとも簡単に退けてしまった。
 お燐にはもう打つ手がなかった。
 妖夢の斬撃がお燐の肌をかすめ、次々と痛々しい傷痕と作り上げていく。
 勝負の行方は明白だった。
 ついには妖夢の剣が足首を切り、お燐はべたっと地に伏してしまった。
「ひぃひぃいいい~~ご、ごめんなさいお姉さん。ゆっ、許してくださいな。私はただいつもの仕事をしていただけなのさ。どっ、どうかお命だけは~~~~」
 泣き叫んで土下座するお燐を見て、妖夢は剣をおさめた。
 妖夢はすっと息を吐いた。その一瞬の油断をお燐は見逃さなかった。
「危ない妖夢!」
 霊夢が叫んだ瞬間、お燐の魂を抜き取る右手が妖夢の半霊をつかんでいた。
「よく見たら魂半分浮いてるじゃないさ。いただきだねぇ。ひひひ」
「うぐっ……」
 妖夢の体が地に崩れ落ちた。
「ひひひ。お姉さんもこれで楽しい怨霊の仲間入りだよ。ひひひひひっ――!?」
 霊夢がお燐の顔面を巫女棒で強打していた。お燐のは頭部は首からちぎれ、勢いよく飛び跳ね館の壁に激突した。お燐の顔は何が起こったかわからないといった表情で、「ひ」の口の形のまま固まっていた。
「危なかったわね、妖夢。大丈夫?」
「え、ええっ、ううっ!」
「どうかしたの?」
 妖夢は半霊をつかまれた影響でしびれてほとんど動かせなくなっていた。
「な、なんとか歩けますが……」
「いいわ、後は私が全部片付けるから」
 霊夢は奇怪な宮殿を見上げ、そして藍の死体に目をやった。
「仇はとったわよ、藍――」


   10


「あのー誰かいませんかー? いませんかー?ジュースとお菓子くださいなー」
 勝手に宮殿の扉を開けた天子を追って、三人は内部へと入り込んだ。中はきらきら光が反射してまぶしかった。まるで四次元空間の中に迷い込んだかのように壁がぐにゃぐにゃ蠢いていた。
「何だか気持ち悪いぜ……」
「そうね、めまいがして倒れそうだわ」
 アリスはそういいながらも周囲の気配に気を使っていた。どこから敵が襲ってきてもいいように人形を準備し、目を光らせていた。
「あら来客なんて珍しいですね」
 ふいにどこからか誰かの声が聞こえてきた。
「んーどこどこ?」
 天子がきょきょろを首を振って辺りを見回した。
「……ここですよ」
 その声の主は天子の真後ろ、魔理沙とアリスの間にテレポートして来たかのように突然現れた。
「ふーん……あなた達……そうですか」
 声の主は背の低い少女だった。何かを納得したようにうなずいている。
「申し遅れました、古明地さとりと申します。地霊殿へようこそ…。そこのお嬢さん、冷たいジュースと甘いお菓子用意してありますよ。さぁ奥へいらしてください……」

  
 古明地さとりと名乗った少女はこの地霊殿と呼ばれる宮殿で、一人の妹と二人で暮らしているらしかった。親が残してくれた膨大な財産で暇をもて余しているそうだ。
 さとりの容姿は何かに例える事が難しかった。熟女のように妖艶で、少女のように繊細で可憐だった。手足はすぐ折れてしまいそうなほど華奢で、白く透き通った肌はきめ細かく美しかった。時折みせる首を物憂げに傾けて、やや濡れた瞳で流し目を送るしぐさは、男性ならばひとにらみで恋に落とし、愛の奴隷にする能力があると思わせるほどだった。

「……へぇここにもツチノコがいるのか。実は私もツチノコ飼ってるんだぜ……」
 天子がお菓子とジュースに夢中になっている間に、魔理沙はさとりと話し込んでいた。まるで相手の心が読めるかのようにさとりは話を相手に合わせるのがうまかった。
 アリスはぼけっと白痴のようにさとりの精巧な顔を凝視していた。ガラス細工のように美しくていつまでも見ていたかったのだ。ふとさとりがにこっと笑いかけ、悪魔的な流し目を送ってきたのでアリスは顔を真っ赤にしてとぎまぎしてしまった。
 ななな何よこれじゃまるで自分が面食いみたいじゃないとアリスは思った。
 アリスはまだ警戒を解いていなかった。天子がおいしそうに平らげているジュースとお菓子にいっさい手をつけていなかった。魔理沙との会話を聞いている限りは表面上はいい人に見えるが、油断は禁物だと思った。

「ちょっと魔理沙、そろそろ……」
 アリスは魔理沙をひじでこづいて促した。
「すっかり忘れてたぜ。ええと、水橋パルスィって妖怪を知らないか?」
「ええ知っています。水橋さんは地底に住んでいてとても嫉妬深い方ですわ」
 さとりが落ち着いて答えた。
「じゃ、じゃあもし仮に水橋パルスィが獲物を捕らえたとしたら……」
 アリスが割って質問した。
「ええもちろん食べられてしまうでしょうね。水橋さんも妖怪ですからしかたのないことですわ」
「……藍には気の毒だが、今回はちょっと遅すぎたぜ……」
 しばしの沈黙が部屋を包んだ。天子のカチャカチャと食器をかち合わせる音だけがむなしく響く。
「まだ聞きたいことはないのですが?」
 沈黙を破るようにさとりが口を開いた。
「え、えーとそうね。大事な事を忘れていたわ。ここ最近、何か地底で不思議な事が無かったですか?ほんのちょっとした事でもいいですから」
「……さてどうでしょうか……私自身はあまりここから動きませんもので……ここにいるペット達も私一人ではとても掌握できないのですよ。もし何か起きたとしてもとても全部は……」
 さとりが申し訳なさそうに答えた。
「そっかーそれじゃしかたないな。ここで霊夢達が来るの待とうぜ。霊夢なら何かいい考えがあるだろうし」
 そうねとアリスが言おうとした瞬間、天子が椅子から転げ落ちて、床をごろごろとかけ回った。
「ど、どうしたのよ?」
「うっ、うう苦しいぜ……」
「魔理沙??」
 これはやっぱり――
「別に毒入りというわけではないのですよ。アリス・マーガトロイドさん」
 さとりはにこやかな笑顔でアリスに語りかけた。 

「な……どうして……私の下の名前……それに毒……」
 アリスは訳がわからず混乱してしまった。
「わかりませんか?アリスさん。いえわからなくても結構です。あなた方のお仲間がいらっしゃるまでに、私のペットとして扱われる運命なのですから」
「一体何を……? ああっ……お、重い……」
 アリスは急に手足が鉛をつけられたように重くなり、身動きできなくなってしまった。
「あなたは少し私をみくびっていたようですね。地底は私達の縄張り、地上の妖怪がかなうはずがないのです。それに、力を隠すなどわけない事なのですよ。ふふ、見えますわ、あなたの醜い心の中。痩せっぽちでちんちくりんな女ね、ちょっと風が吹いたら吹き飛びそうだわ。私の魔理沙にそのいやらしい目つきで色目使わないでよ。私の魔理沙と楽しそうに話さないでよ。くすくす……魔理沙さんの事ばかりですね。そうです私は他人の心が読める覚(さとり)妖怪なのです。理解しましたか? アリスさん」
 さとりはスラスラとアリスにとって恐ろしい事を口にした。
「大丈夫ですよ。魔理沙さんは今強力な催眠状態に置かれています。何も聞こえません。あそこに転がっている天人さんも同じ状態です。アリスさんは本当に魔理沙さんの事が大好きですね。とても好都合です。だってじっくり楽しめそうですもの。うふふ……」
 さとりは今日一番の笑顔でアリスをくるんだ。
 さとりにとって他人の心は食料だった。他人の妬み、悲しみ、苦しみ、怒り、負の感情が覚妖怪である優越感を顕著にしていた。他人の心を弄ぶのも好きだった。親しい仲に余計なつげ口をして信頼関係を破壊してしまう事に快感を覚えた。
 何度もしているうちにさとりの周りから人が消えてしまった。そばにいてくれるのは感情が少ないペットだけになった。妹が心読み取る能力を自ら捨てた理由がわかった気がした。それでもやめられなかった。
 そして久しぶりの来訪者にさとりの心は胸躍ったのである。

「人を好きになる事ってとても素敵な事ですよね……アリスさん。でももし好きな人があなたの目の前で他の誰かを好きになったとしたら……」
「まっ魔理沙には……何も……」
 アリスが苦しげにしゃべろうとするとさとりはすっと手で制した。
「ああ何も話す必要はありません。先ほど言いましたでしょう?私は心が読めると。あなたの心が揺れ動く
様子を見るだけで私は幸せなのです。それではそろそろ始めましょうか」
 さとりはそう言うとうずくまっている魔理沙のそばに座り、手をかけようとした。
「やっ、やめないさいよっ!! んんっ、んんーーーー!!」
「ものわかりの悪い人ですね。私の言う事が聞こえませんでしたか? あなたはそこでただじっとしてればいいんですよ」
 さとりの念力によりアリスの口は堅く閉じられてしまった。

「魔理沙さんはこれから私の事が好きで好きでたまらなくなります。そうですよね? 魔理沙さん」
「あ……あ……」
「ふふふ……そうです私の事だけをもっと考えるのです……さぁ指をお舐めなさい……」
 さとりの細長く綺麗な指が魔理沙の口下へ運ばれた。
 魔理沙はそれをぴちゃぴちゃと小動物のように舐めしゃぶっている。
「人間のペットもいいのかもしれないですね。動物や妖怪より思考が繊細……ふふ……壊しがいがありそうですし……」
 そう言ってさとりはアリスの方をチラっと見た。
 アリスは歯を食いしばって激しい怒りの感情を露わにしていた。凶暴な殺意がさとりめがけて一直線に向けられていた。
「あらあら……恋する乙女がそんな怖い顔をしてはだめですよ。」
 さとりはしばらく魔理沙の体を優しく揺さぶるように、ねっとりと言葉と手のひらで愛撫していた。
 魔理沙はさとりにくすぐられるたびに甘い快感に包まれ、しだいに心を侵食されていった。そんな魔理沙の様子がアリスには我慢ならなかった。涙が頬を何度もつたい、口の端から血が滴り落ちた。もう限界が近づいていた。
「あらアリスさんそんなに涙を流して悔しがらなくても……こんな事ぐらい普段でもしていたのでしょう……?あらされていない? それは失礼でしたわね……ふふふ。……でもこれからもっといい事してあげるのですよ?ねぇ……魔理沙さん」
 さとりの手が魔理沙のスカートの中へ入ろうとした瞬間、アリスの背後から槍を持った人形が飛び出し、さとりの胸を貫こうした。さとりは表情を一分たりともも変えずに、ひらりと優雅にアリスの攻撃をかわした。
「そんな体勢からでも人形扱えるなんて驚きですわね。でも、私にはわかっていました。そう、わかっていたんです。あなたがどんなに意表をついたつもりであってもですね。ふふ……怖いですか? もっと怖がっても
いいですよ? 私は弱いものをいたぶるのが大好きですから……。それにしても……私に危害をくわえようとするなんて……私少し気がかわりましたわ……ほんのお遊びのつもりでしたのに……。アリスさん、あなたが悪いのですよ。よく覚えておいてください、あなたが全て悪いのです」
「んん~~~~~~!!」
 アリスは息をするのも苦しいくらいの強力な重圧を受け、悶絶してしまった。


 さとりは魔理沙を執拗にねちっこく責め続けていた。耳を優しく甘噛みしながら愛の言葉をささやき、成長過程の小ぶりの胸を、手のひらで包み込むように撫で回していた。
 すでにドロワーズとパンツも脱がされ、アリスに向かってよく見えるように足を大きく開いて、秘所をかき回されていた。
 アリスの目の前には地獄絵図が広がっていた。
 否応なしに魔理沙とさとりの情事を見せ付けられ、甘い甘い二人のあえぎ声を聞かされ続けていた。
「魔理沙さん好きです……」
「あぅ……」
「うふふ……もうこんなにトロトロですよ……」
 魔理沙はさとりの手により何度も絶頂に導かれて、すっかりさとりの従順な玩具と成り果てていた。
 アリスの目からはもう涙は枯れ果て、廃人のような真っ青な顔でぼーっと二人の行為をただ見つめていた。
「魔理沙さん……私の事が好きですか?」
「え……」
「私はあなたの事が好きです」
 さとりの手が振動しクチュクチュといやらしい音をたてた。
「あっ……ああ……す……好きだぜ」
「まぁ……うれしい……うふふ」
 さとりはそう言ってチラッとアリスを一瞥すると、どこからか出刃包丁を持ってきた。
「私が本当に好きなら――手首くれますよね」
 さとりはさらりと言った。



 目の前には凄惨な光景が広がっていた。魔理沙が自分の手首に包丁をあてがい今まさに切り落とそうとしているのだ。
「そうそう……そこから一気に下ろさないと引っかかって痛いですからね。力を入れて一気にいきましょうね」

 ――何を言ってるの?
 やめて、私が悪かったわ。だからもうやめて
 お願いします魔理沙を傷つけないで魔理沙をごめんなさいごめんなさい
 何でもするから魔理沙のためならなんでも魔理沙の魔理沙の

「――もう遅いですよアリスさん。言ったでしょう? 全てあなたが悪いんです。ですからあなたは全身で罪をつぐなわなければなりません」

 ――わかったわ全て私が悪いの魔理沙は何も悪くない
 だから魔理沙を助けてお願い
 私はどうなってもいいから
 私は――

「大好きな魔理沙さんのためならなんでもできますか? アリスさん?」

 ――できるわ魔理沙のためなら
 死んでも構わないわ
 ああ魔理沙魔理沙

「よくわかりましたわ。それでは私が救いの道を示してあげましょう」

 包丁を渡される。動悸が止まらない。
 テーブルの上には魔理沙の綺麗な右手。

「切りなさい。愛しているのなら」

 包丁を一気に振り下ろす。ブチンと骨がちぎれる音
 血が勢いよく噴出し私と魔理沙を濡らす。

「食べなさい――」

 渡される魔理沙の右手。とてもおいしそうだ。
 一気に飲み込めない。
 魔理沙の血が胃に流れ込む。
 意識が段々遠くなる。
 魔理沙愛してる――


    11


 天子は一人夢を見ていた。
 永江衣玖が自らの袖で首を吊っていた。目玉は飛び出て舌はだらしなく垂れ下がり、股間からは汚物
がボタボタと垂れ流されていた。
「え……ちょっと……嘘でしょ……どっ、どういうことよ! 衣玖!返事してよ!」
「それはこういうことです総領娘様」
 無残な姿の衣玖がくるりと天子の方に向き直り、冷静に答えた。
「ギャーーーー!!」
「私は総領娘様をいさめようとして首を吊りました。だから総領娘様も首を吊ってください」
「何を言ってるのかわからないわ……さてはあなた衣玖の偽者でしょう? 正体を暴いてやるわ!」
 そう言って天子が緋想の剣で衣玖の腹を切り裂くと、切り口からイソギンチャクの触手がウネウネと沸いて出てきた。
「何をするんですか総領娘様ー。これはおしおきが必要ですね」
「よっ、寄らないで……誰か助けてー!」
 天子は全速力で走って逃げた。
「待ってください、待ってくださいよー」
 衣玖は体をぐにゃぐにゃさせながらタコのような動きで追ってきた。
「はーっ……はぁはぁ……ここまでくれば……」
「総領娘様ーどうして逃げたんですかー? 早く仲間になりましょうよー」
 衣玖の声が右から左から前から後ろから上から聞こえた。
 衣玖は分裂していた。イカやタコやカニやタイやヒラメや様々な形態の衣玖がそこらじゅうに存在していた。
 天子は要石を乱射して衣玖のようなものをプチプチと潰した。
 しかし衣玖は次々と分裂した。きりが無かった。
 天子はついに追い詰められた。




 霊夢と妖夢は地霊殿の中に侵入していた。
 霊夢は焦っていた。いやな感じの胸騒ぎが起きてしかたなかった。
「れ、霊夢さん待ってくださいよ~」
 後ろから追いかけてくる妖夢の言葉を無視して、霊夢は入ってから五番目の扉を乱暴に開けた。
「こっ、これは……」
 魔理沙とアリスが仲良く抱き合っていた。血まみれで倒れながら。すでに死んでいるのがわかった。そしてそばに立っていた色白の少女が霊夢を見据え、口を開いた。
「……ふむ……そうですか……しかし少し遅かったようですわね……初めまして古明地さとりと申します」
「……あなたが二人を殺したの?」
「そうですが……あらそんなにお怒りになられて……人間とは案外人情深いのですね」
 妖夢が遅れて部屋に入ってきた。
「はぁはぁ……! ああ……お二人まで……」
「妖夢、こいつだけは許せないわ……」
 霊夢は感情を露わにして言った。
「私を殺すつもりなんですか? 地上の人間とはあさはかですね、自身の愚かさに気づかない愚鈍な存在。ここが我々地底妖怪の居城だと言う事を教えて差し上げますわ」
 さとりは人を小馬鹿にしたような笑いをうかべ、すっと手をかざした。
 次の瞬間、地盤が揺るぐような強大な念力が霊夢と妖夢を襲った。
「う、うわー何ですかこれ。全然動けません」
 霊夢は体勢をほとんど崩す事なく仁王立ちしていた。
「……こんなものなの? もっと強くしてもいいわよ?」
「地上の人間にしてはずいぶん丈夫なのですね。でも無駄な強がりはしなくてもいいのですよ。私には全てわかりますから」

 さとりは霊夢の攻撃意思が頂点に達するのを感じた。次の一呼吸後、右手で殴りかかってくるのがわかった。変な小細工してくる様子はなかった。後ろの剣士には攻撃意思がない。霊夢の姿形から踏み込みと拳の速度を即座に計算し、的確な反撃手段を導きだした。ノイズとなる要素は何もなかったはずだった。
「――!?」 
 さとりはバランスを崩してしまった。左足に何か石のような硬いものが当たったのだ。
 そして後ろに引いてかわすはずだった霊夢の拳をまともに喰らってしまった。
 何が起こったのかわからなかった。


 霊夢の鉄拳はさとりの顔面をまともにとらえた。さとりの体は風船玉のように飛び跳ね、そのまま壁に激突した。
 霊夢はさとりの顔面をなぐった。何度も何度も殴った。
 怒りと悲しみが混じって心がおかしくなった。 
「れっ、霊夢さんもう……」
 妖夢がみかねて声をかけた。
 霊夢がはっと気がつくと、さとりの精巧なガラス細工はただのボロ雑巾に成り果てていた。

 
「う~~~助けて~~~仲間になんかなりたくない~~~」
 霊夢は部屋の隅でうめいている天子の尻を足で蹴った。
「や、やめて……そこだけは……あれ?」
「いつまで寝ぼけてんのよ。さっさと行くわよ。この下に全ての元凶があるわ」
 天子はわけがわからず辺りを見回した。
 魔理沙とアリスの死体が目に入った。
 妖夢が首を二回振った。
 涙がこぼれ落ちた。



    12

 
 地獄烏の霊烏路空は地霊殿の焼却炉で毎日同じように仕事をしていた。空は物忘れがひどかった。三歩歩けばほとんどの事は忘れてしまった。主人のさとりにとてもなついていた。空が何か失敗してもいつも笑ってすましてくれた。本当にお空ったらしょうがないわねぇといつも言われていた。
 妖怪猫のお燐は仲のよい友達だ。死体の山をどっさり持ってくるついでに差し入れを持ってきてくれた。空が大事な用事を忘れないように事あるごとに教えてくれた。お空は本当はわざと忘れたふりしてるんですよ、私にはわかります。ええわかりますと主人の口真似をよくしていた。
 さとりの妹こいしには中々会えなかった。いるようでいない不思議な人だと空は思った。



 数日前変な帽子を被った生き物が現れた。その生き物は自分を神様であると言った。神様は尋ねた。お前は神様の力を欲しくないかと。
 神様がよくわからなかった。神様になったらどうなるのと聞いた。世界を支配できるのさと神様は言った。
 よくわからなかったがすごそうだと思った。
 神様は胸に神様を宿してくれた。
 八咫烏と言う神様だった。
 強そうな名前だと思った。

 神様を宿してから力がぐんぐんわいてきた。
 なんでもできる気がした。
 旧都へ言ってみた。
 もうかなうものはいないと天狗になった。
 変な帽子の神様はよくやったとほめてくれた。

 神様が変な細長い筒をくれた。
 右腕につけてみた。
 先っぽから何かが出た。
 それがお前の力さと神様は言った。

 段々物忘れがひどくなった。
 頭がおかしくなった。
 自分の名前を忘れた。 
 

 世界を支配したいと思った。
  


 霊夢、妖夢、天子の三人はさとりのいた隣の部屋から通じる地下への階段を下りて、焼却炉へと向かっていた。地下はとても熱かった。全身から瞬く間に大粒の汗が噴出し、腋からは気持ちの悪い汗が後から後から沸いてきた。ここが地獄の底と言っても過言ではなかった。
「本当に熱いですね。ここは一体なんなんでしょうか? 霊夢さん?」
 妖夢が言った。
「ここが幻想郷の地獄よ。生きてこれる方のね」
 先ほどから押し黙っていた霊夢が口を開いた。

 中心部に近づいていた。
 荒れ狂う炎は轟々と燃え盛り、灼熱の火柱が唸りを上げ、全ての物質を無に変換し得る、まさにこの世の終着点にふさわしかった。

 突然大きな影が霊夢の視界をさえぎった。
 その影は上空を二、三回旋回したと思うと猛スピードで急降下して体当たりして来た。
 妖夢は避けられずに吹っ飛んだ。骨が砕けたような嫌な音が聞こえた。

 大きな影の正体は霊烏路空だった。大柄の体に黒光りする烏の羽を一面に広げ、右手には重そうな制御棒を装着していた。全身の筋肉が異様に発達し、闘気がほとばしっていた。空はすでに正気を失っていた。目に入るものは全て抹殺するだけだった。
 
「……地底の魔物の正体はこいつだったみたいね。天子、あなたは妖夢を連れて逃げなさい」
「そうはいかないわね霊夢」
「いきなり何言ってるのよ?」
「私はお姫様、だから悪い魔王をやっつけるのよ」
「はぁ?」

 天子が緋想の剣を振るうと突風が吹き荒れ、霊夢と妖夢は瞬く間に焼却炉の外へ飛ばされてしまった。

「なっ――」
 
「さぁ烏さん、この比那名居天子が相手をしてあげるわ。最初から全力できなさい」

 天子の緋想の剣が風車のように回転し、周囲の気質が全て天子の前方に集中する。
  
 空の制御棒で原子の核融合が一瞬で起こり、膨大なエネルギーが滅びの笛を鳴らす。


「全人類の――」





 天地を揺るがすような地震が起こり、地霊殿は瓦礫と共に闇に葬られた。
 
 霊夢は妖夢をかかえてフラフラと飛んでいた。
 
 明るい空に白い雲が見えた。

 地上の光が目にしみた。

 霊夢はまぶしくてそっと目を閉じた。







※この作品は偽典地霊殿の11章からの分岐ルートとなります


偽典地霊殿EX


「お姉ちゃんただいまー。いないのー?」

 帽子をかぶった少女は音もなく部屋に入った。

「お姉ちゃん早くおやつおやつー。私お腹ペコペコなの」
 
 少女は軽い足取りで部屋を中を歩き回ると、テーブルの下にめあての物を見つけた。

「わぁさすが私のお姉ちゃん。私のために新鮮で食べごろのおやつを用意してくれたのね」

 少女はゴリゴリムシャムシャとおいしそうにむさぼる。

「まぁおいしい。一体どこの産地から運輸直送便なのかしら? グルメの私としてはとても気になるわね。生でもおいしいけど、油で炒めたらもっとおいしそう。付け合わせにサラダを添えて、特性ソースで味付けして完成ね。今度お姉ちゃんに作ってあげよう! 喜んでくれるかなぁ?」

「ああおいしかった。あれ? 部屋の隅から何か変な声が聞こえるよ。何だろう?」

「わぁ子豚ちゃんを生け捕りにしていたのね。これどうしよう? そうだいい事思いついたわ。私がお姉ちゃんの代わりに子豚ちゃんをさばいてあげよっと。上手にさばけたらお姉ちゃんはきっと私の事褒めてくれるわ」

 少女はテーブルの上に置いてあった包丁を持って部屋の隅へ近づく。

「ねぇ子豚ちゃん、どこからさばいて欲しい? お腹? 手? 足? うふふ私は首からさばくのが一番好きなの。だって綺麗な血がいっぱい噴き出てロマンティックじゃない」




BADEND  妖夢ver


 霊夢と妖夢は地霊殿の一室で館の主人、古明地さとりと対峙していた。
「人間と妖怪の三人組がここに来たでしょう? 隠してないでさっさと吐きなさいよ」
「……そんな事を言われましても……誰もご訪問者はありませんでした。無かった事をあるものと言われましても、道理が通りませんわ」
 霊夢はイライラしていた。さとりは何を聞いてものらりくらりと気持ち悪い笑顔を浮かべて、気のない返事を繰り返すだけだった。霊夢は確信していた。この薄笑いを浮かべている妖怪はきっと魔理沙達に
会っている。知っていてわざとこうしてはぐらかしている。魔理沙達は別の部屋に連れて行かれて今危険な目にあっているかもしれないと考えると、早く居場所を聞き出さなければならなかった。
 さとりの余裕も不気味だった。まるでこちらの考えを見抜いているかのように、横目でチラチラ見ながら反応を楽しみながらほくそ笑んでいる。 
「地上の人間さん、そうカッカなされても話は進みませんわ。あなたのお仲間はまだこの周辺でウロウロしてのかもしれまん。この辺りは迷いやすいのですよ。どうでしょう? 少しお茶でも飲んで気を静めてみてはいかがですか? ちょうどおいしい紅茶が手に入ったとこなのですから……」
 そう言ってさとりがティーポットに手を伸ばそうとしたが、霊夢がさとりの手を払い、その反動で陶器はテーブルから転げ落ちて壊れてしまった。
「ああ……せっかくの……」
 さとりが悲しそうな声で言う。
「地底の妖怪が淹れたお茶なんて飲めるもんですか。早く魔理沙達の場所教えなさいよ!」
 霊夢は頭に血が上ってしまい、ぐっとさとりの胸倉をつかみ、高く持ち上げた。
「……やめてください……ゴホ、ゴホ、苦しいですわ……」
 さとりの体重は驚く程軽かった。


 さとりはわかっていた。霊夢が無抵抗の妖怪に対して危害を加える事ができないと。
 準備はすでに整った。
 後は一言呼びかけるだけでいい。


 妖夢は霊夢とさとりのやり取りを傍観していた。
 霊夢があまりにも気色ばんでさとりに言い放つので、妖夢は何度か割り込もうとしたが、その度にさとりの鋭い視線に貫かれた。まるでギリシャ彫刻のような均整のとれた造形は、妖夢の心を惑わして甘く酔わせた。
 妖夢はさとりに魅入られてしまった。さとりの一挙一動が気になり、少しも目が離せなくなった。
 さとりのしぐさや表情、話し方やトーンも全てが身近に思えた。
 全てが西行寺幽々子の所作に酷似していたからだ。
 今妖夢の目の前には主人の西行寺幽々子が座っていた。
 背格好の違いもまるで意味をなさないくらい幽々子そのものだったのである。
 あの西行妖を見ながらはぁと一つため息をつき、物憂げに視線を送るしぐさは幽々子以外には考えられなかった。気がつけば場所は地霊殿から冥界の風が吹き抜ける白玉楼へと移り変わっていた。
 妖夢の目には、霊夢に胸倉をつかまれている幽々子が写った。
 妖夢は幽々子を助けなければいけないと思った。
「助けて……妖夢」
 一生涯の忠誠を誓った主人からの声が耳に届いた。
 何も迷う事は無かった。


 霊夢は急に胸に痛みを感じた。
「え……? 何よこれ?」
 胸から刀が突き出て血がどくどくと後から後からあふれ出していた。
 背後には妖夢がいたじゃない
 どうして妖夢が――
 薄れゆく意識の中で疑念を感じながら霊夢はその命を閉じた。


「幽々子様大丈夫ですか? お怪我はありませんでしたか? ああ、あのような不埒者がどうして幽々子様を…」
「ええ助かったわ妖夢。さすが私の従者ね」
 さとりはそう言って妖夢を優しく胸に抱き寄せた。
 さとりの顔には見るのもおぞましいような醜悪な悪魔の笑みが浮かんでいた。もし無垢な人間が対面したとしたら一瞬で虜と成り果ててしまうであろう。
「ああ、ああ……幽々子様あったかいです……ああ……なんだか眠くなってきました……」
 妖夢はさとりの胸に涙を流しながら顔をうずめてしまっていた。
「ゆっくり眠るといいわ……。ねぇ妖夢? 私のたのみ聞いてくれるかしら?」
 さとりは妖夢の頭を撫でさすりながら言う。
「は、はい幽々子様なんなりお申し付けください……あぁ……」
「そう……嬉しいわ……」
 妖夢の目には満開の西行妖が目に入った。何千何万という桜の花びらが部屋じゅうに舞い散り、風にごうと吹かれて優雅に舞い上がった。
「……一緒に来てくれるわよね……? 妖夢?」
「ああ……そんな馬鹿な……そんな……」
「……来てくれないの?」
 妖夢は何かがおかしいと思ったが、もう逃げられなかった。
「うふふ……」
 幽々子が妖夢の首筋に妖しく舌を這わせた。
「……あぁ幽々子様……」
「寂しいの……妖夢がそばにいないと……駄目なの……私の悲しみをわかってくれるのは妖夢だけ……」
 妖夢は夢うつつの意識の中でねぶられ、うっとりとしてこの美貌の主人に心を奪われていった。
「一緒に来てくれるんでしょう……? 妖夢?」
「……は……はい……妖夢は幽々子様のお供を一生続けさせていただきます」
 妖夢はもう従うしかなかった。
「うふふ……とても嬉しいわ妖夢。それなら早く逝きましょうか……楽しい楽しい地獄へとね……」
 幽々子の顔面がぐちゃりと崩れた。目玉は蕩けて顔じゅうの肉という肉が崩れ落ち、緑色のじゅくじゅくとした気持ち悪い汁が染みだした。肉の奥にはむき出しの白い骨が見え隠れして、肉を食い破る何千匹もの蛆虫がワラワラと緑色の汁に混ざって蠢いているのであった。
 妖夢は驚愕して声を失った。
「どうしたの……来てくれないの……? さっきみたいに優しく抱きしめて……?」
「……ゆ……ゆっ……」
「嘘をつく悪い子は地獄にしかいけないのよ……?」
 幽々子の崩れた顔面が目の前に迫った。
 無抵抗のまま喉元を食い破られた。
 溢れ出る血をおいしそうに幽々子は飲み干していた。
  
 満開の西行妖はどんな花よりも美しく狂い咲いていた。
 それが妖夢の見た最後の記憶となった。


 古明地さとりは手早く食事を終えて綺麗に口元を拭いた。
 妹のこいしの事がふと頭をよぎった。
 いつも家出してばかりいて落ち着かない。
 今度会ったらきつく言い聞かせておかなければならない。




BADEND  霊夢ver


 霊夢は古明地さとりに圧力をかけていた。こんな力も弱そうな妖怪は少し小突けば何でもホイホイしゃべり出すと思ったからだ。魔理沙達が心配だった。今すぐこのにやついた顔をしている妖怪をおとして居場所を吐かせようと思っていた。
「ちっ……もういいわ」
 さとりを拘束していた胸倉を開放するとドサリとさとりは床に崩れ落ちた。
「何も話す気がないなら勝手に他の部屋を探させてもらうわ。行きましょう――妖夢。……? 妖夢?」
 妖夢の様子は明らかにおかしかった。うつろな目つきをしながらぶつぶつと何やらつぶやいている。
いつもの妖夢ではなかった。
「これは――」
「博麗霊夢さんあなたはここに来る途中で水橋パルスィさんに出会いましたよね」
「……それがどうしたのよ。これはあんたの仕業? 早く妖夢を戻しなさいよ」
 さとりは立ち上がってゆっくりと口を開く。
「まぁ聞いてください……。その人はすでに私の支配下に置かれています。私が少し念じれば喜んで自ら腹を切ります。わかりますか? つまりこの場の行動権は私が握っています。おっと下手な動きはしないでくださいね霊夢さん。あなたは私の話をゆっくり聞いていればいいのです」
 霊夢は何か言おうとしたがさとりの異様な威圧感に気おされてしまった。先ほどの虚弱な少女の外見とは雰囲気が一変し、堕ちた悪魔のような目が爛々として気を抜くと飲み込まれそうになるのであった。
「霊夢さんあなたはパルスィさんを殺しましたね?」
「ええ……殺したわよ……」
「それは何故ですか?」
「何故って……妖怪だもの……私を襲ってきたから……」
 さとりは理解できないという風に首をかしげて続けた。
「ああかわいそうにパルスィさんは元人間なのです。おおかわいそうなパルスィさん。生きていればこれから素敵な人と巡り会えたでしょうに。ああ彼女はいつの日か人間に戻れる日を待ち望んでいたでしょうに」
「何よそれ? 泣き落としのつもり? 私は妖怪なんかに情けをかけるつもりはないわよ。それにあいつが元人間なんて誰も信じないわ。見た目も心も妖怪そのものよ! 馬鹿な事言わないで頂戴」
 霊夢はイラついた調子でそう言った。
「……ふふ……口ではそう言っていても心は正直ですね。人間を殺してしまったと聞いて少し罪悪感を感じてしまったようですね。いくら博麗の巫女と言っても……ふふ……」
「何を言ってるのかわからないわ……」
 さとりが笑うと部屋全体がぐにゃりと歪んだ。
 途端に体の平衡感覚がおかしくなる。まともに立っていられない。
「でも……パルスィさんはかなり執念深い方なのですよ……。それにあの方はちょっとやそっとの事では死にませんもの……。札で清めて燃やした? ……いえいえ一欠けらでも肉片が残っていれば再生してしまうのですよ。ちゃんと確認しましたか……? ふふ……してないでしょう? ああ心配ですねぇ。ああ怖い怖い。心配で心配で夜も眠れませんねぇ。……ほら今あなたの後ろにいるかもしれませんよ?」
 霊夢が後ろを振り向くとあのパルスィが濃い緑色の目でにらみつけて、いきなり首を締めてきた。
「な、なんでこいつが……」
「ほらほら……このままだと息が止まってしまって死んでしまいますよ。頑張ってくださいな」
 霊夢は虚を突かれてあわててパルスィの手を取り払おうとした。思いのほかパルスィの力は強かったが、何とか振り払い逆に首を締め付けた。
「れ……霊夢さんやめてください……」
 緑色の妖怪が苦しそうにうめいて声を上げた。
 何故妖怪が自分の名を呼んで命乞いをするのであろう。
 霊夢は動揺して少し動揺して手を緩めようとした。
「駄目です。妖怪はあなたを惑わそうとしています。耳を貸してはなりません」
 そうだ危ないところだった。こんな緑色の怪物が私を知っているはずがない。
 霊夢は天の声に従ってさらに手に力をこめた。
「そうそう、もっと力を入れなさい。そうしないとまた蘇ってしまいますから。……後もう一息です。もっとそう、ぎゅっと……ふふ……おめでとうございます。これで大丈夫でしょう」


「はぁーーっ、はぁはぁ……」
 霊夢はひどく狼狽していた。急に立っていられなくなり、完全に焼いたはずのパルスィが襲ってきたのだ。
一体全体何が起こったのかわからない。しかし霊夢気持ちを落ち着けようと思った。そうだ妖夢はどうしたのだろう? そういえば自分の後ろにいたのは妖夢だった。パルスィの存在に気づいてもおかしくはない。
 いや後ろから襲ってきたのはパルスィ、それならば妖夢は――
「うくく……っふふっ……ははっ、あっはははっはーっ!……こ、こんなにおかしい事はありませんわ。よく見てみなさいその死体を! あはははっははは! 愚かな人間が私に逆らうからこうなるのです」 
 霊夢が気を落ちつけてパルスィを見るとそれはよく見慣れた妖夢の姿へと変化した。
「え……嘘でしょ? 私は妖怪を殺したはずよ……私は何もしてないわ……」
「嘘じゃありませんわ霊夢さん」
 さとりは霊夢のそばに座り、耳元に口を近づけて言った。
「私がずっと見ていました。あなたは確かに自分のお仲間をこの手で縊り殺したのです。本当におかしいですわね。地底の重圧に負けて血迷い、乱心して、お仲間に手をかけてしまったのです。いいですか? あなたが殺したのです。よく聞いてください。あなたが殺したのです。何度でも言って差し上げますわ。あなたが殺したのです。あなたが殺したのです……あなたが殺したのです……」
 さとりの念仏のような声を聞きながら霊夢の意識は真っ暗闇に染まった。




 霊夢は音一つない暗黒空間の中で目を覚ました。
 遠くから段々と誰かの話声が聞こえる。
「藍様、痛い、痛い、助けて藍様」
「おお橙よこんなに穴だらけになってしまってかわいそうに。一体誰にこんな事されたというのだ?」
「痛い、痛い、あのね博麗の巫女がね、私をいじめたの。痛いって言っても全然やめてくれなかったの」
「そうかそうか。よし私が橙の仇をとってやろう。博麗の巫女は鬼だ。絶対に生かしてはおけぬ」
「藍様、体中が痛くてたまらないの。えーんえーん」
「おおよしよし橙よ。どうか泣き止んでおくれ。おお橙よかわいそうに」
 釘で全身を貫かれた橙と老婆のような姿の藍がいた。
「違うわ、私のせいじゃないわ……」
「藍様、鬼巫女がそこにいるわ。怖い、怖い、助けて」
「おお橙よ。あれがそうなのだな私の命を捧げてでも縊り殺してくれよう」
 霊夢は怖くなって背を向けて逃げた。


 闇の中をひた走るとまた誰かの声が聞こえた。
「おっと霊夢、探したぜ。今日はお別れを言いにきたんだ」
「魔理沙なの? ああ助けてよここは真っ暗闇でわけがわからないの」
「まぁ聞けよ。私は博麗の巫女であるお前の友達っておかげでずいぶん優遇されてきた。私はみなが知ってる通り魔法も使えないし勤勉にそれを勉強する気もない。才能の無い者が無駄な努力をしても意味ない事はわかってるんだ。やることと言えば森でキノコを探したり、空き巣に入ったりするだけなのさ。お前の名前を出しさえすればどこでも顔パス、万が一捕まっても本当に緩い処罰で済ましてくれたんだぜ。お前は私の事を親友の事だと思っているようだが、私は打算的な目的で近づいただけだ。数年間お前のひどい性格によく我慢したもんだぜ。しかしそれももう終わりだ――じゃあな、博麗の巫女さんよ」
 右手の無い魔理沙が立ちすくみ、すっと煙のように消えた。 
「まっ魔理沙、待ってよ、待って、お願いよ」


 霊夢は魔理沙を必死に追ったが足を引っ掛けて転んだ。
 再び誰かの声が闇に響く。
「霊夢。あなたと知り合ったせいで魔理沙はおかしくなってしまったわ。全てあなたが悪いのよ。あなたが
異変解決なんてするから、人のいい魔理沙はあなたの手伝いに無理やり付き合わされて、あなたさえいなければ魔理沙は死なずに済んだのよ。魔理沙を返してよ……早く魔理沙を元に戻してよ……魔理沙を生きかえして見せてよーー!! 博麗の巫女なんでしょ早くしなさいよおおおお!!!」
 両目から血の涙を流したアリスが泣き叫んでいた。
「霊夢さんどうして私を殺したんですか? ずっと信頼していたのに裏切られました。見てくださいこの首の痕。霊夢さんの手形がはっきりとついています。よく見てください。どうしてなんですか?どうして……グボッ、グッグゥ!! 妬ましいです霊夢さん。妬ましい、妬ましい、妬ましい、霊夢さんも死んでください。お願いします」
 妖夢の口から鼻から目から緑の液体が流れたした。
「ねぇ何で私の事もっとかまってくれないの? 神社を壊すだけじゃ足りないの? どうしたらもっとかまってくれるの? そうだわ、あなたを殺そうとすれば必死で抵抗してくれるはずね。何だとても簡単な事じゃない。死ね、死んでしまえ――」
 青白い顔の天子が緋想の剣を打ち下ろす。
「あああーーーっ!! アリス、妖夢、許して、許して……」
 霊夢は泣き叫びながら必死に遠くへ遠くへ逃げ出した。




「はぁ……はぁ……ここまで来れば……」
「霊夢……霊夢……」
「そっその声は紫ね、助かったわ。早く早く私を助けてよ。おかしいのよおかしいのよ……」
 八雲紫が空間に浮遊したまま、冷徹な視線で霊夢を見下ろし、やがて重々しく口を開いた。
「全く五十年は持つと思っていたのにとんだ見込み違いね。霊夢――いや、博麗の巫女である者――」
「あ、あなたも怖い顔をして何を言ってるの? あなただけは私の味方よね? ね? ねぇ??」
「あなたはまんまと私の期待を裏切ってくれたわね。簡単に妖怪に殺されるだなんて、博麗の巫女の恥晒しだわ」
「私は一生懸命やったのよ! ……信じてよ……紫、紫!!」
「やめなさい言い訳は聞きたくないわ。結果だけが大事よ。そうそう最後にいい事教えてあげるわ。あなたは
この世界の住民ではないのよ」
「……? 何を言ってるの? 嘘でしょう? だって……」
「この私に感謝しなさいよね。外の世界ではその忌み嫌われた能力のせいで、つまはじき者だったあなたを幻想郷に呼び込んだんですから」
「で、でも私はここで生まれ育った記憶が……」
「記憶の改竄なんてどうにでもなるのよ……霊夢」
「……嘘よ……嘘……私は……」
「まぁすぐに信じられないのも無理は無いわね。信じなくてもいいわ、ただし博麗の証だけは返してもらうわ」
 紫の手が伸び、霊夢の顔の脇に手をかけた。
「い、痛い! 痛い!」
 霊夢の顔面から何かが剥がれ落ちた。
「これがあなたが被っていた偽りの仮面よ。周りから見えていたのはこの博麗の巫女の虚像だったのよ。まぁ短い間だったけどお疲れ様だったわね。ああそうそう、霊夢って名前は私が名づけたからあなたの名前は本当は違うのよ。本当の名前は……ええと忘れてしまったわ。でも私にはもう関係ないわね。永遠にさようなら、名無しの権兵衛さん」




 顔を奪われた私はただ元来た道を歩いていた。
 自らを守る術は何もなかった。
 私に呼びかける声が何処からとも無く聞こえてくる。
「あなたは食べてもいい人間だね。いただきまぁ~す」

「すいませんがアポなしではちょっと……」

「………………………………………………」

「人間の命は短く、儚い、それ故に私はお嬢様にそれを捧げるのです」

「人間? ああ血袋の事ね」

「人間なんてつまらないわ。だってコンテニューできないんだもの。きゃはは」


「人間よ冬を忘れるな。極寒の恐怖はいつでもすぐそばにいる」

「ガタガタガタガタガタガタガタガガタガタガタ……」

「早くおひきかえしなさい人間さん。ここは生ある者が来てはいけない場所――」


「私は単純形態の虫こそが至高の生命体だと思っています。だってあんなに脳が重かったら動けないでしょう」

「お~~び~~え~~~~なさい♪ わた~~しは~~~にんげんが~~~すきよ~~~~♪」

「どうした事だ? 君は歴史が欠けてるじゃあないか。待て、待つんだ!」

「あなたは誰? そう偽者ね。早く消えなさい」

「ただより高い物は無い。人間はすぐに勘違いするから金儲けに困らないのさ」

「私が見なくてもフラフラじゃない。一体何処を見ているのかしら?」

「永琳、私達ずっと一緒よね? ね?」
「もちろんですお姫様」

「………………………………ふん」


「ヒューーーガサガサガサガサ……」
「ああ……姉さん人間は行ってしまったわ……せっかくの人手が……」

「そこのあなた、厄いですわ。私が吸ってしんぜよ……あれ? ちょっと待ってくださいよ……」

「おっと盟友よ。よろしければ尻子玉をくれたまえ。薬、食料、燃料、使い道は無限大なのさ」

「ネタはどこですかーネタはどこですかー絶賛無料買取中ですよー」

「神様を信仰する事、それがすなわち生きる事だと私は思います」

「信仰せよ。迷い人よ。信仰せよ」




 私はもう歩き疲れてしまった。
 何から逃げてどこへ向かっているのだろう。
 瞼が重くなりひどい眠気が襲う――

「おい人間が倒れてるぞ」
「ほっとけよ痩せこけてまずそうだ」
「しかし……お、こいつは……俺の家族を殺した人間に似てやがる!ああ胸糞悪くなってきたぜ!」
「おいおいお前のゲテ物好きも困ったもんだな」
「何とでもいいやがれ! こいつは犯して手足ちぎって嬲り殺しにしねぇと気がすまねぇや!」




「おやおや……ひどい身なりだねぇ。この舟には色んな亡者が乗るんだけどあんた程ひどいのは珍しいねぇ。ああこの世も地獄も白状者だらけってことかい、笑えない。この川を渡れば閻魔様の裁きをあんたは受けるのさ。なぁに閻魔様は寛大なお方。きっとよしなに取り計らってくれよう。大舟に乗った気持ちでいてくれればいいさ。ははは」


 
 
「あーあーえーそれではこれよりこの者の裁きを申し渡す。汝は現世より幻想郷への違法入郷の罪。これが一つにあり。現世のしがらみに嘆き、喘いだあげく、邪なる妖怪の詭弁に惑わされ、幻想入りする事、これは弁解すべき余地無き過大なる罪。二つに人々を妄りに奇術で惑わし、純粋たる妖の者に加虐し、殺める事、無知蒙昧にして甚だ呆れ、情状酌量の余地無きと見なす。三つに、博麗の巫女と偽り、政、宴、を取り仕切り、至福を肥やし、酒池肉林の限りを尽くし候。如何にも許されざる罪事、数多において数えるに無常処置の理なり。よって総括し、その者にふさわしき道標は地獄道となる。よろしいか?その者よ。何か腑に落ちぬ事があれば何なりと申せ」

「沈黙は承諾とみなす。連れていけい!」





「くっ、くっ、ひひいひっっ、お姉さん、待ってたよ、首をながぁくして待ってたよ。ひひひっ、お姉さんも地獄なんだねよかったよかったねぇ。二人は運命の赤い糸で結ばれていたのさ。ここは苦しくて痛い事だらけ一人じゃ気が狂ってしまうけど、みんなで耐えればきっと大丈夫だよ。ほらあそこで針山ざくざく登ってるのは妬み妖怪じゃないかね。痛そうだねぇ、ひひひ、あんだけ刺してりゃ閻魔様も癇癪起こしますってば。ああそういえばお姉さんも私の頭吹き飛ばしてくれたねぇ、私はお姉さんにお礼がしたくしたくてずっと待っていたんだよ。はぁ人違い? この後におよんで白を切るなんてお姉さんは心が汚いねぇ。ひっ、くっくっ、私は魂がわかるんだよ、自分を殺した者を間違えるもんですか。ひっひっ、ほらほら地獄の鬼さん寄っといでよーこいつは新参者だからたっぷり痛めつけといておくれよー。できればその頭をのごきりでちょん切って、金棒で叩き潰して、舌に千本の釘を刺して、二度と見られないようにしてくれたらうれしいねぇ。ひっ、ひいっ、くっ、くっ、ひひひっ! っひひいいいいい! え? 私? 私はもう十分さ。さっき打ちのめされて可愛くてキュートな顔が台無しになってしまったからね。ひひっ、もう少しでお姉さんは私とおそろいになるんだよ。嬉しいねぇ、嬉しいねぇ、っくくくっ、ひひひっひひひひひいひいひひひひ――」






「あ……ぁ……ゆ……る……し……」
 古明地さとりは愉悦の時を存分に楽しみつつ、霊夢の心がくたくたに壊れてしまったので満足した。この地霊殿に土足でのし上り、お燐を殺した侵入者をさとりは許さなかった。この人間の最も拠りどころである部分を徹底的に破壊し制裁を加えて一応の区切りはついた。後は適当に生かして死ぬまで弄び続けるだけである。
 地底の住民の恨み憎しみにかける力は地上のそれとは一線を凌駕している。軽はずみな事では決して突いてはならない禁忌の地だった。霊夢達はそれに触れてしまった。故に反動は非常に甚大だったのである。
 さとりが愉悦に浸りきっているとパチパチと拍手する音が聞こえた。
「よくやってくれた地霊殿の主よ! ははは!まさか博麗の巫女まで手玉にとろうとはな」
 さとりは後ろ振り向いて確認した。
 三人――ペットのお空と妹のこいしと――。
「やぁーんお姉ちゃんごめんなさぁい」
 妹のこいしは強固そうな鉄の輪で首と腕を拘束されていた。華奢な妹の体のきしむ音が間近に聞こえてきそうだった。
 お空の心を読んでみたが何もなかった。代わりに別の心があった、しかし読めない。お空はそれにただ突き動かされている。そういえば最近お空を気にかけてなかったわと今更になって後悔した。
「どうやらさすがの覚妖怪も神の深い思慮までは読めないようだな。我の名は洩矢諏訪子。よく覚えておくがよい、後に地上を支配する者の名だからな」
「まぁ神様でしたの……道理で……それで神様がこんな辺鄙な所へ何の御用でしたの?」
 さとりは涙目になっているこいしを見て、下手な事は言わない方がいいと思った。それにお空の事も心配だった。今のお空は完全にさとりの指揮外になっていたからである。
「簡潔に言おう。我は地上を支配したかった。そして地底の禁忌の地に眠る強大な力。我はきっかけ作るだけでいい、我が凶兆を招き入れた、それがこの結果だ」
「……よくわかりませんわね」
「まだ全てではない。 八咫烏は神の火の力を灯している。しかしそれを地上で最大限に使うには宿主が必要なのだ。見ろ! この地獄烏は勇敢にも八咫烏を一飲みしたのだ。これほどの器は他にはいないぞ! こいつは力試しに旧都の鬼もひねりつぶしたのだ。どうだ我と共に地上を支配する気はないか? 何簡単な事、博麗の巫女がいない今、地上の統制は無いも同然、地上と地底から同時に攻撃すれば、瞬く間の内に制圧できる。
どうだ? 地霊殿の主よ、これを受け入れるか? さもなくば――」
 諏訪子の鉄の輪を持つ手にぐっと力が入った。
 なんてちっぽけな――。
 さとりはそう言いかけてやめた。
「洩矢の神、諏訪子様、この古明地さとり慎んでその旨お受けしたいと思います。すぐさま全勢力を集結させ、地上に侵攻せんと……」
「ははは! 地霊殿の主もやはり人の子であったか。それでよいそれでよい。行くぞ空! 地上に災禍の狼煙をあげるのだ!」
 諏訪子はそういってこいしを捕らえたまま消えてしまった。
 さとりは本当は地底で気ままに暮らしたかったがしかたないと思った。
 依然としてうわ言のように何かをつぶやいている霊夢を見て、はぁと大きくため息をついた。
 
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