
魔理沙は目を覚ました。起き上がり、眠たい目をこすりながら時計を見る。既に昼過ぎであった。
「あーあ。今日もこんなに寝ちまったぜ」
昨日は難しい魔法の本を、熟読しようとして、根を詰めて遅くまで頑張ってしまった。その内容、さてどんなことが書いてあったのだろう。魔理沙は思い出そうとしたが出来なかった。
「まぁいいか。適当に飯でも食うか」
気だるく緩慢な動作で、ぬるりと立ち上がる。
顔を洗う、服を着替える、歯を磨く。そして唐突に窓が割れた。
「こんにちは魔理沙さん」
「私よ魔理沙」
「眠いわね魔理沙」
侵入者は三人であった。
「なな何だぜお前らいきなり」
魔理沙は激しく混乱してしまった。急に窓を割られたこと、それ以上の恐怖と驚きが目の前に存在していたからだ。
「魔理沙よ」
「私も魔理沙」
「どっちかっていうと魔理沙ね」
三人の姿は、いつも自分が見慣れている、霧雨魔理沙そのものであった。服も容姿も寸分違わぬ魔理沙。決して、安っぽい化粧仮装で塗り固めた紛い物ではなかった。
「おい……何だそりゃ! おい、おい!」
舌と思考が回らず、おいおいとだけ言った。落ち着け何だこれは。何だこの状況は。侵入者だ、魔理沙だ。自分がいる、それも三人もいる。こいつらは一体何の目的で、いやまず根本的にまずいのは相手が魔理沙だということだ。
自分と全く同じ顔をした人物が三人もいる。その事実が魔理沙をいたく打ちのめした。
「あーよっこらせっと。腰が痛いわ」
「お茶出して。魔理沙」
「あー私は紅茶がいいな。できれば甘いケーキでもつけてね」
なんということだ。三人はここが我が家のようにくつろぎ始めではないか。この由々しき事態に、魔理沙は色を失って声を荒げた。
「あー待てよ待てったら! 何で人の家に勝手にずかずか入るんだよ。私はこの家の主人、霧雨魔理沙だぜ」
息を切らせて肩をいからせる。魔理沙が期待したような反応――まるで三人は返さなかった。ガラス玉のような目が魔理沙を注視する。理解できない、異常者、一人だけ別の世界にいるかのような、奇異と蔑視に満ち溢れた視線が肌に刺さる。
「ていうか私も魔理沙だしね」
「そうよね魔理沙さん」
「そうそう。常識よね」
言われてみればその通りであった。自分が魔理沙であるという印籠は、今この状況では無意味だ。なぜ? ありえない。しかし現実には、全く同じ顔の自分が三人も存在しているのだ。
「いやいやいや。おかしいってこれ。どうして私の他に霧雨魔理沙がいるんだよ?」
「そんなの私に聞かれてもねぇ?」
「ねぇ」
「うーうー。そんなのどうでもいいから早くお茶お茶ー」
一人、どことなく子供っぽい魔理沙が手をばたばたさせた。
「あーもううるさい。おお前ら認めないからな。魔理沙は私だけなんだからな? 私は私は……」
理解が許容範囲を超えて、魔理沙は慌てふためいた。魔理沙、魔理沙、魔理沙。四人の魔理沙。
「うるさいのはあんたよ魔理沙。こいつどうにかしてよ魔理沙」
「面倒だわ魔理沙」
「ふあー眠い」
魔理沙が一度に喋る。同じ声質の波長が部屋の中を反響する。見た目魔理沙。声魔理沙。徹底的な魔理沙ゾーンが、魔理沙を通じて張り巡らされていた。
「待て待て。みんな魔理沙ばっかりなんだからそんな呼び方じゃしょうがないぜ。落ち着け……私。そうだ、お前ら何か他の呼び方はないのかよ? 魔理沙ばっかじゃ不便だからさ」
魔理沙は少し落ち着きを取り戻した。この方法なら自分を魔理沙だと確定できる。アイデンティティの確保、何よりそれが最優先の事項だ。そうだこいつら魔理沙とかいっても見た目と声だけだ。自分が魔理沙だから魔理沙じゃない。自分の皮をかぶった別の何か――妖怪。偽物だ、そうだどうして今まで思いつかなかったのだろう。似非、ペテン、詐欺。簡単だ。誰かが自分を貶めようとしてこんな手のこんだことを――。
――騙されるかっ。
急に元気になって、魔理沙は他の魔理沙達をきつく睨んだ。
「えーそんなの面倒くさいわよ。ねぇ隣の魔理沙」
「私もよ。みんな魔理沙でいいわよ」
「私も賛成ー」
ここではいそうですかと引いてはいけない。一息ついて、魔理沙は次のように提案した。
「いいかお前ら。いくら魔理沙同士だからって少しは違いがあるはずなんだぜ? この際だから決めとこう。なっそこの今腰叩いてるお前……お前だお前!」
「えっ何私ちょっと耳遠いから」
「絶対聞いてなかっただろお前。いいかよく聞け。お前何か特技を持ってないか? 何でもいい。他のやつらと違っているところとか」
「んー」
そう言われた魔理沙とおぼしき存在は、少女のように顎に人差し指を当てて、しばらく考えてから口を開いた。
「そういえば私異次元ができるわ」
「すごいわね。さすが魔理沙」
「ええー。さっすがー」
異次元とは。それを問い詰める前に周りがうるさくなる。
「あー黙れ黙れ。何だよ異次元ができるって。意味がわからないぜ」
「あっそれはねこういうこと。はい!」
と言って、彼女は空中で指をくるりとニ、三度翻した。
「……何も起きてないぜ?」
「起きてるわよ。ほらここ」
指差した先、その先端には何と形容したものやら――空間の裂け目とでもいうのだろうか、漆黒の落とし穴が宙にぽっかりと風穴を開けていた。
魔理沙はこの現象を理解できなかった。いや前向きに考えると、理解できないということは差別化をはかれるということだ。これはかなりの前進である。
「これが異次元。どう? すごいでしょ?」
「よしわかった。これからお前は異次元の魔理沙な。一人決定だな」
したり顔する異次元の魔理沙を放って、魔理沙は次なる行動を開始した。
「次は……お前だ。ん、お前だよお前。ちょっと性格きつそうなお前だ」
「え? 私? お前じゃわからないわよ」
「いーからお前は何か特技ないのかよ」
「うーん」
そう言って腕を組み考える彼女。もちろん容姿は魔理沙だ。
「特にないわね。私は普通の魔理沙」
「そんなことはないだろ? 何でもいいんだぜ?」
「いや、ないよの。ほんとに全然」
きょとんとした真正直な顔でそう言われたからたまらない。まぁいい。こいつは後回しにしよう。
「おいそこのちっこいの。……いや違うか。お前!」
「何よ」
自然に小さいという言葉がついで出たが、彼女も魔理沙であるのでそれは間違いであった。ただなんとなくイメージが小柄で可愛らしい姿というだけだった。自分と同じ魔理沙であるのに、これはこれでとてつもなく滑稽なことである。
彼女は両手を胸の前で、意味ありげに広げてゆらゆらとしていた。どことなく高貴そうな演出であるが見た目は魔理沙だ。誇らしげな少女の口元が、やけにアンバランスではあった。
「お前の特技は?」
「うー。何と言ったらいいのかしらね。私、運命が見えるのよね。未来予知? 今は私が魔理沙になる未来が見えるわ」
「ほーそうか。それならお前は未来の魔理沙だ。これで二人目も決定だ」
「ふふ。何だか格好よさそうね。ありがたく頂くわその名前。ありがとう名無しの魔理沙さん」
「何だよそれは。私はオリジナルだってのに……くそっ」
見下したような、未来の魔理沙の態度がやけに鼻についた。しかしこんなことに腹を立ててはいられない。さっさと確固たる魔理沙像を確立しなければならない。
「よしこれで異次元の魔理沙と未来の魔理沙が決まったな。後は一人だけだ。……おいそこのお前だ。何髪いじくってるんだよ!」
どなられた彼女は、長い髪の毛をさも邪魔そうにいじっていた。
「いやこの髪なんかしっくりこないのよね。髪留めか何かない? ここ……ちょっとこの辺にさぁ」
「そんなのないよ。それより早くお前が何の魔理沙か決めようぜ」
魔理沙は率直に言った。
「んー私そんなの気にしないわ。あ、強いて言うなら主人公魔理沙ね。主人公って私に似合う気がするのよ」
「何でだよ」
「あーそうね。魔理沙は主人公って感じがするわ」
未来の魔理沙が同調する。
「待て待てどこから主人公が来るのかわからん。駄目だ駄目だ。主人公は却下」
「えー何それつまんない」
そう言って彼女は口を尖らせてへそを曲げた。その様子も妙にいじらしいが所詮は魔理沙だ。魔理沙は主人公ではないという思いが魔理沙にはある。魔理沙は普通の魔法使い。魔理沙は思い出した。そうだ、自分は魔法使いの霧雨魔理沙だそれだけはわかる。こいつらが何であろうと関係ない。そうなればこんな偽の魔理沙達にかまっている暇なんてない――。
「あーいいこと思いついたわ。名案。私ってばさえてるぅ」
そんな魔理沙の思案に、異次元の魔理沙が水をさした。
「何だよ異次元の魔理沙」
「異次元、未来ときたらやっぱ過去よね。提案するわ。彼女は過去の魔理沙。うん、これがかっこいいわ。時空を超えて旅する三人娘。ユニット組んだらきっと売れるわよ。一番人気はもちろん私ね。えへっ」
異次元の魔理沙がにぱっと笑ってポーズをとる。それは無視した。
「同じ背格好で同じ声なのにどうやって組むんだよ。もー真面目に考えろよ」
「いやそれは同じ魔理沙なんだけど、そこは私の魅力と美貌でさぁ……」
妙な色目を使って異次元がにじり寄ってきた。一体、こいつは何を考ているかわからん。
「あーいいわね過去の魔理沙。古きよき時代を象徴するなんちゃらってやつ。権威があるわね、過去には」
過去らしき魔理沙が言った。
「そうね。あなたは過去の魔理沙。そっちのお嬢さんは未来の魔理沙。そして私は異次元の魔理沙。三人合わせて文殊の知恵。決定ねこれで」
異次元の魔理沙が妙に大人びた態度で言った。何だこいつは。自分が本物の魔理沙であるのに。今にもこの場を仕切ろうとしているではないか。それだけは断じていけない。あくまで魔理沙の根幹は自分なのであるから。
「待てよ待て。やっと名前が決まったから言っておく。いいか? 魔理沙の意思は私が決める。だって私が霧雨魔理沙だからだ。いいな?」
自然にそう言葉が流れた。皆もそれに必ず追随してくれると思った。しかし突きつけられた現実は違った。
「ねーねーねー。過去でなんかしてーそれが未来に及ぼすって格好よくない? 未来の人がさー過去に誰かさんを送ってーそういうの。こうそこはかとないロマンがあると思わない?」
「そうね未来の魔理沙。全面的に賛成」
「ありがとう過去の魔理沙。あなたって何だか綺麗だし強そうだしドキドキしちゃうわ……」
未来の魔理沙が無駄にはしゃいでいた。おまけに、隣の過去の魔理沙といい雰囲気になりそうである。何だこの展開は。一体全体魔理沙がきてからこの世界はおかしい。絶対に、真実を暴いてやる。魔理沙は唇を噛んでそう心に誓った。
「聞けよお前ら!」
「はーいただの魔理沙」
「お前なぁ! 何だその言い方は?」
「うわ、助けて過去の魔理沙。魔理沙が私を襲うの」
「ちょっとやめなさいよ。魔理沙でしょ」
「そうそう。私の未来の魔理沙に手を出さないでよね」
異次元と過去が即座に止めに入った。見た目は魔理沙なのに、妙に孤独感を感じる。やはり魔理沙であって魔理沙ではないのだ。
「つーかさ……もうそこの魔理沙はいらなくない?」
「そうそう! さーんせい。私達三人だけで魔理沙を作りましょ」
「あはは、じゃあ魔理沙の私がリーダーするわね」
誰が誰だがわからないような状況が続く。そして趨勢は自分を排除する方向に動いている。この流れは、きっとまずい。でも止められない。なぜならあいつらは、過去未来異次元三種の神器を持つ魔理沙だからだ。どうにも分が悪い気がする。
「あーよっこいしょっと……」
誰かが窓から入ってきた。誰だろうと期待はしてみたものの、やはり魔理沙であった。魔理沙の心を黒い絶望感が覆う。何と、新手の魔理沙が――この後に及んで。チッ、何てこった。
「あーみなさんおかまいなく。私は本を読む魔理沙。続けて続けて」
その魔理沙はそれだけ言って、床にぺたんと横座りして、小首をかしげながら手に持っていた本を読みふけった。
「な、何しにきたんだよお前は」
魔理沙は聞いた。
「何って言われても。私は魔理沙。ここに来て本を読む。それだけの存在。いつだって消極的に本を読むわ」
「何だよそれ……」
もしかしたら、助けがきたのではと思ったが当てがはずれた。他の奴ら全員魔理沙だ。それもオリジナルの座を虎視眈々と狙っているんだ。本を読む魔理沙も、きっと自分を倒す算段を試行錯誤しているに違いない。こいつの狙い、共倒れ――。くそっ、舐めやがって。
「新しい魔理沙も到着したようね。まーそれはそれとして聞いてよみんな」
異次元の魔理沙が声高に言った。
「なになに?」
未来の魔理沙が興味を示す。
「私がこの幻想郷の魔理沙でありたいと思うわ。言うならば母ね。母魔理沙」
「何言ってるんだぜ? お前が魔理沙だなんて……」
反論しようとしたが、過去の魔理沙が袖を引っ張った。鋭い目つきでこちらをギロリと睨んでいた。
「黙って聞きなさいよボンクラ」
「な――」
「そうよ。異次元が言っているんだから」
こいつらこいつらっ。何様だ上から目線で見下しやがって。魔理沙はくやしくて仕方がなかった。唇を噛んで、必死に湧き上がる鬱屈した怒りに耐える。今ここで、全員吹き飛ばしてしまっても。いやまだだ。思い知らせてやるんだ。きっときっと。
「いーいみなさん? この世は幻想郷っていう巨大なユートピアですね。それは皆さんご周知の事実でございます。私はここに秩序を作ろうと思います。魔理沙を代表してこの異次元の魔理沙が一番に指揮をとろうと思うの。境界を操る私。実に適役だと思わない? 決め事、秩序っていうのは絶対不可欠なもの。始めよければ終わりよしって言うわね。幻想郷は魔理沙が作る。ただし異次元の魔理沙っていうのは、残念ながら等身大の人間からはちょっと逸脱しているのよのねぇ。それで私は一人魔理沙を選ぼうと思う。人間の、一人、魔理沙よ。秩序の大部分は彼女に任せようと思うの。ううん、大丈夫。彼女は紛れもなく最強よ。最強の、霧雨魔理沙。私は後見人みたいな立場で彼女を後ろから支えるの。そういうのって素敵だと思わない? ねっきっとうまくいくわこの体制。異変は霧雨魔理沙が解決するのよ。何が起きても幻想郷の平和と秩序は保たれる。均衡ってのはそういうこと。それが魔理沙。魔理沙……魔理沙……。うん、今ここに過去の魔理沙がいるわね。適役よ、絶対そんな感じがするわ。雰囲気が違う。そうね……何か一つ能力授けるとするならば……」
異次元の魔理沙はぺらぺらと流暢に話した。
「賛成! 絶対に過去の魔理沙ならやってくれるわ。幻想郷で最初の魔理沙。万歳!」
未来の魔理沙が大げさに手を叩く。
「なっ何よそんなこと言われても私はしがない過去の魔理沙よ。重荷だわ、そんなこと」
まんざらでもないように、過去の魔理沙は顔を赤くして照れた。
「じゃ、決まりね。過去の魔理沙を――」
「待てよ」
本当の魔理沙が遮った。何だこの馬鹿げた茶番は。自分を差し置いて秩序なんて本当に馬鹿げている――。魔理沙の心に闘志が宿った。それはたった一つの、絶対的な、かけがえのない燃え上がる一筋の炎。
「何ですか魔理沙さん。聞いたでしょう今の話」
「納得できない」
「は?」
「納得できないって言ってるんだよ! いいかよく聞け私は霧雨魔理沙だ。お前ら不純物だらけのクローンじゃない……。私だけが混じりっ気のない本物なんだよっ! お前らが勝手に決めたことが通ると思ったら大間違いだっ! はぁはぁ……」
半ば激昂して解き放った。最後の境界線、魔理沙であることは譲れなかったのだ。
「私の言うこと聞いてなかったんですね。残念ね魔理沙さん」
「はは。何こいつ。異次元の言うことに歯向かうの?」
「もうやっちゃおーよこいつ。何言ってんのかわかんない。けけ! ただの魔理沙のくせに!」
容赦のない罵倒の言葉が、次々と魔理沙に浴びせられる。悪意のある鈍重な波動が、鞭のようにしなり柔肌に傷をつける。それでも魔理沙は負けなかった。まだ最後の希望が残っていたから。どんなに大見得を切っていても、所詮こいつらは――魔理沙だ。
「やっ、やるのかお前ら? このぉ!」
「あら交渉決裂かしら? 残念」
「話し合いで解決できないなんて……さすが劣等人種ね。いいわよ魔理沙。今すぐ引導を渡してあげるわ」
異次元と未来が蔑み憐れむような目で見てくる。くそっ、絶対に見返してやる。気づかれないように、服のポケットに手を入れる。あった。やっぱり自分は魔理沙の加護を受けているんだ。これなら負けるはずもない。
魔理沙は八卦炉を手に取った。ありったけの魔力をその右手に充填する。
先手必勝だ。くらえ――。
「マスタースパーク!」
「え――」
極太の閃光が、異次元と未来に向かってぶわりと直進照射した。何かをつぶやいていた二人は、そのエネルギーの直撃を受けてもんどりうって倒れこんだ。
「えっ、ちょ、ちょっと? え、ええ? えええっ?」
過去が舞踏のように手足をばたばたさせて混乱している。こいつはおそらく問題ない。
異次元と未来の魔理沙の惨状を確認した。体を半分ほど失って倒れているのは異次元。未来も肩越しからぽっかりと穴が開いて、腕が一つちぎれていた。やった。これで終わりだ。勝ったんだ自分は。この魔理沙決定戦に。
だがひと時の安堵の空間も長くは続かなかった。
「あーあー何してくれてんのよ全く」
異次元の体がぐらりと持ち上がった。体の大部分を失ったことは、全く意に介していない様子だった。
「いてて……。全くだわ。魔理沙のくせに」
未来も立ち上がる。こちらも同様にぴんぴんとしている。
「やっ、やっ、やった助かった! ひっひっひっ」
過去の魔理沙がかなり錯乱していた。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしていて見てられなかった。
一つわかったことがある。魔理沙は結論を下そうとした。
「へへへ、お前たちこれでわかっただろう? そんな怪我して生きているなんて人間じゃない。魔理沙は正真正銘の人間だ。偽物だ、詐欺師め! わかったんならさっさと私の前から消え去るんだよ。今すぐ、今すぐだ――」
「いやいや。これぐらいセーフセーフ。起り得る想定の範囲内よ。異次元だからこのぐらい朝飯前よ。ねぇ未来の魔理沙さん」
「そうそう! こんなかすり傷ぐらい、たぶん血をたらふく飲めば一日で全快するわ」
異次元と未来が、不気味な笑みを浮かべて迫ってきていた。そうか、こいつらはあれだ。最初から常識の通じる相手ではなかったんだ。どうする? さっきのマスタースパークで魔力の大部分を使ってしまった。もう一度打っても威力は半分以下だ。
「あーいいこと決めたわ。人間ももっと強くしちゃおうかしら? こんな怪我でひいひい言うくらい脆弱じゃ使えないものねー。そうしましょそうましょっ。おっほほほほほ。私が魔理沙。そして魔理沙を作るのが私。創造紳、それが――」
「うるさいんだぜっ! 私が霧雨魔理沙なんだぜ! 魔理沙を名乗れるのは私だけ……私だけなんだぜっ!」
ふいに得体の知れない力がみなぎってきた。これは? しかしそれを理解する暇は少しもなかった。
「ピーピーやかましいわよこの寝小便たれのクソガキ。もう面倒だからスキマシュートしちゃうわね。処置は後から考えればいいわ」
異次元の像がざっと歪んだ。
来る――。勝負は一瞬で決める。
背後に黒い裂け目が開いている。
そんなの気づいているぜ!
正面の異次元魔理沙。その現在に知るところ幻影。魔理沙は背後の通用口に向かって、ありったけの魔力を放出した。
「はーいスキマに一名様ごあんな」
「消し飛べ!」
轟音。怪音。肉片が、飛び散った。
異次元の魔理沙は完膚なきまでに破壊されていた。もしまだ生きていたとしても、再生までにかかる時間は相当なものだろう。異次元の脅威は今ここに立ち消えた。残るは――。
魔理沙は、じろりと未来と過去の魔理沙に目を向けた。
「ええっ? うっそー? 信じられない。なんでぇー?」
未来だけが大げさに喚いていた。呆然と立ち尽くしているのは過去。目が、かっと見開かれていた。
「お前もだ」
魔理沙は間髪いれずに攻撃を開始した。未来の頭部めがけて、八卦炉の照準をぎりりと合わせる。
「あっ――」
回避する暇もなかった。レーザーのような光線が、一瞬で未来の脳細胞を破壊しつくしめた。ぐらりと体が揺らめき、音もなく空気のようにそっと床に倒れこんだ。
これで二人の魔理沙はやっつけた。身近にある脅威はひとまず去ったと言っていい。部屋の隅に目を向ける。過去の魔理沙がぶるぶるとして体育座りをしていた。
「おい」
魔理沙は過去の魔理沙に声をかけた。いや、過去とは仮の名前であった。単なる連想であったから根本的には過去ではない。まぁ自分と区別できるのなら何でもいいのだが。
「ひひひひ……。あっありえないわこんなこと……。魔理沙が魔理沙をうふ、うふふふ……」
過去の魔理沙は、先ほどよりも思考をこじらせているようだった。泣きながら笑い怒りながら楽しんでいた。
「おいそこの。悪いけど私は魔理沙だから……消えてもらうぜ」
何も迷う必要はなかった。それがこの幻想郷の定めであるとわかっていたから。
「まま待ってよ魔理沙。おかしいわよこんなの。どうして魔理沙が異次元と未来の魔理沙を殺すのよ……。いえ、最初から、朝起きた時からおかしかった……。私が魔理沙で……それで……」
死を間近に迎えた人間とは、どうしてかくも見苦しいのだろう。魔理沙は悲しくなった。
「言い訳は地獄に落ちてからな」
魔理沙はそう言って、過去の頭部に固い八卦炉をぐっと押付けた。
「ちち違うんだったら! 絶対におかしいってこれ! 私は関係ないんだから……朝起きたら私が魔理沙で……異次元の奴が魔理沙に会いに行こうって言って……。未来もいて私もそれについていって……」
「命乞いは見苦しいぜ。それに最後まで他人のせいにするんだな。心底救えないぜ」
右手に力を込める。こんな死に際の奴なんか、情けをかけることなんてないのに。こいつは自分を馬鹿にして鼻で笑って見下したんだ。だから、一思いに――。
頭ではわかっていても、体が動かなかった。魔理沙はふとこの魔理沙の言い分を聞いてみたくなった。ほんの出来心であった。
「本当なんだって! そもそも私が魔理沙なのもおかしいんだって! よくわからないけれど絶対にそうよ。そこの異次元と未来の奴も何か変だった……。ねぇ魔理沙? 私達もしかして取り返しのつかないことを……」
――ねぇ魔理沙。
その言葉はどこか懐かしい響きだった。思えばこの過去の魔理沙は他の二人とはかけ離れている。どうしてだろう? あいつがいて、縁側でお茶飲んで。ああ頭がずきずきと痛む。もうちょっとで、思い出せそう、なのに。
「ひぃ、ひひー! 怖い怖い! 離してよやめてよもー」
「う、動くな動くな……痛っ!」
暴れる彼女を抑えようとすると、奇妙で不思議な衝撃が魔理沙の肉体を襲った。その事実が、魔理沙の脳を混沌の神の支配する領域へと変容させた。
「お前まだこんな力を……ん? 何だ隠してたのか? や、やっぱりお前も魔理沙じゃないんだな……ちくしょうちくしょう! 少しは信じていたのに……くそっ!」
「ち違うの。これは。ちょっと念じたら何か出て……」
「黙れ黙れ! お前もあいつらと同類だ!」
一体何に対して自分はここまで怒っているのか。その答えは漠然としすぎてわからなかった。唯一つ言えることは、目の前の泣き顔の自分の頭を、即座に破壊しなければならないということだ。
「残念だぜ魔理沙」
魔理沙は自分に言い聞かせるように、魔理沙と言い放った。
「やめてよ……考え直してこんなの……」
「さよならだぜ」
手加減はせず、一瞬で空白に染めてあげた。孤高の寂寥感だけが漂った。未だ超越者の域には程遠かった。
「私……三人も……。これで、終わり?」
魔理沙はふとむなしくなった。三人も同じ顔を殺めてしまった。でも何の感慨も後悔も沸かなかったのだ。一体、これは――。
「あーーーっ!」
絶叫が狭い部屋に轟いた。誰だと思ってみると、本を読む魔理沙だ。今まで何をしていたのだろうか。おそらくはずっと自分一人の世界で読書をしていたのだと思う。たぶんおそらく間違いなくそうだと自然に思う。
「ちょっとちょっとぉー。何してんのよ……せっかく私が来てあげたっていうのに。こいつらやっつけて何になろうと思っているの? 神? 馬鹿! あんたは魔理沙でしかないのに……あーもう!」
本を読む魔理沙は盛大に切れていた。彼女の怒りの矛先はどこへ向かっているのだろう。皆目見当がつかない。
「落ち着けよお前。お前も魔理沙だけどゆっくり考えようぜ」
「悠長なんかにしていられないのよ。事態は一刻を争うのよ。早く、早く……」
「そんなに急いでいるなら、最初からどうにかして欲しいぜ……」
そうだ。この本読み魔理沙はかなり前にここに来たはずなのに、今になってこうやって切れている。実に腑に落ちない結果である。
「馬鹿! 私は消極的なのよ。あああもう! 早くこの本読みなさいよ!」
何が何だかわからなかったが、分厚い本でやたらめったら殴られた。首の骨が折れると思うほど側頭部を強打される。このままではこいつにやられてしまう。やはり自分以外の魔理沙は、自分を抹殺するために存在するのだろうか。
「い、痛いぜ……。悪いけど消えてもらうぜ」
「このっ、この、このぉ!」
体を反らし本読み魔理沙を軽くいなす。どさりと前方に倒れこむ。彼女は息があがっていた。ぜーぜーとあまりにも苦しそうな呼吸の仕方を繰り返す。
「まっ、まっ、まっ――」
何かを言う前に、魔理沙は無慈悲な鉄槌を彼女に下した。ようやくこの場から魔理沙が消え去った。静寂と安堵。これで終わったのだろうか?
いや、まだ呪いは終わってはいなかった。周囲にぞくぞくと危機が集結しようとしている。そして今も窓から闖入者が一人――。
「あー間に合った。あれ? もしかして私が一番乗り? だとしたら最高ね。ふふふ、私は人形を操る魔理沙。魔理沙とは前世から赤い糸で結ばれていたのよね……。今二人、魔理沙で二人。キスをして抱き合い愛を分かち合う。そうすれば本当の魔理沙になれる……。魔理沙ってのは素敵ね。誰にも渡したくはない。お揃いの魔理沙。魔理沙、魔理沙。あれれ? 何暗い顔しているの? 私は魔理沙なんだから心配しなくていいわ……。さぁ二人で白いウェディングドレス着てヴァージンロードを……お、お、魔理沙? 私魔理沙よね? あなたが魔理沙だから私……えっ、えっ、えっえっえっ??」
人形を操る魔理沙は粉微塵に消し飛んだ。異次元から数えてこれで五人。自分はこんなにも――。いや、ここから本当の戦いの始まりなのだ。
魔理沙は意を決して、明るい扉の外へと躍り出た。ここまで来たなら、是が非でもやるしかないのだ。
魔理沙邸の周囲には、気持ち悪いほどの数の魔理沙が、今か今かと霧雨魔理沙が現れるのを待ち構えていた。大挙して押し寄せる魔理沙の群集。その異様な光景は、吐き気を催すほどに狂気じみていた。
「おっ、出てきた」
「あいつだ。まずはあいつを。誰よりも!」
どこからともなく声が上がる。徹底して待ち伏せをされていた。どこにも逃げ場はない。その人だかりの中から前に歩み出るもの数名。よほどの手練だろうか。何にせよ一分たりとも油断はできない。
「私は亡霊の魔理沙よ」
「時を止める魔理沙」
「気を使う魔理沙」
「幸せを呼ぶ魔理沙」
「不死身の魔理沙」
「歴史喰いの魔理沙」
「奇跡を呼ぶ魔理沙です!」
「正体不明の魔理沙」
「わちき魔理沙!」
「有頂天の魔理沙」
「空気を読む魔理沙」
「無意識の魔理沙」
「魔理沙なのかー」
こいつらは全員魔理沙だ。それも一筋縄ではいかないだろう。どんな作戦でいこうか、いや自分は霧雨魔理沙を貫くだけだ。ここまで来て自分を曲げることは即、死に直結する思考であるからだ。
「さぁさぁさぁ。ついに始まりましたね幻想郷の真の魔理沙を決める魔理沙決定戦! 海千山千の魔理沙が今ここに群雄割拠のてんやわんやでございます。勝つのは果たしてどの魔理沙なのか? 参加資格は魔理沙のみ。さぁ皆様こぞって参加くださいませ。おっと申し遅れました私幻想郷最速の魔理沙でございます。もちろん私も魔理沙の座を狙っていますからあしからず。さーはったはった!」
上空を見上げると、箒に乗った不愉快なドロワーズが大声で演説をしていた。
そして一人、前に歩み出でた。もちろん魔理沙。しかしその流し目、魔理沙らしからぬ色気があった。指を丸めてちょんと顎に置く仕草、しおらしげにして儚くも妖艶であった。
「おほほほほ。私は心を読む魔理沙でございますの。以後お見知りおきを。私どうしても魔理沙になりたいんですの。魔理沙となった暁には――他の雑多な魔理沙のみなさんはペットにして飼って差し上げましょう。どうですかこの提案? 無駄に命を散らすよりいいんじゃありませんか? ふふ、最終的に勝つのは私。何と言っても心を読む魔理沙でございましょう。異次元なき今、誰がこの幻想郷を統治するのでしょうか? それは私。ええ私以外にありえませんわぁー。私の前にみなさんでひれ伏せばいいんですよひーひひひ」
どうみても胸糞悪い魔理沙が笑っていた。こいつとさっきの最速野郎は真っ先に倒そうと思った。
「ちょっとちょっと。心を読むさん一人で勝手なこと言わないでくださいよ。幻想郷最速の目の黒い内は勝手なことさせませんよ」
「いーえ勝手じゃありません。私の考える幻想郷国家はとぉっても理想の支配体制ですわ。おーほほほほ」
愚かな奴らだと思った。どんなに上手に取り繕っても、やはり偽物は欠陥だらけである。こいつらなんかにこの幻想郷で霧雨魔理沙を名乗る資格なんてない。
「静まれ! 私が霧雨魔理沙だぜ! 魔理沙なんだぜ!」
魔理沙は蟻のような群集に突貫した。蜘蛛の子を散らすようにして他の魔理沙が倒れていく。まさに今ここに魔理沙の時代が始まろうとしていた。
「あーあ。今日もこんなに寝ちまったぜ」
昨日は難しい魔法の本を、熟読しようとして、根を詰めて遅くまで頑張ってしまった。その内容、さてどんなことが書いてあったのだろう。魔理沙は思い出そうとしたが出来なかった。
「まぁいいか。適当に飯でも食うか」
気だるく緩慢な動作で、ぬるりと立ち上がる。
顔を洗う、服を着替える、歯を磨く。そして唐突に窓が割れた。
「こんにちは魔理沙さん」
「私よ魔理沙」
「眠いわね魔理沙」
侵入者は三人であった。
「なな何だぜお前らいきなり」
魔理沙は激しく混乱してしまった。急に窓を割られたこと、それ以上の恐怖と驚きが目の前に存在していたからだ。
「魔理沙よ」
「私も魔理沙」
「どっちかっていうと魔理沙ね」
三人の姿は、いつも自分が見慣れている、霧雨魔理沙そのものであった。服も容姿も寸分違わぬ魔理沙。決して、安っぽい化粧仮装で塗り固めた紛い物ではなかった。
「おい……何だそりゃ! おい、おい!」
舌と思考が回らず、おいおいとだけ言った。落ち着け何だこれは。何だこの状況は。侵入者だ、魔理沙だ。自分がいる、それも三人もいる。こいつらは一体何の目的で、いやまず根本的にまずいのは相手が魔理沙だということだ。
自分と全く同じ顔をした人物が三人もいる。その事実が魔理沙をいたく打ちのめした。
「あーよっこらせっと。腰が痛いわ」
「お茶出して。魔理沙」
「あー私は紅茶がいいな。できれば甘いケーキでもつけてね」
なんということだ。三人はここが我が家のようにくつろぎ始めではないか。この由々しき事態に、魔理沙は色を失って声を荒げた。
「あー待てよ待てったら! 何で人の家に勝手にずかずか入るんだよ。私はこの家の主人、霧雨魔理沙だぜ」
息を切らせて肩をいからせる。魔理沙が期待したような反応――まるで三人は返さなかった。ガラス玉のような目が魔理沙を注視する。理解できない、異常者、一人だけ別の世界にいるかのような、奇異と蔑視に満ち溢れた視線が肌に刺さる。
「ていうか私も魔理沙だしね」
「そうよね魔理沙さん」
「そうそう。常識よね」
言われてみればその通りであった。自分が魔理沙であるという印籠は、今この状況では無意味だ。なぜ? ありえない。しかし現実には、全く同じ顔の自分が三人も存在しているのだ。
「いやいやいや。おかしいってこれ。どうして私の他に霧雨魔理沙がいるんだよ?」
「そんなの私に聞かれてもねぇ?」
「ねぇ」
「うーうー。そんなのどうでもいいから早くお茶お茶ー」
一人、どことなく子供っぽい魔理沙が手をばたばたさせた。
「あーもううるさい。おお前ら認めないからな。魔理沙は私だけなんだからな? 私は私は……」
理解が許容範囲を超えて、魔理沙は慌てふためいた。魔理沙、魔理沙、魔理沙。四人の魔理沙。
「うるさいのはあんたよ魔理沙。こいつどうにかしてよ魔理沙」
「面倒だわ魔理沙」
「ふあー眠い」
魔理沙が一度に喋る。同じ声質の波長が部屋の中を反響する。見た目魔理沙。声魔理沙。徹底的な魔理沙ゾーンが、魔理沙を通じて張り巡らされていた。
「待て待て。みんな魔理沙ばっかりなんだからそんな呼び方じゃしょうがないぜ。落ち着け……私。そうだ、お前ら何か他の呼び方はないのかよ? 魔理沙ばっかじゃ不便だからさ」
魔理沙は少し落ち着きを取り戻した。この方法なら自分を魔理沙だと確定できる。アイデンティティの確保、何よりそれが最優先の事項だ。そうだこいつら魔理沙とかいっても見た目と声だけだ。自分が魔理沙だから魔理沙じゃない。自分の皮をかぶった別の何か――妖怪。偽物だ、そうだどうして今まで思いつかなかったのだろう。似非、ペテン、詐欺。簡単だ。誰かが自分を貶めようとしてこんな手のこんだことを――。
――騙されるかっ。
急に元気になって、魔理沙は他の魔理沙達をきつく睨んだ。
「えーそんなの面倒くさいわよ。ねぇ隣の魔理沙」
「私もよ。みんな魔理沙でいいわよ」
「私も賛成ー」
ここではいそうですかと引いてはいけない。一息ついて、魔理沙は次のように提案した。
「いいかお前ら。いくら魔理沙同士だからって少しは違いがあるはずなんだぜ? この際だから決めとこう。なっそこの今腰叩いてるお前……お前だお前!」
「えっ何私ちょっと耳遠いから」
「絶対聞いてなかっただろお前。いいかよく聞け。お前何か特技を持ってないか? 何でもいい。他のやつらと違っているところとか」
「んー」
そう言われた魔理沙とおぼしき存在は、少女のように顎に人差し指を当てて、しばらく考えてから口を開いた。
「そういえば私異次元ができるわ」
「すごいわね。さすが魔理沙」
「ええー。さっすがー」
異次元とは。それを問い詰める前に周りがうるさくなる。
「あー黙れ黙れ。何だよ異次元ができるって。意味がわからないぜ」
「あっそれはねこういうこと。はい!」
と言って、彼女は空中で指をくるりとニ、三度翻した。
「……何も起きてないぜ?」
「起きてるわよ。ほらここ」
指差した先、その先端には何と形容したものやら――空間の裂け目とでもいうのだろうか、漆黒の落とし穴が宙にぽっかりと風穴を開けていた。
魔理沙はこの現象を理解できなかった。いや前向きに考えると、理解できないということは差別化をはかれるということだ。これはかなりの前進である。
「これが異次元。どう? すごいでしょ?」
「よしわかった。これからお前は異次元の魔理沙な。一人決定だな」
したり顔する異次元の魔理沙を放って、魔理沙は次なる行動を開始した。
「次は……お前だ。ん、お前だよお前。ちょっと性格きつそうなお前だ」
「え? 私? お前じゃわからないわよ」
「いーからお前は何か特技ないのかよ」
「うーん」
そう言って腕を組み考える彼女。もちろん容姿は魔理沙だ。
「特にないわね。私は普通の魔理沙」
「そんなことはないだろ? 何でもいいんだぜ?」
「いや、ないよの。ほんとに全然」
きょとんとした真正直な顔でそう言われたからたまらない。まぁいい。こいつは後回しにしよう。
「おいそこのちっこいの。……いや違うか。お前!」
「何よ」
自然に小さいという言葉がついで出たが、彼女も魔理沙であるのでそれは間違いであった。ただなんとなくイメージが小柄で可愛らしい姿というだけだった。自分と同じ魔理沙であるのに、これはこれでとてつもなく滑稽なことである。
彼女は両手を胸の前で、意味ありげに広げてゆらゆらとしていた。どことなく高貴そうな演出であるが見た目は魔理沙だ。誇らしげな少女の口元が、やけにアンバランスではあった。
「お前の特技は?」
「うー。何と言ったらいいのかしらね。私、運命が見えるのよね。未来予知? 今は私が魔理沙になる未来が見えるわ」
「ほーそうか。それならお前は未来の魔理沙だ。これで二人目も決定だ」
「ふふ。何だか格好よさそうね。ありがたく頂くわその名前。ありがとう名無しの魔理沙さん」
「何だよそれは。私はオリジナルだってのに……くそっ」
見下したような、未来の魔理沙の態度がやけに鼻についた。しかしこんなことに腹を立ててはいられない。さっさと確固たる魔理沙像を確立しなければならない。
「よしこれで異次元の魔理沙と未来の魔理沙が決まったな。後は一人だけだ。……おいそこのお前だ。何髪いじくってるんだよ!」
どなられた彼女は、長い髪の毛をさも邪魔そうにいじっていた。
「いやこの髪なんかしっくりこないのよね。髪留めか何かない? ここ……ちょっとこの辺にさぁ」
「そんなのないよ。それより早くお前が何の魔理沙か決めようぜ」
魔理沙は率直に言った。
「んー私そんなの気にしないわ。あ、強いて言うなら主人公魔理沙ね。主人公って私に似合う気がするのよ」
「何でだよ」
「あーそうね。魔理沙は主人公って感じがするわ」
未来の魔理沙が同調する。
「待て待てどこから主人公が来るのかわからん。駄目だ駄目だ。主人公は却下」
「えー何それつまんない」
そう言って彼女は口を尖らせてへそを曲げた。その様子も妙にいじらしいが所詮は魔理沙だ。魔理沙は主人公ではないという思いが魔理沙にはある。魔理沙は普通の魔法使い。魔理沙は思い出した。そうだ、自分は魔法使いの霧雨魔理沙だそれだけはわかる。こいつらが何であろうと関係ない。そうなればこんな偽の魔理沙達にかまっている暇なんてない――。
「あーいいこと思いついたわ。名案。私ってばさえてるぅ」
そんな魔理沙の思案に、異次元の魔理沙が水をさした。
「何だよ異次元の魔理沙」
「異次元、未来ときたらやっぱ過去よね。提案するわ。彼女は過去の魔理沙。うん、これがかっこいいわ。時空を超えて旅する三人娘。ユニット組んだらきっと売れるわよ。一番人気はもちろん私ね。えへっ」
異次元の魔理沙がにぱっと笑ってポーズをとる。それは無視した。
「同じ背格好で同じ声なのにどうやって組むんだよ。もー真面目に考えろよ」
「いやそれは同じ魔理沙なんだけど、そこは私の魅力と美貌でさぁ……」
妙な色目を使って異次元がにじり寄ってきた。一体、こいつは何を考ているかわからん。
「あーいいわね過去の魔理沙。古きよき時代を象徴するなんちゃらってやつ。権威があるわね、過去には」
過去らしき魔理沙が言った。
「そうね。あなたは過去の魔理沙。そっちのお嬢さんは未来の魔理沙。そして私は異次元の魔理沙。三人合わせて文殊の知恵。決定ねこれで」
異次元の魔理沙が妙に大人びた態度で言った。何だこいつは。自分が本物の魔理沙であるのに。今にもこの場を仕切ろうとしているではないか。それだけは断じていけない。あくまで魔理沙の根幹は自分なのであるから。
「待てよ待て。やっと名前が決まったから言っておく。いいか? 魔理沙の意思は私が決める。だって私が霧雨魔理沙だからだ。いいな?」
自然にそう言葉が流れた。皆もそれに必ず追随してくれると思った。しかし突きつけられた現実は違った。
「ねーねーねー。過去でなんかしてーそれが未来に及ぼすって格好よくない? 未来の人がさー過去に誰かさんを送ってーそういうの。こうそこはかとないロマンがあると思わない?」
「そうね未来の魔理沙。全面的に賛成」
「ありがとう過去の魔理沙。あなたって何だか綺麗だし強そうだしドキドキしちゃうわ……」
未来の魔理沙が無駄にはしゃいでいた。おまけに、隣の過去の魔理沙といい雰囲気になりそうである。何だこの展開は。一体全体魔理沙がきてからこの世界はおかしい。絶対に、真実を暴いてやる。魔理沙は唇を噛んでそう心に誓った。
「聞けよお前ら!」
「はーいただの魔理沙」
「お前なぁ! 何だその言い方は?」
「うわ、助けて過去の魔理沙。魔理沙が私を襲うの」
「ちょっとやめなさいよ。魔理沙でしょ」
「そうそう。私の未来の魔理沙に手を出さないでよね」
異次元と過去が即座に止めに入った。見た目は魔理沙なのに、妙に孤独感を感じる。やはり魔理沙であって魔理沙ではないのだ。
「つーかさ……もうそこの魔理沙はいらなくない?」
「そうそう! さーんせい。私達三人だけで魔理沙を作りましょ」
「あはは、じゃあ魔理沙の私がリーダーするわね」
誰が誰だがわからないような状況が続く。そして趨勢は自分を排除する方向に動いている。この流れは、きっとまずい。でも止められない。なぜならあいつらは、過去未来異次元三種の神器を持つ魔理沙だからだ。どうにも分が悪い気がする。
「あーよっこいしょっと……」
誰かが窓から入ってきた。誰だろうと期待はしてみたものの、やはり魔理沙であった。魔理沙の心を黒い絶望感が覆う。何と、新手の魔理沙が――この後に及んで。チッ、何てこった。
「あーみなさんおかまいなく。私は本を読む魔理沙。続けて続けて」
その魔理沙はそれだけ言って、床にぺたんと横座りして、小首をかしげながら手に持っていた本を読みふけった。
「な、何しにきたんだよお前は」
魔理沙は聞いた。
「何って言われても。私は魔理沙。ここに来て本を読む。それだけの存在。いつだって消極的に本を読むわ」
「何だよそれ……」
もしかしたら、助けがきたのではと思ったが当てがはずれた。他の奴ら全員魔理沙だ。それもオリジナルの座を虎視眈々と狙っているんだ。本を読む魔理沙も、きっと自分を倒す算段を試行錯誤しているに違いない。こいつの狙い、共倒れ――。くそっ、舐めやがって。
「新しい魔理沙も到着したようね。まーそれはそれとして聞いてよみんな」
異次元の魔理沙が声高に言った。
「なになに?」
未来の魔理沙が興味を示す。
「私がこの幻想郷の魔理沙でありたいと思うわ。言うならば母ね。母魔理沙」
「何言ってるんだぜ? お前が魔理沙だなんて……」
反論しようとしたが、過去の魔理沙が袖を引っ張った。鋭い目つきでこちらをギロリと睨んでいた。
「黙って聞きなさいよボンクラ」
「な――」
「そうよ。異次元が言っているんだから」
こいつらこいつらっ。何様だ上から目線で見下しやがって。魔理沙はくやしくて仕方がなかった。唇を噛んで、必死に湧き上がる鬱屈した怒りに耐える。今ここで、全員吹き飛ばしてしまっても。いやまだだ。思い知らせてやるんだ。きっときっと。
「いーいみなさん? この世は幻想郷っていう巨大なユートピアですね。それは皆さんご周知の事実でございます。私はここに秩序を作ろうと思います。魔理沙を代表してこの異次元の魔理沙が一番に指揮をとろうと思うの。境界を操る私。実に適役だと思わない? 決め事、秩序っていうのは絶対不可欠なもの。始めよければ終わりよしって言うわね。幻想郷は魔理沙が作る。ただし異次元の魔理沙っていうのは、残念ながら等身大の人間からはちょっと逸脱しているのよのねぇ。それで私は一人魔理沙を選ぼうと思う。人間の、一人、魔理沙よ。秩序の大部分は彼女に任せようと思うの。ううん、大丈夫。彼女は紛れもなく最強よ。最強の、霧雨魔理沙。私は後見人みたいな立場で彼女を後ろから支えるの。そういうのって素敵だと思わない? ねっきっとうまくいくわこの体制。異変は霧雨魔理沙が解決するのよ。何が起きても幻想郷の平和と秩序は保たれる。均衡ってのはそういうこと。それが魔理沙。魔理沙……魔理沙……。うん、今ここに過去の魔理沙がいるわね。適役よ、絶対そんな感じがするわ。雰囲気が違う。そうね……何か一つ能力授けるとするならば……」
異次元の魔理沙はぺらぺらと流暢に話した。
「賛成! 絶対に過去の魔理沙ならやってくれるわ。幻想郷で最初の魔理沙。万歳!」
未来の魔理沙が大げさに手を叩く。
「なっ何よそんなこと言われても私はしがない過去の魔理沙よ。重荷だわ、そんなこと」
まんざらでもないように、過去の魔理沙は顔を赤くして照れた。
「じゃ、決まりね。過去の魔理沙を――」
「待てよ」
本当の魔理沙が遮った。何だこの馬鹿げた茶番は。自分を差し置いて秩序なんて本当に馬鹿げている――。魔理沙の心に闘志が宿った。それはたった一つの、絶対的な、かけがえのない燃え上がる一筋の炎。
「何ですか魔理沙さん。聞いたでしょう今の話」
「納得できない」
「は?」
「納得できないって言ってるんだよ! いいかよく聞け私は霧雨魔理沙だ。お前ら不純物だらけのクローンじゃない……。私だけが混じりっ気のない本物なんだよっ! お前らが勝手に決めたことが通ると思ったら大間違いだっ! はぁはぁ……」
半ば激昂して解き放った。最後の境界線、魔理沙であることは譲れなかったのだ。
「私の言うこと聞いてなかったんですね。残念ね魔理沙さん」
「はは。何こいつ。異次元の言うことに歯向かうの?」
「もうやっちゃおーよこいつ。何言ってんのかわかんない。けけ! ただの魔理沙のくせに!」
容赦のない罵倒の言葉が、次々と魔理沙に浴びせられる。悪意のある鈍重な波動が、鞭のようにしなり柔肌に傷をつける。それでも魔理沙は負けなかった。まだ最後の希望が残っていたから。どんなに大見得を切っていても、所詮こいつらは――魔理沙だ。
「やっ、やるのかお前ら? このぉ!」
「あら交渉決裂かしら? 残念」
「話し合いで解決できないなんて……さすが劣等人種ね。いいわよ魔理沙。今すぐ引導を渡してあげるわ」
異次元と未来が蔑み憐れむような目で見てくる。くそっ、絶対に見返してやる。気づかれないように、服のポケットに手を入れる。あった。やっぱり自分は魔理沙の加護を受けているんだ。これなら負けるはずもない。
魔理沙は八卦炉を手に取った。ありったけの魔力をその右手に充填する。
先手必勝だ。くらえ――。
「マスタースパーク!」
「え――」
極太の閃光が、異次元と未来に向かってぶわりと直進照射した。何かをつぶやいていた二人は、そのエネルギーの直撃を受けてもんどりうって倒れこんだ。
「えっ、ちょ、ちょっと? え、ええ? えええっ?」
過去が舞踏のように手足をばたばたさせて混乱している。こいつはおそらく問題ない。
異次元と未来の魔理沙の惨状を確認した。体を半分ほど失って倒れているのは異次元。未来も肩越しからぽっかりと穴が開いて、腕が一つちぎれていた。やった。これで終わりだ。勝ったんだ自分は。この魔理沙決定戦に。
だがひと時の安堵の空間も長くは続かなかった。
「あーあー何してくれてんのよ全く」
異次元の体がぐらりと持ち上がった。体の大部分を失ったことは、全く意に介していない様子だった。
「いてて……。全くだわ。魔理沙のくせに」
未来も立ち上がる。こちらも同様にぴんぴんとしている。
「やっ、やっ、やった助かった! ひっひっひっ」
過去の魔理沙がかなり錯乱していた。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしていて見てられなかった。
一つわかったことがある。魔理沙は結論を下そうとした。
「へへへ、お前たちこれでわかっただろう? そんな怪我して生きているなんて人間じゃない。魔理沙は正真正銘の人間だ。偽物だ、詐欺師め! わかったんならさっさと私の前から消え去るんだよ。今すぐ、今すぐだ――」
「いやいや。これぐらいセーフセーフ。起り得る想定の範囲内よ。異次元だからこのぐらい朝飯前よ。ねぇ未来の魔理沙さん」
「そうそう! こんなかすり傷ぐらい、たぶん血をたらふく飲めば一日で全快するわ」
異次元と未来が、不気味な笑みを浮かべて迫ってきていた。そうか、こいつらはあれだ。最初から常識の通じる相手ではなかったんだ。どうする? さっきのマスタースパークで魔力の大部分を使ってしまった。もう一度打っても威力は半分以下だ。
「あーいいこと決めたわ。人間ももっと強くしちゃおうかしら? こんな怪我でひいひい言うくらい脆弱じゃ使えないものねー。そうしましょそうましょっ。おっほほほほほ。私が魔理沙。そして魔理沙を作るのが私。創造紳、それが――」
「うるさいんだぜっ! 私が霧雨魔理沙なんだぜ! 魔理沙を名乗れるのは私だけ……私だけなんだぜっ!」
ふいに得体の知れない力がみなぎってきた。これは? しかしそれを理解する暇は少しもなかった。
「ピーピーやかましいわよこの寝小便たれのクソガキ。もう面倒だからスキマシュートしちゃうわね。処置は後から考えればいいわ」
異次元の像がざっと歪んだ。
来る――。勝負は一瞬で決める。
背後に黒い裂け目が開いている。
そんなの気づいているぜ!
正面の異次元魔理沙。その現在に知るところ幻影。魔理沙は背後の通用口に向かって、ありったけの魔力を放出した。
「はーいスキマに一名様ごあんな」
「消し飛べ!」
轟音。怪音。肉片が、飛び散った。
異次元の魔理沙は完膚なきまでに破壊されていた。もしまだ生きていたとしても、再生までにかかる時間は相当なものだろう。異次元の脅威は今ここに立ち消えた。残るは――。
魔理沙は、じろりと未来と過去の魔理沙に目を向けた。
「ええっ? うっそー? 信じられない。なんでぇー?」
未来だけが大げさに喚いていた。呆然と立ち尽くしているのは過去。目が、かっと見開かれていた。
「お前もだ」
魔理沙は間髪いれずに攻撃を開始した。未来の頭部めがけて、八卦炉の照準をぎりりと合わせる。
「あっ――」
回避する暇もなかった。レーザーのような光線が、一瞬で未来の脳細胞を破壊しつくしめた。ぐらりと体が揺らめき、音もなく空気のようにそっと床に倒れこんだ。
これで二人の魔理沙はやっつけた。身近にある脅威はひとまず去ったと言っていい。部屋の隅に目を向ける。過去の魔理沙がぶるぶるとして体育座りをしていた。
「おい」
魔理沙は過去の魔理沙に声をかけた。いや、過去とは仮の名前であった。単なる連想であったから根本的には過去ではない。まぁ自分と区別できるのなら何でもいいのだが。
「ひひひひ……。あっありえないわこんなこと……。魔理沙が魔理沙をうふ、うふふふ……」
過去の魔理沙は、先ほどよりも思考をこじらせているようだった。泣きながら笑い怒りながら楽しんでいた。
「おいそこの。悪いけど私は魔理沙だから……消えてもらうぜ」
何も迷う必要はなかった。それがこの幻想郷の定めであるとわかっていたから。
「まま待ってよ魔理沙。おかしいわよこんなの。どうして魔理沙が異次元と未来の魔理沙を殺すのよ……。いえ、最初から、朝起きた時からおかしかった……。私が魔理沙で……それで……」
死を間近に迎えた人間とは、どうしてかくも見苦しいのだろう。魔理沙は悲しくなった。
「言い訳は地獄に落ちてからな」
魔理沙はそう言って、過去の頭部に固い八卦炉をぐっと押付けた。
「ちち違うんだったら! 絶対におかしいってこれ! 私は関係ないんだから……朝起きたら私が魔理沙で……異次元の奴が魔理沙に会いに行こうって言って……。未来もいて私もそれについていって……」
「命乞いは見苦しいぜ。それに最後まで他人のせいにするんだな。心底救えないぜ」
右手に力を込める。こんな死に際の奴なんか、情けをかけることなんてないのに。こいつは自分を馬鹿にして鼻で笑って見下したんだ。だから、一思いに――。
頭ではわかっていても、体が動かなかった。魔理沙はふとこの魔理沙の言い分を聞いてみたくなった。ほんの出来心であった。
「本当なんだって! そもそも私が魔理沙なのもおかしいんだって! よくわからないけれど絶対にそうよ。そこの異次元と未来の奴も何か変だった……。ねぇ魔理沙? 私達もしかして取り返しのつかないことを……」
――ねぇ魔理沙。
その言葉はどこか懐かしい響きだった。思えばこの過去の魔理沙は他の二人とはかけ離れている。どうしてだろう? あいつがいて、縁側でお茶飲んで。ああ頭がずきずきと痛む。もうちょっとで、思い出せそう、なのに。
「ひぃ、ひひー! 怖い怖い! 離してよやめてよもー」
「う、動くな動くな……痛っ!」
暴れる彼女を抑えようとすると、奇妙で不思議な衝撃が魔理沙の肉体を襲った。その事実が、魔理沙の脳を混沌の神の支配する領域へと変容させた。
「お前まだこんな力を……ん? 何だ隠してたのか? や、やっぱりお前も魔理沙じゃないんだな……ちくしょうちくしょう! 少しは信じていたのに……くそっ!」
「ち違うの。これは。ちょっと念じたら何か出て……」
「黙れ黙れ! お前もあいつらと同類だ!」
一体何に対して自分はここまで怒っているのか。その答えは漠然としすぎてわからなかった。唯一つ言えることは、目の前の泣き顔の自分の頭を、即座に破壊しなければならないということだ。
「残念だぜ魔理沙」
魔理沙は自分に言い聞かせるように、魔理沙と言い放った。
「やめてよ……考え直してこんなの……」
「さよならだぜ」
手加減はせず、一瞬で空白に染めてあげた。孤高の寂寥感だけが漂った。未だ超越者の域には程遠かった。
「私……三人も……。これで、終わり?」
魔理沙はふとむなしくなった。三人も同じ顔を殺めてしまった。でも何の感慨も後悔も沸かなかったのだ。一体、これは――。
「あーーーっ!」
絶叫が狭い部屋に轟いた。誰だと思ってみると、本を読む魔理沙だ。今まで何をしていたのだろうか。おそらくはずっと自分一人の世界で読書をしていたのだと思う。たぶんおそらく間違いなくそうだと自然に思う。
「ちょっとちょっとぉー。何してんのよ……せっかく私が来てあげたっていうのに。こいつらやっつけて何になろうと思っているの? 神? 馬鹿! あんたは魔理沙でしかないのに……あーもう!」
本を読む魔理沙は盛大に切れていた。彼女の怒りの矛先はどこへ向かっているのだろう。皆目見当がつかない。
「落ち着けよお前。お前も魔理沙だけどゆっくり考えようぜ」
「悠長なんかにしていられないのよ。事態は一刻を争うのよ。早く、早く……」
「そんなに急いでいるなら、最初からどうにかして欲しいぜ……」
そうだ。この本読み魔理沙はかなり前にここに来たはずなのに、今になってこうやって切れている。実に腑に落ちない結果である。
「馬鹿! 私は消極的なのよ。あああもう! 早くこの本読みなさいよ!」
何が何だかわからなかったが、分厚い本でやたらめったら殴られた。首の骨が折れると思うほど側頭部を強打される。このままではこいつにやられてしまう。やはり自分以外の魔理沙は、自分を抹殺するために存在するのだろうか。
「い、痛いぜ……。悪いけど消えてもらうぜ」
「このっ、この、このぉ!」
体を反らし本読み魔理沙を軽くいなす。どさりと前方に倒れこむ。彼女は息があがっていた。ぜーぜーとあまりにも苦しそうな呼吸の仕方を繰り返す。
「まっ、まっ、まっ――」
何かを言う前に、魔理沙は無慈悲な鉄槌を彼女に下した。ようやくこの場から魔理沙が消え去った。静寂と安堵。これで終わったのだろうか?
いや、まだ呪いは終わってはいなかった。周囲にぞくぞくと危機が集結しようとしている。そして今も窓から闖入者が一人――。
「あー間に合った。あれ? もしかして私が一番乗り? だとしたら最高ね。ふふふ、私は人形を操る魔理沙。魔理沙とは前世から赤い糸で結ばれていたのよね……。今二人、魔理沙で二人。キスをして抱き合い愛を分かち合う。そうすれば本当の魔理沙になれる……。魔理沙ってのは素敵ね。誰にも渡したくはない。お揃いの魔理沙。魔理沙、魔理沙。あれれ? 何暗い顔しているの? 私は魔理沙なんだから心配しなくていいわ……。さぁ二人で白いウェディングドレス着てヴァージンロードを……お、お、魔理沙? 私魔理沙よね? あなたが魔理沙だから私……えっ、えっ、えっえっえっ??」
人形を操る魔理沙は粉微塵に消し飛んだ。異次元から数えてこれで五人。自分はこんなにも――。いや、ここから本当の戦いの始まりなのだ。
魔理沙は意を決して、明るい扉の外へと躍り出た。ここまで来たなら、是が非でもやるしかないのだ。
魔理沙邸の周囲には、気持ち悪いほどの数の魔理沙が、今か今かと霧雨魔理沙が現れるのを待ち構えていた。大挙して押し寄せる魔理沙の群集。その異様な光景は、吐き気を催すほどに狂気じみていた。
「おっ、出てきた」
「あいつだ。まずはあいつを。誰よりも!」
どこからともなく声が上がる。徹底して待ち伏せをされていた。どこにも逃げ場はない。その人だかりの中から前に歩み出るもの数名。よほどの手練だろうか。何にせよ一分たりとも油断はできない。
「私は亡霊の魔理沙よ」
「時を止める魔理沙」
「気を使う魔理沙」
「幸せを呼ぶ魔理沙」
「不死身の魔理沙」
「歴史喰いの魔理沙」
「奇跡を呼ぶ魔理沙です!」
「正体不明の魔理沙」
「わちき魔理沙!」
「有頂天の魔理沙」
「空気を読む魔理沙」
「無意識の魔理沙」
「魔理沙なのかー」
こいつらは全員魔理沙だ。それも一筋縄ではいかないだろう。どんな作戦でいこうか、いや自分は霧雨魔理沙を貫くだけだ。ここまで来て自分を曲げることは即、死に直結する思考であるからだ。
「さぁさぁさぁ。ついに始まりましたね幻想郷の真の魔理沙を決める魔理沙決定戦! 海千山千の魔理沙が今ここに群雄割拠のてんやわんやでございます。勝つのは果たしてどの魔理沙なのか? 参加資格は魔理沙のみ。さぁ皆様こぞって参加くださいませ。おっと申し遅れました私幻想郷最速の魔理沙でございます。もちろん私も魔理沙の座を狙っていますからあしからず。さーはったはった!」
上空を見上げると、箒に乗った不愉快なドロワーズが大声で演説をしていた。
そして一人、前に歩み出でた。もちろん魔理沙。しかしその流し目、魔理沙らしからぬ色気があった。指を丸めてちょんと顎に置く仕草、しおらしげにして儚くも妖艶であった。
「おほほほほ。私は心を読む魔理沙でございますの。以後お見知りおきを。私どうしても魔理沙になりたいんですの。魔理沙となった暁には――他の雑多な魔理沙のみなさんはペットにして飼って差し上げましょう。どうですかこの提案? 無駄に命を散らすよりいいんじゃありませんか? ふふ、最終的に勝つのは私。何と言っても心を読む魔理沙でございましょう。異次元なき今、誰がこの幻想郷を統治するのでしょうか? それは私。ええ私以外にありえませんわぁー。私の前にみなさんでひれ伏せばいいんですよひーひひひ」
どうみても胸糞悪い魔理沙が笑っていた。こいつとさっきの最速野郎は真っ先に倒そうと思った。
「ちょっとちょっと。心を読むさん一人で勝手なこと言わないでくださいよ。幻想郷最速の目の黒い内は勝手なことさせませんよ」
「いーえ勝手じゃありません。私の考える幻想郷国家はとぉっても理想の支配体制ですわ。おーほほほほ」
愚かな奴らだと思った。どんなに上手に取り繕っても、やはり偽物は欠陥だらけである。こいつらなんかにこの幻想郷で霧雨魔理沙を名乗る資格なんてない。
「静まれ! 私が霧雨魔理沙だぜ! 魔理沙なんだぜ!」
魔理沙は蟻のような群集に突貫した。蜘蛛の子を散らすようにして他の魔理沙が倒れていく。まさに今ここに魔理沙の時代が始まろうとしていた。
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