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小箱の小話
東方二次小説が多目。 エログロ、ホラーミステリ洗脳色仕掛け等。
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幻想郷将棋バトル
 昼下がりのポカポカとした木漏れ日が香る幻想郷。
 博霊神社の巫女は物憂げに体を揺らせながらお茶を飲んでいた。
「はー」
 と一つため息をつく。異変が起きない時期は至極平和だった。博麗霊夢はこの穏やかな日常を謳歌するのが一番の楽しみなのである。
 ただしその平和も長くは続かない。二メートル程前方の空間が突然歪み、漆黒の裂け目が顔を覗かせる。幻想郷の偉い妖怪らしい八雲紫の登場だった。
「はーい今日は霊夢。ご機嫌いかがかしら?」
「何よ紫」
 霊夢はちょっと嫌そうな顔をして言った。
「あら何よその態度は?」
「いやあんたが来るとろくなことがないからね」
 そう、紫の来訪は巫女にとって大事だ。何を言いつけられても仕方がない。日夜を問わずその脅迫観念に怯え続けなければならない。
 今日は何の厄介ごとだろうか? 異変の兆しはいつだってさりげない。
「もー、霊夢ったらそんな顔して。それじゃまるで私が異変の原因であり大本みたいじゃない。この八雲紫は幻想郷の発展を第一に考えているのよ? あなたになんやかんや頼むのも、幻想郷の維持のため。決してあなたが嫌いで押付けているわけじゃないの」
「ふーん。それならいいんだけどね……」
 霊夢は気のない返事をした。
「で、用件は何なのよ?」
「よくぞ聞いてくれました。霊夢? 今幻想郷に足りないものは何だと思う?」
「足りないもの? うーん……」
 腕を組んでしばし考える。急に足りないものと言われても思いつかない。衣食住は大体足りてる。巫女というのは安定している職業だ。何不自由なく暮らして心配はない。ただ一つ、異変解決の面倒さを除けばだが。
 友人が来ればお茶を飲みながら語らい、宴会となればそれを取り仕切る。今の霊夢には特に欲しいものはなかった。
「わからない? 幻想郷に足りないもの……それは娯楽よ。幻想郷には娯楽が絶望的に足りていないのよ。だから私はこの窮乏を改善しようと思ったのよ。ああ何て聡明なわ・た・し。娯楽は人の心を豊かにする、心が豊かになれば生活も生き様も何もかも豊かになる。我ながら素晴らしい考えだわ」
「はいはい、さすが紫様でございますね。でも娯楽って言っても、幻想郷にはあなたが広めた弾幕ごっこがあるんじゃない? これ以上面倒な遊びはいらないわよ。いちいち新しいことを覚えるのも面倒。巫女の技術だけでせいいっぱいよ」
 霊夢はお茶をぐびりと飲んだ。巫女にとっての娯楽とは――。双六お手玉あやとり。何だろうか? 実は弾幕ごっこは正直あまり好きではない。現実的にはひやひやするし当たれば結構痛い。あんな針に糸を通すような遊戯は、被虐体質でなければ到底続かない。遊びというにはあまりにも気が張りすぎるのだ。
「そうね弾幕ごっこもいいけど……、空を飛べない種族にはハードルが高すぎるじゃない。いちいち弾の代わりを用意するのも面倒だし。もちろん弾幕勝負を止めるってわけじゃないと釘は刺しておくけど」
「結局何をするのよ紫」
 霊夢は率直に聞いた。
「ふふん、よくぞ聞いてくれました。これは外界仕入れてきた極めて奥の深い、それでいて面白みのある遊びよ」
 紫は一呼吸おいて続けた。
「霊夢、今から将棋をしましょう」
「将棋って?」
 霊夢がそう聞き返すやいなや、紫はぱっくり開いたスキマの中に少女を放りこんでいた。凄まじい吸引力が霊夢の体の自由を奪う。
「ゆ、紫ちょっと待ってよ」
「善は急げよ霊夢。思い立ったら即行動!」
 異次元の空間の中で必死でもがいて手を伸ばす。何も手がかりはなくぐるりと体は宙返りした。




 しばらくして霊夢は床に投げ出された。ちゃんと重力がある。体の平衡感覚を取り戻し何とか立ち上がった。
「おう霊夢。お前もここに来たのか」
 皆目一番に聞きなれた声がした。
「今日は魔理沙。どうやらあんたも災難みたいね」
 黒白の服装にとんがり帽子。霊夢の友人である霧雨魔理沙の、屈託のない笑顔がそこにはあった。おそらく魔理沙もスキマ妖怪の手によってここに連れてこられたのだろう。
 辺りを見回してみる。どうやらここは室内のようだった。畳敷きの和室に、生け花や掛け軸が風情を感じさせる。四角いテーブルの上には板目の盤が置かれて、数センチ程の小さな木の欠片――いや黒塗りの漢字が刻み込まれている。紫は将棋と言った。だとすれば将棋はボードゲームなのだろうか。
 漢字が刻まれた欠片はいくつもあり、それぞれ微妙に大きさが違っている。その一つを手にとってよく見てみる。一番薄いその欠片には歩兵と書いてあった。
「これは……」
「それが将棋の駒ですよ。霊夢さん」
 後ろから声をかけられて振り向く。緑色の髪に特徴のある蛇の髪飾り、自分と同じ巫女装束のいでだちだ。
「早苗……、まさかあんたも?」
「ええそうですよ。神社の掃除をしている時にいきなり」
 早苗は随分と不機嫌な様子だった。守矢神社の巫女である東風谷早苗。神様だとか奇跡とか小難しいことを唱えつつ、信仰が欲しいなどとのたまっている。霊夢は我の強い性格の早苗をあまり快くは思っていなかった。
「早苗も私と同じみたいだぜ。全く、紫の奴何を考えているんだか。少しは他人の都合も考え欲しいぜ……」
 魔理沙はそう言って大あくびをした。連れ去られたのはこの三人――いやまだいる。
「ばぁーっ。驚けぇー!」
「ん? んーっ? なになに?」
 遠くの方で大きな古ぼけた傘を振り回している妖怪と、ちょこんと正座をして偉そうな態度をとっている天人。
 多々良小傘と比那名居 天子がじゃれあっていた。部屋の中に知的生命体はこれだけのようだった。
「霊夢も合わせてこれで五人だ。その盤の上に駒を乗せて将棋ってのをするんだろ? 私は全然わからないぜ。霊夢は知ってるか?」
「いいえ魔理沙……」
 霊夢は静かに言った。将棋など微塵も知るはずもなかった。テーブルの上の盤には駒がきっちりと並べられていた。9×9の八十一マスで、上下に玉と書かれた駒を中心として陣形が組まれている。これが将棋なのだろうか。一目で見るとまるで戦争のようだった。各陣営は全く同じ戦力のようだが、果たしてどのように決着がつくのか。
「うーん。わかるのは将棋は二人用のゲームね。この駒を動かして白黒つける。歩兵が一番多くて、二枚づつが金、銀と……
「将棋は頭脳の格闘技ですよ。それぞれに個性のある駒を使って相手側の玉を詰めるゲームです。みなさんには悪いのですけど、将棋で勝負なら私の勝ちですよ。だって私経験者ですから」
 早苗が後ろから言った。
「えっそうなの?」
「おいおいそりゃないぜ。ひどいなぁ紫は」
 霊夢に魔理沙が続いた。紫は無作為にこのメンバーを選んだつもりだったがこれは失態のようだった。早苗が経験者とは。いや待てよ。何もまだ勝負すると決まったわけではない。交流目的で集めたという可能性もあるが、霊夢はすぐにその考えを打ち払った。あの紫がわざわざこうまでして人を集めているのだ。絶対に裏がある。楽しく将棋してはい帰りましょうとなるわけがない。
「この中なら絶対に一番私が強いです。ていうか素人にいきなり将棋を指させるなんて……。もう私は忙しいのですから早く終わりにして欲しいのですが。こんな茶番に付き合っている暇はありません」
 早苗はいらいらしているようだった。
「まぁまぁ早苗。紫も何か考えあってのことだし。そろそろあいつのことだからそこの壁の前にぺかっと出現するわよ。私の勘ははずれないもの」
「ふん……、だとよろしいのですけどね」
 すげなく言って、早苗はまた姿勢を正して目をつぶった。
 霊夢は正座をしてひじをついた。テーブルには御菓子と湯飲み茶碗とポットがある。くつろぐには案外最適の場所であった。
「ねぇこれドミノ倒しに使えない?」
「そうねやってみようかしら」
 小傘と天子が子供ように遊んでいた。
 実にのどかな雰囲気に霊夢は浸っていた。お茶を飲んで友と語らう。これでは何ら神社の縁側と変わらないではないか。一つ違うのは室内とこの四角い木の盤の上の駒。将棋とはどんな遊戯だろうと、霊夢は少しわくわくしながらその時を待った。


 数分してやはり予想通り紫は壁際に出現した。正確に言えばテレビ画面のようなモニター越しに紫の虚像が浮かび上がったのだ。
「はいみなさん今日は。えーさっそくですがみなさんに集まっていただいたのは他でもない、今から将棋を楽しく体験してもらうためです」
「無理やり連れてこられた時点でもう楽しくないわよ」
 霊夢は思ったことを素直に口にした。
「はい聞き分けのいい子はそんな文句を言わないの。将棋をすると言ってもみなさんは素人だから、当然将棋のしの字も知らないわね……。そこで今から二十四時間将棋を勉強する時間を与えます。そこの壁際に立てかけている本は全部将棋の本だから有効に使ってね」
「おいおい紫。何だそりゃ? それじゃ私達監禁されているみたいじゃないか? こんな場所でわけのわからない遊びなんてやってられないぜ」
「監禁とは言葉が悪いわね。これは私からの愛。幻想郷に広める前に将棋を体験させてあげるという、私からの大いなる愛。あなた達はそれを快く快諾して土下座して受け入れればいいのよ。むしろこっちがお礼を言われたいぐらいだわ」
「な……、紫お前なぁ! やっていいことと悪いことが……」
 声を荒げる魔理沙を霊夢がそっと手で制した。
「まぁまぁ。ここは幻想郷の賢者様の言うことを拝聴しましょうよ」
「そう博霊の巫女は素直でいい子ね。みんなも見習いなさいね。さてと……」
「あのちょっといいですか?」
 早苗がすっと手を挙げる。
「何ですか東風谷早苗さん?」
「あなたは無作為にこの人選をしたようですがそれは間違いです。私は外の世界で将棋を知っています。それも少しばかりではなく、知識と経験の膨大な積み重ねがあります。この場で素人の四人とわいわい遊戯に興じる気はありません。将棋の普及なら守矢神社の方に直接お申し出ください。それでは私はもう帰らせていただきます」
 と言って早苗は立ち上がろうと膝立ちした。
「待ちなさいな早苗さん。最後まで話は聞くものよ」
「聞くまでもありませんが?」
 数秒時が沈黙する。少し離れて紫の登場にも意を介さない、小傘と天子のはしゃぐ声がむなしく響いていた。
「守矢の巫女が熟練者とは……。まぁ予想外だったわね。でもこれで勝負は面白くなったのかもしれないわ。本当はもうちょっとハンデをあげようと思ったのだけど」
「ハンデってどういうことだ紫?」
 魔理沙が聞いた。
「そのままの意味よ。これから始まるのは私が選んだ幻想郷の住民が、五人づつに分かれて対局する将棋勝ち抜き戦。つまり団体戦よ。あなた達五人は一つのチームとなってこの将棋バトルを勝ち抜くのよ。もちろん勝者には豪華賞品。敗者にも厳しい罰ゲームがあるから期待しておいでね。ふ、ふ、ふふふふ……」
「な……」
「ちょっと紫。五人づつってことは、他にも哀れにもあなたに捕まった馬鹿がいるの?」
「その通りよ。おっと安心してね。対戦相手の五人も全くの将棋の素人。でも面白い人選よ。幻想郷の能力者の特性を生かした将棋。こっちには経験者がいるみたいだけど、それでも向こうが強いでしょうね」
 紫はずっとにこにこ顔だった。何を考えているかわからない。
「こっちは五人もいりませんよ。私一人で十分です。駒に触ったことのない素人なんて相手になりません」
「早苗さん、それは傲慢というものです。せっかくのチーム戦、みんなと楽しむといいわよ。じゃーまたね。何か聞きたいことがあれば呼べばすぐ来るから。えーとルールはこの紙に……、トイレはあそこのドア、シャワー室はそこ、食べ物もそこに栄養食が置いてあるしお茶も飲み放題。不便なことは何一つないわ。ただし外に出るドアは存在しないけど……。眠たくなったらそっちの部屋にお布団が敷いてあるからいつでも寝ていいわよ。女の子同士だから心配ないと思うけど、変なことしちゃ駄目よ? では御機嫌よう……」
 紫は言うだけ言ってそのまま消えた。一枚の紙がひらひらとテーブルに落ちる。
「何だあいつ? あんな説明だけじゃわからないぜ?」
「五対五ねぇ……」
「ふん、面白くないですね」
 憮然とする三人にひょこひょこと天子と小傘が駆け寄って来た。
「ねぇこれってもしかして合宿?」
「合宿合宿! 肝試しで驚き放題! ばぁ!」
「何でお前達はそんな元気なんだよ?」
「だってみんなで楽しいものねー」
「ねーっ。天子ちゃん」
「ねー」
 まるで子供のようだと霊夢は思った。たかが将棋という遊戯をするために二十四時間とはいえ監禁する。これは果たして許されることなのだろうか。この緩みきった雰囲気を覆されそうで霊夢は怖かった。
 頭を振って霊夢はテーブルの上の紙切れを拾い上げた。



 ☆幻想郷将棋バトルルール☆

・本将棋
・持ち時間一分 三十秒切れ負け 待ったなし
・トライルール採用
・霊夢チームが初めは先手。以後交互に先手が交代で移動する。
・霊夢チームは一戦ごとに対局者を変更できる。
・霊夢チームは一回だけ敗者を復活できる。
・能力の使用はあり。ただし自己の能力を高める系統のものだけに限る。対局相手に危害を加える行為はご法度、即失格。
・その他、常識を守って楽しい対局を心がけること。



「ルールはこんなものなのね。といっても、まず将棋自体のルールを私達は全然知らないのが問題だわ」
「だよなー」
 魔理沙が腕をぐんと伸ばしていた。霊夢もどうすればいいのかわからなかった。
「みなさん仕方がないですね。ここは呉越同舟の心理ですね。この現人神の東風谷早苗がみなさん将棋を教えてあげましょう」
「おいおい、早苗が偉そうになったぞ霊夢。どうにかしろよ」
「早苗はいつも偉そうよ魔理沙」
「ねーわちきも将棋したいんだけどいい?」
「…………あっ、わ、私も覚えたいな……なんて言ったりして」
 早苗の周りにぞくぞくと集まってきた。やはり知識のある者の周りには、人が集まるのが通例なのだろうか。
「みなさんよく聞いてくださいね。将棋を私が一から教えます。まずは駒の動かし方から……」
 

 早苗の指導は意外にも丁寧だった。駒の持ち方といいパチッと駒を打ち付ける姿といい、一目で長年将棋に携わっていたことがわかる。
「ふーんなるほどね。それぞれの駒に特性があって、しかも相手側の陣地まで来ると強くなる、または動きが変化するのね。大体覚えたわ」
「うーん私は全然だぜ」
「まぁ駒の動きなんか指しているうちに覚えてきます。要は慣れですよ慣れ」
 早苗が凛として言った。緑色の巫女はいつでもぴんとしている。
「ねーねー緑の巫女さん」
 小傘が聞いた。
「何ですか? それに私は東風谷早苗という立派な名があります」
「早苗さん」
「はい何ですか?」
「何で銀は横に動けないの? 歩は何で後ろに戻れないの?」
「そう決まっているからですよ」
「えー」
「えーじゃありません」
 小傘は納得がいかないようだった。
「あー、じゃあ早苗!」
「何ですか? あなたに呼び捨てされる筋合いはありませんよ」
 天子が元気よく話しかけていた。
「んーじゃあ何て呼べばいいの?」
「早苗さんでも東風谷さんでも現人神様でも好きなように呼べばいいですよ」
「ううん、でも……」
「でも?」
「私はお父様以外は呼び捨てだから。私は今までみんなをそういう風に呼んできたから……」
 早苗はそれを聞いてぽかんと口を開けた。
「あなた馬鹿ですね。それに最も私の嫌いな人種です。考えを改めるまではあなたとは金輪際口をききませんからね」
「ええっ、えーっ! 何で……」
「ちょっと早苗……」
「ふんっ」
 完全に早苗はへそを曲げたようだ。先生役がこれでは先が思いやられるものだと霊夢は思った。個人対戦であるが一応チーム戦だ。何か不可解なひずみのようなものが、この五人の中に蔓延している気がした。
「何でもいいからさっさと始めようぜ。ふぁーあ……」
「そうですね、最終的には私が勝てばいいのですから」
 魔理沙が急かすと早苗は義務のように駒を滑らした。
 天子と小傘はもう遠くで手を叩いて騒いでいる。
「どうなるのかしらこれ……」
 先の見えない不安に霊夢は突如襲われた。ただのお遊びで監禁? 紫は負けたら罰ゲームと言った。とてつもない嫌な予感がする。この将棋勝負は絶対に負けられないと、霊夢は一人心に決めた。


「対局の流れとしてはこうですね」
「んー、大体わかったぜ」
「駒を取り合って、取った駒は盤上のどこにでも使える……。これが戦略性を生んでるのね。ちょっと触っただけでも中々面白そうなゲームね」
 早苗は駒をてきぱきと動かし一連の流れを示して見せた。先手の片側だけだが、飛車先の歩をついてと金を作り、金と銀をとり相手玉を詰まして見せた。これに相手側の手も加わるから至極面倒そうだ。
「要は玉がどこも動けない状態にすればいいんだろ? 簡単簡単!」
「まぁ……そうなんですけどね。後は自分で勉強してください。幸い入門書の類は充実しているようですし……」
 壁際には本棚にみっちりと本が詰まっている。あれだけあれば退屈はしなさそうだ。
「ところで早苗、ルールの方なんだけど」
「その紙に書いてあるルールですか。別に何もありませんよ。将棋に有利な能力なんてそうそうありませんよ。対戦チームの五人も私達と同じ条件なのでしょう? 紫さんが不正をしていないという前提ですが。敗者復活なんて妙なハンデもありますが、私がいれば関係ありません。私を選んだのは目論見違いすぎます。霊夢さん、魔理沙さん、大船に乗った気持ちでいていいですよ? この勝負は始まった瞬間からもう終わっていますから」
 早苗は流暢に言った。
「そっかー。妙に自信あるな早苗。そんなに強いのか? 将棋?」
「ええ魔理沙さん。私は町道場で五段認定されましたから」
「ふーん、そうかそりゃすごいぜ! ははは……」
 魔理沙はおそらくわかってなくても感嘆したのだろう。
「このトライルールってのは?」
「トライルールですか……。普通は使わないんですけどね。初期位置の相手側の玉の地点――ちょっと記号を使いますが、5一の地点まで自玉が辿りつけば勝ちになります。まず見かけませんが。大前提として5一に相手の駒のききが何もないことが条件です」
「はぁーなるほど。覚えとくわ」
 頷いて霊夢は心の中にそれをしまい込んだ。
「さすが博霊の巫女だぜ。勉強に余念がない。期待してるぜ霊夢」
 そう言って魔理沙が背中をばんと叩いてきた。魔理沙は人当たりはいいのだがどこかずるかしこいとこがある。この状況下でもあまり焦燥感を感じないのは気楽なことだと思った。
「そんなに期待されても困るわね。何せゼロからのスタートなんだから」
 霊夢は盤を上から見下ろした。駒が向かい合う言わばこれは戦争の縮図。しかも取った駒は再利用できるという。勝つためには自軍のいくつかを犠牲にし、更に敵の駒も味方に引き入れてでも勝つ。相手の王様を討ち取る手段が何であれ、最後に勝利したものの勝ちだ。
「あまり時間がありませんから実戦中心でいきましょうか。本当はもっと手筋とか詰め将棋もやりたいのですけれど」
 静かに早苗が言った。
「そうね、全面的にお願いするわ早苗」
「私も適当にお願いするぜ」
 ふと顔をあげると壁に時計が掛けられていた。しかし何故か長針も短針もない、秒針だけの時計がチクタクと時を刻んでいた。
「ああ霊夢。紫の奴小細工ばっかりだ。何のつもりか知らないが、私達に本当の時刻を知らせないつもりだ。あいつは監禁じゃないと言ったけど立派な監禁罪だぜ」
 魔理沙が愚痴を言っていた。悪いように考えればそうかもしれない。
「時計……、そうこの将棋は三十秒切れ負けでしたね。素人同士で二十四時間でこんなルールは無理ですよ。主催者側の頭を疑いますね。絶対にぐだぐだになります」
「そっか時間制限もあるのね。持ち時間一分って書いてあるけどこれは?」
「初めはその一分がなくなったら、その後は三十秒以内に指さなければならないってことです。切れたら問答無用で負けになりますので注意してください」
「ふーん。じゃあ常に三十秒以内に手を考えなければならないのね。これは結構な労働だわ」
 霊夢は腕を組んでうんうんと唸った。
「そうです。だから早指しはスリリングで迫力のある展開が魅力なのですが……。魔理沙さんちょっとそこのそれを取ってください」
「お、これか?」
「ありがとうございます魔理沙さん」
 ちょうどティッシュ箱のような大きさで、一目にはおもちゃのようだった。早苗はそれをつかんでカチリとスイッチを入れた。
「これはチェスクロックと言います。これで一手指すごとにこの上のボタンを押していくのです。一回やってみましょうか」
 早苗がカチャカチャと鳴らして何か設定したようだ。コトリとテーブルに置きボタンを押す。
「へーこの数字がボタンを押すごとに切り替わるってわけか。なるほどなるほど」
 魔理沙はしきりに感心していた。デジタルの数字が段々と切り替わる。二十秒から十五秒、そして十秒から九秒へ差し掛かると、耳にうるさいぐらいのピッピッという音が、チェスクロックから響いてきた。
「この音で強制的に知らされます。結構うるさいんですよねこれ。0になるともっとうるさいんで注意してください」
「十秒以下でその音が鳴るのか。何か焦っちゃうぜ」
「だから慣れないといけないんですよ」
「そっかそっか」
 数字が0になる手前、1の数字で早苗はボタンを押した。今度は反対側の数字がカウントダウンしていく。霊夢はその流れをぼうっとした顔で見ていた。ボタンを押すと相手側の時が動く、相手が押せば次はこっちの番。将棋とは頭脳の勝負であると同時に、時間との勝負なのだと霊夢は悟った。
「どうした霊夢? ぼけっとして?」
 魔理沙が不思議そうに聞いてきた。
「いや、何か高ぶってきたわ」
「何でだよ」
「いやなんとなく」
 異変を解決する巫女といっても、異変は本当の危機ではない。擬似的な戦争の縮図といっても過言ではない将棋の構図。博麗霊夢の求めていたものはここにあるのかもしれなかった。
「何でもいいですけど将棋はマナーが大事です。形を正せば全てが見えてきます。これからピシピシ鍛えますので覚悟してください」
「うわー、適当でいいから早苗。私は楽しくやりたいんだぜ。紫だって交流とか普及とかみたいに言っていたし」
「魔理沙さん。将棋は勝負ですよ。人と人との真剣勝負です。一手の妥協も許されません。勝者には栄誉が、敗者には屈辱が――だとすればどうして真剣にならない理由がありましょうか?」
「おい霊夢何とか言ってくれよ。助けてくれ」
 そうだ、紫は罰ゲームとか勝者チームには賞品とか言っていた。博麗の巫女としてはここは負けられない。この勝負が幻想郷の支配権に関わってくるかもしれないのだ。
「魔理沙、私はやるわよ」
「そうか、私は適当にやるからよろしくな」
 腕を上げて天を仰ぐ魔理沙。残り時間で将棋の何たるかをできる限り吸収しようと、霊夢はしかと心に決めるのだった。


 本当の初対局ということで、時間制限なしで勝負してみることにした。
「それではお願いします」
「あ……お願いします」
 早苗のおじぎに釣られて霊夢も返した。
「礼儀作法を大事にしましょう。対局してくれる相手に敬意を払いましょう。それでは霊夢さんが先手でどうぞ」
「うーん……」
 霊夢は迷った。右も左もわからないまま将棋盤の上に放り込まれた。新米の一兵卒ではいたしかたない。
「何してんだ霊夢。早く指せよ」
「んー、うーん、うんうん……」
「霊夢さん考えすぎですよ。そんなんじゃ早指しできません。後対局中は会話をしないのが普通です。今はいいですけど勝負の時は私語厳禁にしてくださいね」
「何か将棋って堅苦しいなー。眠くなってしまうぜ。ふあぁ……」
 魔理沙は今日何度目かのあくびをした。何かを指さなければ。時間はもう一分以上過ぎている。実際はほとんど三十秒以内に指さなければならない。これは思ったよりもずっと難儀だ。怖い、将棋が怖いのだ。あろうことか初手が難関だった。これほどまでに迷うとは……。
「大変だ。霊夢が固まったぞ早苗」
「別に時間切れにならなければ、初手に何分かけようと構いません。最もこれは練習将棋ですので、初手ぐらいすぐに指して欲しいのですが」
「ちょ、ちょっと待って」
 霊夢は非常に焦っていた。慌てて思考を巡らせる。自軍の駒は現在二十枚ある。その中で行動可能となるとさらに運用は狭まる。角は斜めにしか動けないから駄目。桂馬は奇妙な動きで、ニマス進んでその左右の二箇所のマスだけ移動できる。背後から奇襲する忍者のような駒だ。今現在は自軍の駒が移動可能場所あって行動不能。
 となると動けるのは十七枚になる。一体どれを動かせばいいのだろうか。いつまでも迷ってはいられないので、霊夢は意を決して一つの駒を、不慣れな手つきで持ち上げ動かした。
「おっ、やっと指したか」
「▲5八玉ですか。まぁナンセンスですね」
 早苗は仏頂面でそう言って、飛車先の歩を音もなく突いた。
「な……。私必死に考えたのよ?」
「考えても無駄ですよ。初手は飛車先か角道を開けるのが定跡です。飛車と角は非常に働きの強い駒です。能力の高いものを優先して登用するのが世の中の道理ですよ。将棋においてもそれは変わりません。ま、▲5六歩や銀あげたりもありますけど基本はこの二つです」
「だってよ霊夢。あはは」
 何がおかしいのか魔理沙は笑いをこらえていた。
「いや私の考えも聞いてよ。作戦の最初には一番トップが動いた方がいいと思って。ねっあれだわ。やあやあ我こそは何々であるって――全員の士気を高める意味もこめてね。これからやるぞって……」
「何言ってるですか霊夢さん。将棋は完全情報型のゲームです。士気とか気概とか調子とか運の介入する要素はゼロです。負けたのは自分の読みや戦術が相手より劣っていた。その一点だけが真実です。勝ち負けと同時に二人の間に決定的な優劣がつけられるんですよね。まぁ一戦だけでは計れませんが、トータルでは差がつくことが多いです。完全情報型故に負けた時はとっても悔しいんですよ将棋って。まるで自分自身を否定された気にもなりますからね」
「ふ、ふーん……。何か将棋って怖いなぁ。早苗の話聞いてたら私はご遠慮願いたくなったぜ」
「ちょっと魔理沙。今から将棋するのに何言ってるのよ」
「だってなぁ」
 魔理沙はもう既にうんざりしているように見えた。実際霊夢も早苗の気迫に圧倒されていた。並々ならぬ将棋にかけるオーラが早苗から感じられたのだ。
「今言ったのは将棋を本気で追及している人達の場合ですが――初心者の内は楽しむことが目的の場合で良好であっても、ちょっと指せるようになってきて、勝敗に拘り出すと途端にむきになる人もいます。そういう人は勝負ごと全般は向かないんだと思いますね。ギャンブルの要素がないからお金をかけないだけましかと思います」
「まー勝ち負けあるのは全部そうだよな。霊夢も私とじゃんけんするとむきになったりするからな」
 横目で魔理沙がにやりと笑って言った。
「何よ私は食べ物がからむと真剣なのよ」
「それがむきになるって言うんだぜ?」
「む……。もうその話はいいから今は将棋の話をしましょうよ。まずこのゲーム、団体戦に勝つにはどうすればいいか」
 霊夢はもう一度紙に書かれたルールを見た。大きな文字で能力の使用はありと書いてある。この幻想郷将棋においてこれは何を意味しているのであろうか。
「能力ありについてはどう思う早苗?」
「一つ、先ほども言いましたが。将棋には運の要素はありません。完全に実力主義の世界です。だから能力もその人の実力の内だと思います。運命とか――幸運とか――私も奇跡の巫女なんて呼ばれることもありますが、それは全て実力から示される結果だと私は思います。海を割った人を見て、人々が奇跡だと言った逸話なんてありましたけど、私は彼には常識的なことだったんだと思います。人は理解不能の範疇の事象は、そうやって手の届かない位置づけにしようとします。けれど、それはある意味傲慢じゃありません? 運命に選ばれたように運のいい人も、その人が持つ天性の才能とか本質的な力のおかげ。理解できないってだけでポンと判を押したように右ならえする。私はそういうの嫌いなんですよ。実は理解できないんじゃなくて理解しようとしない、そうするとその人はそこで成長が止まってしまうんですよ。そんな人はいつでもどこでも、奇術じみたまやかしから滲み出た滑稽な偶像を一生追い続けるのです」
 早苗は長い口上をほとんど息をつかずに言い切った。
「語るなぁお前。よくわかんなかったぜ。ふあぁ……」
「ありがとう早苗。要はどんな能力でも冷静に分析しろってことかしら? 幻想郷で将棋に有用な能力なんてどんなのがあるのかしらね? 紫はこの勝負で賞品も罰もあると言ったわ。相手チームのメンバーはわからないけれど、絶対にまともに勝負する気なんてないと思う。早苗の言った通り二十四時間でまともに指せるはずがない。紫もたぶんそれを狙って……。とにかく私達は最善を尽くしましょう」
「最善と言ってもな霊夢」
 魔理沙は一つ大あくびをして、
「こっちには早苗もいるんだし、絶対安心だぜ。そして我が幻想郷の博麗の巫女様もいるんだ。ハンデなんかなくってもちょうどいいくらいだ」
 と言った。
「そうかもしれないわね。ハンデは一戦毎に対戦者を変更できるのと、一人だけ敗者復活できる。これは大きなアドバンテージね。あっちは五人こっちは六人で戦ってるのと同じことだわ」
「そうだぜ。こっちは断然有利な状況。仮に負けてもそんなきつい罰ゲームじゃないだろ? 私達は適当に楽しもうぜ。な、霊夢?」
「ん……、まぁね」
 緩んだ友人の態度に霊夢も感化された。そんなに深く悩むことはないのかもしれない。
「勝負に適当なんかありませんよ。やるからには勝たなければなりません」
 早苗の一言が妙に重かった。


「五……、四……、三……、おっとまた危ないぜ」
「時間三十秒は相当きついわね。てんてこまいだわ」
 早苗の提案で、初心者の二人はチェスクロックを使って対局していた。もちろん三十秒切れ負けである。ちなみに先ほどの早苗との勝負はあっという間に霊夢側の玉が詰められて終わった。まるで歯がたたないとはこのことだ。
 各駒の有用な使い方もわからない。どんなに破壊力のある武器でも使い方を知らなければ、戦闘では意味がない。
「あっ魔理沙さん。チェスクロックのボタンは指した手と同じ手で押してください。右利きならば右手で押します。ちゃんと正確な時間ではなくなってしまうので、これは常識です」
「そうか、わかったぜ早苗……。あれ? 霊夢は確か左ききだったよな?」
「ええそうよ」
 霊夢は答えた。
「ならこっち側に置きゃいいじゃないか。両方利き手が同じだと一方が面倒くさいなこれ」
 そう言って魔理沙は反対側にチェスクロックを置き直した。
「つべこべ言わずに対局に集中してくださいよ」
「わかった。わかったから早苗」
 局面は混沌としていた。適当に歩の駒を進め銀を進め桂馬をはね角と飛車がとびかう。この手がいいのか悪いのかさえわからない五里夢中の状態だった。
 持ち駒はふんだんに増えているもののどこに置けばよいものやら。持ち駒の存在が手の選択肢を無限に広げている。
 ピッピッと急き立てるブザー音。この音は異様に神経を苛むのだ。心拍数が早くなり目がくらみそうになる。
「霊夢さん切れますよ。早く――」
「うわうるさい! 一回止めるぞこれ」
 ビビーと仰々しいほどの怪音が鳴り響いた。
「反則負けです。時間切れで霊夢さんの負け。どんなに優勢になっていても時間が切れれば終わりですので注意してください」
「……はっ。終わったの? 私の負け? 恐ろしいわね将棋って……」
「やった私の勝ちだぜ」
 魔理沙はけらけらと笑った。
「まぁ予想してたことですがぐだぐだですね。仕方ありませんが」
「そう言うなって早苗。私はもう将棋を理解したぜ。この一歩つづしか進めない歩を地道に進めて、後ろから後押しして敵陣に切り込むんだ。そうだろ?」
「平たく言えばそうなんですがね」
「これは難しいわね……。私いきなり自信なくしちゃった」
 霊夢は顎をテーブルにぐたっと置いた。
「おいおい、そんなんじゃ先が思いやられるぜ。それより……、なっ早苗? 簡単に勝てる方法あるんだろ? 抜け道というか裏道というか……。そういうの教えろよ」
「ありませんよそんなの。ただ――基本的な、まぁ初心者では有用な戦法がありますよ」
「やっぱりな! さぁ教えてくれよ」
「そう焦らないでくださいよ。じゃあ対局しましょうか。私が先手になります」
 てきぱきと初期位置に駒が並べられる。早苗と魔理沙の対局が始まった。
「お願いします」
「おう!」
「うるさいですよ」
「おっと悪いな」
 霊夢はその戦法を見極めようと早苗の方に注目していた。初手は飛車先の歩をついた。早苗の使った記号によると▲2六歩ということになるのだろう。
「飛車先の歩が二つ進んで……あ、後ろから銀が出てきたわね」
「んー、んー」
 攻撃が集中している2筋を魔理沙は金を上げて対処していた。角の正面が弱点だ。とすればここを攻めるのが序盤の定跡なのだろうか。
「こうしたら?」
「おっ」
「それはこうですね」
「あ……」
「はいと金ができました」
「く……」
 早苗は銀と歩を巧み使い魔理沙陣を突破していた。まるで手品のような手順だった。
「これはすごいぜ早苗」
「これは棒銀と言います。狙いは単純ですが破壊力抜群です。ただ単純さ故にきっちり受けられると苦しいですが……。まぁ初心者ではまず受けられませんね。1筋と3筋の歩を突いて突破を狙うといいです。銀は攻めの駒です。後ろ斜め二箇所に動けるので、攻めてよし下がってよしの臨機応変に動ける万能な駒です。横に動けないのが弱点ですが。将棋の上手な人はとにかく銀の使い方が上手なんですよね。鍛錬あるのみです」
 確かに銀はフットワークが軽い。ボクシングで言うならヒットアンドアウェイだろうか。
「よし、私はこの棒銀を徹底的に研究するぜ。霊夢、さっそく相手をしてくれ」
「はいはい。何か急にやる気になったわね。どんな風の吹き回しかしら?」
 霊夢は駒を並べ直し始めた。一点突破の棒銀戦法。後ろに構えるのは将棋で最も強力な駒の飛車。普通に考えれば理にかなっているが。
「魔理沙さんには棒銀は合っているかもしれませんね」
「そうか、私もそう思ったぜ。さぁ霊夢。私が先手だいくぞほらっ!」
 勢いよく魔理沙は初手を指してチェスクロックを叩いた。
「何よ時間制限ありなの。最初ぐらい……」
「善は急げだ。この方が実戦の練習になるだろ」
「うーん」
 そんなこんなで対局は開始された。魔理沙は当然のように2筋の歩を突いている。
「霊夢さん、角道開けてみてください」
「ん……ああはい」
 早苗が声をかけてきたので言うとおりにした。
「助言かよ早苗。ひどいぜ」 
「いえまぁ。霊夢さんにも何か教えないと不公平なんで」
 ▲2六歩、△3四歩、▲2五歩と進んだ。魔理沙軍がいきなり攻めてきている。
「そこで角を一つあげてみてください。それで飛先は一時は安泰です。すぐに銀の援軍もやってきますが」
「ふぅんなるほどね。飛車は縦横に強力だから、こうやって受けるのね。相手の戦力に対して、こっちも同等の戦力で受ける。これなら陣を突破されないわけね。なんだ、意外と簡単な図式なのね。力には力。ここに博麗結界を陣取れば魔理沙軍は右往左往するしかないものね。ふふふ、さぁ魔理沙をやっつけるわよー」
 霊夢は急に意気揚々としてきた。魔理沙ばかりには好きにさせてはいられない。
「銀をあげてと……」
「すぐに二の矢が来ますね。霊夢さん。しゃべっていますけどもう持ち時間一分なくなりましたので、これより三十秒になります。ほら急いでください」
「さ、早苗焦らせないで。ええと、銀が出てくるから新たに戦力を足さないと。えーと。えーと……」
「進軍だぜ霊夢」
「ちょ、ちょっと待ってよ魔理沙」
「待ったなしですよ霊夢さん」
 頭の中がぐるぐると回る。三十秒で次の手を考えるのは骨だ。戦力を加算するのだから近くの金か銀でも上げればいい。そうすればおそらく突破されないであろう。
「金上がり――、そうですか。ふーん」
「何か近くで見られてあれこれ言われると嫌な気分ね」
「銀がここまで来たら……お次は歩かな?」
 魔理沙は3筋の歩を上げてきた。霊夢は銀を上げて戦力を増やした気になった。ついでに玉も上げて万全の体制を整える。
「集めて来ましたね、しかし……」
「ん? これこうすりゃいいじゃない? ここ突いて……」
 角の頭に歩をぶつけれた。もらえるものはもらう。霊夢は何の迷いもなく歩を払った。
「それなら銀で取り返すぜ」
「う……」
 何か嫌な雰囲気だ。銀がもう目前まで迫って来ている。この侵攻を食い止める手段はあるのだろうか。ああ時間がない。後五秒、四秒――。
「また切れ負けか? ほら▲2四歩だ」
 霊夢は慌てて端歩をついていた。有効な手が思いつかなかったからだ。この歩もとるしかない。次にと金を作られたら大惨事だ。
「取ったな霊夢。ほら▲2四銀だ!」
「そういう場合は同銀って言うんですよ魔理沙さん」
「そっか。同銀! 霊夢陣の突破はもうすぐだぜ」
 困った。このままでは結界が崩壊してしまう。霊夢は目をつぶる勢いででたらめに歩を突いた。
「ついに諦めたか霊夢。賢明だぜ」
 魔理沙の銀が成りこむ金で取り返す。そしてついに飛車の侵入を許してしまう。飛車は敵陣に入り込めば竜という強力なユニットなる。八方向に隙のない最強の駒だ。
「金銀交換で竜が入りましたね。私ならここで投了ですね。勝ち目がありません」
「何よ。仲間はまだこんなに残っているわ。まだいけるわよ!」
 霊夢は声をあげた。
「いえ……。もう大差ですよ。将棋は一度均衡が崩れたら一気に決まります。片方だけに竜ができたらそれはもう終わりです。現在の状況――竜を食い止める方法はありません。霊夢さんが無駄に上げた銀とか玉のせいで飛車の横ききも止まっていますね。このように自軍の駒も邪魔になることが……って進んでますね。桂馬、香車とられてと金作り。さすが魔理沙さん妙にわかっていますね。ボロボロです。これはもう大差です。絶対に覆りません」
 早苗の言うとおりだった。霊夢軍は大崩壊だった。ついには司令官である王様も危険になってしまう。
「く、くそーっ」
「下品だぜ霊夢。一応女の子で巫女だろ? えーと、銀は後ろに二つききがある。金は横にもきいているから……、これで詰みだな。霊夢の玉はどこにもいけないぜ」
「……負けたけど何か負けたって言いたくないわね。だって私の心はまだ負けてないもの」
「マナー最悪ですね霊夢さん。初心者が陥りがちな思考です。対局相手に敬意を払って快くお礼を言いましょう。感想戦する場合もあるんですからね。あ、感想戦って言うのはどこがよかったとか悪かったとかお互いに振り返る場です。強くなりたかったら感想戦。これ鉄則です」
 早苗は少し怒った調子で言った。
「わ、わかったわよ。……負けました」
「おお楽しかったぜ霊夢。結構楽しいな将棋って!」
 心の底から魔理沙は嬉しそうだった。非常にくやしい。
「魔理沙さんは筋がいいですね。ある程度まで上達するのは早いと思いますよ。霊夢さんはあれですね。変な固定観念を捨てないといけませんね」
「別に私は凝り固まってないわよ」
「みんなそう言うんですよ。いいですか? 霊夢さん今の対局での敗因は何だと思いますか?」
 早苗に聞かれて、霊夢は今の対局を反芻してみた。魔理沙の銀が突っ込んできて角の頭を狙われて歩を取って後は見ての通りだ。守ってばっかりで楽しくもなんともない。
「やっぱ竜がね。それからぼこぼこだったわ」
「そうですね。大駒は飛車角の二つありますが。飛車は竜に、角は馬になりますね。竜は攻めの駒、逆に馬は守りにつけると強力です。初めのうちは竜を成りこむことが大事です。とにかく横のラインが玉を詰ますのに役立ちますから」
「ふむふむ」
 霊夢はかしこまって頷いた。
「それで棒銀の受け方ですが――飛車を振るのがわかりやすいかもしれませんね。攻めてくる所に飛車を振る。これは明快な戦力増強です。相手が2ならこっちも1+1にすればいい。さらに銀をうまく繰り出していけば万全です。そこの本にも書いてあると思います」
 と言って早苗は壁際の本棚を指差した。すっかり忘れていたが天子達の姿が目に入った。遊び疲れたのか畳の上でぐったりしている。
「それから一つ言っておきますが投了のタイミングが遅すぎますね。竜ができてからは続ける意味がありません。投了の仕方を見てもその人の棋力が垣間見えます。強い人は自玉の詰み筋が見えるのも早い。敗勢を察知して負けを認める。まぁ時には泥臭くいくことも必要ですが……」
「仲間がまだ戦ってるのに私は白旗をあげないわよ」
「……捕まって捕虜になる運命でもですか?」
「当然、私は一人になっても戦うわよ。巫女だもの」
「これはボードゲームですよ霊夢さん。それに、現実でも引き際を知らない指導者ほど醜いものはありません。その一本の指で、悲しい悲劇を回避できる可能性を捨ててしまうのですから」
 頭に血が上っていた。霊夢はむきになって何でも反論したかった。
「早苗、霊夢は変なとこで頑固なんだ。霊夢は博麗の巫女なんだ」
 二人のやりとりを聞いていた魔理沙が言った。
「そうですか、今回ばかりは割り切ってもらわないといけませんね。変な思想は綺麗さっぱり洗い流してしまうのが得策です」
「でも……」
 霊夢は思わず涙目になっていた。それを魔理沙は目ざとく見つけた。
「おいどうした霊夢? もしかして泣いているのか? あはは! 将棋に負けたからってそりゃないぜ!」
「全然泣いてなんかいないわよ!」
「ははは、怒るな怒るな。わかったから」
 頭に血が上り顔が真っ赤になった。霊夢は博麗の巫女でありながらやはり少女であった。友人の軽いからかいにもさっと受け流すことができないでいた。
「ふぅ……」
 そんな二人の様子を見た早苗が呆れたようにため息をついた。


「ねーねー」
 口げんかをしていると小傘が声をかけてきた。後ろにはその影に隠れるようにして天子の姿も見える。対局に夢中になっている内に、二人の存在をすっかり失念していた。
「な、何よ。今取り込み中なのよ」
 霊夢は声を裏返らせて言った。
「あのー、わちき達も将棋してみたいなーなんて……。見てて楽しそうかなーって……。なんとなく……うん」
「そうそう! これは団体戦なんでしょ? この比那名居天子の力があれば楽勝よ。あのね、私すごいのよ? 昔の難しいご本もいっぱい読んでもらったし、それにねそれにね……」
 小傘の後に天子が続いた。
「おお、お前達も将棋やるか。団体戦だし戦力は多い方がいいもんな。どうせ暇だし一緒にやろうぜ。なぁ霊夢?」
「私は別にいいけど……」
「そうか。じゃあこっち来て……」
 魔理沙がそう言って手招きしたのを、早苗がすっと制した。
「天子さん? 私まだあなたを許してませんよ? 将棋を教えてもらうんならちゃんと礼儀を正してくださいな」
「おいおい、早苗。どうせ遊びなんだしそんなのいらないって」
「私は天子さんに聞いているんですよ」
 一本芯の通った声だった。どうやら早苗は天子が腹の底から気にくわないらしい。最も霊夢自身も、神社をのっぴきならない勝手な事情で破壊された事実もあり、天子を好意的に解釈することはできなかった。
「えーえー? 私? 何で? 礼儀? 私は比那名居の娘よ? 私が将棋やりたいって言ってるの。いいから私に教えればいいのよ」
「天子ちゃ……」
 小傘が取り繕おうとしたが、時は既に遅かった。
「はん!」
 早苗が大きく声をあげた。どうしようもなく気まずい空気が流れる。
「あなたみたいな人に教える将棋はありません。どうせ一人ぐらい不戦勝でも構いません。お子様はそっちの布団でずっと寝ててください」
「えっ、えーっ? 何よ? ぶーっ」
「ちょっと早苗……」
 霊夢は思うところあって早苗を嗜めようとした。
「いけませんわ霊夢さん。教えを乞う立場というものをこの方はてんでわかっていません! いても邪魔なだけです。しっしっしっ!」
「むぅ……。だってぇ……、あのね聞いてよ? 私に色んなお勉強教えてくれる先生はね、みんな私に優しいの。天子様、総領娘様って……。だから将棋もそういう風に教えて欲しいなーなんて……。それだけなのに……、私……」
 下を向いて天子は言った。最後の方の声はうわずっていた。
「あなたの環境なんて知りませんよ。さぁ小傘さんそこに座ってください。私が手取り足取り首取り将棋を教えてあげますから」
「えっ、わちき、あの」
「座ってください」
 早苗が凄みをきかせたので、小傘は萎縮して座布団の上に座った。
「なっなによーっ! ひどぉーいっ! 私別に何もしてないじゃない? それなのにそれなのに……。ふんっ! いいもんいいもん! もう一度地面に要石差し込んでやるんだから……。今度は手加減なんてしないんだから……。うーっ、うう……。ぐす、ぐす……」
 後ろを振り向いてぐずりながら天子が立ち去った。
「あーあ何やってんだよ早苗。知らないぜ私は」
「ふん、あの人一度きつく言われた方がいいのです」
「でもねぇ……」
 それでも霊夢は少しやりすぎだと思い声をあげた。
「聞きましたよ? 霊夢さんもあの方に神社を壊されたんでしょう? あの方は常識がないのです。そんな輩に情けをかける必要なんてありません」
「ん……」
 霊夢は中々煮え切らなかった。確かに過去の遺恨はあったがそれはあくまでも過去だ。天子は十分に罰を受けているのだから。
「霊夢、お前が気に病むことはないぜ。早苗もアレだし天子もアレだからな。どうこうしようとしても疲れるだけだぜ」
 声をひそめて魔理沙がささやく。
「そうかもね、でもこれが団体競技だったら終わってるわね」
「まぁーな。やっぱりまとめ役がいないとな。ふぁーあ……」
 どうにも修復し難い空気だった。小傘は早苗の前に背筋を伸ばして緊張して正座していた。
 遠くで一人体育座りをしているのは天子。その姿はとても小さく見えた。


 早苗と小傘、霊夢と魔理沙が盤の前で向かい合っている。小傘の声が大きいので嫌でも耳に入ってくる。
「わちき駒の動き全部知ってるよ? だって友達だったもの」
「はぁそうですか。意味はわかりませんが結構なことです。それではあなたからどうぞ」
 小傘は可愛らしく細い顎にちょんと指を当ててから、おもむろに初手を繰り出した。
「えいやぁっ!」
「な……」
 早苗が絶句していた。驚いたというより呆然としているようだった。
「やった! 驚いた! わちき相手が驚けば強くなれるような気がするの」
「馬鹿ですかあなたは。初手▲5五角は反則ですよ。負けです負け。角は桂馬のように駒を飛び越せませんから」
「えー」
「えーじゃありませんよ」
 小傘は心底不満そうに首を傾げた。
「でも……、驚いたでしょ? でしょ?」
「驚いても駄目ですよ」
「ふーん、わちき覚えた!」
「はいはい、反則はこれだけにしてくださいね」
 そんなやりとりを頭の片隅で聞きながら、霊夢は現在の局面に没頭していた。棒銀に対する策――それはいかなるものだろうか。霊夢は個人的に飛車を振るのは負けだと思った。効率的にとか将棋の論理的にというわけではなく、ただなんとなくこれは負けだという信念――正々堂々ではなく自分をねじまげて、何重にも曲解している。
 霊夢はやはり将棋でもゆずりたくはなかった。真正面から金銀を盛り上げて道を開く。そういう大模様を張る、そして司令官であり大将である玉の危険をかえりみない極めて自由奔放な棋風。霊夢の目指しているものはそれだった。
「ちぇっ、今度は私の負けか。せっかくいい感じだったのにな」
「ふふふ、私も負けっぱなしじゃないわよ。もう覚えたわ。将棋のなんたるかを」
 切り合いの中で持ち駒を増強しつつ一気に相手玉を詰める。やるかやられるか、このスリル感が将棋の醍醐味だ。
「何言っているですか霊夢さん。ものすごいぐだぐだでしたよ」
「ふふふ、それが博麗流よ。ぐだぐだにして最後には勝つのは私よ」
 早苗が横目で見ながら言った。
「お前性格変わってるぞ。将棋って怖いな」
「私は変わってないわよ正常よ」
「そうか、そうかよ」 
 ほっと一息つき早苗の方を見る。局面は圧倒的早苗の優勢だった。
「ぬわー、恐ろしい、わちきが何をしても驚かぬ……。終わりじゃ……世界は終わりじゃ……」
 小傘が一人絶望していた。細い首に手を回して今にも泡を吹き出しそうな顔だった。
「もうあなたの手はわかりました。驚くっていうよりあきれますよ。それに将棋の手は奇をてらえばいいってものじゃありません。必ず本筋の手があります。奇をてらってひねるのは不利になってからです。普通の手を指して普通に勝つ、それが王者の将棋です」
「なるほどなー、なんかわかるぜ早苗」
 腕を組んで魔理沙が納得していた。
「終わりました。これで詰みです。まぁ初めてにしては上出来でしょう。今後とも精進してください」
「うおおーーい。おおーい。世間は世知辛いのう。わちきの居場所はここにもないものか……。はてさてわちきは誰じゃ?」
「霊夢に続いて小傘もおかしくなりかけてるぞ。やっぱ怖いな」
 そんな魔理沙を無視して、早苗が立ち上がって口を開いた。
「さて……、少し知識を仕入れる時間にしましょうか。明日もありますし、各自本でも読んで囲いや詰め方など勉強してください。それでは」
 そう言って早苗はすたすたと壁に向かい、奥のドアの裏側へ消えていった。あそこはたぶんシャワー室のはずだった。


 残された三人は各々将棋の本を読んでいた。小傘はどれだけ字を読めるか知らないがけらけらと笑っていた。面白い漫画でもあったのだろうか。
「ふんふん……。美濃囲い、船囲い、穴熊、矢倉……。玉の囲い方もこんなにあるのね」
「そうだな霊夢。私は棒銀だから船囲いになるのかなぁ」
 本の中の一ページを開いた。玉は7八まで持っていき、金を5八に一つだけあげる。手数もあまりかからないが、振り飛車の基本的な囲いの美濃と比べると、少し薄いように見えた。居飛車の場合は8八に角がいるので玉の移動を妨げているきらいがある。馬になって自陣に引き付けられれば大きなメリットだがやはり不便な点も多い。
 その点振り飛車にするならば角は邪魔にならない。玉の移動はスムーズ、すんなり囲えて穴熊にも非常に組みやすいのだ。
 しかし振り飛車は飛車の移動に一手を使ってしまっている。言わば受け重視の戦法だ。やはり振るのは男がすたる。いや、女がすたる。
 霊夢は考えた。この将棋にひそむ闇を考えた。
「できたわ魔理沙。見てよこの囲いを。これが博麗流結界囲いよ。これが組めれば絶対に負けないわ」
「お、おお……何だか知らんがすごそうだぜ……。でも博麗流って? 結界囲いとかいまいちぱっとしないなぁ」
「色んな本読んだけど、〇〇流とかあってかっこよさそうじゃない。だから私も独自の流派を考えたのよ」
「そうか、お前独創的だな。尊敬するぜ。私は先人達の知恵を借りるぜ。その方が楽だもんな」
「ふふふ魔理沙。そんなんで幻想郷の猛者達に太刀打ちできるのかしら? 勝負はもう始まっているのよ?」
 霊夢は口の端を曲げて笑った。
「何の勝負だよ。なんか疲れたなー。何時かわからんけどもう私は寝るからな。じゃーな霊夢。また明日……」
「おやすみ魔理沙」
 しんと静まり返る室内。隣では小傘が本を顔の上に乗せてごろんと寝ていた。
「さっまだまだ煮詰めないとね。博麗流は無敵よ」
 気合を入れて盤に駒を並べる。巫女はいつでも最善を尽くしたかった。




 霊夢はふと膀胱が満タンになる感覚で目を覚ました。いそいそと布団から抜け出しトイレへと向かう。
「うー漏れる漏れる」
 速やかに用を足し手を拭く。
「ふー」
 と嘆息する。
「んん?」
 霊夢は部屋の中ですすり泣く女の声を聞いた。低くうらめしいような不気味な声。
「まさか幽霊でもいるのかしら?」
 そうではなかった。部屋の一箇所に明かりがまだ灯っている。
 座りこんでいるのは天子だ。
「ふんっ、ふんっ……。どうせ……私なんて……」
 鼻をすすりながら天子が一人で棋譜並べをしていた。青白い顔が暗闇にぼうっと浮んでとても怖かった。
 霊夢はいたたまれなくなって、そっと抜き足差し足で寝所へと戻った。
「はぁー、前途多難ね。それにしても負けられないわ。勝つにはどんな手を使ってでも」
 布団の中でそう気合を入れた。
「ア、アリス、パチュリー、やめてくれ……。私は無実だぜ……。うわ、針はよせ針は……」
「神奈子様……諏訪子様……。むにゃむにゃ……」
「うぎゃー、皆のもの! 表をあげい! わちきが裁いてしんぜよう! そぉれ! 後ろがいいのかえ? ん?」
 他のメンバーの奇怪な寝言を聞きながら、いつしかまどろみ霊夢は深い眠りへと落ちていった。
 



「早苗。この囲いを見て欲しいんだけど」
 朝目覚めて寝ぼけ眼の早苗を捕まえて、開口一番にそう言った。
「なんですか霊夢さん。朝っぱらからせわしいですね」
 そう言いながらも早苗は座布団にすぐに座った。将棋のことを聞かれるのは嬉しいらしい。
「どうこれ? すごいでしょ?」
 霊夢は早苗が感嘆するものと予想していた。何故なら練りに練って一晩考えて、さらに改良を加えた最強の博麗流の圧倒的な布陣だったからだ。
「なんですかこれ?」
「え?」
 霊夢は面くらってきょとんとした。
「何って……。私が考えた将棋理論に基づく理想の陣形よ。どこからも隙がない全対応型の陣形。組んでしまえば絶対に勝つわ」
「はぁ……。霊夢さんこの囲いは弱いですよ? 見てください一段目に飛車を打たれたらすぐ詰めろがかかります。角も打ち放題。よしんば組めたとしても一体何手かかるんですか? その間ずっと相手が指くわえて見守っているとでもお思いですか?」
「そ、それは……」
 盲点だった。いくら強い囲いとはいえど手数がかかってはしょうがない。そして頼みの綱の強さも今さっき否定されてしまった。確かにこの囲いは飛車に弱い。
「霊夢さん。初心者なんですから基本に忠実に。その方がずっと身になりますよ。先人達の知識の積み重ねは大きいのですから」
「でもねぇ早苗。私は自分を貫きたいのよ。妥協したら博麗の巫女じゃない気がするのよ」
「よくわかりませんがこの囲いは絶対最弱です。勝ちにつながりません、断言できます」
 そこまできっぱり言われると反論できなかった。
「そ、そう……。善処するわ」
「善処じゃなく諦めた方がいいです」
 早苗はばっさり切り落とした。


 ぞくぞくと他のメンバーも起きてきていた。
「おーす霊夢。お早う」
「お早う魔理沙」
 遠くではどこにいたのか泣き腫らした顔の天子が座っていた。もしかしてずっと起きていたのだろうか。
「わちきお早う!」
「ええお早う」
 小傘は一瞬変な顔をした。そして口を開いた。
「あれ? 驚かないの?」
「何でよ」
「妖怪がいきなり挨拶したから」
「意味不明よ。妖怪だって挨拶するわよ」
「そっかー」
 いまいちつかめない性格の小傘をおいて、霊夢は盤の前に座った。一夜おいて妙に気持ちが高ぶる。朝の鮮烈な空気に身が締まる。
「さて時間は後数時間でしょうか。徹底的に実戦形式でやりましょう。四人で人を換えて交代交代で対局です。とにかく切らさずに指すということを念頭においてください」
「おうわかったぜ」
「わかったー」
「わかったわ」
 早苗の一言で方針は決まった。やはり実戦での博麗流を煮詰めなければならない。諦めるのはそれからでいい。 
 人をとっかえひっかえして何回も対局してみた。早苗の言った通り博麗囲いが完成する前に攻められてしまう。魔理沙も小傘もがんがん銀を上げて突っ込んでくる。これでは思うようにいかない。
 霊夢はしだいにいらいらして早苗に思いをぶちまけてみた。
「だから言ったでしょう? 特にみんな経験の薄い初心者ですから、そりゃ攻めっ気は強くなりますよ。根本的に霊夢さんの囲いは間違っていますね」
「うう……」
 それでも霊夢は諦めきれなかった。何か方法があると信じていた。
「これで詰みですね霊夢さん。まだまだですが時間には慣れてきたようですね」
「そ、そう?」
「そうですね。三十秒ですからよさげな手をポンポン指していく必要があります。少ない時間の中で最善手を嗅ぎ分ける能力。それは膨大な経験と一瞬のひらめきから生まれますね」
「ふむふむ……」
 霊夢は最もだなと思った。しかし早苗以外は経験は皆無なのだ。重要になるのはひらめきと能力とその他もろもろ。
 対局は回り続ける。早苗には当然のごとく一度も勝てなかったが、魔理沙と小傘には何回か勝った。
 小傘は飛車を真ん中に振ってきて中央突破を狙ってくる。これが中々受けにくい。わかっているのに止められない。
「結構強いわねそれ」
「ん?」
 霊夢はそれとなく聞いてみた。
「中飛車だってのってた。それっ、これ五手詰めでしょ? うわーい、わちきの勝ちね」
「えっ」
 銀で上を押さえられて桂馬と金でとどめ。霊夢玉は詰められていた。詰め将棋の本も読んだが霊夢には難しかった。三手詰めだけはなんとか理解したがそれ以上が難しい。
「く、くそ……。やるわね三十秒で五手詰めなんて……」
 霊夢はこののほほんとした傘の妖怪に先を越されるとは、思ってもみなかった。まずい、このままではおいていかれてしまう――。
「詰め将棋は必要ですね。形で覚えるというのも大事です。特に基本的な囲いの崩しと合わせて覚えると有効です」
 隣で早苗が言った。 
「強いなーお前。投了投了! あれだ、実力差ありすぎてつまらん!」
「駒落ちでやってもいいですが、今は対局が迫っていますからね。平手が一番です」
 魔理沙の棒銀戦法も早苗には全く通用しないようだった。三十秒でも落ち着いているし、相当の実力者であることは間違いない。だが早苗だけが無双して終わってはメンツが立たない。霊夢は博麗の巫女として勝ちたかった。


 起きてから何時間かが過ぎた。相変わらず秒針しかない時計がうらめしい。
「もう疲れたぜ。そろそろ時間だろ? 休憩休憩。勝負のために腹ごしらえしようぜ」
「そうですね。脳に栄養がいかなくては将棋は指せませんから」
 魔理沙の意見に皆が賛同した。粉っぽい菓子をほおばりお茶をがぶ飲みする。
「それにしてもまずいなーこの菓子。紫は栄養食って言ったけどこりゃないぜ」
「わちきも嫌い。変な味」
 小傘が舌でぺろぺろしながら、ゆっくり暢気に固形物を舐め溶かしていた。
「さてと」
 霊夢は回りを見渡した。天子は世界が終わったような顔をしていた。沈鬱な表情だが、時折何かを訴えかけてくるような目でこちらを見てくるのだ。まるでリスか何かの小動物のように。
 実際天子はじっとしていれば目がくりくりとした愛らしい。育ちがいいのか肌も美しく髪もサラサラと優雅に風になびいている。しかしそれを台無しにするのは卑屈に歪んだ性格だろうか。我が物顔できる天界ならいざ知らず、こんな場所で好き勝手されてはたまらない。
 博麗神社を倒壊させた理由も、霊夢には非常に理解し難いものだったし、こうして四人との壁ができるのはいたしかたないことだと思った。
「んー、んーんー」
 小傘がうなりながら天子の方をチラチラと見ていた。当初は仲良く遊んでいたから気まずいのだろうか。
「小傘さん。駄目ですよ。あの方から詫びいれるまで放っておけばいいのです」
「うーん……」
 早苗は天子を許す気はないらしい。化け傘と一緒に小傘はうなだれた。
 お茶をしながら取り留めない話に興じる。
 その穏やかな雰囲気を打ち消すように、耳をつんざくようなブザー音が場を支配した。
「はぁい。みなさんお待ちかね。これより幻想郷将棋バトルの始まりよん。みんな一丸となって頑張ってね」
 壁際に紫が仁王立ちしていた。
「やっとかよ待ちくたびれたぜ」
「いよいよね」
 そうだ。これから始まるのだ。霊夢の気持ちは否が応にも高まった。
「対局室には両チームから一人づつ入ってね。中の様子はこの大画面に……。はい! 盤面と対局者の表情が仔細に観察できる最先端の技術! これも私のおかげよあなた達」
 紫は一人で場違いなほどはしゃいでいた。やがて壁に一つのドアが浮かび上がる。
「選手はここから入ってね。一人づつ。ああそうそう、あっちのチームが先に入るから、こっちのチームは自由に選手を選んでいいわよ」
「へーそりゃ親切設計だな」
 魔理沙が言った。一体所詮は誰が来るのだろうか。能力者、能力者……。うーん。能力はこの将棋では要となる。こちらのチームにはまともに将棋に有用な能力を持つものはいない。小傘が相手を驚かせると腹がふくれるとか気分がよくなるぐらいだ。こちらは実力重視のごまかしがきかないチームだ。
 数秒して大画面に誰かの姿が映る。小柄な体格、猫耳の妖怪。霊夢がよく知る八雲紫の式の式、橙に相違なかった。
「はい第一試合目、私の可愛い可愛い橙です! 油断してるとおっかないわよー」
「橙ね……」
「紫さんの式ですね」
「わちきより小さい」
 身内とは意外だった。おそらくだが橙には特にこれといった能力はないだろう。一試合目だから手加減のつもりなのだろうか。
「橙か! ようしここは私が行くぜ!」
 魔理沙が元気よく声を上げた。
「自信あるの? 魔理沙?」
 霊夢は何とはなしに聞いてみた。
「へへへ、うかうかしてると出番がなくなっちゃうからな。ここは任せてもらうぜ」
「ふーん……」
 妙に魔理沙は強気だった。まぁでも橙はどうみてもあまり将棋が強そうには見えない。
「それでは選手は入場してください。中は厳重な監視体制がしかれているわ。みんな規律を守って楽しい将棋をしましょうね。……それでは幻想郷将棋バトルスタート!」
 紫の一声で閉じられた時は動き始めた。


 魔理沙はドアを通り対局室へと入った。
「うわ……」
 思わず声をあげてしまった。部屋の中は外とは段違いだった。畳も掛け軸も生け花も全て、比べ物にならないくらい高価なものに思えたからだ。魔理沙がそれを推し量る技量は皆無だったが、ちょっとやそっとでは手に入らないくらいの業物であることは確かだ。
「何か大変な出来事に巻き込まれたみたいだぜ」
 そうつぶやきながら魔理沙は座布団に正座した。これもふかふかで座り心地がよかった。そして上から見下ろすとつやのある将棋盤。これも一目で良いものだとわかる。何というか、目をつぶっていても伝わってくる――押さえ切れない本物の感覚。一つ一つの駒の彫りにも職人の執念がこもっているようだった。
「私、見られているんだなぁ。緊張するぜ」
 目の前にはさっきから橙が微動だにせず座っていた。気を楽にしようと魔理沙は声をかけた。
「橙よろしくな。お前も大変だな。紫の奴に体よくこきつかわれて。本当は嫌なんだろ? ん?」
「私は紫様の式です。ただそれだけです」
「へーそうかい」
 魔理沙は橙の答えが面白くなかったので、もう一つ聞いてみた。
「お前猫のくせに将棋が指せるのか? ははは」
 橙は無言だった。どこかに焦点を合わせるのではく、視線は宙を漂っているように見えた。
「お、おい何とか言えよ……」
「はいはい魔理沙。私の可愛い橙をいじめちゃ駄目よ。対局中は私語厳禁でお願いね。ほらさっさと魔理沙の先手で始めてちょうだいな」
 紫の声がが右手の方から突然響いてきた。どうやら常時監視されているらしい。
「よろしくな橙」
「よろしくお願いします」
 二人はぺこりと頭を下げた。
「持ち時間一分待ったなしー! あなたの時間は三十秒! 切れたら負けよ、よよいの……」
 若干枯れかけた声の中、魔理沙は初手を駒音高く放った。
 


 大画面に大げさに映る盤面を、霊夢はぼんやりと眺めていた。小窓には普段見られないような魔理沙の真面目な顔と、凛々しい表情の橙。
「いよいよ始まったわね」
「うん」
「そうですね」
 早苗と小傘と一つの盤を囲んでいる。これで局面を検討するのだ。
「しっかし将棋一つにたいそうなお金をかけてるわね。紫は本気で普及する気だわ。全くご精が出ることね」
 そう言って霊夢はテーブルの上にいつの間にか置いてある、リモコンのようなものに目を留めた。もしやこの大画面を切り替えるためのものだろうか。
 霊夢は何の気もなしに一つのボタンを押した。
 途端に大きなせんべいを、大口を開けて食べている、紫の阿呆面が大画面に映った。
「ちょ、ちょっと! 霊夢のH! いきなり押さないでよもう」
「何しているんですか霊夢さん。酷いものを見せないでください」
「ごめんなさい早苗」
 すぐに霊夢は切り替えた。何故かくねくねしていた紫のことは忘れようと思った。盤面はだいぶ進んでいた。
「魔理沙は棒銀ね……。橙の方は……、これ四間飛車?」
「そうですね。橙さんはオーソドックスな四間飛車です。4筋に飛車を振って美濃囲いにする。受身になりますがバランスの取れた初心者にも扱いやすい戦法ですね」
「ふーん。魔理沙はと……あれ? これって居玉のままじゃない? 確か本には居玉は避けよって書いてあったはずよ」
「ええ、居玉は避けよ。ただ場合によって超急戦をしかける場合にはこれもありです。相手が陣形を整える前に潰してしまう。先手の魔理沙さんにはその権利があります」
 早苗はすらすら説明した。
「あっわちきはいつもこれだよ。王様の前に飛車おいて真ん中からどーんって。わかりやすいし強くて驚く!」
「中飛車でも囲った方がいいんですよ。居玉というのはいつでも危険があります。特に角のライン、いつでもそれを気にかけていなければなりません。手が進んで王手竜取り、なんてことになったら目も当てられませんからね」
「ふーんわちきわかった」
「本当ですか?」
「うん!」
 小傘はいつでも元気がよかった。
 局面は淡々と進行していく。もう持ち時間の一分は使いきったのだろう。大体三十秒以内に指し手は進む。このカメラの位置では対局者のチェスクロックの表示を見ることができない。それに音声も聞こえない。こんな大画面のわりには何と不便なことだと思った。




 魔理沙は初めから攻勢をかけていた。彼女の弾幕効果にも表されるように、その性質は将棋にも現れる。
 攻めて勝つ押し切って勝つ。
 彼女は最初から守る気などなかった。対局相手が橙と聞いて一気に勝負を決めようと思ったのだ。
 結果それが功を奏して橙は受身一辺倒の陣形を強いられることになる。
 そこで魔理沙は手を緩めない。
 一枚の銀を前線に送り込んだ後、早くも二枚目の銀を援軍として送り込む。
 自軍の玉の警備は薄くなるものの、相手陣を侵略することを第一に考えた理にかなった作戦だった。
(一気にいってもいいけどここは確実にいきたいぜ。どうせ相手は橙だ。大して強くないだろう)
 二枚の銀が橙陣を圧迫し始める。
 じりじりと押さえ込むように歩を進める。
 中央で魔理沙の銀が大いばりしている。
(後は時間に気をつけて攻めるだけだぜ!)
 橙の方をチラリと見る。さっきから時間ぎりぎりで指すことが多いし、体も小刻みに震えている。焦っている証拠だ。
(この辺かな?)
 魔理沙はついに3筋から激しく攻め立てた。




「これは――」
「二枚銀ですね。魔理沙さんは」
「二枚銀?」
 小傘があっけらかんと声をあげた。局面は次々と移り変わる。画面を見ながら盤面をついでいく。中々じっくり検討する暇もない。
「居飛車対振り飛車の基本的な方針としては、居飛車側は押さえ込む、振り飛車側はさばく、つまり駒を交換すること――お互いの思惑を掛け合わせながら指し手を選んでいくことになります」
「んでこの銀の進出はどうなのよ?」
 霊夢が聞いた。
「押さえ込めれば勝ちますよ。もちろん突破されれば散々ですが。魔理沙さん居玉ですし、その分カウンターパンチもきついです」
「なるほどね、攻めと守りのバランスって大事なのね」
 再び画面に目を落としてみる。素人目には魔理沙側、先手の銀が二枚も敵陣に切りかかっているように見える。しかし後手の囲いはしっかりスクラムを組んでいる。固い美濃の中にすっぽりおさまっているのだ。先手の無防備な玉とは比べ物にならない。
「あっ、ほらほら。交換交換」
 小傘が指差した。先手の銀と後手の角との交換になっていた。
「これは成功ですね。角銀交換の駒得。さらに飛車成りもほぼ約束されています。桂香拾って悠々と金作りする余裕まであります。典型的な居飛車の勝ちパターンですね。いやはや、魔理沙さんも初試合なのにあなどれませんね」
「へーそうなの」
 早苗が妙に感嘆したので、無感情に声をあげた。
「逆に後手としては一番駄目な展開ですね。角も取られて飛車も押さえ込まれました。私ならここで投了ですね。大差です」
「ふーん。私にはまだまだいけるように思えるんだけどね……。橙の方は囲いもしっかりしてるしね。どうにかなるでしょ?」
 一つため息をついて、髪をかきあげて早苗はゆっくり口を開いた。その横で小傘はじっと画面に見入っているようだった。
「この際だから霊夢さんに、将棋の形勢判断の方法を教えておきましょうか」
「そうね、お願いするわ」
 霊夢は聞いていて損はないと思い答えた。
「将棋の形勢で大きな要素は大別して三つあります。一つは駒の働き。初めは角はどこにもいけませんが、一手指すだけで動ける場所が格段に広がります。この各駒の能力をどれだけ発揮できているかどうかがポイントになります。特に飛車角は重要になります。そして自軍の内でほとんど戦地から遠ざかっている駒、それなのに玉の守りにも関わってない駒、これがあるとやはり不利になります。」
「んー、なんとなくわかるわねそれは」
「この役に立たない駒のことを遊び駒といいます。見た通り遊んでいるからです」
「軍隊の中で誰かがさぼっていたらそりゃ勝てないわね。うんうん」
 霊夢は妙に納得して頷いた。
「二つ目は玉の固さです。どれだけ王様の回りに警備兵がいるか。戦争ですから頭がやられたら終わりです。きっちり守らなければなりません」
「それはそうね、私が読んだ本の中でも囲いについては色々のってたわ」
「囲いだけ見れば最も強いのは穴熊です。とにかく王手がかかりませんから」
 穴熊と聞いてその形を思い出した。香車を一つ上げて玉を隅っこまでもっていって、そこに鎌倉のようにこもってしまう。銀と金でぺたぺたと補強して見るからに頑強な砦だ。
「でも穴熊って手数がかかるんじゃない? 私もそれしようとしたけど魔理沙がいきなり攻めてきて潰されたわよ?」
「それは工夫しだいですよ。急戦にもちゃんと対処法があります。組んでしまえばこれほど信頼できる囲いはありません」
「駒の働きと王様の守り。大体わかったわ。で、後一つは?」
 霊夢は聞いた。
「これはわかりやすいでしょうね。駒得――単純に戦力ですよ」
「戦力ね……、ああそっか。さっき先手の銀と後手の角が交換したから――」
「そうです。角は大駒ですから銀より価値があります。終盤では駒の価値が逆転する場合もありますが、序盤中盤では絶対的な指標です」
 そう言って、早苗は胸元から鉛筆を取り出し、ルールが書いてある紙にさらさらと何かを書き記し始めた。

 飛車=10 角=8 金=6 銀=5 桂馬=4 香車=3 歩=1

「人によって解釈は様々ですが、大体このくらいと仮定します。駒の点数が大きいほど価値が高いです」
「ふーん。じゃさっきの場合だと……。角と銀の交換だから、先手は5点払って8点のものを手に入れた。つまり3点の得ってわけね。たった3点ってたいしたことないんじゃない?」
 霊夢はそう考えた。たかが3点。大抵の球技なら一瞬で逆転できる点差だ。
「ま点数でみるとそうなんですが、実際は大駒の交換ってのは大きいんですよ。盤の上にある生角と、持ち駒の角とでは大きく価値が違います。持ち駒ならどこにでも打てますので。これが非常に大きいのです」
「そっかー、そうよね」
 なんとなくわかった気になってうんうんと唸る。
「これらをふまえて先ほどの局面を分析してみると、駒の働きは先手有利、後手は飛車が押し込まれて使えませんから。そして玉の固さは後手が勝っていますね。最後に駒得ですが、3点の得に加えて、竜ができてさらに駒が拾えてと金が作れます。この駒得の拡大が見込めるので大幅な有利となります。これをふまえると……」
「ふまえると?」
 早苗はちょっと一呼吸置く。
「先手の圧倒的な有利。勝勢ですね。同じ実力ならまず覆りません。この場合先手の玉の薄さなんか関係ないんですよ。何故なら後手に飛び道具がないんですから。もし角が後手の持ち駒にあったらまだわかりません。逆転もあります」
「ふーんふむふむ。よくわかったわ。色んな要素を総合して形勢判断するのね。でもたった三十秒なら私には無理すぎるわね」
「その内慣れますよ。えーと、この形勢判断を的確に行う能力のことを――大局観と言います。将棋で最も重要な能力の一つです。読みの深さとか計算力とか、単純な頭脳の良し悪しとは別に、絶対に必要な能力です」
「大局観?」
「そう大局観です」
 霊夢はぐるっと首を回してみた。巫女の脳内に何かの光が灯ったように思えた。
「大局観ってのは何かいい響きね。博麗の巫女なりの大局観を磨けば勝てるのよね?」
「いえ、一朝一夕には」
「いや私はやるわよ。巫女の大局観で将棋道を支配するのよ」
「すごい自信ですねぇ」
「私は巫女だものきっとできるわよ」
「はぁ」
 呆れ顔の早苗を尻目に、霊夢はとてもうかれていた。何か一筋の光明が、将棋地獄を勝ち抜く希望が垣間見えた気がした。
「あーっ、終わったぁ!」
 小傘の大声ではっと我にかえる。どうやら橙が投了したらしい。話に夢中で仲間の対局をすっかり見過ごしていた。
「あーこれは酷いですね」
 早苗と共に盤面を見てみる。橙の玉はちょうど中央で詰んでいた。周囲には桂香が何枚か置かれて、まるで罪人を竹槍でつついているような格好だ。
「魔理沙の勝ちね。と金がいっぱいだし持ち駒もたくさんだし一体どうなっているの?」
「橙さんが中々投了しなかったんでしょう。投げ時がわからないから無残な図になります。初心者同士だとこういうぐだぐだになりやすいから嫌なんですよ」
 早苗が言い放った。




 将棋の流れは魔理沙に傾いていた。と金量産体制をしきじわじわ相手の戦力を削る。
(よーしこの勝負もらったぜ。これで飛車も詰みだ)
 と金で飛車をむしり取る。1点の駒が10点の駒と交換になったらそれはもう目も当てられない。
 もはや戦争というより一方的な蹂躙が始まる。
 しかし魔理沙は不慣れなため王様を逃がしてしまう。
 泥沼のゲリラ戦。
 散り散りになった兵を虐殺しながら王様の行方を捜す。
(これはもしかして私のミスかな)
 魔理沙は少し前の手を思い出して後悔した。あそこは角と打っておけばもしかして詰みだったんじゃないかと。
 少し後悔はしたが無情にも時間だけは過ぎるのだ。 
 切れ負けだけは絶対に喰らってはならない。
 今まで築き上げてきた戦局が一瞬で水の泡だ。
(落ち着いていけば大丈夫だぜ)
 魔理沙は慌てない。
 窮鼠猫を噛む。猫が噛むのは誰なのだろうか。
 ついに橙は裸で一つで銃を突きつけられた。


「……負けました」
 うわずった声で橙は投了した。
「おうお疲れ様」
「うっううっ……」
 対局に夢中で気づかなかったのが、橙は終わりの方ではずっと泣いていたらしい。
 それで魔理沙は勝ったものの、どうも釈然としない気持ちになるのであった。
「おいおい、泣くなよ橙。遊びだろこれ?」
「うーっ、うーっ」
 橙はしゃくり上げながら後ろのドアの奥へと消えていった。
「何なんだぜ一体」
 魔理沙は首をこきこきと鳴らして、仲間が待つ部屋へと舞い戻った。



 先 魔理沙 ○-● 橙


「お疲れ様魔理沙」
「お疲れ様です」
「お疲れなり」
 部屋に戻った魔理沙を仲間達が労った。天子はこちらを見ようともせず無視を決め込んでいる。
「おう楽勝だったぜ!」
「何言ってるんですか。酷すぎますよあの盤面。橙さん、泣いてたじゃないですか?」
「いやー、中々玉が捕まらなくてな」
 そう橙は投了直前には泣き崩れていた。将棋に負けたから? あんな大差で押し切られたから? 果たしてそれだけだろうか。負けたら罰ゲーム。あっちのチームには敗者復活なんてない。もしかしたらチーム同士の勝敗が決まる前に何か……。いやしかし橙は紫の身内だ。いくらなんでも考えづらい。
 霊夢は邪な考えを頭を振って打ち消した。今は勝つことだけに集中すればいい。
「泣いてなんかいられないわ。これは勝負だもの」
「言うじゃないか霊夢。昨日私に負けて泣いてた奴が言う台詞とは思えないぜ」
「あ、あれは目にゴミが入ったのよ!」
「ははは、いいから認めとけって」
「違うったら!」
 魔理沙に反論していると、壁の大画面に次の対局者の姿が映った。あれは――。
「来ましたね、二人目です」
 早苗が言うと、画面が紫カメラに切り替わった。
「はーい。本当にお疲れ様ー。幸先よく一勝したけど、言ってみればまだ一勝にしたに過ぎないのよ。本当の勝負はこ・こ・か・ら。次の対戦者は……はい! 泣く子黙る紅魔館の鬼メイド、十六夜咲夜さんよ。さー楽しくなってきたわねー。みんな頑張ってねー。じゃーまたね!」
 一人だけテンションが場違いな紫は言うだけ言って消えた。
「何だ咲夜かよ。あいつ私が紅魔館行くと、いっつも邪険に扱うから嫌なんだよな」
「咲夜……といえば時止めね。うーん……」
 画面には澄ました顔で、クールな表情の咲夜が悠然と座っている。瀟洒なメイドはいかなる策を弄してくるのだろうか。
「うわーメイドさんメイドさん! メイドさんって驚く?」
「彼女は人間ですよ」
「ふーん」
 小傘はまた妙なことを言った。どうもこの傘の妖怪は調子が狂う。
「そういやあいつはチェスをやってるとか聞いたような……。ああパチュリーが言ってたぜ。私はよく知らないけど将棋と似たようなもんなんだろ?」
「ええまあ、でもチェスは持ち駒使えませんから。ただし王様を詰めるとか駒の損得、定跡なんかの理論は本質的には似たゲームですね」
「そっかー、ふん、いつ見ても咲夜はお高くまとまって偉そうだぜ」
「……で、こっちは誰がいくの?」
 霊夢は皆に聞いてみた。
「私は今ので疲れたからパスな」
 そう言って魔理沙は座布団を枕にして横になった。
「早苗は?」
「いえどうぞ霊夢さんお先に」
「そう……」
 早苗はまだ対局する気はないらしい。なんといってもまだ二人目だ。
「あー、じゃわち……」
「はい、はい」
 小傘の言葉を遮って誰かが割って入った。白い手、桃がついた帽子、天子だ。
「あ、うん……」
「私がいくわ。いいわね」
 暗く沈んだ声だった。顔色は真っ青で幽霊のようである。
「天子ちゃんがんばれー」
 小傘が応援したが、天子はそれを無視して対局室へのドアへと向かった。
「ふん、あなた対局するつもりだったんですか? チームの恥晒しにならないようにしてくださいね。さっさと処分されちゃってせいせいしてください」
 早苗が罵倒すると一瞬ぴたりと歩みを止めたが、またすたすたと変わりなく歩き始めた。
 まるで特徴のないドアに天子が吸い込まれていく。霊夢はそれをただ見守っていた。
「天子ちゃん大丈夫かなー。勝てるかなー」
 大きな化け傘だけが一人はしゃいでいた。




 ――つまらない。
 比那名居天子の天人人生は常に退屈との戦いだった。毎日美味しいものを食べ、好き勝手振る舞い何不自由なく暮らしている。
 偉大な父親の威光にすがり、周囲からの寵愛を一心に受けている。天界では彼女の意向は全て実現できた。それ故に彼女は退屈だった。
 父親が与えてくれた教育係も何一つ天子にものは言えないのだ。食べたい時に食べて遊んで好きなだけ寝て、一心不乱に勉学に励むこともない。天界での彼女はお姫様だったのだ。しかしそれだけで満足することはなかった。天子の好奇心は子供のように旺盛である。自分の威光を幻想郷の隅々まで示してみたくなった。
 地上に降り立った天子はすぐに事を起こした。
 結果は散々だった。
 自分に注目させるという当初の予定は達したものの、自分に対する崇拝とか畏敬の心がまるで足りてないのだ。
 天子はもっともっと褒めて欲しかったのに、すごいと言われたかったのに、何故か手酷い制裁としてお灸を据えられた。
(私は偉いのよ。比那名居なのよ)
 彼女の退屈しのぎでは、他人との対等の関係を築くことは絶対にありえない。常に自分が一歩高みにいなければ気がすまない。
 彼女の尊大な自尊心が、天子本来の無邪気な気質と合い重なって、歪んだ自己像を作り上げていた。
(こんなのは私じゃないわ。私が人の下につくなんてありえるわけがない)
 そうした意固地な考えを持ったまま、閉じられた箱の中に放り込まれて、どうなるかは自明の理だった。
 比那名居天子はいつでも孤独だった。


「それでは第二局目開始してね。今度は咲夜ちゃんの先手よ。はっけよいよいーのこったのこった!」
 はっと気づくと天子は和室の中に正座していた。あの薄汚れたお婆さんの意地悪のせいだと思った。こんな狭苦しい所に押し込められて、こんなわけのわからない遊戯を強制されて。
(本当につまらないわ。さっさと終わらせちゃおうっと)
「よろしくお願いしますわ」
「あ……、お願いします」
 口の中でつぶやくようにして挨拶をした。
(この人……確か。私を蹴ったりしてきたわね。変な術使ってたみたいだけど……)
 天子は過去のしがらみを思い出して少々かっかしてきた。
 咲夜のよく手入れされた指が初手をゆっくりと放つ。
(将棋か……。私は頭がいいのよ。これに似たゲームなんていくつも知ってるわ。私にかかれば本を読んだだけでもすぐに勝てるようになるの)
 天子は頭の中がもやもやしてきた。色々な妄想が湧いてきてまるで集中できない。
 駒を指でつまみあげて一つ進めた。駒の動きは全部頭に入っている。こんなものは適当にやればいい。負けても関係ない。さっさと終わらせて寝てしまおう。ああそういえば衣玖はどうしたのかなぁ。自分が行方不明になったから探しているのかな? 衣玖の泣き顔は本当に面白いの。さめざめと泣いてもっと困らせたくなっちゃうの。だってこの前も……。
「――指しましたわ」
「えっ」 
 物思いに沈んでいると咲夜が声をかけてきた。
 いつの間にかチェスクロックの数字が進んでいた。もう持ち時間一分を使いきり二十秒――、十九、十八――。
 確かに咲夜は三手目を指していた。角道に続き銀が上がっている。
(私盤をずっと見ていたはずなのに)
 いくらぼんやりしていたとしても、目の前の出来事を見逃すはずはなかった。天子は狐につままれた思いでもう一つ歩をついた。
(おかしいなぁ? あれ、そういえば)
 さっき紅白の巫女が言った言葉を思い出した。
(時止め? 嘘よ? 私はそんなの信じないから。私が信じなければそれは真実。私は比那名居天子。七色の威光で全て照らすのよ)
 局面は進んでいく。天子は三十秒いっぱいを使いながら指し手をつなぐ。対して咲夜はほとんど時間を使っていなかった。序盤はノータイムの連続、中盤にかけても残り時間が十秒を切ることはない。
(この人全然時間使わないわね……。私は結構考えているのに)
 その理由は天子にはわからなかった。局面は煮詰まる。天子は既に面倒くさくなった。
(この桂馬って足が速い駒ね。これ飛んじゃえば敵陣すぐ崩れちゃうんじゃない?)
 天子はどこかで見た古き先人達の知恵を思い出した。
(背水の陣――四面楚歌――覆水盆に返らず――なんだろうなんだろう?)
 天子は大いに混乱した。それでも時間だけは刻々と過ぎる。
(面倒だからもう飛んじゃおうそうしよう)
 左桂を跳ねて攻勢をかける。
 応じて咲夜は歩を突いた。
(ん……桂馬は一歩前には進めないのよね。じゃ突撃)
 桂馬と歩の交換。明らかな駒損である。
(ふぅ、結構敵にダメージを与えたわね。桂馬はもう一つあるからこれも突撃ね。こういうのはどんどんいかないとね。一つも二つも同じ同じ!)
 右桂も咲夜陣にあっという間に吸い込まれた。
(これでかなりせいせいしたわね。……やっぱり本気で勝ちにいこうかしら。負けるのはくやしいものね。そうだ、私が勝てばみんなも褒めてくれるかも? 天子様すごーいって。あの無礼で非礼な緑髪の下賎な女も私にひざまづくかも……。むふふ……。楽しみ楽しみ……土下座させて足で踏んで……)




「ああもう! 何やってんのよあの馬鹿は」
 霊夢は画面に噛み付きそうになりながら観戦していた。天子はいきなり時間を使い切ったと思うと、今度は桂馬を二つぴょんぴょんと跳ねて相手に施しを与えたのだ。
「だってなぁ。天子の奴全然練習できなかっただろ? 基本的なこともわかってないんじゃないか? いや、時間切らさずに今まで指せているのもたぶん奇跡だぜ」
 魔理沙が横になったまま言った。そうはいってもこの天子の指し方は目にあまる酷さだ。将棋を覚えて一日の霊夢にもよくわかる。
「ふん、負けますよあの方は。当然です」
「早苗……」
「桂馬の高飛び歩の餌食。初心者はえてして桂馬を突っ込ませたがります。何の公算もなしに突撃するのは馬鹿のすることです」
 早苗がそうこき下ろした。
 桂馬を二つもった咲夜はじりじりと自分の陣地を拡大してきた。優勢なはずなのに決して焦らない。どっしりと腰の重い棋風のようだった。
「あれは矢倉ですね。がっちり組んで……。でも後手は矢倉じゃないんですよね。飛車振られたら結構矢倉はまずいんです。二段目に飛車、それに銀をかけられるとあっという間に寄り形となりますから」
「矢倉ね。金と銀がスクラム組んで強そうね。たぶん、いい形だわ。博麗囲いにも勝るとも劣らない――」
「霊夢はその博麗なんちゃらから離れようぜ」
 魔理沙が茶化した。
「いやいや、私は博麗流を諦めないわよ。そういえば、咲夜は序盤ずっとノータイムで指していたわね。やっぱり時を止めていたのかしら?」
「いえ霊夢さんそれはないかと」
「何で?」
「矢倉二十四手組みですよ」
「何それ?」
「定跡です。矢倉の組み方はある程度決まっているんですよ。だから覚えていればノータイムで指せます。もちろん他の戦法もそうなんですがね……」
「へー」
 霊夢は感心した。咲夜もかなり将棋を勉強したらしい。霊夢は定跡などと聞いてもぴんとこない。まどろっこしい気がするのだ。それより自分で考えた手順を開拓した方がいい。
「あの天人が手損とか、無駄な手ばっかり指しているから、咲夜さんは楽ですよ。だからほとんどノータイムで指していてもおかしくありません。おそらく駒がぶつかったら時間使うと思います。まぁ時を止められるといっても一分や二分じゃ大勢に影響しないと思います」
「そうかそうか。十六夜咲夜、恐るるに足らず! だな」
 一人で魔理沙が結論付けた。
「まだ決め付けるのは早いわよ。油断は禁物。咲夜は手くせが悪いしどんな手品を使うかわからないわ」
「手品? 将棋でイカサマなんかないぜ霊夢。例えば持ち駒の歩増やしたって数えりゃすぐわかるんだからな」
「そりゃ……ねぇ」
 しかし霊夢は不安だった。あの咲夜なら何か抜け道を見つけてきそうだ。
「能力は自己を高めるためだけに使う。時を操る……時を……」
 霊夢はそうつぶやいた。
「もう少しで終わりますね。咲夜さんの勝ちです。非常に順当でした」
「そうだなー。やっぱり天子は天子だったぜ」
 盤面は咲夜の圧勝だった。
 天子の玉は端っこまで追い詰められて、もう青息吐息の状態だ。
「あっこれは銀打って金で詰みね。こっからなら私にもわかるわ」
 思ったとおりに咲夜は銀、そして金と打ちつけた。天子の玉は行き場がない。
 投了するだろうと思って画面を見ていると、天子はじっと人形のように固まったままだった。
「あれ……もしかして?」
「何だ霊夢。どうせ天子の負けだろ?」
「まさか……」
 早苗があっと口を開けていた。




 天子の玉は詰んでいた。
 桂馬二つを無条件で献上した罪は重い。
 戦力の差はいかんともし難く、天子の脆弱な砦は数分ともたずにガタガタと崩れ落ちた。
(どうしてこうなったのかしら? 私が負ける? 何で? 私頭いいのに? わからないわからない)
 天子は現実を受け入れられなかった。そして――。
「うわうるさい!」
 怪音の暴虐に条件反射で耳を塞ぐ。天子の時間切れ負けだった。
「私の勝ちですわね。ありがとうございました」
 咲夜はぺこりと頭を下げて駒を並べ直した。
「ちょっと比那名居さん。せっかく選手として出たんだから投了くらいしなさいよ。ねっ、私あなたにもチャンスあげたのよ? わかる? それなのにあなたは……」
 紫の責めるような声も耳に届かなかった。
「あ……、うん。それじゃ……」
 天子はいたたまれなくなって、適当に濁して対局室から逃げ出すように飛び出た。



  天子 ●-○ 先 咲夜
 
 
 不名誉な凱旋を終えたお姫様を、早苗は飛び掛るようにして捕まえた。
「あなた何やってるんですか? 負けたのならちゃんと投了してくださいよ。詰んでることぐらい愚図のあなたにもわかるでしょ」
「え……、でも……」
「でも何ですか」
 早苗は激昂していた。我を忘れて天子の髪をつかんでいる。
「私は負けた時どうすればいいか知らなかったから……」
「はぁ? 冗談はよしてくださいよ。本にも書いてありますし、私達の対局も見てたでしょう? 知らなかったでは済まされませんよ! あなたがいくらゴミクズでも一応チームなんですからね。ったくこれだから……」
「でも……でも……」
 天子は今にも泣き出しそうだった。見るに耐えず霊夢は二人の間に割って入った。
「まぁまぁもういいでしょう早苗。今度から気をつければいいから」
「次なんてありませんよ。たった一度の失敗が信用をなくすんですよ。そしてこの方に二度と更生の機会なんかないんですよ。この方は生まれてついての……」
「魔理沙ー。早く来てよどうにかして」
「おお、早苗こっち来て頭を冷せ。な? いいからこっちこい」
 早苗は手足をばたばたさせて食い下がったが、ようやく二人は引き離された。
 投了一つしなかったことで早苗がここまで怒るとは予想外だった。既にチームの和はぼろぼろだ。
「やーん……怖ーい……」
 小傘は一人早苗の剣幕に怯えていた。
「ふぅぅ、ふううぅぅっ……!」
 天子が歯をガタガタさせて奇妙な声で泣いていた。全く、泣きたいのはこっちの方だった。
「天子、なんで投了しなかったのよ? 本当はわかってたんでしょ?」
「わ、わ、わわ私は悪くないもん!」
 その声を聞いて遠くで早苗がまた喚いた。
「はぁ……。もういいからじっとしていて欲しいわね」
「ふんっ、ふん! みんな嫌いよっ! 馬鹿ーっ!」
「きゃっ!」
 天子の振り上げた手が霊夢の頬を偶然とらえた。ぐらりと体の重心がずれ床に倒れこむ。
「あっ、ごめ……いや……、私に指図なんかしないでよ! もう最悪よ!」
「天子……あんた……」
 腰をさすって立ち上がると、天子は驚きの速さで部屋の隅へ行き体育座りをした。顔を隠してしきりにぐずっている。
「何かもうめちゃくちゃね……」
 つぶやいて霊夢は天を仰いだ。
 秒針だけの時計は一定の時を静かに刻んでいた。


「それで次は誰がいくの? これで一勝一敗。イーブンだわ」
 ようやく騒ぎが収まり霊夢は周りに聞いた。
「何か対局するたびにこっちの被害が広がる気がするぜ」
「私はあの方に礼儀を教えただけです!」
「もうわかったから早苗。少し黙っててくれよ」
 魔理沙がなだめた。
 早苗の言うこともわかるのだが、少しは言い方というものがないのだろうか。それが正義ではあっても直接的で至極一方通行的な感情の押付け。滞りなく人を従わせるというのは並大抵ではない。この監禁に近い状況ではフラストレーションが溜まるばかりだ。
「あーっ。わちきがいきたいな。ね? いいでしょ?」
 そんな空気を読まない小傘のあっけらかんとした顔。
「私はいいぜ」
「どうぞ」
「……じゃ決まりね。たのむわよ小傘」
 仲間の応答を得ると小傘はすーっと息を吸って、
「まかせんしゃい!」
 と元気よく言った。
「あっめあっめふれふれーれ♪ 母さんがー♪ 化け傘でおむかーえ嬉しいなったら嬉しいなっ……たらんたらたら……」
 歌を歌いながら陽気に小傘はドアの奥へと消えた。
「あいつはいつも馬鹿みたいに元気だな。うらやましいぜ」
「魔理沙も十分お気楽な性格だわ」
「いやいや、私はこう見えてもナイーブなんだぜ? デリケートなんだぜ? 傷つきやすい乙女なんだぜ?」
「しつこいし気持ち悪いわよ」
「酷いなお前は。大親友にむかって」
「親友は賽銭盗まないわよ」
「知ってたのか……」
「うわ当たっちゃった?」
「殴るぞお前」
「少し静かにしてください。もう始まりますよ」
 早苗がぴしゃりと締めた。




 小傘は下駄を鳴らして部屋に入った。待つのはメイド服の人間十六夜咲夜。
(綺麗な人。こんな人が鼻汁や目汁流して驚いたら、どんなに嬉しいかな?)
 そんなことを思いながらちょこんと正座をする。駒はマス目をはみ出ることなく律儀に整列されていた。
「コホン、コホンコホン。ゴホゴホッ! えーえー、戦いも序盤を過ぎ一勝一敗であります。次に出し抜けるのはどちらのチーム? さぁはったはった! ……あっ小傘ちゃんの先手ね。それではスタート!」
「お願いしますわ」
「おっ、お願いしまーす」
 一秒使わずに▲5八飛。
 最初から中飛車と決めていた。
(わちきにはこれが合っている気がするのじゃ)
 対して咲夜全く表情を変えずに角道を開けた。
(この人全然驚きパワーが飛んでこない。つまんない。もっと驚かせなくちゃ)
 小傘の指し手は早い。
 ▲5六歩、▲5五歩と一気に飛車先を詰める。
 そして▲9六歩。
 着実に攻めの構想を作り上げる。
(ぬふふ。これぞわちき戦法つつき傘じゃ。驚くがよい!)
 しばらくの間地味な駒組みが続く。
 咲夜は矢倉に拘らない。
 何かを察知し銀を中央にさらりと配置する。
(そろそろいいかな? そうれそれそれ!)
 小傘の角がするりと動いた。




「中飛車ですね。小傘さん。」
「そうね」
 霊夢は小傘との対局を思い出していた。飛車が真ん中に来て後ろからどんどん突撃してきてやられてしまう。それを食い止めようとして戦力投入しても、戦線は拡大しいつの間にか詰んでいるという結果になった。
「でも咲夜はさっきの天子の時より時間使っているな。やっぱ使うよな。うんうん」
 魔理沙が頷いていた。
「小傘さんが最初から攻勢なんで矢倉には組みませんでしたね。銀を二枚中央に配置して――完全な防衛体制です。これを崩すのは至難ですよ」
「んー、うん。どうすんのかしらあそこから? 後ろに金も控えているし守りは固いわねぇ」
 成り行きをじっと見守る。
 小傘の小さな手が盤の隅へ動いた。
 角が9筋へ――。
「端角! なるほど、そういう狙いですか」
「えっ何あれ? 角の頭は丸いわよ。あんなの端突かれたらまずいんじゃない?」
「いいえありますよ」
 早苗は人差し指をくいと振ってみせた。
「確かに角の頭は弱点です。9筋に行ったら香車に刺されちゃうんですけどね。この場合は強襲が成立するんです」
「ほう、興味深いぜ」
「飛車と銀で中央、さらに角でも中央を狙う。場合によっては桂馬も跳ねてしまいます。二重三重の攻めを受けるのは無理に等しいんです。だから正面からではなく適当に受け流したり、あらかじめ玉を戦場から遠ざけたり……。咲夜さんの陣形はちょっと偏っていますね。一気に崩れる可能性もありますよ」
「そ、そうか。いけるわよ小傘」
 霊夢は盤面を見た。確かに戦力は中央に集中している。このまま押し切ってしまえそうに見えた。
「この場合角は切る駒です。角銀交換で駒損になりますが中央突破できればおつりがきます。うまくいって角金交換なればしめたものです。角と金の交換は切った方が勝ちやすいんですよ。何故なら金は守りの要ですから、一枚はがせば非常に薄くなります」
「なるほどね。じゃあ今度から私も角はガンガン切ろうかしら」
「お前には無理だぜ霊夢。一瞬でも100円が50円になるなんて許せないだろうからな」
 魔理沙が意地悪く笑っていた。そう言われるとそうかもしれない。
「んんー。もつれて来ましたね。混戦です。混沌としてきて難しいですよ」
 どうやら角銀交換してかじりついているようだった。
 そして桂馬の援軍。
 中央の勢力争いの覇権は揺れ動いていた。




(むむむ……)
 激しい攻め合いが続いていた。
(これとこれを交換したらたぶん100円の飴と80円のお菓子が交換でこれが驚き200円につながってわちきの腹が膨れて……)
 お互いに駒を持ちつつ乱打戦。
 咲夜は必死に中央に駒を寄せ集めてそれを受け止めようとする。
(難しいのうこの将棋というものは)
 将棋で攻めるということは駒損するということに等しい。
 何故なら攻めるイコール先に歩をぶつけるからだ。
 つまり相手の方が先に一歩得をするのだ。
 それはほんの一瞬であっても明らかな得である。
 場合によってはいくつも歩を突き捨てて戦局を誘導する。
 先に損をしてでも後に見返りがあればいい。
 角や飛車の打ち込み、相手の玉形の大幅な弱体化。
 その何手か先の未来を見越して、先に損をするのだ。
 将棋に限らず攻めるとはそういうこと。
 ある程度リスクを背負ってでも、先見の明がある者が勝利を収めるのだ。 
(んんー。ああ時間がない……。もうちょっと考えたいのに……。ここをこうこう。こうこうこう! こーきてあーきてこう!)
 小傘は角切りからの駒損の攻め。
 一気に攻めなければ切らされてしまう。
 ここで決めなければ負けなのである。
 しかし局面は芳しくない。
 駒損が駒損を呼ぶ。
 身を切ってさらに身を切り無理やり攻め込む。
(ふわわ。大火事じゃ。壊せ壊せ、はよう壊さねば)
 小傘は常に時間と戦っていた。
 この三十秒に一手という制約は初心者にとっては非常に大きい。手に迷って全く無意味な手を指してしまうことも日常茶飯事である。時間は将棋では最も重要な要素の一つ。後数秒あれば詰みを読みきれた、もっといい手が発見できた。その運命の分かれ道になるのが時間という存在だ。
 その時間を操作できる能力者がいたらどうだろうか。もし永遠に時間を使え考えることができるとしたならば、それは将棋の最強者に最も近い存在になり得るかもしれない。一手一手に微塵も妥協を許さない、八百万の神々に捧げる果実のように、深く吟味された至高の一手。もちろん将棋の本質を真にとらえる大局感がなければ、その雄大な能力の宝の持ち腐れであるが。
(時間が足りないのじゃ。わちきわからない。えーと、えと。もう切れそう。ピッピピッピさっきからうるさい!)
 小傘は妙な違和感を感じていた。それは切羽詰った勝負中では、ほとんど感じることのできない微小な歪み。
(指してもすぐにメイドさんが指してくる……。うえーん)
 そうなのだ。小傘は三十秒めいいっぱい使っているが、咲夜は時間を全部使うようなことはほとんどしない。大体チェスクロックが、耳障りな音を鳴らす十秒前には必ず指し手を終えているのだ。
(うわっ、今度は二十秒で指された……。やっぱりみんなが言ってたように、このメイドさん時を止められるんだ)
 相手の手番も考える時間に当てられる。つまり時間を使わずに指せば相手も考える時間がない。
 この咲夜のハイペースな指し手は小傘の精神を焦らした。
 自分の時間を削ることは相手の時間も削るのと同義。
 自らの指し手の精度も落ちる諸刃の剣、しかし瀟洒なメイドはいとも容易くそれをやってのけた。
(もう手がない……でも何か指さないと……この辺かな?)
 適当に上げた歩。そっぽにはずれた意味のない手。
 対して咲夜はノータイムで桂打ち。
 終盤で読みきったかのような手つき。
 ぐりぐりと力をこめる。
(あわわ……。そんな、早い。わちきもう駄目)
 小傘は追い詰められていた。
 形勢も、時間も、何もかも――。 
(ひー、助けて! 持ち駒は銀一枚……。どーしよー。どーしよどーしよ……)
 小傘は銀をつまんで咲夜陣に引っ掛けた。
 チェスクロックの表示は後一秒。
 ぎりぎりの着手だった。
(あっ危なかったぁ……。ふぅ)
 ほっとしたのもつかの間。小傘は次の瞬間盛大に驚くこととなった。
(あれ……)
 咲夜の口元が一瞬笑った。そして――。
(な、ななな、なんと!)
 飛車の横ききで今打った銀が取られていた。
 思考の空白。
 視野狭窄の弊害。
 小傘はただで銀を献上した。
 後悔先に立たず。
(ふにゃぁ……。もう無理じゃ。わちきの負け……じゃ……)
 多々良小傘はそのまま投了した。




 霊夢は観戦しながら気づいたことがあった。それは咲夜がほとんど時を止めていないこと。序盤こそノータイムを通したが、駒がぶつかってからは普通に時間を使っている。秒針だけの時計でもちゃんと確認した。小傘と同じく三十秒をフルに使った差し回し。
「咲夜の奴時を全然止めてないみたいね。まぁ色々考えてたら仕方ないか」
「そんなのわかんないぜ霊夢。三十秒使ってさらに五分考えてるとかあるかもしれないぜ?」
「ありえないわよそんなの。数秒の時止めでさえ私は疑心暗鬼なんだから」
「まっそうだよな。常人には理解できない概念だもんな」
 二人で話していると、局面は一気に終盤に突入していた。
 小傘の攻めが切れるかどうかの瀬戸際だ。
 画面を見ると小傘の顔色が悪い。目が泳いで舌がペロペロせわしない。
 一方咲夜はポーカーフェイスを保っている。この二人の差は対照的だった。
「焦ってますね小傘さん。これは切れ筋です。ほとんど敗勢に近いです」
 早苗が言った。
「そっかー負けかよ。残念だな」
「んー、それにしても……」
「何だよ霊夢?」
 霊夢は巫女の力で何かを感じ取っていた。
 この勝負に対する奇妙な齟齬。
 得体の知れない違和感。
「咲夜が何か変じゃない?」
「そりゃあんな赤い屋敷に住んでいる偏屈な人間だしな」
「そうじゃなくて……。今の対局。小傘はあんな焦っているのに咲夜は悠々とし過ぎているわ。いくらなんでも昨日将棋教えてもらって三十秒でなんか……」
 そう、咲夜の落ち着きようは不気味だった。まるで最初から自分の勝ちを確信しているように――。
「そんなの時を止めてじっくり考えているからだろ?」
「それだけ? 本当にそれだけかしら……?」
「随分変なことに注意が向きますね霊夢さん。後手の咲夜さんは私が見る限りずっと優勢です。自分が有利で時も止められるならあの落ち着きようもわかるかと。それに表情なんてほとんど変わらない人もいますし」
 早苗が口をはさんだ。
「いやいや、巫女の脳天にピンと来たのよ。博麗神社の神様からの啓示がね。咲夜は何かやっていると思うわ」
「疑り深いなぁ霊夢は。何かやったとしても何やるんだよ? 私は何も思いつかないぜ」
「そう……だけど」
 霊夢は黙った。咲夜は何かしている確信があっても、その何かがわからない。全ては闇の中に消えていく。
「あっやっちゃいましたね。終わりです」
「何?」
 慌てて盤面を覗き込む。小傘の持ち駒がなくなっていた。ついさっきまでは銀が残っていたはずなのに。
「焦って飛車のききに銀を打ちました。タダです。大損。投了もやむなしです」
  


  先 小傘 ●-○ 咲夜


「いやーお疲れだったぜ。残念だったな」
「お疲れ様です。仕掛けは中々よろしかったのですが、その後が雑でしたね」
 戻ってきた小傘に仲間が声をかけた。みるからに小傘は憔悴していた。化け傘の柄の部分が、植物が萎れたようにぐんにゃりしているのがその証拠だ。
「や、やりおる。あやつ……。わちきを驚かすとは……。おお将棋は恐ろしや恐ろしや……」
「お疲れ小傘。私はおしかったと思うんだけどね」
「いえ、明確に差がついてましたよ。銀タダがなくても負けてました」
「そっか……」
 早苗がそう言うのならぐうの音も出ない。それより霊夢は聞きたいことがあった。
「それにしても何であんたあんなに焦ってたの? いくらなんでも動揺しすぎよ」
「う、うーん。だって全然時間が足りなかったもの。あのね、わちきが指してもメイドさんがすぐに指してくるから、わちき焦っちゃって……」
「すぐ? でもそれは最初だけでしょ?」
 それを聞いて小傘はぶんぶんと首を振った。
「ううん、あっちの時間は二十秒とか十五秒とかだったの。んーとね、あのピッピ音もたぶん一度も鳴らなかった……いや、一回ぐらい鳴ったかな? でもメイドさんすぐ指したから……。とにかくわちきが考える時間全然なくって……」
 小傘は泣きそうな声で説明した。
「それ……本当?」
「うん」
 小傘は子供のように頷いた。
「ふーん……。ああっ!」
「ん? 何だ霊夢? 何かわかったのか?」
「いやそうか、こうして、あれ? もしかしてこれでいける? あれれ? うふ、うふふ。これなら咲夜も……」
「あーあ、また霊夢が一人の世界に入り込んでるぜ」
 魔理沙の声が頭に入らなかった。霊夢はある一つの仮説を立ててみた。そしてこれがうまくいけば、この馬鹿げた将棋勝負を終わらせられるかもしれない。
 霊夢の士気は高まった。確実に勝てる勝負があれば挑まないはずがない。
「次は私がいくわよ! いいわねみんな?」
「ご自由にどうぞだぜ」
「ええどうぞ」
「いってらしゃいー。わちきの仇じゃて!」
 仲間の声援を受けて、霊夢は戦場へと勢いよく躍り出た。




 霊夢が対局室に入ると咲夜は姿勢を正して正座していた。
 これから酷い目にあうというのに暢気なものだ。
「はーい。咲夜ちゃんの二連勝。このまま勢いついちゃうのかな? えーそしてこっちチームは何と博麗霊夢ちゃんの登場です! 頑張ってね霊夢? 私応援してるからね? それでは……」
「紫、その前にちょっと」
「何霊夢?」
 咲夜の前にずかずかと歩み寄る。
 霊夢は自分が考えた仮説を証明する手段を、今から聞いてみるつもりだった。
 おそらくこの質問で咲夜のマジックは崩壊するのだ。手癖の悪い手品師は身ぐるみはがされて処刑される運命。イカサマはご法度。霊夢は自信を持って口を開いた。
「咲夜、そのチェスクロックを反対側に置いてくれない?」
「何故ですか? このままでいいでしょう?」
 咲夜はすぐに答えた。表情を一分も変えないが内心はばくばくだろうと思った。
「私は左ききなのよ。そしてあなたは右きき……。それなら両方が押しやすいように位置を変えるべきだと思わない?」
「いえ――別に私は問題ありませんよ」
「それじゃ筋が通らないわよ。私は左きき。あなたの都合だけじゃないのよ」
「はぁ……」
 計算通りだった。咲夜がここで拒否すれば仮説は当たっていたことになる。
「紫。この空間を保存して。何もできないようにね」
「何でぇ? 霊夢?」
「簡単よ。十六夜咲夜は不正をしている。イカサマ、ペテン師。重罪人よ! 今からそれを証明するわ!」


 勝負は一時中断し、対局室に霊夢チームが集まってきた。ただし天子の姿だけはなかった。
「どーした霊夢? 何かあったのか?」
「不正があったのよ魔理沙」
「へー、お前が暴力振るったのか最低だな」
「違うわよ! 不正をしたのは咲夜。もちろん証拠もあるわ」
 霊夢はチェスクロックを片手で掲げた。これが動かぬ証拠。おそらく細工を解除する余裕もなかったはず。今から咲夜の罪が明るみに出るのだ。
「紫、時計出して」
「えー面倒くさーい」
「いいから!」
「ぶぅ……」
 紫はスキマの中からしぶしぶ時計を出した。ごく一般的なアナログの掛け時計だ。
「こんなに堂々と不正が行われていたとは驚きだったわ。咲夜? 言い逃れするなら今の内よ? 自分から罪を認めた方が早いわ」
「私には何のことだかさっぱり……」
 咲夜はとぼけたように首を振った。
「落ち着いてられるのも今の内よ。今かられっきとした証拠を見せるわ。これがその証拠! よーく目ん玉かっぽじって見なさい」
 霊夢はチェスクロックのボタンを押した。時が一秒づつ静かに刻まれていく。
「それがどうしたんですか霊夢さん?」
 早苗が不思議そうに聞いた。
「そこの時計と合わせて見ればわかるわ。ほら次はこっちの番」
 そう言って反対側のボタンを押す。カウントダウンが切り替わる。時は着実に、いつもと変わらず滞りなく刻んでいるように見えた。
「何だ霊夢? 何がおかしいんだ?」
「魔理沙。時計の秒針とこっちの数字の進み方をよーく見ていて」
「んー?」
 霊夢は交互にボタンを押した。しだいに周りの顔つきが変わっていく。
「あれ……?」
「やっと気づいた?」
「あーっ! こっちとこっちで時間の進み方が全然違う!」
 小傘が叫んでいた。
「そうご名答。いい? もう一度確認するわね」
 霊夢はスキマの時計の横に、チェスクロックを並べて見せた。
「こっちは時計と同じ一秒刻みで進んでるわね。でもこっちは……」
 霊夢はポンとボタンを叩く。アナログとデジタルの時間の進行――しかしその足並みは揃わなかった。
「もうみんなわかったわね。咲夜はこのチェスクロックに細工して、故意に自分の時間を増やしていたのよ。目算だけど、こっちは実際の時間で三十秒経っても、二十秒ほどしか進んでいない。つまり咲夜毎回一手ごとに、自分の時間を増やして指していたのよ」
「そ、そんなぁー。わちき騙された! まんまと!」
「本当かよ霊夢? そんなの普通気づくだろ?」
「それが案外気づかないもの。天子と小傘は初心者だった。相手の時間の進みまで気にかける余裕はない。例え気にかけても――咲夜は時を止められると思っている。ここが心理の盲点よ。時間の進みがおかしい理由を自分の能力でカムフラージュしようとしたの。いつでも時が止められるなら早指ししても不思議じゃないってね。でも咲夜は十秒切るのは怖かった。時間があっても三十秒以上の時間を使うことは避けたかったの。あのうるさい音を聞かないのと相手与える無言のプレッシャーだけで十分。咲夜はそう考えたのよ!」
 部屋が喧騒に包まれた。咲夜の顔色を窺う。さすがに我関せずではいられないようだ。瞬きの回数が多く額にじっとりとした汗をかいている。
「驚きましたね。まさか、こんなことが」
 早苗がぽつりと言った。
「ええこのチェスクロックがこの証拠……紫!」
「はいはい霊夢」
「この勝負どうするの? チームに不正者がいたのよ? 連帯責任とかあるんじゃない? 将棋は礼を重んじるのよ。こんな不正は許されないの。十六夜咲夜は糾弾されなければならない」
 決まった――と霊夢は思った。我ながら完璧な流れだった。この後は咲夜が泣いて詫びるだろうが許しはしない。いつかもこいつの主人に煮え湯を飲まされたのだ。その報いを今受けるがいいわ。あんたが悪いのよ咲夜。こんなせこい手を使うから。ボンボンの天人や低級妖怪なんかは騙せてもこの博麗の巫女の眼力にかかれば…………。
「ねぇ霊夢ちゃんはああ言ってるけど咲夜ちゃんは? 私もちょっと擁護できないわよ。せっかくみんなで楽しもうってのにこんなことして……。場合によっては身を持って償わなければならないわね……」
「くすっ」
 咲夜は一つほくそえんだ。
「何笑ってるのよ。もうネタは上がってるのよ」
「ふふふ……。あはは、いえいえ霊夢さん。あんまりにも滑稽な講演でしたもので」
「く、くそっ。紫、笑ってごまかすつもりよこいつは。さっさとスキマに放りこんでミキサーにかけちゃいなさい」
 霊夢は焦った。咲夜の妙な態度に気圧されていた。
「えー、えーと。咲夜ちゃんどういうことなの?」
「簡単なことです。チェスクロックは――壊れていた。ただそれだけですわ」
「何ですって?」
 まさか、そんな。壊れていただけなんて。そんな抜け道があってたまるか。絶対に許さない。
「あーっ。そうよねー。ごめんなさいねー。これ安物だったからねー。んじゃこれ取り替えて対局再開っと。これで咲夜ちゃんはお咎めなし。……ほらみんなで楽しい将棋を再開しましょ。ほらほら!」
「馬鹿っ! 紫! そんなの通ると思ってるの? 壊れたなんて嘘に決まってるじゃない。咲夜は時を止めてチェスクロックに細工した。それしかないわよ。どこのご時世に都合よく片方だけ壊れる玩具があるのよ? はぁっ、はぁっ……」
「おいおい霊夢。ちょっと落ち着けよ……」
 魔理沙が悲しそうな顔で見ていた。何よ魔理沙その憐れむような目は。私はチームのためを思ってやっているのよ。この下衆な女を生かしてはおけないのよ。罰するべき罰するべき――。
「もういいでしょ霊夢。さぁ対局再開再開。咲夜対霊夢。ほら他の人は出てった出てった。出ないと放り投げるわよー」
「ゆ、紫待ってよ……」
「あんまり食い下がるとみっともないですよ霊夢さん」
 咲夜の声。それが霊夢の癇に大いに障った。
「あんたに言われたくないわよ!」
「――手品はもう終わったんです。客は満足して帰るだけ。それが世の中の道理」
「はぁ? わけがわかんないわよ。それに手品って不正したのは認めるの?」
「さぁて? ふふふ……」
「う……」
 不気味な笑いを浮かべる咲夜に霊夢はぞっとした。
 一体全体どうなっているのやら。
 これから対局というのに、霊夢は呼吸を整えるのに一苦労だった。




 チェスクロックの交換は速やかに行われた。紆余曲折を経てやっと四試合目が始まろうとしている。
「咲夜、この無礼きわまりない所業はあんたの主人に似たのかしら? 飼い犬はご主人様に似るって言うしね」
 霊夢は未だ猛っていた。それでほとんど負け惜しみに近い言葉でも、何か投げつけておかなければ気が済まなかった。
「お嬢様を侮辱すると……後で刺しますわよ? 霊夢さん、夜道にお気をつけください」
「なっ、こいつまだっ!」
 じっとしていられず立ち上がり咲夜を睨みつける。
「はいはい。もう喧嘩はやめにしてよ。それじゃ霊夢の先手でスタート!」
 紫の一声で強制的に対局が始まる。
(ちっ……。咲夜の奴、絶対不正で退場で土下座だと思ったのに……)
 霊夢は微妙に焦っていた。しかしここに来たからには勝負しなければならない。博麗の巫女に二言はない。もう今さら後には引けないのである。
「お願いしますわ」
「……お願いします」
 しぶしぶ挨拶をして霊夢は▲7八銀。博麗囲いへの最短ルートだ。
 負けられない負けるもんか。
 霊夢は目の前の敵を叩き潰すことに、全神経を集中させた。




「いやー結果は残念だったけど面白かったな」
「面白くありませんでしたよ」
「そうか?」
 魔理沙は控え室に戻りうんと背伸びをした。お茶を注ぎ菓子をやたらに口に放りこむ。
「でも早苗? あんだけ将棋には礼儀が大事だとか言ってたのにさぁ。何でもっと怒らなかったんだ?」
「ええ、私も怒ろうと思ったのですが、霊夢さんが先に呆れるほど喚いていましたから。何かこう。その、冷めてしまって……」
 無表情で早苗は答えた。
 天子にあんなにつらく当たったのは何なんだぜと、魔理沙は言いたかったがぐっと飲み込んだ。
「そうかそうか。そうだよな。そばでむきになってる奴がいると引いちゃうもんな。どうしてそんな些細なことでって。わかるぜその気持ち。霊夢が顔真っ赤にして怒っていたからな。あはは」
「それもあるんですが……。やはりあの咲夜という方はすぐわかる証拠は残さないと思います。あんな仕掛けはいつかは露呈してしまいます。例えばれても知らぬ存ぜぬ壊れたで通すつもりだったんでしょう」
「あのー。わちきの気は済まないのじゃが……。わちきのアイデンティティの危機。屈辱の驚き……。おお!」
 小傘が横から言った。
「もう終わったことだから気にするなよ。それより霊夢の対局を見ようぜ。たぶんこの勝負は面白くなると思うから」
「何故ですか?」
「なーんで?」
 魔理沙は霊夢とは長い付き合いだった。故に霊夢の感情が嫌というほど理解できる。
「霊夢は咲夜が絶対に罪を認めると思っていた。だから対局する気なんてさらさらなかったと思う。でもその予測は外れたんだぜ。霊夢は負けず嫌いなんだ。この勝負は博麗の巫女として絶対に負けられない。霊夢はそう思うんだ」
「そうですかね。まぁ不正をした人に制裁する感じでしょうか。純粋な正義感――」
「そうかもしれない、そうじゃないかもしれない。とにかく今の霊夢は見ものだぜ」
「へぇ……」
「その顔は信じていないな早苗。我らが博麗の巫女様を応援しようぜ。なぁに、あいつは大丈夫さ」
「本当かなぁ? わちきを倒すほどの手だれ……。君子危うきに近寄らず……口惜しや……」
 霊夢に対する魔理沙の信頼は非常に厚かった。霊夢はここぞいう時にやる女。その勘は大抵はずれがないのだ。
 局面はするすると進む。両者駒組みを淡々と進め独自の陣形を組んでいく。
「咲夜さんは変わらず矢倉ですね。霊夢さんは……あの囲いですか。本番でもやるんですね、驚きました」
「だから言ったろ。霊夢はやる奴なんだ」
 無責任に魔理沙は言った。
「遅い展開ですね。これなら博麗囲いも組めそうですが……。無事に組めた時点でもおそらく不利なのが気になる所ですねぇ」
「そんなに酷いのか? 霊夢の囲い?」
「ええ」
「そうか……」
 多少不安になる。
 魔理沙は画面に映る友人の、凛々しい横顔を見つめた。戦地に赴く博麗の巫女。その姿は勇猛果敢で堂々たるものだ。今にも敵に噛み付かんばかりの闘志をむき出しにしている。
「何かかっこいいねー」
「そうだぜ小傘。巫女はかっこいいんだ」
 そう言って魔理沙は嬉しそうに笑った。




 自陣整備に精を出す両者。
 駒が一度もぶつかることなく、駒組みは進行する。
 先に陣形を築いたのは咲夜。
 どこから見ても隙がない堅牢な砦を築く。
 後手番なら2二の位置に玉は収まる。金銀三枚にしっかり守られた理想的なな位置。
 これを正面から崩すのは並大抵の装備ではおぼつかない。
 竹槍で突撃すれば一瞬で跳ね返されるのがオチだ。
(もう少し……、もう少しで博麗囲いの完成よ。ぬかったわね咲夜。私にここまで組ませるなんて……。後数手であんたの命運は決まるわよ!)
 霊夢のこの自信はどこから湧いてくるのかは不明だった。
 ただ巫女としての感覚に霊夢は従った。
 この形は必ず理想的な攻めの陣形を築く。
 その純粋な理念に基づいているのだ。
(くっ……)
 理想の二歩手前で、咲夜の攻めが先に通った。
 引き角と銀、それに後ろから飛車で狙うお手本通りの攻めの形。
 霊夢の理想は根底から崩れた。
 上ずった金銀。不安定な玉。
 巫女の理想は理想的すぎた。
(ま、負けないわよ私! こんな嘘つきの馬鹿メイドなんかに……。せっかく尻尾をつかんだのに……。絶対に負けるもんか!)
 霊夢はここで切り替えた。
 もうなりふりかまってはいられない。
 中途の建造物を放置し咲夜陣に切り込む。
 3筋、4筋、5筋と歩をでたらめにつっかける。
 読みの入らない、歩を相手にあげただけになりかねない手。
(わからない……けどいくしかない!)
 霊夢の集中力は燃え上がるほど高まった。




 東風谷早苗は継ぎ盤の駒をパチンと動かした。
 無理やり強制されたこの将棋勝負。それもたった二十四時間の勉強だけで、素人同士が対局するという代物。
 早苗も将棋を覚えた当時は素人だったはずなのだが、その思い出はとうの昔に忘れていた。素人同士の対局は締まりがなくお互いに気まずいだけ。きっちりさせるようになるまでは、上級者に教えてもらうのが上達への早道だ。早苗はそう考える。
 素人同士でぱちゃぱちゃするだけならまだいいが、投了をしないとか暴言罵詈雑言はたまた不正とか――。そんな将棋を穢すような出来事ばかり連続してしまう。そんなのは分かりきっていることなのに。
 早苗の不満は大いに募った。この催しを計画した八雲紫に強い不信感を持つのは、無理からぬことであった。
「意味がわかりませんね」
「ん? 確かにわからんな。霊夢が歩を咲夜に貢ぎ出したぜ」
 早苗の独り言に魔理沙が答えた。
「いえ……、まぁこの手も意味がわかりませんが」
 一度に三歩もあげてしまった。玉の固さでも負けているのにこれでは勝てないと思った。自分が咲夜側ならここは守りに徹する。先手の霊夢が勝手に自爆するのを見てるだけでいい。
 しかし展開は、早苗の予想とは違った様相を示した。
「自分から銀交換? まぁ自信があるんでしょうか……。でも……」
「何だ早苗。咲夜の手駄目なのか」
「駄目……というわけじゃないんですが、危険ですね。特に三十秒ですから。無用な切り合いは避けるべきです」
「ふぅん。咲夜の奴焦っているのかな? 何か表情が違うぜ。今の条件は霊夢と同じだ。たぶん」
 時のずれたチェスクロックはもう交換された。今現在二人の時間は同じ歩幅で進む。頼みの綱は時間操作能力だけ。
「わちき知ってるよ。切捨て御免! えいや! とお!」
 小傘が突然傘を振り回していた。
「何してんだ。危ないぞ小傘」
「ご、ごめんなさいー」
 舌を出して謝る小傘を早苗は横目で見た。
 ここで切り合うのは得策ではない。知識と経験が備わった賢者は無意味な戦いはしない。最小限の努力で勝てる方法があるならそれを選ぶべき。
 再び盤面を見た。継ぎ盤の駒は何手も遅れていた。
 戦場は盤面全体にまで広がっていた。銀と桂を持ち合うがお互いに角が使えていない。
 先手の玉は相当広い感じだ。これなら――。
「これは霊夢さんの勝ちもあるかもしれませんね。歩の突き捨てが生きる展開です。後手は先手の悪手を好手にしてしまいました。将棋では往々にしてこういうことがあるのです」
「おおーさすが霊夢!」
 大げさに喜ぶ魔理沙。それを見てため息をつく。
「勝てるかもと言っただけですよ。やっと五分の状況に戻しただけです。こっから急転直下で負ける可能性もあります。いや、あの霊夢さんのことだからどんなポカをするか……」
「へへへ。まぁ見てろよ早苗」
 安心して見ていられるわけがなかった。霊夢は将棋の素質が明らかに欠如している。頑なに自分で考えた囲いを貫こうとするのがその証拠だ。頭が固く対応力がない。その上五手詰めさえできないと言った。
「まぁ私には……どちらが勝とうが負けようが関係ありませんが」
 早苗はつぶやいた。
 



(いけるわ。いける! 絶対いける! 流れがきているわ)
 霊夢の未熟で自由奔放な大局観がそう言っていた。
 形勢は不明のまま、二人でつかみ合いながらごろごろと転がる。
 殴れば殴り返され先に倒れた方が負ける。
 微妙な折衝が続き、咲夜の玉も戦地へと引き出された。
(ふふふだから言ったでしょう。私が正しかったのよ。私の戦法は間違っていない。このまま私の勝ちよ)
 将棋は逆転のゲームであると言われている。
 最後に玉を詰ました方が勝ち。
 どんなに優勢になっていたとしても、最後の最後にミスってしまえば負けなのだ。
 言わば将棋は一番最後――本当の最終局面で相手にミスさせるゲームなのかもしれない。
 ミスさせるような手。
 その基準は至極曖昧で謎に包まれている。
 相手に迷わせるような手。
 それは将棋の一面だけを見ては到底推し量ることができない。
 盤面全体を広く見た別次元から見た大局観。
 そこから逆転の一手は繰り出されるのかもしれない。
(大局観……私の大局観はどこにあるのかしら?)
 将棋で勝つにはどうすればいいのだろうか?
 常に優勢になることができれば話はとても早い。
 しかしそれができるのは将棋の神様だけ。
 人間や妖怪、意思のある者が指している限り必ずムラがある。
 ムラがあれば驚くほど好手も指すが、目も当てられないほどの悪手も指す。
 必ず不利になる局面が存在する。
 不利イコール負けではない。
 負けではない限り、勝ちの可能性は常に存在する。
 例えそれが相手にほぼ依存するものだったとしても――。


「ち……」
 咲夜のうめき声が聞こえた。
 形勢は霊夢に傾いていた。
 霊夢もそれを本能的に理解する。
(あと少しよ。悪は滅びるの咲夜。私には全部わかっているのよ。あんたがもう時を止められる力は残ってないってことを。額だけじゃなく鼻の頭にも脂汗浮かべているわ。そんなぼろぼろの状態で私に勝てるわけなんかない。堂々と不正を押し通した恨みつらみ、その身をもって思いしるがいいのよ)
 霊夢は対局の最中に初めて勝ちになったと思った。
 しかし将棋では不利な状況から、ちょっと有利になったと思える時、一番逆転は起き易いのだ。
 優勢を意識した気の緩み。
 その慢心が指し手の精度を緩める。
 思わぬ切り替えしを喰らって負けにしてしまう。
 げに勝負は最後の最後までわからない。
(城はもう崩壊した……。後は詰めるだけよ!)
 霊夢は遠方から角を打った。
 良し悪しはわからずに感覚と気合で打ちこんだ。
 咲夜はノータイムで銀。
 ほぼ一秒も使わないような速攻の指し手。
(早いわね、でも……)
 霊夢は深呼吸して銀の頭に打つ。
 この桂馬は銀では取れない。
 取れば玉が素抜かれてしまう典型的な例。
 玉を一路ずらす。これもノータイム。
(ブラフよ。もう私にはわかりきっているのよ)
 霊夢は駒をはり着実に咲夜玉を追い詰める。
 追いかける。そして逃げる。
 王手は追う手。
 ふらふらと凧糸が切れたような動き。
 霊夢は明快な詰みを逃していた。
 その反動からくる反撃。
 駒を渡して攻めたばっかりのカウンター。
(ん……。いつ間にか私の玉も危険なんじゃない? まだ大丈夫かしら)
 霊夢のミスで咲夜が息を吹き返す。
 歩の手裏剣の連打。
 そして飛車の一閃――。
 霊夢玉は途端に狭くなる。
 いつ詰んでもおかしくない。
 互いにぎりぎりの勝負。
(なっ何よ……。さっきまで勝ちそうだったのに。おかしいわおかしいわ!)
 心拍数が上がりドキドキが止まらない。
 一手指すごとに全身が痺れ脳が沸騰しそうになる。
 狭い。
 盤面を広く見渡せない。
 一点集中の巫女の視力。
(ま……負けるもんか! 私は博麗の巫女よ!)
 卑小な意地だけが霊夢の支えだった。
 少ない時間をやりくりを必死で糸口を探す。
 気持ちの糸が切れたように咲夜の緩手。
 霊夢にターンが回る。
(これをこうすれば……)
 下段から香車。
 長槍のリーチは驚くほど広い。
 咲夜に詰めろ。
 桂、しかし受けにならない。
(あわわ……。頭が混乱して……)
 霊夢は自分が自分でないような気がした。
 意識が切れかけるが指だけは動いていた。
 最後は簡単な並べ詰めで咲夜玉を討ち取った。
 百三十数手に及ぶ熱戦を制したのは――博麗霊夢。
(ん……、咲夜が頭を下げている。私勝ったの?)


  先 霊夢 ○-● 咲夜


「あ、ありがとうございました」
 数秒後我にかえって、霊夢はそう言った
「いやーとってもいい勝負だったわね! 霊夢の必死な顔が見れて眼福だったわぁ。本気で好きになっちゃいそう」
 紫の声が響いた。
 軽い冗談も今の霊夢には右耳から入って左に抜けた。
「ずっ、随分私をてこずらせてくれたわね。もっと早く負けを認めなさいよ。ちょっと必死すぎるのよ。おかげで……」
 そうおかげで未知の領域にトリップしそうになった。実に将棋は恐ろしい。
「はぁ」
 興味なく咲夜は言った。そして続けた。
「でも……アレがかかっているとなると……。それはもう必死になりますわ。なんてったってアレですもの……」
「えっ何よアレって?」
「あらまぁ」
 咲夜は驚いたように口を開けた。
「霊夢さんのチームは知らされていないのですね。これは失言でした……。ふふふ、いい賞品ですよ。それでは御機嫌よう」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」
 霊夢の言葉には振り返らず、咲夜は霧のように部屋から立ち去った。
「紫! 酷いわね。あっちには賞品を教えているだなんて……」
「まぁいいでしょう霊夢。あなたのチームにはハンデあるんだからあちらにもね」
「よくないわよ。チームの士気に関わるもの」
「今更関係ないでしょ。はい出てった出てった」
 子猫を転がすように霊夢は部屋から追い出された。




「いやーすごかったぜ霊夢。お疲れ様」
「お疲れー。かっこよかったよ! わちき感動した!」
 放り出された霊夢の周りに仲間が集まる。
「ああ、うん。よ……余裕よあんなの」
 霊夢は無駄に強がって見せた。
「お疲れ様でした霊夢さん。色々指摘する点はたくさんあるのですが、百五手目の簡単な五手詰めを見逃しましたね。あれだけはいただけません。あのせいで玉の大脱走劇だったのですから。それからですね……」
「もーいいだろ早苗。結果は勝ちなんだからさ」
「いえいえ、指し手を後から省みることことそが重要なのです。上達の近道は感想戦。地道な努力が身を結ぶのです」
 霊夢は二人の会話をぼんやり聞いていた。頭がぐらぐらしてほとんど理解できない。
 世界がぐにゃりと歪む。
「く……」
 霊夢は畳に膝をつき、べたりと倒れこんだ。
「お、おい霊夢。大丈夫か?」
「大丈夫?」
 体に力が入らなかった。何故?
「単に疲れたんでしょう? 将棋は頭脳のスポーツ。プロ棋士では一日で数キロ体重減少した例もあります」
「おいおい。座ってるだけだぜ? そんなことあるかよ」
「考えるということは非常にエネルギーを使います。脳漿を搾り出して最善の一手、至高の一手を求め続けるのです。その労力は計り知れません。霊夢は見た感じですが、かなり入れ込む体質のようです。手の善し悪し関係なく消耗はすごいでしょうね。行き着く先は――異次元の大局観――はたまた思考の暴走?」
 そうだったのか。これほどまでに体力を削る競技だったとは。
 甘かった。心構えが足りなかった。
 何とか畳に手をつき体を起こした。
「霊夢まだ休んでいろって。あんなにばったり倒れるなんて普通じゃない。それに何かお前やつれているし……」
「心配しないで魔理沙。ちょっとふらっときただけよ。すぐによくなるわ」
「でもなぁ……。私はお前の体のこと本気で気にかけているんだぜ? お前がいなくなったらと思うと私は……」
「何言ってるの魔理沙。あはは。私は大丈夫だから……」
「ねぇわちきの驚きパワーでヒーリングする?」
「そんなのできるのかお前。お願いするぜ。博麗の巫女をこのまま失うわけにはいかないからな」
「ありがとうみんな。やっぱり仲間っていいわね。でも……」
 意識が薄れる。魔理沙が泣いていた。
 自分のために泣いてくれるなんて嬉しいわ。
 ああ大きな傘が見える。
 きっと私を迎えに来たのね――。
 
 


「おい早苗。お前が変なこというから私恥をかいたじゃないか。場の雰囲気に流されてしまったぜ」
 霧雨魔理沙は顔を赤くしていた。
「はぁ、普通に考えれば早指しであんな状態になりませんよ。それに霊夢さんは初心者です。たぶん知恵熱かなんかでしょう」
 早苗の無責任な物言いが我慢ならなかった。
「驚き道に入るのじゃ。教祖は傘。驚き道に入るのじゃ。教祖は傘。驚き道に入るのじゃ。教祖は傘…………」
 魔理沙は霊夢がいつでも心配だった。遠くのテーブルでは、小傘が何やら霊夢に向かってつぶやいている。ヒーリングとは言ったものの妖怪なんかに任せていいものかと不安になった。
「おっと次の対局者が入ってきたようですね。ぼやぼやしてられません」
 画面に入ってくる人物を確認する。
 それはやはり魔理沙の見知った人物であった。
「はぁーい。あっちチームはついに三人目。次なる対戦相手は私の腹心中の腹心、八雲藍ちゃんです! はい拍手! パチパチパチ! 藍は強いわよー。さぁー面白くなってきたわね。将棋はこうでなくっちゃ!」
 紫の耳障りな演説。魔理沙は適当に受け流した。
「うわっ。藍かよ。橙が出てきたからまぁ予想はついていたけど」
「そうですね。何か能力でもあるんでしょうか?」
「うーん」
 これといって思いつかなかった。普段は無愛想で厳粛な雰囲気で、主人に忠実に使える家臣といった感じだ。
「じゃ、魔理沙さんお願いしますね」
「え? 私?」
 と裏返った声で言った。
「他にいませんから。霊夢さんは寝てますし。敗者復活はまだ早いでしょう? 消去法です」
「早苗、お前がいるじゃないか。今日一度も対局してないだろ?」 
 そう聞くと首を振って、
「私は相手としての実力に足りうる人としか対局しませんから。魔理沙さんお願いします」
 と言った。
 早苗は頑なだった。これは絶対に信念は曲げない奴なんだなと改めて思った。
「わ、わかったよ。私がいけばいいんだろいけば!」
「ええお願いします」
 魔理沙は勇気を持って飛び出した。
「あっ霊夢を頼むぜ。じゃあな」
 一言付け加えてドアを一気に開いた。




 静かに藍は鎮座していた。まるでこの和室の空気に溶け込むかのように、不自然なく調和融合しているように見えた。
 腕を組み視線は盤の上をじっと見つめている。その厳かな佇まいからは、密かな闘志の高ぶりが嫌でも感じ取れた。
「おい藍。橙を泣かせたのは私じゃないからな。将棋が悪いんだからな」
 魔理沙は言い訳がましく言った。一応はそう取り繕っておいた方が賢明だと思った。
 藍は微動だにしなかった。が、数秒後片方の眉をほんのわずか動かして応答した。
「魔理沙、貴様と話すことなど何もない。早く座れ。決着は将棋でつける」
「お……お前やっぱ怒ってるだろ? なぁ? 私情を挟むのはよくないと思うぜ」
 当然藍は何も答えなかった。
(こいつ無愛想過ぎるぜ。絶対本気だ。だから私は嫌だって言ったのに……)
 魔理沙は始まる前から圧倒されかけていた。
「えーえー、それでは第五局目を始めたいと思います。今度は藍の先手ね。二人共、楽しく、ねっ?」
「お願いする」
「お、お願いするぜ」
 藍の初手は銀上がり。
 飛車先でも角道でもない。
 魔理沙は不安を隠せなかった。




「さぁー癒えるのじゃー。傘を信ずるー、癒えるのじゃー驚きは癒し。さぁー傘を使うのじゃー」
 子供の声で霊夢は飛び起きた。
「んぁ? 私?」
「あっ起きたね。へへん、わちきの驚きパワーのおかげだね」
 霊夢の目の前には舌を出した小傘がいた。妙な夢を見たような気がした。祭壇に捧げられる生贄になったような不気味な夢。
「ありがとう小傘。それで勝負の方は?」
「今は魔理沙さんが対局してるわ。相手は藍って言う人。とっても強そう」
「ふぅん、魔理沙と藍ね」
 三人目が身内の藍とは。藍がいるのは予想はついていたが、これで相手チームは残り二人である。紫のことだから相当捻った人選に違いない。紫は自分が四苦八苦するのを楽しんでいるのだ。本当に胸糞悪い。
「もういいわ小傘。ありがとう。あっちで観戦してていいわよ。私もすぐそっちへ行くから」
「うん! また驚きパワーで癒されたくなったら言ってね」
「機会があればね」
「わかった。じゃあー」
 手を振って下駄を鳴らして歩く。膝の裏がやけに白かった。
「さてと――」
 記憶を呼び覚ましてさっきの対局を振り返る。確かに早苗の言った通りあそこでは詰みがあった。自身もそんな予感はしていたが踏み込めなかった。まだまだ甘いのだと思った。考えて見れば本番の対局は初めてだから仕方ないのだが、巫女としてのプライドが許さなかった。
 あのギリギリの勝負は何だったのだろう。脳が蕩けるような恍惚状態? 
 もう少しで何かが見える気がした。
 それは究極の一手なのか、それとも――?
「大局観大局観ねー。次はもっと頑張らなくちゃ……」
 背伸びをして立ち上がった。視界が広がる。
 そこで霊夢は忘れかけていた存在を思い出した。
「あっ……天子」
 そういえば忘れていた。早苗にどなられてからどこにいたか見当がつかない。
 どうしたものかと迷っている内に、天子は実に予想もできない行動をした。
「あー疲れたなー。退屈だなー」
 まるでこちらに聞かせるように言ってきた。随分泣いたのか頬にはいくつも涙の筋があった。
「のど渇いたなー。お茶飲みたいなー。誰か淹れてくれないかなー?」
 横目でチラチラと目配せされた。不覚にも、その仕草が妙に可愛らしいと思ってしまった。しおらしく横座りをして、何か母性本能のようなものをくすぐられてしまう。
「飲みたいなぁ……」
 妙に甘ったるい声だった。やばい。
 霊夢はこのままでは変な気分になりそうだったので、後ろを向いて念仏を唱えた。思い出せ、天子は神社を壊した張本人。悪魔だわ。騙されるな。可愛い顔して人を騙す無慈悲な悪魔だ。
「むー。誰もお茶淹れてくれない。もーっ。自分で淹れるからいいもん! でもこのポット……? わからないわどうやればお湯が出るの?誰か? 誰かぁ? うわーんお菓子も美味しくないしもうやだーっ! 衣玖ー! どこなの衣玖ー! 早く私を助けに来てよぉ……。もうやだー、うわーんうわーん……」
 うるさく騒いでいるのですぐに立ち去った。
 天子などにはいちいち構っていられない。
 足をつかまれて引きずりこまれてはたまらないからだ。


 畳を踏みしめて大画面の前まで歩く。
 早苗と小傘が盤面を注視していた。
「どう局面は?」
「難しいですね」
「わちきはわからないと思う」
「そう……」
 どっかりと霊夢は腰を下ろした。画面ごしに見る魔理沙の顔。どこか怯えているようにも見えた。対して藍は威風堂々した感じである。
「藍は見た目は強そうね。何となくだけど」
「そうですね。心構えというか日頃の気性なんかは将棋に現れますからね。藍さんは右四間飛車を使いました。魔理沙さんは棒銀で応戦ですが……」
「その右四間ってのはどうなの?」
「ちょっと形が決まりすぎますが強力な戦法ですよ。角道を開けたまま、4筋に飛車銀桂を集中させます。ある程度指し慣れてなければこれは受けられませんね」
「そっか。ってことは魔理沙は棒銀で攻めているから正解なの?」
「まぁそういうことになりますが」
「ふーん」
 盤面に目を戻す。
 激しい駒の取り合いが繰り広げられている。
 守れないなら攻めればいい。将棋とはそういう微妙なバランスで成り立っているのだと思う。
「攻撃は最大の防御ってわけね」
「ま、大体そうですね」
「あーわちきも攻める方が好きだよー」
 小傘がはしゃいでした。
 局面は細かく刻まれていく。
 銀桂を打ち込み相手陣の金をはがす。
 加えて大駒の突撃。
 しだいに収束する局面。
 互いに豊富な駒を持ち、いつ詰んでもおかしくない状況ができあがった。




(ここまでは上出来だぜ。いきなり攻められてどうなることかと思ったが)
 後手番の魔理沙はどうしても一手遅れてしまう。
 将棋の先手と後手ではほんの微差だが先手が勝ちやすいとされている。
 だから後手番は、勝つために色々な戦法を試行錯誤しなければならない。
 先手は素直に攻めればいい。
 先に攻める権利は先手にある。
(藍の奴気合入ってるな。いきなり攻めてきやがったし)
 右四間飛車は狙いが非常に分かりやすい。
 仕掛け方も飛車を4筋に振り銀が出て桂馬が飛ぶ。
 たったこれだけのことだがその攻め筋は厳しいのだ。
 一点を飛車角銀桂で狙うのは理想の攻めの形。
 俗に四枚の攻めは切れないと言う。
 逆に三枚以下の攻めは、いつでも切れる可能性があるということだ。
 もちろん少ない攻め駒でも攻めなければいけないこともある。
 そのような場合に、細かい攻めをつなげる技術が将棋では非常に重要なのである。
(駒は色々取られたけど、こっちも取ったからおあいこだぜ)
 藍の竜が一段目に入る。
 魔理沙はまだ余裕があると思っていた。
 心の隙。
 受ける必要はない。
 そう判断して攻めの一手を放つ。
(どうせだから主従そろって負かしてやる。あいつは私のこと見下してるに違いないからな)
 藍の細い目が嫌いだった。
 人間である魔理沙を毛嫌いするような冷酷な目。
 今も一段と細くなった目が盤上を凝視している。
 藍は中々動かない。
 残り五秒過ぎても一向に動く気配がない。
(何だ? もしかして切れ負けか? それならそれでいいぜ)
 三、二――、一秒ぎりぎりで銀が放たれた。
 それは浮き駒。何の糸もついていない。


(銀? しかも何もつながってない……)
 王手。
 魔理沙の玉の前にぽんと置かれた銀将。
 どうぞ取ってくださいと言わんばかりに座っている。
(もらえるものはもらっておくのが礼儀だぜ)
 何の疑いもせずに銀を取った。
 しかしこの時既に運命は決まっていたのである。
 歩で叩かれる。
 これも取る。
 裏から飛車回り。
 桂合い。
 息つく暇なく遠見の角。
(何だ何だ。さっきから王手ばっかりだぜ)
 何度防いでも逃げても王手は続く。
 四方八方から攻撃を受ける王様。
(でも持ち駒がいっぱいだぜ。藍の奴焦ったんだ。私の勝ちだ)
 そうではなかった。
 魔理沙の玉は着実に逃げ道を塞がれていた。
 竜の力がやはり強い。
 裏から一歩一歩忍び寄る。
 持ち駒ではなく、自陣からの幸便な桂跳ね。
 これが最後の決め手。
 引いて竜でとどめ。
 王手の連続で魔理沙は捕縛されていた。
 真綿で首を絞めるようにじわりじわりと。
 二十五手という長手数の詰み。
 それも持ち駒一歩残さないぴったりの詰み。
 魔理沙は驚愕の中投了するしかなかった。



 魔理沙 ●-○ 先 藍


 対局室から魔理沙が帰って来た。みるからに憔悴しているようだった。
 まるで狐に詰まされた、いや狐につままれたような顔である。
「おつかれ魔理沙。逃げ間違えたわね。藍ったらあんなやけくその捨て駒ばっかして」
 霊夢はそう思った。誰だってあんなに王手されたら変な場所に逃げてしまうだろう。
「ん……。いや霊夢。よくわかんない。藍の奴すごい気迫だったぜ……」
 しょぼくれたように魔理沙が言った。
「いえいえ、今の詰め手順おかしいですよ!」
「え? 何が?」
 早苗が突然どなっていた。
「今の駒あまりなしの詰み。三十秒でなんか読みきれるわけなんかないんです。藍さんは素人なんでしょう。なおさらおかしいですよ。これは身内を使った不正です。絶対に前々から将棋を勉強しています。断言できます」
「んーでも? 王手してたら魔理沙が詰む方に逃げちゃったんじゃないの? 少なくとも私にはそう見えたんだけど……」
「いいえ、あの方は最後まで完璧に読みきって指したんです。どこに逃げても詰むことがわかっていた。そうでなきゃあの時点で銀捨てから入りませんよ。物言いですこの勝負。物言い物言い! 紫さん弁明してください。身内を使った不正。私の目の黒い内はこんなことは……。早く出てきてください! ……あっリモコンですねもう!」
 リモコンのボタンが連打されると、緩んだ顔の紫が映った。
「え、えー何ですか東風谷早苗さん? 勝負はもう終わったから勝敗の修正とかはなしね。さて話を聞きましょうか」
 紫は無駄にしゃきっとした。
「藍さんのご退場を願います。彼女は将棋を勉強していました。身内ですから言い逃れできませんよ? さぁお答えください」
「早苗……。あんただって将棋経験者だし、あっちチーム一人ぐらいいてもいいんじゃない?」
「それはそうですが私は無作為です。それに対してあっちは身内ですよ。素人同士で対局しあうという趣旨に反しています。とにかくご退場願います」
 早苗は興奮していると霊夢は思った。筋が通っているのかどうかよくわからない。
「紫。回答は?」
 霊夢は聞いた。
「んーと。勝負はこのまま続行。藍もそのままよ。理由は藍の実力だから。それだけ、以上!」
「ちょっと、そんなんじゃ納得できませんよ」
「そ、そうよ紫。ちゃんと説明してよ」
 画面の中でお茶をゴクリと飲み、非常にゆっくりと息を吐いてから紫は答えた。
「言ったじゃない。実力だって。藍の頭脳はずば抜けているのよ。特に計算能力に非常に長けている。将棋の終盤、詰みがある局面で必要なのは、数学的な計算能力なのよね。それは早苗さんでもわかるでしょう? 今の二十手そこそこの詰みなんか藍にとっちゃお茶の子さいさいなの。あの子は対局中でもめきめき進化してるわ。だから強いのよ。さぁわかったでしょう? そっちチームの次の対局者を選んでちょうだいな」
 紫の説明は流れるようだった。
 横の早苗から身の毛もよだつような何を感じた。
「……いいでしょう。霊夢さん? 次は私がいきますね」
「あ、うん? 別にいいけど」
 早苗は立ち上がって高らかに宣言する。
「この現人神が東風谷早苗がお相手しましょう。私が本当の将棋というものを教えてあげます。いくら終盤が強くたって、それだけじゃ将棋は勝てないんです。私がすぐに引導を――。残念ですがもう霊夢さんの出番はありません。それでは参ります」
 大きな歩幅で緑の巫女は戦場へと消えていく。
「自信満々だね早苗さん」
 小傘がひょっこり顔を出して言った。
「最初から早苗が出ればよかったんだよ。寝てようぜ」
 本当に眠いのか、魔理沙はあくびをして横になり目をつぶった。
 満を持しての早苗だがこれでいいのだろうか。
 不安は募る。将棋に限らず、落とし穴はいつでもどこでもぽっかりと口を広げているのだ。



 深く深呼吸をしてから早苗は正座した。
(この感じ、久しぶりですね)
 相対するは八雲藍。
 先ほどの長手数の詰みを見て、早苗はやっとやる気になった。この相手は他のメンバーでは勝負にならない。
「それでは第六局目。お互いに悔いの残らない勝負をしましょうね。早苗さんの先手で。それでは始め!」
 開始を告げる声。
「お願いします!」
「お願いする」
 深々と頭を下げておもむろに手を伸ばす。
 ピシッと形の決まった手つき。
 当たり前のように▲7六歩。
 △3四歩。
 間髪いれず▲7五歩。
 長い間通い続けて来た道筋だった。
(先手なら私はこれと決まっています。悪いですが藍さんに勝ち目はありません。一瞬で終わらせてあげます)
 早苗の飛車がすっと動いた。




「さてとお手並み拝見ね」
 霊夢は大画面の前にでんと陣取った。魔理沙は興味ないのか、座布団を枕にして寝息を立てている。帽子で顔を隠しもうどうにでもなれと言った感じだ。
「魔理沙ったら、早苗の対局見る気ないのね。はぁ……」
 監禁に近い状態でストレスが溜まっているのだろうか。かくいう霊夢自身もあまり心地のいい気分ではなかった。閉塞感というものは心を締め付け駄目にしてしまう。仲間はいるのだが、その相性がいかにもちぐはぐ過ぎて意味をなさない。むしろ逆に負の感情を助長する勢いだ。
「あー早く終わらないかなー。もー」
 と言ったのは天子。おそらく早苗が消えたので安心して近づいて来たのだろう。
「あっ天子ちゃんお茶飲む?」
 小傘が明るい声をかけた。
「うん飲む飲むー」
「じゃあ淹れるねー」
 天子はついでもらったお茶をがぶ飲みした。そして菓子をばりぼりと噛み砕く。怖いくらいに一心不乱で食べている。ストレスは食欲を無闇に増大することもある。食べなければ人間はやっていられない。食べないのは仙人か物の怪か幽霊のどれかだ。
「急に元気になったわね天子」
 霊夢は聞いた。
「ええ。もう終わるんでしょ? あーあー、あの人がいないと気が楽でいいわー。何で私あんなに怒られたのかわかんない。何で、あの人、私の髪をこうつかんでね、意味わかんない。後でお父様に言わなくちゃ、この私を……」
「いないからって陰口言うもんじゃないわよ?」
「ふんっ。私がこんな仕打ち受けるなんてありえないの」
「はぁ……」
 天子はぶつぶつと愚痴を言っていた。言いたくなる気持ちはわからないでもないが、付き合わされる方は大変だ。
 少し頭を切り替えてみる。咲夜が言ったことだ。
 アレとは何だろうか。勝者には栄誉が敗者には絶望が。
 他のメンバーの緩みようは恐ろしかった。早苗一人にまかせっきりにしてしまっている。もし早苗が負けた時はどうするのか。後は自分と敗者復活の一人だけなのだ。相手チームは藍の他に二人いる。その情報も手に入らない状況なのだ。
 霊夢は不安で不安でたまらなかった。
「早苗さん、うわー」
「どうしたの?」
 そういえば早苗が対局していたのだ。
 慌てて盤面に目を戻す。
「これは?」
「んーわかんない」
 早苗の玉は端っこに収まっていた。玉の頭に香車がいて、銀が蓋をとじて周りを金が固めている。
「これは穴熊ね。王様がほら穴に入ったみたい」
「んー冬眠に最適」
 この形は絶対に王手がかからない。守りは完璧のようだ。
 そして攻めの形。この形は霊夢には見慣れない。
 しかし美しい。
 おそらくは博麗囲い並に美しいと思った。




 いち早く攻めの形を整えたは早苗だった。
 飛車を▲7六飛と浮きその後ろに7七桂馬と跳ねる。
 石田流本組へと向かう定跡である。
 受け身のイメージが強い振り飛車の中では、石田流は非常に攻撃的な戦法である。飛車を3筋に振ってから浮き飛車にして、その後理想形を作り上げる。居飛車側はきちんと対策をしていなければ窮屈な形を強制されてしまう。
 自分だけは理想形を作り相手に半端な形を強制させる。石田流三間飛車にはその力が非常に強いのである。
 角の行き場所は早苗は▲9七角を選択。端から相手陣を狙う好位置につける。ここから銀を上げて6筋の歩をついていくのが石田流の基本的な攻め方となる。
(藍さんはまだ立ち遅れています。先手石田流なら私は負ける気がしません)
 先手の利を生かして即座に攻めと守りの構築。先手は穴熊にがっちり囲った後手はそうではない。居飛車が固く囲うには手数がかかる。その隙を狙われて仕掛けられると存外に脆い。
(こう正座していると昔を思い出しますね。久しぶりで心配でしたが私の指は覚えています。この程度の相手に負けるわけがありません。いくら頭がよくても、二十四時間で将棋のいろはを全て覚えられるわけがありません。この勝負もう終わっています。私の勝ちです)
 6筋からつっかける。
 飛車角銀桂が一気に集中する攻め。
 これは受けられない。
 瞬く間に後手陣が崩壊する。
 が、先手陣は手付かず。
 気づいた時には後の祭り。
 一方的な作戦勝ち。
 侵攻という名の蹂躙。
 駒割りは大して差がついていないが玉形の差が大差。
 これをひっくり返すには相当の実力差がなければならない。
(終わりましたね。これ以上は見苦しくなるだけです。早めに投了して欲しいものですが……)
 その思いが通じたのか、藍は数手で投了した。
 憮然としたような納得いかない表情。
 いくら終盤で詰めを100%見つけられるとしても、その段階までいけなければ意味がない。
 将棋は序盤中盤終盤のトータルの能力で決まる。
 どれかが欠けていても勝率を大きく崩す。
 一日の長がある早苗が勝つのは至極当然だった。
(やはり素人ですね。さて残りもすぐに終わらせましょう」
 早苗は礼をして対局室を後にした。


 先 早苗 ○―● 藍


「あ、あれ? もう終わり?」
 霊夢はぽかんと口を開けていた。
 早苗が攻めて少し駒を交換したかと思うと、藍が投了していたのだ。
 お互いの囲いはほとんどそっくり残っているのに。それにそれほど駒の損得は違っていないような感じだった。
「早かったねー」
 小傘が暢気に言った。
「ん……。あっあいつが帰ってくる! 逃げなきゃ!」
 慌てて天子が部屋の隅へ行くと、すんでの差で早苗が戻ってきた。
「お疲れ早苗。早いわねー。私何が起こったかわからなかったわ。何であそこで投了なの?」
「後手番もって実際に覗いて見ればわかりますよ。嫌になるくらい大差ですよ。玉の安定度が全然違いますから。あそこから勝つには絶妙手連発じゃなきゃ無理です」
「へーそうなんだ」
 霊夢はやはり理解できなかったがそう言った。
「これであっちは残り二人だね。ねっ、わちき達勝てるんじゃない?」
「当然ですよ。勝つためにやらないでどうしますか? やるんなら勝たなければ意味ありませんよ」
 と早苗は結論付けた。
 ――勝つために。当たり前が今回はお遊びだったような気がしてならない。もちろん霊夢は勝ちたかったが、そのために人の和が乱れるのは悲しい。魔理沙は不貞寝しているし天子は隅であくびをしている。早苗は勝負に本気だが生徒に対する思慮が足りない。小傘は一人突っ走っている。
 おまけに自分も頭に血が上って暴走してしまった。何がこうさせたのだろう。よくわからない。
 そういえば咲夜は勝ったらアレと言った。アレの正体も未だ不明である。
 考えても意味がないと思い霊夢は画面を見た。
 ドアをきしんでゆっくり開く。
 背の低い少女だ。ピンクの髪で奇妙な形状の装飾物。
「藍を倒すとはさすがね……。でもまだまだわからないわよー。はいお次……! 地霊殿が当主、古明地さとりさんです。将棋の基本は三手の読み。相手がこーしてきたらこーする。でも心が読めたらどうなるのかしら? 幻想郷の将棋に不思議はつきもの。面白い勝負を期待しているわ」
 紫が画面の中から丁寧に説明した。
「さとりね。古明地さとり。相変わらず気持ち悪い顔してるわ」
「誰ですか?」
「知らないの早苗? あんたんとこの神様が地底のいざこざでお世話になったはずよ」
「ふーん……。うさんくさそうな方ですね。全く諏訪子様も神奈子様も近頃何を考えているんだか……」
 さとりと言えばもちろん読心能力だ。将棋に関してはどれほど有用なのだろうか。
「早苗、さとりは心を読む能力があるわ。何をしてくるかわからないから、私が先にいって……」
「いいえ私がいきます。心を読む? そんなの関係ありませんよ。素人が何をしても無駄。私は負けませんから」
「さっ、早苗!」
 霊夢の制止も聞かずに早苗はドアへと向かう。
 何だろう。とても嫌な予感がする。
「早苗さん勝てるかなぁ?」
 小傘の声だけがむなしく響いた。




 早苗が対局室に入ると、さとりはちょこんと座布団に座っていた。
 華奢な体はか細く繊細で、じっとしていればまるで本物の人形のように見えてしまいそうだった。
「あっ神奈子様と諏訪子様がお世話になったようで……」
「いえいえ、こちらこそ……どうぞお構いなく」
 儀礼的に早苗は言った。
 座布団に座り正面からさとりを見据える。緩いウェーブがかった髪が跳ねて、ふんわりと頬にかかる。驚くほどの小顔、細い顎に整った目鼻立ち、白磁のように滑らかで白い肌、そして澄んだ瞳は、見るものを嫌でも惹きつけて止まないと思われた。しかし――。
「何にやにやしているんですか?」
「えっ?」
 早苗は二柱の知り合いでも言っておきたかった。さとりは口元が歪んでいた。上から人を見下すような態度。目を細めてこちらの様子をうかがいながら、粘りつくような視線を送ってくる。
 美人は美人なのだが、早苗はこのさとりの内から滲み出る醜悪さに耐えられなかった。
(この人は絶対に悪そのものです。こんな人を守矢に関わらせるわけにはいきません)
 早苗はそう心に決めた。
「これから将棋をするのににやけた表情では……失礼だと思いませんか?」
「あらごめんなさい。気をつけますわ」
 そう言ってさとりは二秒後にはもうにやけていた。
 早苗は始まる前からイライラしてしまった。
(くっ……、神奈子様達は何故こんな方を……)
「ふふふ、早苗様。そんなに気をわずらわすことなどないのですよ? 私今日はお遊びに来ましたのよ。幻想郷の賢者様にお呼ばれして……私嬉しくてたまらなくって……」
 さとりは誰かに媚びるようにして言った。
「はーいそうよ。さとりさんを見習ってね。この集まりの趣旨をちゃんと理解してね? ねっ? それでは第七局目。さとりさんの先手でお願い。仲良くね。くれぐれも穏便に頼むわよー」
 賢者の声が部屋に共鳴した。
「お願いしますわね、うふふ……」
「お願いします」
 不穏な空気の中対局は始まる。
 さとりの細長い指が盤の上をすっと滑った。




「何か二人して喋ってるね」
 と画面を見ながら小傘が言った。
「世間話でもしているのかもね」
「そっかー」
 そんなはずはないと思った。早苗はさとりの態度を不快に思っているのだ。さとりはそういう能力に長けている。他人の心を読む覚妖怪の本性――。
「でもさぁ。あの白い人、心を読むってどういうこと? 新聞は文字が書いてあるから読めるでしょ? 心ってのは新聞の文字みたいに見えるの?」
「私に聞かれてもねぇ……」
 こればかりはさとりに聞かないとわからない。無論、親しい友達になって気ままにお喋りするなど御免だが。
 地霊殿でのさとりとの邂逅を思い出す。憎たらしい態度でこちらの考えていることを先に言ってしまう。あれには少々辟易してしまった。まともに会話する気などない。ただ人間を自分の退屈しのぎの遊び相手――いやそれ以上の操り人形や奴隷にしてしまうような独善的な考え。
 長らく狭くて暗い地底に住んできた妖怪の考えなど、霊夢には到底及びつかない。
「むー、わちき困った」
 ぷーっと頬を膨らませる小傘。それが妙に可愛らしかった。
「あのね小傘。読むってのは目に見えるものだけじゃないの。空気を読む、未来を読む運命を読む。読むには推測するって意味もあるわ。たった今している将棋だって先の手を読むし……。曖昧でふわふわしたものをつかむ感じかしら?」
「ふぅん……」
 小傘は少し黙ってまた口を開いた。
「で、白い人はどれくらい将棋が強いの?」
「それが一番の問題ね」
 早苗をいかせてしまったことは正解だったのだろうか。負けてもまだ敗者復活はある。藍との対局では圧倒的な差で勝利したではないか。もう勝ちの流れに乗っているはず。早苗は相当の実力者だ。幻想郷で最も将棋の経験があるのは間違いない。このままさとりもその次の相手にも勝利して、この場を終わらせることができる。
 咲夜のアレ発言は気になったがたぶんしょうもないことだろう。
 何も心配はない。
 紫が取り仕切ってるのだ。何も、何も――。
 本当に? 紫?
 今日はやけにはしゃいでいるわね。嬉しいから?
 橙と藍も監禁したのかしら。
 いえ、式だもの主人の命令なら聞くわね。たぶん。無理やりにでも?
 負けたらどうなるの? 負けたら?
「どうしたの?」
「あ……、うん」
 奇妙な思考に埋没していると小傘が声をかけてきた。
 何も穢れを知らない妖怪のつぶらな瞳。しかし少し間違えば妖怪は人を喰らうのだ。可愛い顔をしても何かのはずみで覚醒してしまうかもしれない。驚き、恐怖、人は生命の危機に恐怖する。恐怖とはすなわち――。
 横を見た。
 魔理沙はすっかり寝入っている。緊張の糸が切れたのを突き抜けてだらけているのだろうか。いい気なものだ。
 遠くてでは天子が畳を上を転がっていた。対局を見る気はないらしい。
「早苗……」
 局面は動いていた。もう既に対局は開始していたらしい。
 お互いに飛車を振っている。
「飛車があっちとこっちね。面白そう」
 小傘の目が輝いて見えた。




 さとりの初手は▲7八飛。
 少々型破りだが一直線に三間飛車を主張する。
(……? 初手がそれですか……)
 顔をあげるとさとりが淫らな笑みを浮かべていた。上から目線の、酷く侮蔑に満ちた表情。
(くっ……もしかしてこの方……)
 早苗はすぐに3二飛で返した。
 相振り飛車の相三間。
 序盤から定跡はずれの展開になる。
(挑発ですか? いいでしょう、相振りでも私は負けませんから。何が読心ですか。人の真似っこすればいいなんてもんじゃないですよ。つ付け焼き刃の素人が手を読んでも一手も読めませんよ)
 長い駒組み合戦が始める。
 早苗は美濃囲いを選択。
 対してさとりは金無双に組む。
(三間の相振り……あんまり経験がありませんが……。金無双ですか……うーん)
 相振りでは、囲いは美濃か矢倉に組むのがよいとされている。
 金無双は金が二枚並び、壁銀の形は横からの攻めに非常に弱い。
 ほぼ上から攻められることが確定している、相振りならではの囲いである。
 これに飛車と桂馬を持たれるとすぐ寄ってしまう。
 自分の囲いによって、どう駒を交換するかも思案のしどころである。
 上からにはめっぽう強くても、横からの攻めに弱い金無双では、飛車を切ったり渡したりする攻めはしにくいということになる。
 自玉の状態と安全度の見極めには、常に目を光らせていなくてはならない。
 囲い方一つで勝利の行方は大幅に揺れ動く。
 端歩や金銀や玉の位置で助かったり助からなかったり。
 まさに紙一重の差で終盤は展開されるのだ。
(まずは……ゆっくりした展開ですが……)
 両者飛車先の歩を切る。
 浮き飛車で利便性を図る。
 じりじりとした牛歩の進行。
(妙……ですね。何か……)
 何かと言われても答えようのない不安が早苗を襲う。
 おかしい。
 早苗は先に仕掛けようと思ったが躊躇った。
 三十秒という短い将棋。
 一気に攻めつぶしても勝てると思っていた。
 しかし怖い。
 さとりの指し手――。
 奇妙に自分の読み筋と一致している。
 心を読む? まさか。
 読めても意味がわからないんじゃ。
 将棋の知識なしにまともに指せるわけがない。
 そう――思っていた。
(どうしますか……仕掛け時ですが……反動が……相手は金無双……多少強引でも……)
 いけるとわかっていても手が動かなかった。
 こんな気持ちは初めてだった。
 ふとさとりの方を見た。
 そこには自分が笑っていた。
 目をぎょろりとむき出しにして、へらへら笑っている自分が。
(ひ――)
 首を小刻みに振ると戻っていた。
 白いのっぺりとした顔の古明地さとり。
(まやかしです。私の心が見せた――いやもしかして、私が指しているのは自分……?)
 何故かそう思った。
 そうでなければここまで隙なく組めるわけがない。
 しかし、相手は素人同然のさとり。
 わからない。
 攻めの一歩を踏み出せないまま飛車の反復横とび。
 雁字搦めの膠着状態。
 重い手枷と足枷。
 殴られないが殴れない。
 その時さとりが枷をはずしてくれた。
 さぁお殴りなさいと。
(銀……引き? ここで?)
 中央を守っていた銀。
 それを引けば5筋から一気に決戦ができる。
 何故?
 採算の取れない謎の銀引き。
 わざと隙を見せて攻めを呼び込む。
(あれ……この指し方どこかで……)
 懐かしいような思い出したくないような。
 早苗の記憶は遠く彼方へ舞い戻った。




 古明地さとりの手つきは余裕がある。
 彼女は対局していても実際は将棋を指していなかった。
 早苗の思考回路を全て読み、映し鏡のように反射するだけ。
(まぁ私にかかればこんなものですわ。どんなに相手が強くても五分の勝負ができます。この方は大変集中していて脳波がよろしく、鮮明に像が浮んできますのね。私はそれを入力するだけ。実に簡単なことですわ)
 さとりは余裕を持って指し続ける。相手にもたれかかって汗一つかかない。
 早苗は手を読むがさとりは心を読んで応対した。
(さて……。遊びといえど私は勝ちたいのですからね。どうしますか……)
 局面はがっちりとして動かない状態。
 早苗の読みも停滞を示している。
(ふふふ、能力は自分のためだけにとありましたが……。どうせ私のはばれませんわ。うふふ、使いましょ使いましょう。覚の力を使わずになんていられませんわ。想起――さぁあなたの心の奥に潜むトラウマを私に見せるのです。さぁさぁ)
 さとりは集中し心の奥を盗み見る。
 深い深い暗闇の底――。
(ありましたありました。これで私の勝ちですわ)
 駒をつまんで銀を引く。
 これで砦は崩れ去る。

 



 山沿いの田舎町。場末の小さな将棋道場。
 早苗は大人顔負けの強さを持っていた。早苗は天狗だった。狭い世界といえど自分が一番強いと思っていた。
 しかしその考えは脆くも崩れ去った。
 三十台半ばぐらいの小汚い男だった。いつも酒を飲んでいるのかふらふらで、煙草を空気のように吸っている。
 洗う習慣がないのか粘ついた髪、しわしわのシャツ。駒を持つ節くれだった指は酷く毛深かった。
 聞けば風来坊のような生活をしながら渡り歩いてるらしいと。
 ただし将棋の腕だけは絶品で、何度もアマの大会で優勝していると。
 早苗はその男に勝負を挑んだ。
 自分の力を試してみたかったのだ。
 玄人風味のその風貌に言い知れぬ何かを感じていた。

 ――なんでぇお嬢ちゃん。俺はただの勝負はしないんだ。何かを賭けなきゃな。そうじゃなきゃ気がのらねぇ。

 こづかいにもらった500円を出したが断られた。
 
 ――こんなこれっぽっちでやってられるかよ。帰んな。俺ぁガキの相手なんざしたくないんだ。

 早苗は必死で頼み込んだ。対局してくれるなら何でもすると。
 それを聞くと男はへぇと言って、大口を開けて笑った。
 
 ――じゃあお嬢ちゃんが負けたら……俺の嫁になってくれるかな。ははは、俺の古女房と交換でせいせいすらぁ!

 早苗はもちろん頷いた。
 あまり意味はわからなかったが、対局してくれるならそれでよかった。
 男はどっかりと胡坐をかいて煙草をふかした。
 眠そうな目をこすりながら気だるそうに駒を並べた。

 ――嬢ちゃんの先手だ。俺ぁ可愛い子にはよく負けてあげるが、賭けとあったら容赦しねぇぜ。土下座して詫びても許しやぁしない。ママに泣きついても駄目だ。ぎゃっはっはっは……。

 男の軽口がうるさかったが早苗は必死に指した。
 局面は難しい中盤を迎える。
 駒組みが飽和し互いに攻めあぐねる展開。

 ――ん……ここかな?

 男の銀が動いた。
 ミスだ、と早苗は思った。
 ここの歩を突けば一気に攻めが通る。
 迷いなく早苗はそれに従った。

 ――おっやるな嬢ちゃん。こりゃまいったな。一本とられたぜ。

 男はさも困ったとういう風におどけた。
 数手が進み早苗は状況有利を感じた。
 このまま押し切れると――。
 
 ――おお強い強い。こりゃ俺の負けだな。
 
 そう言って男は角を放った。
 一目では意味がわからない捕らえどころのない角。
 早苗は攻めた。わき目も振らずに攻めた。
 しかしその勢いも長くは続かなかった。
 男の指し手は飄々としてもどこか雄大だった。
 早苗を一歩高みから見下ろすような手。
 強い手を指せば指すほど押し返されてしまう。
 しだいに早苗は劣勢に立たされた。

 ――どしたい嬢ちゃん? さっきまでの勢いは? ほら王手だ。

 早苗の攻めは完全に空かされていた。
 男が中盤で放った角。
 それが今になって実に要所にきいてくるのだ。
 ほんの目先の数手でなく、二十手三十手――いや終盤の詰みまできいてくる絶妙の角。
 早苗には想像もつかない次元の違う大局観にしてやられた。

 ――ちょいちょいっと。これで嬢ちゃんの詰みだな。ははは! いや筋はいいがまだまだだな。

 早苗はくやしくて仕方がなかった。
 煙にまかれたような勝負だったからだ。
 もう一度対局しようと言った。
 男は笑って受けてくれた。

 ――嬢ちゃんは負けず嫌いだな。もう一回俺が勝ったら何をくれるか楽しみだぜ。

 今度は気持ちを変えて急戦で一気に突っかけた。
 一直線に切り合い薄い玉で勝負を挑む。

 ――おおー。なんだそりゃ。気でも狂ったか? 女の子はもっとおしとやかに指すもんだ。

 結果は早苗の惨敗。
 軽く対応されて負けてしまった。
 その後も早苗は何度も何度も挑んだが、軽く一蹴された。
 絶対的な経験と大局観の差。
 それをいやと言うほど体に教え込まれた。

 ――ふぁーあ。もう何回やったかな? そろそろ終わりにしようぜ。……おっとそういや嬢ちゃんは負けたら俺の嫁になるって話だったな……。
 
 男の荒々しい手が早苗の肩をつかんだ。
 早苗は覚悟をして目をつぶった。

 ――ははは! 悪いけど俺は子供には興味ないんだ! 大きくなったら相手をしてもらうかな! ははは……。 

 屈託なく男は笑った。
 つられて早苗も笑う。


 早苗は毎日のように道場に通い男に対局を申し込んだ。
 快く男はいつも受けてくれた。
 相変わらず酒を飲みだらしないが、早苗は何故か男に惹かれた。
 早苗は一度も勝てなかった。
 後一歩というところでいつも負けてしまう。
 紙一重の差が絶望的な差。
 それを埋めるのは甚だ難しい。

 そんなある日道場は急に閉まっていた。
 事情を聞いても大人は取り合ってくれなかった。
 誰に聞いても、早苗ちゃんは知らなくていいんだよの一点張り。
 早苗と男の接点はそれでなくなってしまった。
 勝ち逃げをされたまま遠い所へ行ってしまった。
 ふとむなしくなり早苗は将棋から離れた。
 その後二柱の導きにより幻想郷に至る。
 早苗の中であの男は半ば伝説となっている。





 5筋からの攻勢で戦局は揺れ動く。
 角交換をし、これ以降一歩も妥協が許されない状況が続く。
(これは……こっちが有利のはずなんですが……)
 先行して敵陣に角を打ち込む。
 桂香をもぎとり着実に駒得を重ねるための一手。
 その後急所に馬を引ければ磐石だ。
(相手は素人だっていうのに……私は何でこんなに焦っているのでしょう?)
 さとりのつるりとした顔を見た。
 余裕しゃくしゃくで憎たらしい。
 早苗の視線に気づいたのかにっこり笑って返した。
 甘く抱擁するような優しい笑み。
(ちっ、白瓢箪の顔なんか見てる場合じゃありません。局面に集中集中……。現在は絶対に私が有利なはずですから。相手は素人。こっからは絶対にぼろが出ます。この時点は私の勝ちは揺るぎないのです)
 早苗の思惑通りに局面は進む。
 駒得をして桂香を設置し相手陣に狙いをつける。
(これが本筋です。勝つべくして勝つ。これが私の将棋です)
 早苗は自信があった。
 自分の大局観に従えば間違いのない勝勢。
 直後さとりの手のひらが舞う。
 角――。
(これは……どんな意味が? 受けてもいない……いや、こちらの王様を間接的に狙っている……しかし――この忙しい局面で?)
 ぼんやりとした角に早苗の思考は惑わされた。
 狙いがわからない意味不明の一手。
(し、素人のあがきですよ。経験がないから何の意味もない。悪あがき。終わりですよ)
 早苗はそう思い込むしかなかった。  
 



 対局者の苦悩は観戦する者には全くといっていいほど伝わらない。
 観戦して手を読んでも、本気で対局している当事者の読みとは雲泥の差がある。
「動いたわね。ここからどうなるのかしら」
 霊夢は一人つぶやいた。
「早苗さん、たぶん驚いているよ。表情でわかるもの」
 小傘が口を開いた。
「へぇ……あの早苗が……」
 そう言われてみると画面の中の早苗は視線がおぼつかない。盤面には集中しているものの、どこか散漫とした印象を見受けられる。
「まさかさとりの奴何かしてるんじゃ……」
 霊夢は邪推した。あのいつも薄ら笑いを浮かべているさとりなら、勝つためには何でもやりそうだった。既に十六夜咲夜という前例もある。不正は徹底的に排除しなければならない。
「小傘、リモコンのスイッチを押して」
「あむ……、うん」
 小さい口に菓子をほおばったまま返した。
 画面に紫のなんとも言えない表情が映る。
「何なの霊夢? ゆっくり観戦していなさいよ」
「紫。さとりは何かしているんじゃない? 早苗の様子がおかしいわよ。ちょっと調べてみてよ」
「んー見た感じは別に。何をするって言われもねぇ。私はさとりさんを信用してるしー。ほら、みんなで楽しく将棋をやっているのよ。そんなに不正不正とか言ったらやってられないわよ。霊夢、さっきも咲夜ちゃんにいらぬ疑いをかけたでしょう? あれはよくないわよ? 人は信用するもの。そうじゃなきゃ信用されないからね。はーいっ、この話おしまーい」
「ちょ……ゆか……あっ!」
 画面は切り替わった。慌ててリモコンのボタンを押すがもう戻らなかった。
「何か感じ悪いねー」
「主催者のくせに何なのよ。これじゃルールなんてあってないようなものじゃない」
 霊夢は不満を漏らしていた。どうしようもない焦燥感が襲う。これは和気藹々とした将棋を楽しむって雰囲気じゃない。咲夜や藍は本気で勝ちにきていた。簡単に負けてはいそうですかで済むわけはないはず。
 早苗が負けたらこっちはかなり追い詰められるはず。自分と敗者復活の二人だけ――。あっちのチームはまだ得体の知れない一人も残っているし……。
「ねぇ、あの人は負けそう?」
 転がってきた天子が霊夢の思考を中断させた。
「わからないわ」
「ああそう。早く終われば私はどっちでもいいわ」
 畳を滑って天子はまたどこかへと転がっていった。この天人のやる気のなさと、周囲に与える影響はどうにかならないものか。
「そんなに簡単に人を信用できれば苦労しないわよ」
 霊夢は姿の見えぬ紫に向かって言い放った。




 形勢はさとりに傾いていた。
 早苗は勇んで攻め込んだが、首の皮を一枚つなげるような、ぎりぎりの受けでしのがれたのだ。
(ここでも角がきいている。この手は駄目……。ならここも……)
 妙に角のききが強かった。
 早苗が駒を打ちたい場所にあらかじめ先行されている印象。
 時既に遅し――。
 時間もない。
 早苗の心を絶望が襲った。
(私がミスした……。それだけです。ここからは……)
 早苗はさとりが強いとは認めなかった。
 認められるはずがなかった。
 自分の判断ミスが招いた結果。
 心が折れれば後は崩れ去るのみ。
 早苗は自分が負ける展開を読み始めた。
 どんなに考えても勝ちへの道筋が見えない。
 広がるのはマイナス思考の感情のみ。
(次にここに打たれたらきついですね……。次は……歩で……ああ駄目です。それで詰めろ……受けても……切って必至……それならこっちは……いやそれも駄目、勝ち目がない、暴挙、無謀、無駄に延命するだけ……それなら私は……)
 心を折られてからはさとりに弄ばれた。
 微妙に逃げ道を与えながら駒を取り去っていく。
 早苗はそれに耐えられなかった。
 あの湿った道場の空気。しけた煙草の臭いを嗅いだような気がした。
 さとりの白い手が伸びる。
 最後は一手違いにもならない大差。
「……負けました」
「あら? 投了ですの? 私、もう少し楽しみたかったですのに……。でも降参なら仕方ありませんわね。ほほほ! 将棋は勝つとこんなにも楽しいものなのですね。おっほほほほほほ…………」
 女王のようなさとりの声だけがやけに耳に残った。



 早苗 ●―○ 先 さとり


 はっと気づいた時には早苗は負けていた。
 早苗の表情の変化が恐ろしいと霊夢は思った。
 地獄の輪廻の苦しみを甘受したような苦虫を噛み潰したような、一言では言い表せない顔。
 そんな早苗を見るのは初めてだった。
「あの人負けたの? ざっ、ざまぁ――」
「天子ぃ!」
 許せなかった。
 体が制御できなくなり、二、三度本気で天子の顔面を殴っていた。
 胸倉をつかみ執拗に制裁を加える。
「……げっ……ぶっ……、ご、ごめん……な……さ……あぶっ! ちっ、違うのよ……私そんなんで言ったんじゃ……本当よ……。私を怒らないでよ……」
 涙を滝のように流した天子の顔があった。頬が赤く腫れ上がって痛々しい。
 たぶん――魔に取り付かれていたのだと思う。
「はーっ、はーっ」
 ドサリと天子を畳に落とす。天子には悪いが殴ってすっきりした。
「ひっ、ひひひっ。何よ。いつもはいい顔してるくせに。やっぱり私のことが嫌いなのね?。あの時ももっと殴ればよかったのよ。ひぃい! この嘘つき巫女! 世間体ばかりの……あんたなんか……あの意地の悪い婆の腰巾着……。わ、私知ってるのよ。お父様に聞いたから……、あんたは本当は……ひっひひひひひ…………」
 何か意味不明な世迷言を言っているが気にしなかった。
 腰を抜かしたまま天子はまた部屋の隅の定位置へと戻っていった。
「はぁ、ふぅ……」
 気持ちを落ち着けようと思った。
 早苗が負けただけ。被害は大きいがまだ可能性はある。
 後残りは自分と敗者復活の一人の権利があるのだ。
「おいどーした? あれ早苗の奴負けたの?」
 やっと魔理沙が起きたようだ。あっけらかんとした表情。この窮地を本当に理解している様子はない。魔理沙はいつでもお気楽だ。そうやっていつもずる賢く立ち回って、私の周りを蝿のようにたかって……いや駄目だ、落ち着こう。どうもおかしくなってしまっている。早苗が負けたのも能力将棋ならありえる。
 ある程度は予想は立っていた。そのはずなのに何だろうこの気持ちは。抑えきれない、はらわたが煮えくり返るようなドロドロとした感情。紫がいけないのよ。こんな変なことを思いついて。何が娯楽よ。あんたが安全な所で楽しみたいだけじゃない。やらされるこっちの身になってみなさいよ。ああ紫、紫――。
「そう魔理沙。私達は追い詰められているわ……」
 やっとのことでそう言った。
「そっかー。ん? 相手はさとりか。あいつ心を読むんだろ? 最強じゃん。もう無理だろ。頑張ったけどさとりが相手じゃなー。まぁ霊夢のいいとこも見れたし楽しかったぜ」
 魔理沙はもう帰り支度を始めた小学生のような顔をしている。駄目なのよそれじゃ魔理沙。この学校は無傷では帰れないの。あいつらみんな私達を一網打尽にしようとしているの。
「何だよ霊夢その顔は。まるで世界が終わったような顔しやがって。お前変だぞ。ここに来てからなんかおかしくないか?」
「おおおかしくないわよ」
「声が裏返ってるぞ? それに表情がカチカチだぜ」
 違うおかしくないと言おうした。が、それは小傘の大声で遮られた。
「早苗さんお帰りなさーい。お疲れだったね」
 この傘の妖怪はどこにいたのだろう。至って場違いな甲高い声を出していた。
「あ……ええ。すいません」
 早苗はぽつりと言った。気丈な雰囲気は全くなく抜け殻のような面持ちで、ゆらりと幽霊のように滑りそして畳に倒れこんだ。
「あの人には勝てないんです……。私はあの人には勝てないんです。ああ怖い怖い……」
「早苗……」
「何だ早苗、負けたぐらいで大げさだぜ。きっとさとりに化かされたんだよ。あはは」
 調子よく魔理沙は笑った。もう友人といえど限界だった。
「わかってないの魔理沙? あんたが寝てる間に事態は深刻化してるのよ? 気づいていないのは魔理沙だけよ? 早苗のこの有様を見なさいよ。ただのお遊びでここまですると思う? 咲夜といいあいつらは本気で私達を潰そうとしにきてるのよ」
「お、おいおい……。何でいきなり……」
 霊夢は咲夜のアレ発言を説明した。これを話せば魔理沙もきっと納得してくれると思った。
「へーそりゃ初耳だぜ。でもな霊夢――」
 魔理沙は一度溜めて、
「きっとそりゃ食料一年分とかそんなんだぜ。咲夜は瀟洒なメイドだからな。レミリアのためなら何でもするんだ。お遊びに本気になる子供っぽい忠実なメイドさんだ」
 と言った。
「魔理沙……でも……」
「もー何だよ。みんな暗いんだぜ。早苗が負けたぐらいで……。こんなボードゲームに本気になって……。私は藍に睨まれて散々だったんだからな? 私があいつに煙たがられているの知っているだろ? 私はただの人間なんだぜ? 魔法なんかほとんど使えない生身の人間で……お前ら博麗の巫女とか妖怪とかと違って丈夫なんかじゃない! 私は、私は……」
 どうやら魔理沙も腹に溜まっていたようだ。しかしうるさい。
「ねー二人ともやめてよ……」
 小傘が泣きそうな顔で言った。
「おい霊夢なんとか言えよ。いいからお前が残り全部勝てば終わりだろ? 博麗の巫女なんだから簡単だろ? なぁそうなんだろう? ああ?」
 魔理沙がつかみかかってきた。もう壊滅的にめちゃくちゃだ。どうしてこうなったのか。苦しい。まずは命の安全を確保しなければならない。
「はいはいはいはいー! 仲間割れは後にしてよねあなた達。今は勝負の最中なんだからね。さっさと次の選手を決めて頂戴な。制限時間後十分ね。私決めたからね。ほら見なさい。古明地さとりさんが首をながーくして待ってるわよ? あっ伝言ですって……博麗霊夢ちゃんをご指名だそうよ。霊夢さんへ、二人で将棋をしながら愛を育みたいな……ですって! キャー! 霊夢は本当に愛されるわねぇ。妬いちゃうわ私」
 ゴタゴタした状態に紫が割り込んだ。画面を見る。
 さとりが画面の中から手を振っていた。そして大げさに手をつかって投げキッス。意味がわからない。
「と、とりあえず次は誰かを決めましょう……。一人敗者復活できるわ」
「う、うんそうだな……。霊夢、つかみかかってごめんな?」
「私もごめんなさい魔理沙。ちょっとどうかしてたわ」
 結果的には紫の一声が二人の仲を救った。しかし状況は変わらない。このメンバーの中でさとりに勝てる人物はいるのだろうか?
 早苗を倒したのなら誰も勝てる気がしないのは言うまでもない。
「で、誰が……いくの?」
「んー霊夢は? どうせ最後には戦うんだろ?」
「そうね、でも……」
 霊夢はさとりと対局するのは嫌だった。あの狭い部屋の中で、どんな変なことをされるかわからない。初めて会った時もそうだ。足の先から頭の頂点までじろじろ見られて気持ち悪かった。妙な目つきで見つめられて、ぞっとするような思いの中弾幕戦をしたのだ。
「でも、でも……うーん」
「わちきも勝てる気がしない。あの人驚きそうにないもん」
 小傘が言った。
 驚きそうにない。たぶんさとりにとって驚くというのは、人の前に立った瞬間完了しているのだろう。その人物の概要が一瞬でとらえることができる。
「あ、あの私もう大丈夫です。つぎつぎ次は絶対に勝って見せます。ああの人に私は勝ちたいんです……。あああ私はもう一度……」
 早苗は呂律が回っていなかった。こっぴどくさとりに精神をやられたらしい。
「駄目よ早苗。あなたは休んでいなさい。今の状態でさとりと戦っても思うツボよ」
「ででででも私が勝たなきゃ……私が……私は神奈子様と諏訪子様に誓ったんです。私は現人神だから……」
「無理だぜ早苗。いいから寝てろよ」
 誰がいけばいいのだろう。刻々と時間は過ぎる。
「ん……」
 霊夢はふと部屋の隅を見た。天子がだらけて寝そべっている。
「そうかこの手が……。もしかして……」
 賭けてみようと思った。薄い賭けだがそれに託してみる他ない。
「天子! ちょっとこっち来なさい」
「んっんん? えええ?」
 天子は急に呼ばれたので目を白黒させたが、子鹿のようにのっそりと近寄ってきた。
「何々? 私もう怒られるの嫌だからね? 何もしてないよ?」
 眉をひそめて警戒している。あんなに殴られたら当然だろうか。
「あー、うん、えっと」
 どうやって切り出そうか迷った。
「……とその前に。魔理沙、小傘ちょっとこっち来て?」
「何だ霊夢?」
「なぁに?」
「二人とも耳貸して」
 魔理沙と小傘にひっそりと耳打ちする。用意は前もってするのが得策だ。
「なになに……。ああわかったぜ」
「ふーん。ふんふん……」
 これにはみんなの協力の必要がなければならない。
 それを訝しげに思ったのか、天子が声をあげた。
「ちょっと声かけたと思ったら他の人と話して……、私を馬鹿にしてるの? も、もう行くんだからね!」
 へそを曲げられたら敵わない。霊夢はすぐに口を開いた。
「天子。次の勝負あんたが出てちょうだい。さとりに勝てるのはあんただけよ。あんたの力が必要なのよ!」
 霊夢はできるだけ心をこめて言った。
「は……? はぁぁあ? 何それ? 意味がわからない。私みんなに無視されたのに今更……顔も殴られたし散々だし……。私悪いことなんかしてないのに……、ひっひひひ――。何よぉ、私だってそんなに馬鹿じゃないわよ! 何をたくらんでいるの? 私を笑い者にしようって魂胆? 私は偉いのよ! ひっひっひ、ひひっ。何よ何よ――」
 醜く歪んだ卑屈な笑い。
 この反応は予想通りだ。手は既に打ってある。
「天子、私からもお願いするぜ。たのむ! 天子様の力が必要なんだ。お前かっこいいだろ? だからお前出て欲しいんだ」
「天子ちゃん、ごめんね。わちき天子ちゃんのことわかってなかった。天子ちゃんは一番偉いの。ううん、幻想郷の誰よりもきっと――。天子ちゃんは絶対できる子だと思う」
 天子に賞賛攻撃が集中する。
「な、なな? そんなこと……いわれ……ても……」
 言葉とは裏腹に顔が緩んでいる。明らかにダメージを受けている。この手を緩める言われはない。
「信じているわ天子」
「お前がナンバーワンだぜ天子」
「天子ちゃんのかっこいいとこみってみたいー」
「う……、うう……みんなぁ……ううっ、ぐす……」 
 天子は涙を流して泣き崩れた。方法はどうあれ作戦は成功したようである。
「……何か心が痛むぜ」
「勝つためには手段を選ばないのよ魔理沙」
「でもなぁ」
 しかしこれでさとりとは五分五分くらいだろうか。分の悪い賭けであることは変わりはない。
 その時ふらふらと早苗が近寄って来た。顔面蒼白で相変わらず幽霊のようだ。
「あの……。もしかしてその方を敗者復活ですか? いけません。私……やれます。私にリベンジさせてくださいお願いします」
「駄目よ早苗。足が笑っているわ。ここは仲間を信じましょうよ。見なさいあの天子の堂々とした姿……」
 天子は泣いていたかと思うと、即刻立ち上がってがに股で気合を入れていた。
 べそをかいていた天子とは大違いの、まるで後光がさしたような威光の権威の象徴である。
「私は比那名居天子! 私に従いなさい下界の民よ。私の力にひれ伏しなさい。おーふふふほふふほほふ……」
 それを見て早苗は呆然とした。
「ねっ? いけそうでしょ」
「で、でも……」
 肩にぽんと手を置く。当たり前だが早苗は自分と同じ少女。筋肉のない細い肩は柔らかくて儚げだった。
「私達は仲間よ。大丈夫、天子を信じましょう」
「うう……、うううう……。霊夢さん私……、私……」
 どうにかまとまったので霊夢は満足した。
 霊夢は思う。人の心とは――実に移ろいやすいものであると。
 




(私はみんなから必要とされている。信頼されて崇められて頼りにされてる)
 天子は勢いだけで、さとりが待つ対局室へと入った。
(えーとこの人は誰かしら? 私は比那名居天子。 あなたは?)
 さとりの白い顔をまじまじと見つめた。白すぎて怖いくらい。これほどまでに白い顔を、天子は今までみたことがなかった。
「ふふん、私が誰だか知る必要はありませんよ。そんな暇もなく私の足元にひざまづくのですから」
「なっなにおー」
 天子はいきり立った。自分に無礼を働く輩は許せない。
「あなた単純ですわね。それでは私勝てませんわ。赤いマントにやたら突っ込む牛のよう。私が一からご丁寧にしつけてあげますわ……おほほほほほほ――」
「くうぅー。何よお化けみたいな顔してー。もー、私がけちょんけちょんにしてやるんだから!」
「は……。愚かですわね。身の程知らずの能無し天人様が。私と霊夢さんの恋路を邪魔しないで欲しいですわ。さぁ紫さん、さっさと開始の合図をお願いしますわ。時間は有限であります。霊夢さんとの時間を一秒たりとも無駄にはできませんから」
 さとりは声色高く言った。
「ああごめんなさい。ちょっとぼーっとしてたわ。それでは……今何局目だっけ? まぁいいわ。さとりさんと天子さんの将棋勝負スタート。待ったなし静粛に仲良く楽しく穏便に。先手は天子さん……はい始めっ!」
(やってやるわ! ……って何するんだっけ? 将棋? 私もう暴れたい気分だったのに……残念。あーあ、急にやる気なくなっちゃった……)
 線香花火が燃え尽きるように意気消沈する天子。
 適当に歩を突き、チェスクロックをタンと叩いた。




「うひょう!」
 霊夢は突如、猛烈な寒気を感じて飛び上がった。
「どうした霊夢? 風邪か?」
「いえ、ただの武者震いよ」
「そうか。どっちにしろお大事にな」
 気を取り直して画面を見た。
 鼻息の荒い天子の顔が映っている。対してさとりはおっとりしとた、涼しげで汗一つかかない顔。こうやってカメラごしでも、さとりの造詣の美しさがわかる。座布団にちょこんと腰掛けている様子は、まるでお人形さんのようだ。
 ぼけっと天子も局面もそっちのけで見ていると、さとりの目が突然カメラに向いた。流し目でじっとりとした視線――。霊夢はドキリとした。追加でパチリとウインクを贈呈されてしまう。
「な……」
 霊夢はあんぐりした。何で? あの部屋からこっちの様子がわかるけないのに。ただの偶然? 霊夢は不可解な気持ちに襲われた。
「何赤くなってるんだ霊夢? 熱も出てきたのか? 一回病院行った方がいいぜ」
「い、いえ……さとりが……」
 そう言って画面のさとり側を指差す。
「さとりがどうかしたか? いつものにやけ面じゃないか」
 もうさとりの視線は盤面に向いていた。もう霊夢は考えないことにした。幻覚、偶然、手品まやかしその他天変地異。何が起きてもおかしくはない、そうここは幻想郷。生き抜くためには勝てばいい。ただそれだけよ。
「あっもうまた天子ったら」
「また桂馬跳ねたな。馬鹿の一つ覚えみたいに。何で天子を選んだんだぜ霊夢? どう考えてもさとりに勝てる見込みなんてないじゃないか?」
「今にわかるわよ」
 と言って盤面に目を向ける。勇み足をした兵は捕らわれるしかない。
 天子は先に桂損をする。
 しかし――。
「あ、あれ? さとりも桂馬跳ねたぜ? 単騎だけで崩せるわけでもないのに……」
「ふふっ、私の予想は正しかったわね」
 霊夢は少し偉そうに言う。
「どういうことだ霊夢?」
「いい? さとりも私達と同じ二十四時間の時間を与えられていた。限りなく素人に近い状態。それなのに経験者の早苗に勝ってしまった。これが何を意味するかわかる?」
「ん……」
 腕組みをして考える魔理沙。
「藍みたいに頭がいいとかじゃないのか? あいつ地底に住んでるし不気味だしペットいっぱい飼っているしさ」
「とてつもなく頭がいい。その可能性もあったけどそれははずれ。今の桂馬跳ねでそれが明るみに出た。陣形も早苗と対局した時と比べてばらばらよ。つまりさとりは相手の思考そのものを映しとって指している。光を反射する鏡のようにね。誰とでも五分に指せて誰にでも勝つ可能性がある」
「へ、へぇー。でも読心ってそんなに万能なのか? 三十秒の中でそんな……」
「まま、それはさとりだからとしか言いようがないわ」
 そう納得しなければ考えられなかった。しかもあの早苗の怯えよう。相手の心に介入して、トラウマを発現させているに違いなかった。こういう不正を正すのが紫の仕事なのに、肝心な時に役に立たない。
「ふーん。まぁさとりと五分なのはわかったけどさ。何で天子なんだ? 私でも霊夢でも構わないんじゃない?」
「ただの人間は危険よ。勝つためならどんな手段を使ってくるかわからないもの。それに天子を選んだのにはちゃんと理由があるの。さとりは将棋の記憶を、相手の心から必死で引き出そうとするでしょう? 早苗以外はみんな大差ないと思うけど……、一人別格に経験のない人物がいるわ。それが天子よ」
「ああそっか……」
 魔理沙もようやく合点がいったようだ。
「そう、天子は仲間はずれにされて、まともに練習できなかった。本も読んでたけど三十秒で放り投げたでしょうね。……あ、こっそり棋譜並べはしてたみたいだけど。ともかく天子は対局する機会がなかった。この中では最もさとりに勝ちやすい相手よ」
「なるほど、さすが霊夢だぜ」
 そう言われても嬉しくなかった。これはいわば破れかぶれの戦法。追い詰められた結果の窮余の策だ。もし自分が強かったなら小細工など使う必要がない。早苗を倒したさとりが怖かったのだ。何を仕掛けてくるかわからない底無しの恐怖。ルールとは名ばかりだけで、いくつも抜け道がある。
 自分は天子をいけにえにしたのだ。魔理沙と小傘まで使ってそうさせた。もし天子が負けたなら後は自分しかいない。さとりと戦うのが怖くて逃げたのだ。何て愚かで卑小な存在なのだろう。最終的な決断を引き伸ばしにしただけの、性根が腐った女の延命措置。
 霊夢の思考は、深い底無し沼の中に沈んでいった。




(くぅ……)
 古明地さとりは焦っていた。さとりの将棋は根底から言えば将棋ではない。覚妖怪は相手の手を読む必要はないのだ。相手の心を読みそれに順ずるだけ。故に正面の対局者以上の実力は発揮できるわけがない。
 彼女は将棋をする人の心で、将棋した振りになっている。早苗の読心像は非常に鮮明であったので、少しも苦労しなかった。人並みはずれた集中力のおかげもあって、想起から恐怖の記憶を引き起こすことも容易だったのである。
 しかし比那名居天子は勝手が違っていた。さとりにとっては手の善し悪しがわからない。わかるのが互角の勝負を演じていることだけである。勝つかどうかは運否天賦。その穴が埋めるのが想起であり、その他詐術であったりするのだが。
(こ、この方将棋に全然集中していません。読心も思うようにいきませんわ……)
 さとりが労せず心を読めるのは、記憶のごく表層。その現在の心の内でさえもおぼつかない。
(こんな落とし穴がありますとは……。いいえ、落ち着きましょうさとり。これに勝てば霊夢さんと対局できますわ。うふふ。私が本気になればこんな方……うぁあもっと集中してくださいよ。ケーキとかチョコレートとかジュースとか衣玖とか衣玖とか衣玖とか――)
 局面は全く先の予想もつかない力戦形に進んでいた。
 無意味な駒損をお互いに繰り返しながら、じりじりと戦力を蓄えていく。
(三十秒が……短すぎます。もう読心を切った方がいいでしょう。私までペースを乱されてしまいます)
 さとりは自分で考える。
 しかし将棋の手は読めない。さとりが読心に依存する部分は非常に大きい。
(わかりませんわ。正体不明です。駒の動きの把握だけで手いっぱいです)
 彼女は紛れもなく素人だった。それも努力を怠る真性の怠け者。
(負けられません。私は霊夢さんと勝負するんですよ。これに勝ったら霊夢さんです。霊夢さん霊夢さん霊夢さん――)
 さとりは上の空だった。
 


「あ……、あの方の指し手……。馬鹿な……。私と指した時とはまるで別人……」
 少し落ち着いたのか、早苗が画面を見て言った。
「当然よ。あいつは将棋を指していないもの。指していたのは早苗に似た誰かさんかしら?」
「そんな、そんな……」
 早苗の心境もわからないものではない。今のさとりの手は、天子に勝るとも劣らないぐらい酷かった。自ら進んで駒損をして、玉自ら激戦地に躍り出ようとしている。
「天子ちゃん眠そうだね」
 小傘が横から口を開いた。
「全然集中してないわねあの子。でもそれがさとりにとっては急所なのよ。的を絞らせない。さとりは今とても焦っていると思うわ。他人にもたれかかってきたツケ。それをあの天人に教えられているんだもの……。まぁでも、何か強行手段に訴えてくることも、あるかもしれないけど――さすがにばればれなことはしないかしら? 他人に危害を加えることはご法度よ。みんな画面をよく見ててね」
「はーい」
「おう霊夢」
 遠くで再び寝ている魔理沙が応答した。
「もしかして、私もさとりさんに何かされていたのでしょうか? どうも対局中、変な気分になっていたのですが……」
「早苗はちょっと入れ込み過ぎているように見えたわ。心の隙に付け込みやすい状態なんてあるのかしらね? よくわかんないけど」
「そう……ですか」
 と早苗は嘆息したようだ。能力を使われたとはいえ、格下に負けるのは耐えられなかったのであろう。
 盤上の駒が交換されていく。
 天子の玉が危険だった。
「あっ、今七手詰めがありましたが……見えませんか」
「詰んでた? でも今のさとりじゃ無理よ」
 さとりの顔が奇妙に歪んでいた。
 天子の玉が逃げる。しかしその逃げ方がまずい。
「ううっ。今度は三手詰めです。これはさすがに……」
 早苗がくぐもった声で呻いた。
 この詰めは霊夢にもわかった。飛車を打てば終わり。
 だが現実は違った。
 さとりは時間ぎりぎりで歩を打つ。
「飛車じゃ……ない? ここを逃がしたら面倒ですよ。逆転しましたね。天子さんのターンです」
「しのいだわね。さすが長生きしている天人は悪運が強いわ。年貢の納め時ねさとり」
 年貢の納め時――。特に被害を受けたわけでもないのにそう言った。いや、これから被害を受けるであろう予感がそう言わせた。




(はぁー。もう疲れたなぁ)
 飽き飽きしながら天子は指し手を継いだ。
 どうもさっきは王様が危ないらしいことはわかった。適当に逃げている内に、瞬く間に大海原へと旅立つ。
(よくわからないけれど勝てそうだわ)
 と金をゆっくりと作る。
 天人の余裕すら感じさせる重厚な攻め。
(ここに桂馬を打てば……、確か本で見たこの形。どこに逃げても金銀で詰みだわ)
 偶然記憶を呼び起こす。気まぐれに天子は集中しだした。
 さとりの動揺とは裏腹に、着実に勝利への道を歩む。
 対してさとりは詰めろが消えない受け。
 勝負は決まっていた。
 天人の奔放さと純粋さの勝利だった。
 罪人に判決を下すような、ゆっくりとした手つきで駒を置く。
「負けました……わ」
 古明地さとりの投了だった。
「え、えっ? 私の勝ち? あ、うん……ありがとう……」
 天子はきょどきょどしながらお礼を言った。



 先 天子 ○―● さとり


「やったわね。天子の勝ちよ」
「わぁーい。勝ったー」
 霊夢はさとりが頭を下げるのを、しっかりとこの目で確認していた。覚でも将棋の心得のないものには敵わなかった。霊夢は心の底からほっとしていた。この決断は間違っていなかった。結果論かもしれないがこれでよかったのだ。
 ドアからは天子が微妙な表情をして帰ってきた。
「お疲れ天子ちゃん。かっこよかったよ」
「うん、うーん……」
「もっと喜びなさいよ天子。あんたがさとりを倒したのよ。運命を切り開いたのはあんたよ」
 霊夢は目を見据えて言った。
「あ、ああ……。いいわねこういうの。うふふ、私は比那居天子。みんなに慕われる素敵なお姫様。らんらんーらーん♪」
 と言って、くるりとターンしてダンスを踊るような素振りをした。本当に嬉しそうだった。
「あんまおだてるなよ霊夢。また調子にのるぜあいつ」
「うん魔理沙。でも今はいいと思うの」
 初めてチームが一つになったような気がした。仲間としての他に換えがたい実感。勝敗に関係なくそれはいつでも大事なもの。
「……わ、私はあの方を認めたわけではありませんよ。勝ったのも偶然です偶然!」
 早苗はそっぽを向いた。この巫女はどうあっても無理なものは無理らしい。
「さてと、残りは後一人ね。鬼が出るか蛇が出るか……。何が出てこようと叩き潰すしかないわね」
「そうだな。妖怪退治は霊夢の仕事。期待してるぜ」
 魔理沙の言葉に応えるように、霊夢は拳をぎゅっと固く握り締めた。




 屈辱の敗北を喫したさとりは、仲間が待つ控え室へと、よろよろとした足取りで戻った。
 厳密では仲間ではない。さとりにとっては自分以外は利用するべきもの。仲間という概念は覚に生まれた時点で捨て去っている。それは肉親であっても頑なに変わらないのである。
「私が……負けた。この私が……せっかくの霊夢さんとの愛の巣が……。あああ!」
 さとりは自分で全部勝つつもりであったので、この敗戦には酷い虚脱感に襲われてしまった。
「はぁ……。もう何でしょう。ありえませんわ、私が負けるなんて……。あっこいし。お茶を注いで頂戴。お姉ちゃんちょっと疲れちゃっ――――ぐぶっ!」
 控え室に入るや否や、さとりは畳を盛大に雑巾掛けしていた。
 さとりの妹、古明地こいしが姉の顔を手加減せず殴っていたのだ。
「よくおめおめと帰ってこれたもんね。覚妖怪の恥さらしだわ! お姉ちゃんのクズ! 能無し! おたんこなす! アンポンタン! 余裕ぶっこいて十八時間もぐーぐー寝てるから悪いのよ。お姉ちゃんはいっつも努力しないから……馬鹿! でも安心してお姉ちゃん? お姉ちゃんの後始末は私がつけてあげる。将棋が私に勝てと言っているのよ……うふふ。私は負けない! 将棋で八つ裂きにして細切れに切り刻んであげる。うふふ、うふっ、うふふふふ――」
 妹が吼えながらドアの奥へと消えていくのを、畳に這いつくばりながら見守った。
「いたた……。もうあの子ったら……」
「ふふふ、いい妹様ですね。喧嘩するほど仲がいいって言いますし……、とてもうらやましいですね」
 騒ぎを傍観していた十六夜咲夜が言った。
「ふふん、あなたに私達姉妹の何がわかりますか。人間や悪魔の範疇では計れないのですよ」
「あらそうですか」
「そうですよ」
 さとりは立ち上がって座布団に座った。この咲夜という人間は心を読みにくかった。普通の人間とは一線を画したような雰囲気。
 咲夜は手馴れた手つきでお茶を注いだ。
「ああ、ありがとうございます。あなたは気がききますね。いいことですわ、精進しなさいな。何なら地霊殿のメイドペットにしてもよろしくてよ?」
「あ、いえ。間に合っておりますので」
「そう」
 気まぐれに言ってみたが、やはり断られた。さとりは他人をペットにするためなら何でもするが、今は霊夢の方が大事だった。このこいしの成果如何で今後の運命が決まるのだ。目を離していてはいられない。
「それにしても自信満々でしたのに、あっさりに天人に負けましたね」
 咲夜がいらないことを笑顔で聞いてきた。
「く……。ふ、ふふっふふふ……。嫌ですわあなた。負けたのは私の愛ですわ。可愛い妹に出番を与えてあげる。こいしのために私は負けてあげたのです。決して心が読みにくかったとか、勉強不足だったとかはございませんわ。目にも入れても痛くない、妹の努力を無にしては、先祖に申し訳が立ちませんわ。これは愛です。姉妹愛、家族愛。愛、愛!」
「はいはい。よく存知あげております」
「むっ、本当ですからね」
「ええそうですわねお嬢様」
 咲夜は瀟洒に言った。
 こいしに叩かれた頬が無駄に痛かった。
 

 

 画面に映る人物を見て、霊夢は驚きの声をあげた。
「あ……、今度はさとりの身内なのね。妹、こいしって言ったっけ?」
「また白い奴かよ。あーあ、私は早く負けてよかったぜ」
 魔理沙はせいせいしたように言った。
 非常に小柄で華奢な体格だった。風が拭けば飛びそうだったが、ぼさぼさの髪から覗く鋭い視線は、尋常ではない異常性と攻撃性の象徴だと思われた。
「相手は古明地こいし。さてこっちは……」
 皆の視線が自然に天子に集まった。
 天子はきょろきょろと周りを見て、
「いやっ、私の魅力にやっと気づき始めたのね……。もっと褒めてもいいわよ!」
 と腰に手を当てて偉そうに言った。
「いい気分の所すまないけど、また対局よ天子」
 こいしの指し方を見ておきたかった。自分がこいしに負ければこの将棋勝負は負けになる。少しでも作戦を立てておきたかった。姉のさとりを差し置いて大将に居座るこいし。その実力はいかほどなのだろうか。
 無意識を操る能力――。無意識とは意識しないこと。極めて曖昧な感覚である。それを操る本体もふわふわとして概要をつかみにくい。
 何か手がかりでもあればと、そうでなければ勝利が難しい。博麗流と巫女の対局感を合わせても、苦戦を強いられるであろう。ここは天子になんとかしても、先にいってもらわなければならなかった。
「えー、私もう疲れたぁ……。それにまた白い人の仲間じゃない。さっきの人も目つきがすごいやらしくて卑猥でしょうがなかったのよ。私我慢したんだからね! もう嫌よ将棋なんて、嫌! 嫌! 早く私に甘いお菓子とジュース持ってきてよもう!」
 予想はしていたが天子はまたごねた。
「お前は強いんだぜ天子。あのさとりに勝ったんだからな。早苗に勝ったさとりにお前は勝った……、つまりお前が最強だ。なぁ天子」
「わちきも天子ちゃんに出て欲しいと思う。これに勝ったらこっちのチームの勝ちだよ。天子ちゃんが勝負を決めるの」
 気を利かせたのか魔理沙が言った。それに小傘も続く。
「なっ、なっ、えっ? やっ、やっぱり? そっか……私強いしみんなの運命は私の手にかかっているのね。私が期待されるのも当然、そして私が勝つのも必然! 私は比那名居天子! うふふ、あははははは……」
 天子がドアの奥に消えた後、ふとむなしい静寂が場を支配した。
「何であいつは自信満々なんだよ」
 魔理沙が言った。確かにその通りだと思った。




 天人は足取り軽やかに踊りこんだ。
 先には白くて病弱そうな、さとりとよく似た容姿の人物。不機嫌そうに、目をぎょろりと飛び出そうなほどむいているのが怖かった。
(また白い人の仲間なのね。まぁ私は強いからいいけど)
 天子の中では確固たる格付けが済んでいた。故にこの勝負は、問題なく勝つはずであると信じて疑わなかった。
「それでぇーは……、先手、古明地こいしちゃんと比那名居天子の勝負……始めー!」
 あまりやる気のなさそうな紫の声の中で始まった。
「お願いします!」
「ちょっと」
「え? 何?」
 こいしがせき止めた。
「お姉さんは私にきっと勝てないわ。だって豚だもの。おだてられて土手に上がった哀れな子豚ちゃん。うふふ、顔を見ればわかるわ。お姉ちゃんに勝ったからっていい気にならないでよね……。うふふっ、うふ、うふふふ、ふふふ……ふぅ……お願いします」
「な、何よ人が下手に出てれば……」 
 がっついたが勝負はもう始まっていた。こいしの角道が開いている。天子はしぶしぶ矛を収めた。
 我の道を突き進む。
 遮るものは何もない。
 桂馬の有効活用のために、着々と駒組みを進めた。




 霊夢は目を皿のようにして画面を見た。
 こいしがどれほどの実力を持っているか、見極めなければならない。
 駒組みは早々と進む。
 お互いにテンポがよくほとんど時間を使わない。
 天子は適当だが、こいしは最初から形を決めているような指し方だ。
 金銀が両翼に二枚づつ分散し、飛車が下段に置かれている。ちょうど地下鉄のように、一段目をすーっと飛車が移動できる格好だ。
「こ、これは……」
「知っているの早苗?」
 少し気持ち落ち着けた早苗が、神妙な顔で言った。
「ええ。右玉……いや、風車です」
「風車?」
「一段目の飛車が自由に動けますね。この左右の動きを風車に見立てているのです」
「それで……その風車は強いの?」
「いいえ」
「あれっ」
 霊夢はずっこけた。早苗の顔つきが強張っていたので、いにしえの闇に葬られた戦法かと勘違いした。
「左右に金銀がばらついていますから、まず玉が薄いことが弱点です。攻められると案外脆いんですよ。玉の固さよりも大模様で勝負すると言った感じでしょうか。普通に指しこなすのにも技術がいりますね。風車は相手の攻めを受け流すことを目的として、自分からは攻めません。繊細な受けの技術が必要です。それを……あの方が……」
「ふーん。ああ見てるとこいしは全然攻めないわね……。どうせ天子が自爆するってわかっているのかしら」
 天子の駒が動く。
 桂馬跳ね。
 その攻撃の程度はたかが知れている。
「先に攻めれますけど、どこから攻めたらいいかがポイントですね。またあの天人は……。なんで……はぁもう思い出すのはやめましょう。現人神は過去のことにはこだわりません。信仰があれば全て洗い流しましょう」
「あの子もよく飽きないわね。また桂馬をあげたわ」
「博麗囲いもたいがいですけどね」
「な……、博麗囲いはちゃんと私独自の理論に基づいているわよ」
「あ……、本気でしたかすいません」
 早苗の何か軽蔑するような目。やはりこいつは元気がない方がちょうどいいのだと思った。すぐに生意気な部分が目についてくる。
「もう終わりますね。なんというか――こいしって方は強いです。私わかります。たった三十秒でこの指し手……ほとんど急所……いや最善? あっちも大将だけあって強いですね。たぶん、おそらく霊夢さんの敵う相手ではないと思います」
「なっ、戦う前から気持ちで負けててどうするのよ?」
 反論したかった。
「強いものが勝つのは当然です。確かあの方は無意識の能力を使うのでしょう? 将棋には指運という言葉があります。切羽詰った状況の中で読みもなく、ただ天運に任せて指す一手。彼女は無意識にそれを理解しているような気がします。絵空事ですがそんな気が……。まさに奇跡でしょうか」
「へぇー。でもその考察は的はずれね。私が今から勝って証明するから」
「はっ、霊夢さんは将棋を知らないから言えるんですよ。今の詰め方どうみても最短でした。いえ終盤だけじゃない、序盤から中盤までもこなれた指し回し――。無意識にこれだけのことをやってのけるなら、彼女は将棋に愛されている、そうとしか思えないです。ああ……この将棋勝負、全ては私に責任があります。私が勝っていれば……いや、それでも……」
 早苗はもう負けた気分になっているらしい。が、霊夢は諦めたくなかった、諦めるのは最後でいい。
「負けたー」
「終わったぜ。天子の負けだ」
 少し離れて二人が言った。
 天子は今度はちゃんと投了をしたようだ。


  天子 ●―○ 先 こいし


「お疲れ天子」
「お疲れー」
 戻ってきた天子を囲んだ。心なしかしょんぼりしているように見える。
「どうしたの?」
 不思議に思って聞いてみた。
「うん……、私強いのに負けちゃったから……。申し訳ないと思って……」
 対局は圧倒的大差だったが天子にもわかったようだ。
「そんなことないわよ……、ねっ魔理沙?」
「そうだぜ! お前はよくやったと思うぜ」
「そーよ天子ちゃん」
 霊夢は横目でチラリと早苗の方を見る。
「ほら、早苗も」
「むぅ……」
「礼儀はきちんとでしょう?」
「わ、わかりましたよ。天子さん。お疲れ様でしたね。次はもっと桂馬を大事にするといいですよ」
 それを聞いて天子は一瞬止まった。
 そして感極まった表情をしたかと思うと、にやりと嫌味な笑みを浮かべた。
「うふっ、うふふっ。早苗! やっとあなたの立場を理解したようね。さぁ私にお茶を注ぐのよ。媚びへつらいながらね……きゃぁっ!」
「もうあなたには性根から叩き直す必要があります! こら待ちなさい! こら!」
 急に畳の上を戦場としたドタバタ劇が始まった。
「あいつら結構気が合いそうだぜ」
「よかったねー。わちきも混ざりたい!」
 分かりあったわけでもないのだろうが、ひとまずの修羅場は解消したのだろう。
 霊夢は正面を見た。
 眼前の大いなる障害を。
「さて……そろそろ行こうかしら」
「おっ博麗の巫女の出陣だぜ! こんなにあおつらえ向きな舞台はないぞ」
「煽てても何も出ないわよ」
 霊夢は自分が何をするかわかっていた。
 巫女といえばアレしかないのだ。
「何か策はあるのか霊夢? あいつ手も早いしすっごい強そうだし」 
 ゆっくりと立ち上がり深呼吸する。
 精神状態非常に良好。本日は晴天なり――。
「巫女は空を飛ぶわよ」
 霊夢はよく通る声で言った。
「ええ? 将棋で空を飛ぶって……」
「おかしいね? わちきわかんない」
 後ろは振り向かなかった。
 巫女は収束しつつある戦地へと降り立つ。
 



 古明地こいしは笑っていた。小さい体のどこからそんな声がでるのか、例えようのないくらい酷く陰惨にくぐもった声だった。
「くひっ。くひひひぃっ! 来たね、紅白さん。やっと来たね。これでチェックメイト。お姉ちゃんと私の大勝利よ。うふふ」
 一目見て、霊夢はまともに取り合わない方がいいと思った。
 気が触れた者の目。どこを見ているかわからない狂人の目。
「あのね聞いてよ……。お姉ちゃんと私は仲がいいの……」
「悪いけど無駄話はしたくないわ」
「いいから聞けよぉ! ひひひっ、私はお姉ちゃんを愛しているの。お姉ちゃんは偉いの、神様なの、女神でみんなからとっても慕われているの……。でもさっきは負けたのね。お姉ちゃんはそこに隙があるから……のろまで愚図なのよ……お姉ちゃんはちっとも頑張らないからいっつも人をこき使うの……。そうじゃなきゃね、ねっねーっ? 私の言ってることわ・か・る?」
 こいしは身をぐっと乗り出して聞いてきた。薄い皮膚の裏にある青い血管が、透けて見えそうだった。
「ええ、あんたのお姉ちゃんは怠け者だってことが――」
「お姉ちゃんの悪口は言うなぁ!」
 突然こいしは激昂した。
「お姉ちゃんに口出ししていいのは私だけ! 私だけ私だけなの! 何故なら覚だから。紅白さんみたいな愚かな人間には指一本触る、いや一目視界にいれることすら恐れ多いのよ!」
「うん。それで言いたいことはそれだけなの?」
 何かもう疲れを感じてしまった。さすがさとりの妹だと思った。
「うふふ、ええと、もう一つあるわ。紅白さんは私には絶対に勝てない。勝てないの勝てないのよ――えへへっ、お姉ちゃん見てるかな? はーいお姉ちゃんこっちー!」
「やってみなくちゃわからないわよ?」
「無理よ」
 そう言ってこいしは駒の一つを摘み上げた。
「だって私はね、駒の声が聞こえるの。駒さんが次はどうしたらいいか教えてくれるのよ。うふふ、これが無意識を操るってこと。早指しで私に勝てるわけなんかないの。私は将棋の才能があるの、私にもわかったし、お姉ちゃんも教えてくれたの。だから勝つの私は。……ん? ええ? へぇー駒さんの声が聞こえる……。紅白さんのことぼこぼこにして打ちのめして殺したい。みーんな捕まえて素敵な拷問。うふふっ、楽しい楽しい。もーっうるさいよぉ! 待っててね、今、紅白さん、くひひっ、ひっ、ひひっ! 待って? 紅白さん、こ・ろ・し・て・あ・げ・る――。けきゃけきゃかかひひひゃぁ――――」
 常軌を逸するとはこのことだろうか。覚妖怪とはこれほどまでに。姉のさとりは理性がある。その上で理不尽な行いをしているが、この妹にその垣根は存在しない。本能のままに生きる典型的な例。この勝負絶対に負けられない。殺す? 馬鹿な。そんなことさせるもんですか。私は勝ってこの将棋地獄から抜け出すのよ。
「紫!」
「あっ……霊夢ごめんなさい。ちょっとうとうとしてたわ」
「何を考えているか知らないけれど、さっさと始めなさいよ。この聞かん坊の相手をするのも疲れたわ」
「じゃ、じゃあ始めるわね」
 こんな大事な時に寝てる人があるものか。おかげでこいしの有害な電波を受けてしまった。この恨みつらみも全部数倍にして返さなければならない。
「えーえー、迎えましては最終局。この幻想郷将棋バトルも大詰めであります。残るは幻想郷が誇る博麗の巫女、知る人ぞ知る博麗霊夢! 対してましては覚妖怪が末裔、無意識の遊覧散歩者、古明地こいし! さぁー泣いても笑って恨みっこなしの大一番。お互いに悔いの残らない勝負にしましょうね。ねっ? ……それでは霊夢の先手で………………ファイッ!」
 ついに最終決戦が始まった。
 もう後には引けなかった。
 仲間の命運は全部自分の手に託されているのだから。
「お願いします」
「おね……がいします!」
 数秒待って、呼吸を整えて精神を集中する。
 霊夢は人差し指だけを使って銀を上げた。




 何故自分は負けたのだろうと思う。
 早苗は決して償えない後悔をしていた。自己の甘さがこの事態を招いたのだ。さとりの手に惑わされて、心の奥にひそむ自分自身の闇に負けてしまった。
 油断がなかったとは言えない。根本的に甘かったのだ。
 圧倒的な経験と実力差を覆すような、狂気じみた能力の存在。さとりの懐の深さに、早苗は背筋が凍る思いがした。
「霊夢さん……」
 そう言って現局面を見る。
 相手はさとりの妹のこいし。早苗が前の一戦を見ただけでも、紛うことなき将棋の才能の片鱗が見える。
 将棋の一手一手には意味がある。
 それは実力が上がるに連れて顕著になる。
 どういう意図でこれを指したか、何故ここでこの手を指すのか、受けるかそれとも攻めるか、どのような駒組みをしてどこに玉を囲うのか。将棋の最高峰のプロになれば、それはもう一手一手に重大な意味が存在する。
 だが素人の将棋にはそれがない。ただ漫然と歩を突き、そして銀を上げる。浅瀬でぱちゃぱちゃやるような、身の入っていない遊び。
 将棋で強くなるということは、一手に意味を求めるということ。早苗はそのように思う。
 初手から構想は始まっている。決してないがしろにしてはならない。
 相手の手を読みそれにも意味を求める。意味がわからなければ、相手の手の意図も読めない。さすれば将棋はいっぺんに五里霧中の状態になる。
 先の見えない遠い暗闇。暗ければ人は誰でも混乱してしまう。動揺し恐怖し、そして精神に異常をきたす。この闇の存在が理解できないから――どうして闇がここにあるのか、闇が何をしようとしているかわからないから。
 闇に包まれた時にその人間の本性がでる。がむしゃらに突っ走るか、それとも縮こまってただ死を待つか。前者も後者も等しく死に近い行為と言えよう。闇を見ようとしない。闇の本質を理解しようとしない、いやできない――。
 自分は闇に覆われたのだと思った。それは恐ろしくもどこか優しい、人を死に誘う極めて危険な闇。
 姉のさとりは他人を闇にまいてしまう。
 では妹はどうだろうか?
 早苗はこう考える。
 こいしは闇を苦にしないのだ。闇と同化しその中で生きている。闇を理解している。
 では意味は? 
 無意識に? 意味? 感じる? どうして?
 はっきりわかっているのは、古明地こいしがとてつもなく早指しの才能があること。
 それも並大抵でない力量。
 電気が走るように、手が見える人というのは存在する。
 それがこいしなのだろうか。
 しかし真に恐ろしいのは、この短時間で将棋のいろはを理解していること。
 まるで生まれたての子供ように貪欲で、無邪気で――、何でも吸収してしまうような柔軟な脳。
「どうした早苗? 変な顔して?」
 魔理沙が様子を見て言った。
「こんな顔にもなります。霊夢さんが負けたら終わりですから」
「そうだな。でも……、霊夢は負けないと思うんだぜ」
「また博麗の巫女だからですか。もう聞き飽きましたよ」
「ははは。そうなんだけどな。あいつには何かをやってくれるようなオーラがあるんだ。私が霊夢を信頼しているのもそこだしな」
「それは盲目的すぎますね」
 と早苗は言った。何故そんな思考になるのかわからない。相手は抜群の才能を見せる古明地こいし。勝てる理由などないに等しい。
「ねーねー」
「何ですか?」
 遊んでいた小傘と天子が寄って来た。
「応援しましょうよ。私達の力を霊夢に授けるのよ。私ってば頭いい!」
「はぁ……」
 早苗はがっくりと頭を下げた。応援してどうにかなるなら世の中はずっと平和だ。
 声が届く場所ならいざ知らず、ここからは何の声援も念波も届かない。
「フレー! フレー!」
「ふれー、ふれー!」
 二人の大声が響く。出鱈目な振り付けで滑稽すぎた。
「私も応援するか。早苗もどうだ?」
「私はしませんよ。意味がありません」
「そうか。でも意味なんて考えたら負けだぜ? 応援すること自体に意味がある、私達が霊夢を応援することにな。……うぉお! 霊夢頑張れーー! そこだ! 殴れ!」
 早苗は一人静かに正座して、局面を観察する。
 霊夢陣から銀と金が一枚づつ前線に出ていた。
「奇策に出ましたか。しかし――」
 やはりこの勝負は見えている。霊夢が勝つ可能性は限りなくゼロに近い。
「追い詰められた末の奇策は、必ず失敗するんですよ」




 古明地姉妹、十六夜咲夜、八雲紫の式連合チームの控え室。
「始まりましたね」
「ええ」
 さとりは応える。継ぎ番の前にいるのは自分と咲夜。藍は少し離れた場所で橙の頭を膝枕している。
「余裕ですねさとりさん?」
「そりゃもう」
 当たり前だ。こいしが負けるビジョンなどは絶対に浮ばない。
「こいしさんは、私と藍さんが何度対局しても一度も勝てませんでした。一度ぐらいは……と思ったのですが。全然崩れる気配がない、まるで高い壁のようでしたね」
「そりゃ当然ですわ。こいしの強さは私がよくわかっていますもの。おほほ……」
「ずっと寝てたわりによくわかりますね」
「寝ててもわかります。血のつながった姉妹ですからね」
「そうですか」
 咲夜は顔を横に向けて画面を見る。釣られてさとりも横目で盗み見る。
 終わった。
 この勝負はもう終わったのだ。
 霊夢が勝てる要素は存在しない。
 さとりは将棋は理解していなかったが、妹のことはわかっていた。いや、わかりたかった。
「あの子は素敵なおもちゃを見つけますとね、目が……こう……、ぎょろってむき出しになって可愛くなるんですよ。今はその状態ですわ。こいしは将棋を楽しんでいるから――負けませんわ。安心して任せられます」
「可愛い……ですか?」
「ええ、とっても可愛いですよ。うふふ」
 咲夜の心に不穏な感情が見えたが気にしなかった。
 覚妖怪はいちいち全ての心を読んでいるわけではない。
「さて……」
 将棋は万華鏡のようだと思った。
 コロコロ回せばすぐに形は変わる。
 形で理解した方が早い。
 こいしの陣形はおそらく美しい。
「ほほほ。霊夢さん、年貢の納め時ですわね……」
 さとりは思わず愉悦の笑みをもらした。




(変な陣形ね)
 こいしが霊夢陣を見て、真っ先に思った感想がそれだ。
(まぁ関係ないけど)
 自分の道を行き風車、若干にオリジナル要素を加えた変形風車を組み上げる。
 常識に捉われない汎用性に富む形。
(風車は触るとスパって切れちゃうのよ。血がピューって出て面白いの。逃げててもいつかは切られちゃう。うふふ、うふふ。早く切られに来て紅白さん)
 ここまで組んでしまえば負ける要素がない。
 相手の陣形はばらばらで玉の守りも薄い。
 将棋の棋理に明らかに反した、欠陥だらけの陣形。
(紅白さん弱い。もう、これじゃすぐ終わっちゃうわ……。ん? ふぅ~ん。駒さんはゆっくり楽しむのが好きなのね。へぇ~)
 こいしは一気に決めようとはしない。相手の出方を待つ。
 決して自分のスタイルを曲げようとしない。
 しばらくして霊夢の金が動く。
 三段目――、四段目と大臣が前線へと躍り出る。
(ふふっ、紅白さんやけっぱちね。金がそっち行ったならこっちは手薄よね。動けば動く。動くと刺す! 刺すと動く? 動いたら動かなくなるまで刺す! 刺しちゃうよ! それっ!)
 細長い指が、音もなく飛車を滑らせた。
 一段目をすーっと動く飛車。
 砲台に弾が込められる。
 点火はすぐそこだ。




「お、何だ? 霊夢が金上げたぜ?」
 魔理沙は画面を見て言った。
 玉を守っていた金がするすると戦地へと向かっていく。
「よくわかりませんね。霊夢さんのやることは」
 早苗が言った。
「いやいや、霊夢のことだから何かあるぜ」
「何もないと思いますが……。将棋の格言に玉の守りは金銀三枚というのがあります。これが最もバランスがいいとされていますので。霊夢さんは今は玉形はともかく、守りも薄くて最悪です。」
「そうか。まぁあいつは常識に捉われないからな」
 と言って盤面に注目する。
 今はこいしの手番だった。
「こいしは一体何を指すんだろ……ん?」
 飛車がつーっと動いた先は、一つ上げた香車の後ろ。
 香、飛車と並び、まるで二段ロケットのような格好だ。
「雀刺しですね。端の突破はこれで約束されています。霊夢さんは大被害を免れませんね」
「なるほど……。どうするんだ霊夢?」
 聞いても答えは返ってこない。
 今は霊夢の未知の力に期待するしかなかった。
 パタパタと手が進む。
 9筋が瞬く間に決壊する。
 荒れ狂う竜ができ、その侵攻を止める術はない。
「あちゃー霊夢。こりゃ酷いぜ……」
 魔理沙は思わず手で顔を覆った。
 



(端は破れたけど……)
 霊夢は焦っていなかった。
 端を破られて駒損は必至。
 しかし霊夢にはある狙いがあった。
(ここまでは大体予定通り……後は……)
 玉にありったけの思いを詰めて動かす。
(後は私の博麗の力を信じるだけね)
 こいしは竜を存分に使い駒得を重ねる。
 桂馬、香車だけでなく角まで取られ、大幅な戦力の削減を喰らう。
 大差。
 通常ならば絶対に勝ち目のない勝負。
(ふふっ、私は負けると決まってる勝負なんてしないわよ。わずかでも勝ちの目があるならそれに賭けるだけ)
 玉が五段目に上がる。
(私の狙いはただ一点のみよ)
 さっきまで余裕だった、こいしの顔が歪んだ。




 早苗はいち早く理解した。霊夢の考えを。
「あ……。もしかして入玉狙いですか? でも……」
「入玉って何だぜ? 早苗?」
「ええ、玉が相手の陣地まで行って、周りをと金やなんやで囲んで、絶対に詰まなくなった状態のことを言います」
「へぇーそりゃすごい。さすが霊夢だぜ」
「いえいえ、すごくありませんよ」
 すぐに遮った。確かに入玉はできるかもしれないがそれでは駄目なのだ。
「お互いが入玉することを相入玉と言います。これは勝負がつかない状態なのですが、この時どちからが多く駒得しているかで決着をつけるのです。説明は省きますけど、同じ戦力なら持将棋――引き分けとなります」
「じゃ今の霊夢の場合は?」
 魔理沙が急いて言った。
「角を取られてますから……大駒は価値が高いんです。飛車角は5点、その他は1点なんです。だから……霊夢さんは入玉しても勝てないことになります。この手の意味はありません。霊夢さん、何故……んん?」
 早苗はそこでテーブルに置いてあった紙切れに目をとめた。慌てて拾い上げて確認する。
「ま、まさか……。トライルール、トライ狙い……?」
「どうしたんだ早苗?」
 そうか――。
 これなら勝てるかもしれない。
 このルールははっきりいって蚊帳の外。
 頭から抜け落ちていてもしょうがない。
「相手陣地の5一の地点まで行けば、勝ちのルールが残っています。霊夢さんは最初からそれを狙っていたのでしょう。多少駒損してでも玉を突っ込ませる作戦です」
「な、なるほど! さすが霊夢だぜ!」
「ただし」
 はぁと一息つく。
「このトライルールで勝つというのはめったに現れません。普通は無理――。考えればわかりますが、相手陣には駒がたくさんいます。ましてや相手は風車、全体に大模様を張る陣形。入れるわけが……いや」
 中盤で霊夢が進出した金。この無謀な侵攻が道を開いていた。
「ああそうですか。金が五段目まで行った時は変だと思いましたが……なるほど。読んでいたんですね。この展開になれば突撃がいきると」
「よくわかんないけど勝てそうなら何でもいいぜ」
 早苗の見立てでは入玉はぎりぎりに見えた。
 しかも相手は早指しにめっぽう強いこいし。
 無意識の指し手で、玉を仕留めることなど造作もないかもしれない。
 ただこいしがこのような展開を苦手としていること、それだけが希望だった。
「必勝――――祈願――――」
 天子はずっと声を張り上げていた。




(ち……まさかトライ狙いだなんて……)
 霊夢の狙いに数手遅れて気づくこいし。
 駒を取るために動いた竜の位置が悪かった。
 これでは玉を追い詰めるのに遅れてしまう。
(竜を……)
 慌てて竜の活用を図る。
(行かせないわよ)
(えっ)
 金底の歩岩より固し。竜の行動範囲を大幅に制限する。
 だがそれより驚いたのは霊夢の声が聞こえたことだ。
 覚醒、同調、融合、膨張。
 どんな因果関係が働いたか不明ではあるが、こいしは霊夢の心の声を聞いた。
 そして会話した。
(う、うふふふ……。何てこと! 私……私……。あはは、紅白さん嬉しい。全力で倒したい!)
(望むところよこいし)
 二人は異次元の空間で共鳴し、意識の統一が進んだ。
 将棋というゲームをとおして通じ合ったのだ。
(ふふん、私は圧倒的に駒得しているのよ。こんなにたくさんあれば……竜が使えなくたって……)
 こいしは桂香角歩をふんだんに持つ。
 絶対に捕らえきれると思った。
(甘いわねその考えは)
(な……何でよ!)
(何故なら私は博麗の巫女だからよ)
 一瞬意識が途切れる。理解できない。
 時は進む。香車を打って手をつなぐ。
 一つ一つ逃げ道を塞ぐ。
(わからない? 私は幾多の弾幕の雨をくぐり抜けて来た博麗の巫女。避けるのは私の得意分野よ。どんな針の穴でも私は抜けてみせる)
 それを聞いてこいしは大口で笑った。
 目がぎょろりとぐりぐり動く。
(あはあは、あははは! 楽しい楽しい。いひひっ、逃がさないよ。刺してあげる。槍で何度も何度もついてあげる。避けるのが得意? 弾幕なんかと一緒にしないでよ! 私は駒の声が聞こえるの。きっと仕留めて見せる。無意識は無敵だから――」
 二つ目の香車。
 鋭い槍がこいしの手に掲げられる。
 この道は通らざる道。
 そこを通るのは巫女。
 意地と意地がぶつかり合う。
(私の道を開けて欲しいわ……)
 飛車と金を犠牲にしても霊夢は道を開ける。
 強引に風穴をこじ開けようとする。
(いかせるかぁ!)
 こいしも戦力を傾けてこれを阻止。
 細かい微妙な折衝。
 一進一退の攻防が続く。
 迸る汗。
 それは皮膚だけではなく、脳にもかく汗。
 脳漿を振り絞って思考の迷路を攻略しようとする。
 出口のない袋小路。
 錯綜する両陣営。
 至極難解な終盤戦。
 もうこいしの有利は消えていた。
 精神力の削り合い。残酷な消耗戦。
 読みきれるはずがない。
 無意識が相当の実力者でなければ――。


(いけないわ……。もう意識が……)
 霊夢はとうに限界を超えていた。
 巫女の回避能力を将棋に変換するという、常識はずれた行為に脳みそがオーバーヒートを起こしていた。
 制御不能の飛び降りダイブ。
 先が見えない。
 見えそうで見えないのだ。
 ぐらっと首の根っこが揺らぐ。
 倒れる――。
 と思ったとき誰かが首を支えた。
 誰だろう? 誰でもいい。
 霊夢の背中を誰かが押した。
(私を応援してくれている人がいるのね。それに応えなきゃ)
 巫女の手に桂馬。
 運命を決定づける駒。
(喰らいなさい)
 パシッと響く駒音。
 雷鳴が轟くほどそれは高い。
 こいしの動きが止まる。
 動揺。
(こ、この桂馬……)
 こいしの心の乱れも巫女は気にしない。
 淡々と指す。ただ指す。
 玉の進軍。
 ここで桂馬がきいてくる。
 相手の打ちたい所に打て。
 有効な手がない。
(もう少しね)
(まだ……まだ……)
 必死で食い下がるが勝負は決していた。
 巫女はぎりぎりで最終ラインを飛び抜けていた。
 がっくりと頭を垂れる妖怪。
(勝っ…………た?)
 霊夢はそのまま前に倒れこんだ。



 先 霊夢 ○―● こいし


 奇跡は起こった。
 早苗はそれを画面越しにまじまじと見てしまった。
「まさか……、まさか霊夢さんが勝つなんて……」
「おおおー! やった霊夢の勝ちだ! 私達は勝ったんだ!」
「あっははは! 私の応援がきいたようね。私が勝利を導いた……つまり私の力で勝った。私が一番よぉー」
「やったね! わーいわーい。でも……わちき達何で将棋してるの?」
 皆が思い思いの感動に打ち震える。
 霊夢は画面の中で、盤に突っ伏すように倒れていた。
 早苗がそれに気づいた。
「お、おい! 霊夢死ぬなぁ!」
 魔理沙がドアに突っ込んだ。
「はーいみんなお疲れ様ー。さて今から表彰式を始めます。パチパチパチ……。あら? みんな? ちょっと、霊夢なら大丈夫よ。さっき脈見たから。あ、ちょ……、わ、私を一人にしないでぇ……」
 よろよろとした足取りで、紫は霊夢の元へと向かった。
 こうして幻想郷将棋バトルは幕を閉じた。
 博麗霊夢はやはり間違いなく博麗だった。
 その力が運命を切り開いたのだ。
 この勝負は後世に長く伝えられる……なんてことはない。歴史の片隅に消え行く儚い記憶。
 博麗の巫女とその仲間が残した棋譜は、夢うつつの幻となって消えた。
 古明地こいしとの血みどろの対局。その様子を現代に伝える術はもはやない。




 いつもの幻想郷が戻ってきた。
 博麗神社の縁側は、いつになくにぎやかだった。
「咲夜、お茶注いでちょうだい」
「了解しました。霊夢お嬢様」
 霊夢の傍らには、紅魔館のメイドのはずの十六夜咲夜が従事している。
「藍、肩揉んで。ついでに腰と腋も」
「御意」
 八雲藍も寡黙な雰囲気で霊夢に従っていた。
 燃料切れのように倒れた霊夢は、一日永遠亭で寝ただけで回復した。よくわからない症状とのことで、適当に知恵熱と結論付けられて追い出された。
 そして迎えた今日この日。霊夢は将棋バトルの賞品を受け取っていた。それは相手チームの一人を三日間持ち駒にできるという代物だ。将棋にちなんだいい賞品ね……というのが紫の言い分らしい。
「全く……こんなのもらってもね」
 天子と早苗が辞退したので、霊夢は何故か三人を受け持つことになった。色々と律儀に仕事をしてくれるものの、何とも言いがたい違和感が生じて仕方がなかった。
 そしてもう一人、いてもいなくてもいい者もいる。
「あ、あのう……。霊夢さん? 私は何をすればいいでしょうか? ほら……私ばかり退屈していては、示しがつきませんでしょう? こう見えても私、地霊殿の主人ですから。約束事はきっちりと果たしたいのですよ」
 古明地さとりがくねくねしていた。霊夢はどうもさとりを持て余していた。
「そんなこといっても、あんた何頼んでも難癖つけてやらないじゃない。掃除を頼めば箒が重いとか、服が汚れるとか。洗濯を頼めば手が荒れるとか腰痛持ちだからとか――。やる気がないんだったらもう帰っていいわよ。どうせこんなの体面だけでしょ。紫には私から言っておくから……。私の前でスカートひらひらさせながらうろうろされると迷惑なのよ」
「そんなぁ。私だってできることはありますよ。人にはそう……適材適所ってものがあります。その……あの……私は霊夢さんの…………したり……きゃぁ、もう嫌ですわ霊夢さんたら、そんなこと私に言わせるなんてもう! いやんいやん」
 さとりはぶりっ子のように振舞った。もうこいつは放っておくしかないと思った。何を考えているのか一体全体わからない。
「はー、いつまで続くのかしらねこれ。三日っていっても結構長いわ……」
「霊夢お嬢様? 今日のご夕食はいかが致しましょうか?」
「ああ、適当にやっちゃって。お任せで」
「了解ですわ」
 ぺこりとおじぎをして立ち去る咲夜。やはりこういうのは息が詰まる。
「ふぅ……、あ、そこそこ……いいわ……」
 藍にマッサージされながら、一息をついて遠くを見る。
 誰かが境内に飛んできた。箒に跨り白黒の装束に身を包んでいる。
「れ、霊夢助けてくれ。殺される。持ち駒なんかいらないから……そうだ! お前にあげるから……、うわ来たっ!」
 後ろからもの凄いスピードで走って来たのは古明地こいし。
 対局の時の面影は全然ない、無邪気な子供の顔をしている。
「魔理沙! 魔理沙! 私もっとお皿洗うよ? 肩も叩くよ? 洗濯もするよ? どこ綺麗にすればいいの? どこ壊せばいいの? ねぇねぇ――」
 これでは持ち駒ではなく反乱兵だ。まさに本末転倒である。
「あらこいし。ちゃんとしてた?」
「うんとってもおりこうさんでやってた! でも魔理沙がもういいっていうから、私追いかけてきたの。ちゃんと最後までやらなきゃ!」
「こいしは偉いわね。よしよし」
 さとりが妹の頭をなでた。この姉妹は本当にどうしようもない。
「じゃ、じゃあな霊夢。そいつ頼んだからな! またなー」
 そう言って、魔理沙は星の速さで地平線の彼方へと消えていった。
 お届け物のこいしだけが残る。微妙に気まずい雰囲気。
「お姉ちゃん私どうしたらいいの?」
「こいしも霊夢さんにお仕えしましょ。二人で霊夢さんにご奉仕するのよ」
「ご奉仕ってなぁに?」
「うーん……足をペロペロしたりすることよ。私はあなたのマゾ犬です、もっと踏んでくださいご主人様とか言いながらね」
「ちょっと、実の妹に変なこと教えるのはどうなのよ?」
 霊夢は一応釘を刺しておこうと思った。
「ふーん……なんかよくわかんないけれど面白そう。ねーっ紅白さん? 足出して? 舐めてあげるから。ねぇーはやくぅー」
「さ、さとりやめさせてよ……ひゃぁん!」
「いえこれがいいでしょう。こいしと二人でご奉仕するのです。はぁーん……霊夢さんはいけないお人。奴隷姉妹を足蹴にして喜ぶサド女王……。ふふっ。ああもっと踏んでくださいませ! ほらほら!」
 二人が情念のこもった目で足元ににじり寄ってくる。これは怖い。たまらず助けを求めた。
「ら、藍、助けてよ。謀反よこれは。成敗してよ。ちょっと藍? 聞いているの?」
 藍の視線は遠くを見ていた。その終点には猫と傘がいる。
「ばぁあああっ!」
「うわあああ――」
「ばああ、ばあぁあっ!」
「ひええぇっ!」
 駄目だ。藍は役に立たない。この窮地を脱するには逃げるしかない。
 霊夢は脱兎のごとく逃げ出した。
「あっこいし、女王様が逃げるわ。追いかけなさい、ご奉仕するのです!」
「紅白さん待ってぇー」
「い、嫌よ! もう助けて――――」
 霊夢の悲鳴が幻想郷中にこだました。
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