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小箱の小話
東方二次小説が多目。 エログロ、ホラーミステリ洗脳色仕掛け等。
こいしちゃんはお年頃
 森は思ったよりも深かった。不均一な枝葉が行く手を遮り、円滑な飛行を阻む。無意識の力は時に足枷となるのだ。
 不意に目から火花が散った。頭がぐらぐら揺れて地面に倒れこむ。ああ、どうしてなのだろう。いつもならこんなへまはしないはずなのに。


「あら、起きたの? 可愛らしいお嬢さん」
 古明地こいしはぱっちりと目を覚ました。柔らかいふかふかのベッド、毛布のぬくもりがとても暖かい。
「あなた、魔法の森でぐったり倒れていたのよ。びっくりしたわ、まるで死んでいるみたいに小さな女の子が寝そべっているんだから。大丈夫? 動ける?」
「ううーん」
 こいしはぼけっとした頭をしゃっきりさせて記憶を呼び起こす。確か森を飛び回っていて、スピード出しすぎていて、気がついたら目の前が真っ暗になって――。
「どうやらその様子だとどこも怪我はないみたいね。ええと、私の名前はアリス・マーガトロイド。幻想郷のしがない人形使いよ。ここは魔法の森の私の家。ところであなたのお名前は? お嬢さん?」
 こいしはアリスと名乗った女性の方を向いた。ほっそりとした体に水色のワンピースを身を包み、日光に煌くような金髪には赤いカチューシャが映えている。真っ直ぐと細い水彩筆で描かれたような眉、すっと綺麗に通った鼻筋、口元がきりっと引き締まり、どことなく意思の強さを感じさせた。澄み切った瞳、その視線の先には小さな人形が大事そうに抱えらている。
「私は、こいし、古明地こいしって言うの。お姉さん助けてくれたの? ありがとう!」
 こいしは元気よく答える。アリスは人形の服を裁縫しているようだ。こいしが発言すると、ほんの二秒ほど作業を止めて、一瞬奥歯をカチッと鳴らして唇を一噛みするのが見えた。
「あ……、こいしさん、って言うのね。いい名前だわ。」
「うん! 私にはね、お姉ちゃんがいるの。地底のね、地霊殿にね、大好きなお姉ちゃんがね。こいしって名前もお姉ちゃんがつけてくれたの!」
 アリスはその言葉を聞くと口を真一文字に結んだ。顔が血の気を引いたように真っ青になっている。
「うふふ、本当にお姉さんがつけてくれたの? それはおかしいわよ、だって……」
 何がおかしいのか、急にアリスはにやりと気持ちの悪い笑みを浮かべる。
「えーっ、何で? だってお姉ちゃんは私のことが大好きで、私も大好きなんだもの! お姉ちゃんの言うことは絶対間違っていないんだもの! あのね、お姉ちゃんはすごいの、みんなの考えてることがなんでもわかるから、みんなお姉ちゃんを尊敬してるの。この前もね、ペットのお燐がね、隠れて缶詰を食べようとした時もね…………」
 カタっと椅子から立ち上がる音。アリスは本棚の上に置いてあった写真立てを手に取り、こいしが寝ているベッドまで持って来た。
「それなぁに? お姉さん? 誰その女の人?」
「これが私のお母さんよ。あのねこいしさん。人間も動物も妖怪も、生命ある者はみんなお母さんの体から生まれているのよ。だからあなたもお母さんから生まれたに違いないの。今度お姉さんに聞いてみたらどう?」
 アリスは写真の人物を指差しながら言う。
「ふーん? でも生まれるってどういうこと? 私、よくわからない」
 こいしは大きな目をくりくりさせて、興味深々の子供のように言った。
「生まれるっていうのは、存在――、意識することよ。自分の意識を掌握し、管理することがこの世に生をもたらされ、生きていることの証なの」
「ふぅん……。じゃあね、じゃあ、意識ってなあに? 教えて? お姉さん?」
 こいしは何もわからないといった表情で子猫のように首を傾げた。
「はぁ……。何て言ったらいいのかしらね……」
 アリスは苦心しながらもたどたどしくこいしに説明を続けた。

「ありがとうお姉さん! また来るね! あっそうだ、地霊殿にも遊びに来てよ。温泉入って楽しいよぉー」
 アリスの家から外に出て手を振る。こいしはアリスの説明では納得できなかったが、要点をかいつまんでなんとか、存在証明の何たるか、アイデンティティのごく一部を理解したようだった。
「あ、忘れ物よ。ほらこの帽子」
「あん私の大切な帽子。お姉ちゃんからの贈り物。慌てて忘れるところだったわ。お姉さん、助けてくれて、色々お話聞かせてくれて、本当にどうもありがとう! じゃーあね、ばいばーい」
 帽子を受け取り真っ青な空へと飛び立つ。それを見つめるアリスの顔は決して笑ってはいなかった。
 







 風を切り大気を切り地を蹴る。古明地こいしはもの凄いスピードで地底の入り口へと達した。さっきのアリスと話したことが気にかかってしかたがなかったのだ。
「存在? 意識? なんだろう。私とお姉ちゃんは最初から二人だった。もしお母さんがいたらお姉ちゃんは知っているのかなぁ? あーもどかしくてたまらないわ。早く、早くお家に帰らなくちゃ!」
 瞬く間に旧都を抜け、懐かしい我が家へと辿りつく。こいしは無意識故の放浪癖により、まともに家に帰るのは稀であるのだ。
「ただいまー! お姉ちゃん! 聞いて聞いてー!」
 頑丈なドアを破壊するくらいの勢いで地霊殿へと転がりこむ。
「あ、こいし様。お帰りなさいませ」
 古明地さとりの忠実なペットである、お燐がこいしの凱旋を出迎えた。
「お燐、お燐、お姉ちゃん呼んで来て。早く早く!」
「はいはい、こいし様。今すぐ呼んで参りますので」
 お燐はこいしのこの様子にも慣れているのか、優しい笑顔を浮かべて、姉のさとりを呼ぶべく奥へと消えていった。
「まだかなー、まだかなー」
 こいしは居間の椅子に座り、落ち着きなく足をぶらぶらさせる。やがて、ほどなくしてさとりが姿を現した。
「あ! お姉ちゃん聞いてよ! あのね、あのね……」
「こいし、帰ってきたらただいまでしょう? もうこの子ったらいつも言っているのに……」
 こいしの血を分けた姉であるさとりは、当然のごとく妹に似ていた。透き通るような肌の白さ、背が低く小柄で、痩せこけて折れそうなほどの華奢な体。人間の幼児が身に着けるような子供っぽい服装に、覚妖怪の象徴である第三の目をぐるりと体を縫うようにして巻きつけている。
 髪の色の違いはあれど、この姉妹の区別はほとんどつけようが無かった。それほど双子のように瓜二つだった。ただ一点完全に相違点をあげるとすれば、内面から滲み出る表情の違い――特にそれは目つきに顕著に感じられた。こいしの無邪気なこの世のしがらみ何一つ知らないような、純真な目とは対極に、さとりの目はいつも何か情念にかられていた。心を読む覚妖怪としての性なのだろうか、常に人の心を読み何かがを窺うかのように他人を見据える。心を読むことでさとりの欲望は満たされる。他者より勝っているという優越感、それがさとりの卑しい目つきの本性なのだ。
「ただいまーお姉ちゃん。あのね、あのね、お姉ちゃん、私のお母さんっているの?」
「どうしたのよ、こいし。急にそんなことを言うなんて」
 さとりは音も無く椅子に腰掛ける。
「えーっとねぇ、私今日ねぇ……」
 こいしは今日の出来事を話した。魔法の森で木にぶつかり、気を失って、親切な女性に助けられたこと。そしてお母さんという存在の事実を教えられたこと。
「ふーん。それでこいし、その親切な女の人の名前は何て言ったの?」
「ええ、うーん……。あれ? 私、忘れちゃった!」
 こいしはぐるりと首を三回転させる。
「特徴は何か無いの? 見た目でも言葉遣いでも、何でもいいのよ」
「あ、うー、あ! そうだ! そのお姉さんは人形をいじってたの! お部屋の中にもたくさんの人形があったわ!」
「そう、それだけ分かれば十分だわ。今度こいしがお世話になったお礼に、お菓子でも持って訪ねに行きましょうか」
 さとりはそう言ってくすりと笑った。
「わーい、お菓子お菓子ー。私も食べたいなー」
 はしゃぐこいしを前にして、さとりは頬杖をついたまま、じっと姿勢を保っていた。
「……その人形愛好家さんが、お母さんのことをこいしに教えたの?」
「わーいわーい……。あ、うん、そうなの! その人が私はお母さんから生まれたとか、存在意義とか、意識の証明とか、難しいことばっか言ってね。私頭がおかしくなりそうだったわ。でもね、私はお姉ちゃんが大好きだから言ってやったの! お姉ちゃんも私が大好き! だから私の名前もお姉ちゃんがつけたの。ねぇそうでしょ? 私はお姉ちゃんとずっと一緒だったし、お母さんなんて、どこかの誰かさんみたいな人はいないよねっ? それに、生まれるとか意識とか、私よくわからないの。お姉ちゃんわかる? わかる?」
 こいしは姉とは一風違った上目遣いでさとりを見つめた。
「それくらい、わかるわよこいし。お燐、おりーん! ちょっと紙とペン持ってきてー」
 さとりは珍しい大声でお燐を呼ぶ。
「お待たせしましたさとり様。あらお二人でお絵かきですか? どうせなら色鉛筆、クレヨンでも用意しましょうか?」
 お燐は何の変哲も無いメモ用紙とボールペンを持ってきた。
「ありがとうお燐、これで十分よ。こいし、今からあなたのお母さんを描いてあげるから、少し待っていなさい」
 さとりはペンを手に取り、紙にさらさらと走らせる。
「わーい! ありがとうお姉ちゃん! 私待ってるね! んー、そうだ、お燐、お燐のお母さんはどんななの?」
「あ、ええ、こいし様、私ですか。えーと、私のお母さんは私と同じ猫ですねぇ……」
 お燐は少し遠くを見て言った。
「ふぅん、猫? じゃあお燐とお母さんは同じなんだね。お母さんってそっくりさんのことなの?」
「ええ、親子のなので似てると言えば似ているのですが……」
「親子? 親子ってなぁに? そっくりだと親子になっちゃうの? ねぇねぇ教えてよ」
「あ、あの……」
 お燐はこいしの質問にたじろいでいる。
「こいし、あんまりお燐をいじめるんじゃないの。人には聞かれたく無いことの一つや二つはあるものよ。……はい、出来たわよ。これがあなたのお母さんよ」
 さとりがお燐に助け舟を出し、薄い紙をこいしの前に置いた。お燐は助かったという表情でほっと一息をついた。
 こいしは紙に描かれた絵を見る。目玉がいくつもあった。二十三十、いやそれだけでは無い。細かい小さな点がいくつもあった。これが全て目を意味しているとすると二百は優に超えてしまう。蝸牛のような体に大きな目玉が二、三個、ぎょろりと目を剥き出しにして血走っている。そしてその胴体に目と思われる点がびっしりと書き込まれているのだ。
「やーっ、何これお姉ちゃん? 気持ち悪い!」
 こいしは姉が意地悪をしたと思った。それほどこの絵に描かれたモンスターは醜かったのだ。手も足も存在しない目だけの生物。これがお母さんだとはとても信じられなかった。
「何って……、せっかくあなたのお母さんを書いてあげたのに。わからないの? こいし? これがあなたのお母さんよ」
「も、もう、お姉ちゃんったら嘘ばっかり! どうせ私がびっくり仰天すると思って、そんなこと! べーっ、お姉ちゃんなんか嫌いだよっ。ねっ、お燐お燐、こんなの私のお母さんじゃないよねー? だってお母さんはそっくりじゃなきゃ駄目なんだよね? 私とお姉ちゃんみたいに可愛くて美人だよね? ねっねっ?」
 こいしはお燐の服にしがみついてぎゅうぎゅうと引っ張る。
「こいし様少し落ち着いてください。あのですね、その絵は……」
「お燐――」
 さとりの冷酷で背筋の凍るような声がお燐を貫いた。
「はっ、はっ、も、申し訳ございませんさとり様。それでは私はこの辺で……」
 お燐はさとりの一声で萎縮し、そそくさの奥の廊下へと消えて行った。
「あれぇ? どうしたのお燐。何か知っている風だったよ。ねぇお姉ちゃんもお燐も二人して、私をからかっているんでしょう? ふーんだ、いいもん! 私が一人でお母さんを見つけ出してみせるんだから!」
「あらこの子ったら……。お姉ちゃんの言うことが信じられないの?」
「お姉ちゃんの嘘は筋金入りだもの!」
 こいしは大きな声で否定する。
「ふーん……。まぁいいわ。じゃあ素敵な妹に母親探しを頼もうかしら? こいしのお母さんは私のお母さんでもあるし、だって私達はとてもよく似た姉妹ですもの」
「よーし、決まり、決まりね! 待っててね! 必ずお姉ちゃんの前にお母さんを連れてくるから!」
「はいはい、期待していますよこいし」
 そう言って鉄砲玉のように外へ駆け抜けていくこいしを、さとりはニコニコと満足そうに眺めていた。






 赤い提灯が点々と連なっている。地底の旧都は最も往来が激しい。
「姉さん姉さん、鬼のお姉さん」
 鬼の星熊勇儀は、馴染み深い旧都の大通りをいつものように酒を飲みながら歩いていると、ふと誰かの声を耳にした。不思議に思ってくるりと首を回転させるが、何の姿も見えない。
「あれ? 空耳かい。近頃私もボケてきたのかね」
「ここだよ、鬼の姉さん、ここだってばー! もう!」
 いきなりの大声に勇儀は面食らってしまった。何事かと思い、目を凝らして正面の薄暗い闇を確認してみる。すると、透明な空間からずるずると分離するような感じで、古明地こいしの姿を理解することができた。
「ああ、古明地のこいしちゃんかい? ごめんごめん、最近目もしょぼくれて耳も遠くてねぇ。あはは、さとりは元気かい? よろしく言っといてくれよ。それにしても、しばらくみない間にべえらくっぴんさんになったねぇ。背も伸びて顔立ちも大人っぽくなって、地底と地上の男達もほっとかないだろうね。あはは!」
 勇儀は盃で酒を飲みながら上機嫌で言う。
「もー、鬼の姉さんったら鬼のくせにお世辞ばっかり。それについ一週間前、地霊殿の宴会で会ったばっかりじゃないの。私、素敵なお歌を歌ってみんなに聞かせてあげたんだもの!」
「あれれ? そうかいそうかい、ごめんよ。こいしちゃんは綺麗過ぎてみんなの目にはもったいないんだよ。うんうん、うん……」
 勇儀はこいしの黒い帽子の上から頭をぐりぐりと撫でた。
「今日はお出かけかい? お買い物? お散歩? それとも――」
「ううん、鬼の姉さん。私には今大切な使命があるの? ねぇ、聞きたい?」
 こいしは上目遣いで勇儀を見つめる。
「なんだいもったいぶって。聞きたいなぁ、鬼の姉さんに聞かせておくれよ。可愛いこいしちゃんのためなら何でもするからさ!」
 勇儀は厚い胸板をドンと叩いて、白い歯をぐっと食いしばって笑いかけた。
「えへへ、あのね、私とお姉ちゃんのね、お母さんを探しているの……」
「ほう、母親とな……。しかし……」
「あ、鬼の姉さんも何か知ってるのね。あのね聞いてよお姉ちゃんたらね、意地悪なのよ。私がお母さんは誰かって聞いたらね。こんな目玉だらけのね、変な怪物の絵を描いてね、私を馬鹿にしてきたのよ。ねぇ酷いでしょう? 目玉のお化けなんて、私に全然そっくりじゃないもんねー。うふふふふっ」
 こいしはお腹を抱えてケラケラと笑う。
「それは――さとりが言ったのかい?」
 勇儀が真面目な顔になって言った。
「う、うんそうよ。お姉ちゃんのいつものお得意のすまし顔だったわ。本当に何考えているかわからないの!」
「ふーん、それならそれが本当のお母さんなんだろうね。さとりが言うのなら間違いないよ」
「え、えええーっ! そんな、鬼の姉さん嘘つかないでよ。おかしいでしょっ!」
「ところが鬼は嘘つかないんだなぁ。考えてもごらんよ。あのさとりがたった一人の可愛い可愛い、目に入れても痛くないような妹に嘘をつくもんかねぇ」
 酒をぐびりと飲んで、勇儀は笑い上戸のように陽気に話している。
「えー、何それ、あっもしかして、お姉ちゃんと二人で私を担いでいるでしょう? もーっ、私怒っちゃうよ。ぷんぷん! 鬼の姉さんなんてもう知らないから!」
「ははぁ、私とさとりが共謀して、こいしちゃんを騙そうっていうのか! それは大した飛躍だね! ……ん、そういえば、約束なら無いことも無い。確か、いや……。でもこいしちゃんには関係ないかなぁ。うーん、あれ? どこ行った? こいしちゃん、おーい、おーい……」
 古明地こいしは気配を感知させることも無く、霞のように消えていた。辺りには地底特有の重々しい漆黒の闇だけが広がっている。







「馬鹿だなぁ、キスメ、わかってないよ。一番おいしいのは皮ぎしなんだって。複雑微妙な味わいが渾然一体となってね! ここを捨ててるようじゃ真のグルメとは言えないんだよ。先入観が一番いけないのさ、先入観が。見た目と匂いでもう感覚的に駄目だと思ってもね、案外いけるもんなんだよ。もったいないもったいない、我々は挑戦をする心を失っていては駄目なのだよ。幸い我らの体はそれなりに頑丈だからね。まぁ毒を薬と思ってだね……」
「だってー、油っぽくて苦くて気持ち悪くてぇ。とても食べられないって! それよりヤマメ、この前捕まえた獲物の話聞かせてよ。ねぇねぇ……」
 地底の入り口にごく近しい所、地底の住民達が火を焚き、周りを囲んで取り留めの無い話に興じている。しきりに主導権を握ってしゃべっているのは土蜘蛛の妖怪の黒谷ヤマメである。
 その隣には桶にすっぽりと嵌った少女が、何とも珍妙な格好で、ぴょこぴょこ跳ねていた。この少女はキスメと言う。桶の中はどのような構造になっているかは彼女にしかわからない。可愛らしい顔をしているが、実はとても凶暴な妖怪である。
 焚き火を見つめる緑目がただ一人。水橋パルスィは会話に加わるまでも無く、ただひたすら燃え上がる炎を見ていた。一瞬炎がぶわっと揺らめく。
「火が――、ヤマメ、キスメ、誰かいるわよ。気をつけて」
 不意にパルスィが言った。
「ん? 何だパルスィ、どこ? 誰もいないって……」
「ねーねー」
「うわぁっ!」
 ヤマメの直ぐ真後ろでその声は聞こえた。ぼうっと浮かび上がる影。無意識の能力を身に纏った古明地こいしが立ち尽くしていた。
「あ、あ、ああ! えー、これはこれは、古明地のお嬢さんじゃないですか……。へ、へへ……。きょ、今日は、こんな下賎な私達に、な、何か御用ですかな?」
 ヤマメはへりくだって言った。地底の一般妖怪にとっての古明地は絶対的な存在である。ヤマメ達は今ここで、こいしに傷をつけられようとも首をはねられようとも何も文句は言えないのだ。長らく続く、古明地さとりの恐怖支配が行き渡った結果だった。
「ねぇあなた達、私のお母さんを知らないかしら? 何でもいいわ。知ってることは全て教えなさい」
 何時の間にか、こいしの爪が尖り、ヤマメの首元へぴたりと据えつけられている。
「ヤマメ、お嬢さんが知りたいんだって。あなたは地霊殿によく大工代わりに通っているからよく知っているでしょう」
「ヤマメさんは私よりもずっと古参だから、昔のこともよく知っているはずよ。こいしお嬢さん。たっぷりと体に聞いてみるといいわよ」
 キスメとパルスィが数メートル離れて遠くから言い放った。完全に我関せずといった態度を決め込んでいる。
「お、お前らっ……。ひぇっ! お、お嬢さん! や、やめてください。わ、私は何も――」
「お姉ちゃんは目玉のお化けが私のお母さんって言うけど……。本当なの?」
「ひ……、あ、言えません言えません。私には言えませんからどうかご容赦願います……」
 ヤマメは涙を流してオイオイと泣き喚いている。
「――言わないと、殺しちゃうよ?」
 こいしの綺麗で残酷な爪がチクリと首筋に刺さる。
「つっ……! お、おやめくださいお嬢さん。私がもしこの場で真実を言ってしまったら、私はこの地底では生きていけません。いや、死ぬよりも恐ろしい、生き地獄を強いられることになります。さとり様はそれほど恐ろしい方なのです。どんなに隠していてもこの狭い地底での噂話は、さとり様の広い広い読心の網に引っかかってしまうのです。はぁ、はぁ、お嬢さん、どうしても気が済まないのであれば、どうかその爪で私の喉を一突きしてくださいませ――。私の願いはそれだけでございます……」
 ヤマメは声を震わせながら言った。
「ううん? じゃあねぇー、お話してもらってからぁー。私が殺すってのは駄目? ねぇ駄目?」
 こいしは邪気の無い目で見つめたが、ヤマメはガタガタと震えて首を横に振るばかりだった。
「むー、しかたないなぁ。そんなに嫌なんだぁ。私わからないなー。何でみんなあんなにお姉ちゃんを怖がるんだろう? 本当はお姉ちゃん運動音痴なのにー。ただしかめっ面して睨んでいるだけじゃん!」
 こいしは手を離してヤマメを解放した。地底ではこれ以上のことは聞けないと思ったのだ。
 新天地を求めてこいしは地上の入り口へと舞い上がる。
「お母さん私のお母さん、待っててね、待っててねー」






 幻想郷上空を縦横無尽に駆け巡り、射命丸文は今日明日もネタを求めて飛び回る。メモ帳を片手にカメラを構えて常に臨戦態勢で臨む。時に何かが起こりそうな、そんなネタの臭いを経験により察知しているのだ。
「あやぁっ?」
 ふと何かが文の黒光りする羽を掠めた。
「何でしょうか? 気になりますね。私の目でも追えませんでしたし」
 文は羽にぶつかった正体を突き止めようと大声を出した。
「誰ですか? 私の羽に傷をつけたのは。当て逃げは許されませんよ! 必ず突き止めて慰謝料を請求します! いいですかまだいるなら即刻名乗り出なさい。今なら寛大な慈悲の心で許してあげます。さぁさぁ私が許すと言っているのです。早く名乗り出なさい名乗り出なさいな!」
 文はもちろんただで許す気は微塵も無かった。場合によっては写真をとり、詳細に事情を聞き問い詰めてネタを握り、平和的な話し合いを試みるつもりだったのだ。ただその構想は、思いがけない人物の登場により脆くも崩れ去った。
「あれー? 天狗のお姉さん? どうしたの?」
 黒い帽子にひょろりとした手足。透き通るほどの青白い肌に、もしゃもしゃの髪が揺らめいていた。
「こ、これはこれは。地霊殿のこいし嬢ではないですか! いやいや、今日も一段とお美しくていらっしゃいますね」
 衝突したのは古明地こいしだった。地霊殿を統べる古明地さとりの実妹であり、無意識を司る能力を持つ。過去の決死の写真撮影により、二人は親しい知り合いの仲にあった。そうか、無意識ならば棒に当たるのもしかたないと、文は素直に納得した。
「えへへ、ありがとう。うーん、そうだ、天狗のお姉さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「はーん、何でしょうか? 親愛なるこいし嬢のためならこの射命丸文、身を粉にして尽力するしだいであります! さぁどんなことでもおっしゃってください。私の出来る範囲であれば何でも承りましょう!」
 文は自信を持って言った。
「そう? ありがとー、あのね……」

「ふぅむ……、母親探しの旅ですか。いやいやそのお年で! 射命丸文は感動しました。ああ幼い姉妹を残して去らねばならない、悲しい母子の物語。さとりさんもさぞや苦労されたことでしょう!」
 文はしきりに安っぽい感嘆をしている。
「ねーお姉さん。私どうしてもお母さんのことが知りたいの。だって目玉のお化けなんて絶対違うと思うから」
「あやー、それはさとりお姉さんが悪いですよ。幼いこいし嬢ならそんな煙幕で騙れると思っているんでしょうね。しかしこの真実を暴く正義の味方がついたからにはそうはいきませんよ。さとりさんは必ず嘘をついていますね。何故でしょうか? 何かのっぴきならない事情が……。うーむ……」
 文は腕を組んで考えている。そんな文をこいしは心配そうな目で見つめていた。
「ところで何か手がかりはありませんかこいし嬢? 何でもいいのです。自分の母親であるという証明です。例えばさとりお姉さんとこいし嬢と母親の三人でしか知らない事実とか……」
「ううーん、何も思い浮かばないわぁ」
 こいしはちょんと細い首をすくめる。
「手がかりが何もないとすると、ちょっと難しいですね。お姉さんにも頼れない、とすると……」
 文はこいしの悲しげな目を見た。切なくしおらしい少女の顔。それで文はどうしても力になりたいと思ったのだ。
「ああこいし嬢、いい手がありますよ! 私の新聞で広告を出すのです。こいし嬢が母親を探していると。これで幻想郷中にこのことが知れ渡るのですよ。お母さんが生きていれば、きっとこいし嬢の呼びかけに応えてくれるはずです」
「広告? へぇそれはすごそうだわ。ねぇお願い天狗のお姉さん、お母さんのために広告出して欲しいなぁ」
 こいしは目を輝かせて文を見つめた。
「それは容易いことなのですが、広告にはお金がかかるのですよ。一番安い三行広告でも、うちの新聞は割高なんです。こいし嬢、お金は持っていますか?」
「お金? ううん、よくわからないわ。旧都へのお買い物はいつもお姉ちゃんかお燐が一緒だったし……」
 文はこの答えはある程度予想していた。さてどうしようか。三行広告ぐらいは自分が代金を立て替えてやってもよかったのだが、それではこいしのためにならないと考えた。ここは貨幣の流通とか経済概念を教えてあげようと思ったのだ。
「ああ、お金に代わるものでもいいのですよ。例えば宝石とか……、とにかく価値のあるものですね」
「宝石? んー、あっ!」
 こいしはスカートのポケットに手を入れて探る。さとりから誕生日プレゼントにもらった細工物。これに確か光る宝石がはめこまれていたはずなのだ。もらった当時は嬉しくていつも持ち歩いていたのだが、何時の間にかすっかり忘れて、四次元にも等しいポッケの中に仕舞いこまれていたのだ。
「ねぇー、これどう? キラキラしてて綺麗でしょ?」
 文はこいしの小さな手のひらに乗せられた細工物を見る。バラをかたどったような輪郭に、大き目の宝石が三個ほど埋め込まれている。偽物か本物か地底の鉱物に価値があるかどうか知らないが、換金すれば広告ぐらいの余裕で賄えそうだった。
「ほほう、いい物をもっていますね、でもいいんですか? もしかして、大事な物とか……。ああ私は無理強いはしませんので、こいし嬢の意思を尊重するしだいであります」
「あー、ええと、い、いいの、お姉さん、これでお母さんを見つけて欲しいの!」
 こいしはやや逡巡したがそう言った。
「そうですか、いいでしょう。こいし嬢、確かにもらい受けました。それでは期待してお待ちくださいな。母親が見つかったら即刻電報を打ちますので」
 文は胸を張って言った。
 
 




「ただいまー」
 夕暮れの地霊殿。古明地こいしは自らの存在を知らしめるように、挨拶をして我が家へと帰った。
「あらこいし、お帰りなさい。今日は早いのね」
 さとりは居間の椅子にぽつんと腰をかけていた。まるでこいしが普通に帰ってくることを予期していたように。
「その顔だとお母さんは見つからなかったみたいね。うふふ……」
「あ、で、でもっ! まだ諦めたわけじゃないからね。きっと私が見つけて、わからせて――」
「はいはい、こいしの頑張りようは、私が一番よく知っていますよ。飛び回って疲れたでしょう? 今日は早くお風呂に入ってぐっすり休みなさい」
 さとりは後ろからふわっとこいしを抱き寄せて、優しく囁いた。
「お、お姉ちゃん……。うん、わかった……」
 こいしは優しい姉に後ろめたさを感じてしまった。内緒で誕生日のお花の細工物を文に渡して、母親探しの資金としてしまった。これを知ったらお姉ちゃんは怒るかなあとこいしは思ってしまった。こんな自分にも姉はいつものように優しくしてくれる。それがどうしようもなく心苦しかった。
「こいし、これだけはわかって欲しいのだけど、あなたのお姉ちゃんは世界でたった一人なのよ。例えお母さんが見つかったとしてもね、私はこいしのお姉ちゃんだからね……。お姉ちゃんはいつでもこいしの味方だからね。困ったことがあったらいつでも言っていいのよ……」
「う、うん……。お姉ちゃん、ありがと……。うん……、うん……」
 こいしはさとりの言葉にただ頷くしかなかった。



 ――こいしは柔らかいベッドの中で夢を見た。母親と再会する夢だった。桃色の髪、華奢な体、誰かに酷似していた。こいしが近づくとゆっくり後ろを振り向いた。
「お母さん? お母さんなの?」
 ――姉のさとりの顔がにこやかな優しい笑みを浮かべていた。








 文々。新聞  〇〇〇〇年×月△日 


 …………沙さんが〇日未明より行方がわからなくなり、依然として捜索が続けられております。彼女の友人の証言によると、少し出て行くと告げたきりで、その後の足取りは全くつかめなくなりました。幻想郷の皆様の全勢力を持って、いち早い救助と安否を確かめたいと思っています。彼女の容姿は…………



 尋ね人欄

 古明地こいしの母親、至急名乗り出られたし、
 古明地こいしの母親、姉妹は今も泣いておられる
 まだ心があるのなら、至急名乗り出られたし







 地上で射命丸と出会ってから早くも三日が過ぎていた。こいしは気が気では無かった。新聞に載せたら直ぐ反応があるのかとどきどきしながら待っていた。文は電報を打つと言っていた。もし自分がいない時に来たら、姉やお燐が受け取って、ばれてしまうかもしれないのだ。そのためにこいしは、今までどこにも出かけずに部屋の中をごろごろと転がり回っていた。
「ああ何だか恐ろしいようで、ときめいちゃうようで……。私、変になりそうだわ」
 こいしは恋心に似た一日千秋の思いで文の便りを待った。

 五日目の夜、こいしは地霊殿の豪華な食卓に座った。お燐やお空を初め、ペット達が勢ぞろいをして食事にありつくのである。とはいっても暴れむさぼるようなことは絶対に無い。古明地さとりの統率により、ペット達は一切の行動を主人に握られているのだから。
「いただきまーす」
 専用の椅子に座ったこいしが無感情な声で言う。
「あ、今日もハンバーグだね。昨日もハンバーグ。私の大好物」
「そうね、こいし、あなただけよ。せっかくいい材料が手に入ったんだもの」
 さとりが言った。
「わー、こいし様ー、いいなー、いいなー、私も食べたいなー」
 お空が食器の音をうるさくたてながら騒いだ。
「駄目よお空。これは数が限られているもの、あなたはそれを食べていればいいのよ」
「ええー、うにゅう、はぁ……」
 お空はもの欲しそうな目でハンバーグを五分ほど見つめた。やがて、諦めたのかすっかり忘れて、猫飯のようにご飯と汁物をごっちゃにしてむさぼり食っていた。
「ん……! これおいしいよお姉ちゃん! ほどよく油がのって、全然くどくない! 上品なで嫌味のない味。 こんな美味しいハンバーグは食べたことはないわ!」
 こいしは素直に感嘆した。
「うふふ、それはよかったわね。ちょっと調理法を変えてみたのよ。素材そのままの味を生かすってのも大切だと思ってね」
「ふぅん、お姉ちゃん、ありがとう!」
「あらあら、どういたしまして。……もう、こいしったら、ほっぺにお肉ついてますよー。いつまで経っても子供なんだから……」
「えへへー。ごめんなさいお姉ちゃん」
 こいしは気持ちよく食事を楽しんだ。やっぱりお姉ちゃんは料理上手で優しくて美人で気がきいて素敵だと思った。
 お腹がいっぱいになり、こいしはぐっすりと床についた。今日もいい夢見れるかなぁ……。




 七日目の物憂げな午後の薄暗い日差し。こいしは部屋の窓を開けて恋する乙女のように、遠い目で外を見ていた。
「あー、あれ、あれ何だろう? 黒くて……鳥?」
 黒い鳥が部屋の窓の桟に両足を乗せる。右足には白い紙が結び付けられてた。どうやらこれは、文の放った伝書烏に違いないとこいしは思った。
「わーどきどきしちゃうなぁ。何々……」
 
 ハハ、ツイニミツケタリ
 ミョウチョウ、ハクレイジンジャニテマツ

 何故か全部カタカナで手紙は書かれていた。こいしが手紙を受け取ったのを確認すると、烏は一目散に闇の空間へと飲み込まれていった。こいしは胸に湧き上がる思いを隠せなかった。
「お母さん、私のお母さんに明日会えるのね。楽しみだなぁ。ああどうしよう、どうしよう……」
 あたふたとして落ち着かない。明日は何を着ていこうか、早く起きられるだろうか、ハンカチは持っただろうか、何を話したらいいのかと、様々な思いがこいしを包んだ。

 こいしは夜中々寝付けなかったが、うとうと考え事をしている内にまどろんでいった。



「あれー? ここどこ? あっお姉ちゃんなんで何で泣いているの?」
 姉のさとりが蹲っていた。肩が揺れて嗚咽をもらしている。
「うっ、うっ、だって、大好きなこいしが、悪いお母さんに連れ去られてしまうんですもの。うっうっ」
「お、お姉ちゃん、私はお母さんが現れてもそんなことは……」
「嘘よ嘘。そんなの全部嘘よ。どうせこいしは私のことなんか忘れてしまうんでしょうね。うっうっ」
「お姉ちゃん……」
 こいしは何か声をかけようと思ったが、何も浮ばなかった。
「こいしっ!」
 自分の名前を呼ぶ声。それはさとりの声にそっくりだった。
「お母……さ……ん?」
 声の方を振り向き、無意識にその人物をそう呼んでいた。
 姉によく似た背格好で、髪の色も同じで、声の質も同じ――。しかし何かが違っていた。それを確かめようと母親らしき人物へと一歩歩みを進める。
 ――目が無かった。
 顔は耳まで裂けた口だけがへらへら笑っていた。眉も無く鼻の起伏も無く、平坦な素肌だけが広がっている。
「どうしたの? こいし? 私があなたのお母さんよ? ほらいらっしゃい。優しく抱きしめてあげる」
 姉の声で誘われた。足ががくがく震えて恐怖の声も出せない。
「ほらぁ、何? ああ、迷っているのね。私はお母さんだから閉じたあなたの心も読めるのよ。出来損ないのお姉ちゃんとは大違いよ。うふふ、ほら……、これで信じてくれるかしら?」
 ポコンと額の中央に目が一つ生まれていた。
「どう? これが心を読む目よ? なぁにその顔は? まだ足りないの? わがままな子ねぇ。お姉ちゃんの教育がなってないせいだわ。私が一から教えてあげなくちゃ――」
 また一つ目が増えた。また一つ、また一つ。もう数えてはいられなかった。顔中目だらけの母親が眼前に迫って来ていたのだ。
「こいし、私の可愛い可愛い……」









「うわぁーっ! ご、ごめんなさいお姉ちゃん! もうっもう……。あ、あれ?」
 目覚まし時計のベルがけたたましく鳴っている。もう朝だ。なんて気持ちの悪い夢を見たのだろう。そうだ、今日はお母さんに会いに行く日だった。もしかして夢の中ののっぺらぼうが出てきたらどうしよう? ううん夢は夢だもの。
 こいしは夢の出来事を頭の片隅に追いやり、いそいそと支度を始めた。洋服に着替え真新しい帽子を被り、念入りに何度も髪をとかした。身だしなみがだらしなかったらお母さんに笑われてしまう。立派に育って大人っぽくなったと思われたかった。
「急げ、急げ、急げー」
 地霊殿の扉を蹴り慌てて飛び出す。こいしは希望と不安を胸に抱えながら、地上の博麗神社を目指した。






「ふぁー。眠い……」
 明朝の博麗神社。博麗霊夢は眠い目をこすりながら、ほぼ日課となっている境内の掃除を始めた。面倒くさくてもこれだけは欠かさずしなければならない。神社は神を祭る場所。薄汚れていては神が寄り付くしまもない。
「うーん、今日の私も絶好調……。今日の私は美人顔……」
 霊夢は自己暗示をかけながら掃除を始める。と、同時に黒い羽が境内に舞い落ちた。
「お早うございます霊夢さん。いつもご苦労様です」
「何なのよ文じゃない。こんな朝早くから新聞の勧誘? 悪いけど私は絶対にとらないからね」
 射命丸文が霊夢の前にストンと降り立つ。
「あ、いえ、今日は違うのですよ。ええとですね。テーマは出会いなのです。長い時を隔てられ、悲しみ、嘆いた末、二人の母子は念願の再会を果たすのですよ」
「はぁ? 何のドラマか知らないけれど、神社に何の関係があるのよ。さっさと出て行きなさい。しっしっ」
「いやー、色々考えたのですが、朝の気持ちよい光が降り注ぐ神社の出会い、ロマンチックだと思いませんか? 私はそう思うのですよ」
 文は当然のように言う。
「その感覚は絶対間違っているわ。ところで誰と誰が再会するのよ。まさか文と私とか言うんじゃないんでしょうね。言っておくけどあんたとは縁もゆかりも全くないから――」
 霊夢は眉をひそめて心から嫌そうに言った。
「あっ来ましたよ。登場です!」
 文の視線の先を霊夢は追った。しかし、一目では何も見えない。石の床を踏む音だけが耳に響く。何なのだろう。まさか出会いとは透明人間同士のことなのだろうか。霊夢はそんなことを考えながら目を凝らした。
「あ……。ああ、あんた……」
 霊夢はじっと見つめている内に、虚像に騙されている自分の目が開けてきた。影とか先入観とか光の屈折とか錯覚とか無意識とか、もろもろの事情により見えないと思い込んでいたのだ。古明地こいしは確かに存在していた。霊夢はこいしを意識し、またこいしは霊夢を意識したのである。
「あら地霊殿のお嬢さんがこんな辺鄙な場所に。どんな風の吹き回しかしら? んんー? もしかしてこの子が再会するってわけ?」
「ええ、その通りです。霊夢さんは運がいいですよ。いわば歴史の生き証人となるのですから!」
 文はぐっと手を握って、空を見上げて言った。



「おおこいし嬢。お早うございます。ちゃんと早起きしてここに来られるか心配していましたよ。どうですかご気分は? ああ良く眠れなかったのですか? 瞼が腫れぼったいですねぇ」
「う、ううーん、うん……」
 こいしは眠かった。あの夢のせいでちゃんと眠った気がしない。文は何かと声をかけてくるが耳障りだった。
 霊夢は興味が無いのか、遠くて黙々と掃き掃除をしている。
「緊張しているのですね、わかります。そんな時は深呼吸をしましょう。すっと吸ってすっと吸ってすっと吐きます。これで大丈夫です。ほーら落ち着きました……。お、おっとこいし嬢、ついにお目当ての方が現れたようですよ」
 文が石段の方を指差す。何者かの姿がゆっくりと露わになる。石段を上がりきるとその人物の全体像がこいしの目に映った。
「こ、これが……、私のお母さん?」
 それは古ぼけた傘を持ったなんの変哲も無い少女だった。いや、ただの傘では無い、出来の悪い玩具のような、不恰好な目と舌がだらりと垂れ下がって、しかも柄の部分の先には下駄がくくりつけられている。それに少女の方も同じく、綺麗なおみ足を見せながら下駄を掃き、今にも舌を出したそうな表情で口をもごもごさせている。
「ええそうですよ。間違いなくお母さんです。……はい音楽スタート!」
 突然悲しげな音楽が境内に響き渡った。木陰で待機していたプリズムリバー三姉妹が演奏を始めたのだ。
「えっ、えっと、その、その……。私……」
 こいしは母親に何を言うか考えてきたのだが、頭が真っ白になってしまった。というより、このただの若々しい妖怪がお母さんだとはとても思えなかった。姉と自分に共通する点も全く無いように思われたのだ。
「うっ、ぐすっ、ごめんねこいしちゃん……。今まで放っておいて……」
 傘を持った妖怪が涙を流してこいしに語りかけてくる。
「わち……、私は今は多々良小傘と言います。旧姓は古明地小傘でした。私も昔は若くて過ちを犯してしまいました。あんなどうしようもない男に騙されて……。気づいたときには身ごもっていたのです。誰にも相談できなくて、くやしくて……。ええと、あ、こいしちゃんとさとりちゃんは双子なのです。お腹を痛めて痛めて……。私はこの世に授かった二人の命に責任が持てませんでした……。どうしようもなくて、逃げ出してしまったのです。ごめんね、こいしちゃん。二人の名前は私の名前からとりました。こがさの「こ」からこいしちゃん。「さ」からさとりちゃんと名づけたのです。わ、私は誰か親切な人が拾ってくれればと心に念じて、その旨を書いた手紙をこいしちゃんの手に握らせて、その場から無情にも立ち去ったのです。ん……。あー、私のしたことは決して……許されるべきことではないのは分かっています。本当ならこうして、こいしちゃんの前に現れることなど出来ないのです。ごめんね、こいしちゃん、駄目なお母さんを許して……、ねっ、ゆるして……、うぅ、ううー。くちゅん! ずびっ、うぐっ、くっ、くっ!」
 こいしはしばし呆然としていた。話の筋がつかめなかったのだ。どうしてこの母親らしき人物が泣いているのかもよくわからなかった。何を言ったらいいのかわからない。ただ傘を持った妖怪のすすり泣く声と、場違いな音楽だけが場を支配する。
「メルラン、少し音量下げて。自己主張が強いわ」
「ごめんなさいルナサ姉さん」
「リリカ、ピッチが早いわ。もっと落ち着いて」
「うえぇ、ごめんなさいぃ」
 三姉妹は自分達の仕事をマイペースにこなしている。
「ああ――。なんという悲劇でしょうか。深い愛情で結ばれているはずの母子が、なんの間違いがあってこんなことに。この悲劇的な運命により砕かれてしまった心をつなぎ止める術はあるのでしょうか?」
 文は悦に入って声を張り上げている。
「あ、あのー、天狗のお姉さん? 本当にこの人が私のお母さんなの? 全然私と似てないような気がするんだけど……」
 こいしが素朴な疑問を聞いた。
「おおなんてかわいそうなこいし嬢。そう思うのは無理もありません。あまりにも長い年月が二人の仲を分け隔ててしまったのですから! しかし、絶対に変わらないものがあります。こいし嬢? 覚妖怪の共通点を思い出して見てください?」
「えっ、えーと。お姉ちゃんは心が読める……、けど私は読めない。うーん? 他には何かあったかなぁ……?」
 こいしは頭を抱えて考え込んだ。
「こいし嬢? 大事なことを忘れていますよ。ほら見て下さい! あなたの第三の目です! 覚妖怪は体の外部に必ず第三の目を装着しているはずです!」
「第三の目……」
 第三の目と言われてこいしはじっくりと傘の妖怪を見た。一体どこにと訝しく思ったが、それはすぐ目の前にあった。古ぼけた傘に大げさ過ぎるほどの大きなな一つ目が開いているのだ。
「お、お母さん……」
「こ、こいしちゃんごめんね! こんな私でもお母さんって呼んでくれるの? うっうっうっ……」
 音楽がクライマックスを迎えて盛り上がる。こいしは雰囲気に流されて、小傘のことを本当の母親だと信じきってしまったのだ。小傘がこいしをぎゅっと抱きしめて、その胸に顔をうずめてこいしは泣いた。
「あやや、感動です。これほどの感動があるでしょうか。二人の仲に橋をかけたのはやはり切っても切れない絆だったのです。いやいや……」

 ひとしきり抱き合った後、小傘は急に立ち上がってぺろっと舌を出した。
「あー、疲れたぁ。ねぇ、わちきもういいよねぇ? 早く驚き十人分食べさせてよー」
「な! 小傘さん。まだ、まだ終わっていませんよ。この後もちゃんと教えたでしょう? ほら、ほらっ!」
「えー、もう飽きちゃったぁ。あのねぇ、わちき頑張って台詞覚えたんだよぉ。もう驚き五人分でもいいからぁ。早く早くぅ」
 小傘の突然の暴露に文は口を塞ぐ暇も無かった。
「え……? 何? 何なの?」
 こいしは状況を理解できずに目を白黒させる。
「あ、ああーー。こいし嬢待ってください。ちょっとよく言い聞かせますからね」
「あはは、私ただの妖怪だもの。あなたなんて知らないわー。この天狗さんがね、驚き十人分用意してくれるって言うからー。この変なお芝居に付き合ってあげたのー。おかしかったわー。わちきがお母さんだって! うひゃひゃ、わちきみたいな可愛い妖怪と、こんなちんちくりんのお子様が、ひゃっひゃっひゃっ!」
 この茶番は全て文の計画だった。こいしから譲り受けた細工物は思いがけず高価だったのだ。こんなにもらって広告だけではあまりにも心が痛む。そこで文は盛り上げ用の三姉妹と、お母さん役の多々良小傘を雇ったのだ。本物の母親が現れるのは待てなかったし、今の今まで姉妹を無視していたのだから、今更おめおめ表に出るとは思えなかった。
「くぉらぁー! この糞妖怪! 今すぐその減らず口を閉じるのです!」
 文は青筋をたてて小傘に突っかかる。
「えー、私ちゃんとやったじゃないー。ぶーぶー!」
「あ、あの……。お取り込み中のところ失礼なのですが。ギャラの方を……」
「はぁあ! 待ってください。今からこの下衆野郎をこらしめてやらねばなりません!」
「ちょっとちょっと! あんた達さっきからうるさいわよ! 神社の境内で馬鹿騒ぎされちゃ困るのよ。早く出て行かないと実力行使にうったえるわよ!」
 あまりの喧騒に苛立った霊夢も加わり、場は混乱するばかりだった。地面には一人取り残されたように、こいしがぺたんと座り込んでいた。目はどこを見つめているかわからない。焦点が定まらない空ろな目。
「お母さんは……嘘……だったの? 私を騙して……。みんみんな、私が簡単に信じると思って……」
「あ、いえいえいえいえいえ! 違うのですよこれは。些細な手違いからもつれてしまったのです。あのですねこいし嬢……」
「ひゃひゃひゃ! 嘘よ嘘! ぜーんぶ嘘よ! あなた地底の妖怪でしょう? 臭いでわかるわぁ。なんで地底の薄汚い妖怪のお母さんが地上にいるのよ。日にあたらな過ぎて脳が腐っちゃったのかしら? ひゃっ、ひゃっ、ひ――――」
 まだ口の減らない小傘に文と霊夢の鉄拳が炸裂した。
「うわぁん、もう誰も信じたくない! うわぁーー」
「ああっ、こいしさん待ってください……」
 こいしは後ろを振り向かずに神社の階段を一気に駆け下りた。頭がおかしくなりそうだった。何も知らない恥ずかしさに顔から火が出るような思い、こいしは自分の未熟さを呪った。






 こいしは真っ直ぐに地霊殿へ帰ると、自室に閉じこもって一人むせび泣いた。お燐がドアを叩いても入れなかった。涙が後から後から出てきてたまらなかったのだ。
「ぐっす、ぐっす、私の馬鹿! お馬鹿さん! ぐす……」
「こいしー? いるんでしょう? お姉ちゃんよー」
 外から姉のさとりの声が聞こえる。泣き顔を見られたくないので無視を決め込もうと思った。
「こいし、お姉ちゃん怒らないから、何でも話して欲しいわ。ねっ、こいし、こいし……」
 ドアを叩く音は数十分続いた。ついにこいしは根負けして、さとりを招き入れた。
「うわぁー、お姉ちゃんお姉ちゃん……」
 こいしは姉の姿を見ると、子供のようにさとりの胸に飛び込んだ。
「あらあら、甘えん坊さんね。こいしったら……。どうしたの? 誰かにいじめられたの? ほらベッドに座ってゆっくり話しましょうか?」
 二人の姉妹が狭いベットにちょこんと座って寄り添う。未だ泣きじゃくるこいしにさとりはそっと頬を撫でて抱きしめた。
「ほらー、こうしてると落ち着いちゃうでしょう?」
「う、うん! お姉ちゃん暖かい……。ふわふわしちゃう……」
 甘い香りに包まれてこいしは安らいだ。同族の姉妹の共鳴振動なのか、はたまた単なる愛なのか、どちらにしろこいしは落ち着きを取り戻した。
「うふふ、ね? こいし、何があったのか話してくれる? お姉ちゃんこいしの力になりたいのよ……」
「う、うん……」
 こいしはどう話そうか迷った。文は結果的にはこいしを騙しただけに終わったが、初めは親身になって話を聞いてくれたのだ。このまま姉に全て話していいものかどうか迷った。
「どうしたの? まさか転んで怪我をしたわけでもないでしょう? こんなにこいしが泣くなんて……。お姉ちゃんに教えて欲しいなぁ……」
 さとりを上目遣いで見上げる。姉の柔和な笑みと優しい目がこいしをくるんだ。ああやっぱり自分はお姉ちゃんが大好きなんだと実感する。
「ねっ、誰かにいじめられたんでしょう? お姉ちゃんに教えて? ねっ、誰に? 可愛い可愛いこいしをいじめたのは、だ、あ、れ?」
 唇が触れあいそうになるほどの接近。甘い吐息。とっても綺麗なお姉ちゃん。大好きなお姉ちゃん。
「うん! あのね、あのね――――」





 あの日からもう三日が過ぎた。こいしは過去の出来事を忘れて夜の食卓へつく。お皿には美味しそうなハンバーグ。そういえば昨日もハンバーグだった。たぶん明日もハンバーグの予感がする。
「こいし、もう飽きちゃった? これ?」
 さとりが無表情のこいしに声をかける。
「ううん、そんなことないの! 毎日ちょっと味が違うもの!」
「そう、それはよかったわ。うふふ」
 さとりは満面の笑みで返した。

 そそくさと食事を終えて、こいしは自分の部屋へ戻ろうとすると、さとりに声をかけられた。
「こいし、ちょっとこっちこっち」
「なぁにお姉ちゃん?」
 廊下の隅で立ち話。一体何の用なのだろうか。
「この前お母さん探すとか言っていたでしょう? その話なんだけど……」
「あ、あれはもういいって言ったじゃない。恥ずかしいからやめてよ!」
 こいしはぷいと顔を背ける。
「ええ、だから本当のお母さん、作ろうと思って。ちょうどいい実験台があるのよ。それも三人も……」
「えっ? 作るって? 生まれたのに? 逆に? あれ? あれれ?」
 こいしは混乱した。生むのがお母さんなのに、作るとはどういうことなのだろうか。それに実験とか三人とか――。
「生まれるのも作るのも結局は同じなのよ。最終的に意識を持てばいい。わかる?」
「ううん、よくわからなーい」
 こいしは両手をあげて万歳をする。
「ねっ、こいし、あなたも大人になるからそろそろ教えてあげましょうか。うふふ、大丈夫よ? とっても楽しいんだから」
 姉が微笑んでいる。こいしにはそれだけで十分だった。
「うん! お姉ちゃん大好き! ありがとう! 作ろう! 作ろう!」
 こいしは勢いよく腕を振り上げてさとりの後に続いた。さとりの手には錆びた鉤束が握られている。か細い足は生臭い地下へと向かっていた。こいしの喜びようを見て、さとりはそっと含み笑いを漏らす。
 禁忌の地に眠る覚妖怪の実態は未だつかめない。根深い怨嗟は刻々と積もるのみである。
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