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小箱の小話
東方二次小説が多目。 エログロ、ホラーミステリ洗脳色仕掛け等。
幻想郷アウトブレイク
 ここはとある世界のとある空間のとある講義堂。黒谷ヤマメは教壇に立ち熱心に教鞭を執っていた。


「ええー、ええー、ゴホンゴホン。えー諸君らは疫病というものをご存知だろうか。目に見えない微小の細菌が生物の体の中に入り、各々の細胞の中で増殖していく。諸君らも誰でも一度は風邪をひいた事ぐらいあるであろう――何? 馬鹿だからひいた事がない? それは残念至極残念。君は人生の最も重要な快楽である病気を経験していないのだからな。病気とは――単に生物に害を為すと、ただ単に表面上だけの影響を考えればそう思えてしまう。しかしそれは大きな間違いで――風邪一つとっても咳が出て、熱が出て、鼻汁が出て、様々な症状が起こってしまう。これを諸君らは単なる足枷だと思うだろう? そこで発想を変えてみるんだ、……病気の方から私の体の中に親切にも入り込んで来てくれたとね。物事の上辺だけ見ていてもわからない事はたくさんあるだろう。それと同じで病気にも必ず意味がある。風邪をひくと必ず熱が出るだろう? そして風邪をひくのは大抵寒いから――んーここまでくればもう答えは簡単だね……何、まだわからない。どうやら諸君らに期待した私が馬鹿だったようだね。寒いと風邪をひく――そして風邪をひけば熱が出る――つまり……風邪は寒さを和らげてくれるんだ。だから諸君はらは風邪に罹患したら風邪の細菌様に土下座して感謝しなくちゃいけないんだよ! あはは、ああ風邪の神様はこんな卑小で愚かな私めの体にお入りになってくださって有難うございますってね! ……うーん、あー、だいぶ話がそれたようだね。ええと、そうだ疫病についての事だったね。いやいやとにかく病気に限らず世間の物事には何らかの意味が働いてると――私は考える。黒死病と呼ばれるペスト、コレラ、チフス、結核など――古来から莫大な命を奪ってきた強力無比な疫病の存在がある。結果だけ見れば大多数の生命を抹殺しただけに思えるね。だがそれは人間側から見た一側面にしか他ならない。まず細菌の目的から考えてみようか――自分の分身を増やし、繁栄し長らく生存するため――。ああ針小棒大にして空前絶後、なんら諸君ら人間と微塵も違いはないではないか! 須らくは価値観の違い、肉を食うか野菜を食うかの違いに相違ないのだ! 彼らにも純粋な目的は存在する。それに好き勝手に暴れているように見えるだろう? 実は違うんだなこれが! 私のこれまでの研究結果を照合してみると驚くべき事実が判明するんだ。細菌にも諸君らと同じように好き嫌いが存在する。あんな単細胞にも明確な意思が存在するのさ。ともあれ――食料が限られていれば、選り好みもしていられないから――しかたなく苦虫でも噛み潰さなくちゃならない。無差別に見えて実に綿密で入念な計画実行性なんだ。ははは、どうだい諸君らも細菌の偉大さを思い知っただろう。これからは一呼吸ごとにおじぎしなくちゃならない。ん? ほうワクチンがあるとな! ややこれは参った参った。しかし……細菌を決して甘くみてはいけない、ワクチンで細菌の大部分が死滅したとしよう……それでも細菌を全部殺しつくしたわけではない。しかも――その辛うじて生き残った精鋭が、ワクチン耐性をつけてしまう可能性があるのだ。そしてそれが増殖してしまえば……わかるだろう? 結局は人間と細菌とはいたちごっこを繰り返している事になる。永遠に終わらない大戦争――それに何の意味があるのか――諸君らはどう考えるかね? ははぁ、その無関心な顔は、まるで隣の国の対岸の火事のように思っているんだね。まぁ諸君らがそう思うには無理もない事だろう。だが――考えて欲しい、もしも――もし突発的にワクチンも何もない対抗策が皆無の細菌による感染症が広まった場合、諸君らは冷静な気持ちでいられるだろうか? うーん私には諸君らが何もできずにのたうち回る様子が想像つくよ。なんとなんと世界は天変地異の火山爆発の大騒ぎ! 何もかもが木っ端微塵のお祭り騒ぎ……」








 普通の魔法使い霧雨魔理沙は、いつもように魔法の森でキノコ採取にいそしんでいた。魔法の森はキノコの名産地である。様々な種類のキノコが年輪を重ねた大木の幹に生息していて、魔理沙は片っ端からそれを掴み取って背中の籠に投げ入れていた。もちろん強い毒性のキノコは選別して絶対に触らない。魔理沙その辺はぬかりなく、キノコを見る目に関しては確かな自信があった。長年親しんだ自分の庭のように魔法の森に精通し、思うがままに鬱蒼と茂る樹海の海を闊歩していた。

「ふぅー大分集まったぜ。そろそろ日も暮れるし帰るとするか!」
 魔理沙は満足げな表情を浮かべて家路へとついた。丸一日中森の中を歩き回ったせいで、手足に草木で引っ掻いたであろう細かい傷がいくつも出来ていた。
「キノコ採りに夢中になりすぎて気づかなかったぜ。メンタームでも塗っとくとするか」
 ナイチンゲールがプリントされた容器に入ったメンタームをぐりぐりと塗りこんでいく。
「これでよしと……さて今日の内に選別だけはやっておこうかな。もし毒キノコが入ってたら一生恨まれるからな」
 魔理沙は普段見せないような鋭い目でキノコをじっくり観察し選り分けていく。
「こっちは霊夢の分……こっちは……アリスの分……これは……パチュリーのために紅魔館に持っていく分……残りは……白玉楼にでも送ろうか」
 手際よく数本にまとめて新聞紙に包み、袋に入れる。
「ふぁーあ……これで今年の新キノコをみんなに食べてもらえるぜ。さてと、もう疲れたし今日は寝るとするかー」
 魔理沙は疲労しきった腕をピンと伸ばして屈伸し、足早にベットへと潜り込んだ。何もこの世の不幸を知らないような、無邪気な少女の寝顔であっという間に眠りに落ちた。





「はぁー、ネタはありませんかネタはありませんか」
 射命丸文は音速にも近いスピードで幻想郷じゅうを飛び回っていた。新聞記者である彼女にとってネタ不足は深刻な問題である。もし新聞に穴を開けるようであれば、これまで築き上げてきた信用を失ってしまう事になる。文としてはそれだけはなんとしても避けなければならなかった。

 しかしそうそう都合のいいネタがいつも落ちているはずもなく。文は喉を嗄らして羽を蜻蛉の振動させて駆けずり回っているのであった。
「これは困りました! ネタのねの字すら見つかりません。……ここはやはりいつもの場所に向かうしかありませんね」

 文が向かう場所は決まっていた。人間も妖怪も皆が寄り集まる公共の場、博麗神社へと突撃した。


「今日はー霊夢さん。ネタの集金に来ましたー。さぁさぁ早く返済しないと利子がつきますよ。早くしないと大変です。さぁさぁ何も言わずに出しなさい、さぁさぁ……」
 文は霊夢の所在も関係無しに、博麗神社へと潜入した。が、文の言葉はむなしい独り言となった。部屋の中はがらんとしていてもぬけの空だったのである。
「んぁー霊夢はいないよ山の天狗よ」
 明るい縁側の外から、博麗神社に居候している、小さな百鬼夜行――伊吹萃香が寝ぼけたような声で言った。
「おや萃香さん。霊夢さんはいらっしゃらないのでしょうか?」
「うーん……霊夢は人里へ買出しに出かけたのさ」
「そうですか……はて、どうしたものか」
 文は腕を組んで首をかしげる。
「なんだい山の天狗よ。急ぎの用なら私が取り次ごうか?」
「あっいえいえ、いいのです。特に、急がなければならないって事は全くないのです」
 文は口ではそう言ったものの、内心ではとても焦っていた。そんな微妙な表情を萃香は敏感に感じとっていた。
「私の前で嘘はつかなくてもいいのだよ。なに霊夢の知り合いならいきなり取って喰おうなどとは考えない。私も暇だし何でも話してくれればいいのさ。どれ、私が茶を入れてやろう、一杯飲んでいけよ」
 萃香はそういって無限に酒が湧き出る瓢箪に口をつけ、ぐびりと一気に飲んだ。
「はっははぁ……それではお言葉に甘えてー」
 文は丁寧過ぎるほどへりくだって萃香に言った。

 ポカポカと陽気が溢れる縁側で文は茶を啜りながら萃香に取材をしていた。
「ふーん、そうか、ネタね。大変だな、新聞記者も、時間に追われる生活なんて私はここ数百年来覚えが無い」
「えっええ、ええもう。世知辛い世の中になったものです。ええと、それでは萃香さん、ネタと言っても深く悩む事はないのです。何か日常の何気ない一コマ――極端に面白く無くてもいい、話題性が無くてもいい、そんな心温まる新聞、見る人の心を豊かにする新聞を作ろうと私はいつも心に決めているのです」
 文の口からはもはや虚言しか吐けないような仕様になっていた。
「ほう、そんな些細な事でもいいのか……と言っても……私は終日酒を飲み――寝たいときに寝て、また起きて、気分が向けば宴会を起こして……何も変わった事はしてないのだよ」
「ふぅむそうですか、ううむ……」
 文は宴会芸の事でも聞こうかと思った。もはやこの際内容はどうでもよかったのだ。
「あ、時に失礼。すぐ戻るから」
 萃香は急にそう言うとだるそうに立ち上がり、外から十センチ程の大きめの石を拾ってきた。
「あっあのー……」
「おおすまんな話の腰を折って。さて続けようか」
 
 萃香は何事も無かったの様に宴会の話をした。文は萃香の様子をジロジロと見ていたが明らかにおかしかった。小柄な体格に似合わない程の鬼の腕に握られた石は、ごりごりと萃香の掌で音をたてていた。皮膚が擦れて焦げ付くような臭いがしそうなほど、萃香は強く石を握り締めていた。話も呂律が回っておらず、まるで心ここに在らずと言った感じだった。

 初め文は萃香が酒を飲みすぎていたのだと勘ぐっていたが、酩酊のそれとは異質で――不気味で想像がつかないような違和感を受け取っていたのである。

「――それでな……ぁ……なんだっけ……霊夢が……ん……すまん……山の天狗よ、ちょっと待ってくれ」
「ええ、ええどうぞどうぞ。ゆっくり気分を変えてくださいな。私はいつまでも待っていますので」

 文は萃香が酒でも一気飲みするのではと予想したが、次に起こった出来事は全く予想だに出来なかった。萃香は石を手に持ったかと思うと物凄い速さで腕に擦り付け始めたのだ。それはまるでマッチで火をつけるように火花が散る勢いで、何度も何度も擦っている。瞬く間に鬼の強固な肌に赤い血の滲みが何本も刻まれていく。

「え? えっ、ちょっと萃香さん?」
 文はたまらず声をかけていた。萃香は血が出ると満足したのかふーっと息を吐いた。
「……ふぅ。おっとすまんな。どうにも私は最近たまらないんだよ。――何かが、私には何かが足りない気がする。酒を飲んでも埋められないのは私には初めての経験だよ。無性に自分を傷つけたくなるんだ――そして気がつくとすっきりしている。何だろうこれは? 山の天狗よ、心当たりはないか?」
 文はこれはいいネタに出会えたと思い内心喜んでいた。勇猛な鬼の自傷癖。ギャップも相まって人の関心を引くにはもってこいだと思ったのだ。
「あっ、えーと、そうですねぇ。気のせい……そう、ただの気のせいですよ。誰しも季節の変わり目には心苦しくなって突飛な行動をとったりするものです。ええ、私もこの前頭に血が上って愛用の万年筆折った事があります。それと同じですよ」
「ふむ……そうか……」
 萃香は少し寂しげにそうつぶやいた。





 文は博麗神社を後にすると、人里の商店街を、記事の内容を思案しながら歩いていた。
「鬼のかなわぬ恋……悲劇の末にかよわい幼子はその身を自ら……うーん、あんな鬼が恋などするわけが……とすると……。いやぁそれでも記事は半分程でしょうか。もう少し何かが必要です。ここも人の集まる場所――ネタが人を呼ぶ私を呼ぶ。まだ諦めるのは早すぎますね」
 ぶつぶつ呟きながら人通りの多い道をねり歩く。普通の人間と人妖とがほぼ半々ぐらいに所在している。天狗である文のように人間とほぼ変わらないような容姿で、人間にも慣れ親しんだ妖怪は、人間に中にまみれてもまるで違和感なく溶け込んでいるように見える。
「んんー、まさにここは幻想郷の人種のサラダボウルと言ったところでしょうか。しかし、水と油はえてして混じりあいません。絶対に何かが起こるはずです。いえ私のために何かを起こしてくれます」
 文は自分で何か事件でもでっちあげようという邪な考えが頭の隅にチラッと浮かんでしまった。それは文の心の中で萌芽し、膨らもうとしていたが、人ごみの中から見覚えのある顔が目に入ったので、その考えはたちどころに消えてしまった。


「薬はいりませんかー? 便秘薬に鎮痛剤、即効万能風邪薬、切り傷刺し傷なんでもござれの赤チンキ。一家に一台これでみんなも安心魔法の薬箱。薬ー、薬はいりませんかー?」 
 通りの真ん中で声を張り上げているのは永遠亭の兎、鈴仙・優曇華院・イナバである。ミニスカートにブレザー、そしてピンクの頭髪に兎の付け耳と何とも珍妙な雰囲気を醸し出している。
「ああどうもどうも鈴仙さん。どうも射命丸文です。今日は行商ですか? 薬売りも楽ではないでしょう?」
 文は鈴仙にニヤニヤしながら声をかけた。鈴仙は首にぐるぐると包帯を巻いている。何か怪我でもしたのだろうか?
「あら射命丸さん。いつもお世話になっています」
「あやや、どうもご贔屓に、いやいや」
「いきなり会って何なのですが、師匠からの言付けですので伝えておきますね。あなたの新聞に載っている私達の薬の広告が誇大表現なので、訂正して欲しいとの事です。大体、何ですかあれ? あれを飲めばたちどころに病気が治る。これを飲めば万年生きられる。薬はあくまでも対症療法です。薬は本来、生き物の自然治癒力の手助けをするものなのです」
「ほほうそうですか、いやしかし、先程のあなたの謳い文句はまるで薬一つで万事解決のようでしたね。おっと本音のとこは秘密主義なのでしょうね。いやいや、いいのですいいのです」
「なっ……も、もう何も用事は無いのなら私は仕事がありますのでこれで……」
 文は鈴仙がもう行ってしまうのが残念だったが、一つだけ聞いてみようと思った。
「鈴仙さん首のそれはどうかしましたか? 医者の不養生とはよく言ったものです。気をつけなくてはいけませんね」
「……これは何でもありません。それではこれで」
 鈴仙は踵を返してまた薬売りへと戻って行った。


「おっと、取り付くしまもないのですね。これだからせわしない兎は困ります」
 文は先程の萃香と鈴仙との関連性を考えてみた。首の怪我、そして自傷癖。鈴仙の態度は何故か腑に落ちなかった。永遠亭の秘密主義は徹底している。外には出せない危ない薬も横流ししているのではないかと邪推していた。
「ふむ、しかしこれだけでは何とも言えませんね。怪我なんて誰でもしますからね。ああそれにしてもネタに困りました……」
 文は心に引っかかる違和感を楽観的な思考で押しつぶした。そして明日の記事の事に頭を悩ませながら真っ白な空へと飛び立った。






 鈴仙は今日の行商を終えて、永遠亭へと戻っていた。
「ただ今帰りました。はぁー今日も疲れたわ。足が棒のようよ」
「お帰り鈴仙、どれどれ足のマッサージでもしようか?」
 永遠亭の幸せ兎、因幡てゐが鈴仙を迎え入れた。
「冗談はいいわよ。それより行商の当番、あんたが順番どうりにまわらないせいで、みんなに皺寄せが来てるじゃない。永遠亭のためを思えばそれは許されない事よ」
「いやぁ鈴仙、本当に私はそれについては心を痛めているんだ。私も本心では勤勉に薬を売ってまわりたいんだ……しかし、しかしだ……私の重大な使命がそれを拒む。私はそれを誠にすまなく思っているんだよ。これだけは信じてくれたまえ」
「もうあんたの嘘はもう聞き飽きたわ。どうせ新型の罠でもこしらえていたんでしょう?」
「いひひっ、ばれたか。あはは。鈴仙、この世はずる賢く立ち回る者が生き残るんだ。鈴仙も長く生きてみればわかる。皆と同じように付き合っていては非効率な事ばかり。私は鈴仙にいつもそれをわからせようとしているのにな。ああ残念残念」
「こらってゐ! いい加減にしないと私怒るわよ!」
「おおっ、怖い怖い。へへっ、兎さん兎さん手のなる方へ」
「……そこまで言うならっ」
 鈴仙はてゐの言い草に頭に血が上ってしまい、てゐを折檻すべく追いかけようとしたが、それは永遠亭への帰宅者によって打ち砕かれた。

「ただいまー、あら鈴仙、てゐ。玄関で何をしているの? ああ今日も楽しかったわぁ。妹紅をぎったんぎったんの八つ裂きにしてきたんですもの」
「ははぁー姫様いいところに。お帰りなさいませー」
「……お帰りなさいませ姫様」
 永遠亭のお姫様、蓬莱山輝夜が服を血で真っ赤にして帰って来た。因縁の宿敵の藤原妹紅に勝利したのか、上機嫌である。
「ねぇ聞いてよ。妹紅ったら馬鹿でしょうがないのよ。いつも同じ戦法同じ攻撃。何の変わり映えもありゃしないの。まぁ下民の分際だから考える事もお粗末だからしかたの無いでしょうね。ともあれ私が的確に戦略を練り、妹紅は哀れにも腕と足と頭を吹き飛ばされたの。あのね、花火が飛ぶみたいにポーーーンって。くくく、あなた達にも見せたかったわぁ……」
「姫様、妹紅さんも懲りませんねぇ。いい加減姫様の偉大さを認めてしまったらと私は思うのです」
「いい、てゐ? 妹紅は下民の上に馬鹿を三乗重ねているのよ。だから永遠に私には敵わないの。今日の勝負で通算成績50242勝50042負けで私が二百勝勝ち越しになったわ。馬鹿の妹紅ごときと戦歴が拮抗してるなんて断じてありえない。ダブルスコアになるまでやるわよ!」
「なんと! さすが姫様は志がお高い! きっと達成できると私は信じてますよ」
「ええそうでしょうそうでしょう。てゐ、あなたは頭がよくて賢い兎だわ」
 輝夜がてゐの頭を撫でるのを鈴仙は憎らしげな目で見つめた。どこか要領のいい事ばかりするてゐを鈴仙は訝しく思っていた。しかし実際の年齢とはかけ離れた持ち前の可愛らしさと話術によって、するりと難事をすり抜けてしまう。てゐに厳しく当たれない自分を鈴仙は情けなく思っているのだった。





「あーあ、何だか最近イライラしてしょうがないわ……」
 鈴仙は輝夜の着替えの世話を終えた後の、自分の部屋へ戻る途中だった。一人になると鈴仙はふと急に寂しくなり、首筋に意識が向かってしまった。
「うう……まただ……あああ……」
 包帯の上から傷口を掻きむしる。痛みでも痒みでもない得体の知れない感情に突き動かされて、鈴仙は錯乱してしまうのだった。

 事の起こりはほんの数日前だった。朝起きると首にひどい傷がついていた。誰も自分を襲撃する者などいない。てゐならもっと悪戯じみた方法でやるだろう。鈴仙自身が喉を掻きむしったとしか思えなかった。とりあえずの応急処置として包帯で巻いたが、毎日のように掻いてしまうので傷は良くならなかった。

「うぅ……うぁぁっぁあ……」
 苦しみでもない声を出しながら鈴仙は喉を掻いたが、やがてその衝動は収まった。
「はぁ……はぁ……私は一体……」
 言い知れぬ不安が鈴仙を襲う。
「こんな時はアレでもして寝よう……」
 
 鈴仙自身も間違いなく兎の仲間である。そして兎の性欲は非常に強く年がら年中発情期である。そんな旺盛な兎達がいる永遠亭ではたちまち性行為の坩堝となってしまうはずだが、現実ではそうはならない。永遠亭の兎達は性欲を抑える薬を永続して飲んでいるからである。もちろん生殖用の兎は別に存在している。
 
「薬を飲んでいればこんなにムラムラするのなんて少ないのに……ん……駄目だわ……部屋まで持ちそうにない……ぁぁぁ……最近性欲までおかしいし……私はどうなってしまったのかしら……」
 鈴仙はもう十分に濡れていた。そしてちょうど目の前を歩いている男の兎が鈴仙の赤い瞳の中に入った。
「あぁ……あなた……ごめんなさい……ん……」
 鈴仙は狂気の瞳で男を捕らえこんで口づけをし、自分の部屋へとひきずりこんだ。

 本来ならば実質的な永遠亭の支配者である、八意永琳の腹心とも言える鈴仙と交わる事は、考えられない大罪だった。鈴仙から誘ったにせよ、これが永琳の知るところとなれば、死ぬよりつらいであろう責め苦を受けるのは男の兎の方であった。

 それでも鈴仙は理性を抑えきれずに強引にも招き入れてしまった。そうでもしなければ頭が狂ってしまいそうだったのだ。

 
 狭い畳敷きの部屋の中で二人の喘ぎ声がこだまする。
「あ、あ、あ、もっと爪をたてて……お願いよ」
 じっとりと汗で湿った木目細かい肌の鈴仙に、後ろから男の兎が尻を抱え込んでいる。
「ああ、いいっ、それっ、いいいいっ!」
 男は言われた通りにわき腹と肉付きのいい腎部に爪をたてた。
「おおおああああぁぁ……もっと……もっと……」
 鈴仙は快感に打ち震えている。男のゴツゴツした指が尻肉をぐにぐにと変形させていく。
「あはぁっ!! いいいわぁ!! あんっ!!」
 鈴仙は自分から腰をくねらせて飲み込んでいく。普段きりりと生真面目な兎は性の野獣へと成り果て、やがて到達する地点へと一心不乱に腰を振っていた。


 薄い障子に映る二組のシルエット。
 好奇心旺盛な観察者は親愛な友人の痴態を戸の隙間から見物していた。
「……これはいい物を見れた。はは、愉快愉快……」


「あひぃ、きほひぃ、ふあぁ、いいいい。もっと私を貶めて穢して壊して嬲って……。おまぁんこいい、あへってもっと後ろから私をぐちゃぐちゃにしてぇ……あはぁぁぁあああ――」



 観察者因幡てゐは音をたてないように笑いを噛み殺して、そっと戸を閉めた。









 迷いの竹林を抜けた先の永遠亭の診療所。霧雨魔理沙は診察を受けるべく待合室で名前が呼ばれるのを今か今かと待っていた。

 魔理沙はここ数日どうにもおかしかった。あの森でキノコを採ってから、体に出来た傷が治りにくいのだ。いや正確には治ってしまう前に新たに傷を作ってしまうのだった。手足に出来た傷がどうしてもどうしても気になってしまい瘡蓋の内に掻いて剥がしてしまう。そして傷口から血が噴出すと妙な安堵を覚えてしまうのだった。魔理沙にはそれがたまらなく怖かった。

「はいでは次の方ー」
 永遠亭の医師である八意永琳が魔理沙を呼んだ。
「今日はどうしましたか?」
 永琳は決まり文句のように言った。
「あ、あの……」
 魔理沙は包帯だらけの手足を見せる。
「あら化膿でもしましたか? 自己処置は難しいものなのですよ。一応傷口を見ておきましょうか」
 永琳は慣れて手つきで包帯を取り去る。
「……うーん、この傷はどうしたんですか」
 特に化膿もしていない。ただ爪で掻きむしったような生々しい傷だった。
「森でほんの少し傷つけてしまったんだ……それが自分で掻いてしまって……」
「これはいけませんね。爪はばい菌だらけですから。おそらく痒くて掻いてしまったんでしょう。とりあえず消毒して――薬は痒み止めと……」
 永琳は魔理沙の目がきょどきょどと泳いでいるのに気づいた。普段の勝気な彼女の性格からは考えられなかった。
「それと精神安定剤もつけましょうか。大丈夫です、すぐに治りますよ」
「は、はい、ありがとうございます」
 魔理沙は少し落ち着いたように見えた。

 消毒はすぐに終わり清潔な包帯で患部をくるんだ。
「はいこれで終了です。受付から薬をもらっていってくださいね。それではお大事に」
 

 魔理沙は永琳の診察を受けて薬をもらいほっと一安心した。ああ私はどこもおかしくは無かったんだ。ちょっとだけ不安になって無闇に掻いてしまっただけ。薬を飲んで一日ぐっすり寝ればすぐにまた元通りの生活に戻れる。魔理沙はそう信じて疑わなかった。
 





 
「ぬあああああっあああああーーーー」
 ここは博麗神社、伊吹萃香は居間のちゃぶ台の上で溶けそうになっていた。
「何よ萃香、昼間っからそんな変な声を出して」
 幻想郷を守る我らがヒーロー博麗霊夢が言った。
「なぁ霊夢、霊夢」
「だから何?」
 萃香は目をキョロキョロさせている。
「私どこかおかしくないか?」
「別に……」
 霊夢は萃香を見た。角はついているし瓢箪も持っている。萃香と人間を判別するこれ以上の方法は無かった。少なくとも見た目上は鬼の萃香としか思えなかった。
「そうか? それはよかった。それで……霊夢、一つ頼みたい事があるんだ」
「へぇあんたが頼みごとなんて珍しいじゃない。何でも言ってご覧なさいよ」
「んーと……霊夢、私を殴ってくれ」
「はぁ?」
 霊夢はこの萃香の発言に目を白黒させて驚いてしまった。
「……いや、一回でいいんだ、頼むよ霊夢ぅ……」
「おかしいわよ。酒でも切れたの? それともマゾヒズムに目覚めたとか?」
「そんなんじゃないんだよ。ただ、殴ってくれれば解決する気がするんだ」
「何を言ってるのかわからないわね……」
「そんな事言わずにさぁ、お願いだよぅ……」
 霊夢は適当にあしらっていたが、萃香が若干涙目にしながら余りにも懇願してくるので霊夢は承諾する事にした。
「それじゃあ一回切りだからね」
「やったぁ! さすが霊夢は心の友だ」
 萃香は喜びの酒をぐびぐびと飲んで口を拭った。

 二人は境内に出て並んで立った。
「ここだ、ここに一発今一番の気持ちいいのをくれ」
 萃香は自分の右頬を指している。
「本当にいいの? 言っておくけど私は手加減できない体質よ」
「ああ本気でこい霊夢。大丈夫、私はとても丈夫だから」
 霊夢には萃香が何故こんな事を言ったのかわからなかったが、季節の変わり目にはおかしな奴が出没した前例もあり、一発殴れば途端に解決するであろうと無責任な予想を立てていた。
「いつでもいいぞ! ほれ、ほれ」
「それじゃいくわよ、歯を食いしばりなさい」
 霊夢は半歩下がって腰を鎮めて気を高める。博麗の巫女の霊力が拳に集中する。霊夢はやぁっと掛け声をあげて萃香の頬目掛けて音速以上の鉄拳を繰り出した。

 霊夢の拳はものの見事に萃香の頬をとらえてクリーンヒットし、萃香の小さな体はネジのようにきりもみ回転して境内の石の床の上に落ち、そのまま十メートル程華麗に床石を雑巾がけした。
「うふぅ、うふっ、うふうふうふふふ、うふあはははっはは!!!」
「萃香……?」
 霊夢はやってしまったと思った。打ち所が悪く萃香は狂ってしまったと。やはり無理を言ってでも頼みは聞き入れるべきでは無かったと後悔した。
「うひひいいっっ! あふあっ! 気持ちいい! いい! これだよ霊夢! あはははは……」
「なんなのよあんた。気持ち悪いわね。何がどうなったのか説明なさいよ」
 萃香の頬は霊夢の渾身の一撃で赤く腫れ上がっていたが、鬼の堅い皮膚と並外れた再生能力によって、早くも治りかけていた。ついでに鼻血と涙で顔が塗装されていて、とても見れたものではなかった。
「ふーっ、ふー、ええ、その……なんだ。……霊夢、ねぇ、もう一回、もう一回殴っておくれよ。なぁいいだろう?」
「駄目よ一回きりって言ったでしょう」
「えー、ねぇ、後生だから霊夢。ねぇったら」
 霊夢は駄々っ子のように食い下がる萃香に幾ばくかの恐怖を感じた。それに霊夢は鬼を殴ったせいで手が痺れてもう一度拳を打つ事はかなわなかったのである。
「……どうしても駄目かい?」
「ええ駄目ね。女と女の約束だもの」
「よしわかった――うわぁぁぁっぁぁああもう霊夢なんて大嫌いだぁぁぁぁあああ……」
「……はて? やっぱり打ち所が悪かったのかしら」
 萃香は牛のように猪突猛進して、境内からゴム鞠のように飛び跳ねて姿を消した。霊夢には萃香の行動が理解不能だった。どうせその内猫のように首をまるめて帰って来るだろうとタカをくくっていた。



 萃香は野山を飛び天界を一周してまた地に下りて山に激突して泣き叫んだ。
「霊夢のばかぁぁああ……」
 体をボロボロにしながら萃香は泣きじゃくっていた。
「ひぃひぃ……そうだ、もう霊夢なんかにたよるもんか……私は私で……」
 萃香は自分の体を大きく変化させた。
「これで私の質量と面積が大きくなれば受ける衝撃は数十倍だ。この状態で高い所から落ちればさすがの私でも木っ端微塵。これだ、これが最善だ! そうだそうだ!」
 萃香は巨大化した体で上空に昇り、それから浮遊状態を解き、重力エネルギーを身に纏い真っ逆さまに急降下した。
「ざまぁみろ霊夢! 私の勝ちだうはははははっははっはははは――――」







 魔法の森の質素な家に魔理沙は数日篭っていた。

 永琳に薬をもらって服用してから二、三日は気持ちも落ち着いて、自傷もせずによく眠れた。だがそれも長くは続かなかった。包帯をかえる時に治りかけの傷口を見てしまったのだ。そうするとどうしてもいじりたくなってしまうのだった。爪はもうやめようと思い、切れ味のよい果物ナイフをぼおっと見つめていた。

「はぁ……」
 室内の光が反射する銀色のナイフを舐めるように見つめる。
「切ってしまおうかどうしようか?」
「切ったら満足する気がする……でも……」
「一回だけ……一回だけ……」
 魔理沙は逡巡したが甘美な誘惑には抗えなかった。
「……いくよぉ……うぅ……」
 ナイフで白魚のように滑らかな腕の腹に一本の赤い糸を刻む。
「あぁ……すごい……」
 魔理沙は充足感にたまらず歓喜の声を漏らす。
「も、もう一本だけ……うふっ、うふふふ……」


 一刻半ほど時間が過ぎた後、魔理沙の手足には数え切れない程の赤い線が刻まれていた。
「……やってしまった……私は馬鹿だ……」
「何だろうこれ? 自傷癖?」
「……血を拭くのもなんだか面倒だぜ……」
「永琳は……何と言ったっけ? 私が痒くて傷つけたと……」
 魔理沙はわかっていた。別に痒くて掻いたわけではない。本能に従うままに行動してしまったのだ。それならば――自分は変態なのだろうか? その疑問が魔理沙を深く混乱させた。
「アリスや霊夢、パチュリーはこんな私を見たら……なんて言うだろうな」
「霊夢なら真っ先に気持ち悪いと言うだろう。うん間違いない」
「パチュリーは……? へぇあらそうとか言って奇特な趣味とか決め付けそうだな……」
「アリスは……アリス? アリスの顔がよく思い出せないな……。アリスは私の友人でそうそう……、私の事をいつも心配してくれて……」
 魔理沙はしばらく考え込んだが、血だらけの手足を見て急に恐怖してしまった。
「こんなの見せられるわけないぜ……。私は完全におかしくなってしまったんだ……誰にも会わない方が迷惑かけないで済む」
 魔理沙の思考は闇に包まれ内へ内へと閉ざされていった。






 
 永遠亭の自室で鈴仙は生暖かい溜息をついていた。どうにもこうにもならなかった。首を掻きむしる癖は段々ひどくなって、全身にも被害は及ぼうとしていた。そしてその自傷衝動が落ち着いても今度は性行動の欲求にかられてしまう。最近は毎日のように兎の男をとっかえひっかえしているのだ。このままでは師匠にばれてしまうと思ったが、本能的な行動を止めるのは無理な試みだった。

「鈴仙、いるかい?」
 部屋の外からてゐが声をかけた。
「どうぞ……」
 てゐはのっそりと部屋の中に入ってきた。一体何の用だろうか?
「あのね鈴仙、急で悪いけどさぁ、今日の人里への行商代わってくれないかな?」
「何で……」
 鈴仙は気分が最悪で悶々としていたのでどこにも行きたくなかった。髪はぼさぼさで肌も荒れていたので人前にも姿を晒すのもためらわれた。
「ねぇお願いだよぉ……いいだろ? ねぇ?」
 てゐは可愛らしく見せているつもりなのか舌をペロッと出して両手を合わせて言った。
「駄目よてゐこれはあなたの仕事でしょうに。これははっきりさせないといけないわ」
「へーぇ……人がこんなに頼んでるのにね、案外頑固だね。いやぁ誰かさんは毎晩元気が有り余っているみたいだからさ……行商なんてお茶の子さいさいかと思ったわけで」
 てゐは老獪な表情になって言った。
「な……どういう意味よ……」
「そのままの意味さ鈴仙。毎晩男二人も誘い入れてまぐわってるじゃあないか。おっと昨日は四人で大盛況だったね、くくく。誰かさんの声が大きすぎて周りに筒抜けなんだよ。ちょっとは自重したらどうだい。盛りのついた雌のようにあんあん声あげてさぁ……見苦しいったらありゃしないよ。それが大天才の八意永琳様に仕える者の姿かい? 私は残念だよ鈴仙。長く生きてても俗世の煩悩なんか惑わされていてさ、ふふふ。発情期とかそんな言い訳は聞かないよ、これがばれたら鈴仙も交わった男共も罰を受けるんだ。さぁさぁわかったんならさっさと外へ行きなよ。この部屋は兎の臭いがこもって臭いんだよ。私が掃除しといてあげるから、さぁさぁ出てった出てった」
「……な……なっ……」
 鈴仙は動悸が激しくなり視界がぐらっと歪んだ。
「ほらほら仰天して動揺してる暇なんてないんだよ。いいから出てけってば!」
 てゐは半ば蹴飛ばすような勢いで鈴仙を引きずり出した。
「これからは私が教育係りだよ。何の役にも立たない瞳術で永琳様に気に入られてさ、そんな地位にいるお前が前々から気に入らなかったんだよ。ふふん、くやしいかい鈴仙。恨むんなら自分の愚かさを恨むんだね」




 鈴仙は抜け殻のようになってふらふらと人里を歩いていた。背中に背負った薬箱の包みがずしりと肩に重く圧し掛かる。もう自分はお仕舞いだと鈴仙は思った。永琳の信頼を裏切ってしまった。もう終わりだ終わりだ。

 おぼつかない足取りで町を歩く。人ごみの喧騒はまるっきり虚無に感じた。世界と自分との隔絶感が鈴仙を更に悩ませた。寂しさが後から募ると、またいつものように淫らな欲望が鈴仙を包み込んだ。人がいっぱいの町中でも構わないと思った。

 懐に忍ばせた手術用のナイフ。
 これで盛大に腹をかっさばいて見せ付けてやりたいと思った。

 ――ああ、切ってしまいたい。私の全てを見て欲しい。 

 薬を売る声も出す気がせず、鈴仙は人気の無い方へと誘いこまれるように歩いて行くのだった。




 心の弱みはすぐに外面へと表れる。そこにつけこむのは人間でも妖怪でも関係なかった。心を折られた鈴仙は今や格好の欲望の的だったのである。
「おい、あれ永遠亭の兎じゃないか?」
「それが、どうかしたのか?」
「それは知ってるが……何かおかしくないか? 空ろな目つきで今すぐばったり倒れてしまいそうじゃねぇか」
「おいおい、このままだと人通りのない裏通りの方へいっちまうぜ」
「うひひ、いつも気丈なのに今日はしおらしくてたまんねぇぜ! なぁみんなでやっちまおうぜ。なぁにあんなひ弱そうな女、ちょいと股開かせればすぐに大人しくならぁ!」
「しかし……」
 五人の人間はあれこれ話をしたが結局鈴仙を襲う事に決めた。


 鈴仙は人が全く通らない裏道へと吸い込まれていた。知らず知らずの内に異性を誘う媚態を示している事に気づかなかった。顔を紅潮させて喘ぐようにはぁはぁと吐息を吐いて歩く姿。わざとらしく腰を左右に振って雄を欲情させる姿。鈴仙は迫り来る危機を自ら招きいれていたのだった。

「ああ、あの腰つきたまんねぇな……絶対俺を誘ってやがる」
「何言ってんだ馬鹿かお前は」
「おいお前達は後ろから回れ、逃がさないように挟みうちだ」
「おうわかった」


 鈴仙は周りを取り囲まれているのに気づいた。全部で五人。人間が自分に何をしようとしているかがわかった。鈴仙は自暴自棄になっていた。もうどうなってもよかった。

「あはぁん……」
 鈴仙はまさに今飛びかかろうとしている人間達に向かって、妖しい笑みで答えた。
「おい見つかってしまったぞ? どうする?」
「相手は妖怪でも女だ、五人まとめてかかれば……」
 人間達は迷っているようだった。
「ねぇあなた達? 私の事好き? どこが好き? 全部見せてあげよっかぁ?」
 鈴仙の瞳が段々光を増していく。
「何を言っているんだこいつは……。おいおっかねぇからもう逃げようぜ!」
 人間の一人がそう言ったが、もう既に狂気の瞳によって魅入られて、まともな動きは封じられていた。
「ねぇ……」
 艶っぽい声で鈴仙が言う。
「見たい……?」

 鈴仙はすっとメスを取り出してゆっくりとした動作で服を脱ぎ出した。人間達は瞳の魔力で動けずに呆然と鈴仙の肌が露わになるのを見続けていた。むちむちとした豊満な肉体が男達の欲望を更に駆り立てた。
「……はぁはぁ……」
「なんて体だ……もう我慢できねぇ……」
「……お、おい逃げようぜ。こいつ頭がおかしいってメスなんか持って何をするか……」
 鈴仙は下着一枚だけの姿になり、腹部にメスをぐっと押し当てた。なんの躊躇もなく腹が真横に引き裂かれていく。ぽたぽたと真っ赤な血が脚に滴り落ちる。
「あはははぁ! 気持ちいいわぁ……もっと私を見て……あはぁぁぁああぁ……」

 鈴仙は全く痛みを感じない体になっていた。そう言っては語弊があり、現実的には痛みの感覚全てが快感へとすりかわっていたのだ。今までの自傷行為は自慰と同じだったのだ。気持ちがいいから毎日でも飽きる事なくする。それは当然の行為だった。

「ほら見てぇ、私の腸とか臓器が丸見えよ……もっとそばにくればたっぷり見せてあげるわ。うふふ、穴が三つじゃ足りないから開けてあげたのよ……あなた達五人でしょう? だ、か、ら、ここも使って欲しいの……ほら……」
 鈴仙は自らぱっくり開いた腹部から内臓をかきまわす。とてつもないグロテスクな光景が広がっていたが、狂気の瞳に捕まった男達には魅力的な肢体に錯覚させられていた。
「ぁ……はぁ……はい……」
「お、おい、馬鹿行くな! そいつは化け物だ!」
 鈴仙の魅力に抗しきれなくなった四人の男がへらへらと薄ら笑いを浮かべて近づいていった。
「ああん……」
 四人の男は鈴仙の周りをぐるりと囲んだ。ほとんど半裸に近い状態で、屹立したペニスをすべすべの手のひらで弄ばれていた。
「どこに入れたい? オマンコとアナルと……人間じゃ比べ物にならないくらいすごいのよ……それにここもね……」
 そう言って鈴仙は一人の男の手をとり内臓の奥へと導き触らせると同時に、首に手をかけて唇を強引に奪い蛭のように舌を吸ってきた。
「んっ、んっ……どう? あったかくて気持ちいいでしょう? あなた達のそれで私を愛して……私だけを見つめて欲しいの……」
 男達はもはや傀儡だった。痛みを感じる事の無い鈴仙は太く猛りきったペニスをいとも簡単に飲み込んでいく。血と愛液とが混じり合って潤滑液となり、淫靡な膣と肛門でみっちりといやらしく体を震えさせながら捕食していくのだった。
「あふぅ! 根元まではいったぁ……」
 鈴仙は歓喜の声を漏らす。粘膜のひだがぴったりと吸い付き男の精神と肉体を冒していく。
「うふぁぁ……いいわぁ……ねぇそこのあなた達もせっかく開けたんだから、ここにいらっしゃい……」
 鈴仙が妖艶な瞳で見つめると男二人は内臓へと迷わずペニスを突き入れていた。鈴仙の中はなんとも言えないような未知の体験が待っていた。内蔵の一つ一つがどくどくと鼓動を打ち、染み出るとろとろの液体によりヌルリと奥までたやすく誘いこまれてしまう。
「何だ……これ……頭がおかしく……うあぁぁぁ……」
「うふふ……ねぇ坊やは私の腸が好きなのぉ? さっきからオチンポ必死で絡ませて……これは私のウンチが詰まっているのに……このヘ、ン、タ、イさん!」
 ソーセージのような腸がたっぷり肉汁をたらしながら男のペニスに絡んでいる。動けば動くほど複雑に絡み、内部からのむっと押し返す圧力できつく圧迫された。
「……こっちの坊やは何してるの? ふふ……肝臓? いえ膵臓かしら? ぷにぷにの臓器オチンポでつんつんするのが好きなの? もっと壊れるくらい突き刺してもいいのよ……?」
 水風船のようにぷくっと膨らんだ臓器がペニスの先でいじられている。弾力のあるゴムのように押し返し、ヌメヌメとした感触が心地よく、突き破ってしまいたい衝動にかられてしまう。
「あーーっ、いいわぁ、素敵よあなた達、私をもっと嬲ってぇ……早くチンポ汁欲しい、チンポ、チンポぉお……」
 鈴仙は下品な言葉を連呼しながら絶頂へと向かう。紅潮した顔は淫乱な雌の顔そのものだった。嬲られているように見えても実際には、男達を鈴仙が悪魔的な手練手管で嬲っているのである。甘い蕩けるような肉罠に、か弱き人間が抵抗できる術はなかった。

「あーっ! 気持ちいいいいい! 私の全部をぐちゃぐちゃにしてぇえええ!!」
 鈴仙が体をエビぞりに仰け反らせる。もはや快感に変化した痛覚と性行の快感を二乗三乗以上の掛け合わせで受け止めて、鈴仙は至高の境地に到達しようとしていた。
「あっくるぅ! チンポ汁せり上がってくるぅう!! オチンポの先爆発するうううう!!」
 男達は一斉に射精していた。どくどくと十秒程激しく脈動し、鈴仙の淫らな体内に白い子種を存分に放っていた。
「あはっ、うふっ、出されちゃった……。私、淫乱兎になって可愛い人間を誘惑して絞りとっちゃった……」
 鈴仙は出血多量と内臓を破壊されていてもまだ生きていた。男は射精をして少し正気を取り戻したが、鈴仙がそんな獲物を逃がすはずはなかった。
「うふふ……ねぇまだできるでしょう?」
 再び赤い瞳が爛々と光る。鈴仙はメスを手に取り自分の乳房へと押し当てる。
「もっと穴開けてあげるぅ……」
 男達はこの狂った鈴仙の所業に心底恐怖したが、もう逃げられなかった。それは狂気の瞳の能力なのか感染症によるものかはわからなかったが、全く苦痛も無い世界に落し込まれて逃げる理由を剥奪されていたのだ。
「……見てぇ……ほらまた穴が増えちゃった……」
 乳房から乳首を中心として肉を切り裂いて、柔らかそうな肉の秘裂が出来ていた。甘そうな血が溢れて美味しそうに見えてしまった。首筋にも深い裂傷ができていた。ヒューヒューと息が漏れて頚椎の神経が骨に絡まる様子が見て取れた。
「ひっひぃぃ……た、助けて……」
 男は泣いて頼んだが鈴仙が聞き入れる理由は全く無かった。
「どうして……? こんなに気持ちいい事だらけなのに……うふふ、ほらまた勃ってきちゃったね……」
 鈴仙は男に圧し掛かり甘美な愛撫を加えた後、裂けた乳房で男のペニスを優しく包んだ。それに呼応するように周りの男も鈴仙に再び犯されにいってしまう。唇から口腔に、裂かれた喉から喉奥へとペニスが侵入していく。全身血だらけの肉の饗宴は狂気の宴にふさわしかった。

「あはぁ……ねぇあなた達も私の仲間にしてあげる……とっても気持ちいいのよ……」
 全身を損壊させながら鈴仙が言う。爪と牙を使って男達の肉に傷をつけ、噛み千切り、自分の血を馴染ませていく。
「人間のお肉もおいしいわぁ……どう? まだ痛い?」
 男達はもはや痛いのか気持ちいいのかわからなくなっていた。ただ鈴仙の瞳と肉体に心を弄ばれて蹂躙されるがままだったのである。
「うふふっ、うふふふふ」
 鈴仙は笑いながら次々と男達の肉を喰らっていく。
「私のも食べて……とっても美味しいのよ……」
 ついには内臓と自分の肉さえももぎ取り、男達に施しを与えた。男達はそれを口に押し込まれたり、臓物でペニスをしごかれたりして、吸収と射精を何度も繰り返した。
「ああ、気持ちいい……気持ちいい……キモチイイ……」
 鈴仙は段々意識が遠くなるのを感じた。一人の男が鈴仙の腹の奥の臓物の中に頭を突っ込んで窒息していた。鈴仙はそれを母親のような目で優しく見下ろした。
「かわいい坊や……うふふ……あはは、あはははははっはは――――」



 一人、鈴仙の瞳の魔力から運良く逃れた男は、四人の仲間が鈴仙と交わりお互いの肉を喰らいながら死んでいくさまを、腰を抜かして見続けていた。
「だっ、だから言わんこっちゃねぇ! みんな妖怪に喰われちまったぁ!」
 男は鈴仙がぐったり倒れると、今が好機と思い、この血生臭い現場から一刻も早く立ち去ろうとして、意を決して立ち上がった。
「うぅっぷ……とにかく早くここから……」
 突然、誰もいないはずの後ろから肩を叩かれる。振り向いても誰もいない。
「なっなんでぇ、脅かすない!」 
 男は気のせいと思い歩みを進めようとしたが、眼前には計り知れない恐怖が待っていた。

 全長五メートル程のイソギンチャクを巨大化させたような物体が、男の行く手を阻んだ。ウネウネと触手が乱れて狂って、その一つのカタツムリの目のような触手の先に鈴仙の顔がにょっきりと突き出ていた。桃色の肉の塊の胴体には女性器と思われる淫靡な溝がいくつも存在していて、それぞれが甘くて蕩けそうな液体を涎のように垂らしていた。

「逃がさない……」
 鈴仙だったものはそう言って動けない男を肉の牢獄へとずっぷりと取り込んでいった。
「うふふふふふふ……」
 死んで朽ちたはずの鈴仙の体は謎の変貌を遂げていた。奇跡的な確率と突然変異で鈴仙は強力な再生能力を持つ体になり、凶悪な細菌を撒き散らす母体と成り代わってしまったのである。
「気持ちいいでしょう……?」
 媚肉で包み込んで男を吸収すると、それはナメクジのようにずるずると這って、どこかへ行こうとしていた。ゆっくりだが着実に、確かな意思を持って。




 迷いの竹林はどこまでも竹の海が広がっている。知識を持たぬ者が一度迷い込んでしまえば、永遠とも言える時をかけても抜け出せないのだろう。その永遠の中で蓬莱山輝夜と藤原妹紅はこれまた未来永劫続く決闘を繰り広げていた。

「輝夜、甘いぞ、そこだ!!」
 妹紅の放った火炎が輝夜の右腕とらえる。輝夜は回避しきれずに右腕の大部分に皮が捲れ上がる程の火傷を負ってしまった。とは言っても、不死である蓬莱人の再生能力を持つ輝夜にとっては、人間が蚊にでも刺された様な些細な感触でしかなかった。
「妹紅こそ、こんな攻撃で私を倒せると――ん?」
 輝夜はふと何かに気がついた。こんな火傷の痛みなど慣れきってしまっているはずなのに。
「どうした輝夜、来ないならこっちから……」
「ちょっと妹紅、私の腕切ってみてよ、ほらこっからばっさりと」
 輝夜は無傷の左腕の付け根を指差す。
「なんだ? 油断させて私を嵌めようって作戦か? そんな手にこの私が……」
「いいからいいから、なんか変なんだって」
 妹紅は輝夜があまりにも言うのでしかたなく従う事にした。
「なんだかよくわからんが……」
 嫌そうな表情をしながらも、妹紅は輝夜の左腕を手刀でスパッと魚を捌くように切り落とした。迸る鮮血が二人の体を濡らしていく。
「うはぁぁ……なぁにこれぇ……きっ、きもちぃぃいぃぃぃ……」
 輝夜は顔を弛緩させて感極まった表情をしている。
「なっお前……気持ち悪いぞ……」
「えへへえへ……、だってぇ……気持ちいいんだもの……あはあはあは……」
 血切られた傷口と火傷の傷は早くも治ろうしていた。だが輝夜はその傷口を更に引き裂いて広げようとしている。
「ほら、やっぱり気持ちいいわ、全然痛くないもの。治ったそばから気持ちよくてまた傷つけて……ああはははは私おかしくなるわあへへへへへ……」
「……輝夜……ついに……」
 妹紅が憐れみの眼差しで見つめる。
「違うのよ、あへぇ、妹紅もやって見るといいわ。あふうふふっふ……」
「そっ、そんな馬鹿な事誰が……」

 妹紅は輝夜の目を覆うようなあられもない姿で狂う様子を見た。こんな奴が姫などと名乗ってもよいのだろうか。しかし蓬莱人の同族である輝夜が涙を流して喜んでいる。この世の快感は全て知り尽くしたはずの彼女が心の底から震えている。その事実を妹紅は少し羨ましく思ってしまったのである。
「じゃあ……ちょっとだけだぞ……」
 小指を一本噛み千切ってみる。こんなもの血が出て少し痛いだけ――いや、痛くない痛みの欠片もない。それどころが性的興奮に似た、心を躍らせる快感物質が脳内を駆け巡った。
「うっ、何だこれ……」
 妹紅は蓬莱人になってから初めて身の危険を感じた。不死の身なってからもずっと痛みは本質的で普遍的なものだと感じていたからである。
「ねっねっ、すごいでしょう? あはっあはははっ」
 輝夜は腹も胸にも何時の間にか穴が開いて色々とはみでていた。
「おかしいぞこれは、輝夜、痛みが無いなんて……」
「あはは、気持ちよければいいじゃないの! 私の人生の中でこんな満たされた気分はなかったわ……。ねぇ……妹紅……食べ合いっこしない? 絶対気持ちいいと思うの……」
 輝夜が口をあーんと開けて近づいてくる。
「やっ、やめろ馬鹿……」
「妹紅のお肉食べたいのぉ……」
 輝夜は喉元に喰らいついていた。びちびちと肉が千切れる音。一瞬で肉片が引き裂かれてしまう。
「ぅ……うあああぁぁあ……きもひ……」
「ねっいいでしょう? はぁはぁ……私興奮しちゃう……」
 輝夜は喉の傷口がら下を這わせて粘膜を直接愛撫する。壊れた細胞が再生しようとするがすぐに歯で噛み千切り、溢れ出す血を美味しそうに飲み干す。
「やめえぇてぇぇ……私おかしくなっちゃう……」
 妹紅の目つきはとろんとして抵抗する意思を失う。敏感な傷口を舐められて快感の虜となってしまったのだ。
「ねぇ妹紅……私のも食べて……」
「う、うん……」
 しばし見つめ合う二人。そして贅沢な狂気の晩餐が始まる。
「うはぁぁぁ……食べられておひゃしく……ああははぁぁ……」
「はむはむ……輝夜のお肉おいしいよ……」
「ありがとう、お返しに……えいっ……」
「輝夜駄目だ……そんなとこ恥ずかしい……」
「いっぱい溢れてるわ妹紅。吸ってあげるね……」
「やん、やぁん、うん」
 二人はお互いの肉と内臓をむさぼり喰った。蓬莱人である彼女らはどれだけ肉を喰ったとしても再生してしまう。永遠に終わらない快楽のループの中に二人は陥ってしまったのである。

「……はぁ、良すぎるわぁ……。そうだ永琳も教えてあげないとかわいそうだわ! 行きましょう妹紅」
「え……ちょっと待って……」
「思いついたら即実行よ! 待っててね永琳!」
「う、うわぁー。かっ、輝夜……」
 輝夜は妹紅をお姫様だっこの体勢で持ち上げて飛び上がった。






 永遠亭の医師八意永琳は異質な空気を感じていた。何か恐ろしい事が起きるような前兆。竹の葉を生暖かい風がざわざわと揺らす。
「優曇華ー、いないの優曇華ー?」
 鈴仙の部屋に声をかけるが返事がない。今日は行商の日では無かったはずだった。諦めて輝夜かてゐでも探そうと思いかけた時に、それは起こった。
「永琳ーーーーーーー!!!」
「なっ……姫様……」
 輝夜が王子様のように妹紅をだっこして飛び掛ってきたのだ。永琳は不意をつかれて輝夜の突進をまともにくらってしまい、組み敷かれて喉元に喰らいつかれていた。
「妹紅、脚押さえて、脚!」
「わ、わかった輝夜」
「姫様おやめください! 何をなさるつもりで……」
 永琳の目には血だらけの口元で笑みを浮かべている輝夜が写った。動けない姿勢で再び喉に噛み付かれてしまう。
「姫様……ああ……」
 永琳は自分がおかしくなるのを感じた。喉に傷をつけられても痛みは一瞬感じただけで、後は快感しか残らなかったからである。
「これで……永琳も仲間だね。とっても気持ちいいって顔してるもの……」
 脚にも快感が走る。妹紅が柔らかい脹脛をねぶるように咀嚼していた。
「ひっ姫様……駄目です」
 永琳は本能的に恐怖を感じてそう言ったが、快楽の奴隷となった輝夜には遠く届かなかった。
「さぁ三人で食べ合いっこしましょ。うっふふふふ……」

「はぁ姫様おいしいです。姫様私の大事な姫様」
「そうでしょう永琳、伊達に長生きはしていないわ」
「うま、おいひ……気持ちいひ……」
 三人は互いに肉を喰らい合って、手足を引きちぎりながらの地獄絵図で快感を分かち合った。
「あぁー美味しいわもっと食べたいもっともっと!」
 蓬莱人の快楽にかける思考は異常だった。ついには肉体の再生速度をも超えて破壊活動が進行したのだ。
「ほらー、妹紅、十二指腸が再生していないじゃないの。早くしなさいよ。永琳も脹脛と内腿と二の腕と目玉を早く出しなさい。私気に入ったわ。さくらんぼみたいにプルンとしてて、目玉はデザートに最適ね」
「すいません姫様……気持ちが良過ぎて再生が中々……」
 輝夜はこんな時でも姫として威厳は保ちたいようだった。胃腸までも破壊されてもはやどこで消化吸収をしているかは見当がつかない。そんな細かい事は蓬莱人にとってはさして関係ない事である。ただ肉体の損壊こそが快楽に繋がる。その一点だけが大事だった。
「……何時の間にか三人とも首だけになってしまったわね」
「姫様少し休みましょう。頭が溶けてしまいそうです」
「うぼっ、ごぼぉ……」
 妹紅は誰かの肉を口いっぱいに詰めて、肺の無い体で擬似窒息プレイを楽しんでいる。
「駄目だわ我慢できない。どうせ私達はどんなに細かくなっても再生できる。いい永琳? 限界までいくわよ」
「はっ姫様……あひぃぃいぃいいいい!!」
 輝夜は永琳の頭にかじりついて頭蓋骨をごりごりと砕いた。どろりとした脳みそをちゅるちゅると吸う。妹紅が輝夜の頭に噛み付き永琳が妹紅の頭に噛み付く。こうして魔のトライアングルは完成した。脳を破壊されては再生速度は著しく減衰してしまう。頭部もじょじょに食べられる場所も少なくなり、ほぼ最後に顎の骨とわずかな筋肉だけが残った。
「…………むしゃ……むしゃ……」
 誰がしゃっべっているかも見当がつかない。わずかに再生してもすぐに口が噛み付き破壊してしまう。そして最後に残ったのは無だった。再生速度より破壊速度が早いのだからこれは当然である。口がなく破壊する方法が存在しないという疑問は考えてはならない。零という無の状態からわずかに一欠片再生しただけでも瞬く間に消滅してしまうのである。傍目には三人の存在は全く目に見えない。無限の空間の中で、蓬莱人達は死とほぼ同値に等しい状態となってもなお、永遠に存在し続けるのだった。







「藍様藍様ぁ、遊ぼぉ」
「おお橙よどうした。私はちょっと忙しいのだが……」
「藍様ぁ……私とっても楽しい遊び考えたんですぅ」
「そっ、そうか……よし! 気分転換に今日は橙と遊ぶとするか」
 藍は橙を自分の子供のように可愛がっていた。こんなに可愛らしい橙が笑顔で誘ってくれてるのだ。これを無下にしてしまうのはとても出来なかった。

「わぁありがとう藍様ー。あのねー私、逮捕ごっこしたいと思ったんです。藍様が悪い泥棒さんでぇ、私がおまわりさんの役をやるんです」
「おぉそうかそうか。橙は偉いなぁ、自分でそこまで考えるなんて」
 橙は藍を椅子に縛り付けてぐるぐる巻きにする。
「ちぇ、橙、これはちょっときつすぎるような……」
「藍様、リアリティが大事ですよ。ふふふ」
「す、すまんな橙、私とした事が……あははは……」
 藍は椅子に堅く拘束されて動けない状態にされてしまった。体に食い込む縄がぎりぎりと痛い。
「それでは八雲藍、これからあなたを尋問します。どうして泥棒をしたんですかぁ?」
「おいおい橙……そんなナイフを持って危ないじゃないか」
 橙はよく切れそうなナイフを手にしていた。役作りなのだろうかペロリと長い舌でナイフの刃を舐める。
「泥棒さん、駄目ですよ。あなたは無駄な発言権はないんですから。もう一度言いますよ、どうして泥棒したの?」
 藍は橙の目が本気のようで背筋が寒くなってしまった。
「え、えーそうだな……つい……出来心で……本当にすいませんでした」
「謝って済むと思ってるの? イケナイ泥棒さん?」
 橙はペチペチと藍の頬にナイフの腹を押付ける。
「橙? どうしたんだ? まるで橙じゃないみたいだぞ?」
「藍様ぁ……本当に気づいてないなんて鈍感ですねぇ……私こんなにも藍様を……」
 橙はスカートの端をつまみ捲りあげる。橙は何もはいていなかった。つるつるとした無毛の幼く純潔に間違いない橙の女の部分が藍の目に入った。
「お、おい……橙……?」
「藍様は……泥棒なんです……私の心を奪う泥棒なんです! 私おかしいんです。藍様が女の人なのに藍様の事ばかり考えて……。藍様はいつも私の気持ちに気づいてくれないんです。だから私藍様が男の人になってしまえばいいって……うっうぅ……」
 橙はナイフで藍の服を切り裂く。下着も綺麗に切り払われて、藍の秘所が露わになってしまう。
「藍様……綺麗です……んんっ……」
「やめっ、だめ……」
 橙は藍の股間に顔を埋めて舌で藍を執拗に愛撫する。
「藍様……愛しています……だから私も愛してください……」
「あひあぃ……橙、どこでこんな事……」
「藍様が思ってるほど私は子供じゃありません……」
 橙の舌の愛撫で藍はあっけなく絶頂に達してしまった。とろとろの愛液が橙の顔を汚す。
「あはっ、藍様は私の舌でイってくれたんですね。とってもうれしいです……」
「橙……どうして……」
 橙は舌なめずりをして妖しく笑う。幼い妖獣のそれではなく経験を積んだような狡猾な笑みだった。
「私、藍様に初めてをもらって欲しいんです……」
 そう言うと橙はナイフの柄の部分を藍の秘所にずっくと刺し始めた。橙は刃の部分を素の手のひらで持って押し込んでいったので、手はざっくりと切れて血で赤く染まった。
「やめろ!! 何をしている橙! 早くやめるんだ!」
「えへっ、大丈夫です藍様。私気持ちいいんです……。うふふ、藍様はこれで男の人と一緒です。私、藍様と一つになる日をずっと夢見ていたんです……」
 藍から突き出たナイフの刃は真上に向けられていた。橙は藍に抱きつき、ゆっくりとナイフに向かって腰を下ろそうとしていた。
「橙! 橙!! 目を覚ませ!! やめてくれぇーーー!!!」
「あはぁ……もう遅いです……ほら入れちゃいます……ああああぁぁ……」
 ついに橙の幼い秘裂にナイフが刺さる。刃は橙の膣内をズダズタにし、内臓まで到達し満遍なく傷つけていく。
「あんっ、あんんっ、藍様ぁ、すごいです。私の中がぐじゅぐじゅです……あんっあんっ!!」
 橙は騎乗位で犯すように腰をグラインドさせて快感に飲まれている。切り裂かれた内臓からは血がドバァと噴出し、致命的な傷を負った事は確かだった。橙の目からは光が失われて、壊れた人形のように上下運動を繰り返す。
「橙……何故……」
 藍は泣いていた。わが子のような橙の仕打ちに心の底から悲しんだ。
「藍様……そんな顔しないでください……そうだ藍様も気持ちよくしてあげますね……」
 橙の顔が醜く歪み、伸びた爪で藍の首を串刺しにする。動脈から噴水のように血のシャワーが舞い落ちる。
「……あぁ……」
「ねっ? 藍様気持ちいいでしょう? 藍様ぁ、藍様ぁ……橙は愛していますぅ……」
 橙は藍の上でなおもいやらしく腰を振っている。藍は悲しみと快感が混ざり合った複雑な感情を背負いながら死んだ。
 







 外壁も床も壁も全て紅く塗られた紅魔館。その館が今生物の生き血で真っ赤に血塗られていた。
 何の前触れもなく妖精メイド達が自傷し、錯乱して同士討ちを始めたのだった。これ止めようとした十六夜咲夜も魔性に魅入られたかのように狂乱し、自らの喉を銀のナイフで突き、あっけなく絶命していた。このような事態に全く再生能力を持たない人間は生き残れるはずもないのである。

 門番である紅美鈴とレミリアが事態の収拾にあたったが、ミイラ取りがミイラ取りになってしまった。傷をつける行為が気持ちよくたまらない。いくらかの再生能力はあると言っても、吸血鬼でさえ頭を破壊されれば死んでしまう。レミリアは自傷への衝動を唇と指を噛み千切ってなんとか押さえていた。
「くっ……咲夜……かわいそうに……。これは一体どんな天変地異? 何故急にみんなおかしくなってしまったのかしら? 美鈴、状況の報告をお願い……」
 美鈴ははいと答える。左手の指は全て折れて捻じ曲がっていた。格闘家である彼女が大事な指をつぶすのは普通では考えられない事だった。
「レミリア様、紅魔館全域において妖精メイド、近衛兵ほぼ全員が自傷行為、他者への攻撃行動をとる者もいます。おそらくは紅魔館の外でも同じように……」
「わかったわ美鈴。それでこの状況はどう説明できるの?」
「……おそらくは大規模な感染症であると思われます。広範囲の精神攻撃にしては効果が顕著すぎます」
「もしそれが本当なら……すぐには対策は立てられないじゃないの。このまま指をくわえて見ていろっての?」
 レミリアは床を思いっきり殴る。全く痛くないのが悲しかった。
「そういえば……パチュリー様はどうしたんでしょう。パチュリー様ならこの状況に有効な手立てを知っているかもしれません」
「そ、そうだわ。すっかり忘れていたけどパチェに聞けば……」
 その時ぎぃっときしむ音がして鈍重なドアが開いた。
「お早う、お姉さま。パチェならここよ」
 レミリアの妹、フランドールがゆっくり歩み寄る。手にはパチュリーの生首が玩具のようにのせられていた。
「フラン……あなた……」
「うふふ、お姉さま、聞いてよ、パチェったらね、自分の首かきむしって喜んでいたから私が手伝ってあげたの。ねぇみんな破壊されると気持ちよくなっちゃうんでしょう? とっても楽しい世界、うふふ、うふふ、お姉さまもそう思うでしょう?」
 フランはそう言うとパチュリーの首をレミリアへ向けてサッカーボールのように蹴り転がした。
「うふふ、私ね、お姉さま達にずっとお礼がしたいと思ってたんだ。この世界なら私は悪くない、だからたっぷりお礼をしてあげるの……」
「フラン様――――」
 美鈴が声をかけようとした瞬間、美鈴の体は粉々に砕け散っていた。フランの拳が固く握られている。全てを破壊し尽くす能力は一瞬で何の滞りもなく実行されたのだった。
「フラン!! あなた自分が何をやっているのかわかっているの?」
「あらお姉さま、私はよくわかっているつもりよ。言ったでしょう? みんなにお礼がしたいって……。美鈴は門番を何年も頑張ってくれたから、気持ちよくさせてあげて殺したの。うふふっ、お姉さま褒めてくれる?」
「貴様あぁぁぁっ!」
 レミリアが突進して拳を放つ、フランの腹に十センチ程度の風穴がぽっかりと空く。しかしフランは全く意に介さず逆にレミリアの両足を鋭い爪で刺し貫いていた。
「あはは、お姉さまばっかみたい。こんなとこ狙っても吸血鬼が死なない事ぐらいわかってるのに……」
 フランは足を攻撃されて床に這いずるレミリアに近づく。そして爪で何度も足の根元を刺し続け、レミリアの足は胴体から無残にも離脱してしまった。
「あぁぁ……」
「お姉さまはこれで動けない。うふふ、お姉さまはこれから私のお礼を体で受け止めるのよ。とっても楽しみね、お姉さまが喜んでくれる姿が目に浮かぶわ」
 フランは少女のように目をキラキラさせて言った。
「お姉さまは私を495年も閉じ込めたのよね。今からそのお礼をしてあげる。お姉さまの両足は十回刺したから十年分よ……。うふふ、お姉さまいい声で鳴いてね……」

「あはっ、あははっ、お姉さま気持ちいい?」
 フランは両腕を爪でじわじわといたぶっていた。爪で刺されるたびにレミリアは涙を流しながら悶え喜び苦しむのだった。
「あーあ、随分手加減していたつもりなのに腕も千切れちゃったわ。これでやっと五十年分。まだまだ足りないわよ。うふふ。うふふ」
 フランの爪が胴体にまで及ぶ。これほどの手ひどいダメージを受けていても吸血鬼の生命力は強く、絶えず再生しようとしていた。
「うふふ、だるまさんがこーろんだ。ほらお姉さま、自分で起き上がれないの? 本当に駄目なお姉さま……」
 レミリアの胴体に無数の穴が開いていく。フランはひと思いには殺さずにゆっくりといたぶっていた。美味しいものは最後に残すといった、無邪気な子供の考えに従っていたのだ。
「……助け……て」
「あらお姉さま? 本当はもっとして欲しいんでしょう? アソコからお漏らししてて、うふふ。お姉さまったら赤ちゃんみたい。ちゃんと自分でおしっこ出来なくて……一から躾が必要だわ」
 レミリアの腸も膀胱も完膚なきまでに破壊されていて、床に汚物が一面に広がっている。それをフランは爪ですくいとりレミリアの口まで持っていく。
「だらしないお漏らしちゃんは自分で掃除しないと駄目ね。私がお姉さまに食べさせてあげるわ」
 レミリアは汚物を口に詰め込まれるが吐き出してしまう。
「ぐおぇ……」
「うふふ、食べ物を吐き出す悪い子にはおしおきが必要ね」
 フランの爪が心臓と肺を同時に貫く。血袋がはじけて呻き声が館内に響き渡る。
「まぁお姉さま、これでも生きているなんて往生際が悪いわ。この悪い子! 悪い子め!」
 容赦ない拷問は繰り返される。レミリアの胴体は着実に破壊され、残る生命箇所は頭部のみへと近づいていった。

「残念だわお姉さま、まだ二百年しかお礼を返して無いのに頭だけになってしまって。しかたないからお姉さまの頭で残りは全部返済としましょうね」
 レミリアはへらへらと薄気味悪い笑いを浮かべている。
「お姉さま気分はどう?」
「あはぁあはぁああはあは……」
「……ちっ、この糞女がぁ!! 死ぬ間際でもへらついてんじゃないわよ! むかつくんだよぉ!! この私を495年も閉じ込めやがってぇ!! このっ、このっ、このぉ!」
 フランは激昂してレミリアの頭を何度も貫く。頭部はまるで腐ったスイカのように砕け、脳漿がどろどろと流れて、レミリアはもはや再生かなわぬ体となって死んだ。
「はぁーっ、はぁーっ……。あっあら、うふふふふ……私ったら取り乱しちゃって。いけないわこんなんじゃ……お姉さまに笑われちゃう。お姉さまに……、お姉さま――――」
 フランは急にむなしくなって辺りを見回す。何十人もの妖精達の死体、咲夜の亡骸、パチュリーの生首、美鈴の肉片、そしてレミリアの意思の無い頭部。しんと静まりかえる館内が寂寥感を増大させる。
「私が求めていたのは破壊だけだったのかしら……? お姉さま? お姉さま……そう、もう教えてくれないのね」
 フランは自分の頭の中心を拳に捕らえる。目は確実に捕まった。これを握りつぶせば全てが終わる。
「お姉さま、さようならお姉さま……」
 フランの頭部が風船のように爆発し、がっくりと体が崩れ落ちる。レミリアの頭部と折り重なるようにして、フランの死体は寄り添って倒れていた。









 人里は阿鼻叫喚の大惨事に見舞われていた。人から妖怪へ、妖怪から人へと爆弾が連鎖するかのように次々と自傷その他の症状が表れた。人里は無法地帯へと変貌し、殺人強盗強姦が無差別に行われている。大規模な災害時は理性的な行動がとれるはずもなく、人の闇の部分のみが強調されてしまう。

「いいいっひひひい! 痛くねぇぞ! 見ろ! どんだけ切り刻んでも大丈夫だ!」
「ああ終わりだこの世は! 自分で腹切って死ぬ前に何でも好きな事やるしかねぇ!」
「おらぁいいからやらせろぉ! どうせみんな死ぬんだ! 今のうちに楽しもうぜ、へへへ」

 町のあちこちで狂乱した人間と妖怪達の声がひっきりなしに響く。こんな時に目標となるのは力の無い者達ばかりである。生物の理性を失わせるこの細菌は広く深く蔓延していた。
 この危険地帯を疾走する人妖が一人。卑近なダウザーナズー、リンはこの予測できない事態に慌てていた。
「何なのだこれは……。まるで戦争に突入したみたいではないか。早くご主人に知らせなければ……」
 ナズーリンはひた走る。突如喚声があがる。
「おい、ネズミだ、ネズミがいるぞ! あいつが病気を媒介したにちげぇねぇ!」
「何だって? こうしちゃいられねぇ、ネズミは捕まえて殺せ! 逃がすな! 病気をばらまいたのはあいつだ!」
「そうだそうだ! 殺せ殺せ!」
 ナズーリンを見た人間か人妖が口々に叫んだ。騒ぎはすぐに広がり、それに同調した十数人がナズーリンを盲目的に追い詰めていった。
「くそっ、何故だ、私は何もしていないのに……」
 殺せ殺せと口々に叫ばれる。ナズーリンは不幸にも出口の無い裏路地に逃げ込んでしまった。上を見ても飛行した妖怪が待ち構えている。ナズーリンはついに窮地に追い込まれた。
「ちょこまかと動き回って手間取らせやがって……。さっさと死ねぇ!」
 暴漢の持った棒がナズーリンの顔面へと振り下ろされる。ナズーリンはそれを間一髪で身をすべらせてかわした。
「やっ、やめろ! 私は何もしていない……、落ち着け、話せばわかる……」
「嘘をつくな……見ろ、俺達はみんな傷つけても痛くも痒くもない体になってしまった。このままでは自殺か殺し合いで無様に死ぬ運命なのだ。そしてお前はどこも怪我していない……お前が病気を流行らせた本人だ! みんなドブネズミに耳貸す事はない。問題なく殺せ、皮をはぎ全身を叩きつぶしてその身を焼いてしまうのだ。こいつの仲間も全て皆殺しだ。殺せ、殺せ!」
 その声に続いて一人が石を投げる。集団の総意はもう明確だった。棒や拳でナズーリンは滅多打ちにされた。全身に痛々しい打撲痣がみるみる浮かんでいく。
「痛い、痛い……やめ……」
「なぁに痛いのは最初のうちだけさ。みんな気持ちよくなってよがりやがるんだ。……ちくしょうせっかく犯人だってのに喜ばせてどうすんだよ。もっとこいつを痛めつける方法はねぇのかよ?」
「犯しちまえこんなネズミなんか。病気持ちでも構いやしない。やっちまえやっちまえ!!」

 ナズーリンは裸に剥かれて数人で全身をまさぐられている。
「やめろ……私は毘沙門天の……」
「何だぁ? てめぇの神様なんか知るかよ。お高くまとまった面しやがって。おいこのネズミ俺達を見下してやがるぞ。みんなこのネズミの体によくいい聞かせてやろうぜ!」
 おう、そうだそうだと同調する声。グロデスクな血管が浮き出て怒張したペニスが、ナズーリンの手に脚に腹に胸に顔に擦り付けられていく。
「おい糞ネズミちゃんと手で握りやがれ。てめーの貧相な体じゃ興奮しねーんだよ!」
 男が顔面を手加減無しに殴る。頬骨が変形し、鼻はべちゃりと潰れて、目も塞がる程皮膚が腫れて、まるでお化けのような顔になっていく。
「ぁ……は……ぁぁ……」
「よーし、そうだそうだ。俺のをしゃぶれ、へへへ」
「ちっ可愛いオメンが台無しだぜ。俺はこんな気色の悪い面見たくないから後ろからな」
「じゃあ俺は前から……」
「おい順番待ちかよ、手で握って萎えないようにしろよこの野郎!」
「ちゃんと締めろ糞ネズミが、気持ちいいからって手抜きすんな」
 悪夢のような輪姦は終わらない。ナズーリンの華奢な体に欲望の塊が次々と塗りつけられていく。
「出すぞ……全部飲み込めよ。少しでもこぼしたらどうなるかわかってんだろうな?」
 喉奥で男のペニスが鎌首をもたげる。次の瞬間濃い白濁液がナズーリンの喉全体を塞ぎ、呼吸を著しく困難にさせる。
「がはっ! がぼっ!」
 ナズーリンはたまらず精液を吐き出してしまった。
「この野郎! こぼすなって言ったじゃねぇか! おらぁっ!!」
 男の拳がナズーリンの脳を揺らす。しだいに何も考える事が出来なくなる。
「お、おい……やり過ぎだ……こいつユルユルになっちまったし。もう死んでしまったんじゃないか。まだ俺は気持ちよくなってないのにどうしてくれんだよ」
「何だと? 俺のせいかよ! ああ?」
 醜い争いが始まり血しぶきが吹き荒れ、殺意の連鎖がさらに広がっていく。小さな賢将はもはや何も語る術を持たない。







 落とし穴の享楽とは何だろうか。因幡てゐはその情緒深いを疑問をいつも考えていた。苦労して穴を掘り罠を仕掛け、目隠しをしてカムフラージュする。そして誰か不幸な生き物が罠にかかる瞬間を待つあのドキドキ感。てゐにとっては全てが楽し過ぎた。

 てゐは体裁よく鈴仙を追い出した後、いつもの竹林で落とし穴を作っていた。八割程完成したところでお腹が空いたので永遠亭へ帰る事にした。何やら周りが騒がしい気がしたが特に気にしなかった。

 永遠亭は騒然としていた。兎達は雄雌関係なくせっせと乳繰りあっていたのだ。それも荒々しくお互いを傷つける方法で。てゐはこの状況にひどく面くらってしまった。
「永琳様! 姫様! これは一体……」
 てゐは初め永琳の実験が失敗してその影響で兎達がおかしくなってしまったと思った。
「永琳様! いませんか? どこですか?」
 診療所も居間にも実験室にもいない。これはおかしすぎる。永琳がなんの言伝もなく永遠亭を離れるはずもないのだ。てゐは輝夜の部屋を探してみたがそこにも誰もいない。
「……これはどうした事だ? 誰もいないではないか」

「てゐ……てゐ……」
 広い永遠亭を当ても無く散策する。ふと耳に馴染み深い声が聞こえたのでてゐは後ろを振り返った。
「あっ鈴仙か、いやお帰り。見てくれ皆がおかしいのだ、永琳様もいな――――」
 てゐは自分自身の眼球が信じられなかった。網膜を通して脳に送る信号が間違っているとどうしても信じたかった。それは鈴仙であって鈴仙ではなかった。無数の触手に巨大な体、鈴仙であるとかろうじて信じられるのは気持ち悪い触手の先についた青白い顔だけだった。
「あっ……あぁぁ……」
 てゐは逃げる事も出来ずに口ごもるだけだった。
「てゐ……てゐ……ふふふ……」
 鈴仙の触手がてゐを捕らえようとする。てゐはすんでのところではっと意識を取り戻してだっと一目散に逃げたした。
「何なのだあれは……私は夢を見ているのだろうか。もしや鈴仙はイソギンチャクだったのか……」
 てゐの思考は混乱した。現状は身の安全を優先して逃げる事を考えた。
「てゐ……待って……」
 鈴仙は足の無い胴体でありながら恐るべき速さで移動している。てゐが全速力で走っても簡単には引き離せない。
「くそっ、このままでは逃げられない……。誰か、誰かいないのか? おおーい、助けてくれぇ……」
 てゐは必死で助けを呼ぶが兎達は自分の事に夢中なのか聞く耳を持たない。それどころか鈴仙の触手に次々と絡めとられて桃色の肉体へと取り込まれていく。
「……何だあれは? 吸収されているのか……?」
 こんな所で犬死にするのは御免だ。てゐには何があろうとも生き抜いてきた知恵があった。
「はぁ……はぁ……うわぁっ!」
 鈴仙の触手の先から白くネバネバした液体が放出され、てゐの足を絡めとった。てゐは頭からつんのめり、したたか鼻を床板にぶつけてしまった。鈴仙の首がにょろりと伸びてゐを見つめる。
「てゐ……許さない……」
「れ、鈴仙、聞いてくれ……私はただ……」
「あんたのせいで私は……」
「うぁぁぁっぁ!!」
 触手がてゐに纏わりついていく。ヌルリとした触感がたまらなく気持ち悪い。







 伊吹萃香は数日前、地上へ急降下したもののほとんど無傷だった。巨大化していれば耐久力が数百倍になる事を失念していたのだ。萃香は猛烈に嘆き苦しみながら大地を駆け巡った。そして待ちに待った今日、自分を救ってくれる存在の登場に喜び歓喜したのだった。その存在の居場所はもうかなり近い。竹の葉で体が切れるのも気にせず、竹林をなぎ倒しながら一直線に進んで行く。

「あと少しだー。後少しで私はー」
 ついに鬼の目が目標物を捕らえる。
「おお、これこそ私の最後にふさわしい! さぁ私を救っておくれ!」
 萃香は魚雷のように頭から突っ込んだ。







「やめろ鈴仙! 謝るから、私が悪かった、だから、だから……」
 てゐは目をつぶって必死に謝って祈りを捧げた。神様神様助けてお願いと。すると手足を拘束していた触手がするりと緩む。恐る恐る目を開けてみると、鈴仙の体の中に何者かが取り込まれていた。にょっきと突き出た二本の角――それは博麗神社にいる鬼に違いなかった。何故ここに? と言う疑問を頭の隅に押し込め、てゐはこれ幸いとばかりに粘液から脱出した。鈴仙は鬼とのプレイに夢中のようだった。逃げるなら今しかない。
 てゐはわき目もふらずに永遠亭を後にした。



「あぶう、気持ちいいよぉ……あぁぁぁ、溶けるぅ……」
 萃香は鈴仙の中で快感に飲まれていた。鬼の強固で再生能力の高い皮膚も、持続性のある融解物質の前には歯が立たなかった。皮膚が常時溶かされ続けて再生する暇も与えない。萃香は全身を優しく包むように愛撫され、まるで赤子ような心地になって抱擁され続けた。
「これだ……わらひ……うはぁ……」
 鈴仙の中で男性器とも思える器官が構築され、萃香の体内へと侵入した。熱く煮えたぎった液体を躊躇なく注入する。細菌がたっぷり詰まった濃密で、蕩けるような極上のジュース。これを喰らえば全身が性感帯になったかのようになり、至福の境地を無理やり享受する事となる。
「甘い……溶けちゃうよ……」
 萃香の口元へ管が伸び猛毒の液体が脳を冒そうと放出される。思考と行動を全て支配される甘美な快楽が萃香の脳に刻み込まれる。全ての感覚が快楽へと染め上げられる魔の蜜壷。その中で萃香は何も疑う事なくその身体を鈴仙へと捧げていたのだ。

 鈴仙の目的は同胞を増やす事。細菌に支配された鈴仙はその純粋な目的にただ従うだけなのである。
 桃色の肉体が甘いジュースを迸らせながら艶かしく動く。口の中で食べ物を咀嚼するようにゆっくりと溶かしていく。それはあまりにも性的で美しい行為だった。
 鬼の体内に溜まった莫大なエネルギーは効率よく鈴仙の体に吸収されていく。同胞は増えなかったが鈴仙は満たされて満足だった。
「うふふ……」
 鈴仙は満面の笑みをほころばせる。もっと仲間を増やさなければならない。ずるずるとまた大きくなった体を引きずりながら鈴仙は行動を開始した。







 荒れ狂った人里に人影が二つ。聖白蓮と寅丸星である。彼女達の目的は人と妖怪が平等に暮らすこと。そのために日夜布教活動をし、各地に説法を説き、回り歩いている。
「聖、何やら町が騒がしいようですが」
「ええそうですね、星」
「気づいておられますでしょうか聖? ここには魔が潜んでいます」
「ええわかっています」
「そうですか。どうかお気をつけを――我々でも一度傷をつければたちまち魔に毒されてしまう事でしょう」
「……流行病とは……人の世はいつの時代も変わっていないのですね。そしてそれに操られる者達も――ー」
「私は何やら胸騒ぎがしてならないのです。おやあの人だかりは何なのでしょう」
 星は先急いで人の壁から覗き見る。
「どうした――?」
「ネズミを……病気を流行らせたネズミを殺したんで……でも俺達は助からない。もう終わりだ……」
 星は人々を見やる。ほぼ全員がどこかしら痛ましい怪我をしている。そして人ごみの中心――長らく部下として仕えたナズーリンの肉塊が鎮座していた。
「どうしましたか?」
 後から来た白蓮が言う。
「……ぁ……あの」
 星は頭が混乱し思考が定まらない。声にならない声で言いよどんだ。
「まぁナズーリン……。さぞや苦しかったでしょうね」
 白蓮はナズーリンの側に座り額に手をかざす。
「さっき狂った奴らがそいつを殴り殺したんだ。ネズミは病気を運ぶとか言われるからさ。誰も止める奴はいなかったよ。だって……ほら、みんなこの様だから……」
 男の腹は切り裂かれてだらりと腸がはみ出している。
「ナズーリン……何故……」
 星が肩を落して嘆き悲しんだ。白蓮は巻物を開いてムニャムニャとお経を唱えている。
「お、おいあんた、何をしているんだ。まさか病気を運んだネズミの仲間……」
 群集がざわっと揺らめく。各々が武器を持った手にぐっと力が入る。
「いかにも、この鼠は私と時を共にした仲間です。例え、病気をばらまいたとしても私の仲間です」
「聖、いけません!」
「や、やっぱり仲間か……。おいみんな! はっ、早くこいつを……」
 白蓮を何人かの男が取り囲んだ。
「私を殺したいのですか? それであなた達の気が済むならいいでしょう。さぁ早く私を殺しなさい。どうしたのですか……? 私は逃げも隠れもしませんよ? さぁ、さぁさぁ!」
 白蓮は立ち上がり柔和な笑みを湛えて両手を広げる。まるで母親が子供を抱きとめるように。囲んでいた男達はこの白蓮の堂々した態度に圧倒されて後ずさりをした。
「ああ……聖母だ……神がここに……」
 一人の男の精神が陥落する。
「だっ、騙されるなっ! こいつはそのネズミの仲間と言った。人間の皮をかぶった悪魔に違いないんだ! 今はいい顔をしていても後で俺達をぶち殺すつもりなのだ。はぁ、はぁ……、お、お望み通り殺してやる……」
 そう言った男が手に持った棒を高く振り上げ、白蓮めがけて一気に打ち下ろした。
「聖、危ないっ!」
 星は白蓮を守ろうとしても間に合わなかった。男の攻撃は腰が入っていなく、よろよろと反れて、白蓮の柔らかい頬をすっとかすめた。白い肌に一筋の赤い糸が刻まれている。
「ひっ、ひぃぃぃいぃいっ……」
 男はうずくまって泣いてしまった。
「貴様ぁっ!! よくも聖に……」
 星が槍を男へ向けて構えるが、白蓮はすっと手で制した。
「星、怒ってはいけません。あなたが今まで修行してきた成果とはそんなものなのですか? 私が殺してもいいといい、彼はそれに従っただけです。何も間違いはありません」
 白蓮は表情を一分たりとも変えずに言った。
「聖、しかし――」
「星、私は病魔の誘惑などに惑わされはしません。私はいつも尊い真実だけが見えているのです」
 人々が集まってくる。皆傷つきながらも両手を合わせて白蓮を崇めている。
「……しかたないですね。私はあなたを崇拝しどこまでも付き従うと誓った身。いばらの道でも共に歩みましょう」
 星は指を歯で噛んで傷をつける。
「聖にだけつらい思いはさせません。これで私も同じです」
 にっこりと笑って星は両手を合わせた。
「すみません星。理想とは遠く儚いものです。さぁ皆で南無妙法蓮華経と唱えましょう。毘沙門天様はいつでも私達を見ていてくれます。絶望的な状況に悔いる事はありません。人間も妖怪も――皆救われるべき存在です」
 どこか神秘的で厳かな空間が形成されていてた。先ほど白蓮を狙った男も一心不乱に両手を合わせて題目を唱えている。
「共に祈りましょう。いざ南無妙法蓮華経……」







 幻想郷のはるか高みにそびえ立つ妖怪の山。その頂に位置する守矢神社の中には今、強大な力を持つ妖怪や神がひしめきあっていた。
中心に重厚な威厳を漂よわせながら胡坐をかいているのは、守矢の二柱が一人、八坂神奈子である。場にぴんと張り詰めた緊張感がはしる。突然この会合を開いた神の思慮を、ここに集まった大部分の者達が計りかねていた。

 神奈子は中々切り出そうとしない。そんな沈黙を守矢の巫女、東風谷早苗が打ち破った。
「神奈子様、先程から黙りこんでどうしたのですか? こんなに集まっていただいたみなさんも退屈しておられますよ」
 天狗や河童の要人達や、妖怪の山を依り代とする鍵山雛や秋穣子、秋静葉らの神が一堂に会していた。
 神奈子は早苗に促されてほっと一つ息を吐き重々しい口を開いた。
「皆の者よくぞ集まってくれた。率直に言おう、下界からの信仰が失われ始めている」
 ざわざわとどよめきが場を支配する。
「なっ何故ですか、そんな急に……。これまで私達が尽力して集めてきた信仰が、そんな簡単に……」
「うむ、異変の重大さはよく承知している。数刻前、斥候の天狗から下界の状況が報告されたのだ。人間も妖怪も皆、自らを殺め、同族を殺め、畜生以下の存在に成り果てる病が蔓延っているとな。これは我々人々の信仰で成り立っている神々にとっては死活問題だ。しいては、幻想郷の存在自体にも関わってくる。それで――皆の意見を聞きたいと思うのだが」
 しんと静まり返る。長い沈黙、突然告げられた事実に、思考をまとめて神奈子へ返す術を持つものは中々いなかった。
 やがて、人形細工のような白い腕がすっと上がる。
「八坂様――」
「おお鍵山の。よく手を挙げてくれた。そなたの意見を聞こう」
 鍵山雛はクルリと一回転して前に立った。
「麓に降りかかった残酷な厄、病魔は、地底の奥底よりもたらされたものです。私は前々から恐ろしく思っていましたが、厄の塊は今もはじけてなおも増え続けています。これを殲滅せんとしたならば、元を正すしかありません。トカゲは尻尾を切っても生き延びてしまいます。しかし厄の確かな出所は――私の力及ぶ所ではありません」
「何と……。地底の古明地とは約束を交わしたはずでは……」
「八坂様、あの方達の厄は簡単に消えるものではありません」
 雛の言葉を聞いて神奈子は考え込んだ。
「ううむ……、よし、何事も足場が固まっていなければ始まらない。地底は後回し、病がこれ以上侵攻しないように最善を尽くさなければならない。妖怪の山はこれより緊急措置に基づき動かされる。下界との行き来は絶対禁止とし、出入り口は全面封鎖とする。上空からの防備は全て天狗に任せよう。医術に優れる河童は病の解毒剤の開発を……、そして……たのむ諏訪子」
 神奈子の横でじっと沈黙していた洩矢諏訪子が立ち上がる。
「いいかお前達! これは妖怪の山を統べる神の言である。これに異を唱える者、歯向かう者、神の鉄槌が下ると考えられよ。病は鳥籠に封じなければならない。病に罹った者は見分け方は簡単だ。皆が皆自らの瑕に媚び笑い踊り狂う! 病に冒された者は躊躇無く殺し、その身を清めて火で焼き尽くすのだ。無駄な手心はいらん、親兄弟子供友人でも迷わず打ち殺すのだ! 何も案ずる事は無い、我々はいつの時代の病にもそう対応してきたのだ!!」
 祟り神の重みのある恫喝が一同の意見を統一した。諏訪子の鬼気迫る表情と気迫に圧倒されて異を唱える者は皆無だった。
「……神奈子様、諏訪子様、地底が黒幕とわかっていながら手出しできないなんてありえません。私は断固はんた……モガモガ……」
「早苗、こっちへ来い」
 諏訪子が早苗の口を塞いで奥へと引きずっていた。
「皆の者、今諏訪子が言った事を肝に銘じて欲しい。それでは各々たのんだぞ、幻想郷は我らの手にかかっている」
 神奈子の一言で会合は解散した。







 射命丸文は会合に同席した白狼天狗の犬走椛と並んで歩いていた。
「いやぁ……、急にあんな事言われてもびっくりして実感がわきませんねぇ、椛もそうでしょう?」
「ふん射命丸、お前は疫病の恐ろしさを知らないのだな。八坂様の真剣な表情を見なかったのか?」
 椛は突き放して答えた。
「ええ、それはそうなのですが……」
「お前はどうせ記事のネタが舞い降りたぐらいにしか思ってないのだろうな。それは甘い、自分に火の粉が降りかかってからせいぜい慌てるがいいさ。私はこれから関門の警備にあたる。射命丸、くれぐれもスクープのためとか言って山を抜け出し、我々天狗の顔に泥を塗るような行為は慎んでくれよ」
 椛はそう言ってスタスタと立ち去ってしまった。

「ぷんぷん! なんですかあの椛の態度は。ああむかっ腹がたってきます!」
 文はやり場の無いいらつきを道端の木にぶつけたが、狙いははずれ、勢い余って脛を強打してして地面を転がり回った。
「おお痛い痛い……」
 文は萃香の記事は興味がわかず、結局別の記事と差し替えてしまった。あれが疫病の兆候だったとしたらと考えると、文はどうにもやりきれない気持ちになるのだった。
「ふふふ……、このまま私が手をこまねいている訳がないでしょう。見ていなさい椛。私が偉くなったらあなたのある事ない事全て特集記事に組んであげます」
 文は立ち上がりペンを手に取り、ここ一番の薄汚い笑顔で不気味に微笑んだ。





 守矢神社の秘密の地下に、東風谷早苗は連れ込まれていた。
「あーっ! 諏訪子様放してください。このままでは霊夢さんに出し抜かれてしまいます。異変は私が解決して信仰を再び取り戻してみせます。放してください諏訪子様、諏訪子さまーっ!」
「早苗は少しここで頭を冷やしていろ。これはお遊びではない」
「いやです! 私は小学生の頃健康優良児でした。風邪一つひいた事もありません。だから行かせてください!」
「いいから大人しくしろ! 風邪とは訳が違うのだ」 
 諏訪子はいやいやと抵抗する早苗を縄で縛って猿轡を噛ませて、地下牢に放りこんでしまった。
「んんー、んんんーー!」
「これも早苗のためだ。私も子孫が苦しむ姿を見たくはないのだ、わかってくれ」
 諏訪子は行ってしまった。
「……っく」
 早苗は博麗霊夢に対抗心を燃やしていた。霊夢の一挙一動が気にさわってしかたない。霊夢が出来る事は自分が全てこなせなければ我慢ならなかった。
 風祝としての誇りが、どんな異変でも必ず解決できるという慢心を生んでいた。今こうしている間にも霊夢が異変解決に動いていると思うと、どうしようもなく涙が出た。
「んんんーーー!!」
 早苗は涙と鼻水を垂らしながら、声にならない声で誰かを必死に呼んだ。



 暗雲たちこめる幻想郷。博麗霊夢の第六感が異変を察知していた。身の毛もよだつような切迫した恐怖が霊夢を不安にさせている。
「幻想郷じゅうに邪悪な妖気、いや、それよりももっと複雑で異質な……」
 霊夢はいてもたってもいられずに博麗神社を後にしていた。
「紅い霧も出てないし変な船も飛んでないわね。一体何が起こるのかしら、鬼が出るか蛇が出るか――」
 霊夢はふと数日前に萃香がおかしかった事を思い出した。幻想郷の強者である鬼に異変が起こっている。霊夢はその兆しを見逃した事を後悔していた。
「まさか、幻想郷全てがマゾになったって事は、ないわよね」
 数々の異変の中で愉快犯が多かった事実により、霊夢はその可能性をチラッと考えてしまった。
「さてと、そんな馬鹿げた妄想は置いといて、どこから攻めてみようかしら? いつもは私の前に敵の方から現れてくれるのだけれど……」
 ちょっと小考してみる。特に当ても無いのに飛び回ってもしかたない。ここは近場の紅魔館からあたってみる事にしようと思った。。案外あのわがまま吸血鬼が、何かまた突飛な異変を起こしたかもという、淡い期待をかけて。
 霊夢は紅魔館を目指すべく湖を渡ろうとする。そして感じる妖怪の気配。
「ちょっと待つのかー」
「何よあんた、私は急いでいるのよ」
 暗闇の妖怪ルーミアが霊夢の行く手を塞いでいた。しかし、何かがおかしい。ルーミアは人間を食料とする妖怪だ。口に詰め込んだ一本の腕をおいしそう食べている。それ自体は別段興味を引くものではないが、ルーミアが自分自身の腕を引きちぎり、むしゃむしゃと食べていた事に、霊夢は驚きを隠せなかった。
「あなたは食べてもいい人間? 私も食べてもいい妖怪??」
「どきなさい!」
 ルーミアがおかしな事を言っているので霊夢は威嚇射撃をして退けようとしたが、ルーミアは避けようともせず、体に霊夢の攻撃を直接くらってしまった。着弾面から血が噴き出るが意に介した様子はない。
「……食べてもいい?」
 ルーミアは霊夢に向かってくる。痛くはないのだろうか? まさか誰かが死霊術でも使い、幻想郷をゾンビだらけにでもしてしまったのだろうか。霊夢はそんな誇大妄想を思い浮かべてしまった。
「そーなのか! 食べてもいいのか!!」
 ルーミアは黒いオーラを纏い回転しながら霊夢に突進してきた。
「何が何だか知らないけど、妖怪を退治するのが私の仕事だからね。威嚇射撃はしたから悪く思わないでね」
 霊夢は巫女棒を軽くなぎ払うと、ルーミアはそのまま吸い込まれるように棒にぶつかり、頭がひしゃげて首が千切れ、くるくると回って降下撃沈してしまった。
「痛くないのかー、気持ちいいのかー」
 落ちながら首だけで何かを言っているルーミアを置いて、霊夢は先を急いだ。


 湖上には妖精がいる。いつの時代もそれは変わらない。
「さっきのルーミアの様子……。うーん気になるわね」
 この湖を越えれば紅魔館だ。変な奴に会わないうちにさっさと通過しなければならない。
「おおおーい、あたい、痛くない! あたい、最強、最強! 勝負! 勝負!」
「また会いたく無い時に会うわね。……馬鹿がこじれたのかしら?」
 氷の妖精チルノが氷の塊でフィールドを作って霊夢を取り囲んでいた。羽と足が膝から千切れていた。妖精にも死の概念はあるかとか内臓筋肉消化器系はあるのかという素朴な疑問は考えなかった。
「妖精も話は聞かないものなのね」
 霊夢はチルノもルーミアと同様におかしな病気にかかっていると思った。へらへらとした薄ら笑いに、体の怪我を全く気にしない様子。しかし妖精と言えども巫女の邪魔をする者は成敗するだけである。
「くらえ!」
 チルノが四方八方から氷をつららのように尖らせて投げかけてくる。霊夢は俊敏な動きでそれをかわすと、一気に間合いを詰めてチルノを脳天から叩きつぶしていた。
「馬鹿は死ななきゃ――」
 後ろに感じる殺気。霊夢は条件反射的に巫女棒を背後へと振り回した。
「うひゃぁぁぁっっ!!」
 チルノと同じ妖精の、確か大妖精と言う名だったろうか。霊夢の攻撃を受け、胴体を腹部から真っ二つにされて湖へ落ちていった。
「妖精まで巫女に歯向かうだなんて……」
 霊夢は巫女棒についた血糊を拭き取り、遠くからでも紅く見える紅魔館へと足早に向かった。


 紅魔館の外壁が近づく。いつもなら門番である紅美鈴が陽気な声で霊夢を呼び止めるはずだが、今日はしんと静まり返っていた。
「美鈴? 門番がいないなんて無用心ね……」
 霊夢は門の上を飛び豪華で重そうな扉の前に降り立つ。
「誰かー? いないのー?」
 外から呼びかけるが返事は無い。
「入っちゃうわよー。お邪魔します……」
 半分程開けて中の様子を覗き見る。が、見てはいけないものを見てしまったかのように慌てて扉を閉じた。
「うううーーっ。ぉおおおおぇぇぇ……」
 霊夢は思わず胃液を吐いていた。紅魔館の中はむせかえるような死臭が立ち込めていた。目に入った記憶を思い返してみる。多数の妖精メイド達の血まみれの死体。喉をナイフで刺した十六夜咲夜に、訳のわからない肉片が壁と床一面にこびりついていたのだ。それにあの帽子、あれはレミリアがいつも被っている帽子だった。ぐちゃぐちゃの肉塊が霊夢の頭を埋め尽くす。霊夢は今日ほど巫女の視力を呪った日は無かった。
「はぁ……はぁ……あんな様子じゃレミリアはもう……」
 ふらふらと立ち上がって空を見上げて髪をかきあげる。ふと手のひらを見ると、赤い血がついている。首の後ろを触ってみると、わずかな傷がついていた。まさかさっきのルーミアとチルノを潰した時に知らずに傷つけられていたのだろうか。霊夢はさっきのルーミア達の痛くないと言う言葉を思い出す。
「……なっ何考えてるの私は……。さっさぁ妖怪退治よ! どんな凶悪な鬼でも神でもかっ、かかってきなさいよ!」
 霊夢は自分を鼓舞するように大きな声を出したが、膝はがくがくと震えていた。 








 見捨てられた者達の地から這い出す二つの影。幻想郷の終焉は刻々と近づいていた。誰でも止める事のできない約束された運命が、もう目の前に迫っていた。

 人里の集落でも病は十二分に行き渡っていた。そして人間に在らざる者が暴虐を開始しようとする。
「ねーねーお燐。本当に大丈夫なの? 勝手に地上に出てさとり様とヤマメさんに怒られないかなぁ?」
 そう言ったのは地獄烏の霊烏路空である。身長二メートルを超えるかと思われる巨大な体に、ピカピカ黒光りする漆黒の羽。最近神の力を胸に宿したこの愚鈍な地霊殿のペットは新たなる力に意気揚々としていた。
「大丈夫さお空。病気が地上を根絶やしにするなんて待ってられないもの。それに、せっかくの死体がもったいないじゃないのさ、ひひひ。さとり様も私らが地上人いっぱい殺したら褒めてくれるだろうし」
 同じく地霊殿で、古明地さとりの従者である火焔猫燐が空に答えた。この死体を運ぶのが趣味の猫の妖怪はお燐と呼ばれている。地上で死体の山が出来ると聞いて、いてもたってもいられなくなってしまったのである。
「それにしても病気ってのは恐ろしいもんだねぇ。ほら見てごらんよお空。可愛い人間達がのたうち回ってるじゃないか。ああそこにいるのは母子みたいだね。ひっひひ、かわいそうに、泣き苦しんで我が子の首を絞めてるじゃないかい。この世は地獄極楽仏無し、ひっひひ」
「うん? お燐、人間ってどこにいるの? 確か紅白の巫女が人間だったと思うけど忘れちゃったよ」
「あー、もうお空は忘れっぽいねぇ。……今あんたが足で何気なく踏み潰したのが人間だよ。足元ぐらいよく見ておきなよ」
 空の足元で小さい子供が全身の骨と内臓を破壊されて絶命していた。
「へぇ、これが人間か。そうかそうか思い出した。私はてっきり大きな蟻が道を歩いているのかと……。だって力も何も無いちっぽけな存在なんだもの」
「はぁー、あんたは蟻と人間の区別ぐらいつけときなよ。二本足で立つのは人間だよ。よぉく覚えときな」
 お燐は死んだ子供の亡骸を猫車に入れた。この猫車は死体に限っては異次元の収納性を持つ。まるで四次元空間のようにいくら入れても満タンになる事は決してない。
「うにゅぅ……。二本足は人間。三つ目はさとり様、八本足はヤマメさん……」
「お空、変な覚え方するとまた間違えるよ。さぁて、私はまだまだ人間の魂が欲しいんだよ。それも新鮮な子供の魂がね。ひひひ。どうだい、あの建物から子供の臭いがするよ。お空、あそこにいってみようよ」
「うん、お燐、蟻さんーじゃなかった。人間を潰しに行くぞーおー!」



 いつもは無邪気な子供達の声があふれる人里の寺子屋。その憩いの場所は狂気の渦に包まれていた。
 寺子屋で教師を務めている半獣の上白沢慧音は、熱心に子供達に勉強を教えていた。人々のために尽力する事が慧音の楽しみであり、生きがいでもあった。

 事件は突然起こった。一人の子供が急に立ち上がったと思うと、突然の喉を工作用の小刀で切り裂いたのだった。慧音は驚き叫んで子供から小刀を取り上げたが、他の子供も何かに誘われるように手や足や体を切りつけていくのだった。慧音にはどうしようもなかった。
「やめろ、やめろぉー! はぁっ、はぁっ……」
「先生ごめんなさい。でも刺したくてたまらなかったんです」
 慧音は必死で子供から刃物を取り上げるが、暴力を振るったり自らの首を絞めたりする子供後を絶たない。
「やめるんだ……やめるんだ……ううっ!」
 むなしく叫ぶ慧音の後頭部に重い一撃が刺さる。子供が文鎮で頭を強打していたのだった。
「先生ー何だか気持ちいい。頭がふわふわする。だから先生も……気持ちよくなれると思って」
 子供達は笑いあいながらお互いを傷つけあっている。慧音は薄れゆく意識の中で血に染まった子供の着物を見続けた。



 お燐と空は慌しい寺子屋の中へ土足で上がりこんだ。
「おじゃましまーす。ひひっ、やっぱり私の鼻は正解だったね。子供がこんなにたくさんいるじゃないさ。ひひひ、しかも適度に死体になりかけで一番の食べごろで……じゅるり」
「わー蟻さんがいっぱいだー。あれ? 大きな蟻さんもいるよ? 女王蟻かな?」
 空が昏倒している慧音を指差して言った。
「蟻じゃないって何度言ったらわかるのかねこの子は。あーあ、お空、また蟻さんつぶしてるよ。あんたがその棒振り上げたから子供の首が飛んじゃったじゃないさ」
「うにゅー? あ、本当だ血がべったり」
「それじゃ私は死体を車に積み込むから、お空は適当に蟻さんと遊んでてよ」
「了解。わかったー、お燐」
 お燐はまるでゴミを分別するかのように、てきぱきと子供の死体を猫車へと拾い入れている。
「うーん……」
 空の興味は小さい子供ではなく大きな力が感じられる慧音に引かれた。ずしずしを畳を踏みしめながら、子供の手足が千切れるのも構わずに慧音の方へと向かっていった。
「ねぇねぇ起きて、蟻さん」
 空はうつぶせになっている慧音の背中へ腰をかけた。
「起ーきて、起きて」
「うぐぁっ! かはっ!」
 慧音は脊髄反射で目を覚ました。内臓が圧迫されているのに心地よいのが謎だった。
「あー起きたぁ。お燐、蟻の総大将が起きたよ」
「そりゃああんたの逞しい体で押しつぶされたら、起きるに決まってるじゃないさ」
「うう、私の生徒に……」
 慧音はかすれた声で呻いた。
「ねね、蟻のお姉さんがなんか言ってるよ、お燐」
「ふふーん、お空、私はぴんときたね。こいつは先生なんだよ。わかるかい? ここはお空が大嫌いなお勉強をする場所なのさ」
「げほっ、げぼっ……」
「そうなんだー、あれ、先生が赤いもの吐き出してるよ、何でかなぁ?」
 空の鉛のような重圧が肋骨を砕き、内臓に直に圧迫を加えていた。慧音の胸板は数センチもプレスされて、破壊された組織が胃を逆流して、喉から押しだされていた。
「あー、これ面白いよ。何かポンプみたい。もっと出るかなー、あはは」
 空は上に飛び上がり勢いをつけると、何度も何度も慧音の上をトランポリンのように飛んだ。ねちゃねちゃと粘着性のある音が、慧音の胴に凶悪な重石が落される度に響く。肺が潰れ、心臓も潰れる。しかし慧音はそれを意識する事もできない。ただひたすら悶えて、喉から大量の腐肉を吐き出す自動人形となるだけだった。
「えーい、えーい、あれれー? もう赤いお水が出なくなったよー。お燐?」
「よく見なよお空。もうそいつは胸がぺしゃんこさ。やれやれ、顔に似合わずあんたは悪趣味な殺し方が好きだねぇ。私を見習いなよ。出来るだけ苦しませずに殺して魂を可愛がってあげる。これが本当の一粒で二度おいしいって事なのさ」
「うにゅー? よくわからない」
「そうかいそうかい。あんたは利巧だよ。さてと、ここはあらかた片付いたから、とっとと次行こうか! ほらお空、蟻さんの頭で遊んでないで、次、次!」
 お燐は空がお手玉のようにして遊んでいる慧音の頭をぱっと手に取り、素早く猫車に放り込んだ。
「あーっ、あーっ」
「ぼやぼやしてる暇はないよ。死体は鮮度が大事なんだからね」
 お燐は寺子屋を飛び出すと、再び新たな獲物を求めて鼻を鳴らした。











 ――時は過去にさかのぼる。

 黒谷ヤマメは地底に住むなんの変哲も無い土蜘蛛の妖怪だった。ただしヤマメには突拍子も無く高い野望があった。それは細菌の何たるか解明する事。この世に無数に存在する微小で奥深い生命体。彼らは何故存在し、何を目的として生き、どこへ向かおうとしているのか、その全てをヤマメは知りたかった。

 地底を治める地霊殿では未だなお、地上の侵攻を諦めない古明地一族の存在があった。かつて地上で自由に生きていた古明地さとりは侵攻のためなら贅沢な資金投資もおしまなかったのである。

 最新の科学技術を結集させた地霊殿細菌学研究所が地上側に悟られる事なく建設された。この研究所の目的はただ一つ、地上人に破壊的な被害に至らしめる感染症の開発研究である。細菌に詳しい黒谷ヤマメは幸運にもこの研究所の初代主任として任命された。



 

 地霊殿秘密研究所のレベル4研究室で黒谷ヤマメは宇宙服のようなスーツを着て、黙々と作業をしていた。ここの管理体制は徹底されていて、完全に細菌を外部に出さないようになっている。頑丈な扉を隔てて他の部屋へとつなぐ通路には、地底波殺菌レーザーの照射が義務付けられ、空調管理も内部の空気は全て殺菌消毒されて、ここから外部へ漏れる事は絶対に無い。それほどこのレベル4地帯で扱う細菌は危険極まりないのである。


「ぶはー、暑かった、熱かった」
 レベル4の通路からヤマメが顔じゅうに汗をかきながら這い出てきた。
「ヤマメ主任、お疲れ様です」
 と声をかけたのは水橋パルスィ。この研究所でヤマメの助手として働いている。パルスィはコーヒーとロールケーキをコトリとテーブルに置いた。
「おうすまないね、水橋女史。いや中はもう空気がこもってたまらんよ」
「私は一度入ったきりでいやになりましたわ。いくら地底の妖怪と言っても、あんな防護服で長時間作業はできませんもの。それで……主任、実験結果の方はどうでしたか?」
 ヤマメはちょいちょいと人差し指をゆり動かす。
「いや、まだまだ全然成果がない。細菌同士を掛け合わせて、新たな細菌の構造が構築されて、更にそれがより強力な感染力、破壊能力を保持するなんて、並大抵の確率では成し遂げられない。それにまず細菌の分子構造が変化する事自体が非常に稀だ。まるで雲をつかむように気が長い話だよこれは」
「そうですよね……私、思うんですけど、ここに存在するレベル3の細菌だけでも十分に地上に被害を与えると思うのですが……」
「水橋女史、それは甘い考えだよ。地上人はそんなに甘くない。レベル3で簡単に死ぬのは人間だけさ、そして感染が発覚したらワクチンが即座に作られてしまう。ここにあるのはもう古臭くて使いまわされた過去の細菌の亜種ばかりさ。現に我々耐性の高い地底妖怪はこのレベルはほとんど効かないだろう? 地上人にフェイタルダメージを与えるにはなんとしてもレベル4を完成させなければならない」
「は、はぁ、それで、マウス実験の方はどうでしたか?」
「ふむ、それも進展無しだね。特に目立った症状は出なかった。特異な分子構造だったので、これはと思ったが私の見込み違いだったようだ。いやしかしまだ諦めてはいけないよ。たった一ヶ月では何もわからない、潜伏期間が数年なんて細菌もざらにあるしね。どっちにしろ、気の長い話だよこれは」

 実験用のマウスを同じ空間に入れてその生活様子を仔細に調べる。それで得られた結果を元に地上の被害損失状況を概算できる。とはいえ耐性皆無のマウスと妖怪とではまるで釣り合わないのは自明の理であったが、大量に実験サンプルをとるためにはいたしかたなかった。

 ヤマメはこの研究所に勤務してもはや数年が経つ。そしてまだなんの成果も出せていない事に忸怩たる思いを抱いていた。この役職につけてくれた古明地さとりに対して申し訳ない気持ちもあった。しかしそれ以上に自己の野望のため、細菌の全てを知る、おそらくその鍵であるレベル4の完成が間々ならない事に、地団駄を踏んでいた。

 ヤマメが少々思案に暮れていると、休憩室のドアがスーッと音も無く開き、こちらもまるで足音も無く、古明地さとりが入って来た。
「あっさとり様、これはこれはこんな狭苦しい場所にわざわざ……、ほら水橋君! ぼーっとしてないですぐコーヒーをお出しするんだ」
 パルスィはあわてて返事をしてコーヒーを淹れに行った。さとりは気にも留めずに全くの無表情で、やはり音も無く椅子にそっと腰かけた。
「ヤマメさん今日は、ふーん……中々適当な感染症開発も難しいものですねぇ」
「えっええ、しかし必ず私はこの地底の未来のため、日夜尽力するしだいでありますっ!」
 ヤマメは意気込んで大きな声で言った。
「くすくす、あなたは本当に面白い人ですねぇ」
「ええ私は変わり者として定評がありますので!」
 とヤマメが言うとさとりは少女のように笑い転げたが、すぐに取りなして、
「……期待していますよ。あなただけが頼りですからね、ヤマメさん」
 と言って、ヤマメの肩をポンと叩き空気のようにふらっとその場を立ち去った。

「主任、主任」
「何だね水橋女史?」
 熱く湯気だったコーヒーを手持ち無沙汰に抱えたパルスィが声をかける。
「こう言っては何ですけどさとり様とよく普通におしゃべりできますね。私はどうしてもあの方が苦手で……程度の差はあれ古明地一族は他人の心を読めるのでしょう? 私にはそれが気持ち悪くてたまりませんわ。地底でも視界に入る事すらはばかる程嫌っている方もいますのに……」
「水橋女史、それは失礼だよ。心が読める、なぁに素晴らしい事じゃないか! 私はさとり様が自分の無謀とも言える意思を理解してくれて、とても光栄に思ってるんだ。だから私はさとり様に報いなければならないんだよ」
「はぁ、でも……」
 パルスィは全く理解できないようだった。




 その後ヤマメの研究は寝る間も惜しんで続けられた。様々な試行錯誤を重ねて地道な作業の繰り返し、しかし強大な感染力と破壊性能を所持する細菌の糸口すらつかめなかった。
「うぅむ、細菌同士の掛け合わせも行き詰ってしまったな。どうしても既存の性能から逸脱して効力を相殺していると感じてしまう。そうだ、ここは発想を変えて」
「今度は何ですか? 主任?」
 パルスィが尋ねる。
「ああいい所に来てくれた水橋女史。とりあえずこれを見てくれ、この容器に入っているのは緑色性鱗球菌鬼州芽C型だ。感染すると皮膚にコケのような鱗ができて正常な皮膚活動を阻害し、死に至らしめる。それは君もよく知っているね?」
「ええそうですが……それが何か?」
「ご存知の通りこれは非常に感染力も低いし、地底の緑ゴケを生で食べない限りは感染しない。症状は恐ろしく見えてもワクチンも既に存在する」
「そんな何の役にも立ちそうにない細菌がどう関係ありますの?」
「……非常に薄い可能性だが、私は細菌の突然変異にかけたいと思う。全く未知の、誰も思いつかないような、それはそれは素晴らしい細菌の誕生を待つのさ」
「はぁ……」
「具体的な方法はこうだ。細菌を特殊な状況下に置き、様々な外部衝撃を加える。熱しても紫外線でもγ線でもスカラー波でも地底波でも何でもいい。とにかく片っ端から試すんだ」


 実験は大規模に開始された。顕微鏡で少しでも構造の変化が確認された細菌は、すぐさまマウスへと注入されて、その症状が表れるのを待った。人間の一生を幾度も塗り替えるような長い月日がいつの間にか過ぎ去っていた。


 ある日ヤマメは飽きる事もなく日課としてレベル4地帯で、期待に胸を躍らせながらマウスが入った実験ケースを開いた。これはコイシ無意識関連ハートウイルスの変異構造を注入したマウスだった。元の症状は夢遊病、妄想癖を引き起こすたいして害のない細菌である。いまだかつてレベル4にふさわしい細菌が発生した事がないのはヤマメとっては遺憾な事であった。

 目を皿のようにしてマウスの状態を一匹一匹見てみる。
「んーこれも駄目かなぁ……」
 ヤマメが諦めかけて別のケースに移ろうとした時、一匹のマウスの異常に気づいた。白い毛に隠れて見えにくかったが、首に爪で掻いたと思われる引っ掻き傷があったのだ。コイシウイルスの精神に作用する働きが変化したのだろうかとヤマメは思った。偶然の可能性もあるのでヤマメは時間経過の推移を見守る事にした。

 翌日、マウスの実験ケースを確認する。首に傷をつけたマウスは五匹に増えていた。首だけではなく手足胴体にもそれは及んでいた。昨日のマウスは首を痛々しい程深く傷つけていて、青息吐息の状態だった。
 これは単なる偶然ではないとヤマメは思い、このケースにビデオを設置する事にした。これでマウス達がどんな経緯で体を傷つけたのかが仔細にわかる。

 更に明くる日、ケースの中のマウスはほぼ全部、二十匹が体中に傷をつけていた。初めに首を引っ掻いたマウスは既に死んでいて他のマウスのエサになっていた。残ったマウスも異常な行動を示していた。他者を積極的に傷つける者、ケースの隅に引っ付いて自らの首を掻く者、そして雄雌同士で濃密な性行為をする者。雄が雌の上に圧し掛かり、爪を体にきつく食い込ませていた。


「この症状は……?」
 ビデオを見たパルスィが言った。
「ああとても不思議な症状だ。単に暴力性を助長するだけの細菌だとは思えないね。何故なら、マウス達はほぼ確実に初めは自分の体を傷つけているからだ」
「何故でしょうか? もしかして細菌が増殖して皮膚が痒いからとか?」
「その可能性は低いと思われるよ水橋女史。元々のコイシウイルスは生命体には無害で精神系にのみ異常をきたすんだ。ちょっとやそっとの変異では性質はさほど変わらない。おそらく何らかの神経に作用するウイルスに変化してしまったと私は予想するね」
「……私にはこのマウス達がみんな笑っていて喜んでいるように見えるのは気のせいでしょうか? 何か病魔に冒されていく恐怖といったものが全く感じられないような、気のせいかもしれませんが」
「ふぅむ、そうか、喜んでるねぇ」

 パルスィの言葉は何故か頭に引っかかった。
 三日後にはマウスは一匹を残して全滅していた。お互いを殺しあったり肉を喰らいあったり、性行為を行うマウスも傷つけあいながら死んでいたのだ。ヤマメは新たに二十匹一セットの実験ケースを3つ用意し、各々一匹に変異コイシウイルスを注入した。

 症状は注入から二、三日前後で発症した。やはりいずれも自傷行為を伴い、他者への暴力と性行行為へと発展する場合が多かった。ヤマメは死んだマウスの細胞を調べてみる。特に細胞が細菌によって破壊されたという事は無かった。死因は精神錯乱による自傷行為。だが何故マウス達を自傷行為にはしらせるのかはわからなかった。

 ヤマメはパルスィの言葉が気になり、発症したマウスの脳波測定を実行した。これはマウスの脳内から発生している微弱な信号を察知し、マウスの感情が落ち着いているとか怒っているとか、といった感情を測定する事ができる。そして検査結果は驚くべきものだったのである。




「まさか、痛みが全て快感に?」
 パルスィが驚いたように言った。
「ああそうだ、正確には痛みが脳に伝わる信号を快感に誤認させているんだ。それがこの細菌の特徴さ。だからマウス達は必死で自傷行為をしてしまうのさ、それが死に近づく行為とも知らずにね」
「でっでも、いくら気持ちいいといっても、自分の体を傷つけるなんて……」
「それが最も恐ろしいところだね。痛みは本来生物の体を守るために絶対無くてはならないものなんだ。自分を構成する組織の危険を知らせる有効なシグナル。君だって傷が出来たとこは触りたくないだろう? そうやって組織が安全に再生する時間を稼いでいるのさ。例えばもし痛みを感じない生物がいたらそれは生存競争に最も適さない固体だろうね。何故なら痛みを感じなければ組織が破壊された事も感知できない。なおさらこの場合痛みが皆無以上――快感に変容しているから質が悪い。自傷の誘惑を振り切る事はどんな生物でも無理だろうね」
「はぁ、そうですか。それで、肝心の感染力の方はどうなんですか?」
「どうだろう、発症者のそばにいて傷口が開いていたりすると感染率が非常に高い。マウス達はどれも傷つけられて発症しているからね。何度も言うようにこれは人間妖怪にも当てはまるとは限らない。このままでは実用性があるとは考えられないね。自傷から死に追い込む性能には驚かされたが」
「せっかく変異しても中々難しいんですね。そういえばこの細菌の目的はなんなんでしょうか? だってほとんど無害なら神経に作用せずに潜んでいたらいいじゃないですか。せっかくの宿主をすぐに殺してしまうなんて、それも酷い方法で……」
「それは全ての細菌に言える事だよ。まぁ目的なんて我々が他人の心を一片も読めないように、曖昧で正体不明なのさ。ただそこにほんの少しでも近づくのが私の使命だと思っているんだよ。ともかく、この細菌はまだまだ未知の部分が多い、さぁ実験実験!」



 ヤマメはその後もマウスを使って実験を繰り返し詳細にまとめた。確かに感染力は弱いがこの細菌はマウス自体が精神に異常をきたし、他者を傷つける可能性が高い。つまり能動的に感染源となる行為を助長させ、そしてそれは抗う事が非常に難しいのだ。現に一ケースに入った二十匹のマウスは一週間も経たずに全滅してしまう。もしこれが地上だったとしたらどれほどの期間がなの必要だろうか。ヤマメの悩みの種は尽きなかった。


「さぁて今日も可愛い子ネズミちゃんと楽しいお仕事お仕事……」
 ヤマメは陽気な気分で実験ケースの一つを見た。何かがおかしかった。マウスはほぼ全滅状態で末期のケースのはずだった。
「これは一体……」
 マウスは一匹だけ残っていて他のマウスは一切姿が無かった。この密閉された空間では逃げ道がない。故に答えは一つ、この最後に残った一匹が他のマウスを食べたのだ。
 それはもはやマウスではなかった。まるで水生生物のようにヌメヌメした体に何百という細かい触手。申し訳程度にマウスの名残を残すように体毛と小さな顔と牙が存在していた。胴体に雌の性器が点在しており、常時湿っていて、見ているだけで誘いこまれそうになるのだった。
 試しにマウスの雄をイソギンチャクのケースに入れてみた。結果はすぐにわかった。それは雄を触手で絡めとり瞬く間に体内に吸収していったのだ。雄は必死で抵抗したが触手も胴体も強力な再生能力を有してるらしく、焼け石に水だった。雌でも同じくあっという間に吸収され消滅していった。

 ヤマメはこの生き物をマザーと名づけた。

 マザーはマウスではない別の何かの存在だった。マウスを入れてやればおいしそうにそれを食べた。細菌とマウスが融合した突然変異体とても言うのだろうか。おそらくは極小の確率で起こった事であろう。ふとマザーの中のマウスのつぶらな瞳と目が合った。何か訴えかけるような目、それは外に出たいと言っているように見えた。ヤマメは気分が悪くなり一週間程レベル4には入らなかった。

 エサを与えられなかったマザーはこの狭い空間の中で消滅していた。死んでいたというより存在そのものを抹消していた。ピンクの肉体はどろどろに溶けて融解し、気色の悪い肉片とマウスの体毛だけが残っていた。
 マザーは自分以外の存在がいなければ存在理由が無いのだろうか。あの目は一体何を伝えようとしていたのだろう。ヤマメはマザーの意思に操られているような気がしてたまらなかった。





「ヤマメ主任、最近元気ありませんわねぇ。やっぱりあんなものを見てしまっては……」
「あー、うん……」
 ヤマメは上の空で答えた。マザーをよくも調べもせずに死なせてしまった事を今更ながらに後悔していた。あの再生能力と大幅な変態性能は、細菌そのものが進化している可能性が高かったからだ。
「ふぅ……」
 ヤマメはひとしきりため息をついた。
「ヤマメさん」
「うわぁっ!」
 古明地さとりが何時の間にか隣に座っていて、いきなり声をかけてきたのでヤマメはびっくりしてしまった。
「ヤマメさん聞きましたよ。新種の感染症を発見したそうじゃないですか。それも、強力な……」
「ええ、それはそうなのですが、何しろ実用段階には程遠いと言うか……」
「構いませんわ。私、もう待ちくだびれてしまいましたの」
「そうですか、ではさっそくワクチンでも……」
「うふふ、夢が広がりますわね」
「あははーそうですね、あっはははは……」
「うふふ、うふふふ……」
 さとりは少女のように笑ってヤマメもつられて笑う。その二人の様子をパルスィは遠くからぼけっと見ていた。
「…………っは、はっ、ええと何だかとてもいい雰囲気だわ、こういう時は何か言うべきだったような……」
 

 こうして地底で偶然生み出された魔の細菌は地上へと進出する結果となったのである。









 奇跡は必ず起きる。私はその運命の元に生まれている。
 東風谷早苗は手足を拘束された状態でも、その不確かで曖昧な奇跡の到来を待ち望んでいた。
「うー、ううううー」
 早苗は耳を澄ました。カツカツと牢屋の外を歩く音。やっぱり奇跡は自分を見放してはいなかったと歓喜した。やがて足音が早苗の牢屋の前で止まる。
「さぁさぁお出でなさい東風谷殿」
 くぐもった声と共に、牢屋の錠がガチャリと開く音。早苗はその人物の姿を見た。
 高下駄に天狗らしい装束を身に着けている、ここまではよかった。しかし顔面は違った。包帯で顔をぐるぐる巻きにして、ひどく不釣合いな色眼鏡をかけていた。
「あやや、嫁入り前のお嬢さんがこんな格好で縛られているとは許せません。しからばこの正義の味方が来たからには大丈夫。安心しなさいな。卑劣な邪神軍団の手からあなたは解放されるのです」
 と言いながら怪しい人物は縄をするすると解き、早苗を束縛から解放したのだった。
「ああ、ありがとうございます。これが……奇跡、なのですね。あの、もしよろしければお名前をお聞かせください」
 早苗が言うとその人物は団扇で軽く扇ぎ、首を二回振り、
「や、名乗るには及びません。私は通りすがりのしがない正義の味方です。それではいざさらば!」
 と言って木の葉を撒き散らして風のように消えてしまった。
「まぁなんて謙虚なお方なんでしょう。正義の味方、奇跡的なヒーロー、この奇跡的な出会いをこの東風谷早苗は無駄にはしません。さぁ妖怪よ、首を洗って待っていなさい!」
 


「東風谷様、お待ちください!」
「そっちへ行ったぞ。絶対に逃がすな!」
 牢屋を抜け出した早苗は警備の天狗達にあっという間に気づかれて追われていた。
「邪魔をしないでくださいっ! 私は信念に基づいて行動していますっ!」
 早苗の加速は止まらない。まるで猛牛のような突進に触りにいける者はいなかった。

 この逃亡騒ぎの中で一人ほくそえむ者――射命丸文は眼鏡と包帯をはずして、天狗達があわてふためく姿が遠くから観察していた。
「おお、なんて私は頭がいいのでしょう。この混乱に乗じて山を抜ければ簡単です。天狗達も持ち場を離れて警備も手薄になっていますし。私のスピードを持ってすればたやすい事です。へへへ、」
 文は周りの目に注意しながら一直線に妖怪の山を突っ切った。
「……やりました。これで私は自由の身です。さぁ楽しい取材の始まりです! 異変の起こるところ――必ず巫女がいます。山の巫女と麓の巫女、果たしてどんな共演を見せてくれるのか本当に楽しみです」







 屍肉を烏がついばみ病を運び、病が屍肉を作り出す無限回廊。寂寞とした風が吹き、死にゆくだけの亡者だけの地に成り果てた人里で、法華経を唱える声。
 崇高な女僧侶と毘沙門天代理は正座をして一心不乱で題目を唱えていた。白蓮に同調して唱えていた人間も妖怪も、今やただの肉塊と化していた。

「聖、私達二人以外は死んでしまいましたね」
「ええそうですね、星」
 白蓮は微動だにせず答える。
 星は脂汗を流して耐えていた。限界が近づいてきている。
「聖、まことに申し訳ないのですが、私は少々修行不足なようです」
「まぁ、星……。私が無理を言ったばかりにあなたまで……」
「いいえ、白蓮様は正しい事をしたまでです。私は白蓮様につき従って後悔した事など一度もありません。数百年の間、毘沙門天代理として過ごせた事を一番の誇りに思っています」
 星は満ちた笑顔で言う。
「そうですか、私も星と過ごした日々は思い出深いものでした。雨の日も風の日も空が堕ちようとも歴史が変わろうとも、私に付き添い支えてくれました。……余り時間が無いようですね、それでは最後は私が……」
 星は立ち上がろうとした白蓮を押し止めた。
「いえ、聖の手をわずらわす事はできません。けじめは自分でつけます。……理想は我らの手に! いざ、南無三――――」
 星の手から槍が天高く舞い上がる。槍は太陽を貫くとぐるっと向きを変えて、急降下し、星の脳天から股下までを綺麗に串刺しにした。
「星、確かに見届けましたよ……」
 白蓮は姿勢を崩さずに星を弔った。



「南無……ムニャムニャ……」
 目をつぶり両手をぴったりと合わせて、白蓮の読経は続けられている。そして背後に忍び寄る気配。
「聖、ああここにいたのですか……。大変です一輪が……」
「流行り病で死にましたか? 村紗?」
「はっ、はい、私が見つけた時にはもう……。……まっ、まさかそこにいるのは寅丸様……」
 幽霊船長の村紗水蜜が星の死体を見て言った。
「ええ、私の力が及ばずこのような事に。村紗、一輪と星のために祈りましょう」
「はっ、はい」
 長い長い読経。白蓮はほっと息をついた。
「ふぅ……。村紗、あなたは命蓮寺を星蓮船に変えて飛び立ちなさい。人々と妖怪達を救うのです」
「わかりました。それでは聖も行きましょう」
「いいえ、私はここに残ります」
 白蓮は燐として言った。
「何故ですか! この世界をお救いできるのは聖だけです!
「ふふふ、星にはああ言いましたが私も修行不足でしたね。私自身も魔に毒されかけているようです。村紗、私があなた救った時の事を覚えていますか? あの時の気持ちを忘れないでくださいね。そして今こそあなたが救う番なのです」
「しかし、しかし……、聖っ、私は、私は――」
「問答無用です。村紗早くお行きなさい。いくら幽霊のあなたでもここは危険です。さぁ早く」
 白蓮は語気を強めてぴしゃりと言った。 
「うっ、うっ……。わかりました、聖、きっと……、きっと恩に報いますね……」
 村紗はまるで成仏したかのようにすっと姿を消した。
「村紗、頼みましたよ。祈りましょう、魔が私を食いつぶそうとも……」







 数十メートルに膨張し、巨大化した体を重たそうにひきずる。マザーと化した鈴仙は再び人里へと戻っていた。自分と同じマザーの候補を探すため、赤い目を光らせながら。

 もう落ち着いてはいられなかった。この世界は狭すぎる。生命を全て食いつぶしてしまえば後に残るのは、鈴仙自身の崩壊だけである。体に蔓延った細菌が本能的に鈴仙を動かす。早くしろ、早く仲間を探せと。

 しばらく這いずると、鈴仙は美味しそうな獲物に目を止めた。触手で軽々と持ちあげて絡めとる。僧衣が溶解液により溶かされて、美しい裸体が露わになっていく。
「あなたも魔に捕らわれた、かわいそうな被害者なのですね」
 白蓮はもはや言葉も通じぬ鈴仙に向かって言った。
「ナカマ……キモチイイ」
 触手の先を白蓮の体に潜り込ませて濃縮液を注入する。
「私にはあなたを救えないようです。残念です。……魔の本尊は……、おや? 以外と近くですね。しかし、私には何もできないのが心残りです」
「アァァァァ……」
 鈴仙は白蓮の反応が薄いのでがっかりしてしまった。
「そう涙を流さないでください兎さん。ええ私にはあなたが泣いているのがわかります。私には何もできませんが、あなたのために祈りましょう。ムニャムニャムニャ……」
「イヤァ、ワァアー、キライ、キライ……」
 何百本もの触手が無抵抗の白蓮の体を貫いていた。鈴仙の体に溝が渦巻くように広がり、白蓮をそのままポイッと放り込んでしまった。
「ウマイ、オイシイ、デモ……」   
 白蓮を咀嚼吸収し、鈴仙はまた腹が膨れた。まだまだたくさん入ってもっと大きくなる気がする。それでも不安は増大した。立派な同胞、パートーナーを見つけなければならない。
「オオオオオォォォォォ!!!」
 鈴仙は天に向かって悲しく吼えた。








 逃げなければ逃げなければ。野を駆け山を越え谷を越え、死の切迫感が因幡てゐを走らせていた。

 夜雀に襲われても必死の全速力で逃げ続け、蛍の大群に巻かれようとも知恵を振り絞ってやり過ごした。てゐはこんなところで死にたくは無かった。それが鈴仙の馬鹿野郎のせいでこうなってしまった。もう痛いのか暑いのか寒いのか苦しいのかわからない。全身がズタズタでわけがわからない。

 とにかく走って走って、逃げて逃げ続けた。

 はっと気づいた時には見覚えの無い山道へと入り込んでいた。
「はぁー、はぁーー、ここはどこだろう……」
 少し気持ちを落ち着けて道なりに進んでみる。
「おい! 止まれそこの兎!」
 何者かの声でてゐは硬直した。


 山の関門に差し掛かる山あいの道に、兎が侵入したと言う情報が犬走椛の耳に入った。
「その兎の状態は?」
「はい、全身にところどころ怪我をしているようですが……」
 部下の天狗が聞いた。
「よし、見に行こう」

 椛と数人の天狗が木の枝をつたいながらてゐの居場所へと近づく。
「……永遠亭の兎のようだな。情報では永遠亭は壊滅状態との報告だった。逃げて来た可能性が高い、そして感染してる可能性も」
 てゐの周りをぐるりと天狗達が囲んでいた。
「たっ、助けてくれ、お願いだ……。えへっ、えへへへっへっ。あ、はぁ……。体がなんかおかしいんだあっぁあへええへえ」
 てゐは初対面の相手にはいつもの愛想良い笑いをふりまくのが常だった。緊張の糸が一気に解けて、痛覚と言う名の快感が突然表に出てしまったのである。
「怪我をしていても、気持ち悪いくらい喜んでいるな。こいつは間違いなく感染している。問題なく殺せ! 吹き矢で動きを止めて、火弓を放て!」
 椛は無慈悲に叫んだ。
「ああっ! 何をする!」
 てゐは吹き矢をくらってもなんとか逃げようとするが、手足はどうしようもなく動かなくなっていた。やがててゐの体が熱い炎で焼かれていく。
「……なんで、気持ちいいんだ……」
 てゐは燃え盛る炎の中で脳を焼かれながら、その疑問を知る事なく死んだ。







 魔法の森の霧雨邸。その扉をけたたましく叩きながら主人を呼ぶ者がいた。

「魔理沙ー? いる? 最近見ないから心配していたのよ。そうそう、この前送ってくれたキノコとっても美味しかったから。ええ、いつも感謝してるわ。毎日ね、キノコ料理ばっかりしてね、手によりをかけたの。それはそうとねぇ魔理沙、幻想郷が今大変なのよ。あのね、ゴホッ、ゴボッ……。うっぷ……、ああ魔理沙ごめんなさいね。ちょっとお腹の調子がおかしくて……。……で、幻想郷にね、変な病気が流行っているのよ。それで、みんながきっと魔理沙を騙そうと近寄ってくるから、私が先に教えてあげようと思って……。……はぁ……はぁ、気持ち……、ああ……。魔理沙……これは大変な病気なのよ……。でも、私だけは治す方法を知ってるのよ。だから、だから、ここ早く開けてよ。魔理沙? いるんでしょう? 早く……、早く開けてよ、出ないと……。あぶっぁぅ! 魔理沙、いい加減にしないと私怒るわよ。あなたの大親友様のアリス、アリス・マーガトロイド様の声を忘れたとは言わせないわよ! 魔理沙! 魔理沙……。……そう、わかったわ。そんなに私の事が嫌いなのね……。魔理沙なんか病気にかかってオシッコとウンチもらして、自分でそれ食べて死んでしまえばいいんだわ! もう、行くからね! 私、行っちゃうんだからねっ……! ……っ、ううっ、痛……きもちひひひひ、いいいいううへぇぇぇつつ!! ……はぁ、魔理沙はこんなに私が苦しんでるのに、何も声をかけてくれないのね。……いいわよ、どうせ。私の友達は上海だけなんだから。ねー、上海? あらー、上海ったら赤くなって私の心臓を突き刺してー。うふふー、上海、私の大好きな上海。上海さえいればもう何もいらない。……他人なんてカスだわ。誰一人私の思いどうりに動かないし。みんな馬鹿ばっかりで! 魔理沙も……。あーあ、阿呆よ私は、馬鹿で間抜けでフンコロガシだわ。……魔理沙なんかもう知らない……。まぶたが……重くなってくるわ……。……どうして、どうしてなんだろう? ほんの数日前にはみんな平和で……。なんで……なんで……。魔理沙……お願いだからここあけてよぉ……! お願い……お願い……。ええぇへへっ。へへっ。そうだ、この扉壊せばいいんだ……。えへへ、待っててね、魔理沙。そうと決まれば、上海、あれ? 上海? どうして動かないの? さっきまで私のそばで元気に動いていたじゃない。うへえぇえっ! へっへっへっ! ……手がないわ、いつの間にか、どこ? 上海? 目も見えない、助けてよ、早く! 早くしなさいよ。全くなんなのよ! ああっ、転んじゃったじゃないの、この床板どうなってるのよ! 早速業者呼んで文句いわなきゃ! 魔理沙、お願い、返事して? どこ? 私の名前を呼んでよ。あれ? 音が無い、音? 音ってなんだろう? 耳? えっ、えへぇ? じゃあ私が、今しゃべり? 何故、どうして? あはっ、あはははっはあっはっ。魔理沙、そこにいたのね。隠れていたからわからなかったわ。あへへへ、恥ずかしがりやさん出てきなさい。ここよ、ここっ! 私の記憶! 一週間前私は魔理沙に会った! 脳みそ! 脳みそ! おいしい、おいしいおいしいおいしいい! うま! どこ? だめ、気持ちいい、眠い眠い……」








「ばぁーーーっ! 驚けぇ!」
 多々良小傘は人を驚かす事を生業とする妖怪である。それが今日はとても困った事になった。誰も小傘にぴくりとも驚かないのである。いや、驚くと言うよりも、喜んでくれるのだ。
「よっ、妖怪様、早く私をぶちのめしてください! きっ、気が狂いそうなんです!」
「妖怪様、どうかそのおみ足で踏んで……」
「え、えーと……。逃げろーー!」
 小傘にとってはこの事実は死活問題にあたった。人間達がびっくりしてくれなければ、腹はいつまでたってもふくれないのである。
「はぁーぁ……、ひもじいよう……」
 ため息をつくとお腹がぎゅるぎゅると鳴った。このままではお腹と背中がくっついてしまう。早く誰でもいいから驚かせなければならない。
「……あ! あそこに大きな烏さんがいる! 駄目元でやってみよう!」
 小傘はその大きな烏へとテクテクと下駄を鳴らして近づいた。烏はまだ前を向いてこちらには気づいていない。傘で身を隠して至近距離まで一気に近づく。準備は整った、もう後はありったけの恐怖を烏に見せ付けるだけである。そして後ろから烏の頬をそっど傘の舌で舐めた。
「うーん? 誰?」
 烏が振り向いた、時は来た。
「べろべろばぁぁぁぁぁっっつ!!」
 小傘は赤い一つ目と口裂け女の、最も得意な変装で烏を出迎えた。
「うわぁぁぁぁっぁぁぁあああ!!!」
 やった成功だ。烏は大声をあげて驚いてくれている。空っぽだったお腹が膨れて体内に力がみなぎってくる。と思った瞬間、小傘は烏の持った大きな棒が、脳天から振り下ろされるのを見た。





 霊烏路空は集落でお燐の手伝いをしていると、急に頬を何かに撫でられた。不思議に思って振り向くと、そこには一つ目で口は耳まで裂けた妖怪が、舌をべろべろさせていたので、空は大声をあげて腕を振り回してしまった。
「お空、何馬鹿騒ぎしてんのよ。耳がキンキンしてたまらないってば」
「うにゅ、だってこの妖怪が急に……」
 小傘は本体の傘をへし折られて、少女部分も頭からつま先まで潰れてしまっていた。
「あーあ、何か知らないけどお空にちょっかいかけたのが運の尽きだね。かわいそうだから私の車に乗せてあげるよ。ひひひ」
 お燐はそう言って肉塊を猫車へと入れた。わき腹が痒いのかさっきからしきりに掻いている。
「どうしたの? お燐、それ」
「何がって何さ? ああさっきから痒いというか何と言うか……、あれ?」
 お燐はわき腹を掻いていた手を見る。そこにはべったりと血がついていた。
「な、何で、私はちゃんと予防接種したじゃないさ! あれぇっ? やめられないよ、止まらない、やばい、怖い、気持ちいいいぃぃいいいぃっ!!」
「お燐、お燐、大丈夫?」
 空はお燐に手を差し伸べようとしたが、石につまづいてバランスを崩した。空は体勢を立て直す暇もなく、真正面にどてんと転がってしまった。
「あ痛てて……。ごめんお燐、あれ、お燐どこ? 大変だ! お燐が消えちゃった!」
 お燐は空の巨大な制御棒の下敷きになって、全身骨折内臓破裂の致命傷を受けて死んでいた。地面と制御棒に血と肉の飛沫がむごたらしく飛び散っている。
 空はお燐の姿を数分探したが、全然見つから無いので音を上げてしまった。

「お燐がいなくなっちゃった。どうしよう、そうか、先に帰ったのかなぁ。あーあ、つまんないの。……そういえばさっき、お燐はお腹いじって気持ちよさそうだったなぁ。私もやってみようかな」
 おへそを丸出しにして、へそのゴマをとるような気持ちでお腹の肉をつまむ。
「あれ? 何だか変な気持ち……」
 つまんだりひねったりして、空は未知の快感に翻弄されていく。まるで自慰を覚えた猿のように真面目になってその行為に打ち込んでしまった。
「ぁあ……私……」
 空は堂々と道端で淫らな行為に耽る。
「あー、あー、くる、くる、何かくる!」
 足をびぃんと突っ張り、体を身震いさせて喜びを全身で感じる。脳から快感物質がドバドバと吐きだれて、空の精神は細菌に支配されていった。一度この快楽を受け入れてしまえば、後は操り人形となるだけである。
 快感が頂点に達した瞬間、厚い腹筋を握り締めてもぎとっていた。空は自らの肉を削ぎとった事も気にせずに、再び行為を続けようとした。
「もう一回、もう一回、何これ? 頭が真っ白になって……」
 空の手は止まらない。肉を次々と千切ってしまう。
「うにゅぅ……。壊すと気持ちいい、壊すといく、壊すと幸せになれる、あは、あはははっはは!」
 そしてこの愚鈍なる地獄烏は、いつも言われている主人の言葉を思い出した。
「うー、さとり様は言ってた。みんなの役に立つ事しなさいって! 壊す、楽しい、私壊してあげる。みんな楽しい、うん、みんなに分けてあげなきゃ!」
 空の制御棒に核融合の力が集中する。呼気を整えて、全身からエネルギーを変換させ右腕へと送り込む。神聖なる八咫烏のの神の火は、受け皿となる霊烏路空の強靭な肉体を触媒として、超核力の常識では扱えない力を使用可能にしているのである。最も危険で強大な力を、なんら知恵を持たぬ地獄烏が所有しているのは、なんと言う皮肉であろうか。
「おおー、溜まった、溜まった。」
 空は重そうな制御棒を西の方角へと向ける。
「いっくよぉー、たーまーやー!」 
 がっしり据えつけられた砲台がついに火を噴いた。滅びの閃光が地を這い、町をなぎ倒して野を削り、遥か彼方の地平線へと消え去っていく。破壊的なエネルギーが蹂躙した地域は、塵一つ残らない虚無の空間だけが広がっていた。
「ふぅー、ふぅー」
 空は汗水をたらしてほっと一息つく。
「ああすっきりした。そうだ、さとり様にも分けてあげなくちゃ」
 空は血で染まった制御棒を、地面に垂直に近い形で押し当てる。
「今すぐさとり様に伝えたい。もう待てない。この辺かなぁ? それともここ?」
 制御棒の角度を微妙に調節しながらエネルギーを充電する。
「喜んでもらえるように、いっぱい注いであげなくちゃ」
 再び地上をいとも簡単に焼き尽くすであろう、神の天罰に匹敵する力が空の右手に蓄電される。周囲の空気がチリチリと焼けつき、人間ならば一瞬で消し炭になってしまいそうなオーラが空を包む。
「エネルギー満タン、制御完了! いっけけぇぇぇぇぇええええ!!」
 幻想郷の中心部、マントルへ向かって裁きの光が突き進んでいく。地上と地底、二度にわたる暴虐な神の鉄槌はついに下されたのである。 










 荒涼として寂れた広場。人間と妖怪とで賑わっていた幻想郷の地上の面影は、今は微塵も見る影も無い。

「やれやれ、飼い犬に手を噛まれると言うのは、まさにこの事だな。いくらワクチンを打ったからといって、感染が広がった地上に出るとはね。言語道断、想定外もいいとこさ。おかげで予定が大幅に狂ってしまった」
 思慮深い地底の土蜘蛛、黒谷ヤマメは言った。地上へと変異コイシウイルスを然るべき方法で散布した後、地底の底からその動向を窺っていたのだ。ワクチンも直ぐに開発され、地底の妖怪ほぼ全員に予防接種が義務つけられた。
 そしてウイルス散布から二週間程たったある日の事、さとりのペットのお燐と霊烏路空の地上進出の知らせを受け取ったのである。
「二人はどこへ行ったものか? いやそれより――」
 ヤマメは地上に舞い出でて人里の様子を上空から見て、壮大に愕然としたが、それと同時に歓喜した。
「この被害状況から推測するに、確実にマザーへと突然変異した生命体がいる。これは間違いない」
 ヤマメは嬉しさを押さえきれずニヤリ笑う。二人の馬鹿なペットの事などどうでもよくなってしまった。早く幻想郷の地上に出現した美しいマザーの姿を見たかったのだ。
「さぁ私を楽しませておくれ。はははっ!」
 ヤマメは期待に胸躍らせながら更に上空へと飛び上がった。





 博麗霊夢は打ちのめされていた。感染による自傷への誘惑は、巫女でさえもその手を緩めない。霊夢は左手の小指と薬指を噛み千切って必死で耐えていた。
 霊夢は何処へとも行く当てもなしに、人里を飛んでいた。そして――霊夢は見た。超高層ビルと見紛う程の、雄大で、巨大で、醜怪な生き物の姿を。
「なによ、あれ……」
 霊夢は思わず立ち止まってしまった。絶対に勝てない相手との対峙に感じる、絶望的な感情。霊夢を立ち止まらせてたのは、博麗の巫女としてのわずかで卑小な誇りだけだった。本当なら息を吸う間も無くここから退散したかった。それほどこの醜く圧倒的な存在は、常軌を逸していたのである。

 急な寒気が全身を襲い、しきりに身震いする。霊夢は今やただの人間と大差なかった。手首を切り落として喉を裂き、内臓を抉って早く楽になりたい衝動にかられてしまう。
「うわ、うわっぁぁ、怖い、もう、終わり……、終わりよ……」 
 そんな霊夢を正気に戻らせる声が聞こえた。
「おお! 素晴らしいっ! なんという姿だ! マウスとは比べ物にならん!」
 ふらりと声がした方向を見る。あれは――確か、地底へ異変を解決に向かった時に、すぐ入り口で出会った土蜘蛛の妖怪だった。
「あ、あなた……、ちょっと」
 霊夢は声をかけるが、あの巨大な生き物に夢中になっているのか中々気づかない。たまらず霊夢は大声を出して呼びつけていた。
「おおっと、申し訳ない、いや、あの素晴らしい姿に見入っていたものでね。……おや、君は博麗の巫女ではないか。私を覚えているかい? 有給の時に地底のごく浅い所で遊んだだろう? お忘れならしかたない、私は黒谷ヤマメと言う。今後お見知りおきを……と言っても、もう暢気におしゃべりしてる時間はないがね」
 霊夢は思い出していた。この黒谷ヤマメと名乗った妖怪との遭遇を。弾幕で適当に威嚇しただけで、問題なく通りすぎていたのだが。それが何故今地上に出てきているのだろうか。そしてこの意味不明の生き物。二つ符号が合わさって出来上がる結論はただ一つ。
「まさか、あなたが――?」
「ふふっ、ご名答だよ。残念だったね。あの地獄烏にばかり気にとられていて。もっとよく調べていれば我々の研究も表に出ていたかもしれないのに」
 ヤマメは不敵な笑みを浮かべて言った。
「何故、なんで地上を、許せないわ……」
「君達人間には永遠にわからない事なのだよ、博麗の巫女よ。地底に虐げられてきた妖怪の恨みは心底根深い。そして私は地上人への復讐の手助けと――尊大なる自己実現を満たすために、地上に細菌を蔓延させたのさ。予想できない手違いはあった。あの馬鹿なペットが地上に出てしまったからね。しかし、そんな事はもうどうでもいいんだよ。見たまえ! あの美麗で豊穣な生命体の存在を! あれこそが幻想郷を統べるにふさわしい……、そう、神そのものさ! ははははっ!」
「あの、出来損ないの化け物が……、神、ですって? 冗談も休み休み言いなさいよぉ!」
 霊夢は怒りで感情を高ぶらせて言った。
「人間にはわかるまい、ははは……。人間にはわからないのだ、私の苦労を。何十万匹ものマウスの実験の集大成がこれなのだ。あのマウス二十匹が入った一ケース、これが今の幻想郷なのだ。君達人間はただの運命を操られたケースの中のマウスに過ぎないのだよ……」
「……馬鹿ね! 人間と薄汚いネズミを一緒にするんじゃないわよ! わかるもんですか! この妖怪がぁ! 直ぐに叩き潰して……」
 霊夢は頭に血が上って、ヤマメに一撃を入れようとして近づいたが、桃色の建造物に近づく一つの人影を認めて立ち止まった。あの緑の髪の毛と巫女装束は守矢の東風谷早苗だった。
「おっと見たまえ、神の裁きをこんな近くで見物できるのは、運が相当よくなければできない」
 早苗の方を見ると化け物に一直線に突っ込んでいくのがわかった。 
「妖怪退散ーーー!! うりゃぁぁあああっ!」
 早苗は勢いよく叫んで突撃したが、桃色の肉体がくぱぁと開き、全くダメージを与える事なく体内に吸い込まれていった。
「ああああーー! でっでも私は奇跡の巫女……。奇跡の……あひゃうああぁ、おきえひてえきもふええれぇぇ……」

 ヤマメは巨大な化け物が早苗飲み込んで、蠢きながら吸収するのを、愉悦の表情で見つめて、パチパチと拍手喝采した。
「素晴らしい、実に素晴らしい! 卓越した再生能力と吸収性能。やはり全てを超越した神にふさわしい存在だ!」
「……何よ、あんたなんかの好きに誰が……」
 霊夢はわずかな光明をこのやりとりの中で思索していた。このヤマメの落ち着きよう、この凶悪な感染症に対して何か解毒手段を持っていると。そうでなければこの腐りきった地上にのこのこと出てこないからだ。
「――残念ながら、私も既に感染しているのだよ。博麗の巫女よ。だから病気の解毒はもうできない。マザーの出現で細菌は突然変異で強力な感染力を有してしまった」
 ヤマメが霊夢の心を見透かしたように言った。
「そっ、そんなの信じられるわけ……」
「嘘だと思うかい? ところがほっぺをつねっても痛くない。だからと言って夢オチってわけでもないんだ。私は確実に感染している。見ろっ! ほら痛くない痛くない――――あはははっははは――――」
 ヤマメは自らの左腕を躊躇いなく引きちぎっていた。濁ったどす黒い血が傷口から噴き上がる。
「何をきょとんと見ているんだい? 君は私が狂ったと思っているだろうがそうではない。私は正気さ。こんな快感で私を支配する事はできないからね。これで人間も妖怪も助かる術は無いって理解したかい? ははは、そう、人間は救えない……、しかしだ、私は一度神にもなってみたくてね……、そう神なんだよ、あのマザーさえも思い通りに動かす、神々の頂きに上りたかったんだよ!」
「わけがわからないわ……」
 霊夢は左腕を失っても余裕で演説を続けるヤマメに、理解しがたい恐怖を覚えてしまった。自分から神と名乗る奴はろくな奴がいない。
 ヤマメがマザーと言った生き物が、いつの間にかこちらに向かっていた。見れば見るほど気持ち悪い。何万という触手と樹齢何千年かと思われるような気味悪く変形した胴体。
「おお! ふふっ、これは面白い、もしや――マザーは……。ははは、愉快だ、実に愉快だ! ははははっはっははっ!!」
 ヤマメは高らかに笑う。それに合わせるようにして、幻想郷の地盤がぐらりと揺らぐ感触。突然、極大の火柱が、地底から沸き起こり、高々と燃え盛った。続いて地の底を蹴飛ばしたような強い地震が起こり、地面の裂け目からマグマがどろどろと溢れ出してきた。
「おおう、どうやらどこかの馬鹿烏が地獄の釜を開けたようだね。残念だ、非常に残念だが、幻想郷が耐えられる事を望もう! さて、私には重大な使命がある。私のシミュレート結果によれば……、成算は五分以下、しかし、私やらなければならない、それこそが私の真実だからだ! さようなら博麗の巫女よ。はははっはははは――――」
 大きく膨らんだ太ももの部分の服の中から、ヤマメは高価で固そうなカバンを出していた。笑いながらおもむろに注射器を取り出して、あろうことか自分の頭部へ耳の後ろから注射したのだ。ぐりぐり注射針を押し込み、中の液体を注入していく。ヤマメは最後まで笑いながら地上へと急降下して、そのまま地面へと激突した。




 一人取り残された霊夢は前後不覚、挙動不審に陥っていた。ヤマメの言ってる事が少しも理解できなかった。いやそれより、化け物が霊夢の目の前に迫ってきていた。ヌメヌメと潤滑液を撒き散らして、触手が霊夢の腕と足を取る。体を動かそうとしても、触手の一つ――鈴仙の顔の赤い瞳が霊夢を夢心地へと誘った。何故鈴仙の顔がここにあるのかは霊夢には到底想像もつかなかった。

「ヤットミツケタ……」
 触手が霊夢の口から胃へと下りていく。霊夢はそれを受け入れるしかなかった。指の傷も触手で柔らかく愛撫されて快感を植えつけられていく。
「ウフフ……」
 胃まで到達した触手から細菌たっぷりのジュースを注がれる。胃の粘膜から直接感染侵食される甘い感触に蝕まれていく。
「あぶっ、あぶう……」
 霊夢は溺れそうになりながらも水分を吸収していく。
「ジブンデシボッテ……?」
 鈴仙から触手を両手に握らされる。霊夢はなんとも無しにそれを握ってみた。そうすると胃がジュースで満たされていくのがわかるのだ。
「……あぁぁ……おいしぃ……」
 霊夢は母親の乳房を吸う赤子のように触手を、盲目的に絞ってしまうのだった。全身も触手の海に包まれ、白いジュース漬けにされる。粘膜と皮膚で同時に吸収を促進させられ、霊夢は魔の母乳で心と身体を支配されていく。泥濘のような快感に包まれて、霊夢の中で何かが目覚めつつあった。
「オイシイ? モットノンデ……」
「うあ、うぁあぶ……」
「……ダメ、ハキダシチャ……」
 霊夢が苦しくなって吐き出すと、触手から粘度を増したジュースが染み出てきた。触手の先は鋭敏に先細り、穴という穴を犯し、血管の隅々、更には毛細血管至るまで、細菌の海に満ちた蕩けるジュースを送りこんでいく。
「オイデオイデ……、モウチョットヨ……」
 度重なる淫液により霊夢の身体は、ふやけたぶよぶよの皮膚に変質していく。骨も内臓も脳もジュースに冒されてしまい、霊夢の生命持機能は停止寸前になった。霊夢の意識が途切れかける。ああ、これで死ぬのかなと霊夢は覚悟を決めた。
「ソッチイッチャダメ、コッチコッチ……」
 鈴仙の声が霊夢を死の淵から救い上げる。
(何よ、私はこのまま死ぬのよ)
「オイデオイデオイデオイデオイデオイデオイデオイデ――――」
 乖離寸前の霊夢の魂を封じ込められる。肉体と細菌は融合し、変容、進化し、新たな生命体の外形を構築していく。
(あ……何だろう。私から何かが生まれる。何かが、熱い、気持ちいい、気持ちいい気持ちいいキモチイイキモチイイ……)
「アハアハ、ツイニデキタ、ナカマ。ステキナナカマ」
 霊夢のぶよぶよの肉体は桃色のスライムへと進化し、一気に細胞が増殖し、鈴仙と同質の形態へと変化していった。イソギンチャクの弾力性のある肉体。そこから伸びる数十本の触手。鈴仙と同じく触手の一つに、霊夢の邪気の無い顔が付随していた。まるで生まれたての赤子のようにキョロキョロと周りを見回す。
「アアー、オナカスイタ……」
 霊夢だったものは、人間とも妖怪とも思えない声でねだった。
 鈴仙は霊夢を素質ありとして選んだ。二人は両性具有である故、同族同士でまぐわり合い、仲間を増やす事ができるのである。もちろん、幻想郷が崩壊せずに存続していればの話だが。
「ウフフ、ワタシノカワイイカワイイ……」
 鈴仙は霊夢の口へ触手を入れる。
「ンンー、ママァ、オイシイ」
 地面が崩れ、溶岩の待つ裂け目へと落ちていく。二人は終わりゆく世界で、ひっしりと母子のように抱き合った。








 荒れ狂う火柱が巻き起こり、灼熱の暴風が肌を焦がす。地は裂け雷鳴が轟き、幻想郷は崩壊の一途を辿っていた。
「な、なななななな、何が起こったんでしょう。私には、私には――」
 射命丸文は早苗があの桃色の化物に食べられ、霊夢も同じく取り込まれてしまった現場を見ていた。文は無心にカメラのシャッターを切ったが、霊夢の死体が鈴仙の触手の中で、奇妙な桃色の生物に変化したのを見て、激しく動転してしまった。
 文は怖くなって必死に逃げた。全速力でわけもわからずに逃げ続けた。
「はぁーっ、はぁ、はぁ、おおおおお落ち着いて考えてみましょう。そうです、落ち着くのです。妖怪の山に戻ってこの事実を誰かに伝えて……。ああ、何も心配はいりません。この地震もすぐに止んで溶岩もすぐ冷えて固まりますよ。へっ、へっ、へっ。はぁ、何だか心配しすぎちゃいました。……妖怪の山が中々見えませんねぇ。もうこの辺りのはずなのですが……」
 文は妖怪の山があった場所を何度も行き来した。しかしどこまで行っても山がなかった。
「おかしいですよおかしいですよ。いくら地割れがあったとしても、あんな大きな山が消えるわけがないじゃないですか!」
 不安をかき消したい一心で爪を噛む。
「何故ですか? 天狗の里も守矢神社もありません。……おかしいですよ。えへへ、おかしいです、おかしいです、指おいしいです。指うまいうまい。あれ? 私? それより山です。やま、やまやまやまやま。そもそも私の目は信じられるのでしょうか。私は妖怪の山を知っているのでしょうか。目玉、頭、脳、おかしいですおかしいです。指うまいです。目ん玉ほじくって私がこらしめてあげます。あひっ、ああああっ! ほーら、簡単に取れました。これで万事解決です。目玉うまぁ、見えません、山は見えません、おかしいです。頭がおかしいです。のーみそこねくりたいです。目玉の穴から取れますかね? 取れなくてもやります。あが、んがが、気持ちいいです。入りますはいります。ああ、ひもが見えます何のひもでしょう、ひっぱりたいです、ひっぱり、ぷちんって気持ちよく、いきます、いきますよーえぃいっい!!」









 空中から地上へ叩きつけられた黒谷ヤマメは、全身の骨が折れ、折れた骨が内臓を傷つけ、生き絶え絶えになり死を待つのみだった。彼女は細菌を支配したかった。そのために勝ち目の薄い賭けでも厭わない覚悟があった。荒唐無稽なる行動は時に奇跡を起こす。それが正しいかどうかの善悪は別にしても。

 全身の組織が破滅したはずのヤマメはむくりと起き上がっていた。コイシウイルスの驚異的な再生能力により、奇跡的に復活していたのだ。ヤマメが行った賭けはただ一つ。自らの脳に細菌を注入しその細菌の支配者となる事。その方法は微細なる論理性は存在していた。まず元々の変異コイシウイルスよりほんの少しだけ分子構造が大きいウイルスを作る。何故そんな事をするのか? それはウイルス同士に階級を作る事。構造が大きいウイルスを他のウイルスは偉く、権威が高いと思い込む。これは細菌ピラミッドの概念と名づけられている。そしてその概念をヤマメの脳内で構築する。これが成功すれば細菌の支配は思うがままとなる。問題はヤマメの脳がそれに耐えられるかだけであったが、その心配は杞憂に終わり、今ここに超細菌学の真髄を体現した支配者が誕生したのである。

「うん? 私は生きている。成功だ! 実験は成功だ! やった、やったぞ!」
 ヤマメは全身で喜びを感じとった。
「あはは、見よ、全ての生命は私の為すがままだ! 私は神に……、ん?」
 横目で溶岩の海で再生しながら溶けている二匹のマザーを見た。
「いくら支配者になったと言えど……、突然変異の個体の創造に関与できるのだろうか……? いや、私ならできる! 必ずやってみせる! ああ、何故だ! 何故この幻想郷は滅んでしまうのだ。私が支配者になったのは無駄だったのだろうか――いや、こうして蘇って、尊いマザーの御姿を見れたのだから! そうだ! 私は間違っていなかった! 素晴らしい、素晴らしいのだ……」

 ヤマメが一人悦に浸っていると、空間が歪み、捻じ曲がり、次元の隙間が大口を開けた、幻想郷の神出鬼没の妖怪、八雲紫が顔を覗かせていたのだ。
「私がうたた寝をしている間よくもやってくれたわね。私には全てがわかっているのよ……。……死になさい、有無を言わさず死になさい」
「……全てが? ははは、どうやらご老体は寝過ごし過ぎてボケているらしい。全てはここにあるのだよ。死ぬのはあなたの方だ」
 ヤマメは自分の頭を指差す。紫は返事も返さずスキマの能力を使おうとした。数秒後にバラバラのヤマメがゴミクズになっているはずだった。だがしかし――スキマの攻撃を受けたのは紫自身だった。
「痛い痛い痛いーー! 痛い、気持ちい、痛い痛い、気持ち、気持ち痛い、な、な、な、なんで、なんでよぉおおおおおお!!」
「さすがのスキマ妖怪も自分の能力は防げないようだな。もう君は感染しているんだよ。だから君の全感覚は私の思うがままさ。神経系統全てを支配する事は、他人の行動原理を全て支配する事と同義。つまり君はもう私の完全なる操り人形なのさ! さぁ死にたまえ! 堂々と雄弁に死にたまえ!」
 硝子を何百枚も一度に割ったような、破滅的な金切り声が幻想郷中に響き渡った。断末魔の叫び声をあげて、八雲紫はスキマで空中分子分解して死んだ。

 幻想郷の地上は火の海と化していた。マザーもどこかへ流されて見る影もない。ヤマメは孤高の寂寥感を感じた。滅び行く世界の王、なんとむなしい事だろうか。必死で自分が追い求めて来たものとは何だったのだろうか。熱いマグマを見下ろしながら、ヤマメは感傷に打ち浸った。
「……唯一の誤算は幻想郷が狭すぎた……、余りにも……。おや?」
 服についた肉片を見る。これには八雲紫の細胞が詰まってる。これを使えば――。ヤマメの頭の中で電球がパッと光った。そうだ、マザーは生命体を吸収し巨大化していた。それならば、支配者である自分も吸収し、このスキマの力を少しでも使えれば。少しでも、ほんの少しだけでいいのだ。
 ヤマメはその薄い可能性に賭けた。紫の細胞を脳へと移植する。融合同化作用により、紫の固有遺伝情報が伝わってくる。予想通りスキマの能力は一筋縄ではいかない。カラカラと頭の中でサイコロが何百万回も転がされる。永遠と同値に定義される試行回数。そして訪れる偶然の一致、ヤマメはついに小さなスキマを開いていた。
「私は運がいい。それならば従おうではないか! この先は天国かそれとも地獄か、それとも――――」
 勇気を持ってヤマメはスキマへと頭から飛び込んだ。
 
 









「例えば……、合わせて百万人の人間と妖怪が住む幻想的な世界――そう、幻想郷とでも呼ぼうか。ここにもし未知の感染症が蔓延してしまったと仮定しよう。罹患者はネズミ算式に一日に五人ずつ増える。さて、幻想郷の全てに感染がいきわたるのには何日かかるだろうか? ほーら早い者勝ちだぞ。はい! そこの君どうぞ! ほう、九日目には全て感染してしまうって? はい、残念! そんな簡単なひねりもない問題あるわけないだろう? 現実に照らし合わせてみればわかる。君らの体で風邪菌が繁殖して、風邪薬を飲んでも全部殺しきるわけではない。必ず耐性の強い固体は残る。この問題をもう一度よく読んでみたまえ。人間と妖怪とあるね。おおそうか、君達は妖怪を知らないんだね、これは失敬。人間の中に耐性のある固体はまずいないが、妖怪には必ず一人は耐性の高い者が必ず存在する。そして残った固体が世界の王となるんだ。これが幻想郷の真の姿なんだよ。……おっと話が明後日へ行ってしまったね。とにかく、永遠に感染する事は無いってのが正解さ。何? 屁理屈だって? いやいや、君達は妖怪の素晴らしさを知らないのだ。一から説明しよう、妖怪とは…………」



「ふーん、ふんふんふん、ただいまー」
 毎日の講義を終えたヤマメは、陽気に鼻歌を歌いながら自分のマンションへと帰る。
「今日もやり終えたよ。私の帰りを待ちくたびれちゃったかい?」
 居間にどっかりと腰を下ろす。相手の姿も返事もない。
「人間は素直なんだが……、どうも、大体ここの人間は主体性が無いね。幻想郷の方がもっと我が強かった。それに、楽しかった」
 卓袱台の上の煌くケースに向かってヤマメは熱心に話しかけている。 
「……ま、それもしかたの無いかもしれない。なにせ天敵がいないんだからね。大多数は流されるだけで幸せなのだろう」
 ヤマメはスキマを通って、この人間が生物の頂点となる世界へ空間移動していた。スキマの能力は、やはりヤマメの体には適応しなかったのか、二度と使用は出来なかった。ヤマメはこの世界に骨を埋める事を決めた。完全に人間の容姿へと擬態し、問題なく人間の社会へとすんなりと溶け込んでいった。
「君は、もう一度、マザーになりたいかい?」
 真空ケースの中の、幻想郷を破滅へと導いたコイシウイルスへと問いかける。
「ふーん、君はおませさんだからね。もっと正直になっていいんだよ。……とは言っても私はこの世界が結構気に入ってしまったよ。何せ、私は神に最も近い存在だからね。一度君を解放してしまえば、この世界はたちまち災厄の渦に巻き込まれる。その権利を私だけが持っているんだよ。どうだい、素晴らしいだろう?」
 ヤマメは思った。この世界のキャパシティは幻想郷の数千倍以上、マザーが二体以上の出現確率はかなり高そうだ。
「うん? 何々? あなたの好きにしてと? 君は可愛い子だね、そうかい、私もこの世界をまだまだ楽しみたいと思っていたんだよ。ははっ、ははははっ……」
 そう、いつでも出来る。ヤマメはこの世界の命運を、自分が握っていると言う事実だけで満足だった。脳裏に浮かんだマザーの母子の姿を思い出して、含み笑いし、ヤマメはそっとケースの蓋を閉じた。
 
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