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小箱の小話
東方二次小説が多目。 エログロ、ホラーミステリ洗脳色仕掛け等。
一を聞いて百を知る古明地さとり
「はぁ……」
 さとり様がテーブルで物憂げにため息をついていた。右斜め下45度に下ろす視線も顔の傾け方も人の気を惹くような表情も実に手馴れたものであった。
 私は地霊殿で崇高で偉大なる古明地さとりのペットとして、長らく掃除業その他もろもろの業務を務めている。本名は火焔猫燐。さとり様がお燐と言ったのでお燐と呼ばれている。
 一を聞いて十を知るという言葉がある。しかしこの地霊殿ではこれでは足らないのである。さとり様の思惑を解するには一を聞いて百を知る、いやそれ以上の深い深い思慮と気概が必要なのである。
 初めに断っておくと、さとり様は覚妖怪という他人の心が読めるという素晴らしい能力を有する種族である。だがいくら心が読めても伝わらないものは伝わらない。私は覚ではないからさとり様の心は読めない。さとり様はそこらの凡庸なペット達とは違って、はるか遠くにそびえる大山の高みに存在するのだ。
「はぁ」
 またため息をつかれた。今度は間延びしない湿り気の薄い、ちょいと切れ味のあるため息である。そしてちらっとこちらを横目で見つめてくる。
「何ですかさとり様?」
 私掃除の手を止めて、たまりかねて声をかけた。
「あらなぁにお燐? 私何も言ってないわよ」
「いえ言ってましたよ。構って欲しそうにため息ついてました」
「うふふ。ため息自体に意味はないわよ」
「さとり様にとって意味はなくても、私には意味はあるんですよ。せっせと部屋の掃除をしている時に横ではぁはぁされたら気が散ります」
 このやりとりは何百回繰り替えされたかわからない。実に恒例の行事である。そして次に放たれる言葉も九割九分予想がつくものである。
「私のため息が、どうして? お燐? 息を吐く。それだけのことじゃない」
「いやだからですね。私の掃除の効率が」
「気にしなければいいじゃない。私を気にしないように。主人でもたまには無視していいのよ? ふふ」
「いえそれは……」
 大体このようなことを言われていつもはぐらかされる。さとり様の存在を無視することなど、私には無理とわかっていてこのような仕打ちをする。さとり様はこうやって他人の心を弄ぶのが好きなのだ。それが意識的か無意識なのかは予測がつかない。どちらにしろ私にはさとり様の心の内を知る術はないが。
「で、結局何なんですか?」
「え? 私本当に用がないのよ。ぼーっとしてたらつい口が緩んで、はぁと言葉が出ちゃっただけ。それともお燐? あなたの方が、私に構って欲しそうに見えるんだけど、ねぇお燐。そんなにそわそわして」
「いえいえ。断じてそんなことは。私真面目に掃除中でしたから」
「そぉお? ふぅん、本当に?」
「あ……」
 私は何も言えなくなってしまった。さとり様の目が糸のように細くなって私を見つめていたからだ。蛇に睨まれた蛙、私は猫だからさとり様は虎だろうか。脳の裏側をいじられるような感覚が私を襲う。この感覚は初めは嫌いだった。しかしいつからか全く気にならなくなった。いつからだろう? 私がさとり様と会ったのも、どうして、さとり様の。
「ふふっ、やっぱり可愛いわねお燐は」
「あ、はぁ……」
 私は情けない声を出してへたりこんでしまった。直後さとり様の視線がすっとそれて、圧倒的なプレッシャーが体からぬけ落ちる。
 そんな私の様子を見て、さとり様はころころと笑っていた。無邪気な少女の至極悪魔的な笑みが目の前に広がる。年齢も背格好も、何もかも超越するようなオーラに私は打ちのめされてしまう。
「それでねお燐」
「……はっ、はい!」
 何とかして声を出した。少しばかり神経を繋ぎ止めるネジが緩んでいた。
「私ちょっと考えごとしてたのよ。まぁほとんどどうでもいいことなんですけどね」
「何ださとり様。やっぱり用があるんじゃないんですか。最初からそう言ってくださいよ。私いつも無駄に肝を冷やすんですからね」
 いつもの優しい声に戻っていた。明らかに部屋の空気が変わる。主従を越えた友達同士のような間柄になる。
「だってお燐が面白いから。ふふ」
「もう……」
 またさとり様は笑った。こうやって地霊殿のペット達はどんどん深い沼地に引きずりこまれていく。奇妙な違和感を理解する前に見えない首輪をかけられる。私もまたその一人だ。誰も逃げようなんて思う者もいない。心の裏側まで読まれてその芽を徹底的に前もって潰されてしまうのだ。
「お燐、衣食住の内でいらないのはどれだと思う?」
「何ですか唐突に」
「いいから考えてみてよ」
「はいはい」
 可愛らしく小首をかしげているさとり様。私の答えを今か今かと待っている。その期待に答えなければいけないと思ってしまう。
「え、えーと……。まずいらないものより必要なものから。まず食はいりますね。生き物は食べていかなければいけませんからね」
「でも幽霊は?」
 その返しは予想していた。すぐに口を開く。
「さとり様も私も幽霊じゃありません。そうですよね?」
「ふふっ、それはそうね。お燐、さすがわかっているわね」
「いえいえ」
 私は少し上機嫌になる。
「それでいらないものは?」
「んー」
 そこで少し考え込む。衣は服。住は家。どちらも必要といえば必要だ。しかしこの二つに優先順位をつけるとしたらどうなるのだろうか。
「早く早くぅ、お燐」
「急かさないでくださいさとり様。ちょっと待ってください」
 甘ったるいような声をそっぽに追いやって必死で考える。服はないと裸だ。家ないと風がびゅーびゅーだ。
 服と家、どちらも自然の外気から身を守っている。しかし家は防護壁以上の役割を果たしている。そこに存在するだけで多種多様の意味が存在する。家は服の代わりにはなるが服は家の代わりにはならない。そうだ、これで間違いない。一番いらないの服だ。
「さとり様結論が出ました」
「そう言ってみて」
「はい。一番いらないのは服でございます」
「うふふ。本当に?」
「ええ本当にございまする」
 私は鼻高々であった。有能な従者として、主人の想定した答えに気づいたからだ。
「じゃあ脱いで」
「は?」
「服を脱いでって言ってるの。いらないんでしょ?」
「いえそのあの」
 目を白黒させて踊る。どうしてこうなるのだろう。しかし主人が裸になれと言っている。私はそうするしかないのだろうか。
「迷っているのお燐? 服なんかいらないわよ。すっきりするわよ脱ぎなさいほら。脱ぎなさい脱ぎなさい脱ぎなさい」
「やめ、やめてくださいさとり様。ペット虐待です」
 私は必死の抵抗を試みた。さとり様の言葉が胸に痛いくらいにつき刺さる。完全に洗脳される前に逃げ出さなければならない。
「ふーんお燐。主人に逆らうってわけね」
「そういうつもりではありませんが」
「じゃどういうつもりなの?」
「いえいえ、まぁまぁ」
 混乱して何を言ったらいいのかわからない。
「……脱いでくれないの?」
 さとり様が唇を震わせておまけに目を潤ませていた。その姿に私は打ちひしがれてしまう。さとり様のために全て脱ぎさってしまいたいと思う。
「いえ、今は仕事中ですから」
「へぇ」
 何とか踏みとどまって耐えてみた。
「でも猫型の時は服を着てないじゃない。その点についてはどう説明するの?」
 そう言われてみると不思議な気分になる。何故私はわざわざ服を着ているのか。人間型イコール服を着るという固定概念にとらわれていたのかもしれない。しかし何年もこうして着衣状態で過ごしてきたのだから、今更変えるのも恥ずかしい。それに友達のお空も服を着ているし人型の妖怪もほとんど服を着ている。
 そうだ、私は何も間違っていない。断じて間違っていないのだ。服を着る。当たり前。
「当たり前ですさとり様。みんな服を着ています。さとり様だって着ているじゃないですか」
「あはは、私はいいのよお燐」
「そうですね。失礼しました」
 そう言ってさとり様は細い腕を組む。
「うーん」
「何ですかさとり様」
「ふふふっ。お燐、決めたわ、私」
「何をですか?」
 妖しく笑うさとり様。
「今日からお燐には服を脱いでもらうわね」
「ああそうですか」
「本気よ私」
「はいはい」
 私は空返事で部屋を出た。さとり様にとってペットを意のままに操ることなど容易い。彼女はいつもその過程を楽しんでいるのだ。今日はたまたま矛先が私に向かっただけである。普段と変わりなく私は通常業務を遂行するだけなのだ。




 
 午前中は実に平和であった。お昼はうどんにしてみた。さとり様は三十秒間隔で、私おうどんってあんま好きじゃないのよね、とか言ってくるが気にしなかった。一本づつちゅるんとわざとらしそうにすすって食べるのも気にしなかった。
「さとり様、それでは」
「うん」
 と声をかけて私はいそいそと立ち上がった。さとり様の胸中が計り知れない。いつどんな手段で私を脱がせにかかるのだろうか。
「はぁ。考えても意味はないし休もう」
 足早に居間へ向かってこたつへと入り横になった。私はこたつで寝るのが好きだった。肩までとぷんとつかり眠りに落ちる。
 北側に位置するこの場所が私の場所だ。こたつというものは大体長方形であり、その敷地は四箇所に区分けされる。そして私はこの位置に眠らなければならない。他の区画ではどうも安眠ができないのだ。なぜかと言われてもそれは言葉一つでは簡単に説明できそうもない。
「ふぅ」
 私は息を吐いて体全体を弛緩させる。この時ばかり私の主人はさとり様ではなく眠りの神様になる。死は誰にとっても平等であると誰かが言ったが、眠りも等しく平等であると私は思う。
 眠る前でも私は仕事のイメージをする。あの部屋をどうやって効率よく掃除しようとか。どんな道具を使ったら新しい掃除方法が思いつくとか。掃除をするのは気持ちいい。掃除は人の心を映す鏡。掃除をしている人は心も外見も美しい。つまり私は美しい。私は蝶になる。掃除をして蝶になる。醜い芋虫からさなぎになって蝶になる……。
 蝶になって私はこの幻想郷に君臨する。そして掃除をする。一生懸命になってこの世のゴミを一掃するのだ。何故なら私は掃除の神様だから。私は選ばれているから……。私は……。
「お燐お燐」
「は……」
 そんな私の夢想を上から見下ろす白い顔が遮断した。
「私もここで寝るわ」
「はぁ」
 さとり様はいつもは自室で休むはずである。今日はどういう風の吹き回しであろうか。しかし特に直接眠りの邪魔をされなければどうということもない。
「ではお休みなさい、さとり様」
「よいしょっと……」
「いえいえいえ」
「ん?」
 急に私の領地が狭くなった。あろうことかさとり様はわざわざ私が寝ている場所へと入り込んで来ていた。
「どうして私がいる場所に入るんですか?」
「駄目なの? お燐?」
「いえ駄目とかいう以前に私が先に入っているんですから」
「へぇ、でも私は地霊殿の主人なんですけどね」
「主人でもこれはゆずれませんよ」
「そうなの。でも私はここがいいのよ」
「わがままですね」
「うふふ……」
「笑われても困ります」
 そう言うとさとり様はパチッと意味ありげにウインクをした。
「お燐。私もここの場所が好きなのよ。一等地だわ。地価が高くてみんな住みたがるのよ。それを一人で独占するなんてよくないわ」
「こたつにいちいち妙な概念を加えられても困ります」
「何も不思議じゃないわ。現にお燐はそこじゃないと居心地が悪いんでしょう。あるのよ、こたつにもちゃんと優劣は存在するのよ」
「は、はぁ」
 私は横になったまま聞き入っていた。
「お燐、遠い世界には風水という概念があるわ。空気の通り道、物の位置、全てが相互密接に関わって運勢を決めているという理よ。地霊殿の気がそこの位置に集中しているの。そこは一番いい場所。ね? わかるでしょ?」
「わかりませんさとり様」
「まぁあなたって物分りが悪いのね」
「いえそれだけじゃなんとも」
「んーじゃあ簡単に言うわね」
「はい」
「猫型になって私と寝たらいいってこと」
「それは最終手段ですよさとり様」
 何を考えているのかと思ったらこれだ。私は今日は無性に反発してみたくなった。いくら主人といえども、絶対に譲れないラインというものを見せ付けたかった。
「なってくれないの?」
「はい」
「そう、じゃ一緒に寝ましょうお燐」
「それはもっと嫌ですけどね」
「いいじゃないの。ぎゅうぎゅうして暖かいわよ」
「いえ窮屈ですから」
「習うより慣れろよ。ほらほら」
「さとり様その言葉はたぶん使い方違います」
 無理やりさとり様が聖地に押し入って来たので、私は仕方なくこたつから抜け出た。確実に心休まる安眠の時間を削られている。
「あら出なくていいのに。まるで私がお燐を追い出したみたいじゃない。うふふ」
「実際追い出されてますけどね」
「あらこの子ったら」
 さとり様がにこやかに笑っている。追放された私は二等地へと強制退去させられる。少々居心地が悪いが邪魔が入ってはしょうがない。
「私もう寝ますね。もうちょっかい出さないでくださいねさとり様」
「はいはい」
 いつになく素直なのは心配だ。
 一分、二分と沈黙の時が過ぎる。しばらくしてとことこと畳を踏みしめる音が耳に響く。一体何をするつもりなのだろうか。実に嫌な予感がする。
「花瓶の位置がちょっと悪いわね……よし!」
 花瓶の位置などどうでもいいから静かにして欲しい。
「風水チェーンジ」
 さとり様が何かを言っている。異次元で不可解な言語であり、私にとってはきっと関係ないことだと信じたい。
「うふふ、お燐」
「うわ」
 また領地を侵略されてしまった。いやいや立ち退いたはずなのにまただ。
「うわはないでしょう。主人に向かって」
「いえいえ。どうしてこっちに入ってくるんですか? 一等地はそこのはずでしょう? それならさとり様はずっとそこにいてくださいよ。いやもう未来永劫にわたって」
 さとり様の眉毛がぴくんと上がる。次にはしたり顔で何かを言うに違いない。
「あのねお燐。今私がそこの花瓶を別の場所に移したのよ。だからこの部屋の流れは変わってしまったの。今はそこが一番いい場所。だから私もそこに寝るの」
「ああそうですか。勝手ですね。でもどうしてここが一番になるんですか? 花瓶の位置変えたらくらいで何が変化するっていうんですか?」
「わからないのお燐。この胸のときめきを」
「わかりません」
「ふふ。見えないものこそ大切なもの――それは愛」
「全く話の筋がつかめませんね」
「んっ、そんなことどうでもいいから……。一緒に寝ましょう……お燐」
「そんな艶っぽい声出しても無駄ですよ。もう出ます」
「ああっ、待って、私をおいていかないで!」
 背中にすがりつくさとり様を振り払って無理やり外に出る。これでは体の休まる暇がない。もう休むのは諦めてどっかりとして頬杖をついて座る。さとり様がちょうど真向かいに位置する。
「へぇ今度はニマス離れたのね。んー難しいわね。ん……あっ、この掛け軸をはずせばきっとそこがよくなるわ。ふふん」
「さとり様。その風水とかいうのは――もしかしてさとり様の自分ルールで出来ているんじゃないでしょうか? 私にはさっぱり意味がわかりませんが」
「いいえ。私にだけ見えるものがあります。ほら、またお燐のいる位置が最上級です」
「はいはい、じゃ私こっちに移動します」
 右回りに一つずれる。
「甘いわねお燐。障子を一枚破るわ」
「それならこっちです」
「ゴミが落ちているわ。拾うわね」
「気が変わりましたのでここです」
「私が移動したからそこね」
「ずるくないですかそれ? 生命体まで関係するんですか」
「生けるものは全て風水。これ真理なり」
「こっちこっち」
「お燐が移動したから私もそっちね」
「あーもうやめてください。うざったいです」
「どこまでも付きまとってやるわよ。うふふ」
 終わりのないいたちごっこが延々と繰り返された。どうしてこうなるのかわからない。しがらみを断ち切ろうと思い、私は命からがらこの部屋を脱出した。
「あら浅知恵が回るのね。でも忘れないで欲しいわ。この地霊殿全体が風水パワーの力に支配されているってことをね……」
「わかりましたから。では掃除してきますね」
 と言って私は一目散に駆け出す。
 風水とはげに恐ろしきものなりけり。




 思うように休めなかったので疲労が溜まっている。うまく体内で処理できなかった不純物が血液を通り、首や肩や腰に黙々と吹きだまる。
 私は忘れようとして一心不乱に掃除をした。窓を拭き床を拭きゴミを出し整理整頓をし。さとり様はいつ攻撃をしかけてくるのだろうか。それがたまらなく不安でならない。
「あーもれるもれる」
 来た。どうやら私の主人は耐え難い尿意を催しているらしい。しかしそのこと自体は特に意味をなさない。
「あーっ、もれちゃうもれちゃう」
 部屋の外でわめいているが、入ってくる様子はない。一体何を考えているのだろう。
「全くさとり様ったら」
 私は無視を決め込んで掃除に没頭した。気にしないでいるとさとり様はどこかへ行ってしまった。
 十分二十分と時が立つ。掃除は手がのってくるととても気持ちのいい瞬間が訪れる。ランナーズハイに似た感覚で、掃除をすることによるおびただしい脳内物質の分泌。このために私は毎日掃除をし続けていると言っても過言ではない。
 わき目も振らずに掃除に全勢力を傾ける。どんなにつらくてもめげない。ただ一つ、最終段階の完成された整然とした部屋の美しさを思い浮かべて手を動かす。時間があっという間に過ぎ去る。はっと額の汗をぬぐえばあら不思議。ぴかぴかと光輝く神聖な空間が私を待っている。
 私はこの時掃除神様に感謝する。私に掃除の能をお与えくださった神様に。しかし神は二物を与えない。地底、陰鬱、地霊殿、怨霊、さとり様。どうして私は火焔猫燐でさとり様のペットなのだろう。ただ私は知っている。掃除道を究めたその先に更なる高みに登る山がそびえたっていることに。
「あーもれるもれるもれる」
 そんな私の妄想打ち消すように主人の切迫した声が聞こえた。
「何ですかもう」
 掃除が一区切りついたので私は部屋の外へ出てみた。
「もれる、もれるわお燐」
 涙目のさとり様が足をもじもじさせながら唇をかんでいる。この姿には主人といえど滑稽と言わずにはいられない。
「さっきも言ってましたよ。頻尿ですかさとり様。ジュースばっか飲んでいるからいけないんですよ」
「違うのよお燐。ああ」
「何がですか」
 脂汗をたらしてがくがくと震えている。一体何を狙っているのだろうか。
「おトイレ行こうと思ったら何かに夢中になって、気がついたら限界ってことあるじゃない?」
「まぁありますね。私も掃除によく夢中になりますから」
「だからねっ、私ずっと我慢してたのよさっきから」
「はぁ」
 顔が赤く紅潮している。ずっととはいつからなのだろうか。二十分ぐらい前もかなり限界だったような気がするが。さとり様は一体何を伝えようとしているのだろう。
「私我慢してたのよ。あなたのために」
「はい」
「あなたの時間に合わせてあげたのよ。私が」
「はい」
「わからないの?」
「いえ全然」
「ああんもう! もれるぅー」
 このままでは由々しき事態が起こりそうであった。しかし私には主人の意図がつかめないのである。頭を抱えて困り果てる。さとり様は一体何を。
「……本当にわからないの」
「ええ全く全然」
「私の口から言わせる気なのね。卑怯者」
「どうぞどうぞ」
「んっ……」
 さとり様は一つ息を吸う。
「お燐と一緒におトイレ行きたいのよ。この気持ちわかるでしょ?」
「ははぁ。じゃ行きましょうか。地霊殿当主が失禁はまずいですから」
「ああやっとわかってくれたのねお燐」
「はいさとり様」
 私は抱きかかえるようにして連れて行く。迅速に自分に課せられた業務を的確に遂行する。
「ああ……ついたのね」
「じゃ、ごゆっくり」
「ああ待って。これが永遠の別れになるわよお燐」
「それは結構なことですね。私とってもさとり様にとっても」
 ドアを閉める。まだ何かを言っていたが気にしない。さとり様の意図すること、それはさとり様自身である。解釈すること覚でなければかなわない。唯一の近親であるこいし様も読心能力を捨てて自由気ままに生きる無意識になった。血をわけた姉妹であってもなし得ないこと。さとり様への距離は須弥山のごとく遠いのである。
「ふぅ」
 程なくしてさとり様が晴れやかな顔で出てきた。どうやら最悪の事態は回避したようである。
「ふふ。お燐がここまで強情だとは思わなかったわ。怖いわ、お燐が、あまりにも」
「お褒めの言葉ありがとうございます」
「精進しなさいよ」
「はい」
「あ、今日の夕食は私が作るわ」
「はぁ何をですか?」
「スパゲッティ」
「じゃあ頑張ってくださいね」
 鼻歌を歌いながら立ち去るさとり様。唐突に何を言い出すのだろう。何か嫌な予感がみしみしと音を立てて迫ってくる。運命――それは回避不能のとてつもなく強大な魔物である。




 地霊殿の広い食卓にぞくぞくとペット達が集まってきている。私はその中に一番の友人であるお空の姿を認めた。大柄の体格に黒光りする羽が遠くからでも印象的である。今日もお腹をすかせてぺこぺこなのだろう。
「お空、さとり様の手伝いした?」
 私はそう聞いてみた。
「ううん。私も今来たとこ」
「そう……」
 不安になりながらも私は席についた。鬼が出るか蛇が出るか。どちらにしろ生命への危険は非常に高い。
「あーらもうできているわよ。お燐。ふふふ。愛情たっぷりのスパゲッティミートソース。ご賞味あれー」
 さとり様が黄色い声で話しかけてくる。
「ちゃんと出来ましたかさとり様?」
「ふふっ」
「出来なかったんですね?」
「笑っただけでどうしてそう思うのよ。出来たわよちゃんと。ほらこの通り」
 こんもりと皿に分けられたほくほくのスパゲッティ。その上には美味しそうなミートソースがどろりとかけられている。うむ。見た目だけならばとても美味しそうである。あくまで見た目の印象ではだ。
 ともあれスパゲッティは鍋で麺を煮るだけの簡単な作業だ。ミートソースも袋を温めればいいだけだ。特に間違いが入る可能性は少ない。心配なのは茹で時間であるが、いくらさとり様でも致命的なオーバータイムを喫するとは思えない。多少固くても茹ですぎてもミートソースを絡めればそこそこ食べられるレベルにはなると思う。
 そうだ。さとり様を信じよう。我らのさとり様。地霊殿当主の古明地さとりの大盤振舞いなのだ。私達愚直なペットはそれをありがたく頂戴すればいい。
「わぁ美味しそう。もう待ちきれない。いただきまーす」
「お空。たーんとおあがり」
 まずはお空が先陣を切った。
「美味しい! さとり様。歯ごたえがあって」
「ええそうでしょうそうでしょう」
 お空は美味しいと言ったがこれは全くもって信用ならない。彼女は口に入れるもの全て肯定する。そしてすぐ忘れる。
「これがアルデンテ。内に一本芯の残る理想の食感」
「わーいアルデンテアルデンテ!」
 他のペット達も次々に麺を口に運ぶ。どうやら毒は入ってないようだ。
「お空お空。本当に美味しいの?」
 私は念には念を入れて聞いてみた。
「うん美味しいよ!」
「そう……」
 友人の言葉が胸に響く。何を私は迷っているのだろう。胸に何かが引っかかったような感触が取れない。これでは従者失格である。
「どうしたのお燐。あなただけ食べてないわよ。食欲でもないの?」
 さとり様が声をかけてくる。
「いえ食べます。いつも私達のためにありがとうございます」
「あらこちらこそ」
 フォークを使い麺を絡め取る。適当に混ぜ合わせて口に運ぶ。
「んむ」
「どうお燐?」
 私は重大な事実に気づいた。いや、さとり様なら普通にありえる事象であった。
「さとり様……」
「なぁにお燐」
 熱い視線で見つめてくる。まるで恋の告白を今か今かと待っている乙女のようだ。
「一度も鍋の中かき回しませんでしたね」
「ええ」
「それにたくさん入れ過ぎましたね。小さい鍋使ったでしょう? こんなにペットがいるのに」
「ええ。探しても見つからなかったから」
 やっぱりだ。ミートソースに隠れて見えなかったが、麺同士がねばっとくっついてごった煮の状態になっていた。一体どれだけの量を一度に茹でたのだろう。ほとんど火の通っていない箇所もかなり存在する。これはスパゲッティではない。スパゲッティを模倣した別の何かである。
 とても食べられるものではない。不味い。
「でも、それがどうかしたの……?」
「あ……」
 私ははっとしてしまった。ここで私がさとり様に不平不満叱責をぶちまけることは簡単だ。しかしそれでいいのだろうか。お空を初めペット達は喜んでこの物体を口に入れている。さとり様の料理で満足しているのだ。
「美味しい! さとり様! おかわりー」
 お空の本当に幸せそうな顔を見た。やはり私も地霊殿の一員だったと今になって思う。細かいことを気にしてばかりいて本当に私は愚かだと思う。
「いえ。最高の出来でした。ありがとうございましたさとり様」
「まぁ……。私も嬉しいわお燐」
 涙を流すさとり様を見て、感極まって行為を開始する。私も妖怪だ。このぐらい噛み千切るのはわけない。ごりごり、ごりごりごり。ああ何て複雑妙味なのだろう。甘酸っぱいトマトと鉄骨のような無機質な食感が優雅にハーモニーを奏でている。私は本当に幸せだ。
 



 一日が終わろうとしている。だがまだ毎日の恒例行事であるさとり様のペット達への頭なでなでの会は終わっていない。さとり様はこれを毎日かかさずやっている。
 この頭を撫でられるという行為は非常に心が安らぐのである。どんなに酷い仕打ちを受けようともこの愛撫により無に返されてしまう。
 私は一度これを拒否してみたことがあった。さとり様はそれをあらあらという風に笑って見ていた。結果、一日と持たなかった。心にぽっかりと穴が空いた状態になり、どんなに頑張っても平静を保っていられないのだ。結局は私は次の日の夜さとり様の足元で泣いて許しを乞うたのだった。
 さとり様の手のひら。それは神の御手。私に安らぎと愉悦と幸福を与えてくれる。
 さとり様。地底を代表する我らの英雄。
「いらっしゃいお燐」
「はい」
 私は陶酔した顔で見上げる。
「今日もお疲れ様」
「は……い……」
 頭に小さな手が乗せられる。私の頭がさとり様でいっぱいになる。甘くてくすぐったい刺激が私の脳内を縦横無尽に満たしていく。その時間は一瞬だったとしても、私とってはかげがえのないひとときなのである。
「ふふふ……」
 さとり様が私を見て笑っている。その事実も私の心を打ちのめす。頬の筋肉が緩み目尻が垂れ下がるのが自分でもわかる。全身がぐにゃぐにゃと弛緩して骨が存在しないように蕩ける。
 この時が永遠に続けばいいのに、恍惚の空間は突然終わりを告げる。
 忘我の状態からふっと立ち直る。さとり様はいつものように優しく笑っている。
「あの、さとり様」
「なぁに?」
 ああさとり様。さとり様は私の心が読めるはずなのにいつもこうして口に出させるのだ。卑怯なのださとり様は。でもその悪戯っぽい邪な思惑も、私の心を揺さぶる一種のスパイスにしかならない。
「今日のこと、怒っているんですか?」
「なぜ? 私が? 何のために?」
「あ、いえ」
 そうだった。そんなことは古明地さとりの前では無意味である。それよりも私はもっとさとり様のそばにいたい。
「これからもよろしくね。お燐」
「はい!」
 私は幻想郷一掃除が得意な妖怪猫――火焔猫燐である。
 さとり様に仕えてることを本当に誇りに思う。 
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