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小箱の小話
東方二次小説が多目。 エログロ、ホラーミステリ洗脳色仕掛け等。
ハートゲーム
 辺りには荒涼とした大地が広がっていた。幻想郷でも人っ子一人寄り付かないような僻地にその泰然とした建造物は建てられていた。真っ白い大理石のような円盤型のドーム。幻想郷の最新の技術を集結したであろう立派な置物が、悠然と砂漠に鎮座していたのだった。

 事の起こりはこうである。
 博麗霊夢は八雲紫からの突然の手紙を受け取り、その内容は次のようなものだった。



 ○月×日、幻想郷特設ホールにおいて、楽しい楽しいわくわくドキドキの一大ゲームイベントを開催しちゃいます。勝者には素敵なご褒美があるから、絶対来てね! 来てくれないと泣いちゃうんだからね!

                                 あなたの大切な紫より





 陽気な昼下がりの幻想郷、博麗神社の郵便受けと互換性のある入れ物に、その手紙は無造作に詰め込まれていた。
「何よこれ?」
 思いがけない手紙に博麗霊夢は思わず声をあげた。手紙には無駄に手の込んだ招待状が、開催場所の地図と共に同封されていた。ゲームイベントと聞いて、霊夢はあからさまに怪しいと思った。はっちゃけた文面と言い紫の思慮が全くつかめなかったのだ。今までに紫に呼ばれてろくな目にあったことがないのである。しかし素敵なご褒美がどうしても霊夢には気になってしまった。あの貧乏性でケチの紫が賞品を出すというのだ。何そんな危険な目にはあうまいと、霊夢は軽い気持ちでこの招待を受けたが、その推測は大きな大きな間違いだったと後に知ることになる。







 白いドームの中は閉塞感と言うものは存在していなく、白塗りの無機質な外壁が、ただただ置物のようにと並べられていた。小ホールのような広い空間に、見るからに甘そうなお菓子と軽食が所狭しと置かれている。
「よう霊夢。お前も紫に招待されて来たのか?」
 霊夢に声をかけたのは、黒白の衣装と箒がトレードマークの魔法使い、霧雨魔理沙である。
「そうなのよ……、本当は私、来るつもりじゃなかったんだけど。何か後ろ髪をひかれるのよね」
「やっぱり霊夢もそうか。ほらそこにいるアリスもそう言っていたぜ。それだけじゃない、あすこにいるレミリアやパチュリーも……」
 霊夢はホールを広く見回した。魔理沙の言った通りに、アリスがおいしそうにケーキをつまんでいる。なんとか威厳を保とうとしているレミリアも、甘いものには目がないのか、横目でチラチラ見ながら、おいしそうに盛り付けられたお菓子の大軍の誘惑に必死で耐えていた。その一方でパチュリーは、小食なのかほとんどお菓子には手を出さずに、黙々といつもの変わりない読書に興じていた。
 少し遠くの席ではチルノと大妖精の姿も確認できる。暗闇の妖怪ルーミア、永遠亭の兎の因幡てゐと鈴仙。守矢の巫女の東風谷早苗に射命丸文、それに地霊殿の古明地さとり、比那名居天子の姿まである。
 総じて十四名がこのホールに集結している事になる。霊夢はこの人選に関して訝しく思ってしまった。天子の事を紫は過去の異変から、非常に疎ましく思っていたはずだ。無作為に選んだにしても、わざわざこのどこか頭のネジが飛んだ天人のお嬢様を呼ぶだろうか?
 心が読める古明地さとりの招待も変だった。地底との長い軋轢がやや緩和されたとはいえ、まだまだ遺恨は根深い。実際さとりの半径十メートル以内には誰も近づかないではないか。さとりはそんな仕打ちもまるで気にする事もなく、隅の方で紅茶をゆっくりと、均整のとれた唇で啜っていた。
 
「招待したのはこの十四人だけだったのかしら?」
 霊夢が言った。
「どうかなぁ? あの紫の招待だからな、普段では絶対にお目にかかれない貴重品が、手に入るかもしれないんだぜ。奇妙に思ってもみんな結局来ちゃったと思うぜ。霊夢も実はそうなんだろ?」
 魔理沙は盗人のような目でニヤッと笑う。
「私は異変が起らないように管理役よ。種族が考えの違った妖怪がこんな狭い場所に押し込められていたら、何が起っても不思議じゃないわ」
「へぇそうかい、そりゃよろしく頼むぜ、霊夢」
 魔理沙は霊夢の肩をポンと叩いた。
 霊夢はああ言ったものの、ゲームのご褒美がとても気になっていた。出来る事ならばどんな手を使ってでも奪い取りたいぐらい奮起していたのだ。ただし魔理沙の前ではそんなそぶりは見せずに、平静を保っていたのだが。この狭い空間に十四人の魑魅魍魎しかいないのだ。一等の豪華賞品を獲得できるのはただ一人だけに違いない。どんな非情な手段も厭わない悪質な妖怪が、一堂にそろっているのである。躊躇って手をこまねいていては、あっという間に一等をかっさらわれてしまうに違いない。こうなっては友人の魔理沙も敵である。目的のためなら手段は選ばない。ふふふ悪いけど賞品は私がもらうわよと、霊夢は一人ほくそ笑むのだった。







 壁に据えつけられた古い柱時計が、重厚な低音を一つホールに打ち鳴らした。時刻は午後七時半を過ぎたところだった。
 時計の音が静まるやいなや、ホール中央の壇上に、今日の集まりの主催者である八雲紫が、自前のスキマを使ってどこからともなく劇的に登場した。パチパチとじわじわ沸き起こる拍手。
「はい、みなさん今日は。いつも戦うみんなの味方、素敵なお姉さんの紫です。えーと、それじゃあさっそくなんだけどー、みなさんお待ちかねのイベントを始めたいと思います! キャーキャー! ……ゲームはここじゃなくて別の部屋でするから、すぐに移動して欲しいの。そこのね、扉があるでしょう? それで、ゲームに必要だからね、可愛い藍と橙の目の前の箱に首輪が入っているの。それをつけてみんなは部屋に入れば準備オーケーよ。わかった? じゃあお姉さんは待ってるから、すぐ来てね! バイバーイ!」
 紫はそれだけ言うと煙のようにすっと消えてしまった。
「何だ? あの紫のはしゃぎようは? まるで……」
「魔理沙、とりあえず紫の出方を見ましょうよ。何か変な気もするけどね。まぁ私達を全員ガス室に閉じ込めて、皆殺しなんてオチは無いでしょうから」
 霊夢は紫が示した扉へ向かって歩いた。キラキラと光るガラス細工のような首輪が、箱に整然と置かれている。
 藍と橙も主人と同調するようにおかしかった。普段の服装ではなく、男物のカッチリとした漆黒のスーツを身につけ、黒のサングラスで視線を隠している。橙の方も藍と同じような格好だったが、背の低い子供がせいいっぱいおめかししたような、学芸会のような初々しさを醸しだしていた。
「藍……、どうしたのその格好?」
 霊夢は噴出しそうになるのをこらえて聞いた。どうしても聞かずにはいられなかった。
「紫様のご命令だ。何も問題はない」
「問題はない!」
 橙が藍の後を追って、元気よく山彦のように答えた。
「……ああ、そうなの、そういう役作りなのね。それじゃしょうがないわよね」
 霊夢は納得したかのように言った。
「これを着けろ」
 藍が無愛想に言って透明の首輪を渡した。橙はかっこいいつもりなのだろうか、着けろとまた藍に続いて言った。
「何なの? これ? なんかたいそうな鍵穴もついていて不安なんだけど……」
 霊夢の言葉も無視して、藍は首輪を嵌めてカチャリと鍵をかけてしまった。
「これでいい。それでは御機嫌よう」
 霊夢は扉を示された。自分の首に嵌った首輪をぐいと引いてみる。それなりの強度はあるようだが、壊せないほどではない。もし何かあってもこれぐらいならと霊夢は思った。
「おい霊夢、何もたもたしてんだ。早く入ろうぜ」
 先に首輪をつけ終わっていた魔理沙が言う。
「ええわかったわ。行きましょう」
 霊夢は何の疑いも無しに純白の扉へと踏み入れた。これが地獄への第一歩とも露知らずに。








 総勢十四人の首輪を着けた妖怪達が、何の変哲も無い小広い部屋の中に同居していた。部屋の中はやはり白塗りで、数箇所に椅子とテーブルが無秩序に置かれていた。そして何に使うのであろうか、卓球台のような大きさの重そうな土台が二台、表面は光を眩しいほど反射して七色に彩り、台の両側に魚拓のような手形がプリントされている。まるでここに手を置けとでも言っているようだった。
「何が始まるのかしらー、この首輪、これがポイントだと思うわ。まるでワンワンの首輪みたい。あっもしかして、みんなで犬の物まね大会とか? それなら私大得意だわ。あーあ、楽しみだなー、早く始まらないかなー」
 天子が誰に話しかけるでもなく、周りに聞かせるように独り言を言い始めた。誰も反応するまでもなく八雲紫を待った。
 数分程時を過ごしただろうか、前方の白い壁面が巨大なモニター代わりとなり、画面全体に紫のよく化粧された顔がアップになった。
「あらごめんなさい。ちょっと近かったわね。私の美貌で何人か虜になってしまったのならごめんなさいね。あーあー、ええと、それではこれより、楽しいゲームを開始しようと思います。みんなーーっ、準備はいいかなー?」
 集団はあっけにとられていた。紫の御尊顔は言うにも及ばなかったが、今まで見た事もない技術に、しばし呆然としていたのだ。
「ちょっと、そこは、がんばるぞー、おーーー! って言うところでしょ。全く、えー、いきなりなんだけどゲームの説明のする前に、しなければならない事があるの。人間妖怪でも能力の差ってあるじゃない。だから私は、ゲームのためにみんな平等に出来るようにしたいと思ったの。どうするのかって? 今からいくわよ。えいっ! スイッチオン!」
 紫が何か小型のリモコンのスイッチ押した。
「……? 何か変わった?」
「おい、何したんだぜ?」
「えーーーっ? 何々どうしたの?」
 口々に何かの変化を感じとろうとするがわからない。
「ふふん、わからない? 霊夢、ちょっと飛んでみてよ」
 紫は霊夢に言う。
「紫? 何のつもり? 何が何だがわからないけど……うわっ!」
 霊夢は普通に飛ぼうとしたが、無常にも霊夢の体は浮かび上がる事無く、膝から崩れ落ちて顔面を強打してしまった。
「痛たた……、何で? ……まさか、この首輪が……」
「はーい、ご名答ね霊夢。この部屋から発する超電磁的な結界は、みんなに装着された首輪を通して、能力を完全に封じているの。弾幕なんかもちろん出せないし、特殊能力も使えない。腕っ節が強い人も筋力は人間以下になっているから気をつけてねー。だからここから逃げようなんて思わないことね」
 いつの間にか霊夢達の周りは黒尽くめの服装で囲まれていた。さっき見た藍と橙の他に、紫の配下らしき妖怪が、黒光りするスーツとサングラス姿で、厳重に配備されていたのだ。
「わかった? ふふーん。あんま気を悪くしないでね、ゲームに必要なことだから。それじゃー今からするゲームの説明をするよー」
 紫は電光モニターの中で一人腕を振り上げた。
 霊夢は言いようのない不安に襲われていた。たかがゲームのために能力を完全に封じてしまうなんて、正気の沙汰ではない。これから始められるゲームは一筋縄ではいかないと予想させるには十分だった。
「はぁー、さすが幻想郷の賢者はやる事が違うわ、なんてカリスマ具合なのかしら。私もパーティーのビンゴゲームでもっと盛大にやらなきゃ。帰ったら咲夜たのんでみようかな……」
 レミリアは別の場違いな感銘を受けているようであった。


 紫が映し出されているモニターとは別に、電光掲示板がパチッと光る。デデンという大げさな効果音。そこに映し出されたのは、四角のカードの中央に描かれた赤いハートマーク。そう、トランプのハートのエースだった。
「ゲームで使うのはこれよ! …………あれ? あなた達反応薄いわねぇ、もっとえーとかあーとか言いなさいよぉ……」
 紫は若干涙目になっている。
「私、わかりますよ。トランプでしょう? 七並べとかぁ、ババ抜きとか、お正月によくやりますもんねぇ」
 そう言ったのは東風谷早苗だった。
「……そ、そうそう、さすが外来からの巫女はよく知っているわね。これはトランプと言って、五十三枚を一組としたカードゲームなの。幻想郷には馴染みが薄かったかもしれないけど、知らなくても大丈夫よ。ただちょっと、便宜的に概念を使うだけだから」
「なーんだ、私だけが知ってて有利かと思って浮かれて損しちゃったぁ」
 早苗は残念そうに両腕を上げる。
「今回使うのは、この十四枚のカード。あれれ? 何か気づきませんか? …………ほらっ、ほらっ! 十四枚よ十四枚!」
 電光掲示板にハートのカードが1から順に並べられていく。紫が何かを必死で伝えようとしているが、誰も何も言わない。やがて、閃いたようにチルノが白いを手をあげた。
「おーい、はいはい、わかったぞ」
「ああーん、やっと……、はい、チルノさん!」
「じゅうよんって、何だ? おいしいのか?」
 チルノが真顔で言い放ったので、紫は五秒程モニターの前で石化してしまった。
「チルノは馬鹿なのかー」
「ル、ルーミアちゃん。チルノちゃんはそんなんじゃ……」
 無邪気な顔でチルノをけなすルーミアを、大妖精が必死に弁護している。
「……私達全員で十四人、そして使うカードも十四枚、つまり私達はこのトランプのカードにそれぞれなぞらえられる……、そうではないかしら? 八雲紫さん?」
 パチュリー・ノーレッジが業を煮やしたように言った。
「そ、そーなのよ! さすがは幻想郷が誇る知識人さんね。見ての通りトランプは1から13までの数字を絵にかたどったものなの。1から10までは簡単ね。このカードに書かれたハートの数がそのまま数字と合致するわ。そしてこの強そうな騎士の絵はジャックと言って、11を表し、私みたいに綺麗な女王様はクイーンで12、頬髯のダンディなおじ様の絵はキングで13、はー、はー、わかりやすくするために、ジャックはJ、クイーンはQ、キングはKってこれからは表記するわね。いい? わかった?」
「おうわかった!」
 チルノが大声で言った。
「そして……このゲームで毒にも薬にもなるかもしれないカード。バ……ジョーカーよ!」
 紫の声と同時に掲示板ので唯一裏返しにされていたカードが表にされた。黒い悪魔の道化師をモチーフにした不気味な絵柄、これで全てのカードが出揃った。
「えーと、そんじゃさっきパチュリーさんも言った通り、これからみんなにそれぞれのカードが割り当てられると思うでしょう? ところがところが、用意周到な私はもうみんなのカードを決めてあるのです。なんて賢いんでしょう! はーい、みんな首輪を触ってみてくださーい」
 霊夢は紫に言われて自分の首輪を触ってみた。ははぁと霊夢は合点がいった。頭の中にトランプ十四枚の中の一つが浮かび上がったからだ。
「えー、えー? 何これ? 何か浮かんできた! でもこんな少ないすう……」
「はい! 天子さん! お口にチャックです! ゲームはもう始まっていますよ!」
 紫が先生が生徒を嗜めるように天子に言った。
「あっ、ああっ、ごめんなさい。えへっ、みんな、今の聞いていないよね? えへへ……」
 天子はキョロキョロとして周りの様子を窺った。天子は全く緊張感がない。もう既に何人かは紫の狂気に気づき始めている。このゲームにとてつもない危険な香りを霊夢は感じていた。天子の緩みきった態度には寒気を覚えてしまったのだ。戦う前から勝負は決しているとはこの事だろうか。
「その数をよく覚えておいてくださいね。えーと利巧なみんなはわかったかな? 頭に浮んだ数字は自分だけがわかるのよ。他人には絶対に教えては駄目……と言っても、ここがこのゲームの面白いとこなのよ。嘘の数字を他人に教えるのも自由なのよ。本当の数字は自分にしかわからないんだからね。じゃやっと、ゲームの説明に入ります! はぁ……何かとても長いわね……。頑張れ、頑張るのよ紫……」

  
 霊夢達は紫の言により、二台の大掛かりな装置の前に移動していた。
「ちょっとそこの大きな卓球台みたいなのを見てくれるかしら? それがこのゲームの対戦台よ。方法はとっても簡単。首輪を着けたもの同士が、そこの手形に手を乗せれば対戦成立。首輪から自動的にプログラムが流れて対戦結果はすぐに対戦結果は導き出されるわ。まぁ詳しい事はこれを見て頂戴な」
 掲示板が光ってずらずらと文字が浮かび上がる。




 カードの強さをトランプポイント(TP)と呼ぶことにする。

 基本的には数字の順がそのままが強さとなる。

 2、3、4、5、6、7、8、9、10、J、Q、K、A 

 J、Q、K、AのTPは11、12、13、14とする。

 ただし2とAが対戦した時に限り2>A

 ジョーカのみ特別TPが適用される。対戦装置によりそのつどランダムに決定され、0~20の間のTPに収まる。



 勝ち抜けの定義について

 カードごとに持ち点が決められている。

 2~10まではそのまま数字が持ち点となる。

 J、Q、K、A、ジョーカーは持ち点10.

 一回ごとの対戦において、勝者が敗者の持ちカードを奪取できる。この場合敗者の持ちカードを取得したことにより、敗者の持ちカードの詳細を確認する事ができる。

 敗者は一回負けた時点で、全てのカードを奪い取られ失格扱いとなる。

 対戦結果により15点以上を獲得したものが自動的に勝ち抜けとなる。

 制限時間は三時間。三時間経っても15点に満たない者は、自動的に失格扱いとなる。






「ええっ、何これ? 最初にもらった数字が大きい方が断然有利じゃん? てか小さい人は勝ち目ないような……」
 掲示板を見ていた天子が泣きそうな声で言った。
「ふふー、そう言うと思ってこのゲームを奥深くするルールを私は考えたの。それは共闘制度よ」
 紫が優しく天子に答える。
「わぁー、何だか楽しいそうな響きね、教えて教えて」
「では説明するわね。このゲーム普通にやったら数字の大きい人が必ず勝って面白くないわねぇ。だからお互いのカード持ち寄って、いわば二人は一心同体となるの。例えば5の人とJの人が共闘したとしたら、5+11で16TPの力を所有する事になるの」
「あれ? それだと持ち点はどうなるんですか? この場合は二人で15点いってしまいますが」
 今まで黙っていた鈴仙が、優等生のように手をピンと挙げて言った。
「いい質問ね。共闘にすぐ15点超えて、はい勝ち抜けなんてそんな甘くはないわよ。共闘した場合の勝ち抜け基準は25点よ。これってお得だと思わない? 一人で15点より二人で25点の方が楽だと思うし、何よりこのゲームのキモは共闘だからね。みんなには存分に醍醐味を感じて欲しいの」
「あ、あの……、三人で共闘できるのか? 一度共闘したら解除できるかを教えていただきたいのですが……」
 やはりさっきから押し黙っていた射命丸文が質問する。
「うーん、三人では無理ね。14人ていう少人数だから、あんまし徒党を組まれても面白くないと思うの。二つ目の質問の答えはノーね。一度共闘したら、生涯を共にしなければならないの。お互いのカードがわかっちゃうからしかたないわね。だから一生の伴侶を決めるみたいに、相手は慎重に選んで欲しいわ。決め方は双方の合意があれば成立、ここでは暴力なんてできないから、ちゃんと理性を持って話あいで決めてね」
「はい、わかりました……」
 文はしおしおとしている。
「他に質問は無いかしら? 後は細かい事で、共闘の場合は同TPであいこの可能性が出てくるけど、この場合はノーゲームとなり、勝者も敗者も無しで、カードの移動は無し。他には2のカードが通常ではAに勝つんだけど、どちらかの陣営が共闘していた場合はこの概念はなくなるのよ」
 紫は説明口調で義務的に言った。
「ふぁーあ、大体こんなもんかしらねぇ。まぁ詳しい事はそこにたくさんいる、黒服のお姉さんかお兄さんに聞けばわかるから有効活用してちょうだい。ゲーム開始は十分後の八時開始、みんな対策ねったりのんびりしたり時間をご自由に使ってよろしいわよ。共闘の掟も掲示板にだしておくから……。むにゃ……、何か頭使ってしゃべり過ぎてとてつもなく眠いわ。ではみなさん三時間後に会いましょう……」
 紫はそう言って巨大モニターの前から姿を消した。
「え? 何? 今ので終わり? えっ? えっ?」
「よーし! さっさと終わらせようっと! 最強のあたいなら百戦連勝確実ね!」
 混乱している天子と、何かを勘違いしているチルノを除いて、メンバーはしんと静まり返っていた。ゲーム開始の八時は刻々と近づいている。





 共闘について

 相互の意思の合意により成立する。解除は不可。

 お互いのカードがわかり、TPと持ち点が合計される。

 共闘の場合の勝ち抜けの基準点は25点。

 対戦時の敗北時や、時間制限超過による失格時には二人同時に失格となる。

 共闘する二人がそれぞれカードを二枚以上所持している場合。共闘した時点で25点超過の可能性があるため。例外により共闘不可とする。一方がカード一枚、もう一方が二枚の場合は共闘可能。






「何なんだぜ一体、紫の奴あんなに畏まって。こんな大げさな首輪なんかつける必要なんてないぜ。なぁ?」
 魔理沙が周りに問いかけるように言う。霊夢は沈黙していた。おそらく勘が正しければ、このゲームはただでは済まない可能性があるからだ。
「そうねー、何か私拍子抜けしちゃったわ。こんなのちょちょいとやれば三十分ちょいで終わるじゃないの。運命を操れば簡単に私が一位……、っと能力は封印されているんだっけ。でも私のカリスマ頭脳にかかれば関係ないわね」
 レミリアは子供のようにえっへんとした態度で言った。
 霊夢は思った。魔理沙やレミリアはまだ気づいていないのだ。だからこうして安心していられる。このゲームの意味に早く気づいた者が勝利を手にするのだ。それができなければたちまち他人の餌食になってしまうのだろう。アリスやパチュリーの表情を窺う。目つきが鋭く顔の筋肉が強張っている。おそらくこの二人は気づいているであろう。ゲームはもう始まっている。少しの油断が命とりなりかねない。霊夢は固い意志を持って、数秒後に迫っているゲーム開始の時を静かに待った。




 非常時のようなブザーがビーーーッと大きな音をたてた。ついにゲーム開始の鐘は鳴らされたのだ。
「やっと始まったか! 大ちゃん勝負しよう!」
「え……でも……」
 チルノはすぐに大妖精に声をかけた。
「いいからやってみるといいのかー」
 ルーミアが背中を押す。
「ルーミアちゃんもそう言うなら……」
 大妖精とチルノは対戦台に向かい合って立った。
「なーなー、ここに手を合わせればいいんだよな?」
 黒服の藍が無言でうなずく。
「これでよしと! 大ちゃんも早く早く!」
「ちょっと待てチルノちゃん、今すぐ置くから……」
 霊夢は二人の様子をじっと見ていた。他のメンバーも目を皿のようにして見ている。これから起るであろう出来事の想像に、期待と畏怖の念を胸に膨らませながら。
「チルノちゃん置いたよ? あれ? チルノちゃん――――」
 それは一瞬の出来事だったが、霊夢はこの目で確かに目視していた。大妖精が対戦台の手形の上に小さな手を置いた途端、チルノの頭が爆発していた。いや、正確にはチルノの着けた首輪から爆風が起り、頭部は空気を入れて膨らんだ風船のようにパーンと弾け飛んでしまったのだ。辺りには脳漿や骨肉の残骸がむごたらしく飛び散っていた。
「チチチチチイチチチぃ?? あああぁああぃいあああいいああ!!」
 現状を理解できない大妖精が、体を痙攣させながら声にならない声をあげている。
「はーい、お久しぶりー。みんなの頼もしい味方の紫お姉さんよ。そうそう、言い忘れてたけど失格者は即死だからぁー。みんな死なないように頑張ってねぇ。対戦結果はそこの掲示板に随時映されるの。今の結果でチルノちゃんのカードが大妖精ちゃんにどっきゅん大移動! でも安心して、15点にはいってないからまだまだ一位はわからないわよ。じゃあまたねー」
 モニターに紫が急に映り、明るい声で状況報告をした。第一の犠牲者はチルノ。こうして生き残りをかけた死のゲームの火蓋は切って落とされたのだった。



「チルノちゃん! チィルノちゃあああ、そんな私がぁっぁぁっ! 何で何でぇぇええ!」
 大妖精のむなしい泣き声だけが部屋を満たす。ルーミアは声をかけながら大妖精をなぐさめているようだ。
「……え? 死んだのあの妖精? ええ? 何で? ねぇ何で?」
「お、おいチルノの頭が飛んだぜ霊夢。おかしいってこれ、早く紫に……」
 チルノの惨状を見た天子と魔理沙が慌てて声をあげた。
「さっきの話を聞いてなかったの魔理沙? 紫はチルノが死んだのを見てゲーム続行だって言ったじゃない。私達はあのババァにまんまと嵌められたのよ」
「何だって? どうしてこんな事するんだよ? いいからこんなゲーム放り出して紫に談判しに行こうぜ! ここにはお前も含めて何人の妖怪がいると思ってるんだ?」
「忘れたの魔理沙? この部屋からは首輪を通して、私達の能力を強力に制御する波動が流されているのよ。今の私達はただの人間以下の存在よ。束になってもそこにいる藍や、黒服の妖怪一人にも敵わないでしょうね」
 霊夢の無慈悲な言葉を聞いて、魔理沙は白い壁にぴったりと蟻のように張り付く黒服の姿に吐き気をもよおした。
「馬鹿な、そんな……、だって、私のカー……」
「魔理沙、いい加減にしなさい。あなた一人この状況に立ち遅れているわよ。紫は私達を嵌めた。そして助かるにはこのゲームを勝ち抜くしかない。泣き言を言ってる暇があったらゲームの攻略法でも考えた方がましだわ」
 アリスが突き放して言った。
「でっでもな、アリス? このゲーム勝つって言ったら……」
「まだわかってないようね魔理沙? あなたさっき自分のカードことでも言おうとしたでしょう? あなたの敵が大勢聞いているのにどうしたらそんな考えになるのかしら? 何のカードを持っているかが全員に知れたら、周りのみんなは絶対にあなたとは共闘しないわよ。少なくとも私はお断りね。さっきのは友人としてのせめてもの善意よ。じゃあね、生きていたらまた会いましょうね魔理沙」
 アリスはスタスタと歩き、離れたテーブルへと落ち着いて座った。
「おかしくないか? なぁみんな? 全員助かる方法が絶対何かあるって。なぁ、そうだろ? なぁパチュリー?」
 テーブルに座り、騒ぎも大して気にも留めないで、読書を続けていたパチュリーに魔理沙が言った。
「アリスに言われてもまだわかってないのね。残念だわ魔理沙。いいこと? よく聞いておいてね。このゲームは嘘つきゲームよ。嘘を貫き通せるものが勝利する。だって本当のカードの数字は勝つか共闘するかでしかわからない。さっきの天人や今魔理沙が言おうとした数字だって、私達を惑わそうとする嘘かもしれないしね。油断はできないわよ。いい機会だから言っておくけど、私もアリスもあなたの事心の底から嫌ってるのよ。本を借りても返さない。そんな泥棒じみた人間の事を誰が好き好むのかしら? 本当、日頃の行いって大事ねぇ、困った時に自分に全て返ってくる……くっくくく……」
 パチュリーは含み笑いを噛み殺して再び読書に埋没する。
「パチュリーまで何だぜ……。昨日まであんなにいい顔してたじゃないか。なぁおい、霊夢は私の味方だよな? な?」
 魔理沙は霊夢の肩をゆするが霊夢は何も答えない、答えられなかった。
「はーっ、はーっ、わかったぜお前の気持ち……。みんな裏では私を馬鹿にしていたんだな……。わかった、わかったよ、勝ち抜けばいいんだろぉ? このゴミゲームを、ちくしょぉお……ちくしょぉおおおっ!!」
 霊夢は捨て台詞を吐いて壁際に行く魔理沙をただ見つめていた。霊夢にはどうしようもなかった。魔理沙にもその内わかるだろう。このゲームは普段の信頼関係などは意味を為さない事を。あるのは自分を勝利へと導く嗅覚と理論だけなのだ。そう、霊夢は他人を心配している暇は無かった。息苦しさを感じる首輪をそっと触ってみる。頭の中に浮ぶハートが7つの絵。このゲームは最初から有利不利が激しい。一刻の油断もならないのだ。



「おおっ、怖いねぇ怖いねぇ。仲良しだと思ってた魔女と人間が必死の形相でいがみあいだ。へっへっ、長生きはするもんだよ鈴仙」
「……はぁ。何か悲しくなっちゃうなぁ。こんな酷いゲームで信頼関係が壊れちゃうなんて……」
 魔理沙の剣幕を見ていた因幡てゐと鈴仙が言った。
「おや鈴仙にはそうみえたかい? だとしたらとんだ見当違いだよ。あの二人の魔女はわざと言ったと思うよ。このゲームの構造を良く考えてごらんよ。数字が7以下の奴はほぼ共闘せざるを得ない。できるだけ高い数字の相手と一緒になりたいはずさ。そしてそれは相手側も同じ事を考えてるんだよね。だから以前の交友関係とかで共闘相手を選ばれちゃ困るってわけさ。みんな勝ちたいからね。もし私があの魔女二人の立場だったら、魔理沙は絶対に共闘したくない相手だね。だって見てみなよ? このゲームの趣旨から一人逸脱していたし、あの慌てようはかなり怪しい。チルノが死んだ恐怖だけじゃない。自分のカードに対する焦りだね。おそらく――魔理沙のカードは7、いや6以下――」
 てゐはこの内容を早口で一気にまくしたてた。
「あんたこんな時は尊敬するわ。随分頭の回転が早くて結構なことね」
 鈴仙は嫌みったらしく言う。
「いつの時代も生き抜くために大事なはここさ、ここ。じゃあ鈴仙、私達も敵同士。今度会うときは殺しあう仲。健闘を祈っているよ!」
 てゐは自分の頭を指差して、クルリとターンすると部屋の中央へと陽気に歩いて行った。
 一人残された鈴仙ははぁとため息をつく。本当は断ろうと思った招待にのこのこついて来た結果がこれだ。てゐは相変わらず知恵が回るのか堂々としていた。よほどいいカードを引いたのか、それともこのゲームの攻略法を看破してしまったのか。いずれにせよ自分が勝つには何とか頑張らなければならなかった。窮屈な首輪から連動して脳内に描き出されるトランプの絵。鈴仙は今後の展開にどうしても不安を隠せなかった。






 霊夢は白い壁にもたれかかって、掲示板のデジタル時計の数字を見た。2:50と表示されている。この残り時間が自分達のタイムリミットなのだ。掲示板には先程の対戦結果、大妖精 〇――× チルノ とすぐに映し出されていた。
 霊夢はこのゲームについて一から考え直してみた。もしこのゲームが失格者=死でなければ、共闘など使わずにあっという間に決着がついていたはずだった。何故なら10以上のTPを所持した者は、対戦すれば半分以上は勝ってしまい、すぐ勝ちぬけてしまうからだ。7の数字を持つ霊夢でさえ、6持ちと戦って、さらにもう一回勝利すれば勝ち抜けである。実際はそう簡単にいくはずもないのだが、失格が即死でなければ気が楽すぎるのだ。
 そう、この敗者即死ルールが問題だ。チルノが死んだのを見て、ここから先対戦は中々成立しないのは明白だからだ。J、Q、K、Aの高TPでさえ負ける可能性が少なからずある。周りの様子を窺ってから動きたいというのが人間の本音だろう。
 現時点で一番強いカードはA。14TPを持ち、2とジョーカーのクリティカル以外では負けない。対戦が成立すれば八割以上の確率で勝てるのだ。ただ対戦が成立すると言う大きな障害が問題なのだが。
 次に強いカードはK。Aとジョーカーだけに負けるから、性能はほとんどAと大差はない。この二枚を持っている人物は自分が相当有利だと感じているに違いない。
 このゲームは情報がとても大事だ。低TPはどうしても共闘しなくてはならない。自分の7でさえ適当に対戦して勝てるのは6、5、4、3、2、それにジョーカーだけだ。しかも勝利したとしてもジョーカー以外は勝ち抜けの15点に満たないではないか。より確実に勝ち抜けしたいのなら一回の対戦で15点取る事が理想だ。だが霊夢にはその権利さえ存在しないも同然なのである。この時点では運否天賦ができるはずもないのだ。ただし時間は無制限ではない、必ずどこかで誰かと組まなくてはならない。そのために身を切って自分の情報を曝け出さなくてはならない。自分にはそれができるだろうか? 

 深く考え込みすぎると頭がおかしくなりそうだった。少し発想を変えて見るとしよう。7TPの自分がきついなら下位はもっときついはずである。6、5、4、3、2、下にまだ五人もいるのだ。そういえば天子は少ないと言っていた。あの馬鹿天人があの時点で嘘をつく頭を持っているはずは無いだろう。そうだこの調子で考えれば……。大妖精とチルノのカードはいくつだったのだろうか? 二人合わせて15点に満たないのだから――――。

「はいはい! みなさん集まって聞いてください! 耳よりな情報です。お得です。いつも清く正しい射命丸です! 絶対に聞いて損はありません!」
 霊夢の思考を射命丸文のがなり声が中断させた。この部屋はそれほど大きくは無い。小声で話せば聞こえないが誰が誰のそばにいるかは明白である。文は十分すぎるほどの大声で部屋の中央を支配していた。
「弱気を助け、悪をくじく、それが私の使命であります。悪辣非道なる八雲紫の好き勝手にはさせません。彼奴の狙いは私達を疑心暗鬼に陥れ、醜く争わせる事です。そしてその姿を安全な場所からニヤニヤ眺める、外道極まりない醜悪な老婆の偏狂趣味なのであります。断じて許せません! 全く持って許せません!」
 文は雄弁に演説をしているが、後ろの八雲藍のサングラスの奥の目が、鋭く光ったのは知らないのだろう。
「いいですかみなさん? ここはみんなで協力しなければいけません。そうしなければ思う壷ですよ!」
「ね、ねぇー、天狗さん。私、どうしても助かりたいんだけど……」
 文のそばに天子がヒヨコのように寄って行った。天子はさっきからフラフラと歩いている。知り合いがいなくてよっぽど不安なのだろうか。
「おお比那名居さん、あなたの偉業は私の耳に気高く届いています。信じる者は救われます。いいですか? みなさんもよく聞いておいてください」
 部屋の中のほぼ全員が文の言葉に耳を傾けていた。というか声が大きすぎて聞かざるを得なかった。
「まずこのゲーム勝つ条件を考えてみましょう。個人なら15点、共闘なら25点必要ですね。ほらここがミソなのです!共闘するごとに必要な点数が少なくなります。つまり共闘すればするほど助かる人が多くなるわけです! ええと、トランプ十四枚の持ち点を合計してみましょうか……、94、全部で94点になるのです」
「それでどうなるの?」
 天子が首をかしげて聞いた。
「今から計算してみましょう比那名居さん。94を15で割ると、6と余りが4ですね。つまり全部個人同士で対戦すれば最大で六人しか助からないことになります。しかし、共闘すれば……、えーと、こうなってああなって、25点が3組、15点が一人で、最大七人……以外と少ない……、いえ、半分の七人も助かることになります。すでに大妖精さんとチルノさんが対戦してしまいましたが、今からでも遅くはありません。みんなのカードの数字を教えあってですね、最大多数の最大幸福をですね……」
 ここまで聞いて霊夢はもう文の話は聞く必要は無いと思った。文は完全に墓穴を掘っている。数多く助かるために何人か犠牲にしなければならないからだ。文は低いカードを引いたので、助かりたい一心で皆に共闘を勧めているとしか思えなかった。
「はっははははっ! 馬鹿かいお前さん。日頃いじきたない新聞を書いている天狗は救えないねぇ」
 因幡てゐが文にちょっかいを出していた。
「ななな何ですか、私はみなさんのためを思って必死に……」
「おいおい、カードを教えあってどうするつもりなんだい? 全員が本当のことを言うとでも? 現実的には絶対にありえないね。かならず誰かが嘘をつく。それに勝者と敗者は誰が決めるのさ? 言いだしっぺのお前さんが一番先に犠牲にでもなってくれるのかい?」
「そ、それは……」
 文は口ごもってしまった。
「ほら、何も言えないだろう? お前さんはしゃべりすぎだよ。真っ先に自分の心配をした方がいい。あまりにも絶望的なカードを引いてしまって、取り乱して、自分から共闘したい共闘したいって言ってるようにしか見えなかったからね。んー、そうだなぁ、お前さんのカードは……、4か3……、それとも2かなぁ? ここら辺は選択肢が無さ過ぎるからね。そりゃ大慌てもしたくもなりますってもんさね!」
「なーっ、なっ、ちっ違います! ……いえ、というか、プライバシーの侵害です! きーーーっ! 許せません許せません!」
 文は顔を真っ赤にして腕を振り回して、てゐに殴りかかろうとしたが、いつもの脚力が出ないのかずるっとすべって転んでしまった。
「おお怖い怖い。そんなに必死になって、適当にあてずっぽ言っただけなのに図星だったのかなぁ。へへへ、ごめんよ。ああそうだ、いいこと思いついたよ。そんなに誰かと組みたいんならさ、そこの天人と組んだらどうだい? 仲間はずれ同士でお似合いじゃないか!」
 文は天子の方をチラッと見たが、すぐに立ち上がりてゐへ視線を戻した。
「もういいです。みなさんの気持ちはよくわかりました。私がどれだけ幻想郷のために尽力してきたかも知らずに。もういいです。もういいんです……」
 部屋の隅へとフラフラと消えていく文の背中は、どこか哀愁を漂わせていた。
「醜いねぇ、醜い。どうしてこんなに醜いんだろうね。隙あらば他人の弱みにつけこむ者ばかり。私も騙されないように気をつけなきゃぁな、へへへ」
 てゐは笑いながらその場を去った。
 部屋の中央には天子だけがぽつんと取り残されていた。

 




 白い円形のテーブルにはパチュリーとアリスが座っている。目を合わせることも無く読書と人形いじりに終始していた。パチュリーのそばには貫禄を感じさせないレミリアが、所在なさげに羽をはためかせていた。
「――馬鹿ね」
「ええ」
 文とてゐの問答を聞いていたパチュリーがアリスに言った。
「日頃から鬱憤が溜まっているのかしら? ああいう人種は心底救えないわね」
 アリスは無言で応じる。
「……アリス、魔理沙を助ける方法でも考えているの?」
 アリスは人形の髪を梳いていた手をぴたっと止めた。
「あんまり私情に惑わされない方がいいわよ。だからあなたも魔理沙にきつく言ったんでしょう?」
「私はただ、当たり前のことを言ったまでよ。早々に脱落者が出ちゃ面白くないし」
「まぁあなたと魔理沙がどうなろうがどうでもいいんだけど。無理はしないことね。このゲームは初期のカードの比重が大きすぎるわ。低得点同士で共闘しても石の舟に石を積むようなもの……。自分の身の安全を第一に考えることね」
「そんなこと言われないでもわかってるわよ!」
 ぷいと横を向いてアリスは言った。
 二人はまた無言になってしまった。周りをうろうろしていたレミリアがパチュリーに不安そうに声をかけた。
「ねぇパチェ……、私……」
「レミィ? どうしたの? いくら能力が使えないからといって、顔に不安を出しすぎよ。そんなんじゃ紅魔館の主が舐められてしまうわ。それに、レミィ、私達はもう敵同士なのよ? 気軽におしゃべりする仲ではないわ」
「ううん、ごめんなさい。あのね私、パチェか霊夢と組もうと思うの、だってね、私の……」
「駄目よレミィ、どうやらあなたもわかってないようね。周りの他人は全て敵なのよ。そこにいるアリスもどこかの地獄耳にも、あなたの発言は聞かれているかもしれないのよ。口は慎むことね。高得点でもどこで寝首をかかれるかもわからないからね。それに、私と組むのはよした方がいいわね。だって、私のカードは2なんですもの」
「えっ?」
 レミリアは目を丸くする。
「ふふっ、駄目ねレミィ。そんなに仰天しちゃ。魔女の言葉には必ず嘘が含まれているのよ。私は一人で大丈夫だから、レミィは自分の好きなようにしたらいいわ」
「……う、うん。ありがとうパチェ!」
 レミリアはそう言って駆け出していった。
「なーんか紅魔館の主人もたよりないわねぇ。あんなんで大丈夫なのかしら?」
 アリスが横目でレミリアを追いながら言う。
「それがレミィのいい部分でもあり、悪い部分でもあるんだけど……」
 パチュリーは分厚い本に目を通す。やっと中間地点にを差し掛かったところだ。もう少し薄い本を持ってくればと、パチュリーは一人後悔した。






「ううっ、うっ、う……、ぐす……。うっ、チルノちゃんごめんなさいごめんなさい……」
 ゲーム開始からはや三十分が過ぎ去っていた。大妖精は親友のチルノを自らの手で殺してしまったことに、深く悲しみ後悔の念に苛まれていた。
「もうやだぁ……、ううう……」
 大妖精は未だなおぐずっている。あの招待状さえ届かなかったらと思うと、どうにもやり切れなかった。
「大ちゃんそろそろ泣くのはやめるのかー」
 何度もなぐさめの言葉をかけていたルーミアが言った。
「ルーミアちゃん、だってぇ……」
「それにしてもおしかったのか。大ちゃんが一位勝ち抜けしてもおかしくなかったから」
 大妖精の動きがピタッと止まる。
「……え? 何? チルノちゃんが死んだのにそんなことどうでも……」
「そろそろ今後のことを考えたらどうなのか? 一抜けの賞品がおいしそうな予感がする。大ちゃんが抜けなくてよかったのかー。チルノは馬鹿だから首が飛んだのかー」
 大妖精は自分の背中の押したルーミアを思い出していた。
「……ルーミアちゃんもしかして……、チルノちゃんがこうなるのを知ってたってことは……」
「んんー? どうなのか? みんな変な空気だったのに気づかなかったのか?」
 ルーミアが悪魔のような顔で笑って言った。
「何で教えてくれなかったの? チルノちゃんがかわいそうじゃない……」
「……生贄が必要だから。生贄! 生贄! 私も賞品が欲しいから」
「生贄って……チルノちゃんはぁ、チルノちゃんはぁっ! うあぁああ! ひぃいいぃいいっ! 殺してっ……、殺してや……」
 今まで一度も見せたことのない大妖精の凶悪な顔だった。ルーミアに向かって爪をたてて飛び掛る。しかし怒りにまかせていて、拳は空を切るばかりだった。
「暴力反対なのかー、わははー」
「うぅぅぅーーーっ。ううううう……」
 大妖精はその場に泣き崩れた。
「そんなに悔しいなら復讐したらどうなのか? その前にこのゲームがあるけれども。じゃあさよならなのかー」
「チルノちゃん……、チルノちゃん……、」
 大妖精は泣きながら無意識に首輪を触っていた。陽炎のように浮び立つ二つのカード。大妖精はこの数字を心の中にしっかと刻み込むのだった。






 時間は刻々と過ぎている。霊夢は大妖精とルーミアが揉み合うのを見ていた。チルノのことはかわいそうだったがどうしようも無かったのだ。
 定まらない思考。やはりまだ情報が少なすぎた。自分から動きに行くにしてもさっきの文のように目立ちすぎてはいけない。しかしこのまま手をこまねいていても不利になるばかり。この膠着状態はどうにも打破できる自信がなかった。
 周りの様子をそれとなく窺ってみる。アリスとパチュリーは同じテーブルで無言で座っている。魔理沙はふてくされたのか壁に背を押付けてぐったりしていた。落ち着きなく部屋をうろうろしているのが天子、鈴仙、文、レミリア、てゐ。一体誰がどのカードを持っているのだろうか? それがわかればこんなには苦労しないはずなのだが。

 霊夢がもう一度深く思考しようと思った瞬間、癇に障る声が部屋に響いた。
「はーん、みなさん臆病ですねぇ。せっかく私が一位のチャンスを愚鈍なみなさんに与えてあげたというのに。誰も動かないんじゃしかたありません。私、勝っちゃいますよ? 勝っちゃいますよ?」
 突然大声をあげたのは、じっと今まで正座をしていた東風谷早苗だった。自信満々の顔で中央を練り歩いている。
「私には奇跡の力があります。能力封じ? そんなもの私には通用しません。奇跡とは妖怪どもの奇術じみたまやかしなんかとは違いますので。もっと本質的であり、普遍的なものなのです。とにかく、私は選ばれているのです! さぁさぁ、みなさんどんどん対戦しましょう!」
 早苗のこの自信は何なのだろうか。よっぽど強いカード――AかK、もしくは最大20TPを叩き出すジョーカ持ち。何にしろ早苗の気迫は空回りしていた。こんなに自分の優位性を主張して対戦を求めていては、誰も受けようとは思わないからだ。実際早苗は片っ端から声をかけていたが、全て断られていた。
「あーあ何ですかみなさん。私に恐れをなしていますね。まぁ守矢の威光の前にあっては、怖気づくのも仕方ありませんかねぇ。おやぁ? 霊夢さんもいたんですね。影が薄くて気づきませんでした。あはっ、あはははっはは……」
 早苗は霊夢の前で立ち止まり馬鹿笑いした。
「霊夢さん対戦しませんか? まさか博麗の巫女様は逃げませんよねぇ? 逃げませんよねぇ?」
 早苗の見下した顔が霊夢を苛立たせたが、霊夢は落ち着いて対応した。ここで対戦しても必ず負けるのは明白だったからだ。
「悪いけど自分から負けにいく馬鹿はいないわ」
「あれれ? 霊夢さんびびりですか? びびりなんですか? いつもは勇猛果敢に妖怪退治をして、幻想郷の主でございなんて顔してるのに、私幻滅しました。霊夢さんびびり過ぎてかわいそうです。私が勝ったらみんなに言いふらして上げます。びびり巫女びびり霊夢って、あはは、これで守矢神社の大勝利です……」
 早苗は言いたい放題で中々霊夢の前から動かなかった。このままでは霊夢の理性が危うかった。後五秒で堪忍袋の尾が切れそうなところで、かろうじて早苗の弁舌が止んだ。
「お姉さん。私とやらないか?」
 その声はルーミアだった。お決まりの両手を左右に広げるポーズをとっている。
「ああ妖怪さん。もちろんOKですよ。こんな勇気を持った妖怪もいるのに本当に霊夢さんは残念ですね。妖怪以下、巫女の面汚しです」
 早苗はまだ減らず口を叩いていた。霊夢は怒りをなんとか抑えながら二人の対戦の様子を見守ることにした。ここまで自信ありげな早苗に対して、ルーミアは何故この勝負を挑んだのだろうか。
 二人は急ぎ足で対戦台に向かい合う。
「みんな死ねば助かるのに。おどおどしてるから勝てないのかー」
 ルーミアは満面の笑みで言う。
「そうです。そうです。命なんて奇跡でどうにでもなります。いざ勝負です!」
 早苗は既に対戦台の上に手を置いていた。周りにはほぼ全員が集まり、この勝負を固唾を呑んで見守っていた。ルーミアの小さな手のひらが台の上にゆっくりと乗せられる。
「いざ勝負なのかー」

 周りのメンバー誰もが早苗の勝利を予想していた。しかし現実はまるで別の事実を突きつけたのだ。華麗に頭部を吹っ飛ばしていたのは早苗の方だった。早苗寄りに観戦していた何人かが、汚い飛沫のとばっちりを受けていた。
「くくく……、一丁あがりなのかー」
 掲示板には ルーミア 〇――× 早苗 の表示。勝ち抜けではなかったがこの対戦を勝利したのはルーミアに相違なかった。
 鼻歌を歌いながら引き上げていくルーミア。この姿に霊夢は言い知れぬ恐怖を感じてしまった。あの早苗の自信はなんだったのか。今ここで何が起ったのかを整理するため、霊夢は思考を開始した。
「はぁぁぁーー、もう駄目です。三時間も心が読めないなんて、私死んでしまいます。寂しい、寂しい、お燐、お空、助けて、助けて……」
 後ろで誰かが弱気な声をあげている。霊夢は後ろを振り向く。妙な声を出していたのは地霊殿の主人、古明地さとりだった。痩せっぽちで案山子のようにゆらゆら漂っていたので、霊夢はその存在を軽く失念していた。
「はぁー、霊夢さん助けてくださいお願いします。まともな知り合いは霊夢さんだけです。お願いしますお願いします……」
 さとりは顔を涙でぐしゃぐしゃにして、霊夢に突進してくる。
 霊夢は紙風船のようなさとりの体を全身で受け止めていた。





 2:10

 大妖精  〇――× チルノ
 ルーミア 〇――× 早苗



 八雲紫からのひょんな招待状により集まった総勢十四人の人妖達。霊夢達はお遊び気分でゲームに参加したものの、それは大きな間違いだった。ハートのトランプの数値をそれぞれ与えられ、それを使って対戦するごく単純なゲーム。失格=即死と言う超単純なルールが参加者の心を蝕んでいく。恐れを知らぬ者が、この死の対戦台に次々と血の烙印を刻みつけていった。最初の犠牲者はチルノ、そして東風谷早苗と死の階段を上っていく。残り参加者は十二名に絞られた。決して運任せにはできない闇のゲーム。一歩先んじて制すのは誰なのか? 生き残るのは誰なのだろうか? そして八雲紫の真意とは如何に?







 

 壁のデジタル時計は残り二時間と少々を寂しく示していた。この少ない時間が、部屋の中にいる十名の内の過半数の寿命なのである。止まらない時間。立ち止まっている暇は少しも無かった。
 古明地さとりは霊夢の胸で泣きじゃくっていた。いつもは読心の能力により気丈に振舞う女主人も、能力の喪失には耐えられないのだろうか。まるで母親にすがりつく子供ように、ぎゅっと霊夢の背中に手を回して泣いている。真っ白で染み一つない少女のようなうなじ。細すぎる首筋は白い子蛇を想起させた。
「ああ……霊夢さん霊夢さん……」
 霊夢は突き飛ばすまでも無くさとりの好きにさせていた。やがて波がおさまったのか、さとりはついと離れて濡れた目で霊夢を見つめた。ぞっとするような至極扇情的な上目遣いが霊夢を襲う。近くで見れば見るほどさとりは美しかった。まるで調律のとれた黄金比のように、顔のパーツ全てが、美を兼ね備えているかように配置されていた。
「……私ったら取り乱してしまって、すいません。急に不安になって……、私怖くて……」
「それで? 何が目的なの?」
 霊夢は無表情で言う。
「え? 何のことですか? 私はただ……」
 さとりは取り繕うとしたが霊夢はそれは許さなかった。
「猫かぶりはもういいって言ってるのよ、古明地さとり――」
「あら? 霊夢さんは悪知恵が働くんですねぇ。わかっていて私と抱き合ったんですから。うふふ、心が読めないって不便ですね。私、この角度には結構な自信を持っていましたのよ? だから霊夢さんもてっきり……」
 さとりは先程までの健気な少女の表情から一変していた。目は爛々とぎらついて妖しく光り、吊りあがった口の端は狡猾さの象徴だった。
 霊夢はさとりの薄汚れた感情を知っていた。どんなに隠していても隠し切れないえげつない腐臭。さとりにとっては人間などゴミクズに違いないのだ。例えどんな危機的状況においても、下心無しには絶対に近づかないはずだった。
「くすくす……」
 さとりは立ち上がってへらへらと笑い、細い腰を湾曲させて、何を思ったか霊夢に向かって赤いハートが飛びそうなウインクをパチッときめた。
「何なのよ気持ち悪いわね。もしかして色仕掛けで籠絡するつもり? あいにくだけど私は至ってノーマルなのよ。どうせするならどっかの誰かさんにでもした方がいいわよ」
「朱に交われば赤くなるですわ、霊夢さん。こんなにアプローチしているのに、案外鈍いんですね……」
「何? 何が言いたいの?」
 さとりはつかつかと歩み寄り霊夢の耳元へと口を寄せる。
「私と組みませんか?」

「えっ?」
 霊夢は目をパチパチさせて驚いた。この腐ったドブネズミのように人間を見下しているさとりが、霊夢と共闘しようなどとは夢にも思わなかったからだ。
「このゲームの要は共闘――人生で一番大事な伴侶を選ぶ分かれ道。真摯な態度で愛を囁き納得させる。4種のスートから選ばれたハートの絵柄、相手のハートを射止めるゲームだと思えば、意図的だとは思えませんか?」
「ふーん、そんな考えもあるのね。でも私はあんたとは組めないわよ。だって私のカードは3だもの。組んだら私と一緒に沈んじゃうわ。ああ残念残念」
 霊夢はさとりの真意を計りかねていた。もしかして数字を聞き出して遁走するかもしれないのだ。用心するにこしたことはない。とりあえず適当なことを言ってこの場は収めようと思った。
「腕を組んで左肘を掻く――――」
「はぁ?」
 霊夢は確かに腕組みをしていた。しかしそれが何なのであろうか。
「霊夢さんが嘘をつく時にする癖です。この他にも体のあらゆる所からサインが出ていますがね」
「……くっ、何よあんた。心が読めないはずじゃなかったの?」
「もちろん一片たりとも心は読めませんよ。でもですね、私初めて霊夢さんに会った時に感じたんです。胸躍るような恋心を。好きな人の癖なら何でも覚えたくなりますわ」
「何……、何なのよいきなり……」
 霊夢は突然恐怖を感じてたじろいでしまった。
「霊夢さん……、好きです……、ずっと出会った時から……。女の方なのにこんなに強くて頼もしくて……、そこらの男よりもずっと魅力的ですわ」
 霊夢は逃げる暇もなくさとりにふわっと優しく抱きとめられていた。すべすべの手のひらが、霊夢の腹を腕を腋を頬を首を妖しく撫でさすった。霊夢の快感のツボを全て熟知したかのような手つきに、霊夢はあっという間に夢心地へと導かれた。
「んぁ……、やめ……」
「もう無理です。霊夢さんは私の思うがままです。うふふ、それでは本題へと入りましょうか。共闘のためのお互いの全てを理解させるのです。いいですか? 霊夢さんよく聞いてください。……私のカードは……8です。嘘じゃありません本当です。信じてください信じてください……」
 さとりの言葉が全て気持ちよかった。脳髄に染み込むような甘い囁きに、霊夢はいとも簡単に侵食されていった。
「霊夢さんも教えてくださいな……」
 耳にひゅっと蛇のように細い舌が入れられる。
「やっ、やめて……」
「教えてくれないんですか? しかたないですね。私が当ててあげます。霊夢さんのカードは……2……3……4……5……6…………7……。くすくす……、そんなに心臓周りの筋肉動かしたらばればれですよ。霊夢さんは7のカード持っています。とても好都合でした。運命は二人を見守っているでしょうから。二人合わせて15点です。これだけあれば十分です。さぁ誓いの愛の口付けを交わしましょうか……」
 霊夢は恐怖と快感の中で軽く溶けかけていたが、それは無骨な黒服の闖入によって妨げられた。
「古明地さとり、極度の干渉は避けてもらいたい。話し合いの範疇を超えてもらっては困る」
 藍が仁王立ちして言った。そばにはレミリアが悲しそうな顔でぽつねんとしていた。まさかレミリアが藍を呼んだのだろうか?
「まぁこんなソフトタッチでも駄目なんですね。私にとってこれは十分な話合いなのですが……」
「今後同じような行動をとった場合即失格扱いとする。わかったな」
 藍はそう言って風のように去ってしまった。
「あらぁ、怖いですわ。うふふ、霊夢さんさっきの件よく覚えておいてくださいね。それでは……チュッ♪」
 さとりは去り際に投げキッスをしてきたので、霊夢は再び恐怖した。
「はぁ……、助かった……」
 霊夢が呼吸を整えているとレミリアがまだ残っていることに気づいた。レミリアは霊夢の視線に気づくと無言で音もなく立ち去った。
「レミリアは私を助けてくれたのかしら? それなら声の一つでもかけてくれればいいのに……」
 霊夢はどうにも混乱していた。さとりにはカードを知られてしまった。このままでは自分の身が危なかった。霊夢がさとりの受け入れを断れば、さとりは霊夢のカードをばらしてしまうのだろうか。霊夢は既にさとりの粘着質の網に捕らわれているのを理解した。さとりの細い喉と思わず吸い付きたくなるような唇が脳裏をよぎった。霊夢はあのまま口付けされることを望んでいた。それがたまらなく恐ろしかったのだ。







「ふぇ、ふぇっくしょん!」
「何よ汚いわねぇ。こっちまで飛んできたわよ」
 盛大にくしゃみをしたのはアリスだった。さとりが霊夢に絡んでいるのを遠目に見ていて、急にムズムズしてきたのである。
「ごめんごめん。誰かが私の才能をうわさしていたのかもね。それでパチュリー、なんで二人はこんな時分にいちゃいちゃしているのかしら? しかも女同士で、不潔だと思わない?」
「……そんなこと知らないわよ。地霊殿の主が霊夢に興味持っても別にいいじゃない。それに情報収集が大事だもの。多少のスキンシップをした方が組し易いとか?」
 パチュリーは関心なさそうに言う。
「いや……、あれはスキンシップと言うより……。はるか別の……、愛撫というか、ああ何してんのよ、あの手つきで霊夢がグロッキーだわ。ちょっと、いいのあれ?」
「興奮しすぎよアリス。黙って見ていればいいじゃない。あなたには関係ないもの」
「あっ、何、二人で見つめ合って、何する気? しかも公衆の面前で、卑猥、卑猥すぎるわ!」
 アリスは両手で顔を覆ったが指の隙間からしっかりと見ていた。霊夢を一瞬で虜にした指技にアリスは少し興味を持ったのだ。
「きゃーーーっ! やっちゃった? ねぇやっちゃったパチュリー?」
 顔を完全に背けてアリスは騒いでいた。
「レミィ……?」
 パチュリーが不穏な声で言う。
「どしたの? あれもう終わり?」
 霊夢とさとりの情事をレミリアと連れ立ってきた藍が押し止めていた。藍がさとりに何か言っている。短いやり取りの後、さとりもレミリアも霊夢の前から離れてしまった。
「……なんか気にかかるわねぇあの態度」
「気になるって、誰が?」
 アリスの質問には返答せず、パチュリーは残りの本のページの消化に全力を注いだ。






 重苦しい雰囲気が立ち込める白い部屋。霊夢はさっきのいざごとでひどく汗をかいていた。少し気を落ち着けようとトイレにでも行こうと考えた。
「……?」
 無言で黒服の橙が霊夢の後ろをつけていた。
「何よ、何もしようがないじゃないの」
 監視のつもりなのだろうか。橙は霊夢がトイレの個室に入るところまでしっかりと見据えてきた。
「ふぅ……」
 霊夢はやっと一息ついた。一度に急な出来事が起りすぎて処理できていなかったのだ。
「あーあ紫の馬鹿のせいでとんだことに……」
 ぶつぶつ言いながら巫女服の下を脱ぎ、自然的欲求を発散しようと試みる。
「え……やだ……私……」
 霊夢は自分の体に起きた異変に気づいた。ここに来るまでは気づかなかったのが、霊夢の秘所はじっとりと濡れていた。
「何で……まさかあいつに撫でられただけで……」
 個室という空間が霊夢の妄想を飛躍させた。さとりのピアノを弾くような指使いを思い出し、無意識の内に秘所を指でまさぐっていた。
「馬鹿っ! 何してるの私。あんな真っ白で気持ち悪い妖怪女なんかで……」
 抗おうとしても霊夢の指は止まらなかった。
「ぁぁぁっぁ……」
 白蛇のように妖艶でねっとりと美しくくねる肢体。いつしか霊夢は妄想の中で、お互いに抱き合いながら舌を絡めあう姿を描いていた。それは霊夢が使用してきたどんな妄想よりも、とりわけ甘美で居心地がよかった。霊夢はさとりによって、女同士の喜びを植え付けられ始めていたのだった。
「……駄目なのに、駄目なのに……、さとり、さとりっ……」
 拒絶する気持ちとは裏腹に、霊夢はさとりの名前を呼んでいた。潮が満ちるように快感の頂点が近づく。後数秒で霊夢はさとりの遠隔攻撃により自滅しようとしていた。
「いけませんいけません! このままではいけません!」
 バーンと隣のドアが開閉される音がした。ぶつくさ隣にもよく聞こえる大声で、文句を言っているのは射命丸文だった。
「何ですか? 私がこうまでしてお願いしていると言うのに。誰も組んでくれないじゃないですか! 私がどれだけ幻想郷に貢献してきたか、私がここで死んでしまったらどうなるかわかりますでしょうに。ああええ、落ち着きましょう、落ち着くのです。まだ時間は二時間も残っています。今こそ私の本気の力を見せ付けて……、そうです秘蔵の裏ネタを使ってでもゆすりをかければ……。うぇへっへへ、もう手段を選びません、いひひひひ……、ああしてこうして、おひひひ…………」
 この出来事で霊夢ははっと我に返り、急に快感の風船がしぼんでしまっていた。霊夢は名残おしいようなほっとしたかのような複雑な思いを抱いた。それにしても文は隣に人がいるなどとは微塵も思っていないのだろうか。聞くに堪えない卑猥な事柄を惜しげもなくつぶやいている。普段から表裏が激しいとは思っていたが、この罵詈雑言には辟易してしまった。これが文の本性なのだろう。しかしこの追い詰められた状況ではしかたないのだろうと霊夢は思った。
 隣に霊夢がいると知ったら、文はどんな変顔を見せるのだろうか。その期待もあったが今は面倒ごとを避けるのを優先した。文に気づかれないように霊夢はそっとトイレを出る。深呼吸して気持ちを落ち着ける。とてつもない長い時間を個室で浪費したような気がした。







 残り時間は二時間を切っていた。凝り固まった膠着状態は中々崩れるものではない。早苗の死を見てほぼ全員がより慎重に行動するようになった。アクティブに動いているのはルーミアだけだった。しきりに対戦する旨を伝えているが、誰も応答はしなかった。未だに誰も共闘していないのだから、カード二枚のTPを持つルーミアとは対戦しにくいのが普通だった。しかもあんなに自信ありげだった早苗を、一蹴した不気味さが、ルーミアへの畏怖を際立たせていた。

 簡単には対戦できないのだから、ゲームの流れは自然と共闘の流れへと導かれていく。
「あーあ、つまんないなー、こんなカードじゃ私対戦できないじゃない。あんなに頭がこなごなになったら痛いし」
 比那名居天子はこのゲームに飽き飽きしていた。もっとサクサクと進むゲームの方がよかった。周りのみんなも鬼のように顔を強張らせて、お互いを牽制し合っているのだ。ゲームとはもっと和気藹々としていて、最後には自分が勝つように出来ているものだと思っていた。現に天界の催しごとは全て天子のほとんど思い通りに進んでいたからである。
 天子はふと立ち止まって光る掲示板を見る。
「そういや共闘なんて出来るんだっけ。おかしいなぁ? こんなに気位高くて素敵な天人の私が声をかけられないなんて」
 天子は腕を組んでむっとする。
「あのおばさんはなんて言ってたっけ? 嘘つきゲームとか? 嘘つき、嘘……。そうか嘘をつけば組んでくれるのね!」
 天子の思考は単純明快だった。思いついたことは即実行である。

「はーい、みなさんこっちこっち、こっち見てくださーい」
 天子は右腕をあげて人差し指をピンと立てている。
「私はAを持っています。だから安心して私と組みましょう? 誰でもいいわよ? だって私一番強いAなんだから!」
 この天子の行動に周りからは失笑が漏れたが、当の本人は愚行に気づかなかった。
「もー、早くしないと決まっちゃうよー。この指とーまれっ! この指とーーまれっ!!」
 偶然近くを歩いていた鈴仙と目が合った。天子は自分が信じる一番の誇り高い笑顔で鈴仙を迎えたが、鈴仙はまずいものを見てしまったといった感じで、さりげなく目を逸らしてどこかへ行ってしまった。
「あれれ? そんなに恥ずかしがらなくていいのに……」
 天子の指はより高く掲げられた。
「おかしいなぁ? みんな聞こえてないのかなぁ?」
 白い部屋に天子のむなしい声だけが響く。もはや誰も気に留める者はいなかった。
「この指とーーまれっ!! この指とーーーまれっ!! この指――――」
 






 月の兎の鈴仙は開始からこのゲームの攻略法をひた考えていた。できるだけリスクを極力排除して安全に勝ち抜ける方法を。永遠亭の仲間の因幡てゐは非常に知恵が回るが、この事態には信用できない。一人で考えても埒が明かなかった。一つできることは出来るだけポーカーフェイスを押し通して、無駄な情報を他人に知らせないことだった。しかしそれだけでは勝てない。このゲームはどこかで必ず一回は勝負にいかなければならないからだ。ならば、その一回のためにどれだけ総力を注ぐことができるか。その一点について鈴仙は深く思いを巡らしていた。

 脳をフル回転させて物思いに沈んでいると、比那名居天子と目があってしまった。過去に幻想郷の気質を操り、博麗神社を倒壊させた張本人だった。鈴仙はこの異変について行動したが、後にほぼ無駄足だったことがわかり、いく分くやしい思いをしたのである。
 天子は何を思ったか、見下すような憐れむような気色の悪い笑顔で鈴仙を見つめて来たので、鈴仙は条件反射的に目を逸らしていた。このボンボン育ちの天人と組むことだけは絶対に避けなければならなかった。
 鈴仙は心強い協力者が欲しかった。自分のカードだけで勝ち抜けるかどうかは微妙だった。鈴仙が目をつけていたのはパチュリー・ノーレッジ。紅魔館の大図書館に住み、この世の知識を全て支配し得る程の魔女。彼女ならばこのゲームの攻略法も既にわかってしまったのかもしれない。パチュリーと組みさえすれば、勝ち抜けのチャンスは大幅に上がると鈴仙は過度に期待していた。
 それとなくパチュリーを観察してみる。彼女は人形使いのアリスと初めからずっと一緒にいた。それで鈴仙はパチュリーが一人になるのを今か今かと待っていたのだった。しばらしくてアリスが立ち上がり、トイレのドアの方へ行くのを確認した。説得のチャンスは今しかないと鈴仙は思い駆け出した。

「あ、あのう……」
 鈴仙は勢いこんでパチュリーに声をかけたが、何から話たらいいか全く決めていなかった。
「何? 鈴仙・優曇華院・イナバさん?」
 鈴仙は少し驚いてしまった。ほとんどお互い面識が無いにも関わらず、鈴仙の名前を全て知っていたからだ。
「……黙っててもわからないわよ? まぁここで他人声をかける理由はただ一つ、私と組みたいの?」
「え……、あ、はい、そうなんです。パチュリーさんとぜひ組みたいなぁと思って」
 パチュリーは察しがいいようだ。気を悪くさせないように鈴仙はハキハキと答えた。
「何で私を選んだか……、まぁそれは置いといて、あなたは私を信用させるだけの何かがあるのかしら? それにお互いにとって共闘がメリットであるかどうか?」
 この質問は予想していた。鈴仙は前もって考えていた行動を実行した。
「あの私のカードを教えます。それを聞いてくれれば信用も、お互いのメリットもわかると思います」
「へぇそう、なら聞かせてもらおうかしら。他所にばれないようにここに言いなさい」
 パチュリーは顔の横のふんわりとした髪がかぶさる耳を指差した。
「は、はい……、それじゃ失礼して……」
 鈴仙はいいシャンプーの香りがしそうな耳元へ口を持っていった。
「私のカードは…………です」
 鈴仙は本当のことを言った。
「ふーん……、まぁいいわ。それでそれをどうやって信じろというの?」
「ええと、こればっかりは信じてもらうしかないっていうか……」
「本当に本当なの?」
「ええ本当に本当です」
 鈴仙はできるだけ誠実に見えるように振舞った。
「くっ……くくくっ、くっ、あはははは……」
「なっ何がおかしいんですか?」
 パチュリーが急に笑い出したので鈴仙は目を白黒させた。
「くくくっ、くっ……、ふー、ああごめんなさいね。余りにも滑稽だったから」
「何ですか? 本の話なら後にしてください。私がこんなに真剣に――」
「あなた……馬鹿ね」
「ええっ?」
 パチュリーの目が鋭く光って、鈴仙は数センチ後ずさりした。普段は狂気の瞳を使い、能力に任せて他人の思考を操っていたが、この威圧の眼差しは鈴仙に深い恐怖を呼び起こさせた。
「親しい知り合いでも無いのに本当のことを教えるなんて、馬鹿の極みだわ。あーいいこと聞いちゃったわ、さっそくアリスにも教えてあげなくちゃ」
「やっ、やめてくださいっ!」
 鈴仙はいつもの癖で狂気の瞳を発動させようとしていた。しかし、首輪によって瞳の魔力は完全に封じ込まれていたのだった。
「あ、あれ……? そ、そっか……」
 鈴仙の攻撃は、無駄に気合の入った顔で眉間に皺を寄せてパチュリーを睨んだだけに終わった。
「あら信じちゃったの? ちょっとからかっただけなのに。ふふふ……、今のあなたの行動があなたの全てよ。大事な機密を簡単にばらしてしまうほどルーズな脳みそ。少し煽られただけで無差別に攻撃をしかける、精神薄弱性と暴力性、超がつくほどの救われない忘我性。こんな間抜けなパートーナーは即刻願い下げね」
「うっ、ううっ……、じゃあ……、じゃあ、どうやって他人を信用させればいいんですか……? ここではカードの数値以外は何も……」
 鈴仙は思わず涙を流していた。 
「それしか信用させる術が無いのなら、あなたはそれだけの人物だったってことね」
「うう……、そんな、そんな……」
「わかったのならさっさと私の前から消えなさい。カードのことは黙っててあげるから。ほら早く!」
「す、すいませんでした……、ぐす……」
 鈴仙は脱兎のように立ち去った。

「ふんふん、ふーんふふふんふん♪ あら、永遠亭の兎じゃない? 何か泣いていたみたいだけど、どうかしたの?」
 何かをやり終えたようなすがすがしい顔で、アリスが鈴仙と入れ違いにトイレから戻ってきた。
「別に、ただ世間話をしただけよ」
「まったまたぁー、世間話で泣くわけないじゃない。どうせあんたの目つきが怖くて泣いたんでしょう? その目つきどうにかした方がいいわよ。子供がみんな失禁しちゃうレベルだから」
 アリスの軽口をパチュリーは無言で流した。思いがけず知った鈴仙のカード、これがどのようにゲームの趨勢に絡んでいくのか、パチュリーには見当もつかなかった。







「私と対戦しないのかー?」
「いやです。絶対に嫌です。絶対にです!」
「お兎さんやらないか?」
「……誰がお前なんかと」
 大妖精に続き、早くも二枚目のカードを手に入れたルーミアは積極的に対戦を求めていた。ただそう簡単にはうまくいくはずもなく、射命丸文と因幡てゐに声もかけるが、無下に断られてしまった。ルーミアは既に誰と戦っても勝ち抜けが可能な状態にあった。対戦が成立すればの話だが。

 何人かに声がかけるが、用件を言う前に首を振られる始末。ルーミアの欲望は中々達成できなかった。ルーミアの生き様は本能のままに生きること、食べたい時に人間を狩り肉を食べる。その超自然的な行動がルーミアの本質だった。チルノや大妖精がどうなろうとも知ったことではないなかった。ただ物理的な欲求を満たすためだけの踏み台に過ぎなかったのである。

「何だー、全然対戦できないのかー。これじゃ終わらないのかー」
 ルーミアはまだ声をかけてない相手はいないかとくるりと辺りを見回した。
「ねぇねぇルーミアちゃん」
 聞きなれた声。いつもは仲良く遊びに付き合っていた大妖精だった。
「何なのかー?」
「対戦相手に困っているのなら私と対戦しない?」
 さっきまで泣いていたいつもの気弱な大妖精とは風変わりしていた。ニコニコと笑っているが実は顔の筋肉だけの作り笑いだった。目の奥の瞳は明確で強大な殺意をルーミアに向けていたのだ。
「んー、どうするのかー?」
 ルーミアに初めに課せられた条件は厳しいものだった。ルーミアはもう後が無いという覚悟で、東風谷早苗との対戦に臨んだのである。結果それが功を奏し、ルーミアは二枚のカードを所持することになる。未だ共闘者無しの圧倒的有利のこの状況が、ルーミアの思考を若干守りに入らせた。もしルーミアが当初の気持ちのままだったなら、展開はまた違ったものになっていたであろう。
「ルーミアちゃん私復讐したいの。一人はチルノちゃんを見殺しにしたルーミアちゃん。二人目はこのゲームを企画した八雲紫。何年かかってもどんな方法でもいいから絶対殺してやるんだぁー。あははははっははは――――」
 大妖精の変貌ぶりにルーミアは驚きの色を隠せなかった。
「ねぇ今一番殺したい相手が目の前にいるの。早く対戦しよう?」
「ちょっと待つのかー」
 ルーミアはこのまま大妖精と対戦しても高い確率で勝てることは知っていた。だがもし不測の事態が起ったとしたら? 対戦相手の中で唯一カードを二枚持っている。それがルーミアをたまらなく不安にさせた。
「どうしたの? もう私待てないよ。あひ、あひひひひひいひいっ!」
 最終的にルーミアの出した結論は保留だった。何も今焦って対戦することはないのだ。確実に安全に勝てる機会を待てばいい。
「せっかくだけどお断りなのかー。チルノに続いて大ちゃんまで殺したら目覚めが悪いのかー」
「なぁに、なぁにそれ、チルノちゃん殺しといてぇ、もういい。もういいよルーミアちゃんなんかぁ。道端のドブ蛙みたいに轢かれて死んじゃえばいいんだぁ!」
 大妖精はよろよろとした足取りで立ち去った。
「何か怖いのかー。まるで悪いことしたみたいなのかー」
 両手を横に広げて空を切る。ルーミアは食べごろの獲物が出現をするのを今か今かと待ち構えた。







 牛歩のように進まない状況。霊夢はトイレで行為を中断された鬱憤が溜まっていた。もはやゲームのことなど上の空であった。頭の中に浮んでは消えるさとりの白い肉体。霊夢はその度に自分の頭をポカポカと殴った。デジタル時計を見ると残りはもう一時間と四十分を切っていた。
 おそらくさとりはもう一度霊夢にアタックしに来るだろう。その時に対処できるだろうか。もしくは完全に諦めてさとりと組んでしまうとか? いやそれは最後の手段だった。ここで心を許してしまったら例えこのゲームに勝ったとしても、自分はさとりの僕として一生を過ごすことになるだろう。それを予想させるほどの圧迫感がさとりにはあった。何か、何か抜け道は無いかと頭をひねって考えた。

「あ、あの……霊夢。ちょっといいかしら?」
 下に下げた頭を上げてみる。声の主はレミリアだった。どことなく悲しげな様相を瞳にたたえている。
「ええいいわよ。えっと……、さっきは何だか手間かけさせたみたいで……、ありがと」
 霊夢はそれとなくお礼を言った。そして霊夢の頭脳に湧き上がる名案。そうだ何で今まで気づかなかったのだろうか。誰かさとり以外と共闘し、このゲームを勝ち抜き、さとりが負ければ自分は自由ではないか。しかしすぐ問題点に突き当たった。もし自分が他の誰か――例えばレミリアと組んだとしたら、さとりはどう思うのだろうか。もしかして全力で潰しにくるかもしれないのだ。能力を封じられているとはいえ、さとりの洞察力はずば抜けている。自分と組んだばっかりに協力者もろとも沈んでしまうのは申し訳なかった。では一体どうすればいいのか、どうすれば――――。
「霊夢……? どうしたの?」
 ずっと押し黙っている霊夢を見て、レミリアが心配そうに声をかけた。
「あっ、あっあああっ、なっ、何でもないのよ。あはは、そっそれで、何の用?」
「うん、あのね……、私霊夢と一緒になりたいの。駄目?」
「えっ?」
 まさかレミリアの方から言ってくれるとは、これは手間が省けたのかどうなのか。しかしレミリアの点数如何によっては、ただ傷を舐め合うだけの仲になる可能性がある。そんな仕打ちをレミリアには強制はできなかった。
「大丈夫、心配しないで、私の方から点数を言うから……、ねぇ耳を貸して霊夢」
「え……ちょっと……」
 長い付き合いだったレミリアの、今まで見せたことのないような接触だった。幼い吸血鬼の色気のある吐息が、霊夢の頬をふわりとくすぐる。
「霊夢…………私は…………なの。信じて、お願い…………」
 頭がくらくらする。何で今日はこんなことばかり起るのだろうか。レミリアの言った数字はさとりより大きかった。このままレミリアと組めばほぼ安全圏へ行くことになる。もちろん前提としてレミリアが嘘ついてないことが最低条件であるが。もしやレミリアが自分と組みたいがために嘘をついたのではと邪推してしまうのだった。
「ふぁ……駄目……」
 耳たぶをチクリと軽い刺激で甘噛みされる。
「渡したくない、あんな女なんかに…………」
 レミリアが何を言っているのかわからない。脳が蕩けそうになる快感に包まれる。
「じーーっ、極度の干渉はご法度ですよぉ」
 その声で霊夢は開放された。床にゴチンと頭をぶつける。
「あら邪魔したかしら。でも他人に注意しておいて、私の霊夢さんをまんまとかどわかそうなんて、卑怯ですわよ、レミリア・スカーレットさん?」
 いつの間にか古明地さとりがにやけ顔で超接近していた。レミリアとさとりは謎の睨みあいをしていた。バチバチと火花が散るような熱い凝視合戦。長い沈黙、二人ともピクリとも動かずまるで時が止まったように思えた。数時間にも思えるこの戦いはレミリアがすっと目を逸らして幕を閉じた。
「レミリアさんどうしましたか? あなたの気持ちもここに入る前によぉくご存知でしたのよ? 一度ここではっきりさせてみては?」
 さとりがレミリアの手を取ろうとする。
「さっ、触らないでっ!」
 レミリアは差し出された手を払いのけて、一目散に走り逃げてしまった。
 霊夢はただ呆然と見つめるしかなかった。

「うふふ、霊夢さんご無事で何よりですわ」
 さとりは行儀よく正座している。ついにさとりは突如として霊夢の前に現れてしまった。次こそは心をほだされないようにと、毅然とした態度で臨もうと決めたのだった。
「何なのよ。訳がわからないわ」
「わかりませんか? 霊夢さん。レミリアさんがあまりに可愛らしいので、私、心配していました。可愛い過ぎて私のペットに欲しいくらいですわ」
「なっ、そんなこと……」
「あら妬きましたか霊夢さん? 私が他の娘を気にかけるのが気になりますか」
「違うわよ! レミリアは友人だから……」
 さとりは目をつぶって首を横に二回振る。
「やっぱり鈍感なんですね。霊夢さんが友人と思っていても、あの方はそうは思ってないのかもしれませんよ?」
「何よそれ……、意味が……」
「くすっ、わからなくてもいいです。今はこの時を楽しみましょう……」
 さとりはそう言って足を崩した。横座りしたスカートの裾から、マッチ棒のような足がにょっきり突き出ていた。霊夢はさとりの方を見ないようにしていたが、きめ細かい白い素肌は、再び白蛇の裸体を想像させるには十分だった。
「いやですわ霊夢さん。そんなに見つめないでください……」
 動けない霊夢に焼けるような熱い視線を送ってきた。さとりの全身から放たれるにょろにょろとした白い触手の渦に、霊夢の心はがんじがらめにされていった。
「霊夢さん、さっきの返事まだ聞いていませんでしたわね?」
「……うう、わ、私は……」
 霊夢は震えを何とか押さえて顔の筋肉を動かす。
「……あ、霊夢さん、いい匂いがします。女の娘の匂いです。うふふ、こんな状況で霊夢さん、見かけによらずHなんですね」
 さとりは鼻をくんくんしながら霊夢の羞恥心を煽った。
「あ……、これは……、駄目よ、離れて!」
 霊夢が腕を振り回すとさとりはわかっていたかのように身をかわした。
「恥ずかしがらなくてもいいですよ。生理的な欲求なのですから。それより霊夢さんがどんな妄想を使って処理したのか? 私にはそっちの方が興味がありますが……」
「ああ……、やめて……」
 霊夢は本人を目の前にして顔真っ赤にしてしまった。さとりのペースにまんまと乗せられて、誘導されるように思考回路を支配されていくのだ。
「誰ですか? 言えませんか? うふふ、今日この時ほど能力を使えないのを不幸に思ったことはありませんわ」
 さとりはからかうようにクスクスと微笑んだ。
「私、霊夢さんと一つになりたいなぁ……」
 ゆっくりとした足取りで霊夢の周りを回った後言う。甘い甘い誘惑の言葉だった。
「駄目よ、そんなの駄目よ。私なんかと組んでも……」
「そんなに謙遜しなくてもいいですわ。ねぇ霊夢さん。私も寂しいのです。普段は心が読める覚妖怪が、この状況にぽつんと放り込まれて、平静でいられると思いますか? 人間なら目や耳が塞がったり手足が無くなったのと同じ状況ですのよ。最初に霊夢さんに抱きついた時は、私本心で泣きついていましたのよ? それで――霊夢さんと抱き合っている内に段々落ち着いてきて……。私、霊夢さんいないと駄目なんです。一人でいると怖くて寂しくて……、今でも泣き出してしまいそうなんです……。お願いします霊夢さん、私を守ってください…………」
 さとりは目にいっぱい涙を溜めて、上目遣いで霊夢を見上げた。今度は逃げられなかった。急な態度の変化に霊夢は対応できない。普段は絶対に見せない覚妖怪の弱さに愛おしさを感じてしまい、抑えきれない衝動に身を沈めていくのだ。
 さとりは目をつぶりキスをせがむようについと整った唇を向ける。霊夢の中で何かがガタガタと崩れ落ちる。霊夢のすることはただ一つだった。本能に任せて服従への第一歩となる口付けをしようとする。
「霊夢さん……ん……」
「さとり……」
 二人の距離が数十センチまで近づく。
「くすっ」
 さとりは寸前で片目を開けて、霊夢の顎をつかんで引き離した。
「あ、あれ……?」
「忘れましたか? こんなところでキスしたら失格になっちゃいますよ。これはおあずけにしておきます。わかりましたか? お、あ、ず、け、ですよ」
 さとりは形のよい自らの唇に人差し指を押付けてから、霊夢の唇へとちょんと触り間接キスをした。
「今はこれで我慢してください。それでは私と一つになってくれますね?」
 桃色の火が出るような止めのウインク。霊夢の顔は弛緩し、甘美な陶酔に満たされていた。凶悪で蠱惑的な白い悪魔に、いとも簡単に虜にされていたのだ。
「は……、はい……」
 甘えるような霊夢のだらしない声。さとりは等身大の人形が手に入って満足気に笑った。







「……ねぇ……ねぇ……」
「何よアリス?」
 アリスの視線の先には睨みあうレミリアとさとり、そしてぼけっと見守っている霊夢の姿があった。
「私達、命を賭けたゲームをしているのよね? 何故あの人達は別の修羅場を演じているのかしら?」
「別に何したっていいでしょう? パートナー決めは大事だもの。力のある者が一度に誘いを受けるのもしかたないわ」
 とパチュリー。
「それにしたって必死すぎるわ……」
「あのねアリス。こういう危機的状況に雄雌を放り込むとね、二人は恋仲に陥りやすくなる、こういう研究結果もあるのよ」
「へぇー、でもここにいるのは雌ばっかりよ?」
「あんまり細かいことはいいんじゃない?」
「そんなんでいいのかしら……」
 アリスはじっと観察を続けていた。しばらく対峙していたレミリアとさとりだったが、耐え切れなくなったのかレミリアが立ち去ってしまった。
「あ! ちょっとあんたのとこの当主が逃げ出しちゃったわよ。悲壮感丸出しで! これはあれよ、三角関係、痴情のもつれに違いないわよ。ねぇいいの? パチュリー?」
「レミィが何しようと勝手よ。誰と組もうと勝とうが負けようがね、それがレミィの選んだ運命なんですから」
「ふーん、あんたってドライなのね。いつも冷めててクールで……」
 アリスはちょっと感心してパチュリーを見つめた。
「どうしたのアリス? もしかして雌だけの檻であなたもおかしくなったとか?」
「えっ、何、何よ何を言っているのよ。このアリス・マーガトロイドの品行方正さは幻想郷中に響き渡っているもの。それに女同士でなんかなんの生産性も無いじゃない。私には一生理解できない概念ね」
 アリスは鼻を高くして言った。
「あらそうなの、それは残念。ちょうど今、あなたと組んで少しいちゃつこうと思案していたところなのに、本当に残念だわ」
 パチュリーはちょっと横目で秋波を飛ばして言った。
「えっ、何いきなり、じょ冗談でしょう?」
 アリスは動揺を隠せず顔を赤くする。
「……冗談よ。本気にした?」
「なななな、なーんだ変なこと言わないでよぉ。パチュリーったらぁー。もう。あはははははは……」
「うふっ、うふふふふふ……」
 アリスがポンポンとパチュリーの肩を叩く。まるで仲睦まじい恋人のように二人は笑いあった。
「あああーーーっ!」
 アリスが突然雄たけびをあげる。
「ちょっと目を離した隙に霊夢とさとりが何か対戦台に向かっているわ。え? 何? もしかしてレミリアを奪い合って二人は対戦するの? 何この急展開。怖い、怖いわ! 複雑な人間関係が怖いわ。……あら、二人で片側に立って何を……? 手を乗せあって……、それから……? 何、何が始まるの? 二人はどうなっちゃうの?」
 パチュリーはアリスを無視してため息をつき、終わらない読書を再開した。





「これで完全に堕ちましたね……。普通ならこんな手間はかけないのですが、能力無しだとさすがに不便ですね」
 トロンとした目つきの霊夢を見てさとりは言う。これで一つの目的は達成した。
「うふふ、ではさっそく共闘を宣言しましょう。紛れも無い相思相愛ですわ。……ねぇ霊夢さん?」
 さとりに声をかけられてビクンと体で喜びを表す霊夢。その顔は幸せそのものだった。
「あのー、藍さーん。私達組みたいのですがー」
 黒服の藍に声をかける。霊夢の様子を気にかける様子もない。ただ決められた義務を遂行するのみだった。
 二人は対戦台の片側に立ち、手を台の上に乗せる。先に霊夢の手、そして次にさとりの一回り小さい手が重なった。藍が台の脇で何かを操作している。
「何だか結婚式みたいですね。うふふ……」
 数秒後二人の首輪に電流が走る。透明の首輪は赤く色つげされ、二人が一心同体であることを示す。
 途端に場違いなファンファーレが鳴り響き、掲示板には 霊夢――共闘――さとり と表示され、その文字の周りには花びらとリボンが飾り付けられていた。
「まぁなんて素敵な演出なんでしょう。二人の門出にぴったりですわね……、ねっ霊夢さん……」
 さとりは人目もはばからずに霊夢に体をすり寄せた。







「あー何なんだぜ」
 霧雨魔理沙は一人退屈していた。チルノが死に早苗も死んだ。しかしその事実を受け入れられなかった。この残り時間が半分を過ぎようという時分にも、まだこの閉ざされたゲームがお芝居で、盛大な血しぶきで仮装したチルノと早苗が、クラッカーを鳴らしてそこの扉から出てくるのを期待していた。
「大体何で勝手にカードが決められているんだよ。不公平じゃないか」
 魔理沙のカードは決して勝負にいける数値では無かった。勝つためには共闘が必須条件である。それ故に交友関係の広い魔理沙は、このゲームにはやや有利な条件にあったはずだった。しかし、ゲーム開始直後の失態で、その有利状況は脆くも崩れ去ってしまった。焦燥感を表に出すのはこのゲームでは禁物である。もしそれが演技であるか、真実の心を表しているのか、それを見極める類まれなる能力を有している者もいるのだから。
 ともあれまだ魔理沙は、ゲームの決定的な敗者になったわけではなかった。ここからの選択肢如何によっては、まだまだ勝ち抜けのチャンスは十二分にあった。
「うーん、さすがにそろそろ誰かと組まないとやばいかなぁ」
 魔理沙はそう言って辺りを見回した。ゲーム開始からルーミアだけはちょろちょろ部屋を動き回り、しきりに対戦を求めていた。魔理沙に対しても対戦希望してきたが、対戦できるはずもなく断った。
 射命丸文は無様な演説をしてからと言うもの、影をひそめたように大人しくなっていたが、最近になって急にプライドを捨てたかのように擦り寄り始めた。もう何もお構いなしなのか土下座までしている。それでも文と組もうと言う奇特な人物は現れなかった。今現在は。鈴仙の足元にうずくまって下着を覗くような姿で、媚びへつらい必死に何かを鈴仙に訴えかけようとしていた。
 落ち着きなさそうに部屋を歩いているのは因幡てゐ。特に目立った動きは無いようだが、どんな情報でも見逃さないと言った様子で、じっと機会を待ちかまえているのが見て取れた。
「組むと言ってもロクな奴がいないぜ、それに私のカードをどうやって信用させれば……、いや、信じてもらっても、その上で断られてしまうぜ」
 魔理沙は頭を抱えた。やはりここは親しい仲に頼むしかなかった。魔理沙は思いたってアリスとパチュリーのテーブルを遠目に観察した。二人は楽しそうにしゃべっている。何なのだろうかこのやるせ無い気持ちは。自分がこんなにも苦しんでいると言うのに、二人はまるで緊張感がないのだ。あの余裕、もしや、もう既に二人は共闘することを決めているのではないかと邪推してしまった。
「くそっ、最初から私をのけ者にする気であんなことを――。……いいさ、誰があんな奴らと、もう借りた本も一生返してやるもんか! 私は私で勝ち抜いてやればいいんだ」
 魔理沙はそう意気込んだものの、具体的な手立ては一切思い浮かばなかった。不安をかき消すように情報を求めて首を回す。そこには友人の霊夢と、そしてレミリアと古明地さとりがいた。一体何をしているのだろう? レミリアはともかく、さとりとはほとんどまともな付き合いは無いはずなのに。
「霊夢はああ言ったけど、きっと私を心配していてくれるはずだぜ。きっと、きっと……」
 魔理沙は霊夢を信じたかった。間も無くしてレミリアが立ち去る。心なしか悲しげで泣いているようだった。さとりは残って霊夢のそばで何を語りかけている。
 魔理沙は不思議な光景を目に焼き付けていた。真っ白で枯れ木のようなさとりが、霊夢と親しげに話しているのだ。霊夢の目はいつもの異変解決のような毅然としたものではなかった。まるで愛を語り合う恋人のような――。
「れ、霊夢。何をしているんだぜ……。そいつは、そいつはお前も気持ち悪いとか言っていた、心を読む地底の妖怪じゃなかったか? お、おい霊夢、目を覚ましてくれ。そんな奴と目を合わないでくれ。霊夢、私はお前のことを、ずっと、ずっと」
 魔理沙は霊夢のことを、一番信頼できる友人として熱い期待を寄せていた。それは、友情などと言う陳腐な言葉では言い表せない、本質的であり絶対的なものだった。霊夢は魔理沙の心の拠り所だった。霊夢がいるからこそ魔理沙はこの幻想郷であるがままを謳歌できるのである。
 その霊夢が今まさに、淫らな妖怪の毒牙にかかろうとしていた。さとりと霊夢の顔がゆっくりと近づいていく。魔理沙は駆け出して二人を引き離して霊夢を殴り倒したかった。しかし、ありえない程の恐怖のイメージが魔理沙を襲った。白く巨大な大蛇がうねってとぐろを巻いて、霊夢の体にまきつき頭から食いつぶしている。もし魔理沙が少しでも近づけば、その鋭い眼光で射抜かれて、遠い神話のメドゥサの手にかかった哀れな騎士のように、身も心も石化していただろう。それを想起させるだけの体を纏う圧倒的な磁場が、さとりからは感じられたのだ。
「霊夢、逃げろ、お願いだから、おい、逃げろ! 頼むから!」
 魔理沙は大声出したつもりだったが、実際は蚊の泣くような小さな声だった。
 結局、霊夢はさとりとキスをしなかったが、さとりの白く細長い人差し指が霊夢の唇へと触れた。霊夢の頬を染めて恍惚とした表情。この事実が魔理沙を愕然とさせた。もう霊夢は自分の知っている霊夢では無くなった。霊夢はあの白塗りの妖怪に魅入られて身も心も捧げてしまったと。
「……霊夢……、お前は博麗の巫女じゃなかったのかよ……。おい……、あんな妖怪の言いなりになって……」
 魔理沙が霊夢に依存していた部分は余りにも大きかった。故に魔理沙が感じた喪失感は甚大だったのである。
「うっ、ひ、ひっひひっ、そ、そうかよ霊夢。わかったぜ。霊夢は人間を捨てたんだな……。馬鹿だぜ、霊夢。お前は馬鹿だぜ……。ひっ、ひっひっく……」
 魔理沙は悲しみ笑いながら泥のように泣いた。やがて壮大な音楽と共にファンファーレが鳴り響いた。魔理沙にはそれが、死出の旅路への鐘の音色に思えた。
 






 1:25

 大妖精  〇――× チルノ
 ルーミア 〇――× 早苗
 霊夢――共闘――さとり







 霊夢とさとりと共闘した事実は、部屋の中に入る全員の周知となった。残り時間は半分を切り、この事実は膠着した状態の参加者の心理に、莫大な変化をもたらした。
「うふふ、霊夢さん霊夢さん。私の大好きな霊夢さん」
 さとりは遠慮する必要が無くなったので、嬉しそうに霊夢の腕とって体を押付けている。
「霊夢さんさっきから全然しゃべりませんね……? あら、私としたことが、少し支配が強かったようですね。二人でゲームを楽しまなければもったいないですわ。うふふ」
 さとりは霊夢の目の前で両手をパンと叩いた。
「うわっ! ……あれ、私……?」
 霊夢は寝ぼけ眼で言う。
「もう、霊夢さん、私達結婚……じゃなくて、共闘したんですわ。覚えてないんですの? あんなに激しく見つめ合ったというのに……」
「えっ、私……うう……」
 霊夢は記憶をたどってみた。レミリアが去って、さとりに話しかけられて……、見つめられて……、そのまま……。その後は全く覚えていなかった。
「まぁ失礼な人ね。くすくす……。ほら、愛し合った証拠にこの首輪、赤く光っているでしょう? 触ってみてください霊夢さん」
 言われた通りに首輪を触ってみる。確かに以前の透明とは違い赤く眩しいほど光っていた。
「……これは」
 霊夢の脳裏に二枚のカードが浮んだ。ハートの7と8。さとりの言葉に偽りは無かったのだ。
「ねぇこれで、私が嘘をついていないと証明出来たでしょう?」
「ええ、そうね……」
 霊夢はさとりとの共闘を受け入れた記憶は無かった。さとりの催眠誘導にでも嵌められて半ば強制的に組まされてしまったのだろう。それも今の霊夢にとってはどうでもよかった。さとりのそばにいて、身を寄せ合い、声を聞いているだけで不思議な満足感があった。もう霊夢自身が、それを違和感無く受け入れる土台が出来上がってしまっていたのだ。
「とりあえずこれでTPも持ち点も同じ15点です。張り切って頑張りましょうね霊夢さん」
 さとりが元気づけるように言った。そうだ今はこのゲームに勝つことだけを考えていればいい。他のことはもう後にしよう。色々と――面倒くさかった。
「そういえば、まだ誰も勝ち抜けていないわね」
「ええ、でも私達が組んだことで局面が動きますよ。まるでダムがせき止められた水が流れ落ちるように。その流れに乗ることが出来れば一気に勝ち抜けです」
「ふぅん、でもまだ実感がわかないわ」
「今にわかりますよ。もう少しで残りは一時間になります。その時点で低得点者が一人でいることはまずありえません。必ず誰かと組みにいきます。それが絶望しか無い道筋だったとしてもね。うふふ……」
 さとりは不気味に笑った。霊夢が最も嫌う妖怪の卑屈な笑みだったが、とても頼もしく思えた。
「ここからの折衝は見ものですよ。じっくり周りを観察しておきましょう」
「わかったわ、さとり」
 さとりの一言一言が安心できる。霊夢はさとりと組んでよかったと思った。






「鈴仙さん鈴仙さん、お願いします! 私鈴仙さんだけがたよりなのです! どうか私と組んでくださいお願いしますお願いします……」
 射命丸文は鈴仙の足にすがりついて、鼻水と涙と涎をたらしながら、必死で頼み込んでいた。トイレで気合を入れたものの、どうしても踏ん切りがつかず、結局こうやってお涙ちょうだいの土下座作戦に至ったのである。
「は、放してください。射命丸さん、少し落ち着いて……」
「いいえ放しません、頼みを聞いてくれるまで、鈴仙さん、どうかご慈悲を、蜘蛛を助けると思って、どうか、どうか後生ですから! 鈴仙さん、鈴仙さん!」
 鈴仙は俗に言ういい人であった。根は正直であまりものを強く他人に言えないのだ。そこが文の狙うところだった。文にとっては点数など二の次にあった。とにかく誰かと組まなければ勝ち目は無かった。二人の魔女達や妖怪達や霊夢は絶対自分とは組んでくれないだろう。そこで、この泣き落としが通じる可能性がある鈴仙に、一縷の望みを賭けたのである。
「鈴仙さん、私と組み勝ち抜けた暁には、永遠亭の扱いは優遇します。これまでの非礼無礼は謝りますから、どうか、どうか……」
 鈴仙はあまりの文のしつこさにくたくたになってしまった。黒服を呼んで文を追い払うことも出来たが、鈴仙のマイナスに働きかねない良心がそれを阻んだ。
 博麗霊夢と古明地さとりが共闘したことは鈴仙をひどく焦らせた。このままでいいのだろうか? その疑念が文と組むことの合理性を補完した。
「……しょうがないですね。組みましょう、射命丸さん」
「えっ? やっやっやっ、やったぁぁああーーー!! 好きです鈴仙さん! 大好きです!」
 文は鈴仙の顔にキスの雨を降らせた。おまけに体液の雨も同時に。
「射命丸さん……。くるし……、離れて、うぷ……」
 なんとか迫り来る文を引き剥がした鈴仙は、霊夢達と同様に共闘の儀式を開始した。
「なんだかドキドキしますね。えへへ」
 文は気をよくしたのか悪童のように笑った。
 両手を合わせてパッと一瞬の閃光。鈴仙と文の結合は完了していた。文は青く光る首輪を触る。
「あ、ややややっや、さすが鈴仙さんです。これで、これで勝てますよ。大丈夫ですこの清く正しい射命丸には勝利の道筋が見えています」
 鈴仙は文の点数には期待していなかったが、思ったよりも低かった。これならば組まない方がよかったと後悔した。しかし本当に嬉しそうな文の手前、それを表情に出すことは断じて出来なかった。






 人形使いと七曜の魔女が座る固定されたテーブル。二人の表情は曇っていた。
「霊夢がさとりと? 何で?」
 パチュリーは無言だった。霊夢とさとりの共闘は、激しい不安をもたらした。ゲームとは言え生き死にをかけたこのゲームに、何故信用できない地底の妖怪なんかを。人を騙し籠絡し心を弄ぶのに長けた、覚妖怪のおぞましさを霊夢は熟知しているはずなのに。いくら高得点に釣られたとしても在り得なかった。それにさとりは何故霊夢を選んだのだろうか? パチュリーはこのゲームに何者かの意思が働いている気がしてきた。開始から全く姿を見せない八雲紫。そして――。不安定な憶測がパチュリーの頭を駆け巡る。
 しかしパチュリーは自分から動くのはいやだった。このゲームの勝敗もあまり気にしない。自分からものを人に頼むは最も彼女が嫌うことの一つだった。とりあえず今は、気分よく読書を終えられるかの方が大事だった。

「何黙り込んでるのよー。おーい、おーい。……あんた自分の世界に入り込んじゃうことがあるわよー。悪い癖だから直しなさい。私を見習って開放的になるといいわよ。行動容姿気構え全てにおいてね」
 アリスが黙ったパチュリーに向かって好き勝手言う。
「それにしても共闘するからには二人は高得点のはず……。私もうかうかしてられないわね……」
 その時部屋に煩く響くファンファーレの音。射命丸文と鈴仙の共闘の宣言だった。
「あらっ、あっと言う間に二組目の誕生ね。天狗の記者と兎なんてこれまた変な組み合わせ……」
 アリスはすっかり忘れていたが魔理沙のことが気にかかった。ああは言ってもアリスは魔理沙が一番だったからだ。
「ね、ねぇパチュリー。どうしたらいいと思う?」
「……好きにしたら?」
 パチュリーは興味なさげに言った。
「あんたはいっつもそうね。はいはいわかったわよ、好きにすればいいんでしょ好きにすれば!」
 アリスは椅子から飛び上がり、魔理沙を求めて走り出した。
「…………このペースだと三十ページも未読になってしまうわ。もっと急がないと……」
 動かない大図書館は少々の出来事では決して動かない。
 





 流れを止めていた関所が開放され、その反動はすぐに周囲に影響を及ぼしていく。
 霊夢さとり組に続いて、文鈴仙組の共闘が決まり、霧雨魔理沙はどうしようもない焦燥感に包まれていた。
「文と鈴仙まで、もう後がないぜ……。でも一体誰と……」
 帽子をぐしゃっとつぶして考える。そして側面に忍びよる影。
「魔理沙さん、対戦しませんかぁ?」
「……誰だ?」
 それは初め魔理沙は誰だかわからなかった。目が血走って歯を剥きだしにして笑う姿。髪もほつれて皮膚を爪で掻いたのか、顔と腕にいくつも傷があった。
「いいから対戦しましょう魔理沙さん。私のために、えへ、えへへへっ」
 狂気に捕らわれた大妖精は気持ち悪い笑顔で言った。
「うっ、うわっ、お前大妖精か……、確かお前はチルノを吹き飛ばして……」
 そうだ、大妖精はカードを二枚持っている。このまま対戦して勝てる確率はほぼゼロなのだ。こいつは私が絶対に対戦受ける気がないこともわからないほど気が触れているのだろうか。
「ねぇー、早くぅー、私もう我慢できないよぉー、早く誰でもいいから爆発させて復讐したいのぉ……」
 大妖精はぶりっ子のようにくねって言った。
「駄目だっ、お前と対戦する気はないっ! 近寄るなっ! あっち行け! い……、行けよぉっ……!」
 魔理沙は大妖精の気迫に気圧されたが、半泣きになりながらもなんとか退けた。
「ええーっ、くすっ、くすっ、くすくす……。もう後に死ぬか先に死ぬかの違いなのに。魔理沙さん。また来ますね。よく考えてくださいね。えへっ、えへへ、えへへ」
 大妖精はゾンビのような足取りで去った。


「あ、危ないところだったぜ。あんな顔で凄まれたら……」
 魔理沙は孤立していてとても不安だった。体の細かい振るえが止まらなかった。目をつぶっても湧き上がってくる死へと自分を誘っていく言葉。その誘惑に魔理沙は必死で耐えていた。とにかう仲間が欲しかった。誰でもいいから、この感情を共有できる心強い仲間が。
 チルノと早苗が死んだから、今この部屋の中にいるのは自分を除いて十一人だ。この内でさとり霊夢と文鈴仙は共闘したから残りは七人になる。
 魔理沙は頭の中で考える。カードを二枚持っているのはルーミアと大妖精。この二人は高得点の可能性が高いから、組んでくれるとは思えない。となると残りは、因幡てゐ、アリス、パチュリー、レミリア、比那名居天子の五人に絞られることになる。
「てゐと組むのはごめんだぜ。あいつのずる賢さは吐き気がするからな」
 てゐに真っ先にバッテンがつけられる。
「アリスとパチュリーも絶交だ。私を笑い者にする気なんだ。今を見ていろよあいつら……」
 頭の中でアリスの髪をつかんで殴り、パチュリーも本を取り上げて同様に殴った。
「レミリアは……。駄目だな。門を破って毎度のように不法侵入しているじゃないか」
 五人中四人が簡単に排除されてしまった。
「となると……、残りは……、天子? おいおい、勘弁してくれよ。あのお子様天人と組むとか冗談でもきついぜ」
 魔理沙は絶望した。それに天子はゲーム開始前に、自分からカードの低さを示唆していたような気がするのだ。まずい、天子と組むのだけはまずい。
「魔理沙! ちょっといい?」
 帽子を深く被って思考に没頭している魔理沙に、友人のアリスが突然声をかけた。
「何だぜアリス。お前とはもう顔も合わせたくないんだ。仲良しのパチュリーとでもさっさと組んだらいいじゃないか?」
 魔理沙は視線を合わさずに言う。
「何言ってるの魔理沙。私はパチュリーと組む気なんてないわよ。初めに言ったことは謝るから、へそ曲げてないでさっさと私と組みましょうよ。どうせあんた低点数で困ってるんでしょ?」
 アリスの上から目線が魔理沙の苛立ちを爆発させた。
「今更何言ってるんだぜ。二時間も私を辱めて笑い者にして……、アリス、お前は汚いぜ、暢気に散歩している最中に足滑らしてドブに頭から落ちて死んでしまえばいいんだぜ……」
 魔理沙は事も無げに言い放った。
「魔理沙? ちょっと! 待ちなさい魔理沙! 魔理沙……」
 痛いぐらいに肩をつかまれる。
「触るな! 騙されるもんか! 私を弄んでいるのだろ? 本気で組む気なんかないくせに」
「魔理沙……」
 心の裏側ではアリスに声をかけられて嬉しいと感じていた。しかし長く続いた閉鎖的な重圧が、魔理沙の心を負の感情でいっぱいにしていた。一番決定的だったのは霊夢がさとりと組んだこと。今の魔理沙が信じられるものは何もなかった。
「死んでしまえ、死んでしまえ!」
 魔理沙は後ろを振り向くことなくアリスを引き離した。







 ぼんやりと焦点の合わない二つの目。未だ定まらない頭で、友人の魔理沙の動きを仔細に見つめていた。
「そんなに気になりますか?」
「え……、いや、別に」
 さとりが声をかけるが霊夢はうわの空だった。
「魔理沙さん、見るからに焦っていますね。文さんと鈴仙さんも組みましたから。もう少しで一時間も切ってしまいます。このままでは戦わずして決着がついてしまいますわ」
 霊夢はさとりの発言を右耳から左耳へと聞き流した。魔理沙が大妖精と話しているのが見えたが、すぐ離れてしまった。
「霊夢さん、隣にこんな可愛い娘がいるのに、もう。魔理沙さんのこと、心配なんですね。やっぱり、大事な人なんですか?」
「……魔理沙は、大切な、友人――だった……かな?」
 霊夢は少し記憶が混乱してしまった。さとりと組んでからどうにもおかしかった。
「うふふ、まぁいいですわ。今はこのゲームに集中しましょう。ねぇ霊夢さん」
 ふんわりとしたさとりの髪が霊夢の腋をくすぐる。
「うん……そうね」
 霊夢は優しく言った。
「そんなこと言ってもあっちばっか向いているんですね。いけないお人……。あのですね、魔理沙さんは今重大な岐路に立たされています。ここからの一行動がとても重要ですよ。もちろん、それは私達にも言えることですが、カードの点数も低く、共闘もしていない魔理沙さんは、とても頑張らなくてはいけません」
「そういえば、魔理沙は何点なんだろう? あの様子だと……」
 霊夢は少し頭をはっきりさせて言う。
「いいですか霊夢さん。私達は7と8のカードで中盤を押さえていますね。これはとても重要になります。ゲーム開始当初の慌てよう、カードが9以上の可能性は低いと思いませんか?」
「うーん、そう言われてみれば……」 
「これに私達の所有する7と8を組み合わせると、魔理沙さんは必然的に6以下となります。これでは戦えませんね。誰と組むかが非常に重要になります」
 さとりは流暢に説明する。
「魔理沙は……、アリスと仲がいいから……と、ちょうどアリスが現れたわ」
「あら運がいいですわ。アリスさん、魔理沙さんと組むなら本望でしょうからね。あの様子だと、アリスさんは9以上が自然でしょう」
 霊夢はほっとした。魔理沙とアリスはお似合いだ。これで安心できる。しかし霊夢の思惑ははずれ、魔理沙はアリスとは組まずにどこかへ行ってしまった。
「何で……? 魔理沙、アリスと組まなかったらあんたは……」
「うふふ、他人の心の闇は推し量ることができませんわ」
 さとりはらしからぬ発言をした。
「アリスさんと組まないとなると……、後は誰がいるんでしょうか? 友人のパチュリーさんがいますが、あの方はこのようなことは、面倒なのです。どっしり構えて誰とも組むことはないでしょう。てゐさんも魔理沙さんとは組まないでしょうね。残るは……、レミリアさん、天子さん、ルーミアさん、大妖精さんですが……、さぁ誰と組んだら一番勝ち抜けが率が高いと思いますか?」
「う、うーん……。誰かなぁ?」
 さとりは他人事のように言ったが、霊夢は気にもせず応対した。
「5、4、3、2、1……0。ぶーっ、時間切れです霊夢さん。正解はルーミアさんです」
「ええー、何で? ただの妖怪じゃない」
 霊夢はびっくりしている。
「よく考えてください。妖怪とか人間とかの前に、このゲームで一番大事な、高いカードを持っているのは誰かってことです」
「そ、そっか、でもなんでルーミアが高いの?」
「ルーミアさんは早苗さんと戦いましたよね? 思い出してくださいあの時のことを。早苗さんが自信満々で何人もの人に声をかけましたね。霊夢さんだったらどう思いますか? 早苗さんは強いカードを持っている、そう思うのが普通ですね」
「それはそうね。早苗は――」
 霊夢はここで早苗のカードを予想したことを思い出していた。早苗はAかKかそれともジョーカーもあるなと思っていた。
「ええ、早苗さんのカードは強いはず。でもほぼ九割カードは決まっているのです。ついでに言うとルーミアさんのカードも。こっちは十割ですが。」
「はぁ? 何でそうなるのよ?」
「いいですか? このゲームの勝ちぬけ条件に、15点勝ち抜けがあります。もし早苗さんがQやKで対戦したとしたら……、現実に勝ったのはルーミアさんですから、ルーミアさんは早苗さんより高いカードを持っていることになります。しかしこれでは勝ち抜けが決定してしまいます。故に早苗さんのカードはA、またはジョーカーしかありません」
 そうだったのだ。霊夢は勝ち抜け条件のことをすっかり忘れていた。
「Aに勝てるのは2とジョーカーだけですが、ジョーカーは10点ですから、先程言ったように勝ち抜けの矛盾が出来てしまいます。つまり早苗さんAだった場合、ルーミアさんのカードは必然的に2に決定しますね」
「はぁーなるほど、それもそうね。だからあの馬鹿あんなに強気だったのね」
「ええ、ただその強気のせいで足元をすくわれた結果にもなりましたが。次に早苗さんがジョーカー持ちの場合を考えてしましょうか。単純な勝率としては、Aよりも不安が残りますが、奇跡を起こしてきた巫女ならば、あのような強気もあるのかもしれませんね。ジョーカーと対戦して勝利し、なおかつ勝ち点15点を超えない組み合わせは、ルーミアさんが2、3、4、を所持している場合のみ。そしてこれも選択肢は一つになります」
「えーっと……、えと……」
 霊夢は今度は当てようと頭をぐるんとひねって考えた。
「ルーミアさん視点にたってみるのです。例えば、霊夢さんが3か4を持っていたら、早苗さんと対戦しようと思いますか?」
「……できるわけないわね」
 あの自信有り気の様子を見たら、腰がひけてしまうのは当たり前だった。現に7の霊夢でさえ敵前逃亡だったのだから。
「もしルーミアさんが3か4だった場合、低確率のジョーカーの出目にかけたことになりますが、誰がこんな勝負をするのでしょうか? これは絶対にありえません。ルーミアさんは最初から2でAを刺す算段だったはずです」
「は、はぁー、あのルーミアが2で早苗と勝負ね……」
 霊夢は感嘆して息を吐いた。
「ルーミアさんは何を考えているかわからないように見えても、結構したたかなのですよ。普通の人はこの即死ルールで2を持たされても、あの時間でA一点狙いには普通いけません。なんとか10以上と組もうと思うのが普通です」
「うーん、確かにね……」
「まぁと言うわけで、ルーミアさんの最初の所持カードは2と確定です。早苗さんがジョーカーだった場合、勝つには出目が0と1のみですね。これはほぼ考えなくていいですね。必然的に、ルーミアさんは現在2とA持ちの16TP、九割九分そうです」
 さとりはここまで人差し指を左右に動かして、流れるように説明した。
「はぁ……、御見それしたわ、さとり」
 霊夢は羨望の眼差しで見つめた。
「いっいやですわ、いやですわ。これぐらい誰にでもわかりますもの。周りの方できっと知っている方もいるはずです」
 嬉しさを隠せないのかさとりは少しもじもじした。
「……ん、でも、ルーミアが持ち点12点だったとして、残り勝ち抜けに3点必要よね。わざわざ共闘して勝ち抜け25点まで基準をあげなくてもいいんじゃないの? 下手すると3点が5点や7点になっちゃうもの」
「ルーミアさんにも共闘のメリットはありますよ。早苗さんが騒ぎ過ぎたのが仇になりました」
「どういうこと?」
 霊夢は目を丸くする。
「今言ったこの推理により、ルーミアさんの持ちカードは丸わかりです。パチュリーさんやてゐさんは確実に知っているでしょう。土壇場で自分のカードがよそに知れているのは致命的です。騙しが効きませんからね。ですから、例え魔理沙さんの点数が低くても、持ち点をわからなくすることは、大きなメリットになります」
「そ、そっか……、魔理沙……」
 さとりと組んでいても、霊夢は魔理沙には勝ち抜いて欲しかった。刻々と過ぎ行く時間の中で、霊夢の当ても無い不安は着実に増大していくのだった。







 
「はぁ……、はぁ……」
 時計の表示は一時間と十分ばかり、霧雨魔理沙の焦りは頂点に達しようとしていた。このまま誰とも組めずにいれば、座して朽ち果てる運命だけが待っている。
「誰か、誰でもいいから……」
 因幡てゐが侮蔑の笑みで笑っていた。わき目も振らずに逃げた。もう周り全てが魔理沙をあざ笑っているように思えた。アリスも、パチュリーリーも、そして霊夢も。
 ぐるぐると外壁を伝って歩く。黒服に何回もぶつかるが気にしない。誰か、本当に誰かいないのか?
「うわぁっ!」
 急に足に丸太のような物体がぶつかり、魔理沙はずっこけてしまった。
「ふああぁーーあ、んんー、もうおやつの時間?」
 比那名居天子は大きなあくびをして言った。この指止まれをして誰も来ないのを知ると、眠気が襲ってきて今まで壁際で熟睡していたのである。魔理沙の視界に入らないのもしかたのないことだった。
「おっ、お前いたのか……」
「ねぇゲームもう終わった?」
 天子は目をこする。
「この際こいつでも……」
 魔理沙はもうこの状況に耐えられなかった。早く楽になりたかったのだ。それが最悪の選択でも追い詰められていれば、蜘蛛の糸に思えるように、魔理沙の思考は凝り固まっていたのだ。
「おい天子、私と組もうぜ!」
「んっ? んー? ……うん! いいよ魔理沙!」
 天子は深く考えもせずに答えた。
 今ここに、不穏な空気の三組目の共闘者達が誕生したのである。






 紅魔の魔女が座るいつものテーブルに、無残にも魔理沙に突き放されたアリスはとぼとぼと戻ってきていた。
「なぁーーんでーよ、どぉーーしてぇーーよ。あうあうあぁぁぁ……」
「うるさいわねぇ。少し黙りなさいよ。全然本が読めないわよ。魔理沙に断られたぐらいで、一人でもどうにかするつもりなんでしょう」
 アリスの脳みそはとろとろに溶けかけて脳神経が傷つき消滅しかけていた。
「だぁーーってぇ、まーりーさーはーわーたーしーのー」
「大丈夫よ。いくら魔理沙でも自分のことはよく知っているわ。信じましょうアリス」
 パチュリーはそれとなく慰めた。
「うぐっ、ぐすっ、ぐす! だってぇ、ここで組めなかったら一生離れ離れになるかもしれないじゃない。そんなのよいやよ!断じていやよ!」
「そんなこと私に言われてもねぇ……」
「パチュリー、何か考えてよ。私と魔理沙が一緒になれる方法を」
「無理よ。すでに消極的な方法でそれを解決できる状況ではないわ」
 パチュリーは急いでページをめくる。
「何なのよもうこれは……。夢よ、夢に違いないわ。…………痛ててててててっ! 痛い、壮大に痛いわよ!」
 アリスが自分の頬をつねって踊っていると、場違いなファンファーレが聞こえた。
「またなの? 誰よぉ?」
 掲示板を見ようと振り返る。アリスの目には信じられない文字が映っていた。
「馬鹿っ! 魔理沙っ! よりによってあの天人なんかと! 死にたいの? 馬鹿っ、馬鹿魔理沙……うわぁぁぁぁっぁぁあああ!!」
 アリスの大泣きに耳を塞ぐパチュリー。
「終わったのかしら? いいえそれとも……」
 意味ありげにつぶやきながら、パチュリーはラストスパートを開始した。







 黒く光輝く二つの首輪。天子と魔理沙は絶対に逃げられない運命共同体になっていた。残り時間はもうすぐ一時間を切る。魔理沙はとてつもない後悔に襲われていた。天子の点数が思ったよりも低かったのだ。これで勝負するのは怖すぎた。というかまともに勝てる相手が存在するかどうかも疑問だった。ダンスを踊るように浮かれている天子を見る。何故なのだろうか、何故天子はこうも緊張感がないのか。魔理沙は共闘しても不安を拭い去ることは出来なかった。
「ねー魔理沙ー。首輪が綺麗だねー。これで二人合わせればガンガン対戦できるわー。やっとゲームが楽しくなってきた、うきうき……」
 無邪気に笑う天子、こんな状況で無ければ一緒に笑いあったのだが。
「組んだのかー、さっそく対戦するのかー」
「ねぇー、対戦しようよー、えへっへえええ、今度は逃げないよねぇ?」
 ルーミアと大妖精がほぼ同時に魔理沙達に声をかけていた。天子と魔理沙は弱者も同然だった。必死に逃げ惑ったはいいが、傷ついた体で寄り添って、何の希望もない戦地に投げ出されたのである。そこをハイエナやカラスが狙うのは当然である。一人ならほぼ確実に逃げの選択取られてしまう。しかし二人ならどうだろうか。弱者にもなんとか踏ん張って戦おうとするかもしれない。捕食者が狙うのはまさにそこだった。
「なぁに、ルーミアちゃん。私が先に声をかけたのー。それに私魔理沙さんと約束したのー、私と対戦するのー」
「私が先なのかー。早く食べさせるのかー」
 ルーミアと大妖精は獲物をめぐって口喧嘩を始めた。幼い容姿からは考えられないような卑猥な言葉が連発される。
「何だ……急に目を輝かせてきやがって……。まさかこいつら、私が天子と組むのを待っていたのか? 私が追い詰められて、不用意に誰かと組むのを……。くそっ、くそっ!」
「ねぇ魔理沙、どっちかと対戦しようよ。大丈夫だって、二人で力を合わせたんだからさ。ね?」
 下を向いてつぶやいている魔理沙に、天子が勇気づけるように言ったが、魔理沙は震えが止まらなかった。むしろ少しも恐怖の感情を出さない天子の方がルーミア達より怖かった。
「おっお前なんでそう平静としていられるんだよ。わかっているのか? この対戦に負けたら頭吹き飛ばされて死ぬんだぞ? 怖くないのか?」
 天子ははてなマークが浮びそうなほど首を傾げた。
「死ぬって? 私よくわからない。みんな大げさよねぇ。あんな頭飛んだぐらいで、ちょっと痛いぐらいじゃない。ねっ魔理沙もそう思わない?」
「……な、なっ、な……。お前……」
 魔理沙は自分の選択が間違っていたことを理解した。死の恐怖を知らない者にどうして真剣な勝負ができるのか。能力が封じられたこの空間では、天人でさえ無事では済まないはずなのに。







 出来るべくして出来た獲物に群がるハイエナ達。その姿を霊夢は直視できないでいた。このままでは魔理沙が死んでしまうのは確実だった。それでもどうしようもなかった。霊夢に出来ることはこうして少しでも対戦が成立しないように、念波を送るだけだった。
「ついに……、始まりましたね。長い時間をかけて構築されたピラミッド。崩れるのは必ず弱い部分からです」
 さとりが神妙な面持ちで言った。
「どうなのさとり? 魔理沙は……」
「……なにもかにもありませんわ。特にルーミアさんと当たれば絶対に負けますね」
「ルーミアは16TP……。確実にそれ以下ってこと?」
「ええ、私達が7と8を押さえていますので天子さんと魔理沙さんが、両方6以下のカードを持っている可能性が高いです。最大値でも6+5で11TP。もし何かの間違いで9を持っていたとしても、15TP。さすがに10を持っていて低いとは言わないでしょうから、16TP以上は考えにくいです」
 さとりは抑揚なく説明する。
「そんな……、じゃ、じゃあ大妖精はどう?」
「どうでしょう。大妖精さんの方がノイズが大きいのですが……。あの強気を見ると、魔理沙さん達が勝つビジョンは浮びませんわね……」
「魔理沙……、魔理沙……。どうか……お願い……」
 霊夢は祈りながら友人の名を呼ぶ。
 さとりはそんな霊夢の姿を見て、悲しげに眉をひそめた。





 何かが起る場所には人が集まる。奇跡の逆転を果たした射命丸文と、ある意味被害者の鈴仙もこの状況を観察していた。
「私達も行きませんか? 鈴仙さん。このままでは先をこされそうです」
「うーん……。でも……」
 鈴仙は中々踏ん切りがつかない。慎重な性格も時に負の要素となる。
「ルーミアさんと大妖精さんの気合の入りよう、みんな考えることは同じですね」
 射命丸は無駄に強気になっていた。
「ちょっと様子を見ましょうか。簡単に対戦が成立するとも思えないんで……」
「ふむ、そうですか。それでは待ちましょう。しかし行くときには限界まで行かなければなりません。それが私の使命だと思っています」
 鈴仙は心中で思っていた。ルーミアのTPはおそらく16。対戦が成立しそうになれば、それを教えて反古にすることも出来た。だたそれに伴う反動――周りの注目を集めることが、鈴仙にはたまらなくはばかられた。今現在は天子魔理沙組と誰も対戦が成立せずに、自分たちとすんなり対戦が成立することを一番に望んでいた。




「じゃーんけんぽん! じゃーんけんぽんっ! 勝った、私の勝ちなのかー。私と対戦するのかー」
 ルーミア達は話合いでは決まらず、結局じゃんけんで先の対戦相手を決めた。
「早く、対戦対戦なのかー」
 おどけるようにしてルーミアは言う。
「何だぜ、対戦相手は私が決めるんだ……。気分が悪いんだ。どっかへ行ってくれ」
「ええーせっかくじゃんけんしたのにかー?」
「いいからあっち行けよ!」
 魔理沙はすぐにでも逃げたかった。ルーミアと大妖精のいやらしい視線に耐えられなかった。
「まっ魔理沙……。せっかくだから対戦しない? 今しても後でしても同じだしさぁ」
 天子が魔理沙に促した。
「そーだそーだ。今するのかー。桃のお姉さんは話がわかるのかー」
「うふふ、そうでしょー。私はおりこうさんなのー」
 天子はルーミアに褒められて一瞬で意気投合してしまった。
「ねぇ魔理沙……。大丈夫よ。なんかいける気がするわ。ほら、こんな予感ってあるじゃない。何かいいことが起りそうとか――」
 天子の言葉は魔理沙には無意味だった。果てしない恐怖の中で、魔理沙の中で何か恐ろしい闇の声が聞こえ始めた。それはとてつもなく恐ろしく、決して抗うことのできない闇。魔理沙の精神は死の階段まで半分ほど足を踏み入れていた。
「……やめろ、やめろやめろやめろぉ!」
「どうしたの魔理沙?」
 天子が慌てて声をかける。
「落ち着いてよ、魔理沙。怖く無いって、ほら深呼吸して……。ひーふーひーふー。ね? 落ち着くでしょ?」
 何者かの怨嗟の声。魔理沙はそれに従う。
「そうか……。やってやるよ。へへへ……。やればいいんだろやれば……。見てろ、はぁ、はぁ、お前ら、みんなみんな……」
「おー、対戦してくれるのかー。決定なのかー。嬉しいのかー」
 腕を振り回して喜ぶルーミア。しかしこの注目されすぎた状況で、たやすく対戦を許されるわけも無いのである。
「おいおいおい! 馬鹿お前ら? 二人揃っても計算一つ出来ないのか? いいか、ルーミアは16TPなのさ。詳しい説明は省くがこいつは2でAを倒したに違いないんだよ。あの早苗にルーミアが対戦を受ける理由はそれしかない。わかったか? お前らの馬鹿さ加減を。馬鹿同士が組むとろくなことにならないんだよ。よく見ろそいつのにやけ面をよ! まるで勝ちが決まったように舌なめずりしてやがる。いい加減気づけよ。わかってないのはお前らだけだ! お前らどうせよくて12、13TPってとこだろ! お前らに対戦を求める奴はほとんどこれ以上に決まってるんだ! ほいほい受けやがって、簡単に勝ち抜けさせんじゃねーよ! いいか! お前らは鼠だ。猫に追われる鼠なんだよ! わきまえろよ鼠の身分をよぉ。必死にで逃げ回らないと話にならないんだよ糞野郎どもっ!!」
 突然割って入った因幡てゐが、猛烈な勢いでまくしたてていた。
「え……、何? 怖ーい、魔理沙ぁ怖いよぉ……」
 天子はてゐの剣幕に泣き出してしまった。対戦の邪魔をされたルーミアがてゐをもの凄い目で睨んでいた。
「何だ? お前。そんな目で睨んでも私は全然怖くないぞ。恨むんなら騒ぎすぎた早苗を恨めよ。ひっ、ひっ、ひっ」
「そーなのか? ……でもそーでもないのか?」
 ルーミアは二、三度瞬きを繰り返すとまたいつもの笑顔に戻っていた。
「ごまかしても無駄だ。もうお前と組む奴はいない。お前はもう終わったんだよ。終わりだ! はははっ!」
 てゐは笑いながら去り、ルーミアも部屋の闇へと消えて行った。
「……あれー。ルーミアちゃんどうしたのかなー? 私対戦してもいーのかなー。ねぇー、対戦しよー」
「来るなっ! 私の目の前から消えろっ! 見たくないっ! 来るな……来るなぁ!」
 大妖精が声をかけたが、魔理沙が必死の形相で追い払った。
「ううーー。ううううー。もうやだよー。助けてよ衣玖ー。おうち帰りたいよー」
 天子の泣き声はむなしく白い壁に全て吸い込まれた。






 博麗霊夢は泣いていた。この騒ぎの友人の蹂躙の様子に涙せざるを得なかったのである。
「魔理沙……。うわあぁあああ……」
 一方、古明地さとりはポーカーフェイスを保ったままだった。
「霊夢さん」
 さとりが呼ぶが霊夢は答えない。
「霊夢さん落ち着いてください」
 たまらずさとりは霊夢の手をつねった。
「う……、あ、さとり……」
「情に流されてはいけませんよ。正常な判断を失ってしまいます」
「ご、ごめん……」
 霊夢は袖で涙を拭く。さとりは霊夢の涙が気に入らなかった。それで地霊殿の残酷な女主人は、このゲームの決着をさっさとつけようと思った。
「一つ聞きますが……。霊夢さんは一番の親友と恋人、どっちかを選ばなければならないとしたら、どっちを選びますか?」
「そ、そんなの選べるわけが……」
「どっちですか?」
 さとりが上目遣いで見つめた。以前の優しく抱擁するような眼差しではなく、凍りつくような冷酷な目だった。
「うぁ……。やめてさとり……。私は……」
「いいえやめません。もっと私を見てください。もっと私と同調するのです」
 数秒にわたる結合。霊夢は少し落ち着きを取り戻した。
「あ、ああ……、さとり……。ごめんなさい。私取り乱していたわ……」
「わかればよろしいのですよ。うふふっ」
 さとりは霊夢を甘ったるい笑顔でくるんだ。
「あふ、あはぁ、さとり、さとり……」
「うふふ、だいぶ落ち着いたようですね。それではゲームを楽しみましょうか。霊夢さんこのゲームの対戦で勝つ条件はなんだと思いますか?」
「え、ええと……。相手よりも高いTP?」
「それも大事なのですが、もっと大事なことがあります。相手が対戦を受けてくれるかどうかです。相手より高いTPを持ち、さらに対戦を受けられる、それが理想の展開です」
 さとりがにっこり笑って言う。
「それはそうだけど、そう簡単に出来たら誰も苦労しないわ。大体相手より高かったら絶対警戒されるものよ」
「そうなんですが、その矛盾を打破する切り札――魔法とでも言いましょうか。このゲームには魔法が存在するのです」
「何よ……。能力は封じられているのよ。魔法なんて存在しないわ……」
 さとりは霊夢の横にちょんと座る。
「いいですかよく聞いてください。私達は今15TP、そして魔理沙さん達は最大でも11TP。万が一9が入っていても15であいこです。あの様子ではまずジョーカーはあり得ません。魔理沙さん達を狙えば絶対に勝てます。後は対戦するだけなのです。……私が今から魔法をかけます。対戦できる素敵な魔法ですよ。もう友人などと躊躇っている時間はありません。いいですね? 霊夢さん」
「う、うう……、でも……」
「霊夢さん!」
 さとりの一喝が霊夢の心に刺さる。
「わ、わかったわ……。さとりの言う通り……。勝つために……」
「わかってくれて嬉しいです。……さて、今から話をつけて来ますよ。ああ霊夢さんはそこで待っていてください。魔理沙さんと顔を付き合わせるのは気が重いでしょうから。大丈夫、すぐに終わりますよ。魔法の効き目は抜群ですから」
 さとりはウインクをして音も無く前へ進んだ。
 霊夢はその後ろ姿を空ろな目でぼーっと見つめていた。





 1:00

 大妖精  〇――× チルノ
 ルーミア 〇――× 早苗
 霊夢――共闘――さとり
  文――共闘――鈴仙
 天子――共闘――魔理沙




 ついにゲームも終盤に近づいてきている。局面は既に煮詰まりつつあった。生存している参加者十二名の内の六名が、共闘しているこの状況から、堅牢な堤を崩すのは誰なのだろうか。策謀を張り巡らし出しぬけようとする者、恐怖に怯えのた打ち回る者、達観した態度で沈黙と傍観を決め込む者、恋心に惑わされ滅びの道を歩む者。それぞれの思いが錯綜する中、盤上の駒はしのぎを削り、約束された最終局面へと収束されていく。






 幻想郷で唯一のデジタル時計が無機質に時を刻む。博麗霊夢が白い壁面を見上げると、時刻は残り一時間をちょうど過ぎていた。
「魔法……ね」
 霊夢はさとりが言った言葉を思いだす。普段の幻想郷ならば、魔法に似た能力を持つ妖怪も、多数に存在する。悪魔から授けられし禁忌の力か、それとも自然的な精霊の力を融合した純粋な力か――。どっちにしろ魔法に匹敵する力をたやすく使えれば、こんなには苦労はしないのだが。
 古明地さとりの繊細な読心能力、レミリアの運命操るらしき能力、因幡てゐの人間を幸運にする能力、早苗の奇跡の力と――各々用途効果の違いはあれど、この心理的要因が大幅にかかわるこのゲームにおいては、強力に効力を発揮することが期待できるのだ。特にさとりが能力を使えればゲームは成立しない。首輪から受け取るイメージを全て把握出来てしまうのではゲーム性崩壊もいいところだ。
 霊夢は赤く光る首輪を触る。この首輪が持続的に霊夢達の能力を制限しているのだ。このせいで凶悪な妖怪も非力な人間も等しい能力を持つことになっていた。わずかな違いは頭脳だけだろうか。それに他人を支配する圧倒的なカリスマ性と話術。
 ゲーム開始時に紫は平等にゲームを楽しむためと言ったが、この状況になんの平等があろうか。そもそも初めのカード選別からして平等もへったくれもない。そういえばこの数字は首輪自体に刻みこまれているのか、それともたいそうな技術により電気的に決められているのか、そんな疑問を今更ながらに思った。
「さとりはどうやって対戦するつもりなのかしら」
 頭を切り替えて目の前の現実に目を向ける。
「魔理沙は私達と対戦するとは思えないんだけど……」
 てゐに罵倒と言う名の説教を容赦なく浴びせられていたのを思いだした。あれだけ言われれば少なくとも三十分は対戦はしたくないだろう。あの時の魔理沙の気落ちした顔、天子の赤子のように助けを求めて泣く表情。霊夢には二人の痛々しい姿が見るに耐えなかった。
 さとりは魔理沙と話こんでいる。霊夢はさとりには申し訳なかったが、どうか魔理沙が断ってくれるようにと、必死で念じていた。

「こいつぅ! しゃあしゃあ出し抜けしようとしやがって! 私の目が黒いうちは小細工できると思うなよ?」
「……苦しいですわ。やめてください」
 突然、因幡てゐのどなり声が聞こえた。視線を向けると、てゐよりも更に一回り小柄なさとりの体が、胸倉をつかまれて、二本の足を地上から隔離されていた。
「ど、どうしたの? やめなさいてゐ!」
「おっと地上を裏切った巫女様のお出ましだ」
「な、何ですって……」
「だってそうだろう? 仮にも博麗の巫女様が、卑しい地底の妖怪と手を組んで、善良な人間をこの手で殺そうとしたんだからね! そこの魔法使いはお前の友人じゃなかったのか? それとも人間の味方はもうやめて地上を妖怪で支配しようってか? あの八雲紫が狂ったのだから、巫女が狂うのもうなづけるがね! ははは!」
 てゐの手が緩みさとりの体が床へと崩れ落ちる。
「はぁぁ……。霊夢さんこの方怖いですぅ……」
 さとりは演技なのか素なのかわからないような声を出して、霊夢にすがりついて来た。
「私が……、魔理沙を……。でも……勝たなきゃ……」
 霊夢はさとりをほとんど無視してつぶやいた。
「あーん? お前世間体ってものを考えていないな? 人間を、しかも親しい友人を殺して、のうのうと博麗の巫女を担うことが出来るのかよ? いいか、それほど博麗の巫女様は絶対的なんだ。例え紫がとち狂って、生き死にの賭けた馬鹿なゲームを考えたとしてもだ、あの巫女は卑しい妖怪と組んで友人を縊り殺した。手加減もなく見捨て殺した。永遠にそう言われるんだよ! 勝ち抜けたとしても地獄さ! お前はその仕打ちに耐えられるのかよ?」
 てゐの辛辣な言葉は霊夢の胸に刺さった。そうだ、自分は魔理沙をこの手で殺そうとしていた。さとりにああ言われたとしても、ほとんど反論することなく承諾したのだ。生き残るために魔理沙を――。
「そこの白塗りお化けがこいつらに何を言ったか教えてやろうか? 私達はジョーカーを持っている。だから私達と対戦しましょう。大丈夫です。あなた方の点数がいくら低くてもジョーカーの出目が低ければ、あなた方の勝つ可能性はあります。私達と対戦しましょう。あなた方が勝つ道はそれしかありません。……ってな。本当は持ってないくせに。こいつらはまた信じようとしやがった。呆れるほど救えない連中だ。私が止めなければ絶対対戦を受けていたに違いないからな」
 そうか、魔法とはそういう意味だったのか。確かに低点数の者もジョーカー持ちと戦えば、少なからず勝利の可能性はある。しかしまさかジョーカーですと言われて、そのまま信じきってしまう者はいないが、魔理沙達のように追い詰められた状態なら、魔法が弱点属性をついたかのように効果的であることを、心理のあやを理解しているさとりは熟知していたのだろう。美しいパートナーの悪魔的所業に霊夢は毛穴がきゅっと引き締まって戦慄を覚えるのだった。
 てゐの視線を先を見てみる。そこには手を取り合って怯える兄弟姉妹のような、魔理沙と天子の姿があった。さとりによっぽど凄まれたのか、単に精神が磨耗しているか計りかねたが、二人はもはや戦地に投げ出された赤子も同然だった。
 ふと魔理沙と目が合う。白目もどんよりと濁っていて黒目も光がなかった。いつも快活な魔理沙ではなく、乱暴され辱められ蹂躙された結果の悲しい抜け殻だけが座っていた。
「くっ……。案外地獄耳ですのね」
 床にへたり込んでいたさとりが立ち上がって言う。いつもの澄まし顔ではなく邪悪な妖怪そのものの顔だった。
「お前らクズ妖怪の考えることなんてお見通しなんだよ!」
 てゐはにべもなく言った。
「うふふ……、それにしても、あなたが先ほど言った件――世間体と言いましたか。あなたにも関係があるのじゃありません? あなたのお優しいお仲間の鈴仙さん。もしも鈴仙と戦わないと勝ち抜けない状況になったとしたら、うふふ。想像するだけでおかしいですわ……」
「何だと……」
 さとりはどこかツボに入ったのか押さえ切れない笑いを漏らした。
「うふふっ、うふっ。それにてゐさん。他人の邪魔ばかりしていますが、ご自身のこと――そろそろ心配された方がいいのでは? 残り一時間を切り、局面は煮詰まるばかりです。そして行き着く先は共闘。あなたと組んでくれる尊大なお方はいますか? お仲間の鈴仙さんはもう組んでしまいましたよ? あまり憎まれ口ばかり叩いていると、肝心な時誰も助けてくれませんよ?」
 てゐが無言でいるとさとりは更に続けた。
「あなたはさっき、巫女が人間を殺したとか言いましたわよね? うふふ、そんなのどうでもいいですわ。緊急避難と言う言葉があります。幻想郷の維持には博麗の巫女が必要なのでしょう? たかが人間一人のゴミのような命、喜んで捧げるべきでしょう? 例え人間を殺して生き延びても巫女は巫女ですわ。だって博麗の巫女は絶対なのですから、巫女が人間を殺すと言えばそれは真実ですわ。反論する者も皆殺し、博麗の巫女なんですから、巫女が黒と言えば全て黒になりますわ。うふっ、うふふっ、うひっ、ひっ、ひひっ! ひっひいいっっ! ひぃぃぃ――――」
 さとりは引きつったように笑い続けた。正真正銘、地底妖怪の古明地さとりがそこにはいた。
 てゐはさとりの豹変に、しばしぽかんとあっけに取られていたが、すぐに気を取り直した。
「緊急避難? 馬鹿かお前は? 地底の腐った水飲んで育った妖怪にそんな権利はないんだよ! おい見ただろう霊夢? こいつの本性を? お前ら人間はどうなってもいいんだとよ! だがさとりと組んだお前も同罪だ! お前はもう博麗の巫女なんかじゃない! 腐ったゲロ水に汚染された糞人間だ! いいか、お前らが勝ちぬけても従う奴なんて一人もいないんだ! 二人で仲良く乳繰り合ってゲロ水口移しでもして死にやがれ!」
「うふっ、うふっ、何ですのそれ? 反論のつもりですの? うふふふっ、滑稽過ぎて片腹痛いですわぁ。いひひひひっ……」
 二人の言い争いを霊夢はぼうっと聞いていた。頭には半分も入らなかった。ただ魔理沙の落ち窪んだ目がとても悲しかった。






 騒然とした粗雑な言い争いが終わり、結局対戦は出来なかった。古明地さとりは自分の失態に恥じていた。てゐに割り込まれ胸倉をつかまれたことについカッとなってしまった。その結果生じた霊夢の悲痛な状態に頭を悩ませていたのである。
 現在心が読めないさとりにはどうも手の出しようがなかった。心は脆くて硝子のように壊れやすいもの。博麗の巫女である霊夢であっても、その脆弱さは変わらなかった。
「あ、あのー、霊夢さん……」
 霊夢は無言で体育座りをしている。何なのだろうか、このもやもやした気持ちは。まるで妹のこいしみたいではないか。どんなに心を通わせようとしても、するりと透過してのれんに腕押しになってしまうのだ。
「う、うふふ……。霊夢さん、私少し興奮してしまって……、ええそれに、あんな兎の言うことなん……」
「黙ってて」
 霊夢はさとりの言葉を遮る。
「あっ、でも、ですねっ、えっと」
「話かけないで。少し一人になりたいの」
 拒絶具合が最大にまで上がっていた。さとりは諦めて時間経過による解決を試みた。
「そ、そうですか。では私、情報収集してまいりますね。おほっ、おほほほほ…………」
 すり足で後ずさりしながら、さとりは霊夢の前から姿を消した。



「はー、私としたことが、何と言うことでしょう。あそこまで霊夢さんが気にするとは思いませんでした。人間とはああも脆いものなのでしょうか? 困ります困りますねぇ。されど二人の愛に障害があればあるほど、熱く淫らに燃え上がるのです。うふふ、待っていてくださいね、霊夢さん。必ず私色に染め上げてみせます」
 軽やかなスキップ。空気のように地を蹴り優雅に身を翻す。
「さて、情報収集とは言ったものの、難しいですね。私のさっきのアレで、みなさんきっと警戒していますからね」
 その時女主人の脳裏に、ある出来事が思い当たった。そういえばあの行動は、もしかしたらいけるかと思い、さとりはスキップの歩幅を一段と広くした。


 アリスとパチュリーが座るテーブル。ここだけはいつもと変わりない。ただし精神を少しこじらせたアリスが、ぶつぶつと読経を唱えながら、右頬をテーブルと同化させている以外は。
「ふふーん、さすがに私は頭が回りますね。あらそういえば、アリスさんの存在をすっかり忘れていました。…………全然動きませんね。寝ているのか溶けているのでしょう。今がチャンスですね。いざ実行です」
 さりげなく周りを歩いて、散歩中に偶然会ったという演出で声をかける。
「あぁら、これはこれは、幻想郷に名高い魔女のパチェリー・ノーリッジさん。いい天気ですね。ご機嫌いかがかしら?」
「あなたのおかげで最悪ですわ。私、パチュリー・ノーレッジです。古明地ことりさん」
 パチュリーは視線を合わさないまま言った。
「ご、ごめんなさい私としたことが。いつも名前なんて覚えてなくても見えるものですから……。ええと、私ことりじゃありませんわ。古明地さとり、古明地さ、と、り、ですわ。よろしくお願いします」
 さとりは少し動揺したがゴホンと一回空咳をする。
「それで何の用かしら? ほとりさんはもう霊夢さんと組んだのでは? もう私に用は無いはずではないでしょうか?」
「え、ええそうなの……」
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。魔理沙の馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿…………」
 アリスが一際大きな声で垂れ流していた。
「ああ、あれは気にしなくていいから。早く御用を言いなさいな。蚊取り線香さん」
「は、はぁそうですね。あのぉ、私、パチュリーさんとお友達になりたいなーと思って。ほら、なんか私達、似たもの同士の気がしませんか? どちらかと言うと、内にこもってて、感情を表に出さない。私、御本を読むのも大好きなんですのよ。うふふ、パチュリーさんと同じですね。もしよろしければ――地霊殿の秘蔵図書、あなたにお送りしても――。どうです? お近づきになりませんこと?」
 さとりは名前を間違えられたのも、一切動じずに雄弁にパチュリーを誘った。
「せっかくですけど間に合ってますわ。はとりさん。紅魔館の図書館は無限大ですもの」
「え、えーでも、他所では絶対手に入らない、奇書中の奇書もありますので……」
 パチュリーの眉間と、右目がキョロキョロ動いたのをさとりは見逃さなかった。
「ふーん……。ちょっと気になるわねぇ……」
「そ、そうでしょう? ねぇもう私達はお友達ですよ。夢見る少女の素敵な読書仲間ですよ……」
 さとりは脈ありと見て、さっとパチュリーの柔らかい手を握った。そして熱い視線を送る。簡単に他人を意のままに操るさとりの常套手段だった。この方法で男も女も関係なく、あっという間にさとりの奴隷になってしまうのだ。例え読心と恐怖催眠術が使えなくても、この至近距離ならばほとんど誰でも愛欲の奴隷に陥れる自信がさとりにはあった。
「あん、お友達に? うふふ、なんだか嬉しいわぁ……」
 顔が上気して声が上ずっている。さとりは勝ちを確信した。
「そう、私達は仲睦まじいお友達ですよ。……その大事なお友達にカードを教えてくれませんこと? あなたのカードと……、鈴仙さんのカード。私見ていたんですの。鈴仙さんがあなたに耳打ちするのを。あの方は嘘をつけない性格ですわ。どうですか? カードのことを話したんじゃないんですか? ねぇ教えてくださいなねぇねぇ」
 手を握り締めて耳元で囁く。もうなりふり構ってはいられなかった。多少強引でもジョーカーの位置を知りたかった。ノイズとなる要素を消しておけば今後の有利は揺ぎ無いのだから。
「ああん……どうしようかなぁ……」
 パチュリーの甘えた声。もう一息だと思い耳に吐息を吹き込む。
「駄目ぇ……私変になっちゃう……」
「いいですよ。もっとおかしくなってください……」
「さとり様ぁ……、言います。私言います……」
 口を半開きにして、涎を垂らして恍惚状態だ。これでもう何も心配は無いと思った。
「うふふ、いい子ですね……」
 猫をあやすように顎を撫でさする。
「……では言いますよ。私のカードはね……」
「はい、いいですよしっかり聞いていますから」
 さとりは勝ったと思い、パチュリーの薄い唇から放たれる言葉を待つ。しかし、さとりの思惑は無残にも外れることとなってしまった。
「蛆虫」
「はぁ?」
「蛆虫ですよ、古明地さとりさん。あなたは蛆虫そっくりです。地底の汚い蝿から生まれた醜い蛆虫。死体や排泄物に寄生するだけの存在だわ」
 さとりが初め何が起きたかわからなかった。完全に術中だったはずのパチュリー。それが――。
「何驚いているの? 能力は封じられているのに自分の力を過信し過ぎているわよ。魔女は全身で嘘をつくのよ。くくくっ」
「まぁ……。まさかあなた私を騙して……」
「いやぁ、あなたの阿呆面が見れて楽しかったわ。噴出すのをこらえるが大変すぎたわね」
 パチュリーは涼しい顔で言った。この事実がさとりのプライドを大きく傷つけた。自分の能力には絶対的自信を持っていたからだ。それが貧弱な容姿の少女に簡単に破られてしまった。さとりの驚愕を推し量るのは想像に難くない。
「さてと蛆虫さん」
「私は蛆虫じゃありませんよぉおおー!」
 さとりが喚く。
「あら覚妖怪さん、これぐらいの悪口は聞き慣れているんじゃなくて? そうでなければ生きていけないでしょう?」
「あ……、そういえば……」
 そうだった。こんなほんの悪口はいつもの読心で慣れていた。九割の悪口と一割の賞賛。この数少ないさとりへの賛美があれば、どんな悪感情をも帳消しになるのだった。さとりはそうやって覚妖怪として生きながらえてきたのだ。
 二時間ほどの能力の封鎖により、さとりは読心の悪口と賛美を受け取っていなかった。これにより、急なパチュリーの蛆虫発言に、髪の毛を逆立てて怒ってしまったのだ。
「心が読めなくて寂しいでしょう? 信頼できる友人が助けてあげるわ。感謝なさい。蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫……」
「あ……、え……。あの……」
 久しぶりの悪口だった。何故か心が安らぐのがくやしかった。
「蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫……」
「魔理沙は蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫……」
 完全にテーブルと同化したアリスも共鳴振動する。
「蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫蛆虫…………」
 二人の魔女が呪言を唱える。極めて異様な光景だった。
「う、ひ……、あ、あ、あ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいい……」
 蛆虫連呼で安心する自分自身の心に恐怖を感じ、さとりは泣きながら逃げ去った。
 






 博麗霊夢は悩んでいた。巫女としての在り方に、そして自分とは何なのか。このゲームに勝ったとしても何があるのだろうか。魔理沙のいない空虚な世界。紫は一体何を考えて――いや紫が何をしてももうどうでもいい。もう魔理沙は助からない、その絶望だけが酷く悲しかった。
 薄ら目を開けてみる。古明地さとりが息を切らせながら戻っていた。何か怖いものでも見たのか涙目で、奇妙な顔芸で笑顔が引きつっている。
「どうしたの? さとり?」
「なっ、何でもありませんわっ!」
 不思議に思って霊夢が聞くと、さとりは少し突っぱねて答えた。霊夢は頼るものが欲しかった。か弱い人間が困った時にとる行動――それは煩悩で自分を慰めるしかない。人間の霊夢もその例に漏れなかった。さとりの怯えた態度が霊夢の嗜虐心を煽った。とにかく肌を合わせて安心したかった。全てを忘れさせてくれる存在が欲しかったのだ。
「さとり、怖いの、私怖いの……。もう何もかも忘れたいの……。」
「あん霊夢さん……」
 霊夢はさとりを一心に抱きしめていた。華奢な少女の骨格が服の上からでも直にわかる。荒々しく爪をたてて、さとりの肉体に溺れようとする。
「うふふ、霊夢さんが積極的になるなんて嬉しいです」
「怖いの、私、助けて……」
「霊夢さんも怖いんですね……。二人で足りない部分を補いましょう。大丈夫、大丈夫です。私が許してあげますから……。さぁここにいらしてください」
 かち合う視線。揺れるスカートの裾が細長い指でつままれて、ゆっくりと持ち上がる。つやつやと艶かしい、白く湿った鱗に包まれた二本の尻尾が、霊夢の視界をドロドロに陵辱した。剥き出しの脹脛と太腿に欲情し、誘われるがままに手を伸ばす。更に奥の、神秘的な暗がりに、霊夢の心は弄ばれて誘惑され、どうしようもなく狂わされた。
「くすっ、駄目ですよ。ここもおあずけです。美味しいものは後に取っておくのが定石でしょう?」
 霊夢の手はさらりと払いのけられてしまった。さとりは両手で霊夢の頭をつかみ、徐に自分の両膝へと導く。
「ふぁ、さとり、さとり、私――」
 二度目のおあずけを強いられ、霊夢の金魚のように口をパクパクさせた。
「少し気を静めてくださいな。揺り籠にでも乗ってね……」
 霊夢の頭が薄い布生地の上へと移動され、さとりは自分のか細い足で霊夢の頭を膝枕した。母猫が、子猫を毛づくろいするように優しく愛撫する。指で髪を梳き頬をゆっくりと撫でる。
「ああ……、さとり、それいい……すごく落ち着いちゃう……」
「うふふ、霊夢さんはここが弱いんですわ。顎と首のこことここ……。さぁ私の愛に酔いしれてください……」
 優しい愛撫にいつしか霊夢は悲しみを忘れていた。母親の胎内を幻視するような心地に、霊夢はさとりへの心酔をより深めていくのだった。







「あややー、魔理沙さん達と対戦しようとすると邪魔ばかり入りますねぇ」
「……そうね。当然かも。一番点数が低そうだし」
 射名丸文が鈴仙に言った。ルーミアと霊夢さとり組がてゐによって妨害されたのを見ていたのだ。二人はタイミングを見計らっていた。自分達が対戦して、唯一勝てるのは天子魔理沙組だと思っていたからだ。
「私達が話しかけて、またてゐさんに邪魔されたらいやですねぇ、鈴仙さん」
「たぶん、それは無いと思うんだけど」
「えっそれは何故ですか?」
「いえ……、なんとなく」
「ややっ、なんとなくじゃ信用ないですよ」
 てゐは永遠亭の仲間だった。開始直後に失態を晒し、低得点を印象づけた文、そしてその文と組んだ自分。てゐは何か邪魔する理由があるだろうか? あのてゐならば難癖つけても邪魔するかもしれないが。それでもルーミアや霊夢さとり組のような、圧倒的な勝勢ではない。むしろ対戦して負ける確率も五分五分に近いと思われた。鈴仙の思考は空回りする。どうする、どうする――。
「行きましょう鈴仙さん。また誰かに先こされたら嫌ですし。大丈夫です。いけますよ、誠意を見せればいいのです誠意を!」
 文は誠意を強調して言った。
「そうね、行きましょうか」
 鈴仙はあまり気が進まなかった。どうしても敗北するイメージが拭えなかったのだ。しかし勝ち抜けるにはここ一点で勝負するしかない。そしてその一点が結果として運任せになったことに、鈴仙は今になって後悔するのだった。




 
 闇が心を多い尽くし絶望だけが広がる。逃げようにも全て袋小路が行く手を阻む。道端には野犬が唸りをあげ空には夥しい数の烏。じっとしていても、毒々しい色の毛虫が足元から這い上がり背中を縦横無尽に駆け抜け、粘膜から侵入し毒液を撒き散らす繊毛で侵そうとしてくる。
 霧雨魔理沙は強度の精神衰弱に襲われていた。さとりの使った魔法は、重大な被害を魔理沙の精神に与えていた。それを霊夢が前もって知ることはできないのも無理はなかった。
(霊夢は私を殺すためにわざわざ策を使ったんだぜ)
 声をかけてきたのはさとりだったが、全て霊夢の差し金に思えた。
(霊夢が私を騙そうとした。霊夢が私を騙そうとしたんだ。しかも私の目の前に現れずに白い妖怪にやらせた。霊夢お前はそうまでして自分の手を汚したくないんだな。お前の自己保身が怖いよ。ああそうか、そうだ、お前は博麗の巫女だったな。そうならしかたない。お前は私の屍を喰らってでも生きていくのだな。霊夢、何故なんだ霊夢)
「魔理沙、ねえったら! 魔理沙返事してよぉ!」
(誰だ? アリスか? いや違う。私の近しい人物の声ではない。パチュリーでもない。誰だ? おい……。まさか? 駄目だ返事をしてはいけない。あの声は冥界からの呼び声だ。返事をしたら確実に――殺される。ああこのまま目も耳も塞いでしまいたい。何も見えない何も聞こえない無の世界。怖い、とにかく怖いのだ。ここはどこだ? 白、白、白、白塗りの壁? いや……私は今しがた大きな蛇を見た。ずるずると這いずる白い淫靡な蛇。そうか、ここは白蛇の腹の中だったのだな。通りで苦しいわけだ。息が詰まる、皮膚が溶ける。駄目だ逃げようとも足が動かない。喰われる喰われる。あれは、霊夢か? あ、あ、あ、白蛇と霊夢が二人並んでいる。目が光って、そいつは蛇だ。よく見ろ、く、来るな、蛇が、霊夢、逃げろ、逃げろ、れ、れ、れ、だめ、ちか、近い、閉じよ、とじ、と――――)






 鈴仙の赤い瞳が霧雨魔理沙と比那名居天子の姿を捕らえる。大泣きをしていた天子はもう泣きやんだようだ。今でも子供のように無邪気な顔でじっと宙をぼんやりと見つめている。魔理沙の容貌は衰えていた。まるで百余年の年月を経過したようだった。人間にとっての百年はとても大きい。顔や全身の筋肉にまるで力が無く、目に意思が感じられなかった。ただ空中の一点を凝視したかと思うと、二、三度素早く瞬きし、視線を下に下ろして何か悪魔を呼び出すかのような低い声で、口をカクカクと動かしているのだ。
「文さん……、私、もう終わりにしたいです」
「んー、そうですね……。私もあんな魔理沙さんは見たくありませんね。さて、何と声をかけましょうか?」
 所在なさげにいると天子がおいでおいでと手まねきをしてきた。魔理沙がしゃべらなくて寂しいのだろうか。
「魔理沙がさっきからおかしいわ。私が話しかけても何も答えないの」
「あやっ、これやばくないですか? 完全にイッてますよ」
 間近で鈴仙も魔理沙の状態を見てみる。魔理沙は精神的にこと切れているように見えた。鈴仙自身も永琳の診療所でこのような状態の患者を見たことがある。現実と虚構の乖離が進みすぎた目。いち早く適切な処置をしなければならない。しかしこのゲーム最中にそれは無理だ。何が魔理沙をここまで追い詰めたのか、鈴仙はやり切れなかった。断続的な死の恐怖、そして自分の判断ミスによる後悔。それに後一押しの何か、それは鈴仙には知る由もない。
 他人事と楽観などはしてはいられなかった。残り時間は後五十五分ほど、いつ鈴仙自身もあの魔理沙のように壊れてしまうかもしれない。このまま勝ち抜けが決まらなければ、時間ぎりぎりまで死の鉤爪の疼痛を享受しなければならないのだ。鈴仙はごくりとつばを飲む。体の機能がおかしかった。一定の白い色彩で塗られた壁。この無機質な感触が理性を狂わせる。精神と肉体を同時に漂白されるような不気味な妄想に鈴仙は陥っていた。
 しかし魔理沙に意識が無いとすると共闘の意味はどうなるのだろうか。鈴仙は文にそれを聞いてみた。
「どうなんでしょう。ちょっと聞いてみましょうか。あのー、藍さーん。来てくださーい。魔理沙さんが……」
 
 忍者のように颯爽と黒服の藍が参上した。ずっと無表情で、参加者とは一線を画した態度が、ゲームの審判役をただ務めるだけの律儀さ――隔離的で越境的な無感情さを物語っていた。
「あ、あの、魔理沙さんはもう自分で考えられる精神状態ではありません。早く医者に診せないと危険です……。だから……」
 鈴仙は少し気持ちを高ぶらせて言う。藍は無言で魔理沙の横に腰を下ろす。瞼を広げて瞳孔を確認したり、胸に手をやって心拍を確認したりしている。やがて、見通しがついたのか、立ち上がって重い口を開いた。
「霧雨魔理沙は生きている。意識の混濁が激しいが、ゲームに支障はない。このままの状態で続行する。対戦の承諾云々の権限は、全て比那名居天子に委ねられる。以上だ、何も問題はない」
 藍の声のトーンは一定でぶれることなく機械的だった。
「何を言って……、魔理沙さんはこのままではとても危険な状態です。このまま放っておいたら二度と心が戻らないかもしれないんですよ?」
「……そ、そうです! 私もジャーナリストの端くれとして許せません。それにこのゲーム自体もおかしいですよ。あなた方、このまま無事で済むと思ってるんですか? 私、大々的に記事を書き出してやりますよ! 卑劣な八雲家、悪魔の所業。い、今からでも遅くはありません。私のペンの力が……、こ、こ、怖かったら、今すぐこのゲームをっ、やっ、や、やぁぁぁぁっ! ひぃぃいいいいっ!」
 鈴仙の後に続いて、文が少し強気になって自論を述べたが、藍の眼光の威圧感に押しつぶされて、無様にも涙を流して腰を抜かしていた。
「何かを勘違いしているようだが――、今現在霧雨魔理沙の体に起こった諸症状は、このゲームの重圧によるもの。全てはゲーム進行で予想される状況の一つに過ぎない。もし、霧雨魔理沙が共闘せず、あの状態になったとしたら、待つのは死のみだ。彼女は戦地で錯乱し、我を失い、戦うことをやめたのだ。これは彼女自身の心の弱さがもたらした結果だ。生きるも死ぬも彼女に全責任があったはずのだ。彼女の甘さ、この限定された遊戯の中で真剣になれなかった、その甘さが精神の死を招いた。彼女はなるべくしてそうなったのだ」
 藍は淡々と言った。
「はぁあ? 藍さんおかしいですよ? あなたもきっとおかしくなってるんです。八雲紫に騙されてるんですよ。い、今すぐ止めるべきです! 断固反対です。私達には権利があります! とやあぁぁっぁっぁぁ……」
 文が妙な叫びあげて、藍に飛び掛っていた。藍はかわすまでもなく仁王立ちし、実際、文は藍に一切触れることなく床に醜く転がっていた。藍の周りに展開するオーラが、能力を封じられた妖怪を軽く吹き飛ばしていたのだ。その反動により、文は羽と腕に痛々しい擦過傷をいくつも刻んでいた。
「お前達はまだ我々の手の内にあることを理解してもらいたい。このゲームで生き残る方法はただ一つ。他者を追い落とすこと。そのためにはどんな手を使ってでも構わない。戦場で泣き言を言っても呆然と立ちすくんでも誰も助けてはくれないのだ。いいか、それを忘れるな。全てはマスターの意思だ。それでは健闘を祈る――」
 そう言って藍はきっかりと百八十度踵を返した。
「ひぇぇぇっ! 痛い、痛いです。重傷です! この射命丸文が取材中の無念の憤死です。ああなんという、なんという横暴でしょうか! ただし、私に正義の心がある限り、私は何度でも――何度でも蘇ります……。いい痛ててて……」
 鈴仙は足元に蹲る文を気にかけながらも、藍の言葉に絶望していた。何故だろう、決して好き好んで戦地に赴いたわけではなかったからだ。しかし、自分達の権利は存在しないも同然だった。出来ることは、この地獄の底で必死に共食いしながらのたうち回ること。鈴仙は泣き喚く文を見ながら、決して顔には出さずに心の中でむせび泣いた。






 名誉の負傷しをした文を、鈴仙は手持ちの包帯と薬で応急処置をした。傷の範囲自体は広いものの、表面を浅く削っただけで、血はすぐに止まった。鈴仙は藍の冷徹な目を思い出す。
 彼女は八雲紫の忠実な式だ。主人の開催したゲームの遂行に全力を注ぐのは当たり前だが、主人の愚かな行動を諌め、正すのも部下の役目なのではなかろうか。時にこの遊戯は常軌を逸していた。参加者同士を争わせて、更に精神に手酷い致命傷を刻み込む。赤い血の通った真っ当な妖怪の所業ではない。悪魔に心を売り渡した、救いのない俗物の児戯に等しかった。
 鈴仙には八雲紫の胸中は読み取ることはできない。今はただ、このゲームを無事に終えられることを望んでいた。事後処置は師匠の八意永琳がなんとかしてくれるはず。鈴仙はそう信じたかった。
「おお痛い痛い。ああ鈴仙さんありがとうございます。さすがは名医、八意永琳のお膝元で勉学に勤しんでいるだけあります。私、鈴仙さんを選んで、本当によかったと思っています。あっ、そこ、くすぐったいです。うへっ、うへぇっ、いひひひっ!」
 奇妙な笑い声をあげる文を無視して、鈴仙は傷口をしっかり包帯で閉じた。
「はいこれで終わりです。大丈夫だとは思いますが、できれば化膿止めを――」
 そこまで言って鈴仙はむなしくなった。後五十数分後には、頭を吹き飛ばしたガラクタの人形になっているかもしれないからだ。
「はぁー、ありがとうございます。やっぱり手馴れた人は安心できますね。なんか鈴仙さんの手つきで新しい自分に目覚めてきたような気がします。そうだ、この体験を元に記事を……」
 文はしきりにしゃっべている。鈴仙はこれが文の防衛機制なのかなと思った。決して我慢できずにはいられない性格。こうして理路整然と話しているように見えても、何故か言霊全てがカタコトのように聞こえた。まるで中身の無い空虚な振動。
「ねぇー天狗さん痛くなかった? だいじょうぶ?」
 そう言ったのは比那名居天子、その肩には生き人形となった魔理沙を担いでいる。鈴仙達が対戦しようとしていた敵同士であるはずなのに、どこか人懐っこい。
「いやー、比那名居さん。幻想郷最速の異名を持つ私が、あの程度でくたばるわけがありません。あの三白眼の性悪狐の結界範囲はわかっていました。わざと私が喰らってそれを身を持って証明したのです。私は衝撃を受ける瞬間、瞬時に判断して、さっと後ろに身をひいて被害を最小限に食い止めたのです。よぉく聞いてください、天狗の中でも私はエリート中のエリートで……」
 文の誇張表現にも、天子はいちいち大げさなリアクションをとって、声をあげて感嘆している。世間知らずのお嬢様なのだからしかたがないのだが、こんなに邪気なく他人を信用しては、直ぐに悪鬼共の食い物になってしまうのはわかり切ったことだった。
 鈴仙は壁の時計を見た。残りは五十一分を過ぎた直後だった。悠長に世間話に興じている暇はないのだ。ここは心を鬼にして他人を切り捨てなければいけない。そうは言っても天子の無邪気な顔。随分泣いたのだろうか頬には涙の跡があった。この窮地において、物を言わぬ魔理沙をひきずり、天人は何を思うのだろうか。
「文さん、そろそろ……」
 鈴仙はおずおずと声をかける。
「あああ……、え、ええ……、わかっています、ええ……」
 文は気まずそうだった。
「そういえば文さん達は私達と対戦したかったんでしょう? んー、私このゲームのルールもよくわかっていなかったけど、魔理沙と組んで楽しかったの。……魔理沙も文さん達と対戦したいって言ってたと思うなぁ。ええ、きっと、きっとそうよ!」
 天子は何か察したかのように言った。心なしか語尾が震えていた。
「ねぇ対戦しましょう。そうじゃなきゃ、このゲーム終わらないもの……、魔理沙がこのままじゃ……、かわいそうだもの……」
「天子さん、いいでしょう、私が魔理沙さんの仇を討ってあげます。天子さんの意思は無駄にはしません!」
 文は雰囲気に流されているように見えた。わかっていないのだろうか、二人のカードを。勝てる確率は五分に近い、いや悲観的に考えればそれ以下――。それでもいかなければならない。もうチャンスはあとわずかなのだから。







 古明地さとりが去った後の、パチュリーが座るテーブルは、アリスの不思議な声が五重奏を奏でていた。
「ウジウジウジウジウジウジウジウジウジ……」
 猛烈な追い込みにより、パチュリーのノルマは残り数ページまでに迫っていた。
「アリス」
「んんんんんー? 私はアリス? あなたもアリス?」
 若干意識を取り戻したアリスが顔をあげる。
「アリス、魔理沙達が対戦するわよ。見なくていいの?」
「んぁ? …………はうっ! 対戦? 何のこと?」
 少しイライラしたパチュリーが、アリスの座っている椅子の足を器用に蹴飛ばした。立て付けが悪いその椅子はアリスの体重移動と華麗に調和し、アリスの体は槍投げの槍のように頭から床に刺さった。
「痛たた……。何が……。そういや、私は馬鹿みたいなゲームの真っ最中だったわね……。あれ、魔理沙? なんで天子の背中に? ちょっとそこ対戦台じゃない。相手は文と鈴仙? 駄目よ、止めなくちゃ! パチュリー、あなたも手伝って! ほら!」
 パチュリーの顔は落ち着いている。
「止める? どうして?」
「だ、だって、このままじゃ魔理沙が負けちゃう……」
「まだ負けると決まったわけではないわよ。私の推測によると、魔理沙達が勝ち抜けるチャンスは唯一ここだけ――。あなたに止める権利はないわ」
「そ、そんな……。そんなぁ。……そうだわ、ここで私が対戦して、犠牲になれば、魔理沙は勝ち抜け。そうだ! この手があったわ、愛のためにパートナーを助けるのよ! 私が夢想していたシチュエーションはこれだわ。自らの身を犠牲にしてまで愛を貫く……。これが理想の……」
 そんなアリスの様子を見て、パチュリーがため息をつく。
「アリス、あなたの数字はわからないけれど、あなたが勝つ可能性も十二分にあるのよ? 魔理沙を殺してあなたが生き残っても、平常心で生活できるの? それに例え思惑通り魔理沙が勝っても、魔理沙はこの事実を一生背負って生きていくのよ。わかる? あなたの独りよがりの考えで簡単に決めないことね。まぁ私は友人として忠告したまでよ。だからもう止めはしないわ。好きにしなさいな」
「う……、うっ、ねぇパチュリー、私どうしたらいいの? ねぇ教えてよ? ねぇ!」
 パチュリーは答えなかった。本から時計へと視線を移す。残りはちょうど五十分。時間が余るくらいの好ペースにパチュリーは自分自身を褒め称えた。







 ――蛇が落ちてくる。頭に耳に頬に瞼に鼻に顎に。ほんの数センチほどの、小さな小さな蛇が降りかかる。
 古明地さとりの膝枕は死の揺り籠だった。妖怪の精神体へと変容を誘い、人間としての誇りを失わせる。子守唄のように優しい言葉を囁かれながら、単一の定期的な振動と愛撫は、霊夢を極楽へと誘った。さとりの十本の細い指が、霊夢の皮膚にぴたっと張り付き、妖しく蠢く。吸い付くような指の腹は、しっとりと濡れていて、ごく微量の分泌液、汗――いや、神秘的で聖なる甘酸っぱい匂いの、繊細で崇高な結晶の細工物だった。

 人間は必ず呼吸をしなければならない。実は肺で呼吸の大分部分を占めていると思われがちだが、皮膚呼吸に占める割合も、思いのほか大きいのである。
 白い十本の蛇がぺろりと舌を出し、純粋無垢な人間を歯牙にかけようとしていた。歯牙と言っても、肌を傷づけるような野蛮な真似はしない。厚ぼったい淫靡な唇をむちっと吸い付かせて、糸のように細い舌を皮膚の微細な毛穴から侵入させるのだ。人間に抗う手段はない。十本の白い蛇は、完璧に統率されていて、獲物となった人間の心を媚態で惑わせ、抵抗する意思を失わせてから、たやすく皮膚の内へ内へと、舌を突き刺していく。
 ぽかんと半開きになった口。口内にも蛇の征服は展開されるのだ。歯の裏側、頬の裏側、綺麗な外側の皮膚からは想像できない粘膜の世界。白い一本の蛇が一番深淵、喉奥にまで、それはある意味グロテスクでもあり、エロティックでもあった。ぶらりと男性器のように垂れ下がっている口蓋垂に、白蛇がぐるりと巻きつく。苦しそうに口内全体を収縮させて悶えるが、蛇はその手を緩めない。口蓋垂を掌握したまま、真っ赤な舌を蛇の体でぎゅうと締め付ける。苦しそうな吐息。一際大きく開けられる口元。二本だった蛇が、三本、四本――、そして五本――――

「うおぇえっ、うえええっ!」
 霊夢は蛇の夢を見ていた。それも白い小さな蛇が、何匹も霊夢の顔に覆いかぶさってくるのだ。その蛇が、耳に入り鼻に入り口に入り、その後はよく覚えていなかった。
「あら、霊夢さんお目覚めですか? 随分と……、楽しい夢を見ていたようで……」
 古明地さとりは少女のように笑っていた。
「あ、あの、何かさ、蛇が……」
「蛇? いいえ、この建物の中に蛇なんて、迷い込むなんてありえませんわ。おかしな霊夢さん。うふふ。そんな夢を見るなんて……。蛇はエロスの象徴ともいいますからね。霊夢さんの欲求が発現したのかもしれませんわね」
 霊夢はさとりの方を見る。膝枕をされたところまでは覚えているが、その後は思いだせなかった。頭がふらふらして何も考えたくなかった。自分がいまどこで何をしているのか――。そうだ、紫が生死をかけたゲーム開催して、さとりと組んで――、魔理沙が――――。
「霊夢さぁん……ん……」
 さとりが口を窄めて端正な人差し指をしゃぶっていた。子供がおねだりするかのように甘えたような目で、一定の間隔で根元から指先までストロークしながら、下品な音をたてているのだ。
「さ、さとり……や、やめ……」
「ん……んん……」
 霊夢が制止しようとしても、やめなかった。そのままさとりの口元を見続ける。突然指の動きが早くなる。涎と指が口内で絡み合う卑猥な音楽、聴覚と視覚を同時に侵される。
「あはぁ……」
 ちゅぽんと指を口から引き抜き、白い液体が滴る人差し指を見せ付けられる。
「あ……、あぁ……」
「霊夢さんが、少しでも私に近づけるようにと。うふふ、お目覚めの挨拶ですわ。うふふ……」
 霊夢はくねくねと動く白い指に見蕩れていた。これが現実なのか、はたまた夢なのか区別がつかないほどまどろんでいた。


「……それで、今の状況は?」
 熱烈な目覚めの抱擁を受けた霊夢が、なんとか気を静めて、さとりに聞いた。さとりはにこにことして、霊夢の腕に頭を寄せている。
「残りはちょうど五十分です。あ、見てください、文さん達と、魔理沙さん達が対戦するみたいですよ?」
「魔理沙……?」
 霊夢はぼんやりとつぶやいた。
「大切な友人――と私に言ってくださいましたのよ? 覚えてませんか?」
 顔も思い出せなかった。頭が痛い。助けを求めたくなる。
「うふふ、人の心は移ろいやすいものですから、気に病むことはありませんわ」
「そう、そうね……」
 霊夢は自分に言い聞かせるように言った。
「それで、この勝負、どっちが勝つと思いますか?」
「ううーん?」
「あら霊夢さん。眠りすぎて大忘れをしてしまいましたか? わかりました、私が説明をしてあげます」
 さとりは立ち上がり、手を後ろに組んで、宮廷内の大臣のように歩く。
「前にも言ったとおり、私達が7と8を抑えていますので、魔理沙さん達の持ちカードは3、4、5、6の中から二枚を選ばれた可能性が高いのです。仮に最大値を考えて5+6で11TPとしましょうか。そしてお次は文さんと鈴仙さんです。文さんのカードを……そうですね、最小の3とします。鈴仙さんのカードをこれまた最小の9とします。あ、鈴仙さんは最低9以上だと思いますのであしからず」
「文達は最小でも3+9で……12? あれ? 魔理沙達に勝ち目ないんじゃないの?」
「いえ……、文さん達には私達の7と8が見えていません。だから、相手が11TP以下なんてわかるわけはないのです。それに、ジョーカーの存在もあります。文さんが3か4で、鈴仙さんがジョーカーだと……、どうでしょうかやはり文さん達の方が勝つ確率が高いですね」
 霊夢はじっと対戦台の方を見た。中々心持が決まらないのかお互い話あっている。
「見てください鈴仙さんの様子を。本人は隠そうとしていても私にはわかります。つけ耳がぐらぐら揺れています。体の震えを隠せないほど動揺しているのです。勝つか負けるかわからないぎりぎりの勝負。今鈴仙さんの目には、相手が14、15TPにも見えているはずです。はたから見れば虚構の張りぼてだったとしても、当の本人は薄氷を踏む思いなのですね」
「……確かにね。あれ? この勝負、私達が言えば止められるんじゃない? 魔理沙達は11TP以下なんでしょ? 対して文達は12TP以上は確定だし? まぁ鈴仙にジョーカーがあれば別だけど……」
「魔理沙さん達が11TP以下であること、それは私達が7と8を持っている事実に基づいています。どうやってそれを皆にわからせるんでしょうか? 私達のカードをばらしますか? うふふ、無理でしょう? 霊夢さん」
 さとりはくすくすと笑う。
「そ、そっか……、ごめん」
「いえ、いいのです霊夢さん。……あ、ほら、対戦が始まるみたいですよ。台に手を置いています。どちらが勝ち抜けるんでしょうか? 一抜けは叶わないようですが……、うふふ、私……。さぁ勝負の行方を見守りましょうか霊夢さん」
 さとりは遠くを見るような目でぼそぼそとつぶやいた。






 豪華な対戦台に四人が向かい合う。東風谷早苗とルーミアが対戦してからというもの、この台が対戦に使用された形跡はない。
 鈴仙は重苦しい雰囲気を感じ取る。はるか強大で――逃げられない運命の呼び声を。それはどこから染み出しているかわからなかった。ただこの勝負に勝ちさえすれば、そのわだかまりの片鱗の一部でも、わかるのではないかという淡い期待をかけていた。
 鈴仙の隣に立つのは幻想郷の新聞記者の射命丸文。自ら自爆して、あっという間に窮地に陥ったが、鈴仙の良心により、奇跡の復活を遂げた。二人は共闘し、カード二枚の力を合わせて勝負に臨む。もう逃げの一手は許されない。当たって砕けて死ぬか、突き抜けて生き残るかだけである。
「いよいよですね――」
 文が神妙に言う。
 視線の先には、ゲーム中途で精神の神経回路をずたずたに破壊されて、生ける屍と化した霧雨魔理沙、そしてもう口をきくことは無い生き人形を大事そうに抱えた、比那名居天子が相対していた。
「さぁ、ささっとやっちゃいましょ。善は急げです」
 文は気が早いのかもう対戦台に手を置いている。文のこの落ち着きは鈴仙には我慢ならなかった。確実に負けの択は存在するのに。鈴仙は怖くてたまらなかった。文のように楽観的にどっしりと構えることが出来ればどんなに楽だと思ったことか。
「あ、あのっ、あのっ!」
 天子が急に素っ頓狂な声をあげた。
「何ですか天子さん? あやっ? い、いまさら怖くなったとかは無しですよ?」
「ううん違うの。私二人にお礼が言いたいの。だって二度と会えないかもしれないんだもの」
「へ、へぇー。お礼ですかー。何があるんでしょうかねぇ?」
 文は首をひねる。鈴仙は特に、この比那名居天子に関してお礼を言われるようなことをした記憶はなかった。そもそも、天子に会ったことさえ、ほとんど一度限りなのだから。
「天狗の新聞記者さん。私、あなたの記事を見たことがあるの。それでね、私のことを書いていたのよ。私ね、とても嬉しかったの。地上の人たちも私を気にかけてくれてるって。えーとね、比那名居天子、お父様の七光でうんぬんかんぬんってね。内容は忘れちゃった。私とお父様の虹のように光る威光を称えて記事を書いてくれて、とっても感謝してるの。私嬉しくて嬉しくて……」
「あー、そんなことも書きましたか。あーでもですねー、七光りってのはですね……」
 天子は目を輝かせて言っている。文の言葉も耳に入っていないようだった。
「永遠亭の兎さん、いつも薬売りお疲れ様です。衣玖に教えてもらったのー。薬にはね、楽って字が含まれているでしょう? だからね、人を楽にする楽しくさせるって。でも加減が大事なんだって。だからね、いつも薬を届けている兎さん達に感謝したいの」
 天子はそこまで言って、肩の魔理沙の手を台に下ろし、自らの手もその上にそっと乗せた。
「さー後は鈴仙さんだけです。ささっ、ぐっといきましょう。ぐっと」
 鈴仙は得体の知れない恐怖を感じた。何故土壇場でこの天人は文と自分にお礼なんかを言ったのだろうか? まさか? まさか……。カードが低い振りをして、自分達を狙い撃ちしていた? 何故だ、どうして、単に勝つだけならルーミアや大妖精でもいいではないか。何なのだろうか、この恐怖は。
 鈴仙は自分の心の闇に立ちすくんだ。普段ならば絶対にしない邪推。裏読みと言う名の袋小路。目の前にいる比那名居天子は純真の塊で、策謀を使い嘘をつくなどありえないのだ。頭ではわかっていても、異次元からの警鐘が鈴仙を脅かした。もしかしたら、魔理沙の精神を駄目にしたのも天子で、わざと同情で集めて……、いや、筋が通らない。なんなのだ、それに、私の持ったこのカード、それはわかりようもないのだ。確実に勝てる対策などないはずだ。
「鈴仙さん? 鈴仙さんどうしましたか?」
 文が心配になって声をかけるが答えらない。これ以上考えると頭がおかしくなりそうだった。天子の肩越しの魔理沙を見る。そうだ、危ないところだった。このゲームの真の敵は自分自身だった。自分を信じられない心、それが黒塗りの闇から牙を剥くのだ。危ない、本当に危ない。落ち着け、戦う前に負けてはいけない。どんな結果が出ようともそれを受け入れる心があればどうにでもなる。
「い、いくわよ……」
 鈴仙は文のペンだこがある手の上に、そっと手を重ねた。






 ざわざわと木立が風を受けてざわめくように、部屋の中はつぶやきと喧騒に満ちていた。参加者の誰もがこの二組の対戦の行く末を見守っていたのだ。
 相変わらず興味深々で、子供のように勝負を見つめているルーミア。大妖精も今は少し我を取り戻したのか、ぼうっとした目で立ち尽くしている。因幡てゐも今回ばかりは邪魔する気はないようだった。文の低点数の予測、そして仲間の鈴仙の勝負に粗野なちょっかいは出したくなかった。死んだように動かないアリスと、元から動く気のないパチュリー、無言で対戦台を見つめていた。吸血鬼の誇り高きレミリアは、霊夢に振られてからというもの、すっかり萎縮して、部屋の隅で体育座りの格好で帽子を深く被り、チリ一つ目に入れたくないような態度で、無関心を決め込んでいた。

「一体どっちが勝つのかー?」
「鈴仙に決まってら、あの馬鹿天人は頭が空っぽだ。同じ馬鹿でも鈴仙の方が救いがある」
 ルーミアにてゐがぞんざいに答えた。
「でも微妙じゃないか? 天狗さん大慌てだったのか。兎さんもいやいや組んだみたいだし……」
「ふん、だから鈴仙は馬鹿なんだ。あんな天狗に情けをかける必要なんてないんだよ。放っておけば孤独死間違いないのに。馬鹿だよ、甘いんだあいつは、肝心な時甘いんだよ……」
 てゐは首を振る。口では罵っているが、口調は幾分、今までのそれよりは優しかった。
「そーなのかー。甘党さんなのかー。舐めたらおいしかな?」
 ルーミアの言葉を無視しててゐは鈴仙を見据えた。
 ――何なのだその震えは。鈴仙は十分勝つ算段があって文と組んだんじゃないのか。もしかして、7や8以下であの文と組んだのか? 馬鹿な、ありえない。文のカードはやばい。それはお前もわかってるはずだ。もし3か4だったら泥舟に乗るようなものだ。まさか、まさか本当に同情だけで……? おい鈴仙、答えろ。おい!

 てゐは心の中で鈴仙を罵倒し続けた。天子が遺言のつもりなのだろうか、二言三言つぶやいていた。鈴仙以外の三人はもう対戦台に手を置いていた。後は鈴仙が手を据えるだけである。てゐはもう見てられなかった。上体がぶれすぎていて、不釣合いなつけ耳も今にも外れそうな勢いで、息は荒々しく、腕全体が細かくプルプル振動しているのだ。
 てゐは不覚にも、このまま鈴仙が胴体から頭だけを飛ばして、花火のように上空で爆発して燃え上がるビジョンを想像してしまった。しかし、この鈴仙花火は笑えないと思った。
 ついに意を決したのか鈴仙の手はゆっくりと文の手の上に置かれていく。てゐは仲間の最期を看取るかもしれないと、じっと目を凝らした。






 
 
 
 多数の目が見守る中、霧雨魔理沙と比那名居天子は砕け散っていた。総司令部を失った胴体は、地を踏みしめる力を失い、膝から崩れ落ちて、ぐしゃっと地に伏した。待ち構えていたのか黒服の妖怪達が、大急ぎで二人の惨たらしい死体を片付けようとしていた。
「やったーっ! やりましたっ! 鈴仙さん、私達の勝利です。尊い犠牲もありましたが、私の正義の心が二人に報いようと思います。さぁ待っていなさい! 私がこの世の悪を暴いてみせます!」
 文は心の底から喜んでいるようだった。鈴仙の方はというと、意外だったのだろうか? 文のような勝つべくして勝ったような心持ではなく、心底ほっとした様子だった。ペタンと床にへたり込んで、腰を抜かしたようにしている。
「文と鈴仙の勝ちだったわね。妥当だったのかしら? さとり?」
「ええ霊夢さん。しかし……」
 霊夢とさとりは様子を見ようと対戦台に近づいていた。霊夢はさとりのしかしの後を聞こうと思ったが、それは鼓膜を破るほどの絶叫によって妨げられた。
「魔ーーーーりーーさぁっぁあーーーーー!! やめて! 私の魔理沙を持っていかないで! 魔理沙の首はここにあるからっ! これが魔理沙よ! だから、だから、やめてっ! 何よ、私は正気よ! 離してよっ! あなた達に私と魔理沙の何がわかるっていうの? やめ、離して、離してぇ!! 魔理沙、魔理沙が死んじゃう! 早くくっつけないとぉ、死んじゃう、死んじゃうから――――」
 アリスが自分の人形を振り回して、黒服が片付けようとしている魔理沙の死体にすがり付いていた。服が血で汚れるのも厭わずに、顔を汁でぐしゃぐしゃにして、何か理解不能な言葉をしきりに喚いている。
「アリス……?」
「この状況では気が狂うのもしかたありませんわ」
「そっか、で、さとり、しかしって何か気になることでもあるの?」
「それはですね……」
 さとりは霊夢にその事実を言った。そうか……確かに。掲示板を見る。文・鈴仙 〇――× 天子・魔理沙 という表示。しかし、こんなことが起りえるのだろうか? 蹲っている鈴仙を見る。どこか遠くを見るような視線、その先には掲示板があり、首輪を落ち着きなく何度も触っていた。
「そ、そんな……。せっかく、せっかく……」
 鈴仙は耐え切れず泣き出した。
「どうしたんですか鈴仙さん? 私達は勝ったんですよ? 勝ち抜けです。一抜け……、あれ?」
 文はようやく気づいたようだった。おずおずと自分の首輪を触る。
「なっ、なんてことでしょう。足りない……、25点に……、う、うわぁぁぁあああ!!」
 悲痛な叫びが部屋中にこだました。そう勝利の鐘は未だ鳴らされていなかった。幸か不幸か四人のカードを合わせても、勝ち抜け条件の25点を満たしていなかったのだ。状況はより混沌を深めていく。この無間地獄からいち早く抜け出せるのは一体誰なのだろうか。霊夢には皆目見当もつかなかった。



 
  0:45

 大妖精  〇――× チルノ
 ルーミア 〇――× 早苗
 霊夢――共闘――さとり
  文――共闘――鈴仙
 天子――共闘――魔理沙
 文・鈴仙 〇――× 天子・魔理沙
  




 お互いの死力を尽くした決闘だったが、後に残るのは死骸と絶望だけ。四人のカードを合わせても勝ち抜けない非常事態に、参加者の精神は着実に蝕まれて、弱い者から順に、闇の呼び声に誘われて飲み込まれていくのだ。
 霊夢とさとりは鈴仙達の絶望も気にせずに、この対戦結果から導き出される結果を分析しようとしていた。霊夢は既に何の感情を持たないロボットである。かつての友人が喚こうが死のうが問題はない。霊夢の頭にあるのはさとりへの絶対的な愛だった。彼女が笑ったり泣いたり怒ったり、全ての行動一つ一つに支配され、ときめかされ、意のままに操られるのだ。
「驚いたわね、私はてっきり、勝ち抜けされちゃったかと……」
「ええ、私もびっくりしました。でもこれではっきりしたことがありますわ。文さん達は3、4、5、6の中から確実に三枚を所持しています。もし9と10を持っていたら、確実に25点以上になってしまいますので」
 霊夢は頭の中でカードの絵柄を思い浮かべて整理した。確かに文達は低いカード三枚持っているのだ。と、そこで霊夢は素朴な疑問を思い浮かべた。
「あのさぁさとり、今15点の私達がさ、もし魔理沙達と対戦して、勝っても25点いかなったなんてことは……」
「……私勝ちぬけ確実のことばかり考えていて、少し抜けていましたわ。一つのことに集中しすぎると、周りが見えなくて困りますわ。うふふ。ええと、天子さん、魔理沙さんのカード3~6からの組み合わせで合計10点いかない組み合わせは……。3と4、3と5、3と6、4と5。逆に10点以上の組み合わせは4と6、5と6だけですわね……。つまり私達が対戦して、勝ちぬけの確率は33%だけだったということになりますわ。うふふ、危なかったですわね……」
 さとりは何故か嬉しそうに笑った。
「ちょっとー、しっかりしてよ。四枚もカード持ったら誰も対戦してくれないわよ。現に文達なんてあの有様……」
「ごめんなさい霊夢さん。そうですわね、本当に危ないところでした。でもこのぎりぎりのスリルこそ、ゲームの醍醐味なんですのよ?」
 さとりの妖しい笑顔と緩やかな流し目、霊夢はたちまちぽわんと幸せに包まれる。
「べ、別に、二人で決めたんだから、さとりだけに責任はないわよ。それならそれで……」
 霊夢は目を逸らして顔を赤くする。
「うふん、そうですか、それでは四枚のカード持った文さん達の持ち点、いくつだと思いますか?」
「えーと、3~6から三枚よねぇ。それと9以上を一枚合わせて25点を超えない組み合わせとなると……」
 頭の中で数字が交錯する。
「最低の3、4、5の三枚を選んでみましょうか。大妖精さんのカードも考えるとちょっと面倒になりますが、割愛しましょう。この三枚だけで12点です。これに9以上を一枚選んだのが文さん達の持ち点になります」
「ということはつまり、、鈴仙のカードは9、10、J、Q、Kの五枚に絞られたってわけね。絵札も持ち点は10点だから、勝ち抜けもないし」
 霊夢は少し得意気になって言う。
「違いますよ霊夢さん。六枚です。肝心のジョーカーを忘れています」
「あ……、そっか」
 大事なことを忘れるのは霊夢のくせだった。忘れてもそこらの妖怪の体に聞けばわかるから余り苦労はしなかったのだが。
「ジョーカーの所在が未だ揺れています。この事実が怖くてたまりませんわね。とまぁ、文さん達のTPはジョーカー以外では21~25TPと非常に高いです。現在ではこれに勝つ人はまずいませんわね。文さん達は拘束状態です。しばらくは動けません」
「でもジョーカーありだったとしたら、12~32TPでしょ? ああなんか頭がこんがらがって来たわ。誰よこんな面倒なゲーム考えたの」
「うふふ、主催者に文句を言ってはいけませんわ。ジョーカーはひとまず置いといて、未だに動きの無い、パチュリーさん、アリスさん、てゐさん、レミリアさんについて考えてみましょうか。この四人の内、三人は10以上なのがほぼ確定です。これまであまり率先して共闘しなかったのも高得点ならうなずけます」
 さとりは静かに説明する。
「それもそうね……。それで大体のカードの分布はわかったけど、次に私達が対戦するのは誰なの? もう時間は四十分しかないのよ?」
「うふふ、誰だと思いますか?」
 さとりは当てて御覧なさいよと言いたげな顔をした。
「はーん、また問題ね。まず文と鈴仙は高TP過ぎるから除外。ジョーカー所持でもベースが12TPだから、私達が勝てる確率は低いわ。次にルーミアは16TPだからこれも無理。残りはアリスとかてゐの一枚の個人カード持ち、これも私達二枚持ちとは対戦しないんじゃない? あれ? 一体誰と対戦したらいいの? もしかして私達もう詰んでるとか?」
 さとりはそんな霊夢の様子を見て、くすくすと笑った。
「一人――忘れていますよ、霊夢さん」
「えーっと誰かいたっけ……」
 霊夢は冴えない頭を掻きながら首を伸ばした。







 アリスは壊れていた。直接的な原因は友人であり脳内の恋人である、霧雨魔理沙の死。これがアリスの脳細胞を死に至らしめようとしていた。しかしそれだけではなかった。死から生存へと向かう、アリス脳細胞が、生き残るための準備運動を開始していたのだ。アリスと言う一固体の抹消――そして然るべく定められた生命体への変貌。この限定的状況が、アリスの真の形態への可能性の合鍵となったのである。

「うふふふふふー。よかったぁー。首の無い魔理沙が魔理沙じゃなくてぇー。本当の魔理沙はここにいたじゃないー」
 パチュリーは向かいのアリスだったような人物を確認していた。意味不明の言葉を吐いてうるさいので、無視していたが、著しく読書の邪魔になるので迷惑を被っていた。今は黒白の魔理沙を模した人形と、アリス自身に似せた人形を使って、おままごとに興じていた。
「アリスーキスしよーぜ! ええっ……、魔理沙、いけないわ。だって私達女の子同士よ? 乙女心満載の可憐な少女なのよ? いいからしよーぜ! アリスがしないならこっちからだ! ……やめ、駄目よ、心の準備が……。あむ、むぐ、むちゅー、むちゅむちゅーーー! もう魔理沙ったら……。 へっへっへ。これでアリス私のもんだぜ! やぁん傷ものにされちゃったぁ……、でも魔理沙ならい、い、よ。うふふふふっ! ねぇ魔理沙、キスだけじゃなく、色んなこともしていいよ? おおそうか! このすべた! 淫売め! お前は私の女だ!もう逃がさないぞっ! やぁ、魔理沙、魔理沙、そこは駄目、駄目なの! ああ、脱がさないで脱がさないで、初めは優しい愛撫からね。約束よ。んぎょ! んきょきょきょきょ! 二人はお似合い、お似合いアリマリ! アリマリス! 蟻? あり? あっれれえれえっれれええええ? 首が偽物私も偽物ぉ? お手軽首ちょんぱ! あはは! あなた誰? 私? 私はねぇ…………」
 二つの声色を使ったアリスの一人人形劇。その結末の行方は誰も知らない。

「パチェ……、パチェ……」
 パチュリーは唐突に自分の名を呼ぶ者の声を聞いた。
「あ、レミィ。どうしたのよ。まだ誰とも組んでないなんて……」
 さとりとの睨みあいの後、レミリアがどこで何をしていたか、パチュリーは全く知らなかった。
「うー、うー、怖いよー。運命が見えないの。うー助けてよー。パチェ、助けてよぉ」
「レミィ、何を今更。能力の封じは当初にわかっていたことじゃない」
「でも怖いのよー。それに、霊夢が、霊夢がー」
 レミリアの泣き顔がパチュリーにはとても堪えた。この幼い吸血鬼の有様を見たら咲夜は何と言うだろうか。いや、もう残り参加者は十人しかいない。この中で勝ちぬけられるのは多くて――四人程度だろうか。レミリアと自分が無事に生き残れる可能性はもう無いのかもしれない。でも恨まないでね。本を読む方が大事だから。恨むのならこの分厚い本を恨んだ方がいいわ。その自分を悩ませた堅物もあと少しで瓦解する。それからこのゲームのことはゆっくり考えればいい。大丈夫、三十分あれば打開策が見つかるはず――たぶん。
「霊夢がどうかしたの?」
「えーと。おかしいのよ。あの妖怪と組んでから。霊夢の気がなんか変だわ。私にはわかるもの。このままじゃあの妖怪の……」
 レミリアは涙目で言う。
「ふぅん、気ねぇ。レミィもうちの門番みたいなこと言うのねぇ。確かに地底の妖怪と長く体をつきあわせていると、健康にいい気はしないものね。なんだか体温吸い取られそうだもの」
「そんなんじゃなくてー。霊夢が遠い所に行っちゃいそうな気がするのー。うーっ。うぅ……」
「遠い所ね……。後四十分しかないし、生き残るのは一部だけ。ただの死別としか思えないわね」
 パチュリーはぺらりと本のページをめくる。レミリアの相手をしている場合ではなかった。早く読書を終えて、なおかつ生き残れる可能性を少しでも高めたかった。
「パチェ、どうしたらいいか、教えてよ。お願いよ。うぇっ、うぇっ」
 狂おしいほどの嗚咽と肩を震わせてしゃくりあげる様子が、どうにも痛ましかった。早くどこかへ行ってくれないかなと思い、パチュリーは少し考えた。
「んー、あー、そうだわ。そんなに霊夢が気になるんなら、霊夢と対戦したらいいじゃない」
 パチュリーは軽く言った。
「えー対戦したら、どっちかが死ぬんじゃないの?」
「それはそうだけど。それも運命だったとしたら?」
「……え? よくわからないわ」
「ええーとね……」
 パチュリー何かいい言い方はないかと考える。レミリアの子供のような純真な視線が痛かった。
「えー、そ、そう、運命とは自分で切り開くもの、レミィもよく言ってたじゃない」
「そ、そうだっけ? そうかもしれない! ありがとうパチェ!」
 レミリアはそう言って児童のように手を振って去った。
「さてと……」
 面倒くさくなって適当な言い方をしてしまった。体よくレミリアを追い払い、本残りは至高の十ページのみ。パチュリーは最期の読書になるかもしれないと、じっくりと味わって楽しもうと思った。







「――それは、大妖精さんです」
 古明地さとりの小さな口からそう放たれた。
「ああそっか。あの子も……。でも私達と同じ二枚持ちだわ。勝てる見込みはあるのかしら?」
 霊夢は不安そうに言う。
「少し煮詰めてみましょうか。大妖精さんは二枚で勝ち抜けていない。文さん達の四枚の所持カード。ルーミアさんの2とA。そして私達の持ちカード。これだけ情報があれば、大妖精さんのカードを炙り出すのもわけないですわ」
「そ、そうね……」
 そうだった。既に情報は出揃っている。やはりさとりは落ち着いていた。霊夢一人では冷静に考えられなかっただろう。そして自ら死の道を突き進んでいたに違いない。
「大妖精さんは二枚で勝ち抜けていません。まずジョーカーが含まれていない場合から考えてみましょう。私達が7と8、そして文さん達が3~6から三枚持っています。つまり、大妖精さんのカードは、大きい方の数字を9とすると、3、4、5のどれかになります。6の場合は15点になってしまいますのでありえません。最低でも9+3で12点。勝てば必ず勝ち抜けです。文さん達のように四枚持ちで勝ち抜け無しはありえません」
「それなら安心ね。勝って泣き喚くんじゃ救えないもの。で、下限はいいとして、上限はどうなるの?」
「上限はAがルーミアさん持ちなので、最大はKです。私達の15点を超える組み合わせは、Kと4、Kと3、Qと4の三つですか。ジョーカー無しの場合は高い確率であいこか勝ち抜けになりますね。どうですか霊夢さん? この勝負いきますか?」
 霊夢はKと聞いて、誰かが霊夢にKのカードを持っていると教えた人物がいたような気がした。誰だったか、確かに聞いた。しかし、頭が痛くて思いだせない。
 霊夢が答えあぐねていると、何者かが霊夢達の目の前に立っていた。白くて光の当たらない肌、ピンク色の洋服――。
「ちょ、ちょっといいかしら?」
 レミリアだった。紅魔館の吸血鬼以外の情報はない。
「あら、何ですの? 誰かと思えば卑怯な手を使って、私の霊夢さんを奪おうとした、泥棒猫じゃありませんこと。うふふ、今更何をしにきたんですか? お子様の吸血鬼さん」
 さとりがレミリアに見せ付けるように、首に手を回してくる。ひんやりとした冷たい手が気持ちいい。
「な、なんですって。あれはあなたの方が先に……」
「何でも早いもの勝ちですわ……」
「う、ううー、こ、このー」
「あらなんですかその手は。暴力は駄目ですよ。可愛らしいお嬢さん」
 二人は言い争いを始めてしまった。霊夢の首に甘い刺激となる爪が食い込む。
「はぁ、はぁ、ああその、えーっと。わ、私と対戦しなさいっ!」
 霊夢とさとりはきょとんとしてしまった。自分達は15TPだ。一枚持ちのレミリアでは勝ち目がない。ジョーカーでも16以上が必要なのだし、レミリアの方から対戦を望むなど考えもしなかった。
「ううん? 何を言っているんでしょうこの方。……はっ、もしや、愛のために、恋敵もろとも恋人を討つとか、そういうドラマティックなことを考えているのでしょうか? そうなのですか? あなた、例え必ず負ける勝負であっても、愛のためにとか……、おお、そんな陳腐な……」
 さとりが憐れみの目で見つめる。
「な、何言ってるのよ。いいから対戦しなさい、わ、私には運命が、運命が見えているのよ」
「ふーん、あなた……、いえ、滑稽ですわね。運命ですか、それでは運命通りなら対戦の結果はどうなりますの? 私に教えてくれませんか?」
 さとりの強気にレミリアは足ががくがく震えていた。
「それに例え私達に勝ったとしても、私と霊夢さんを殺して、どうなさるおつもりなんでしょうか? 教えてくださいな」
「それは、それは……」
「残念ですが霊夢さんは人間ですよ。頭を吹き飛ばされたら助かりません。あなたは吸血鬼でも、人間を眷属に出来ないほどの出来損ないでしたわね、無理ですわ。運命も何も、対戦してお互いに幸せなんてありえませんわ」
 さとりは見下して言っているが、霊夢にはこの対戦を受けた方が、大妖精より勝つ確率が高いのではと思った。勝ち抜けの25点に満たないのはレミリアが9の時だけ。ジョーカー持ちの場合も二枚カードを持っている大妖精より安全性が高いのだ。霊夢はそう思い、さとりに小声で耳打ちをした。
「……霊夢さんのおっしゃることも、至極最もなのですが、レミリアさんを倒して、何かドキドキするようなことがありますか? 霊夢さん? 退屈じゃありません? 九割九分勝ちが決まっている勝負なんて。ましてやレミリアさんはただのお友達……、いえ、どうかしら、お知り合い? それとも一度会っただけとかかしら? そんなどうでもいい人の頭を吹き飛ばして、ゲームを楽しめていると思えますか? 勝つにしても、死線をくぐり抜けた方が達成感があるのではないですか? レミリアさん、本当に申し訳ないのですけど、消えてくださいな。場違いですわ、あなた。そこの隅っこで、さっきまでのように頭を押さえて唸ってるのがお似合いですわ。おほほほほほ……」
 さとりは珍しく女王様のように笑った。天子と魔理沙の時は確実に勝ちたいと言っていたはずなのに、レミリアは何故駄目なのだろうか。さとりは案外気まぐれなのだと思って、霊夢は納得することにした。
 レミリアとの記憶がほとんど思い出せなかった。さとりの声を聞いていると全ての思い出が塗り替えられてしまう。地上のことなど忘れて、早く、狭く暗い地底へ、ああなんだろう。頭が痛い。
「うー、うう、ううううう。うああああー」
 レミリアは何か言い返そうとしたのだろうか、数秒口をもごもごさせたが、やがて居たたまれなくなったのか、涙を流しながら部屋の隅へ駆けていった。
「あら私としたことが、年下のお嬢さんを泣かせてしまいましたわ。うふふ、なんて意地悪な私……。霊夢さんこんな醜い心の私を嫌いになりませんか? 遠慮しなくてもいいですのよ? 嫌いなら嫌いとはっきり言ってくださいな」
 両手を首に回され、上目遣いでくすぐられる。さとりのやることは全て正しいと思っていた。何の醜いことがあろうものか。むしろ醜いことこそが美しいのだ。
「そんなことないわ、さとり。素敵よ。全部、愛してるわ」
「あはぁ、嬉しいですわぁ……」
 見つめ合う二人。博麗霊夢の心は二度と戻らない。白蛇の甘い牙は、脳髄の深奥まで達して、白い皮膚と白い臓器と白い残酷な感情を生み出す命令を出し続ける。ついに、博麗霊夢は古明地さとりの完全な傀儡となったのだ。




「とんだ邪魔が入ってしまいましわたね霊夢さん。さぁ大妖精さんと対戦しにいきましょうか」
 さとりは霊夢の手を握ってくる。体温を感じない手。同化されるように霊夢の体温も奪われていく。
「わかったわ、でも、大妖精が私達との対戦を承諾するのかしら?」
「ここまで来たら何とでもなりますわ、うふふ」
 少女の微笑み。さとりはもう想定済みなのだろうか、余裕が感じられた。

 ほんの数時間前までは、風を司る無邪気な妖精だった。それが今では、血生臭い雰囲気を身にたたえて、目をぎょろつかせて殺意を胸に抱き、当てもなく彷徨い歩いている。
 大妖精は突然のチルノの死に対応できなかった。納得できない惨状に、大妖精の心は誰かへの復讐心、それだけが生きる原動力となっていたのだ。

「私と……、対戦、ですか?」
 ふらふら歩いている大妖精に、さとりが声をかけた。
「ええ、あなたと対戦したいと思います。時間はもう四十分を切りましたわ。カード二枚持ち同士で戦うのが妥当じゃありませんこと?」
 さとりは対戦を受けて当然という態度だった。
「ふぅん、どうしよう、わたしぃ、ルーミアちゃんをぉ、殺して、それから、みんな殺してぇ、それからそれからぁ……」
 霊夢は記憶の片隅から、この妖精の情報を引き出そうとしていた。だが、余り記憶がない。この嫌らしい笑みも、妙な口調も、この妖精の本性なのかなとも思った。
「あなた復讐したいと言っていましたね。理想の復讐相手ならここにいますよ。ここにいる、博麗霊夢さんがその相手です」
「ちょ、ちょっとさとり何言ってんの。私は何も……」
 霊夢はさとりが突然名指ししたので狼狽した。
「まぁ聞いてください。大妖精さん、このゲームを主催したのは誰ですか?」
「え、ええっ、あの、八雲のぉ、紫、汚い醜い、鬼ババァ! 殺したい、殺したい!」
「でしょう? ほら、つながりました。紫さんと霊夢さんは切っても切れない関係です。幻想郷の維持には二人の力が必要です。ですから――、この馬鹿げたゲームで、紫さんが霊夢さんに断り無しに開催すると思いますか? うふふ、そうです、このゲーム出来レースなんですの。この首輪に仕掛けがあって、霊夢さんだけは必ず助かるようになっているんです。霊夢さんが私にだけ教えてくれたんです。なんていけない人なんでしょう霊夢さんは、うふふ。理由は……、何でしょうね? 幻想郷の間引きでしょうか? 使えない下等な妖怪を排除する目的とか――。おお怖いですわ。普段の霊夢さんからは考え付きませんものね……」
「さっ、さと……」
 霊夢は声を出して制止しようとした。さとりの言うことは嘘八百だからだ。紫と事前に打ち合わせた事実など絶対にない。このゲームは勝手に紫が開催して、それに自分も巻き込まれてしまったのだ。第一、何故さとりはこんなことを言うのか、出来レースなどと知れたら、大妖精が他にばらしてしまったら、袋叩きにあってもしかたないではないか。
「しっ、黙っててください。もう網にかかりますよ」
 さとりは小声で言う。
「あっ、あっ、あはっ、そっかぁ、霊夢さんも、チルノちゃんを見殺し、私も殺して、いい思い、許せない、許せない。復讐、復讐! ふくしゅうううううっ!!」
「決まりですわね、大妖精さん。それでは対戦台の方へ行きましょうか」
 さとりはにっこりと笑いかけて台へと歩く。霊夢は少し遅れて早足で後を追った。
「ねぇ何であんなこと言ったのよ。それにこの首輪に細工なんて絶対にないわよ」
 霊夢はひそひそと語りかける。
「大妖精さんの精神状態はもう限界ですわ。何を言っても信じるんですの。私はただ道を示してあげただけですわ。冷静に考えればすぐ嘘とわかりそうなものなのに。頭に血がのぼって、おかしいですわね、うふふ……」
「はぁ、人をその気にさせるのがうまいのね、本当。それで肝心要の、勝つ確率はどうなのかしら?」
「こればっかりは運否天賦ですわ。ねぇ私ドキドキしていますの……。胸……触ってくださらない?」
 さとりはそう言って霊夢の手を薄すぎる胸板へと引き寄せた。地底の妖怪にも魂の鼓動はあった。落ち着いて、静謐として、それでいて、奥から熱く赤黒く燃えるようなリズム。この鼓動に霊夢はどうしようもなくときめかされた。
「……霊夢さんのも触ってあげますね」
 赤子のような手が、霊夢の腋をつたい肋骨をつたい、心臓の表面まで到達した。ほんの薄皮一枚隔てて、心臓を白く細長い指で抉られるような感覚。霊夢の鼓動は否が応にも色めき立った。
「はぅん、さとり、さとり、私も怖い……」
「私も同じですよ。大丈夫です、信じればきっと……」
 二人でもみ合う形で対戦台に立つ。霊夢の股間は既にたっぷりと濡れていた。死への恐怖という緊張感がを性の快感に錯覚させられていたのだ。心臓へと入り込む極微細な白蛇が、霊夢の神経回路を混乱させる。
 誰にも見えない角度で、さとりの手がすーっと霊夢の股間を触った。
「あっ……、駄目……、これは……」
「くすっ、霊夢さん。大事な勝負の手前で濡らしちゃうんですね。そんないけない子にはお、し、お、き、が必要ですわね……」
 霊夢の羞恥心は限界だった。さとりにおしおきと言われて、頭が真っ白になってしまう。股間からつーっと愛液が内腿をつたい、膝の裏から脹脛へと滴り落ちた。
「あひっ、あふっ……」
 もはや立っているのもつらかった。脂汗を流してなんとか持ちこたえる。
「ねぇ、ねぇー、何してるの? 私さっきからずっと手を置いているよぉ? 早く吹き飛んでよぉ!」
 辛抱できなくなったのか、大妖精が促した。
「ほら霊夢さんがHな妄想に浸っているから、妖精さんを怒らせてしまいましたよ?」
「だ、だっで、だっでぇ……」
 霊夢は正確に発音できない。
「怖いのは私も同じですよ。二人でこの感情を分かち合いましょう。恐怖や緊張が快感に変わる瞬間――霊夢さん、私と一緒にこの時をともにしましょう……」
 さとりが両手で霊夢の右手をつかんだ。まるで咀嚼されるかのように手が溶けそうになる。目の前には凶悪な大妖精の顔。この頭を吹き飛ばせば素晴らしいことが起るかもしれないと霊夢は思った。二人の手はじっと亀のような遅々とした動きで、対戦台の手形の上へと導かれていった。







 この状況に絶望の二文字以外のふさわしい言葉があるのだろうか。唇を噛み締め、赤い血の涙を流すほど泣きながら、鈴仙は床にへたり込んでいた。天子魔理沙組との対戦で鈴仙達は四枚のカードを持つ。しかしいくら高い点数を持っていても、対戦できなければ意味はない。デジタル時計は四十分、三十九分と貴重な時を消化していく。鈴仙の後悔は計り知れなかった。自分一人だけだったならば、勝てば勝ち抜けか、状況有利は約束されていたはずだった。
「ふひーっ、ふぅふぅ、鈴仙さん、鈴仙さん、まだ、まだです。まだわかりません……」
 文が少し落ち着いて、呆然としている鈴仙に手をかけようとした。
「さっ、触らないでくださいっ!」
 思わず手を払い退けていた。
「痛っ!」
 鈴仙ははっとした。それは愚かな行為だった。自分が選んであろうパートナーを疎ましく思い、突き放してしまった。傷を覆った包帯の上を触ってしまったのか、文は痛そうにして腕を押さえている。
「す、すいません、私気が動転していて……」
 鈴仙は自分の行いを心から悔いた。医療に仕えるものが、先に精神を患い他人を傷つけてしまったことに。
「あや、あや、いいのです。鈴仙さん。あはははは、まだ時間は、時間はあります。」
 文は元気なく空笑いをした。
「でも、時間がいくらあっても……」
 そうなのだ。重たく圧し掛かった四枚のカード。この状況を如何に打破するのだろうか。
「まだ共闘していない人も残っています。まだあきらめるには早いですよ鈴仙さん」
 文が何を考えているか鈴仙にはよくわからなかった。四枚持ちと対戦するならルーミアや大妖精と対戦した方がましである。自分達と戦わなければいけない状況は考えられなかった。
「そんな顔をしないでください。ねっ、笑いましょう? ねっねっ」
 鈴仙はとてもそんな気にはなれなかった。それでも気分だけでも笑おうかと、口の筋肉を動かそうとした瞬間、仰々しい荘厳な音楽とファンファーレが大きく鳴り響いた。

 





 霊夢の頭は首を通して胴体と繋がっていた。大妖精と霊夢さとり組との対戦は霊夢達の勝利に終わった。
 大妖精の頭が砕け散ると、スローモーションのように時間が動き、血の飛沫と脳漿が弾け飛ぶのを観察できた。そして霊夢の中で何かが目覚める。極限状態の緊張と興奮の中で得られる貴重な何かを。
「きゃーーーーっ! やりましたわ! 私達の一抜けですわ! 霊夢さん、私達の愛の勝利ですわ!」
 さとりのキンキン声と壮大な音楽が霊夢の意識を現実に戻した。
「私達の……、勝ち?」
 掲示板には霊夢達の勝利表示と、勝ち抜けおめでとう! と恥ずかしくなるほど大きな文字で描かれていた。
「おめでとう、博麗霊夢と古明地さとりよ。ささ、紫様がお待ちかねだ。どうぞこちらへ」
 勝負を監視していたのか藍がすぐに声をかけて、壁面の扉へ招いた。二人は疑いもなく藍の後へ続く。


「おめでとう霊夢。私はあなたが一番乗りだとずっと思っていたわよ」
「おめでとう……」
「おめでとう!」
「おめでとう、おめでとう……」
 奥の部屋に通されると、おめでとう、おめでとうと、紫と黒服の妖怪達の熱烈な賛美を受けた。霊夢はただぽかんとしていた。紫に聞きたいことは山ほどあったが、今は疲れすぎていた。紫の笑顔、まるで邪気が無い、何故、どうしてこんなことを――。
「霊夢さん」
 さとりの声ではっと我に返る。そうだった、勝てたのもさとりのおかげだ。まずはさとりにお礼を言わなければならなかった。
「さ、さとり、ありがとう、私は……」
「もう、いやですわ。二人の愛の力ですわ。うふふ……」
 さとりは妖しく笑う。いつもの笑顔だった。
「ほら何してるの。二人は勝者なのよ? 早く窮屈な首輪をはずしてあげなさいよ」
 紫が藍に言った。すぐさま用意していた鍵で、霊夢とさとりの首輪はカチャリとはずされた。
 一瞬博麗としての力が戻り、古明地さとりの呪縛の力が薄らいだ。ただそれは一時のことで、さとりも地底妖怪としての能力を取り戻したのは同じだった。
「ゆ、紫――――」
「んふっ、ご褒美ですわ、霊夢さぁん……」
 紫に今回のことを問いただそうと、口開いた瞬間、さとりの熟れた果肉のような唇が霊夢の口を塞いでいた。
「あらっ、お熱いわねー。見てらんなーい」
 甘い口付けと共に、さとりの強力な精神干渉が霊夢を支配する。いくら巫女の力が戻った霊夢といえども、既に脳内に植えつけられ萌芽した服従の種を、排除することは出来なかった。
「んむ、んむむ、んっんっ♪」
 さとりの蕩けるような口付け。細く甘い舌は、口内をチロチロと舐め尽す。淫靡に絡み合いながら舌に吸い付き、上顎中切歯の歯茎の裏側を、ブラシで掻き出すように執拗に舌でいじめてくるのだ。
 霊夢はさとりの舌技にメロメロになってしまった。舌が性感帯になったように錯覚する。口内の霊夢の感じる部分を確実に押さえられて、霊夢はビクビクと震える。もう紫を問い詰める気力もない。
「んん……、霊夢さん、私の舌も吸ってくださいな……」
 さとりは顔を少し離して、蛇のような舌をペロリと霊夢の前に見せびらかした。二人の唾液が混ざった白い一筋の糸が、つーっと舌の先から誘うように垂れていた。
「あ、ああ……、綺麗だわ、さとり……」
 霊夢は迷うことなく聖なる液を飲もうと下から吸い付いた。トロトロとほぼ媚薬に等しい液体を、おいしそうに飲み干していく。霊夢は肉体と脳を快感漬けにされた。やがて――意識が真っ白になる。快感しか見えない、曇り一つない純白の――――。





 0:30

 大妖精  〇――× チルノ
 ルーミア 〇――× 早苗
 霊夢――共闘――さとり
  文――共闘――鈴仙
 天子――共闘――魔理沙
 文・鈴仙 〇――× 天子・魔理沙
 霊夢・さとり 〇――× 大妖精   ☆勝ち抜け 霊夢・さとり





 涎が出そうなほどの快感でラストの一ページの余韻を楽しんだ。読書の楽しみはこの終末への向けてのカタルシスにあるのかもしれない。救えないほどの活字中毒のパチュリーは、今まさに大願成就を成し遂げたのだ。
「…………ふぅ。ま、こんなものね。さて、今の状況はどうなのかしら?」
 チラリと時計を見る。残り二十九分、そして掲示板を確認する。
「ふーん、霊夢とさとりが勝ち抜けねぇ。となると、残る参加者は、アリスもどきと、ルーミア、てゐとレミリア、文鈴仙組、それに私を加えた七人ってとこね。はぁー大詰めもいい所だわ。ここから勝ち残る術は……、はて?」
 パチュリーはやっとエンジンをかけ思考のスイッチを入れる。まず考えることは文達の持っている四枚のカード。四枚で25点に満たないのだから必然的に低いカードを多く持っていることになるが。どうだろうか。とその前に、パチュリーは自分の首輪を触った。本を読むことに夢中になって一度もカードを確認していなかったのだ。
「はぁー、まぁまぁね。これなら、いけるのかしら?」
 少し安心したパチュリーは情報収集のため、レミリアにでも声をかけようと歩きだそうとした。
「おい、そこの! パチュリーと……、人形使い、それにレミリア! 話があるんだ。集まってくれ!」
 部屋中に響く大声。因幡てゐが落ち着き無い様子でパチュリー達を呼んでいた。


「なになになにー? なんなのよぉー。私はこれから魔理沙とデートなんだからぁー。邪魔しないでよぉー」
 てゐの周りに、アリス、パチュリー、レミリアが寄り集まっていた。てゐは残り三十分を切りどうしようもなく焦っていた。もう残りメンバーは七人しかいない。このままでは個人勝負になってしまう可能性があった。どうせ負けるにしても少しでも確率の高い方に賭けたかった。
「よく聞いてくれ。もう時間も少ない。このままうろちょろしていて、対戦相手が決まらず時間切れなんてのはごめんだ。そこで、提案があるのだが、この四人で同盟を組みたいと思う。つまり四人を二組にわけて共闘し、お互いで対戦し合うのだ。平等で恨みっこ無しだ。勝っても負けてもな」
 てゐは少し目を泳がせている。
「その二組の決め方はどうするの?」
 パチュリーが質問する。
「四人でグーチョキパーを出す。どれか被った者が組になるのはどうだろう。三人被ったらやり直しで……」
「ふーん、それなら間違いないのかもね」
 てゐは内心びくびくしていた。この魔女が、何か反論言うのではないかと思ったからだ。
「そ、それなら方法は決まりだ。私達はこれから同盟となる。四人で組んで四人で対戦。ものの数分で終わる。ルーミアや鈴仙達とは絶対に対戦しない。これが暗黙の了解だ」
「私は、それでいいわよ」
 パチュリーが静かに答える。
「私もパチェと同じでいいわ」
 ずっと押し黙っていたレミリアが言った。
「魔理沙っ、アリスっ、好き好き、首がなくても二人は大好き同士! らーらーらー、うふふのふふふ……」
「……アリスも面倒だから同意でいいわ」
 パチュリーが見かねて言った。
「ちょっとー、何集まってるんですか? 私達を混ぜないなんて、怪しいですよ?」
 こっそり近づいていた文がいきなり声を出した。
「おっ、お前っ、こっそり聞き耳をたてていたな? お前らはあっち行ってろ! 邪魔だ。消えろ消えろ!」
「あややぁ? 報道の自由を侵害されました、酷いです……」
 文は寂しい背中で鈴仙の元へ帰っていった。
「さてと……、邪魔が入ってしまったが……」
 てゐがやれやれといった顔をする。
「レミィ? 本当にいいの?」
「いいわ。もうどうでも」
 レミリアはそっけなく言った。随分泣いたのだろうか、目の下に涙の線がいくつもあった。
「よーし決まりだ。恨みっこ無しの勝負だからな!」
 遠くてルーミアが一人正座していた。いつもように両手を広げて。もう諦めたのだろうか、目をつぶって、静かに何者かに黙祷を捧げていた。

「じゃーーーんけーんっ! ぽぉん! じゃあぁぁぁんけんぽんっ!!」
 じゃんけんと聞いてアリスの気合の入った掛け声がこだまする。
「よし、決まりだ」
 共闘相手の組み合わせは二回で決まった。一回目はパーが三人で決まらず、二回目はアリスとレミリアがグーを出した。
「私とパチュリーが組み、アリスとレミリアが組むのだ。よ、よし早速共闘宣言だ。ぼやぼやしてると時間切れだ」
 四人は対戦台にいそいそと向かう。てゐは怖かった。共闘せず、個人対戦するのはどうも気が進まなかった。ジョーカーの所在もわからない。結局誰が持っていたのか、鈴仙か大妖精かさとりか霊夢のどちらかか――。何にしろ死んだり勝ち抜けた者のカードを知る術はない。アリスやレミリアがジョーカーでも、もう運を天にまかせるしかなかった。
「……と、共闘完了と。数字は……」
 対戦台で手合わせて、共闘の儀式を済ませる。首輪は黄色く光っていた。てゐはすぐさまカードを確認しようと首輪を触った。
「これなら……」
「まぁまぁ、ってとこかしら? でも対戦するのはアリスとレミリアだけなのよねー。まぁしかたないか。ルーミアは受けないと思うし」
 パチュリーが手をひらひらさせて言う。てゐの脳裏に浮ぶ数字。勝つだけなら十分すぎるほどだった。しかし、得体の知れない不安がてゐを襲った。何か、致命的な間違いを侵しているかもしれないと。てゐは鈴仙を盗み見る。廃人のように絶望した顔。何度も時計を見る。時間はまだ十分にあるのに、てゐは気持ち悪い汗が出てきてどうしようもなかった。






 残り参加者七名の内の四名が対戦台に向かっていた。てゐパチュリー組とアリスレミリア組。てゐの提案により、四人で共闘し、対戦して決着をつけるというものだった。
「ねっ、これこれ、魔理沙の首を吹き飛ばした台でしょう? あはは! これで私も魔理沙とお揃いね、あはははっはっーー」
 すっかり気の触れたアリス。手にはしっかりと首のもがれた二体の人形が握られている。
「これで……、終わり……」
 レミリアが意味ありげにつぶやく。
「も、もう二十分とちょっとだ。早く、早くしよう!」
 てゐは挙動不審だった。せわしなく足を踏み鳴らしている。
「少し落ち着いたら? どうせ結果は決まっているんだもの」
 パチュリーが何かを悟ったように言う。
「おかしい、おかしい、嫌な予感がする。こ、怖い……」
 てゐの心配は最高潮に達する。我先にと対戦台に手を置いた。
「魔理沙ー、今そっちへ行くからねー。待っててねー」
 アリスが人形を持ったまま手を置いた。レミリアが無言でそれに重ねる。
「こっ、これで……。馬鹿げたゲームはお仕舞い……、お仕舞いなんだ」
 青白く痩せた指にてゐは勢いよく手を乗せた。





「……ん?」
 てゐは目をつぶって結末を待ったが、何かおかしい。恐る恐る目を開けてみる。五体満足の自分と、同じく頭と胴体がつながっているアリスとレミリア。これはまさか――。
「あいこね」
 パチュリーがぽつんとつぶやく。
「あいこぉ? 何で何でぇ? 早く魔理沙の所に連れて行ってよぉー!」
 アリスがだだをこねる。レミリアは無言で表情を崩さない。
「い、いや……ジョーカーの場合もある。もう一回だもう一回!」
 てゐはそんなことはあり得ないと思っていたが、念のため確認したかった。再び四本の手が乗せられる。結果は――あいこだった。
「えー何? 魔理沙のとこ行けないの? やだーやだー、早くしてよー」
「私とてゐが合わせて23TP。アリスとレミリアも同じ23TPってことになるわね。私達では決着がつかないわ」
「……だとすると……どうなるの?」
 レミリアが目を細めて言った。
「や、や、やや! みなさん! 今の勝負拝見させて頂きました。いやいや、偶然の産物、まことにお悔やみ申し上げます……」
 文が急にかしこまっている。目には希望の光が灯っていた。
「おい……、何でお前が出てくるんだよ。黙ってろよ……」
「あやや、よいのですか? 救いの星を無下に扱って。もう私達とあなた方の立場は逆転しているんですよ?」
 文は天狗になって言う。
「何っ? 何でそうなるんだよ?」
「てゐ、よく考えてみるといいわ。この四人ではあいこになってしまうから勝負はつかない。必然的に私達は文達かルーミアと戦うしか道はないわ」
「そう、そうなのです。さっきパチュリーさんが23TPと言いましたね。そしてなんとなんと、私達には切り札があるのです! なんと鈴仙さんがジョーカーなのですよ。もう今更だから教えますが、私達の四枚のカード、ジョーカー以外では13TPです。つまり……あなた達と対戦しても、お互いに勝つ可能性があるのです。それもほぼ五分近くで。何という偶然でしょう。いやいや、勝負の神は、この射命丸文を見捨ててはいなかったのです。おお! 神よ神よ……」
 文は両手を握り締めて祈る。鈴仙はまだ状況を理解できていないのか顔を背けていた。
「まてまて、ジョーカー持ちだなんて信じられれるか。嘘をついて24TP以上で勝ち抜け狙っているかもしれないんだ。待ってろ、こんだけ表に出てるカードあれば、ジョーカーの真偽くらいすぐわかるんだからな!」
 てゐはそう言ってぶつぶつとつぶやく。
「私がJ、パチュリーがQだ。これであいこになるにはレミリアとアリスが10とK持ちだ。Aはルーミアだから、合計で23TPになる組み合わせはこれ以外に無い。つまり、どういうことだ? ええと……」
「10からAまで出揃ってしまったわね。つまり鈴仙と文のカードは9以下とジョーカーになるわ。ジョーカーを持たない組み合わせの場合、私達に勝つためにはジャスト24TPが必要。絵札がないからTPと持ち点は同値になるからわかりやすいわ。25点では勝ち抜けになってしまうから、ちょうど24点になる組み合わせは、3、4、8、9と3、5、7、9……。あら結構あるんじゃない?」
「ほ、ほら見ろ! お前ら、ジョーカー持ちの振りして私達を騙そうって魂胆だったんだな。あのさとりと同じだ……。ひ、卑怯者は死んでしまえ!」
 てゐがそう言うと、文は一瞬、無表情になり、にやっと笑った。
「そうですか、別にいいですよ。あははー、ねぇアリスさんとレミリアさん? 私達と対戦しませんか? お互いに納得のできる対戦です。やりましょうよやりましょうよ!」
「えー、何ー? 魔理沙と一緒になれるならなんでもいいわよぉー」
 文のターゲットはアリス達に移った。パチュリーは少し考えた。文の言うことは本当なのだろうか。ゆっくり記憶をたどる。と、ここまできて、パチュリーは重大な事実を思い出した。鈴仙が共闘の申し出をしてきた時のこと、鈴仙の耳打ちの内容はジョーカーだったのだ。鈴仙に嘘をつく才能は無いと感じていた。だとすると今文達と対戦しなければ自分達の勝ちはないことになる。
「鈴仙はジョーカー持ちよ。だって私に教えてくれたもの」
「……え?」
 文の目が点になった。訝しげに鈴仙の方を見る。しかし今は緊急事態なので咎めている必要は無いと感じたようだ。
「てゐ、ジョーカーが有る無しにしろ、私達が勝ち抜くためには、文達と戦うしかないの。ルーミアは16TP、大声でしゃべっている23TPの私達とは絶対に対戦しないわ。そして――、対戦相手を決める権利は文と鈴仙にあるの。だって私達とアリスレミリアは同じ23TPよね? 文と鈴仙からしたらどっちと対戦しても勝つ確率は変わらないもの」
 パチュリーが整然と説明すると、一同はしばし沈黙した。
「……そ、そうですね。私達に選ぶ権利があります。どちらを選ぶか――。私には決められません。鈴仙さん、ジョーカーのあなた決めてくださいな。お願いします。私は鈴仙さんに全てを賭けたいと思います」
「わ……、わたし……が?」
 泣き腫らした顔の鈴仙が言った。



 突然の指名に鈴仙は混乱した。決定権は自分にあると言われても決断がつかない。確かに鈴仙はジョーカーを持っていた。そして文と共闘し、天子魔理沙組を討ち果たし、文の初期に持っていた3のカードと合わせて、3、4、6、ジョーカーのカードを現在所持することになる。13TPをベースにジョーカーのばらつき範囲を合わせると、13~33TPの出目になる。どちらが相手でも23TP。これを超えれば勝ち。下回れば負けである。
 てゐパチュリー組とアリスレミリア組、どちらを選べばいいか鈴仙はわからなかった。相手側としたら自分達と対戦できなければ死を待つのみなのだ。つまり鈴仙が生死を握っているのだ。選ばれてなおかつジョーカーの鎌を潜り抜けて勝者となる。
 鈴仙はてゐを選んだ場合を考えてみた。もし自分が勝ったらてゐは目の前で爆発だ。それは嫌だ。てゐが勝ったとしたら自分が爆発。てゐを選ばなかったとしたらてゐの死は確実。てゐは一生鈴仙を恨むのだろう。鈴仙にはもうわからなかった。どうしたらいいのか、泣き出して放り出したかった。
「あ、あ、ああ……」
 鈴仙は視界を両手で覆うようにしてあてずっぽうに指を差した。
「鈴仙さん? いいんですね? お二方で?」
 鈴仙はこくりとうなずく。指の先には――アリスがいた。
「ほえ? 私? やったね魔理沙! 楽しい場所にいけるって! あふうふ、うふうふふふうふぅ――――」
 アリスは黒白の人形の手足をめったに千切っている。
「れ、鈴仙、貴様……モガモガ……」
 パチュリーがてゐの口を塞いだ。
「お黙んなさいよ。どっち選んでも不幸よ」
「く、糞っ、私とお前がどちらも生き残れないなんてことになったら、永琳になんて言ったらいいか……、うううっ……」
「そう、そういう考え方もあるのね。まぁしかたないわね。今後のために、閻魔様の御前での土下座の練習でもしておきましょうか」
 パチュリーは嘘とも真ともつかない冗談を言った。





0:15

 大妖精  〇――× チルノ
 ルーミア 〇――× 早苗
 霊夢――共闘――さとり
  文――共闘――鈴仙
 天子――共闘――魔理沙
 文・鈴仙 〇――× 天子・魔理沙
 霊夢・さとり 〇――× 大妖精   ☆勝ち抜け 霊夢・さとり
  てゐ――共闘――パチュリー
 アリス――共闘――レミリア
 てゐ・パチュリー △――△ アリス・レミリア
 てゐ・パチュリー △――△ アリス・レミリア






 泣いても笑っても最後の対戦が始まった。鈴仙が選んだのはアリスレミリア組。ジョーカーの出目如何によってこの勝負の決着が決まるのだ。この選択が正しかったかどうかはわからない。ただ鈴仙の頭の中にあるのは、勝っても笑っても絶望だけが待っていることを。この白い部屋は鳥籠だったのだ。決して逃げ道のない隔離された世界。今更気づいても遅すぎた。
「魔理沙? 見てる? 魔理沙? 何で答えてくれないの? 魔理沙どこ? 私はここ、アリスはここよ……」
 アリスはマイペースで自分の世界を演じている。レミリアは終始無言だった。まるで勝ち負けなどどうでもいいように、終始伏し目がちで視線あてもなく移動させて、ため息ばかりついている。
「はぁー、はぁー、全ては鈴仙さんに任せました。お願いします鈴仙さん!」
 文が声をかけてきた。後は鈴仙が手を置くだけだった。それでこの意味の無いゲームを終わらせることが出来るのだ。右前を見てみる。てゐの恨めしそうな目が見えた。てゐは怒っているのだろうか。それとも――。今となってはそれもどうでもいい。
 他人を蹴落としてまでも対戦しなければならないのは、鈴仙にとってとても苦痛だった。魔理沙と天子の頭を破裂させただけでも息絶え絶えであったのに。

  ――ごめんなさいてゐ。あなたが何を思っているか知らないけれど、私には無理だわ。

 鈴仙は意を決して手を動かした。後一分一秒でもここにいたくは無かった。精神を狂わせ自分が自分でなくなってしまう感覚。そんな魔の誘いを受けるのはもう御免だ。今自分の手に射命丸文と、アリスとレミリアの運命がかかっている。どんな目が出ようとも、受け入れようと思った。







「ちっくし……、鈴仙のやろぉーーー!」
 てゐは泣き叫んだ。頭部を失ったのは射命丸文と鈴仙。屍となった仲間に声をかける元気はもう無かった。黒服たちが滞りも無く二人の死体を片付けている。
「あはっ、あはは、あは、シャボン玉飛んだぁ! 屋根まで飛んだぁ! 屋根まで飛んでぇ! 魔理沙も飛んでぇ! 私も飛んでぇ! あははははっはははっははっはは…………」
「勝ったの……? でも……」
 アリスが高笑いしている。レミリアは複雑な表情をして棒立ちだった。黒服が勝った二人を外部への扉へと連れて行く。部屋にはルーミアと、てゐ、そしてパチュリーだけが首輪をつけてひたすらに存在していた。

「終わったわね……、そして私達も」
 パチュリーはしんみりと言った。ああこんなことならもう少し自分で考えればと思った。てゐの共闘宣言に、すぐに同調してしまった。他人に声をかける面倒さがパチュリーには障害となった。もう少し有利な方法があったかもしれないが、それもどうでもいい。この本を読了出来たのが唯一の満足点だろうか。もし、読書途中で爆発してしまったら死んでも死に切れない。
「後……十分、いえもう九分かしら……。最後の読書に一番思い出深い部分でも読み返しておきましょうか」
 パチュリーは腰を下ろし本を開く。集中しようとすると、話声がうるさかった。もう死ぬだけなのに何を争うことがあろうか。パチュリーは誰がしゃべっているのかと思い、顔をあげて前を見た。




「ルーミア、お願いだ! 対戦してくれ、お願いだ……」
「何なのかー? 私は対戦する理由がないのかー。必ず負けるのかー」
 てゐはおかしくなっていた。死が確定した恐怖。それにより、今までの思考回路が、全て都合のいいように塗り替えられてしまう。絶対ありえない出来事も、嘘とは知りつつも信じてしまうのだ。
「おっ、お前ジョーカー持ちなんだろ? そうなんだろ? 早苗を2で討ち取って……。ぎりぎりまでもつれれば取引が通じると思って待ってたんだろ? ははは、おかしいと思ってたんだ。あの天狗はやっぱり24TPで嘘を言って……。いや、勝ったのはアリス達だった。お、おかしい、いや、騙されるな、もう一度、あいつらには私達の23TPが嘘だと思って、そうだこれなら……」
 てゐは混乱していた。どんな事実も信用できなくなり、裏の裏まで読んでしまう。てゐの頭にはもうルーミアがジョーカーを持っていて、対戦してくれることしか頭に無い。それがどんなに低い確率だったとしても。ルーミアが2で早苗のジョーカーと対戦して、奇跡の0か1を引き当てて勝利したと思い込むしかなかった。てゐが信じられるのはそれだけだった。
「何だー? 私はAと2だってお前も言ったじゃないのか? その通り私はAと2だ。お前と魔女は23TPって言ってた。私が戦う理由はないのかー」
 てゐはルーミアの胸倉を突かんで殴ろうとしている。
「このぉおーー! 嘘はもういいんだよぉ! いいから私と対戦すればいいんだ……。お前は……、お前は……」
「やめなさいてゐ。見苦しいわよ」
 パチュリーがてゐの手をつかんだ。
「は、離せ! ジョーカーは、ジョーカーはこいつなんだ!」
「あなたの信じるジョーカー。それは魔力を持っているのかしら?」
「な……、どういう意味だ?」
「わからない? 仮にルーミアがジョーカーを持っていたとして、私達は23TPよね。ルーミアは2とジョーカー持ち……」
「あ……」
 てゐは重大な事実に気づいた。もう詰んでいたのだ。このまま朽ち果てるしかない。
「ルーミアの出目の範囲は2~22TP。どうあがいても私達には勝てない。ジョーカーの魔法は無効化されていたのよ」
 パチュリーは重々しく言った。
 てゐはもう泣かなかった。未だ光る掲示板の悪魔の道化師の絵柄。その死の鎌を持った悪魔がてゐをあざ笑っているように見えた。







 0:00

 大妖精  〇――× チルノ
 ルーミア 〇――× 早苗
 霊夢――共闘――さとり
  文――共闘――鈴仙
 天子――共闘――魔理沙
 文・鈴仙 〇――× 天子・魔理沙
 霊夢・さとり 〇――× 大妖精   ☆勝ち抜け 霊夢・さとり
  てゐ――共闘――パチュリー
 アリス――共闘――レミリア
 てゐ・パチュリー △――△ アリス・レミリア
 てゐ・パチュリー △――△ アリス・レミリア
 アリス・レミリア 〇――× 文・鈴仙  ☆勝ち抜け アリス・レミリア

 ★時間切れ てゐ・パチュリー・ルーミア 



 ジョーカー 鈴仙 
 A     早苗     
 K     レミリア
 Q     パチュリー 
 J     てゐ
 10    アリス
 9     大妖精
 8     さとり
 7     霊夢
 6     魔理沙 
 5     チルノ
 4     天子 
 3     文
 2     ルーミア








 地霊殿の秘密の部屋。今ここで、幻想郷の支配者となった古明地さとりが、忠実なる僕達を侍らせていた。
「あ、あ、さとり様ぁ? 私は少女ですよねぇ? うら若き少女ですよねぇ?」
「そうですよ紫さん。私の足を舐めればあなたはたちまち少女ですよ」
「は、はい、ゆかりん嬉しいぃ! 心から舐めさせていただきます!」
 今回の出来事は、心の隙間を埋められて、さとりの手足となった八雲紫の仕業だった。さとりに言われるがままに幻想郷の住民に招待状を送り、生死を賭けたゲームを霊夢達に強制させたのだ。誰が勝とうが負けようが紫にとっては関係はない。ただ自分を少女と認識させてくれるさとりのために、粉骨砕身してこの計画を実行に移したのである。
「幻想郷の賢者も私にかかれば形無しですわね。うふふ……。ねぇ霊夢さん?」
 嬉しそうにさとりの足指をしゃぶる紫の横で、博麗霊夢はさとりと体を絡めあっていた。霊夢の皮膚は白く変質していた。いや皮膚だけではなく、体内の器官も地底の空気にふさわしいように、同化順応しているのだ。まるで二匹の蛇のように、お互いの体を巻きつけてまぐわりあっている。これがあの地上の秩序を保っていた博麗霊夢だとは誰が思うのだろうか。
 さとりがゲーム内で手を加えたのはただ一つ、霊夢とさとりのカードの決定だけ。それ以外は他の参加者と同じように、負ければ首が吹き飛ぶ仕様だったのだ。さとりは自らを危険な状況に放り込むことで、本当のスリルを味わいたかった。そしてその過程から生まれる真実の愛を知りたかったのだ。もし、霊夢がさとりの誘いを断り、無残な結果になろうとも構わなかった。結果としては見事霊夢はさとりの手中に収まり、今こうして忠実な恋人として、さとりのそばで淫らな喘ぎ声をあげている。
「あん、あん! さとりぃ! いい! それいい!」
 ついばむようにキスをしながら、肌と肌を擦り合わせる。秘所からはとめどなく愛液が溢れている。ただし、霊夢はこのままでは絶頂に達することができない。スイッチが必要だった。
「お燐! 霊夢さんにあれを見せてあげなさい」
 闇から一言、はいと応答する声。さとりの従者である火焔猫燐が、地底に攫われてきたであろう人間の首根っこを捕まえて、二人の前に立った。
「霊夢さん、あの時、本当にドキドキしましたわよね。この胸の高鳴りこそが快感なのですよ……。それを霊夢さんにも知って欲しくて私、こんな手の込んだことをしたんですのよ? 大好きな霊夢さんのために……」
 お燐が人間の首を刃物で切り裂いていた。動脈を傷つけられて、首から夥しい血の噴出。二人は浴びるようにそれを受け止めた。
「あふん! イクイク! イクッ! イクぅ!!」
 血しぶきを浴びた霊夢が体全体を震わせて二、三度絶頂した。霊夢は既に猟奇的なイメージ無しには絶頂できない体にされていた。あのゲームの中での興奮。それは霊夢の快感の受容体の受け皿に多大な錯覚を与えていた。大妖精の首が飛ぶシーンで霊夢は軽く達していた。他者の破損状態を快感として受け取る、屈折したオーガニズム。さとりの目的は霊夢の体にそれを教え込むことにあった。
 単に精神的重圧を与えて支配するだけでは物足りないのだ。さとり自身もあえて、危機的状況で世界を共有し、物語の中で自然にこの愛を知らしめる。それこそが古明地さとりは正真正銘の愛だと考えたのだ。
 勝ち抜けが決まり、長い接吻で霊夢を虜にした後、残りの参加者が踊り狂う姿を霊夢に見せた。射命丸文と鈴仙の首が飛ぶと、乳首と股間を愛撫されていた霊夢は、二度ほど連続でイってしまった。かつて幻想郷を共に生きていた妖怪も、霊夢の目には快楽のための道具にしか映らなくなっていた。
 てゐの泣き叫ぶ声で、霊夢はたまらず失禁していた。涎と鼻水を垂れ流して、歓喜の渦に包まれて喜んだ。時間切れで三人の首が一度に飛ぶと、霊夢は脳内の許容範囲をはるかに超えた快感物質にのた打ち回り、顎がはずれるほどの馬鹿笑いをしながら連続でイキ続けた。その姿は人間ではなかった。薄汚い下卑た妖怪――それ以下の存在に成り果てていたのだ。

「あふん、あふんあふん! いっ、いいいぃ! 待って、おお、追いつかないぃぃいい!」
 お燐が手際よく五人ほど人間を切り倒した。霊夢はそれを陶酔した目で眺めて、以前の絶頂の快感が冷めない内に、新たなスイッチとなる猟奇的惨状を脳内に送られる。
「いいいいい、イクぅ! イクイクイク! 駄目っ! 壊れちゃう! 私こわれちゃ、こわえれちゃえへええ……」
「あん霊夢さん激しいですわねぇ。もう少し慣れれば私みたいに自由に制御できますわ。うふふ……」
 さとりは痛いほど霊夢の乳首をつねり、唇を奪う。霊夢はその刺激でまたもイッてしまうのだ。断続的な快感の摂取に、霊夢の脳は後戻りできないほど破壊され、そして進化していた。
「お燐、あの方をお連れしなさい」
「はーいさとり様」
 さとりがお燐に言いつける。しばらくすると厳重に手枷を嵌められた、悪魔の羽を持つ小柄な少女――レミリアが目の前に引きずり出された。恨みに満ちた目でさとりをギロリと睨みつけている。
「あらまだそんな目をしていますの? こんなに素晴らしい勝ち抜けの賞品が御気に召さないなんて……、うふふ、私と霊夢さんのための、愛の玩具にしてもらって、光栄だと思うのが普通でしょう?」
 さとりはレミリアを見下して続ける。
「あなたは生意気にも私に突っかかってきましたわねぇ? ええ、この私に、あなたが勝ち抜けしてよかったですわ。素敵なお礼、たっぷりお返しできるんですもの。アリスさんは面白い壊れ方していましたが、耐久力がなくて困りますわ……。その点吸血鬼は再生能力が高くて好都合……。私にたて付いたあなたとてゐさん、どっちでもよろしかったのですけど、やっぱり何度でも楽しめるというのは便利ですわね……。だって、ほらこんなことをしても!」
 お燐の手に握られた刃物をさっと手に取り、軽く一閃。レミリアの胸を一文字に鋭く切り裂く。
「うあああぁーーっ!」
「何ですかその声は。そんな品の無い声では霊夢さんは感じてくれませんよ?」
 鋭利な刃物がレミリアの心臓めがけて、ぐりぐりと肋骨の隙間を縫ってねじ込まれていく。
「今更だからいいことを教えてあげましょうか? あなたには運命を見通す力なんかないんですよ。私の読心は絶対ですから。あなたはただ結果に対して、後から偉そうに抗弁たれているだけなのです。それがあなたの卑小で愚かな強がりなのですわ。え? 何ですか? ああ周りのみなさんはあなたに合わせているだけですわ。わがままなお嬢様のために媚へつらって、あなたは裸の王様なのですわ。……あら、信用してくれないのですか? いいえ、わかりますわ。だってほら、私、ちゃんと心を読みましたもの……」
 意味深にさとりが言うと、レミリアの背後にパッとスポットライトが灯った。
「お、お嬢様、申し訳ありません……。ひっ、ひぃぃ!」
 それはレミリアの腹心中の腹心、十六夜咲夜だった。ただ、人間としての姿は見る影もなく、四肢を切断されて、芋虫のように這いずっている。傷口には粗雑に包帯が巻かれ赤く血が滲んでいた。
「この方、単身でここに乗り込んできましたのよ。かわいそうに、こんな愚かな主人のために。うふふ、よぉく体と心に聞いてあげましたのよ……。でもこの方の忠誠も大したこと無かったですわ……」
 そう言ってさとりは咲夜の顔を素足でぐりぐりと踏んだ。
「うぷっ、お、お嬢様、本当にもうし……。あ、あ、あ、さ、さとり様、さとり様ぁ! 嬉しいです! この雌豚に……。ああ!」
 咲夜はかつての主人の前で、嬉しそうに新たな主人の足裏を、涙を流して歓喜して舐めしゃぶった。
「うふふ、飼い犬のしつけはちゃんとしておかなければなりませんわ」
「あ、あ……、咲夜……」
 レミリアは流す涙もなくつぶやく。
「くすくす……。わかりましたか? あなたに運命なんて読めないことを。……もう、あなたなんかに構っている間に霊夢さんが退屈してしまわれましたわ。うふふ、霊夢さん。霊夢さんのために幻想郷を私の手に……。私と霊夢さんの愛の力があれば、容易いことですわ、おほほほほほほ…………」
 地霊殿の女主人は高らかに笑った。八雲紫と博麗霊夢を手中に収めた彼女に、もう怖いものは何もなかった。今ここに地底の虐げられた妖怪達の復興が始まる。
「愛していますわ、愛していますわ、愛していますわ……」
 白い蛇がぐるりと霊夢に巻きつき、鎌首をもたげて抱擁する。
「さとり、私、生まれちゃう! 何か生まれちゃうぅううう!!」
「ええ、いいですよ! 生んでください生んでください!」
 二匹の蛇の神聖な性行。幻想郷が大蛇に飲まれる日もそう遠くはない。
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コメント
この記事へのコメント
このSSを手書き動画化したいのですが、よろしいですか?
2015/02/05 (木) | URL | 神聖 #8gfOIHpU[ 編集]
ども初めまして。
動画化は自由にやってくださって結構ですー。
2015/02/05 (木) | URL | 奈いず #-[ 編集]
承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2015/02/05 (木) | | #[ 編集]
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