fc2ブログ
小箱の小話
東方二次小説が多目。 エログロ、ホラーミステリ洗脳色仕掛け等。
僕は曲がったことが大嫌いなんです
 これは遥か遠い昔の話のこと。
 ある所に陽林という少年がいた。家柄がよく大切に育てられたお坊ちゃまである。将来の夢は誰よりも偉くなること。
 幼少より英才教育を授けられた陽林は、親や親類縁者により与えられたレールに沿って日夜邁進していた。勉学のための物であるならば何でも与えられた。彼はそれに報いるために頑張った。しかし彼は決しておごり高ぶるようなことはしなかった。幼きながらも、一人前の大人のような誠実さを持ち合わせていたのである。それは一種の危うさで腐れかけたつり橋のようなバランスを保ってはいるものの、その頑なに実直であり真面目であることが陽林の本尊であった。
 



 ある時陽林は、塾の帰りに市場で筆を買おうと思った。
「おじさん。これちょうだいな」
「あいよ」
 既に日は暮れかけようとしていた。頬髯をもじゃもじゃと生やした男から筆を受け取ると、足早に家路をつこうと駆け出した。
 どんと何かにぶつかった。
「あいたた……」
「ご、ごめんなさい」
 陽林が見たのは女性だった。とても美しい女性が倒れていた。天女のような薄衣を身にまとい白い足がぽんと投げ出されていた。首も肩も腕も腿も全体的に細かった。しかし妙な色気があった。細身なのにどこかふっくらとして、指を押せばきっとぷるんと心を躍らすような反動が予想できた。顔も小さく個々のパーツがあまり自己主張をせずに、調和の取れた清楚な佇まいらしき落ち着いた安心感を醸し出していた。
 薄い胸板が息をついて肩を揺らしていた。自然にその下へと視線は向かう。対比して腎部は思いのほかむっちりとしていて肉づきがいい。女性の中心となる腰回りの何とも言えないライン。薄衣は西日に軽く透けていて、魅惑的な尻の湾曲が少年の心をうっとりと悩乱させた。ごくりとつばを飲む。その女性のあまりの艶かしさに陽林は目を奪われてしまっていた。地面には籠が放り投げられ、その周りには大きめの梨がころころと転がっていた。
「僕拾いますね。本当にごめんなさい」
 慌てて腰を落とし梨を拾う。全てを拾い上げて籠に入れてやる。陽林は女性の手をとり、服のほこりを払い立たせてあげた。
「あらありがとうボク」
「い、いえ当然のことです」
 とぎまぎして答える。澄んだブルーの瞳はとても深く穏やかだった。切れ長の瞳、すっと通った眉、高くも低くもない鼻、桜色の薄い唇。派手さはないが一定の調和がとれている。いつまでも見つめていたいと思う。化粧を塗りたくって固めた下劣な性を感じさせるのとは違う。それとは全くの対極にあるかのような洗練された美だった。 
「お姉さん君にお礼がしたいな……」
 音もなく擦り寄られる。腕を取られて柔らかい体をふにっと押し付けられた。直後に鼻腔を通り抜ける妖しい香りに気づいた。甘くて脳を蕩けさせてくる、官能の誘いを促進させる極めて危険な芳香だった。
「ふふ……」
 陽林が何も言わないのがわかると、女性はそのままもたれかかるようにして歩行を促せた。右足と左足が、自分のものではないかのように動く。
(な、何だこのお姉さん。でもいい匂いがするし、とっても美人だし……)
「お名前は? ボク?」
「よ、陽林って言います」
「そう。私は青娥って言うのよ。よろしくね。これも何かの縁だから私の家にいらっしゃいな」
 抵抗する理由もなかった。陽林は無言で応答した。そうすると、青娥はにんまりと笑って、ぎょろりと軽く目をむいて少年をくるんでみせた。
(青娥お姉さんか。僕どうなっちゃうんだろう?)
 そう思いながらも、陽林の足は棒のようになったまま歩き続けた。ただひたすら青娥の肢体から香る甘い匂いが、精神を否が応にも酔わせていた。


 粗末なバラック小屋に似たあばら家だった。陽林はその中に連れ込まれた。奇妙な芳香がいっそう強くなる。
「適当に座って。今、梨むいてあげるから」
「あ、はい」
 青娥が奥へと消える。ぺたりと座り込む。陽林は家の中を見回した。くもの巣があちらこちらに張られてある。隙間風も強くみしみしと壁板がきしむ音が聞こえる。古い朽ち果てた、女の人が一人で住んでいるとは思えないほどの有様だった。あの清楚な虫一匹も殺さないようなお姉さんがこんな。その現実とのギャップに陽林はぶるっと身震いをした。
(早く帰って勉強しなきゃいけないのに。僕こんなことを。ああでもあのお姉さん美人だし……この変な匂いも……ああ……)
 陽林は、何度青娥が戻る前に立ち去ろうと思ったか数知れなかった。だが立ち上がろうとしても、どうしても体が動かなかった。濃厚な香りが胸に入り息苦しい。しだいに目がうつろになり陶酔が深まっていく。何もかもどうでもよくなってしまう。自分の名前も記憶も出生も全部。
(何だろうこれ? ああお姉さん早く来て……でないと僕おかしく……)
 本当に気が狂いそうだった。濃密な匂いに惑溺して昏倒しそうになる。
「待った? 中々いい包丁が見つからなくてね……」
「ぷ、ぷはぁっ。はぁ……はぁ……」
 その声で一息つく。青娥が笑顔で、果物ナイフに近い形状の包丁を右手に持ってきた。その優しい顔が、なぜか山姥のような恐ろしい形相に錯覚した。笑っているはずなのにどこか恐ろしかった。
「むいてあげるね……梨」
 そのまま青娥は陽林の前に座った。横座りで足をぴたりとそろえている。青娥が戻ってくると、あの心を蕩かす匂いは気配を消したようだった。一体あの匂いは何なのだろう。陽林はそう思ったが、青娥の前で聞くのははばかられた。
 傷一つない手がするすると梨の皮を剥ぎ取っていく。青娥の包丁の扱いはとても手馴れていた。梨の実にすっと包丁を入れたかと思うと、次の瞬間に手のひらがくるっと回るともうむけている。この技術に陽林は心の中で手を叩いた。
「じょ、上手だねお姉さん」
「そう? まぁ慣れてるからね私。うふふ」
「う、うん……」
 にこにこ笑う柔和な顔。その姿に不思議と不気味な感じを抱いてしまう。脇に気持ち悪い汗をかき、背中にぞくりと悪寒が走る。
「食べて」
 今度は無表情な青娥が言った。
「いいただきます」
 綺麗に食べやすいように切り分けれた梨。それをほいと口に放り込む。甘いじゅわっとした水分が口内を満たし喉に落ちる。自然を凝縮した果実の旨みに陽林は舌鼓を打った。
「おいしい……これおいしいよお姉さん」
「そう? もっと食べていいのよ?」
「はい!」
 もう一つに手を伸ばす。しゃくしゃくと舌触りがよく口の中でとろける。本当においしい梨だった。それを嬉しそうに青娥は見つめていた。右手だけを動かし最低限の動作で口元に持っていく。大口を開けることはせずに、半分ほど、いやそれ以下の口の大きさで梨の塊を食べようとしていた。
「ん、はぁ、んっ……」
 当然梨は口に一気に入りきらない。無理やり狭い口に押し込んでいくので、入りきらない果実の肉片がぽろぽろと零れ落ちる。
「ん……じゅ、んっ」
 青娥は歯を使うということはしなかった。本当にただ梨を押し込むだけである。一旦口の中に入れたはずの梨も、無造作に開いた口の端から淫靡な唾液と混ざり合ったジュースとなり首筋をつたう。
(あっ、ああ。この人綺麗な顔しているのに、どうしてこんな下品な食べ方を……)
 陽林はそう思ったが、青娥の顔から目が放せなかった。まるで赤子の生き血をすするかのように、おいしそうに頬をすぼめて喉を鳴らしながら梨を胃に落とし込んでいく。どろどろになった汁は、首から鎖骨を越えて白い胸元まで到達している。露のしずくがはじけるように肌の上で踊っていた。
 胸元は谷間が見えるか見えないかのぎりぎりのラインで保っていた。細い体に繊細なあばらが浮いている。内臓まで透き通るかのような白い肌。しかし毛細血管の一つさえ見当たらない。
 陽林は薄衣に包まれた美貌の女性の内側を夢想してしまった。蠱惑的な笑みを浮かべて、しずしずと一枚一枚布を脱いでいく青娥の愛おしさを思った。四つんばい、揺れるおっぱい、豊満なお尻、そして優しい瞳。その理想的すぎる女性が、目の前で誘惑してきて妖しく媚肉を躍らせてくる状況まで進展した。手を握られる。唇をちゅうと荒く吸われる。匂いたつ乳房で顔を優しく抱擁される。そして……。
(僕なんてことを考えて。お姉さんを裸にしてだなんて……)
 陽林はしばし官能の妄想に呆けた。それは数時間の長い時にも思えた。
「うふふ……」
 はっと気がつくと青娥が梨を食べ終えていた。指についた汁を陽林に見せつけるようにしてべろりと舐めあげている。獣のように指を舐めしゃぶる姿もどこか扇情的だった。こんなにも美しい女性が、いわゆる狂気を孕んだ振る舞いを無造作に交えていると思うと、陽林は何ともいえない不思議な感情に陥るのであった。
「ああおいしかった」
 右手の指を全て舐め終わると、青娥の顔は初めに出会った時のような優しい顔になった。純真で無垢で、この世の穢れと憂いを全く知らないうら若き少女の顔だった。
「陽林クンは食べないの?」
「あ、僕もうお腹いっぱいで」
「ふぅん。そう?」
 そんなことはなかったが、青娥のあの食事の様子を見せられて何も喉を通らなくなっていた。それは単純な嫌悪感ではなく、淡い煮えたぎるぐらぐらとした甘ずっぱい感情だった。
「ところで……」
「はい」
 青娥はそこで目を細めて緩い流し目を送ってきた。細い顎に手を置いて頬杖をつく。その角度も妙になよっとして艶かしい。
「私もっと陽林クンのこと……知りたいな」
「はぁ、僕のことですか。僕はただの勉学生です。将来は偉いお役人になりたいと思います」
「ふーん。お勉強好きなんだね。若いのに。それで偉くなってどうするの?」
「間違いを正すんです」
「間違い?」
 と言った青娥の眉がうっすらとひそんでいた。心の内を知れない表情に幻惑されそうになる。
「僕は曲がったことが大嫌いなんです。この世には飢えや貧困で苦しんでいる人が大勢います。でも一部の人たちは楽をしてのうのうと暮らしています。これはいけません。だから僕修正をしたいんです。偉くなってこの世を変えてやるんです」
 陽林は常から自分の考えていたことを言った。
「ふーん。へぇ、曲がったことがね……ふーん……」
 青娥はそうつぶやいて、くすくすとほくそ笑んだ。
「何がおかしいんですか?」
「うん、あのね。陽林クンがそこそこ偉くなってもね、結局限界ってあるのよね。ふふ」
「ぼ僕は由緒ある家柄です。それに毎日頑張って勉強しています。限界なんてありません」
「それで偉いお役人様になって世界を変えちゃうんだ。偉いね君。あはは。偉い偉い」
 また青娥はそう言って笑い転げた。何だか馬鹿にされている気分になって不愉快だった。
「ふふ……。君がもしお役人様になってもそう変わらないのよ。それより、この梨を町の片隅にいる乞食さん達に持っていってあげなさい。その方がずっと徳が高いわよ。あはは」
「違います。僕の言ってるのはそういうことじゃないんです。根本から変えるんですよ」
「どう違うの? 何も違わないわよ?」
「うっ……」
 反論しようと思った矢先、青娥の上体がぐっと前のめりになっていた。無防備に開いた胸元から、誘うように白い乳房がのぞいていた。釣鐘型で乳首はつん上を向いている。ほどよく肉のついた理想的な形で、乳首が黒味がかった紫色にくすんでいる。その使い込まれたような変色も、どこか背徳的な劣情をそそり立たせた。
「お勉強よりも、もっといいことがあるわよ……」
 言いながら、青娥は両手で胸の肉をぎゅっと寄せて谷間を作った。陽林はそのあまりにも扇情的な姿に目と心を奪われていた。柔らかい餅のような質感が、細い指が乳房に食い込む感触を通して視覚に訴えてくる。かすかに聞こえる甘い吐息の鼓動もその欲情を後押ししていた。脳が痺れて思考が定まらない。下腹部にずしんと、何か重い釘を刺したかのような鈍痛が走る。
「あっ、おね、おね……」
「くすっ。どうしたの? ほら、反論してみて……?」
 そのまま乳房をぷるんと揺らされた。薄衣と乳肉の間に充満していた、芳醇な香りがまた陽林を陶酔の境地へと誘った。
(ああなんで僕。お姉さんのおっぱい見ているだけなのに……。とてもいけないこと、曲がったこと、人の道にはずれている気がする。だって女の人の裸なんて見ちゃいけないんだ……。でもとってもいい匂い。あああの胸に埋もれることができたら……)
 陽林はふらふらとして、その桃源郷に倒れこもうとした。しかし――。
「くすっ。はいおしまい」
「あっ……」
 青娥はくすりと笑い、胸元を手で隠してさっと飛びのいた。その仕草はませた少女が使う無邪気な手管に相似していた。
「いやらしいんだね陽林クンは。うふふ、駄目よ女の人をそんな目で見ちゃ。はい、今日は帰りなさい。お勉強頑張ってね」
「あ……はい」
 そう言われると、限界まで上り詰めた灯火が、しゅうと水を浴びたように消し飛んだ。けれど甘い匂いだけは心と体内に残っていた。
「また来てね……」
 手を振りながら、青娥が優しく語りかけてきた。肯定とも否定とも言えないがとりあえずこくりと頷いた。
 陽林は煮え切らない気持ちのまま、寂れた小屋を後にした。




 その日の夜、陽林は寝所の中で狂おしいほどの劣情に襲われていた。毛布かぶって眠ろうとすると、どうしても青娥の白い裸体が頭の中で踊るのだ。そのせいで全くといっていいほど眠りにつけない。悶々として息苦しく、下腹部が燃え上がるように熱い。
(ああ……。お姉さん、僕お姉さんのことばかり考えている。帰ってからもずっと。僕、僕……。オチンチンも何だか変だし。僕おかしくなったのかな……)
 陽林は悶えながら青娥の肉体と戦っていた。別のことを考えようとしても、次々から次へとあの悩ましいイメージが脳にべたりと張り付いてくる。梨を下品に食べる顔も思い出した。口元からだらだらと流れる果汁に興奮する。清楚な面持ちが一変した妖怪じみた気色のギャップに倒錯する。ぺろりと長い舌を伸ばして果肉をすすりこむ姿にどうしようもない激情を感じる。
(はぅん、お姉さんそんな吸わないでぇ……)
 陽林はついに、じゅるじゅると自分のペニスをすする青娥の顔を想像した。小さな口で頬張りながら卑猥な音をたてながら咥える淫蕩な女の青娥を。
(お姉さんお姉さん……)
 想像の中での青娥は現実よりもさらに淫乱だった。貞操観念なんかかなぐり捨てたような淫らさだけが取りえの女。清楚な佇まいで相手を惑わして、自分の堕落した性を見せ付けてその世界に引きずりこむ魔性の女。
(あーん僕を食べてお姉さん……)
 夢の中で会話しながら、陽林は都合のいい夢想を展開した。ペニスに卑猥な汁を滴らせながら、一心不乱にしゃぶりついてくる。窄まった頬がねっちりとその粘膜の心地よさを送ってくる。しだいに、淫靡な胎動が頂点に達しようとしていた。
(お姉さん……。何か……何かくるぅ……)
 数秒後、どろりと若々しい青臭い濃密な結晶がこの世に出でた。少年は初めての精通を、妖しくも淫靡な女性の口内妄想で執り行った。
「はぁ……はぁ……。僕……」
 荒く息をつきながら、自分の体に起きた現象を理解しようとする。下着が濡れていてとても気持ち悪かった。
(僕いけないことをしたんだ。お姉さんを裸にひん剥いて。口の中に僕のアソコを突っ込んだりなんかどうして考えたんだろう? ああきっとお姉さんさんのせいだ。お姉さんが僕にぶつかって梨を落としたから。それで僕おかしくなっちゃたんだ。ううん。いやお姉さんは悪くないけど、あんなやらしい食べ方されてうわあああ。もう寝よう。またお姉さんが僕の中に入ってくるから……)
 陽林はその後も、青娥の幻影と戦いながらまどろんでいった。





 明くる日陽林は、いつも行っていた塾を休んでしまった。日中も青娥のことが忘れられなくて勉強が手につかなかった。あのむっちりした白い谷間に心を乱されて動悸が激しくなる。昨日は寸止めされた格好で辛抱がたまらなかった。
 陽林はふらふらと右往左往の千鳥足で、青娥の待つあばら屋へと向かった。道中に何度やめようかと思ったかわからない。自分はいいとこでの坊ちゃんである。今は勉学に一極集中することこそが本分だというのに。このまま青娥の毒にあてられて邪な道に引きずられてしまうと思うと、凍てつくような漆黒の恐怖が著しく背を苛むのであった。
「や、やめよう。いけないこんなこと……。僕はこんなことで、あんな女なんかで道に迷ってはいけないんだ。僕は偉くなるんだ。そうだそうだ!」
 意を決してそう言った。そして踵を返し元来た道を戻ろうとする。
「あら陽林クン」
「わっ」
 青娥だった。昨日と変わらぬ姿で、腕に籠をかけてにっと微笑みながら立っている。その籠の中には大粒の梨がでんと鎮座していた。
「いいところで会ったわね。今日もいらっしゃいな」
「あっ、あの僕……」
「いらっしゃい」
 目と口の筋肉だけで笑っていた。たまらなく恐ろしかったが、その誘いを断るだけの勇気がなかった。


「待っててね包丁持ってくるから」
 青娥が立ち去る。やはり部屋の中はほこりっぽくまるで生気がない。退廃的で人を自然に堕落させるような気が立ち込めている。
(どうしてお姉さんはこんな所に住んでいるのだろう)
 陽林は不思議でならなかった。あの容姿ならいくらでもいい所のお嫁さんになれると思うのに。どうしてこんな場所でくすぶって。昨日の梨の食べ方を思いだした。綺麗すぎてちょっと浮世離れしているのだろうか。
 しばし気持ちを落ち着けて考えてみる。今日は惑わされないようにと思った。甘い匂いにも少し鼻が慣れたのか、ぎっと歯を食いしばっていればいくらかは耐えられる。
「お待たせ陽林クン」
 しばらくして青娥が包丁片手に戻ってきた。にこにことやはり満面の笑みだった。
「今日も皮をむきむきしてあげるね……」
「いいえ。それにはおよびません」
「あらどうして? お腹すいてないの?」
「お姉さんは間違っています」
「あら」
 青娥は驚いたという風に目が丸くなっていた。陽林は即座に続けた。
「僕は偉くなります。だからここでお姉さんを正したいと思います。お姉さんのこの生活態度は間違っているのです」
「私に説教するの? まぁ……可愛い子。うふふ」
「わっ笑いごとじゃありません」
 可愛い子――。そう言われて陽林は危うく魅入られそうになってしまった。薄衣に透けた肉体が目に入る。青娥の存在そのものが限りない魅惑の果実だった。圧倒されながらも何とか陽林は平静を保った。
「そこのかまどはずっと火が入っていません。蜘蛛の巣がはったままです。壁も床もぼろぼろです。掃除も全然されてなくてほこりも積もりすぎてます。不潔極まりなくこのままじゃ病気になってしまいます。そんなんじゃいけませんお姉さん」
「それだけ?」
「まだまだあります。これはほんの序の口です」
「そう。でもね」
 そこで青娥は大きく息を吸った。
「私はこの生活に慣れきっちゃったのよね。だからね陽林クン。私はこのままでいいの。満足しているから」
「いけません。それにお姉さんは何を食べて生きているんですか? まさか梨だけですか? お姉さんは仙人で霞でも食べて生きながらえているんでしょうか?」
「ん、あ、そう。食べる、ね。ふーん。そんな行為も。……私が仙人? あらやだ……うふふ」
 何だか要領を得ない青娥の応答が返ってきた。口に手を当てて目を細めている。まるでこちらをあざ笑っているかのようだ。
「ふふふ……。ねぇ私のことはいいから。陽林クンの将来のことを考えなきゃね」
「僕は偉くなります。そう生まれついていますから」
「そう。大した自信ね。あ、陽林クンは宦官って知ってる?」
「知ってますけど……」
 もちろん知っていた。男根を切り落として生殖機能を封じる代わりに、高い役職についている者達のことだ。ただし陽林にはその実感がわかなかった。いくら偉くなるといってもそこまでする必要があるのだろうかと。
「君もオチンチン切り取っちゃえば簡単に偉くなれるわよ。うふふ」
「な……」
 もう呆れ返ってしまった。この人にはたぶん他人をおもんばかる心がないのだと思う。だからこうした、人目には憚られるような言動も行為も軽々しくしてしまうのである。
「あら気を悪くしちゃった? うふん。でもね、偉くなるってのは相応の犠牲が必要なのよ? でないと一生地を這う虫になっちゃうからね。あはは。あ、陽林クンは頑張ってお勉強して偉くなるんだったかな。うんうん、偉い偉い~♪」
 青娥が足をばたばたさせて大笑いしていた。もう一秒たりともこの場所にはいたくなかった。陽林は立ち上がろうとして床に手をかけた。
「待って陽林クン。うふっ♪ こっち見て?」
「何の真似ですか? 僕はもうお姉さんなんかに惑わされないって決めたんです」
 肉づきのいい太腿がほとんど露になっていた。裾が乱れて白い足がむき出しになっている。目も心なしか潤んでいた。何かを訴えかけるように唇を震わせてこちらを見つめて――。
「私といいことしにきたんでしょ? 昨日は我慢させちゃったからね。あはは」
「……もう帰りますよ」
「待ってよ……ねぇ……ねぇ……お姉さん……寂しい……な」
 服の裾をつかまれてひっぱられる。今までで一番優しい声が陽林の脳をゆすった。体全体が弛緩してぼうっとしてしまう。白い足が段々と広がっていく。つぼみから花びらが開くように、とてもゆっくりと甘い蜜の匂いを漂わせながら。神秘的な暗がりの領域がはっきりと見える。下着はつけていなかった。その媚態に誘惑されて、逃れられない雄の衝動に突き動かされて道にはずれた行動を開始する。さっきまでの決意と戒めは瞬く間に雲散霧消した。
「あ、あ、お姉さん……お姉さんっ!」
 初めにつかんだのは乳房だった。衣を剥ぎ取り爪を立ててもみしだく。柔らかくて艶かしい肩が目に入るともうどうでもよくなった。上から覆いかぶさって口付けをかわす。
「んっ、んっちゅっ。はぁっ、はぁ」
 わけもわからず混乱しながら青娥の体をまさぐる。何をすればいいかは本能的にわかっていた。うっすらとして無毛に近い秘所に若き剛直をあてがい突き入れる。
「ああああっ!」
 陽林は高くほえた。中は凄まじいほどの圧力と濃密な果汁で満たされていたからだった。奥まで一気に入れると快感はさらに大きくなった。根元からみっちりと咥え込まれて、ペニス全体をこちょこちょと愛撫されているかのような感触が絶え間なく続く。甘い愛液も後から後からわいてきて休む暇もなかった。
「お姉さん気持ちいいよう! ああ!」
 陽林は魔性の肉壷に魅了されてすっかり虜になって腰を振り続けた。
「お姉さんお姉さんもっと……」
「……」
「お姉さん好き……好き、好き!」
「……」
 何度も歓喜のおたけびをあげる中、陽林はとても恐ろしい事実に気づいていた。しかし性の快楽がその事実から目を背けさせていた。
「お姉さん出るぅ……」
 一度目の射精を完了する。それでもまだ全然おさまらなかった。
 青娥の表情は見なかった。
 そしてむなしく腰を振り続けた。


 ひとしきりの性交終えた後、青娥は何も言わずに服を着ていた。その横では陽林が涙を流しながら膝をついていた。
「うっ、うっうっ、うっ」
 血の涙が出るほど泣いていた。果てしない後悔と絶望が陽林を襲った。それも満たされない形での最も極めて残酷な喪失だった。
「どうして泣いているの? よかったわよ。うふふ」
 青娥がこともなげに言った。その無邪気な表情にへどが出そうになった。
「あ、あ、あなたは悪魔です。僕を、僕を弄んで……」
「あら悪魔だなんて……酷いわね。私犯されちゃったのよ? 陽林クンに。うふっ」
「違います。あなたは酷い人です。僕を誘惑しておきながら、あなたは行為の最中一度も喋りませんでした。あえぎ声も……いや息すらもしていなかったと思います。人間の……所業じゃありません。やっぱりあなたは悪魔なんです。ああ、あなたが少しでも僕を惑わせて愛の言葉をつむいで欲情させてくれたなら、僕は少しでも救われたのかもしれない。けれどあなたはそれを全て打ち砕いたんです。ほんの、少しも、絶対的に虚無の沈黙を僕につき返したわけですあなたは。表情も感情も全部捨て去って人形のようになって……。僕がそんなこと望んでいるじゃないってことわかってて……。罪の重みを僕一人に押し付けるような行為を、あなたは仏頂面で遂行したわけです。それが恐ろしい。ああああ!」
 陽林は精神が軽くおかしくなっていた。行為の最中に青娥の心がすっぽぬけていたのに気づいた。誘惑するのは振りだけで、後は野となれ山となれという態度である。その拒絶に少年の心は崩壊の一途をたどっていた。
「でもちゃんと濡れてたわよ私。んー、結構気持ちよかったし……」
「いいえ。僕はあなたの心が欲しかったのです。例え邪でもいいから……。これじゃ生殺しです」
「あら……。でも私全然そんなつもりじゃなかったのよ? してる時は私こうやって身を任せているのが普通でね……ふわーってして浮かびあがるようにね……」
「もういいです! 聞きたくありません!」
 陽林はそう言って突っぱねた。
「あら怖い」
 青娥はまだ笑っていた。まるで自分の行為の重みを知らぬように。
「うっ、うっ……。とにかく僕は曲がったことをしてしまいました。人の道にはずれてしまったんです。女の人を犯してしまった……ああ」
「ふーん。で、どうするの?」
「死にます」
「あら」
 無意識にそう言った。自分の存在価値はもうないと思ったから。
「死ぬんだ。あはは。ほらここに包丁あるわよ? 使う?」
「あ……」
 満面の笑みで包丁を渡された。多少の勢いというのはあったものの、こう自然に対応されると決まり悪い。
「はい一気にやった方がいいわよ。死ぬんなら首の頚動脈をざっくりね。うん、首の骨まで到達するぐらいやっちゃえば大体即死だから。ほら頑張って陽林クン!」
「う、うわぁぁぁ――」
 完全に頭がおかしくなっていた。躊躇する暇もなく陽林は自らの命に手をかけた。
 ぶすり。
 肉が裂ける音と鮮血が同時にほとばしる。包丁を一気に喉奥まで差し込む。これが痛いのかどうかもわからない。神経回路のスイッチが壊れて遮断したのだろうか。どくどく流れる血液だけが視界を染めていた。その生臭い赤色の中で、青娥の舌をぺろりとして笑っている顔が最後の記憶だった。


 

「ん……? ん? ん?」
 陽林は覚醒した。首を回して周囲の状況を確認しようとする。だが体がぎゅうと紐で縛られているのかどうにも動かない。見ると、どうやら棺桶のような細長い箱に自分は入っているようだ。
「僕は……確か。自分で首を刺して……ああなんて馬鹿なことを。でもどうして生きているんだろう?」
 そうだった。あんなに血を出したはずなのだから、出血多量のショック死は間違いない。
「うーうー。誰か……」
「あっ。起きたの陽林クン」
 記憶に残る声。自分を破滅に導いた張本人、青娥の声が聞こえた。
「たっ助けてください。お姉さん。早く僕をここから出してください!」
「何言ってるの陽林クン。今からお姉さんが助けるのよー。死んだらつまらないでしょ? だから……」
「意味がわかりせん。んん?」
 言うまもなく白い粉がどさぁと顔に降りかかる。息もできない何もできない苦しい苦しい。
「キョンシーよ。私の製作品第一号。成功するといいわね。うふふ」
「んんー!」
 唸ろうが何もできなかった。棺桶の蓋がぱたりと閉じられ永遠ともいえる闇夜が始まる。
 燃えるような凍るような溺死するような腐るような。そんな長い旅路の夢を見た。


 蓋が開いた。立ち上がる。
 陽林だったものは不死の異形生命体として新たに生を授かった。
「あーあー。うーああー」
「きゃっ、成功~。ああ私の可愛い可愛い……」
 誰かが頭を撫でてきた。しかしそれが何であるか誰であるか存在も理解できない。存在の概念すらかなり危うい。
「あら眠っている間に脳がシェイクされちゃったの? もう……。いい? あなたは生まれ変わった。そう……新しい名前。宮古芳香なんていいわね。うん」
「んー? あー? よし……か?」
「そう芳香よ。そして私は青娥様。言ってごらんなさい。主人の名を」
「……せーいーがーさま。わが、しゅじん」
「そういい子ね」
 陽林改め芳香の脳は極めて曖昧であり脆弱な回路をしていた。ここまでの腐敗具合で、仮にも脳の役割をはたしているのは奇跡に近かった。
「歩いてみなさい。芳香」
「うぁ……」
 歩くという言葉に反応して足を動かす。だが筋肉がうまく連動しない。どたりと前のめり倒れこんでしまった。いや、筋肉の不具合というよりこれは間接が固まってしまっている。膝もひじも数ミリすら曲げることはできなかった。
「うふふ。君は曲がったことが大嫌いって言ってたもんね。形は違うけど夢がかなってよかったね」
「うーあー」
 芋虫のように這う。依然として立ち上がることはできない。
「あはは。一人でたてないのね……もう。私の手がないと駄目なの? いけない子ね」
 白い腕にくるまれ立たせてもらう。バランスを取りこの姿勢を維持するだけでも一苦労だ。
「せいがさまありがとう」
「うん、どういたしまして」
「はぁ……」
 芳香はぼーっとしていた。それしかすることがなかった。青娥の命令なくしては動けない忠実な僕だった。宮古芳香。それが自分の名前。青娥様。愛する自分の主人。
「あっそういえばここもつけかえておいたから」
 青娥の手が芳香の股間を触った。かつてはそこにあるはずだったもの――。失ったものの記憶の断片がわずかに残っていた。
「ああ、ない、せいがさま。ぼく、ここに」
「うふふ……。オチンチンとって偉くなる……ってのとはちょっと違うの。私は女の子の方が好きなのよ。だからつけかえてあげたの。もちろん嬉しいわよね?」
「う、ううん。うれしいうれしい。せいがさまありがとう」
 そう言って芳香は嬉し涙を流した。ついでに色々なものを垂れ流した。
「あ、ああ……」
「悪い子悪い子。でも大丈夫よ。私が一からしつけてあげるから……。うふふ、うふふ……」
 くっくっと笑う青娥の前で、芳香は盛大なる幸福感に包まれた。痛みも苦しみもなく主人に全てを委ねられる安寧の境地にたどりついた。
「せいがさま。ありがとう。せいがさま」
 芳香はまた感動の体液を漏らした。




 また幾日もの時が流れていた。青娥は芳香を従えて遥かなる異郷の地で生活をしていた。
「あーやーらーれーた。せいがさま。おしかった、ですね。あと、すこし」
「うんそうね……。でもあの巫女は何だか使えそうね。それに結構可愛いし……」
 幻想郷。弾幕勝負という聞きなれないルールにより決闘し優劣を競う。
 芳香達は今日その洗礼を受けた。博麗の巫女の力はあまりにも強大すぎた。
「今度遊び行こうかしら? ね、芳香?」
 するりとご自慢の人形の顔を撫でる青娥。と、その時芳香の顔つきがくるりと豹変した。
「青娥様。一つ言わせていただきます」
「えっ、急に何」
「さっきの弾幕勝負。青娥様の動き全くなっていませんでした。いけません。根性と思考回路が曲がっています。僕古代の英雄達の兵法も学んでいたんですよ。せっかく僕が身を粉にして盾になっていたっていうのに、青娥様は効率悪いです。ちゃんと後ろに隠れていればいいのにあっちにふらふらこっちにふらふら。あれじゃ僕の苦労が報われません。せっかく僕が玉を出して端に追い込んでも、当てずっぽうな場所にしか打たないじゃ意味がありません。理にかなっていません天意に背いています。こんなのが僕の主人っていうのが残念でなりません。本当に綺麗なのは顔だけなんですね。そうやって清楚な振りしていれば周りからちやほやされて構ってくれると思っているん……もがもがもがも、ぐがが、あっあっあっ、ああああ、ああーあーあーあーあーすーわーれーる。ああ……」
 芳香の腐って柔らかい頭骨に穴が開いていた。そこに青娥が口をつけてじゅるじゅると濁った液体をすすっている。
「んちゅ、じゅる……。あの子の元気な脳みそがまだ残っていたのかしら? 腐って色々いれて取り替えてくっつけたはずなのに……。うふふでもこれで大丈夫ね」
 と言って口をちゅぽんと放して、青娥は芳香の頭をぽんと叩いた。
「あーあーあー。せいがさま、大好き。せいがさま。私のしゅじん。せいがさま――」
「これでよしと。さて……」
 青娥は無邪気な目でこの幻想郷を俯瞰していた。その視線の先には何が見えているのだろうか。彼女の求めるところ彼女自身にしかわからないのである。
「せいがさまー、せいがさまー。せいがさまー」
 オウムのように繰り返す芳香を、無表情に辛辣に眺める。
「この子も……そろそろ飽きちゃったかな? 元はといえば妙に生意気な子だったし……。いや、それより二体目、新しい子でも入れたら面白くなるかも……。うんそうしようそうしよう」
 青娥は不気味に微笑んだ。キラキラとして目が爛々と輝いていた。
 霍青娥。邪仙である。
女神の誘惑
 この荒廃し滅び行く大地に悠然と立ちすさむ、その名も瓦礫の塔。帝国を裏切りガストラ皇帝を謀殺した、にっくきケフカが作り上げた悪趣味過ぎてへどが出るほどの醜悪な建造物だ。
 俺達はかつて揺ぎない盛栄を築いた帝国の精鋭部隊だった。地が裂け雷鳴が轟き幾重にも津波が押し寄せる。崩壊後の世界はまるで酷い有様だった。緑は枯れ生き物は生命力を失い次々と死に絶えていく。
 この世界で信じられるものは何もなかった。あるのはこの絶望に乗じて人をだまそうとする輩ばかりである。略奪強盗強姦、何でもありで世紀末では信じられるのは自分の力だけで全てだった。

 ――ケフカ討つべし。

 散り散りなった俺達をまとめる一つの真理はこれだけだ。
 あるものは家族を失い住む場所も財産も何もかも失っていた。かくいう俺も、将来に結婚を誓いあった女と離れ離れになっていた。どこかであいつはきっと生きている――。そう思わなければやりきれなかった。
「ヒューイ。行こうぜ」
 物思いに沈んでいると、仲間も一人が俺の名を呼んだ。どうやらこの塔に侵入する経路が確保されたらしい。
「OKギル。ああ、今行く」
 塔の内部はケフカの配下の魔物達でごったがえしている。ケフカか討つためにはどうしても避けては通れない。
 俺達は全部で二十人の大所帯だ。かつての帝国のメンバーだけでなく、何かを失った者達も数人混ざっていた。
 やり場のない怒り。それをぶつける場所はこの瓦礫だらけの塔しかなかった。




 塔の中は屈強な魔物達でひしめきあっていた。俺は得意の両手ナイフで無感情に肉を切り裂いていた。何も手心を加える必要はない。求めるのはケフカの首一つだけだったから。帝国の中では大して地位のない魔導師であったケフカが、どうしてこの世界の神になり得ることがあろうか。勘違いも甚だしいことこの上ない。
 俺は仲間達と共に、道なき道をまっすぐに突き進んだ。敵の苛烈さしだいに勢力を増していった。研ぎすまれされた牙が爪が、脆弱な人間の身を無残に切り裂いていく。仲間の屍が一人また一人と増えていく。自分の命を守るので手一杯だった。一瞬でも気を抜けば、邪悪な魔の凶器に身を八つ裂きにされてしまうに違いなかった。
 手痛い犠牲を伴いながらも、俺達は塔の中枢へと接近していた。
 もう少し。
 はやる気持ちを抑えながらも、俺は生臭い地面を蹴り上げた。仲間の数は既に十人をきっていた。名誉の戦死、俺達は最後の一人になってもそれに報いなければならなかった。
「おっ。ここは……」
 魔獣達の咆哮が一時止む。少し余裕のある広がった空間だった。まるで何か博物館や美術館で、一番価値のある物を鎮座させているような落ち着いた静寂感さえ感じる。
「ようこそいらっしゃいました。私は三闘神が一人――女神でございます」
 広間に女の声が響きわたる。声のした方、中央に視線を送る。そこには一人の女が、しおらしげにして優艶な笑みをたたえながらただずんていた。まるでビーナスのような優雅な体つきで、どう考えてもこの場には不釣合いであった。
 ほとんど裸で露出度は限りなく高い。水色の透けた布地が、申し訳程度に乳房や腎部の大事な部分を隠している。いや隠すというよりそれは強調だった。むっちりとした肉の重みと艶かしさを、無理やり際立たせるかのようにぐるりと布地が絡み付いている。それは乳房と尻肉に淫らに食い込み、雄の本能を煽るための淫靡な装飾でしかなかった。顔つきも柔和で美しかった。慈愛の深い包容力のある口元が常に笑っている。眼差しは吸い込まれそうなほど優しくて、それでいて妙に蠱惑を感じるほど艶やかで――。
「うっ……」
 俺は突然のこの女の登場に息をのんだ。どうやら周りの仲間も同様らしい。ほぼ半裸の女がこんな場所にこうして存在しているのはおかしすぎる。
「ふふ。聞こえませんでしたか? 偉大なるケフカ様のために祈りましょう? あなた達もそれが目的なのでしょう?」
 その声で俺ははっと我にかえった。そうだった。俺達はケフカを倒すためにこの塔にやってきたんだ。危うく女体の魅惑に目的を忘れそうになっていた。
 危なかった。何が女神か。いくら女であっても、結局は悪しきケフカに魂を売った魔の眷属に違いないのだ。
「みんなっ。さっさとやっちまおうぜ! 俺達の目的はケフカの首ただ一つ! こんな女にかまってられないんだ!」
「お、おう……」
 どこか不安げな様子の仲間の声が聞こえた。
「そうだぜヒューイ。俺達は……こんなところで。何もかも奪われたんだ。女でも容赦なんかしない。みんな、行くぞ!」
 ギルが皆を鼓舞するように言う。
 そう、俺達はこんな女なんかに惑わされたりはしない。皆がそれぞれずっしりと背中に重い悲しみを背負っている。ケフカを倒すまでそれから開放される術はない。
「悪く思うな」
 ぐるりと回りを取り囲む。これで終わりのはずだった。帝国の精鋭達が裸の女を一人を包囲している。当たり前のように一瞬で終わるはずだった。
「あら……。祈るためではないのでしたか? ふふ、愚かな。いいでしょう。この女神の力をあなた方に見せてあげましょう……」
「ほざくな!」
 女の細腕がゆらりと動く。その手前で俺は即座にナイフで切りかかっていた。
 しかし、落雷。どんという轟音が地面に刺さる。
「くっ」
 危なかった。俺はすんでのところで身を翻して、女の魔法攻撃を回避していた。
「せっかちですね。もっと楽しみましょう……ね? ほぅら……」
 再び女の手が踊るように揺らめく。直後に室内ではありえない現象、大粒の雨がしとしとと降ってきた。しかもこれは肌が焼け付くように溶けている。つまりは酸性だ。
「くそっ。舐めやがって……」
 どうやら一筋縄ではいかないらしい。いや、俺は負けない。この世界に平和を取り戻すために、絶対に勝たなければならない。そして必ずあいつに会うんだ。
 俺は悪い視界の中、地を蹴り女へと突進していた。


 数分たったが、状況は芳しくなかった。常に肉体を削る酸性の雨と突然落ちてくる稲光のせいで、女に接近するのは容易いことではなかった。しかしそれでもおかしすぎた。こっちは十人もいるのだから、一人ぐらい女へダメージを与えてもいいはずなのに、今まで一度もそんなことは許されなかった。
「くっ、くそっ。何でこんな女一人なんかに……」
 横でギルがうめいていた。どうやらギルも同じような感情を抱いているらしい。
 何かがおかしかった。相手は女。だが手加減などするつもりはなかった。こんな恐ろしい魔法を使うのは、ただの魔物であるに違いなかったから。
「うう……」
 黙っていればこの酸性の雨でじわじわ体力を削られていく。このままじっとしていれば死が待っているだけである。
 俺は意を決して刃を女に向けようとした。が、その時――。

 ……さい。
 ……りなさい。
 ……を守りなさい。
  
 何だ? 耳に不思議な声がどこからか届いてくる。あの女の声だ。優しくて、どこか妖しくてねっとりと耳に粘りついてくる。しかもそれはしだいに脳内を反響するかのように大きさを増していく。女のとても柔らかそうな唇を思いだしていた。耳にちゅるりと吸い付かれて赤い舌でねぶられる妄想に包まれる。

 ――守りなさい。
 ――私を守りなさい。
 ――私を守りなさい私を守りなさい私を守りなさい……。

「くっ」
 俺は反射的に耳をふさいでいた。が、それは意味がなかった。鼓膜ではなくどうやら頭の中に直接囁きかけられているようだ。唇をぎりっと噛み太ももをどんと叩いた。そうするとあの女の奇妙な囁きは遠のいた。
「何だったんだ今のは。みんな大丈夫か?」
 周囲に声をかける。だが返事をする者はいなかった。誰しもが皆、口を半開きにして目をうつろにしながら呆然と立ち尽くしていた。あの女の誘う声に酔わされてしまったのだろうか。
 ギルも口をぱくぱくさせながら陶酔しているようだった。俺はつかつかと歩み寄り、ギルの鳩尾めがけて一発拳を繰り出した。
「うぐおぇっ……」
 腹を抱えて倒れこむギル。
「お、おいヒューイ……」
「あの女は俺がやる」
「ああすまんな……」
 俺はナイフをぐっと握りしめる。いつの間にか雨は止んでいた。余裕なのだろうか。こんな俺達なら軽くいなせてしまうと。その考えを根底から踏みにじってやりたかった。
「ふふ……。私の愛……お気に召しませんでしたか?」
「何を言っている。死ね!」
 跳躍して飛び上がる。狙いは女の頚動脈だけ。一瞬で間を詰めそして一閃――。
 がちゃりと金属音。刃がこすれる音。
「な……」
 俺は自分の目が信じられなかった。刃は女に全く届いていなかった。そしてなぜか自分の攻撃を防いだのが、他ならぬ今まで目的を共にしていた仲間だった。
「何をしているお前!」
「う……あ……」
 大柄の男だった。女の前でその身を盾にするようにして剣を構えていた。
「守らなきゃ俺……女神様を……だから……」
 ぶつぶつと口ごもっていた。その後ろで女がゆっくりと近づく。男のいかつい顎に指を這わせてそっと囁く。
「ありがとうお兄さん……ちゅ♪」
「あっ、ああ……」
 女は次の瞬間、男の頬に接吻をしていた。そして背中にぐにゃりと自慢の乳房を押し付ける。薄い布がずれて媚肉が妖しく淫らに揺れ蠢く。
「くそっ」
 俺は一旦退いた。一体何がどうなっているのか。
「うふふ。このお兄さんの心はもういただいたわ。私の『愛の宣告』に聞き惚れてしまいましたもの……。さっ……そちらのみなさんも、もっと私の声を聞けば気持ちよくなれますよ……。ん~~っちゅっ♪」
 女が他の仲間に投げキッスを飛ばす。男達はその色香にも翻弄されて動揺していた。どこかしこから女神様女神様という声が漏れる。
「一体俺の仲間に何をした? 早くみんなを元に……」
「何も力で押すばかりが戦ではありませんよ……」
 そう言って女は腰をくねらせて妖艶に笑った。白くて零れ落ちそうな胸元がぎゅっとはじける。女性特数の湾曲的なラインが、視神経を魅了して脳髄を煩悩に染めようとしてくる。
「ほら……見なさい」
 女が口をぽっかりと半開きにしていた。れろれろと舌がいやらしく蠢く。つややかな白い歯がのぞく。赤い粘膜の美しさに魅入られて見つめてしまう。かろうじて目をそらしても、汗で濡れた魅惑の谷間で視界を陵辱しようとしてくる。
「くっ、くる……な」
 俺は間一髪のところでこの魅了を耐えた。股間に熱い血液が走りどくどくと心臓の鼓動が早くなる。
「あら……おしい。ふふっ」
「はぁ……はぁ……」
 後ろに下がって体勢を立て直す。崩壊後にまともに女を抱いたことはなかった。それゆえに、この肉の誘惑はあまりにも強烈だった。
「ギ、ギル。お前は大丈夫か?」
 後ずさりし、ギルに声をかける。さっき殴っただけあって正気らしい。
「あ、ああなんとか」
 やる気なく消沈したギルの声。
「ふふ。あなた方二人を残して……みなさん私の僕になってしまいましたね……」
 女の周りに、かつて仲間だった男達が寄り集まっていた。熱に浮かされたように魔性の女を取り囲んでいる。
「さぁあなた達。もっといいことしてあげますね……ふふ♪」
「はい……女神様……」
「女神様女神様……」
「女神様すばらしい……」


 

 呆けた声で男達が女を崇拝している。女はそれを聞いて嬉しそうに胸と尻を揺らした。男はそれに反応して欲情のおたけびをあげる。崇拝してさらに欲情してまた崇拝した。連鎖的に危険な倒錯に導かれて支配が強まっていく。
 妖しく踊る女の細長い指が、つんと男達の怒張しきった股間を押した。流し目を送りながらくりくりと力を加えて、先端に官能の疼きを注入する。男達は同時に言霊を耳にふっと吹き込まれた。一人一人耳を甘い舌で犯されながらねっとりと愛撫を受けた。

 ――死ぬまで味方を殴りなさい。
 ――ふふ。味方ってのは裏切り者のあいつらよ。
 ――ほら。わかるでしょう?
 ――行きなさい。ご褒美は永遠の快楽よ……。

「あああ……」
 男達は歓喜の涙を流した。しかし誰も達するものはいなかった。女神の誘惑は強力に男達の心を束縛していた。狂おしいほどの強烈な魅了に心を溶かされていた。

 ――これが『ゆうわく』よ。
 ――『愛の宣告』とあわせたら効果は二倍以上。
 ――死ぬまでこの操りの糸は消えないのよ。
 ――嬉しいでしょう? ねぇ? 女神様に操られて。
 ――ふふ。愚かに醜く罵り争いあうがいいわ。私にたてついた……罰♪
 ――ほら行きなさい。ほら! ほら! 早く!




「めっ、女神様ぁ。今すぐこいつらをめったうちに……」
「女神様のため……女神様のため……」
「うふふ……」
 女の忠実な僕となった男達が、色を失って襲い掛かってきた。しかし彼らは仲間のはずだった人間である。あの耳にぺたりとはりつく甘い声に、弄ばれて狂わされて正気を失ってしまったのだ。
「くそっ!」
 俺はなんとか距離をとろうとして後ろへと飛んだ。すっかりあてがはずれてしまった。かつて帝国の精鋭だったものが、女の魔性に軽々しく心を奪われていた。このままでは血肉を削りあう無意味な同士討ちが展開されるだけである。何としてもそれだけは防がなければならない。
 女ははるか後方にいて、余裕の表情で笑っているだけだった。そのお高くまとった面をぐちゃぐちゃにしてやりたかった。
「ひっ、ひええ! 何でこいつら急に……。ひっ!」
 ギルが一人逃げ遅れていた。もはや暴徒と化した集団が、無防備なギルめがけて凶刃を振り下ろそうとしていた。
「女神様にたてつく奴は死ね!」
「そうだ……そうだ……」
「やっ、やめろぉ! 俺達は仲間だったじゃないか。それなのに……」
 陰惨な刃物がギルの体に集中砲火する。ぎりぎりのところで身をかわすが致命傷を受けるのも時間の問題だった。ギルの嘆きの叫びは虚空に消えた。助けようにもどうにもならなかった。仲間だった奴らを傷つけることなんてできない。諸悪の根源はあの女だったが、直接攻撃する手段がなければどうしようもない。女の忠実なナイトとなった男達が喜んでその身を盾にするだろう。
「ギル! 避けろ!」
「うわぁ!」
 遅かった。回避しそこなって、足がもつれてべたりと地面に倒れこむ。脛の辺りをざっくりと切り裂かれていた。どくどくと赤い血の色がズボンに滲む。
「う、うう……。痛てぇ、いてぇよぉ……。なんでこんな……」
 泣き喚くギル。しかしそこにも容赦ない制裁が加えられようとしていた。
「裏切り者は……抹殺」
「あ、はぁ……。やりました女神様」
「ひっ、ひぃ、ひぃいぃ」
 そんな騒然とした状況に、女はしずしずとした態度でギルに歩み寄った。
「ふふ……。もういいでしょう。この坊やはまだ……更正の余地がありますからね」
「あっ、ああ……」
 女のしなやかな手が、ギルの顔に優しく降りかかろうとしていた。それをぼうっとした顔で見つめるギル。
「だまされるなギル! そいつは女の皮をかぶった化け物だ! 逃げろ!」
 俺は力の限りの声で喉を振り絞った。
「裏切り者の言うことは聞く必要はありません。さ……私の手にキスをしなさい。そして女神様と言うのです。それで坊やは救われますよ? さぁ……」
「あ、はい……はぁ……」
 ギルに俺の声は届かなかった。そして女の白い手に何度もキスをまぶしていく。
「女神様女神様女神様……」
 うっとりとした表情でギルは忠誠を誓っていた。
「うふふ……」
 下僕を増やした女は妖艶に笑っている。指を舐めさせながら、毛づくろいするようにして頭を優しく撫でる。
 深まる倒錯の狂気。周りの男達も女にひれ伏しあがめ、足元にうずくまりながら涙さえ流すものもいた。
「女神様……素晴らしい……」
「女神様もっと……」
「ああ……あああ……」
 俺は一人だけ蚊帳の外だった。ぽつねんとしてこの滑稽な痴戯を呆然と眺めることしかできなかった。
「ちょっと疲れちゃった……。椅子が欲しいな……私」
「わ、私が椅子に」
「いや俺だ」
「俺が」
「ふふっ。喧嘩は駄目よ」
 やがて、一人の男が女の肉感的な股に顔をうずめていた。むちっという音が聞こえそうなほど、肉づきのいい太腿を締め上げている。
「む……むむ」
「つぶれちゃ駄目よ。椅子なんだから」
 くぐもる声。必死で椅子になろうとして態勢を保とうとするが、男は耐え切れずに腰を折って崩れ落ちた。
「あら使えない椅子ね。次は誰かしら?」
 女がまた男達に問いかけをした。目が糸のように細くなり口角が上がる。官能の流し目の直射を受けた男の中には、射精まで到達してしまった者もいた。
 肢体のいやらしさを強調するように指が這い回る。膝の上からつーっと滑らかな肌をすべり、むっちりと大きめの腰を抜けくびれをカーブし、どんと重く垂れ下がる淫らな果実でその終点を迎えた。
「はぁ……ぁん♪ 椅子ぅ……次はだぁれ?」
「はい……私が椅子に……」
「私が私が……」
 もはや一人だけではなかった。男達がこぞって先を競いあい、魔性の女の椅子に自ら堕ちたがっていた。その中には足を切られて地べたを這っているギルの姿もあった。すっかり女に心酔し、顔の筋肉全てを弛緩させて一心不乱に女の尻の下になろうとしていた。
「みんな正気にもどれっ! くそっ! 何だってそんな女の……」
 俺は声を張り上げた。この屈折した事態に頭が追いついていかない。本当は恐ろしかった。女の手練手管か悪魔的な魔術の力か。どちらにしろ、いとも簡単に屈強な男達が一人の女の虜と成り果てていたのだから。
「あらまだいたのね。あんな小物はさっさと殺してやりましょう……ねぇみんな?」
 女が目配せすると、殺意の集中が俺に一斉に襲い掛かった。どこにも逃げ場はなかった。俺は、どこにも――。
 目を血走らせて暗黒の狂気に染まった男達。その面差しにはかつての意思の欠片は見当たらない。愛欲にその身を支配された、魔獣達の舌なめずりが聞こえてくるばかりだった。
「うわあああっ!」
 俺は突発的にナイフを投げた。それは女の美しく精巧な顔面へと向かっていた。
「はぁ……はぁ……」
 次の瞬間、眼前に起こった現実を理解できなかった。なぜなら俺が投げたナイフは、ギルの喉元へとずっくと刺さっていたからだ。しかしギルの表情はなぜか感極まって幸せそうだった。そのまま女に抱えられてぐっと頭を垂れる。
「まぁ……私のために身を犠牲にして……」
「はい……俺は女神様の役にたてて幸せ……で……す」
 そのままギルはこと切れたように目をつぶった。
 女がにこやかな笑顔で、悄然としている俺の方を向く。
「うふふ。まぁなんていやらしい。仲間をナイフで殺めてしまうなんて……。ああ恐ろしい」
「ちっ、違う。俺はただ……」
 俺は酷く混乱していた。ギルを殺してしまったことによる罪悪感。いやそれより今喉に突きつけられた凶器に恐れおののいていた。確実に来るであろう死という絶望の運命。目的を果たさずに死んでいくだけのむなしい結末。
「言いわけはあとで聞きますね……。さぁみなさんやっておしまいなさい。おほほほほ……」
 女が高笑いが俺の最後の記憶だった。理不尽な刃物が全身を痛みで塗りつぶしていく。俺の意識はそこでぷっつりと途切れてしまった。




「ん……」
 俺はむくりと起き上がった。生きている――。いや、俺は確か妙な女の手にかかって死んだはずだった。だとしたらここは一体どこなのだろう。
「お目覚めですか?」
 優しい音色が頭上から落ちる。女が、いや女神が俺に優しく微笑みかけながら見下ろしていた。
「俺は……一体?」
「ふふ。もうわかっているのでしょう? あなたがいて、そして私がいる。永遠の生命……。それが真実です」
「ああ……」
 女神の声を聞くと安らぐ。周囲には仲間達も女神の機嫌をとりながらはべっていた。哀れな人間の椅子に腰をかけて、足を組み替えながらその美しすぎる太腿を見せびらかしている。
「『クラウディヘブン』。死んでも私の愛は消えませんわ。おほほ。これからも私に絶大なる忠誠と愛情を注いでくれますね? 例え、その身が朽ち果てようとも――何度でも何度でも……」
 全ての意味を理解することはできなかった。ただ体が自分のものではなく、どこかうわついていてふらふらと風船のように漂っていても、甘美なる幸せの揺り籠の中にいつも安らかに座っている。そんな理想じみた甘い享楽と愉悦に染まりきった境地に堕ちていた。
「女神様女神様……」
「女神様……」
 人間達が何人も女神のおみ足にすがりついていた。自分もそこに混ざろうと思った。母親の乳房にすがろうとする赤ん坊のように、それはごく当然のこととして行動した。
「女神……様……」
 俺はつるりとした指先にキスを繰り返した。もうこの世のことなどはどうでもいい。この美神の前にひざまづき、魅惑の糸でがんじがらめにされて永遠の時を受け入れることこそが幸せだと悟ったから。
「もっとお舐め。可愛い坊や」
 女神の親指が口にねじ込まれる。俺はその白い指を愛おしくくわえ込んだ。
「はぁ、はむ……んむ……」
「うふふ……♪」
 艶然として緩い視線を送ってくる。頭の中が女神でいっぱいになった。賛美歌ともいえる福音の鐘がらんらんと鳴っていた。
「あ、あ、ああ……」
 俺は指を口に含んでいるだけで射精していた。それはおさまることなく快感が延々と続いていく。  
 
 ――女神様のため……女神様のため。
 ――うふふ、気持ちいいでしょう?
 ――これが天上の極楽ですよ。
 ――そして永久に私の眷属となり仕えるのです……。

 またあの声が聞こえていた。どこか懐かしくて、憧憬を感じさせる優しい声だった。
「め……がみ……さま」
 俺は再び射精していた。脳内を白く染め上げる快楽の坩堝の渦。終わることのない悦楽の鼓動。
 肉体も精神も魂も捧げる幸せ。

 ――もっと私の名を呼びなさい。

「はい……」
 主の命に喜んで従う。俺は脳さえも蕩けそうになった。
 女神様女神様女神様女神様女神様女神様…………。
 ああ本当に幸せだ。からだもなんだか、女神さま、とろけて、ぐぶ、あ

ショタフランちゃんとさとる君
「ほらフランちゃん。んっ、ちゅっ、ちゅ」
「ああ、駄目さとるくぅん……」
 ここは地霊殿カンパニーの一室であった。二人の少年がほぼ全裸の状態で、甘い嬌声をあげながら互いの体をまさぐりあっていた。
 積極的に接吻を繰り返しているのは古明地さとるである。桃色の癖のある髪の毛がショートでふわりと首筋にやわらかくかかる。ややもをすれば奇異の目で見られがちな頭髪の色も、このさとる少年の魅力をもってすれば、それはあまりにも妖しげで蠱惑的な容貌がぐるぐると融合し、悪魔的な吸引力となるぐらいの危うい色彩であった。
 雪のような白い肌も相まって彼の美しさを際立たせる。しおらしく中性的で少女にも少年のどちらにも属さない、それでいて両雄の際立つ部分を美味しく抽出しているのである。眉目秀麗の精緻な黄金比が、骨格のみならず内臓血液にまで行き渡る完成された美の象徴であった。
 彼はまさしく自由奔放で身勝手であった。しかし誰にも止められない、止めようがなかった。初対面の人間は、天使のような愛らしい容姿にころりと騙されてしまう。そして十分に打ち解けた後、突如として牙をむくのだ。赤ん坊のような愛らしさも見せれば時には毒婦のような妖艶すぎる表情を見せた。周囲の人間のはころころ変わる態度に無理にでも翻弄される。子猫のように甘えてきたかと思うと、ぱっと親の敵かのように拒絶され突き放されてしまうのである。
 さとるは地霊殿カンパニーの由緒ある御曹司である。今までに何一つ手に入らないものはなかった。そしてまた新たな獲物を探そうと舌なめずりを始めていた、
「ねぇフランちゃん? もっと口……あけて?」
「あ……ん、うっ」
 今さとるに接吻を迫られているのはフラン少年であった。彼は名の知れた大企業である紅魔館の若すぎる跡取りである。過去に一時の栄華を極めた紅魔館も、今やその勢いは泣かず飛ばずであった。先代が没してからというもの、紅魔館の財政状況は常に逼迫していた。絵に描いたような手酷い自転車操業が、いつか崩壊するであろう朽ち果てた未来を如実に予言していた。
 現当主は代々から吸血鬼の血を授かったレミリアスカーレットである。フラン少年はその弟であった。金髪でルビー色の瞳が美しく映える吸血鬼。日常的に日の光を浴びない種族であるから、さとるにも負けず劣らず肌は白磁のように白く、まるで傷や染み一つなくなめらかであった。
「ふふっ。可愛いねフランちゃんは。僕なんかよりもずっと綺麗な肌だよ……」
「そっ、そんなこと……んっ」
 フランは首筋を舐められて、びくんと飛び上がった。さとるは仲のよい友達で、日ごろから遊びあう間がらであった。それが今やどうしてこんな関係になっているのかわからなかった。ある日、裸のままでベッドに押したおされて後はなすがままであった。何度も口付けをされて耳元で甘いささやきを繰り返される。そんな自堕落で倒錯的な日常が幾度も続いていた。
「んっ、はぁ……。ふふ。ねぇフランちゃん? 今日はもっといいことしよっか?」
「いいこと……?」
 うつろな目でそう言った。断る理由なんて何もなかった。幼く多感な時期の莫大なる未知への憧れが、フランの胸の内から溢れんばかりに持ち上がってきた。しかもその道を示してくれるのが並外れた美麗の少年であったから。軽い脳内の陶酔に酔いながら、とろんと細まった目でさとるをじっと見つめた。
「それはね……ここだよ」
 そう言って、さとるが触らせたのは彼の股間であった。手のひらの中で脈打つ鼓動。それはフランとっては不思議で甘い誘惑であった。
「えっ、あっ、ええっ?」
「ねぇ何回も僕と裸でこうしてて、気づかなかったの?」
「あ、あの……。僕」
 フランはまごついた。気づかなかったわけではない。性器が通常よりも肥大しているのは前々から感づいていた。しかしさとるの前で言うのははばかられていた。だってそんなこと恥ずかしくて――。
「ふふっ。ほらもっと触って? ほらほら」
「ああ……」
 誘導されてもっと触るように促されてしまう。ある種の濃厚な血液の胎動が、手のひらを伝わって自分にも流入してくるような心地がした。しだいにさとるの性器が大きさを増していく。怖いとは思わなかった。それより、いとおしく温かみのあるような安堵に似た感情の方が勝った。
「気持ちいいよフランちゃん。ねぇフランちゃんも気持ちいいの?」
「うっ……」
 心を見透かしたようにさとるが聞いてくる。気持ちよくないと言えば嘘になる。実際に気持ちよすぎて心が破裂しそうであった。そしてさとるも同じようにこの心境を共有していること、そのことに奇妙な一体感と踏み込んではいけない背徳感とが交じり合った倒錯的な感情を抱いていた。
「いいんだね。うれしい……。ちゅ、ちゅ、んちゅっ」
「ふぁ、ちゅ……ちゅっ」
 脳がとろけそうになりながら接吻を受け入れる。赤い舌を吸いながら滴る唾液を淫靡にからませる。白い石膏像のような顔面が視界を覆う。滲んだ瞳孔から電流が迸り甘い疼きを送ってくる。
「さとるくぅん……もっとぉ……」
 ついにフランは自分から甘えを開始してしまった。彼は美しかったし、何より胸の高鳴りが止まらなかった。
「もっと? じゃあお返しだよ」
「はぁっ」
 予期せぬ事態にフランは目を白黒させた。自分の性器をさとるの小さな手のひらでわしづかみにされたからだ。
「あ、ああ。やめて」
「やめて? 何で? さっき僕のも触ったでしょ?」
「でも……」
 と抵抗してもさとるはやめなかった。指の腹でさするように優しくフランのシンボルを撫ぜてくる。それはリミズカルに竪琴を弾くような優雅で神話的な官能の調であった。
「はん、あん、あふぅん」
 フランは思わず声を出した。くすぐったいようなむずがゆいような感触に、背をぴんと反り返らせてもだえる。
「ほら、フランちゃんのもどんどん固くなってきてるよ? 僕の手の中で……」
「えっ? あんんっ」
 事実、フラン少年の幼い突起は天井を向いて硬直していた。歴戦の猛者のような荒々しい様子は皆無で、今まさに希望を胸に抱えた少年らしい若々しい生命の躍動であった。
「これで僕と同じだね……。魔性なんだよこれ。わかる?」
「えっ、魔性って?」
 手で優しくシンボルをしごきながら、さとるが聞いてくる。
「魔性は魔性だよ。狂っちゃうんだよ。みんな。僕達にはその権利があるんだよ。わかる? フランちゃん?」
「あっ、うん。わから……ないけど。んっ気持ちいいよぉ……」
 さとるの言っていることは理解できなかった。けど性器の根元から、快感が脳髄を伝わって押し寄せてくるのがわかった。美麗すぎる少年の手でフランは性の喜びを享受しようとしていた。
「僕のも触って? 今度はお互いね……ほら」
「う、うん」
 胸を合わせるようにして、互いの性器を握り合う。自然と顔が近づき舌をからめて唇を吸いあう。さっきよりも何倍もの快感が全身を貫く。少年達は魅惑の甘い香りが漂う鳥かごの中で、禁忌の魔性に満ちた痴戯に没頭してしまった。魔女達の執り行う悪魔的崇拝に似たサバトの儀式。それがこの未成熟な白い肉体同士で完成されようとしていた。
「あ、はぁ、何これぇ。さっきとぜんぜんちがうぅう!」
 フランは大声をあげて快感をむさぼった。濃密な時の流れの中で、二人の肉の語らいは淫らに燃え上がっていった。
「僕もすごくいいよフランちゃん。んっ、あん。もっとしごい……もっと……」
 促されて性器をさする手を早める。そうすると呼応するようにして、火花が散るほどのスピードでしごかれてしまう。汗が飛び散り艶かしい体に彩りを添える。淡い体臭も甘いフェロモンとなり理想的な魅惑の芳香へと昇華していく。前歯と前歯ががつんとぶつかりあう。獣じみた肉の饗宴。狭い檻の中で媚肉が熟成されて豊潤な香りを放ち、食べごろの今を迎えるまで一直線に突き進む。
「んむっ、んっ、んっ、すごいよフランちゃん。僕感じてるぅ……ねぇ、ねぇ……」
「ああん。僕もそうだよさとる君。今まで感じたことのない……ふあぁあ」
 限界まで上り詰めた愛の炎が、有頂天に達しようとしていた。皮をかむったままの未熟な性器がびくんびくんと激しく脈動する。
「あーっ。何かくるようさとる君」
「んっ……ねぇ一緒に」
 本能的に備わっている感覚で、審判の時を予感する。濡れた性器の先をつつき合せながらその時を待つ。
「んんっ。さとる君。そんなに先っぽぉ……駄目ぇっ!」
「フ、フランちゃんの方こそそんなにっ……」
「あっ、くるくるっ! 奥から……んぁーっ!」
「僕もぉ……いくよぉ……んっ!」
 極限の官能が血液から脳内物質となり全身をかけめぐる。雷に打たれたようにしびれ、髪を振り乱し背中をそらせて性の喜びをかみ締める。白くねっとりした濃い液体が腹部にべっとりとからみついていた。
「んぅ。はぁはぁ、はぁはぁはぁ……」
「はぁ……はぁ……」
 息を落ち着けてみる。フランは自分の性器から、何か得体の知れない、尿ではない別の液体が放出されたのを感じとった。濃厚などろりとした白いものが、フランとさとるの間に蜘蛛の糸ように巣を張っていた。
「ふわ。何これ……」
 フランがそう聞いたが、さとるはにやりと一つ笑っただけであった。直後に、何かつんとくるような何とも言えないような、いやらしい香りが周囲を満たしていく。
「これが僕とフランちゃんの愛の結晶だよ? ほら……ぺろん」
 指に白い液体をすくいとって、さとるはちゅぽんと音をたててしゃぶった。
「ああん。そんなの汚いよさとる君……」
「どうして? ふふっ」
「どうしてって……」
 自分の性器から沸いて出たもの。フランがそう思うのは至極当然のことであった。
「美味しいよこれ。ねぇフランちゃんもどう?」
「えっ、ああ……」
 さとるがあまりにも美味しそうに頬張るので、それならばという思いにかられてしまった。自分のお腹から白い液体を指にとる。やはり漂う香りが嫌悪感を催す。さとるの方を見る。笑顔でこたえられる。その笑みに助けれて、フランは意を決して指を口に入れた。
「んむんむ……。べーっ。やっぱり美味しくないよ……。どろどろで……なんか変な味……」
「ふふふ。そうかな? でも……こうすると……んちゅっ」
「んっ、やめ……むぐっ」
 避けようとしたが避けられなかった。さとるはあろうことか、白い液体を口にふんだんに蓄えたまま口付けを迫ってきたのだ。気持ち悪いような濃厚な触感が、強制的に口の中にひろがってしまう。
「どぉお? フランちゃん? んむ、んむむ」
「んっ、んっ、んんーっ」
 絡みつく舌、広がる匂い。唇を吸われて歯茎の溝を舐められながら、白い液体を塗りこむように丹念に愛撫してくる。
「僕の白いので粘膜をコーティングしてあげるね? だからフランちゃんも僕にお返ししてね? んちゅっ」
「ふぁ、はーいさとる君……んちゅ、んちゅ……」
 キスをされるともう何もかもどうでもよくなってしまう。フランは思考を支配されるような心地がした。好き。さとる君が。好き、好き、好き。
 期待に応えるように必死で頬を舐めたり口内に舌を這わせた。もはや嫌な匂いも気にならなくなっていた。あるのはこの狭い密室の中で、もっと倒錯した快感を共有したいということであった。 
「あむはむ、んむぅん、んむ、んむっ」
「あ……ふぅん……そこぉ……。もっとさとるくぅん……」
 フランは少女のような声を出して甘えた。さとるに心酔したまま、心を支配されて更なる甘美な陶酔に堕落してしまいたかった。
「そんな声出して……フランちゃんたら。ねぇ……またここ固くしているんでしょ? 白いのぬりこんでぇ……。ほら、これでもう一回しよ? ね? ちゅ」
 頬に優しくキスをされ、性器に妖しく指を絡められてしまう。フランの心は再び沸き立った。鼓動が熱く、燃え滾る若き剛直が快楽を貪欲に欲していた。
「うん。もう一回……ああ。僕どうなっちゃうんだろう……」
 そんな疑問を口にするフランを、慈愛に満ちた目で見つめてくる。
「大丈夫だよフランちゃん。僕の色に完全に染めてあげるから」
「あ、はぁい。さとる君……」
 そのまま押し倒されてしまう。お腹の上で性器がぐにゃりと蠢き胎動を始める。またもや白い宴が開始されていく。精神にも肉体にもその快楽を塗りこめられて、従順な奴隷となるべく定められた思考回路を形作る。意のままに操られるとわかっていても抵抗できない。むしろ隷属することが自分の幸せにすりかえられていく。
 猛った若茎がねっとりとからみ涙を流す。むっとする匂いが脳内を満たし、軽く絶頂の臨界点を越えさせようとする。ふとさとるとぴったりと目が合う。笑いかけられる。その笑顔に魂全体を魅了されてしまう。
「ほら、また出すよ……」
「もっと、もっとぉ……」
 フランは押し返しては満ちる性の波の逢瀬を感じながら、ベッドのシーツをぎゅっと握り締めた。


「ふぅいいシャワーだった。フランちゃんも一緒に浴びればよかったのにね。ふふふ」
 ひとしきり行為を終えた後、シャワー室へ行ったさとるが戻ってきた。手には冷たそうなオレンジジュースが握られている。
「そ、そんな……。あの……」
「どうしたの? ねぇ?」
 にやにやしながらさとるが隣に腰を下ろす。
「あっ……」
 フランは気恥ずかしそうに顔を背ける。
「いけないことしちゃったって思ってる? でもまだまだこれからなんだけどね。ねぇフランちゃん……僕の頼み聞いてくれたら、もっといいことしてあげてもいいよ? くすくす……」
「あ、はぁ……。い、いいことって?」
 いけないと思いつつも、そうたずねてしまう。隣でさとるの体温を直に感じる。さっきまでのもやもやした匂いとは違い、清冽な澄み切ったような匂いがする。ずっとそばにいていたい。男同士でも、友達を超えて、恋人のように。
「へへっ。なーいしょだよっ。それより僕のいうこと聞いてくれる? ねぇ僕の可愛いフランちゃん……」
「う、うん……。さとる君のためなら、僕なんでも……」
 僕の可愛いの、『僕の』という箇所に言葉で表しようのない幸福感を感じてしまう。ひんやりとした手の冷たさで、そのまま頬を優しく撫ぜられる。
「じゃ耳貸して?」
「うん……」
 耳元に口が近くてドキドキする。美少年の甘い吐息に意識が飛びそうになる。しかしフランが聞いた内容は、とてつもなく常識外のことであった。
「ええーっ。そんな……こと、できないよ……僕」
「できないじゃなくてやるの。僕の……命令だよ? くすっ」
「あっ、はぁっ、。やる……やるから……」
 意地悪く笑うさとるの表情で、地の底まで落とされてしまう。もう離れられない。さとる君とは。
「じゃあ決まりだね。楽しみにしてるよフランちゃん。あはっ」
 肩をポンと叩くさとる。その横でフランは暗澹な面持ちで下を向いていた。





 十六夜咲夜は紅魔館のメイドである。そして今も巨大なビルの中でせっせと業務にいそしんでいた。主に忠実に、誠意を持って働く。彼女の信念は頑なであった。
「咲夜ーいる?」
「なんでございましょうかお嬢様?」
 廊下を歩いていると、主人であるレミリアから声をかけられた。一体何の用であろう。
「あの馬鹿弟がまだ起きてきてないの。起こしてきてね。ついでにこっぴどくしかりつけて欲しいわ」
「御意にござりまする」
 咲夜は深々とへりくだった。
「……あはっ」
 レミリアが立ち去ると、満面の笑みを浮かべてにやけた。
「まぁ……フラン坊ちゃまの……まぁ。私が……うふふ」
 少年愛嗜好というものがこの世には存在する。俗にいうショタ愛である。まぁ女性なら幼い少年を可愛く思うのも普通のことであるが、咲夜の場合は軽く時計の針を二十周ぐらい超えていた。少年、好き、そばにいたい、ほっぺをつんとしたい、愛したい、食べたい。ハメたい。体全体をぺろぺろしたい、というような俗世の煩悩にかられ過ぎていた。
「待っててくださいね坊ちゃまー。るるんるるるんるー♪」
 咲夜は足取り軽くスキップした。


「えーゴホンゴホン。フラン坊ちゃまー。いらっしゃいますか? まだお目覚めにならないと聞いて。私め、十六夜咲夜が参上いたしました」
 呼吸を整えて戸を叩く。この中で美貌の少年が寝息をたてて休んでいると思うと、鼻息が荒くなってしょうがなかった。そもそも咲夜が紅魔館ビルに勤めたのも、フラン少年が目当てであった。吸血鬼の整った容貌と凛々しい顔立ちに、一目みただけで魅せられてしまった。同じ建物の中にいるだけ、同じ空気を共にしているだけでも幸せであった。そして今一部屋で直接そばにいられる機会が運よく与えられたのだった。
「フラン坊ちゃま……。お返事がないのでしたら入りますよ……」
 咲夜は勢い勇んで部屋に転がりこんだ。息を吸う、吐く。すばらしい。こんなに素晴らしいことがこの世にあるだろうか。いやたぶんない。
「坊ちゃま……。あらまだベッドに寝ていらして……ふふ」
 隅のベッドへ向かって抜き足差し足で歩く。ああ、今ここに可愛らしい妖精が。いとけない顔立ちでこの世の穢れを知らない純真なナチュラルボーイが。
「坊ちゃま……ああ!」
 フランは体を横にしてその身を置いていた。白いベッドにサラサラと手入れのいき届いた髪がはらりとうちほどける。柔らかな頬を見ればふっくらとして健康そうで、すやすやと寝息をたてて夢見る天使のラッパはエデンまで鳴り響くかのように遠く儚い。
「あんなんてお綺麗な寝顔なんでしょ。このまま目覚めの口付けを……なーんて……。…………なーんて」
 咲夜はあたりを見回した。そうだ。お嬢様は起こせといった。だとすると、これもあながち間違っていないのではないか。そうだそうに違いない。
「フラン坊ちゃま……失礼します。毒りんごの呪いを今解いてあげますからね……」
 自己を正当化して、唇をんーと突き出した。坊ちゃまの赤い唇。ああ……後数センチ。はな、鼻血が出そう。
「ん?」
「ふぁ」
 鼻先数センチの所で、ぱっとフランの目が見開かれていた。それは驚愕といっていいのやらなんとやら。とにかく咲夜は、鳩が豆鉄砲をくらったような顔になって後ろに退いた。
「ああフラン坊ちゃま。おはようございまぁす。えへ、えへへ……」
「誰?」
「すいません坊ちゃま。ご失礼しました。私のメイドの十六夜咲夜でございます。レミリアお姉さまのお言いつけでこうして……。どんな罰でも受ける覚悟でございます。ええ、ええ……」
「ふーん。まぁいいや。お姉さまによろしくね」
「ひぃ。はぁ」
 何とか難を逃れたようだ。咲夜はほっと一安堵した。 
「それでは私はこれで……」
 いい思いができて咲夜は満足であった。ああなんていい匂いなのだろう。あんな間近で少年吸血鬼の香りをかいで……。すべすべの肌……その天使のような寝顔……声変わりする前の純真無垢のスイートボイス。咲夜の妄想はこの世を一回転と半周を回った。
「待って」
「は?」
 フランが呼び止めた。
「僕のお世話をして。咲夜」
「いえ、しかし……」
 勝手に命令に背いてはお嬢様を裏切ることになる。しかし坊ちゃまの願いを無碍にするのも居心地が悪い。
「いいから。お姉さまには後から僕が言っておくから……ね?」
「は、はぁ……」
 パチッとウインクをされたので、咲夜はドキリとしてしまった。華奢な体、細い顎、涼しげな瞳。見とれずにはいられない、人間の上位種である吸血鬼のなんと美しいこと――。
「そっ、それでは何を……」
「脱がせて」
「はっ」
 予期せぬ言葉だった。
「脱がせて咲夜。僕、自分で服ぬげないの……」
 まさかそんなことがと思った。いくらなんでも二歳三歳の幼児ではないのだ。それなのにこんな願いをするとは。
「脱がせて……くれないの?」
「あ、ちょっと待ってください坊ちゃま。あの、その」
 上目遣いで妙な雰囲気で見上げられたからたまらない。少年の声色の中にも、どこか媚びるような甘えた調子が鼻にかかっていた。ああこれはまずいぞ。いくら自分がショタ趣味だからといって、こんなこんな。いけない。絶対にいけない。ここで手を出してしまったらどんな拷問を受けるかわからないのに。
「ねぇどうしたの? もう僕待てないよ……」
 胸元のパジャマのボタンが一つ外れていた。サイズが合ってないのかたぶついて余裕がある。幼い吸血鬼は肌着をつけていない。細い鎖骨が白い肌に浮き出ている。咲夜によく見えるように胸元がはだけ、平らな胸板に肋骨のなんともいえない滑らかな抑揚が、無邪気ながらも危険な色気をかもし出している。
「あ、あ、ぼっちゃ……ま」
「くすっ」
 フランは覗いてもいいよといわんばかりに、ぐっと身を乗り出して前かがみになった。桜色のぽちっとした乳首、そして奥の暗がりにあるおへそまで見渡すことができてしまった。
 咲夜は思考が混乱していた。何の戯れか主人の弟様に淫靡な誘惑を仕掛けられているのだ。何ということだろう。吸血鬼がただの人間を誘うなんて、もうその身を捧げろと言っていると同じではないか。ええ咲夜わかってるわ。自分は従順で瀟洒なメイド。こんな弟様のたわむれなんてしっかり諌めてしかりつけて、その律儀振りを発揮してやれば――。
「どうしたの咲夜ぁ。僕もう待てない。ほら、もっと僕の体見ていいよ?」
「あ……」
 そんな心のバリヤーも一瞬で粉々に打ち砕かれてしまった。艶っぽく、情のこもった声に脳がぐらりと揺れる。もう目の前にいるのは主人の弟ではなく、ただの淫らな娼婦にしか見えなくなっていた。男でも娼婦。幼さをこれでもかと見せびらかして、悪魔的な手練手管により客を射止める手馴れた少年の娼婦であった。
 口角を上げてにやりと笑う仕草、嗜虐的ではるか上からゴミを見下ろすかのような視線に、咲夜はしおしおとしてもんどり打って倒れこみそうになりながら耐えた。
「はぁ、坊ちゃま。いけません。いけ……ません。どうかご容赦を……。後でお嬢様になんと……」
「ふふ。そんなのいいから。ねぇ咲夜? 君さっき僕のほっぺにキスしようとしてたでしょ? これお姉さまに言ったらひどいよ? ばらしても……いいの? ふふっ」
「あ、それは……」
 ああ起きていたのだ弟様は。すべてわかっていた上でこんなことを。だとするともう逃げ場はない。咲夜の心を絶望の重い帳が覆った。一体どうすればいいのか。どうせ吸血鬼に食べられるぐらいなら、性的にその身を蹂躙されて辱められてぐふぐふ。
「どうしたの? 聞こえなかった? 大丈夫だよ? 僕人間の扱いには慣れているんだよ? ほら来て……咲夜」
 フランが両腕を広げて迎え入れようとしていた。咲夜はその姿にすっかり魅了されて一歩歩みだした。
「はい……。どうか優しくしてくださいね弟様。えへ、えへへ……」
「来て」
「はぁい……」
 咲夜は目をつぶってまっすぐ歩いた。ああなんて短い人生だったの。でもこんな美少年の手で命を閉じるなら本望だわ。ああ十六夜咲夜の人生に一片の悔いなし。なんて瀟洒で素敵な一生だったのかしら……ああ。
「ああ……」
 三歩四歩と歩く。あれベッドの弟様はこんなに遠かったかしら。……どこ? 弟様? そのまま一直線に直進する。
「あんっ!」
 おでこに痛みが走る。さすりながら目を開けると、紅い壁にぶつかったらしいことがわかる。
「うわー、こんなのやっぱり恥ずかしいよー。やだーもう! もー早くでてけよー。鼻の下伸ばしていやらしいんだよお前はっ! 早く早くっ!」
 フランが我を忘れたように騒いでいた。あれ? どうしてこんな展開になるんだろう? 咲夜の頭はとてつもなく混乱してしまった。
「あ、あの……」
「出てけったら! このー!」
「うぶ」
 大きな熊のぬいぐるみが顔面にクリーンヒットした。何が何だかわからないがどうやらここから消えて欲しいらしい。
「はい今すぐに。失礼いたしましたっ!」
「もう二度とくるなよー。このスケベメイド!」
「ひぃー!」
 間一髪で猛獣のいる部屋から抜け出た。後数秒遅かったら何をされるかわからなかった。性的にではなく、暴力的にその身を八つ裂きにされてしまうに違いなかったから。 




 所かわり地霊殿カンパニーの一室である。フラン少年は手枷をはめられて、壁にその身を貼り付けにされていた。
「ねぇフランちゃん。メイドを誘惑しろって言ったじゃん? どうしてちゃんとできないのかな? ん?」
 さとる少年が鞭をぴしりと叩く。黒光りするブーツ、ガーターベルト、股間の切れ込みが深いボンテージ姿。露出度が高く目のやり場のないくらい扇情的な容姿であった。がしかし身に付けているのが年端もいかない少年であるのは、なんともいえないちぐはぐさではあったが、それがかえってある種の官能的な美を集約されているのかもしれなかった。
 細い体にぴったりと着用されたそれは言わばアーマーである。雄雌ともどもをごく自然に欲情させるための積極的な武器と言ってもいい。女子は言う及ばず、もし一般的な男子がこの少年と相対したならば、指一本も動かせないほどの強烈な蠱惑でその身を焦がし、財産も家族友人全ての縁を捨て去って、足先をぺろぺろ舐めて忠誠を誓うことが普通に予想された。
 あどけない顔の少女と倒錯しても十分過ぎるほどの倒錯であったが、彼はさらに上をいく美少年であった。わざとらしくしなを作ったり、意味ありげに目を細めて流し目を送る仕草も非常に卓越していた。下腹部にすりよられて目を潤ませながら甘い懇願を受ければ、どんな男女も正気を保っていられないのは確かであろう。
「う、あのね僕。ちゃんとしたんだったら……本当だよう」
 涙ながらにフランは訴えた。もう既に体全体に痛々しい鞭の痕が刻まれていた。
「嘘。最低でもキスまでしろって言ったんじゃん。ねぇ……僕に嘘ついたらどうなるかわかってるよね?」
「あんっ!」
 おでこにがつんと頭突きをされる。そのまま鼻の頭をぺろりと舐められた。
「僕には何でもわかっているんだからね。ね、君の大切なお姉さまがどうなってもいいのなら……ふふ」
「お、お姉さまをどうする気? 駄目だよそんなの……」
「フランちゃんは黙って僕のお人形さんになってればいいの。ほら、今日もいけないことしちゃうよ?」
「ふぁ」
 ブーツの踵がフランのペニスにめり込んでいた。反り返って硬度のある肉棒に、めりめりと圧迫が加えられる。
「いた、やめて……」
「痛いのもじきよくなるよ。でも、そんなにこれが嫌なら別のことしちゃうね」
 と言って、さとるは鞭をしならせてペニスに一気にぐるんと巻きつけた。性器全体をすっぽりと覆う淫靡な鞭の感触。その奇妙な圧力に異常なほどの恐怖を感じてしまう。
「あぅ……」
「いいでしょこれ? ほら……このくらいがいいのかな?」
「ああっ」
 鞭を引っ張られると、再び圧迫はきつくなる。フランはうめき声をあげてその窮状を訴えた。
「きつすぎたみたいだね。じゃ……ちょっと優しくしてあげようか」
 再度緩まる。優しく――。なぜかその言葉に危険な罠、何か裏があるような気がしてならなかった。
「ふふっ。この鞭はペットをしつけるのにとっても役にたつんだよ? 伸縮自在の優れものなんだから」
「はぁ、はぁ、はぁぁ……」
 フランは甘いあえぎを漏らす。不安と倒錯した快感が入り混じった声だった。
「怖いの? じゃ、その顔もっとゆがませてあげる」
 そう言ってさとるはフランの顔の前まで股間を持っていく。
「ほら僕のオチンチンこんなになってるよ? 君のせいだよ? 君がそんな顔するから……僕ぞくぞくして」
 黒のパンツの中で、その盛り上がりは最高潮に達していた。フランは次に何をしたらいいか大体わかっていた。怒張する魔性の性器。それに報いなければならない。
「ほら見て」
 パンツをずりさげると、ぴょこんといきりたったペニスが顔を覗かせる。大きさはさほどでもないが、十分過ぎるほどの圧倒的な威圧感を誇っていた。
「好き。フランちゃん。わかるね?」
「うん……」
 こくりとうなづいて大口を開ける。フランはそれを受け入れようとした。
「自分から咥えてよ」
「はい……」
 舌をれろっと出して先っぽを絡めとろうとする。だが届かない。
「もっと舌伸ばして」
 必死に首も伸ばして舌を伸ばす。千切れそうなほど努力の結果、ようやく舌先がピンク色の亀頭の頭に張り付いた。八割ほど皮がかむった形状は、幼さの象徴でもあった。
「やっとできたね。さっ、僕を大人にして」
「大人って?」
「大人は大人だよ。フランちゃんにも後でしてあげるから……ほら」
「んむっ」
 やおらペニスを突っ込まれる。つーんとしたチーズ臭い匂いが口腔内にむわぁと立ち込める。
「んー、んんー」
「ふふ。初めてのおちんちんの匂いはどうだい? 美味しい?」
 フランの答えも聞かずにさとるは奥までピストンを繰り返す。じゅぽじゅぽと卑猥なストロークの音が狭い密室に響いた。
「ふっもういいかな。ほら君のよだれでやわらかくなったよ?」
 唾液でどろどろになったペニスを見せつけられる。確かに先ほどよりもぬるぬるとすべりがよくなっているようだ。
「あ、ふぁ……」
 フランは半ば陶酔していた。男同士で性器を舐めるなんて拒否すべきはずだった。しかし今はごく自然にその事実を受け入れてしまっている。少し変わった味のペニスもちょっと趣を変えてみれば美味しかった。何よりさとるのペニスを舐めていることに著しい愉悦を感じていたから。征服される快感。それも自分よりも美しい存在に圧倒的な力で押しつぶされる。フランはそんなマゾヒズムに没落しておとしこまれた。
「これからもっといいんだよ……ほら見て」
「あっ」
 最初は何をしているのかわからなかったが、しだいにその状況が理解できた。さとるは自分でめりめりとペニスの皮をむいていた。淡いピンク色の部分が領地を増していく。綺麗だな、とフランは心からそう思った。美少年は排泄機関さえもかくも美しいのだろうか。
「どうしたの? ほら見とれている暇なんかないよ?」
 ぼっとしているとさとるが声をかけてきた。皮はほとんど全部むけるところまでむけている。痛くはないのだろうかと思った。さっきまであんなに厚着をしていたのに今はとても寒そうである。
「大丈夫なの……それ?」
「ん? 心配してくれるのフランちゃん。ありがとう君。僕は大丈夫だから……。ほらそれより……これ綺麗にしてよ」
「えっ……」
 さとるが指し示したのは、亀頭の傘の部分に黄色くこびりついたような不思議な固形物であった。よくよく見ればそれはびっしりと、香りが一段ときつくなる。そうだこの匂い、舐めている時もいつも感じていた。
「皮の裏にたまっているんだよこれ。だから綺麗にしなくちゃね。僕はフランちゃんにこれをしてもらいたいんだ。好きだから……」
「えっ」
「大人になるってそういうことだよ。これは儀式なんだよ。ね、フランちゃん。フランちゃんのも後でしてあげる。だから今は……」
 ふと見上げるとさとるの優しい顔が確認できた。こんなにも優しい顔は見たことがなかった。
「舐めて……フランちゃん」
「うん」
 水分が少なくて固まっているような気がしたので、舌に唾液からめてから作業を開始する。
「んっ、んっ、ん……」
 舐めとった感触はあまりよくない。ざらざらとして舌触りが悪かった。黄色みがかった欠片を口に入れると不思議な味がした。濃縮し熟成されたチーズのようなかぐわしい匂いだ。あまり美味しいとも思えないが、信じるものから生まれ出でた結晶だと思うとそれも美味になりうる。
「上手だねフランちゃん。ほらもう少しだよ。全部、食べてね」
「うん……。むっむっ」
 フランはさとるのペニスを丹念に舐めてこそげ落とした。傘の部分から裏筋まで丁寧に丁寧に舌を這わせた。舐めとった固形物は、はそのつど十分に咀嚼しながらトロトロのソースにして嚥下する。
「ん……おいひ……」
 しばし陶酔する。フランは未知の味に舌鼓をうった。
「ふふ。美味しいでしょ? ほらもっと綺麗にして……」
「うん……」
 親猫が毛づくろいするように優しく慈しみをもって愛撫する。はっと気づいた時にはほぼ全部の箇所を掃除していた。綺麗なピンク色が、嬉しそうに呼吸をしているように思えた。
「ありがとう。僕のチンカス美味しかった?」
「チ、チンカスって……」
 さとるの口からそんな下品な言葉が出るとは思わなかったので、フランは少々面食らってしまった。
「チンカスはチンカスだよ。恥垢ってもいうけどなんかね。神様はチンカスと恥垢の間の言葉は作らなかったんだよ。英雄だね」
「な、何が何だかわからないよもう……」
「ふふ。細かいことはいいから僕とチンカスキッスしよ? ちゅっ♪」
「あ、駄目、汚いよ僕のお口……」
「その理屈だと僕のオチンチンも汚いことになっちゃうよ? ほら観念して?」
「あむ、ん……ぁ」
 フランは諦めて口を開けて舌を絡めた。そう言われてれば汚いはずもない。唾液が絡み合い不思議な味のハーモニーが奏でられる。チンカス、不思議。名称はチンカスでもどうしてか崇高な存在のように錯覚する。チンカスチンカス。
「ん……ぷはぁ。ああ美味しかった」
「ふぁ……僕もう……」
「あれもう疲れちゃったの? まだ君のが残ってるよほら」
 そう言うとペニスに巻きついた鞭を引っ張られた。すっかり忘れていたが、今の今までアソコをギンギンにしながら舐めしゃぶっていたのだ。本当に恥ずかしい。
「フランちゃんのもむいてあげるね」
「え……いいよ僕は」
「駄目。お返しだよ」
 ちょっとむくれたような顔も可愛らしい。こんな顔を身近に見れて幸せだと思う。
 さとるは体を丸めてフランの下腹部にもぐりこんだ。目を細めながらオチンチンを凝視される。恥ずかしい。
「あ、んふぅん」
「どうしたの? まだ何もしてないよ?」
「だって……」
 思わず変な声が出てしまった。これから自分の恥ずかしい部分を見られて、さらにチンカスを掃除されてしまうと思うと顔から火が出そうだった。
「一気にしてあげるね」
 さとるの細い髪の毛が揺れる。フランはのど奥まで一気に飲み込まれていた。と同時に包皮をぎゅっと唇に引っ掛けられて荒く皮全体を引きずられている。
「んっ、つぅ、んーっ、んんー!」
 びちびちびちと下品で卑猥な音がし、ペニスにちくちくと痛みが走る。手加減せず一気にむかれてあちこちが燃え上がるようにこそばゆい。
「んっ、ちゅ……んちゅ……」
「あんさとる君もっと優しく……ひいっ」
 そうお願いしようとした途端、先っぽに激痛が走る。歯をたてられたのかどうなのか。ふと下を見ると地獄の悪魔のような上目遣いの容貌が、妖しくも陰惨に垣間見えた。笑いながら嬉しそうに性器をしゃぶる様子に、フランは身震いを隠せなかった。
「んっ……ぷはぁ。フランちゃんったらチンカスいっぱぁい……。最高ぉ……♪ おいひい……んっ」
「あっ、ああ……」
 フランはされるがままになっていた。皮をむかれた痛みもじょじょに和らいでいる。口内たっぷりの唾液が潤滑液となり、狂おしいほどの愛撫で溺れさせようとしてくる。舌が鈴口をつんと叩いたり、傘の裏をねちっこくつつかれたり。頬全体を強烈にすぼめてじゅるじゅると吸われたり。
 さとるの口腔性交の技術はかなり手馴れたものであった。男の感じるツボをおさえた舌技には、甘いため息を漏らさざるを得ない。
「ほら綺麗になったよフランちゃん。見て……」
 見るとすっかり寂しくなった亀頭はすっきりしたピンク色になっていた。純真無垢の初々しい亀頭に感銘を受けて、フランはまじまじと自分の分身を見つめた。
「どう? 僕ってお上手でしょ? もっと気持ちよくしてあげるね」
「んぁ……ふあぁ……」
 むかれた直後のペニスは敏感すぎて快感が何倍にもなる。長い舌をチロチロと絡めれて嗚咽を漏らしてしまう。お尻の穴がぎゅっと引き締まる。ペニス全体が快楽の坩堝で、もうどうしようもないくらいに疼き燃え上がっていた。
「あっ、ああ……ああっ」
 フランは迫りくる欲望の爆発を感じた。脳内を駆け巡る快感物質。純正の副作用のない麻薬に身を任せる。そしてついに爆ぜた。
「ふぁっ、でっ、でるぅ!」
「んむ、んむ、んむぅ~」
 絶頂に達した瞬間もさとるは口を離そうとしなかった。びくびくと震えるペニスに、タコの吸盤のように吸い付き搾精しようとしてくる。
「あっ、あんあんっ……あんっ、あん……ぁ……」
 十数秒に及ぶ長い射精を終える。妖しい上目遣いで常に凝視されていることに今更ながら気づく。
「ぷはぁ……。あーあフランちゃん。せっかくお掃除したのにまた汚しちゃうなんて……。一体どういうつもりなのかな? 僕って君のお便所さんなのかなぁ? ふふっ」
「いや……違うよそんなの」
「あはは嘘だよ。ほらザーメンぐちゅぐちゅおまけにチンカスキッス。混ざりあって美味しいよ? ほらちゅ~う」
「んっ、はぁん。んぅ、んちゅうん。おいしいん、さとる君おいしい……。お掃除させてごめんね」
「そんなことないよ。いいんだよフランちゃん。これで二人で仲良しのチンカス兄弟なんだよ? 愛を語りあった……ね? もっと愛し合おうねフランちゃん……」
「うん……うん……」
 感極まって、フランは嬉し涙を流した。むいてむかれて接吻をして。吸血鬼としての誇りはなく魔性の少年の下僕となり眷属に成り果てた。
 永遠とも思える抱擁と接吻が終わる。やがてさとるはフランを真正面に見据えて口を開いた。
「そうだフランちゃん。今度きみんちに遊びに行っていい?」
「あ……でも」
「いいでしょ。大丈夫、僕に任せておけば万事OKだよ。フランちゃんのお姉さんにも挨拶しないといけないからね」
「うん……」
 胸に楔が打ちつけられたような不安がよぎる。が、滞りなく自然に打ち消した。もうさとる少年には絶対に逆らえなかったから。
 



「ふあ~あ」
 紅魔館ビルの裏口。守衛の男はぼけっとしながら欠伸をかみ殺した。時は既に昼過ぎであり眠くなるにはうってつけの時間であった。
「今日も我が紅魔館は異常なし……。うむ感心感心」
 そんな独り言を言いながら時を過ごす。怪しい人物がいなければ実に楽な仕事だった。
 と、そんな平和を打ち砕くように、空気の読めない侵入者は現れるものである。今まさに小柄な少年が、自分の目の前を通って、ずかずかと当然のように紅魔館に入って行こうとするのだ。男はこれ義務とばかりに少年を呼び止めた。桃色の髪の毛が珍しすぎるほど目立つ細身の少年であった。半ズボンに白いシャツ。見るからに生意気な小僧であったが、その予測を男はすぐに改めることになる。
「なぁに? お兄ちゃん?」
 少年が気づいて振り返る。男は何だか甘えるような黄色い声でお兄ちゃんと呼ばれたので、一瞬躊躇いが生じてしまった。なぜだかわからないが、少年からにじみ出る不思議なオーラに気圧されそうになっていた。
「あ……。ここは駄目だよ。裏口だから。関係者以外は立ち入り禁止。ここに入りたかったら正面からちゃんとアポとってからね」
 そう定型的に説明した。
「えっでもぉ……。僕ここに用があるんだよね……うふっ。ねぇお願いお兄ちゃん……いれてぇ……中に……んっ」
 男はドキリとした。何と少年が腰をくねらせて、甘い声を出しながらウインクまでしてきたからだ。近くで見て、男はやっとこの少年の異常さにきづいた。まず肌の白さが尋常ではなかった。吸血鬼も白いと思ったがこの子はそれ以上だ。驚くべきはその容姿で、女の子とも男の子とも言えない、どちらの天秤にも触れないぎりぎり極限の中性の存在感であったのだ。半ズボンをはいていなければ、間違いなく女の子と決め付けていただろう。
「なっ、何を言っているんだ。ここは子供が来る場所じゃない。早く帰って寝なさい。はぁはぁはぁ」
 男は冷や汗をかいてそれだけ言った。
「ふーん。入れてくれないの? じゃお兄ちゃん? 僕の中に入れてあげたら……考えてくれる? ね?」
 少年が丸い瞳で熱っぽく見つめながら聞いてくる。男はわけがわからなかった。ただただ蠱惑的な少年の魅力に対抗しようと、必死でバリケードを作り上げていた。
「なななにを言っている。早く、早く帰りなさい。お兄さんは忙しいんだ」
「ほらお兄ちゃん……暇なんでしょ? 僕とあそばなぁい? ねぇ? んっ、れえろぉっ♪ ふふ。僕のお口でちゅぽちゅぽしたい? それともぉ……すべすべの太ももとかお尻にお兄ちゃんのアレを擦り付けちゃう? ねぇ……僕はどこだっていいんだよ? ふふ……」
 見知らぬ少年の誘惑攻撃は苛烈さを増していった。女の媚びるような態度がさまになっている。いや女よりも数段手ごわい手管であった。男は奥手な方で免疫がなかったから、余計に少年の魅惑は強烈であった。
「見て……」
 細長い少年の指が、まるでスカートの端をつまむように、半ズボンの裾をつかんだ。軽く持ち上げただけで、少年の白い露出領域が増える。腰をくねっとさせたりそっと胸を寄せるような仕草をしたり。男はそんな少年の痴態に心を奪われていった。
「あはぁん……♪」
「あっ、ああ……」
 男の前にいるのはもはや妖怪であった。この世のものではない存在に恐怖して足がすくむ。だが真に恐ろしいのはその恐怖に魅入られていることだった。
 少年が後ろを向き少し尻を持ち上げるように突き出してくる。尻は丸くて以外なほど大きく安産型だった。肌に密着した薄い布に、下着のラインが透けてみえて、ともすると年頃の少女のような健康的な腎部のそれに錯覚してしまう。少し半ズボンが小さいのか尻肉が微妙にはみ出し、それが原始的な男の欲望を煽る。それでいて足首はぎゅっと細くスタイルもいいのだからたまらない。
「ぁ……ふぅ……ん」
 細い喉からかすかに聞こえてくる甘い官能の振動も、男のリビドーをさらに刺激した。
 どこもかしこも少年は女性的であった。柔らかく丸みを帯びて優しさを感ぜずにはいられない。それでも魂は男に傾いている。その自由さに心をいたく打たれていた。
「お兄ちゃん……僕のこと襲いたいの? ねっ、僕本当に男なんだよ……。ほらここ……」
「うっ」
 そこで男は一瞬我に返った。半ズボンをはいているだけで実は女であるという考え。しかしその邪推は次の瞬間無残に破られた。
 前を見た少年の股間が隆起していた。これは健康的な青年男子なら必ずや起こりうる反応である。少年は確実に勃起していた。妖精とも女神とも言うべき少年が、あろうことか何の恥ずかしげもなく勃起していたのだった。
「どう? 僕ね、お兄ちゃんのこと考えたからこんなに……」
「ううう。やめろ……」
 男は何とかして恐怖をやわらげようと声を振り絞った。
「何を迷っているの? お兄ちゃんも……ガチガチにしてるんでしょ? 僕のお尻みて……ほら」
 少年が再び尻を突き出す。その様子にふらふらと毒気にあてられたように崩れ落ちそうになった。意識を保っても注視するのは少年の淫らな尻であった。ほんの数秒前と違う箇所、透けた下着のラインがずれていた。おそらく内側に。男はそれを想像してしまった。尻肉に食い込む下着の状態を。それだけで男は迸って解脱しそうになっていた。
 目を血走らせて少年の腎部に視線を注ぐ。事実、男は我慢汁でトランクスをだらだらに濡らしていた。いやまずい、やばすぎる。こんな少年に、しかも仕事中に。まずいまずい。あああと少し尻を左右に振られたら自分は。
「くすっ」
 そう思うと、少年が心を読んだかのようにカクカクと腰を振ってきた。弾力のある尻肉がたぷんと揺れるのがわかる。半ズボンがぐいっと食い込み、白い露出で男の視界を覆いつくす。少年は後ろから振り向き男を笑った。嘲笑に満ちたように目が細まっていた。その見下した表情さえも、今の男にとっては快感のスイッチそのものだった。
「ん、くぅう、はぁっ」
 男はどくどくと立ったまま精液を放っていた。触らずにズボンとのこすれと軽い圧迫感で自然に達していた。ズボンに染みを作りながら果てしないほどの徒労感と脱力感に見舞われる。そして加えて少年の尻に幻惑されて絶頂に達したという事実に、なんとも言えない敗北感と背徳感情を覚えながら。
「あ、あああああ。はぁ、はぁぁ……」
「お兄ちゃんったら僕のお尻で抜いちゃったの? 男のお尻で……やらしい」
 少年がくすくすと笑っていた。そしてなおも追い討ちをかけようとしてくる。
「あのね教えてあげる。お兄ちゃんは本当は男が大好きなの……。だって僕のオチンチンがギンギンになってるの見て興奮しちゃったんだからね。嘘じゃないよ本当だよ。ね、本当の美少年ってのは存在するんだよ。それが僕。僕の手にかかったら普通の女の子じゃ気持ちよくなれないの……。ねっ、わかるでしょ? 僕のお尻みて……ムラムラってして本当に入れたいって思ったでしょ? ううん、子供ができちゃうとかは二の次なの。生殖活動よりもずっと素晴らしい性行為。僕で感じて……お兄ちゃんもそれで感じる。それが生きているってことだよね。ほらお兄ちゃん……また僕でヌキヌキしてみる? 今度はぁ……僕の勃起を観察しながらイってみる? 小さいのがぁ……ぐっぐって成長するとこみてね……。ほら男の子で抜いちゃお? 可愛い男の子で……ふふ♪ ほらイッてイッてぇ。オチンチンオチンチン♪ 男の子オチンチンで……そう。二回も男の子で気持ちよくなったらぁ、もう二度と戻れないからね。一生お兄ちゃんは僕のものだよ? 嬉しいでしょ? ずっと僕みたいな美少年でしか気持ちよくなれないの……。ほら……みて……オチンチンかたいよ? びくびく……ギンギンっ♪ しごいて? そうシコシコ~ってね♪ 男の子の勃起オチンチン見て発情欲情してね……。あは、あははは~それ無様に出しちゃえ~あはは!」
 少年の誘導するような淫語に、再び恥部が充血し両手で押さえながらもだえる。数秒後、男は射精しながら気絶していた。前のめりに崩れて顔面を強打する。
「あれっもう終わり? つまんないの。じゃ~見張りさんがいないから僕入っちゃうね。ふふーん」
 意気揚々として、さとるは紅魔館ビルに侵入した。 




「はぁ……」
 十六夜咲夜は空虚なため息をついていた。
「どうして私はあのチャンスを……ああ」
 先日の出来事にどうしても後悔がつのっていた。憧れの王子様、フランドールスカーレットにあれほどまで接近できたというのに。
「死んでもよかったから、押し倒して接吻して涙と鼻水ぐらい吸ってやればよかったわ。できれば弟様の初めても……ああ違うの私そんな女じゃないから。ちゃんと愛し合って結婚して和姦希望の貞操は守るから……。はぁでも背徳的なのも何か感じちゃうかも……。無理やり……この前みたいにチャームされて……あ、あ、あっ。私ったらお仕事中になんてこと……。さーお掃除お掃除!」
 気を取り直して仕事に励む。
 鼻歌を歌いながら窓を拭く。数分ほどした時分であろうか、紅魔館ビルの象徴ともいうべき紅い絨毯を、みしみしと踏みしめる音が聞こえてきた。誰だろう? と思い咲夜はその人物を確認しようと首を伸ばした。
「誰……ふぁっ」
「んっ?」
 咲夜は口の中で絶叫をかみ殺した。なぜなら、究極的に相手が美少年であったから。
「あ、よかったぁ。ねぇお姉さん……僕迷っちゃったぁ……。このビル広いからさぁ……。ねぇ案内してぇ、ねぇん……」
「あっあっあっ」
 とぎまぎして言葉が出てこない。
 小顔で桃色の髪の毛が揺れる童顔の、うっとりするほどの悩ましく涼しげな双眸が笑っていた。肌は粉雪を幾重にもまぶしたかのように白く、壁と絨毯の色と対照的に否が応にも際立っている。ちょっと困ったように小首をかしげる仕草もなんとまぁ堂に入っている。
 この少年は咲夜の感じるツボを大体抑えていた。もう容姿だけで土下座して屈服してしまいそうだった。こんな子におねだりされたらめちゃくちゃに――。
「どうしたの? くすっ」
「あっ、ああ、はぁ! すすいません。案内しますね。どうぞこちらへ」
「ありがとうお姉さん……ちゅっ♪」
「はんっ!」
 咲夜は不意をつかれて頬にキスをされた。麗しき美少年の接吻である。咲夜はほぼ一瞬で恋の虜と成り果てた。
 そして少年は悪びれずに続ける。
「僕の名前は古明地さとる。お姉さんは?」
「わ私は十六夜咲夜でございます。メイドでございます……」
 それを聞くと、さとると名乗った少年は軽く笑って髪をかきあげた。
「ふーん……。都合がいいね。ううん、じゃ行こうか? 僕の大好きな咲夜お姉ちゃん♪」
「あっ……ぁん」
 ぴたっと腕に取り付かれる。柔らかい肉の感触。甘ったるい果物のような匂い。少年のサラサラの髪の毛。白い魅惑のうなじ。そのまま上目遣いで、ああ、胸に、顔を。
「うふふ……」
 妖艶に笑う魔性の少年。咲夜は夢見心地で一歩踏み出した。


「あ~ん僕もう歩けない……」
「ま、まだ全然歩いていませんから。ほら、もうすぐエレベーターがありますから」
 さとるはしきりにぐずっていた。何とか引っ張ろうとするが、腕に両手を絡められているので思うように動けない。冷たい肌の感触がひんやりと気持ちよくて、体温と思考能力をどんどん奪われそうになってしまう。
「もう一歩も歩けない。ね? お姉ちゃん? どこか涼しい部屋でジュース飲ませて……ね?」
「はい。ではそこの休憩室で……」
 咲夜はその提案に異議を唱える理由もなく、ふらふらといわれるがままに従った。
 扉を開けて中にすべりこむ。密室で、今は、美貌の少年と二人っきり。
「それでは今すぐジュースのご用意を、きゃぁっ!」
「あっ、やっぱりお姉ちゃんのおっぱい大きいね。もみもみ~」
「こ、こら。やめて……んぁうん♪」
 突然、はがいじめにされるような格好で胸を揉まれた。さとるの柔らかい手が、なだらかなふくらみを悠然ともみしだく。
 咲夜は振り払うこともできずに、淫らなあえぎ声をあげた。
「んっ、本当に……やめ。お姉さん怒るわよ……んっ、んんっ!」
「ふふ。怒ってもいいよ? できることならね。ほら……お姉ちゃんのおっぱいいい形だね? 僕の手にぎゅって収まるお手ごろ感覚……。僕こういうおっぱいだーいすき!」
「はぅん、そんな……やめな……さい」
 本心では胸のことを褒められて浮き足立っていた。これほどの美少年にならこれぐらいのこと何でもない。いや、もっとあんなことやこんなこともして欲しかった。しかし今は仕事中であった。咲夜の中で天使と悪魔が激しい葛藤を繰り広げていた。
「やめて? どうしてぇ? だってぇ……お姉さんの方から誘ってきたんでしょ? 腰を振って歩いて……お尻をんーって突き出してね。純朴な少年の心を惑わしちゃって……いけないんだぁ咲夜お姉ちゃん♪」
「な、何を言って……きゃっ。やめなさいこらっ!」
 次の瞬間、メイド服のスカートがふわりと捲り上げられていた。黒の花刺繍のレースの下着があらわになる。直そうとしても体が動かない。胸をがっしりとつかまれて力が入らなかった。耳元ではさとるの美声で脳内が常に混乱状態にある。
「あーっほらぁ。こんな淫靡でやらしい下着つけちゃって……。ねっ、やっぱりいつもエッチなことばっかり考えているんでしょ? どうやって僕みたいな可愛い少年を……色仕掛けして誘惑しちゃおうとかね。そうなんでしょ? んっほらほらぁ……」
「んっ、ああん……」
 さとるの言葉責めに脳がとろけそうになる。尻を丸出しにして、羞恥を煽られながら痴女であるかのように刷り込まれてしまう。下着がじっとりと濡れるのがわかる。少年の責めに感じて、愛液が太ももを伝わって流れ落ちる。
「感じているの……お姉ちゃん? 本当に淫乱なんだね。……んっ、ああん♪ お姉ちゃん……。お姉ちゃんがあんまりエッチな格好するから……僕のオチンチンがこんなに……ふふっ」
「あっ、んんっ」
 若々しい棒状の猛りを咲夜は背後に感じ取った。尻肉にぐいとめり込むほど剛直を押し付けられる。
「ほら。お姉ちゃんのせいだよ? ぜーんぶお姉ちゃんのせい。ビッチ咲夜ちゃんのぉ……スケベなお尻で僕……んっ♪」
 両手で征服されるようにぎゅっと肉をつかまれる。下着も痛いほど食い込み、もはや淫蕩な桃を淫らに見せるだけの一枚布に成り果てていた。
「あ~ん僕咲夜ちゃんのお尻で出ちゃう♪ いやらしい咲夜ちゃんのお尻で……ああん♪」
「あん、やぁん、んぅん♪」
 下着と谷間の間にペニスが差し込まれる。咲夜もそれを感じ取り、少年の猛りを享受しようとして獣のように腰を振った。ねちゃねちゃという卑猥な音が室内に満たされる。美麗の少年とメイドの淫らな性行為。誰にも邪魔されない空間で悦楽は深まっていく。
「ほらもっと腰振って……ああんあん♪」
「は、はい! メス豚咲夜の下品な尻で射精してくださいませ……。咲夜は美少年様の下僕でございますっ! はぁ~ん♪」
 すっかり思考を操られた咲夜が自ら堕ちる。舌を出して笑いながらさとるのために奉仕しようとする。直後、自分の愛液ではない粘っこい別の液体の放出を感じる。おびただしいほどの量を尻全体にまんべんなく。咲夜は安堵してぐったりと倒れこんだ。
「あ、はぁ……はぁ……」
「ああん♪ とってもよかったよ咲夜ちゃん」
 その言葉に幸福感を感じて身を打ちひしがれる。さとるはペニスを筆のように使い、出したばっかりの精液を塗りたくってくる。
「あふ。ああさとる様……もっと……」
「もっと? ふふん、咲夜ちゃってばとんだメス猫だね。でも……ふふっ♪」
「はぁ……はぁ……」
 頭がぼーっとしてしまう。自分が誰だかわからなくなる。嫣然と微笑む少年と空間を共有している。正気に戻ることなんてできない。もっとこの少年のつくる世界に浸っていたい。このままこのまま。


「フランちゃん! 外にいるんでしょ? 僕わかっているんだからね!」
 突然さとるが扉の外に向かって大声を放った。
 フランちゃん。フランドール坊ちゃま。つまり弟様。まさか――。
「……」
 ガチャリと音をたてて、無言で入ってきたのはやはりフランであった。少々顔をあからめて、もじもじとして太ももをすり合わせている。
「もーフランちゃんたら。お迎えにきてって言ってたじゃん。おかげで僕面倒だったんだからね。まぁでもいいや。偶然この咲夜ちゃんに出会ったんだからね」
 そう言って笑うさとる。咲夜はびくびくとして頭を下に向けた。この状況をどう説明すればわからなかった。今の会話を聞いて見れば弟様の友人であるらしい。いやしかし、こんな場所で性行為を。いや元はといえば少年の方から誘ってきて。ああ頭が混乱するわけがわからない。
「あ、あの……。弟様。これには深いわけが……」
 まだ無言であった。これはあれであろう。先日のことと合わせてレッドカード。解雇ではない。おそらくは凄惨極まりない死の予感。
「ふふっ。ほらフランちゃん? 咲夜ちゃんが怖がっているよ? 駄目じゃない部下にそんな態度じゃ。何かしてもらいたかったら……ねっ」
「ん……うん」
 さとるが歩みより声をかけた。白い肌が二人。それにしても、この二人の関係はどんな間柄なのだろうかと咲夜は思った。さとる、さとる。そういえば苗字は何と言っただろうか? よく思い出せない。
「咲夜ちゃんはおしおきしてもらいたいんだってさ。だから……」
「うんさとる君」
「あ、あの……」
 自分を無視したかのように話が進められる。いつもはもっと元気のいいはずなのに、今は牙を抜かれたかのように意気消沈している。そのことに咲夜は不気味さを感ぜずにはいられなかった。
「はいおしおき開始! 僕はお口ね。ほら咲夜ちゃん舐めて」
「あむ……」
 何かを考える余裕もなく口に突っ込まれる。美少年の愛すべきぺニス。全身全霊を持って奉仕しなければならない。
「おしおきだよ咲夜」
「ふぁ、ふぁい……」
 頬張りながら言う。無機質な声が怖かった。
「んーいい子だね。ねー今はオチンチンが二つだけど……。ねぇ咲夜ちゃん? オチンチンハーレムってわかる? 咲夜ちゃんみたいなエッチな子を美少年のオチンチンで取り囲んで輪姦しちゃうんだよ。ねぇ素敵でしょ? いつかそこに連れていってあげるね」
「んっ、むぐ……あむ」
 口内を犯されながら耳を傾ける。オチンチンハーレム。何ていい響きなのだろう。美少年に囲まれて……そんな……ああ。
 咲夜の夢想は広がった。虫も殺せないような可愛らしい少年達が、突如として変貌してその正体を現して、何も知らない自分を弄んで蹂躙する様子を想像してしまった。
 次々と押し付けられる幼い皮かむりの未熟なペニス達。両手と口とオマンコとお尻を使ってもまだ足りない。頑張って射精させても少年の数は多すぎる。淫蕩な表情や肉体を使った奉仕も少年達の性欲を理不尽に煽るだけで……。その内少年達が私のお尻にしか興味なくなって……。二つの穴だけじゃ足りないから上下左右を縦横無尽に埋められて……はぁぁ。どんどん行為が暴力的になってきて……壊れるぐらい……んっ。全身を真っ白に塗装されながら終わることなくペニスを受け入れて……。ああオチンチン、オチンチンハーレムってなんて素敵なのかしら……。オチンチン、100本200本ふぁあ。
「あっ。咲夜ちゃんが完全に出来上がっちゃったよ。ほらフランちゃんもお尻にぎゅってしてあげなよ。咲夜ちゃんはそれが好きなんだってさ」
「うんわかった」
 フランはただそれに従った。咲夜の腎部にずっしりと温かみのある重みを押し付ける。
「あ、ああ……弟様。嬉しい」
「もっと腰ふってあげて。大好きなんでしょ? フランちゃんのこと。許すよ。ふふっ」
「は、はいありがとうございます本当に……」
 咲夜は涙を浮かべた。そして腰を後ろに突き出して、フランの幼いペニスを尻肉に溺れさせようと尽力する。
「あ、うん。咲夜。それいい」
「ああ。嬉しゅうございます弟様。あ、はぁん♪」
 淫らに濡れた尻の谷間に細い棒がこすれる。快楽をむさぼる獣達は燃え上がる愛をわかちあう。
「あれっ。二人とも仲いいじゃん。僕なんだか妬いちゃうなぁ。ん~あっいいこと思いついた。ふふ、君達はそこでちょっと熱々で頑張っていてね。じゃ、僕また来るからね」
 さとるはそう言って部屋を飛び出した。




 レミリア自室でうんうんと唸っていた。どうにもこうにもプロジェクトがうまくいかないのである。あちらがたてばこちらがたたぬ。先代から莫大な財産を受け継いだはずであるのに、どうしてこうなってしまうのかわからない。日に日に増していく負債の山に頭をごんごん壁に打ちつけながら悩むのであった。
「気分代えに紅茶でも飲もうかしら? 誰か、誰かいないの?」
 レミリア近くに誰かいないか呼んでみた。
「はーい呼びましたか?」
 反射するように声があがる。しかし見慣れない人物、しかも年端のいかない少年であった。
「誰よあなた。ここに勝手に入ったら駄目よ。早く出て行って! 私の気がかわらないうちに」
 いらいらしていたので、そう言って追い払おうと思った。だが少年はくすりと笑い、おどけながら口を開いた。
「僕は君の救世主なんだよ? 邪険にしていいのかな? ね? 困っているんでしょ?」
「何を馬鹿なこと。あなたなんて知らないわ」
「そう言わずに。ね、こっちに来てよ。いいもの見せてあげる」
 少年はそのまま手招きをしてきた。一体どんな意図があるのか見当がつかない。それにこんな身も知らぬ少年がこのビルに侵入できるわけがないのだ。
「ほらこっちこっち」
 訝しげに思いながらも、なぜか抵抗できずにレミリアは少年の後を追った。


「ほらここだよ」
 少年はとある部屋の扉を指さした。
「ここがどうしたのよ?」
「うふん。あのねレミリアさん。失礼なようだけど、部下をうまく使うってのは大事なことだよね。こんなに大きな企業ならなおさらだよね。ふふ。ねぇ開けてみて。きっと楽しいからさ……」
 にやりと生意気に笑う少年に吐き気がした。何を馬鹿なと思い扉に手をかける。
「な……」
 そこで見たもの。予想だにできなかった。
「あっ、はぁん、はぁん♪ 弟様……咲夜のオマンコいいですか? はぁん童貞オチンチン最高でございます。咲夜も弟様のために純潔を守っていましたからぁ……はぁあ~ん♪ もっともっと突きあげてくださいませ。あんあんあん♪」
「んっ、あ、あ。咲夜ぁ。咲夜の中ぐちゅぐちゅしてていいん♪ ごめんね咲夜。僕ちょっと不器用だから……ああ。僕咲夜にひどいことしちゃった許して咲夜。あんあん」
 部下である十六夜咲夜が、何と弟のフランドールを騎上位で犯していたのである。しかも二人とも我を忘れて気持ちよさそうに腰を振っているではないか。
「フ、フラン。咲夜は一体……」
 そんな驚愕をしているレミリアに、少年がそっと近寄り耳元でささやいた。
「あは。何をぼけっとしてるの? これが現実だよ? レミリアさんは周りのことなんてなーんにも考えちゃいないんだ。だからすぐに足元をすくわれちゃう……こんな風にね。あはは!」
「くっ。離れなさいよっ!」
 腕を振り上げる。が、少年は予知していたかように身を翻した。
「ねぇ僕知っているよ。紅魔館の経営状態は最悪な状況。だから、僕が買い取ってあげる。歴史ある紅魔館は地霊殿カンパニーの傘下になる。うふふふふ。あー心配しないで、フランちゃんは僕の仲のいい恋人でぇ、君はお二号さんでもなっちゃえばいいよ。ひひ、ひひひひひ♪ ああ、楽しいなうふふふっ♪」
「は、は、はぁ」
 レミリアは耳元で悪魔の怨嗟を聞いた。意識がぐらつくような、鈍重な錨を脳天に打ち下ろされたような気がした。できることならば、このまま意識を混濁させてしまった方がよかった。
「あーん弟様……出てるぅ♪ すごいすごい……」
「咲夜。好きだよ。あーんっ♪」
 少年の笑い声と、性の歓喜が混ざり合う。レミリアはこれが現実とは依然として信じられなかった。何かの間違いで、夢か幻で。
 しかし現実は非常であった。紅魔館は名を変えて古明地さとるの統治する所と成り代わった。地霊殿グループの盛栄は現在実に飛ぶ鳥落とす勢いである。


幻想郷魔理沙決定戦 ~誰が一番魔理沙か決めようぜ~
 魔理沙は目を覚ました。起き上がり、眠たい目をこすりながら時計を見る。既に昼過ぎであった。

「あーあ。今日もこんなに寝ちまったぜ」

 昨日は難しい魔法の本を、熟読しようとして、根を詰めて遅くまで頑張ってしまった。その内容、さてどんなことが書いてあったのだろう。魔理沙は思い出そうとしたが出来なかった。

「まぁいいか。適当に飯でも食うか」

 気だるく緩慢な動作で、ぬるりと立ち上がる。
 顔を洗う、服を着替える、歯を磨く。そして唐突に窓が割れた。

「こんにちは魔理沙さん」
「私よ魔理沙」
「眠いわね魔理沙」

 侵入者は三人であった。

「なな何だぜお前らいきなり」

 魔理沙は激しく混乱してしまった。急に窓を割られたこと、それ以上の恐怖と驚きが目の前に存在していたからだ。

「魔理沙よ」
「私も魔理沙」
「どっちかっていうと魔理沙ね」

 三人の姿は、いつも自分が見慣れている、霧雨魔理沙そのものであった。服も容姿も寸分違わぬ魔理沙。決して、安っぽい化粧仮装で塗り固めた紛い物ではなかった。

「おい……何だそりゃ! おい、おい!」

 舌と思考が回らず、おいおいとだけ言った。落ち着け何だこれは。何だこの状況は。侵入者だ、魔理沙だ。自分がいる、それも三人もいる。こいつらは一体何の目的で、いやまず根本的にまずいのは相手が魔理沙だということだ。
 自分と全く同じ顔をした人物が三人もいる。その事実が魔理沙をいたく打ちのめした。

「あーよっこらせっと。腰が痛いわ」
「お茶出して。魔理沙」
「あー私は紅茶がいいな。できれば甘いケーキでもつけてね」

 なんということだ。三人はここが我が家のようにくつろぎ始めではないか。この由々しき事態に、魔理沙は色を失って声を荒げた。

「あー待てよ待てったら! 何で人の家に勝手にずかずか入るんだよ。私はこの家の主人、霧雨魔理沙だぜ」

 息を切らせて肩をいからせる。魔理沙が期待したような反応――まるで三人は返さなかった。ガラス玉のような目が魔理沙を注視する。理解できない、異常者、一人だけ別の世界にいるかのような、奇異と蔑視に満ち溢れた視線が肌に刺さる。

「ていうか私も魔理沙だしね」
「そうよね魔理沙さん」
「そうそう。常識よね」

 言われてみればその通りであった。自分が魔理沙であるという印籠は、今この状況では無意味だ。なぜ? ありえない。しかし現実には、全く同じ顔の自分が三人も存在しているのだ。

「いやいやいや。おかしいってこれ。どうして私の他に霧雨魔理沙がいるんだよ?」
「そんなの私に聞かれてもねぇ?」
「ねぇ」
「うーうー。そんなのどうでもいいから早くお茶お茶ー」

 一人、どことなく子供っぽい魔理沙が手をばたばたさせた。

「あーもううるさい。おお前ら認めないからな。魔理沙は私だけなんだからな? 私は私は……」

 理解が許容範囲を超えて、魔理沙は慌てふためいた。魔理沙、魔理沙、魔理沙。四人の魔理沙。

「うるさいのはあんたよ魔理沙。こいつどうにかしてよ魔理沙」
「面倒だわ魔理沙」
「ふあー眠い」

 魔理沙が一度に喋る。同じ声質の波長が部屋の中を反響する。見た目魔理沙。声魔理沙。徹底的な魔理沙ゾーンが、魔理沙を通じて張り巡らされていた。

「待て待て。みんな魔理沙ばっかりなんだからそんな呼び方じゃしょうがないぜ。落ち着け……私。そうだ、お前ら何か他の呼び方はないのかよ? 魔理沙ばっかじゃ不便だからさ」

 魔理沙は少し落ち着きを取り戻した。この方法なら自分を魔理沙だと確定できる。アイデンティティの確保、何よりそれが最優先の事項だ。そうだこいつら魔理沙とかいっても見た目と声だけだ。自分が魔理沙だから魔理沙じゃない。自分の皮をかぶった別の何か――妖怪。偽物だ、そうだどうして今まで思いつかなかったのだろう。似非、ペテン、詐欺。簡単だ。誰かが自分を貶めようとしてこんな手のこんだことを――。
 ――騙されるかっ。
 急に元気になって、魔理沙は他の魔理沙達をきつく睨んだ。

「えーそんなの面倒くさいわよ。ねぇ隣の魔理沙」
「私もよ。みんな魔理沙でいいわよ」
「私も賛成ー」

 ここではいそうですかと引いてはいけない。一息ついて、魔理沙は次のように提案した。

「いいかお前ら。いくら魔理沙同士だからって少しは違いがあるはずなんだぜ? この際だから決めとこう。なっそこの今腰叩いてるお前……お前だお前!」
「えっ何私ちょっと耳遠いから」
「絶対聞いてなかっただろお前。いいかよく聞け。お前何か特技を持ってないか? 何でもいい。他のやつらと違っているところとか」
「んー」

 そう言われた魔理沙とおぼしき存在は、少女のように顎に人差し指を当てて、しばらく考えてから口を開いた。

「そういえば私異次元ができるわ」
「すごいわね。さすが魔理沙」
「ええー。さっすがー」

 異次元とは。それを問い詰める前に周りがうるさくなる。

「あー黙れ黙れ。何だよ異次元ができるって。意味がわからないぜ」
「あっそれはねこういうこと。はい!」

 と言って、彼女は空中で指をくるりとニ、三度翻した。

「……何も起きてないぜ?」
「起きてるわよ。ほらここ」

 指差した先、その先端には何と形容したものやら――空間の裂け目とでもいうのだろうか、漆黒の落とし穴が宙にぽっかりと風穴を開けていた。
 魔理沙はこの現象を理解できなかった。いや前向きに考えると、理解できないということは差別化をはかれるということだ。これはかなりの前進である。

「これが異次元。どう? すごいでしょ?」
「よしわかった。これからお前は異次元の魔理沙な。一人決定だな」

 したり顔する異次元の魔理沙を放って、魔理沙は次なる行動を開始した。

「次は……お前だ。ん、お前だよお前。ちょっと性格きつそうなお前だ」
「え? 私? お前じゃわからないわよ」
「いーからお前は何か特技ないのかよ」
「うーん」

 そう言って腕を組み考える彼女。もちろん容姿は魔理沙だ。

「特にないわね。私は普通の魔理沙」
「そんなことはないだろ? 何でもいいんだぜ?」
「いや、ないよの。ほんとに全然」

 きょとんとした真正直な顔でそう言われたからたまらない。まぁいい。こいつは後回しにしよう。

「おいそこのちっこいの。……いや違うか。お前!」
「何よ」

 自然に小さいという言葉がついで出たが、彼女も魔理沙であるのでそれは間違いであった。ただなんとなくイメージが小柄で可愛らしい姿というだけだった。自分と同じ魔理沙であるのに、これはこれでとてつもなく滑稽なことである。
 彼女は両手を胸の前で、意味ありげに広げてゆらゆらとしていた。どことなく高貴そうな演出であるが見た目は魔理沙だ。誇らしげな少女の口元が、やけにアンバランスではあった。

「お前の特技は?」
「うー。何と言ったらいいのかしらね。私、運命が見えるのよね。未来予知? 今は私が魔理沙になる未来が見えるわ」
「ほーそうか。それならお前は未来の魔理沙だ。これで二人目も決定だ」
「ふふ。何だか格好よさそうね。ありがたく頂くわその名前。ありがとう名無しの魔理沙さん」
「何だよそれは。私はオリジナルだってのに……くそっ」

 見下したような、未来の魔理沙の態度がやけに鼻についた。しかしこんなことに腹を立ててはいられない。さっさと確固たる魔理沙像を確立しなければならない。

「よしこれで異次元の魔理沙と未来の魔理沙が決まったな。後は一人だけだ。……おいそこのお前だ。何髪いじくってるんだよ!」

 どなられた彼女は、長い髪の毛をさも邪魔そうにいじっていた。

「いやこの髪なんかしっくりこないのよね。髪留めか何かない? ここ……ちょっとこの辺にさぁ」
「そんなのないよ。それより早くお前が何の魔理沙か決めようぜ」

 魔理沙は率直に言った。

「んー私そんなの気にしないわ。あ、強いて言うなら主人公魔理沙ね。主人公って私に似合う気がするのよ」
「何でだよ」
「あーそうね。魔理沙は主人公って感じがするわ」

 未来の魔理沙が同調する。

「待て待てどこから主人公が来るのかわからん。駄目だ駄目だ。主人公は却下」
「えー何それつまんない」

 そう言って彼女は口を尖らせてへそを曲げた。その様子も妙にいじらしいが所詮は魔理沙だ。魔理沙は主人公ではないという思いが魔理沙にはある。魔理沙は普通の魔法使い。魔理沙は思い出した。そうだ、自分は魔法使いの霧雨魔理沙だそれだけはわかる。こいつらが何であろうと関係ない。そうなればこんな偽の魔理沙達にかまっている暇なんてない――。

「あーいいこと思いついたわ。名案。私ってばさえてるぅ」

 そんな魔理沙の思案に、異次元の魔理沙が水をさした。

「何だよ異次元の魔理沙」
「異次元、未来ときたらやっぱ過去よね。提案するわ。彼女は過去の魔理沙。うん、これがかっこいいわ。時空を超えて旅する三人娘。ユニット組んだらきっと売れるわよ。一番人気はもちろん私ね。えへっ」

 異次元の魔理沙がにぱっと笑ってポーズをとる。それは無視した。

「同じ背格好で同じ声なのにどうやって組むんだよ。もー真面目に考えろよ」
「いやそれは同じ魔理沙なんだけど、そこは私の魅力と美貌でさぁ……」

 妙な色目を使って異次元がにじり寄ってきた。一体、こいつは何を考ているかわからん。

「あーいいわね過去の魔理沙。古きよき時代を象徴するなんちゃらってやつ。権威があるわね、過去には」

 過去らしき魔理沙が言った。

「そうね。あなたは過去の魔理沙。そっちのお嬢さんは未来の魔理沙。そして私は異次元の魔理沙。三人合わせて文殊の知恵。決定ねこれで」

 異次元の魔理沙が妙に大人びた態度で言った。何だこいつは。自分が本物の魔理沙であるのに。今にもこの場を仕切ろうとしているではないか。それだけは断じていけない。あくまで魔理沙の根幹は自分なのであるから。

「待てよ待て。やっと名前が決まったから言っておく。いいか? 魔理沙の意思は私が決める。だって私が霧雨魔理沙だからだ。いいな?」

 自然にそう言葉が流れた。皆もそれに必ず追随してくれると思った。しかし突きつけられた現実は違った。

「ねーねーねー。過去でなんかしてーそれが未来に及ぼすって格好よくない? 未来の人がさー過去に誰かさんを送ってーそういうの。こうそこはかとないロマンがあると思わない?」
「そうね未来の魔理沙。全面的に賛成」
「ありがとう過去の魔理沙。あなたって何だか綺麗だし強そうだしドキドキしちゃうわ……」

 未来の魔理沙が無駄にはしゃいでいた。おまけに、隣の過去の魔理沙といい雰囲気になりそうである。何だこの展開は。一体全体魔理沙がきてからこの世界はおかしい。絶対に、真実を暴いてやる。魔理沙は唇を噛んでそう心に誓った。

「聞けよお前ら!」
「はーいただの魔理沙」
「お前なぁ! 何だその言い方は?」
「うわ、助けて過去の魔理沙。魔理沙が私を襲うの」
「ちょっとやめなさいよ。魔理沙でしょ」
「そうそう。私の未来の魔理沙に手を出さないでよね」

 異次元と過去が即座に止めに入った。見た目は魔理沙なのに、妙に孤独感を感じる。やはり魔理沙であって魔理沙ではないのだ。

「つーかさ……もうそこの魔理沙はいらなくない?」
「そうそう! さーんせい。私達三人だけで魔理沙を作りましょ」
「あはは、じゃあ魔理沙の私がリーダーするわね」

 誰が誰だがわからないような状況が続く。そして趨勢は自分を排除する方向に動いている。この流れは、きっとまずい。でも止められない。なぜならあいつらは、過去未来異次元三種の神器を持つ魔理沙だからだ。どうにも分が悪い気がする。

「あーよっこいしょっと……」

 誰かが窓から入ってきた。誰だろうと期待はしてみたものの、やはり魔理沙であった。魔理沙の心を黒い絶望感が覆う。何と、新手の魔理沙が――この後に及んで。チッ、何てこった。

「あーみなさんおかまいなく。私は本を読む魔理沙。続けて続けて」

 その魔理沙はそれだけ言って、床にぺたんと横座りして、小首をかしげながら手に持っていた本を読みふけった。

「な、何しにきたんだよお前は」

 魔理沙は聞いた。

「何って言われても。私は魔理沙。ここに来て本を読む。それだけの存在。いつだって消極的に本を読むわ」
「何だよそれ……」

 もしかしたら、助けがきたのではと思ったが当てがはずれた。他の奴ら全員魔理沙だ。それもオリジナルの座を虎視眈々と狙っているんだ。本を読む魔理沙も、きっと自分を倒す算段を試行錯誤しているに違いない。こいつの狙い、共倒れ――。くそっ、舐めやがって。

「新しい魔理沙も到着したようね。まーそれはそれとして聞いてよみんな」

 異次元の魔理沙が声高に言った。

「なになに?」

 未来の魔理沙が興味を示す。

「私がこの幻想郷の魔理沙でありたいと思うわ。言うならば母ね。母魔理沙」
「何言ってるんだぜ? お前が魔理沙だなんて……」

 反論しようとしたが、過去の魔理沙が袖を引っ張った。鋭い目つきでこちらをギロリと睨んでいた。

「黙って聞きなさいよボンクラ」
「な――」
「そうよ。異次元が言っているんだから」

 こいつらこいつらっ。何様だ上から目線で見下しやがって。魔理沙はくやしくて仕方がなかった。唇を噛んで、必死に湧き上がる鬱屈した怒りに耐える。今ここで、全員吹き飛ばしてしまっても。いやまだだ。思い知らせてやるんだ。きっときっと。

「いーいみなさん? この世は幻想郷っていう巨大なユートピアですね。それは皆さんご周知の事実でございます。私はここに秩序を作ろうと思います。魔理沙を代表してこの異次元の魔理沙が一番に指揮をとろうと思うの。境界を操る私。実に適役だと思わない? 決め事、秩序っていうのは絶対不可欠なもの。始めよければ終わりよしって言うわね。幻想郷は魔理沙が作る。ただし異次元の魔理沙っていうのは、残念ながら等身大の人間からはちょっと逸脱しているのよのねぇ。それで私は一人魔理沙を選ぼうと思う。人間の、一人、魔理沙よ。秩序の大部分は彼女に任せようと思うの。ううん、大丈夫。彼女は紛れもなく最強よ。最強の、霧雨魔理沙。私は後見人みたいな立場で彼女を後ろから支えるの。そういうのって素敵だと思わない? ねっきっとうまくいくわこの体制。異変は霧雨魔理沙が解決するのよ。何が起きても幻想郷の平和と秩序は保たれる。均衡ってのはそういうこと。それが魔理沙。魔理沙……魔理沙……。うん、今ここに過去の魔理沙がいるわね。適役よ、絶対そんな感じがするわ。雰囲気が違う。そうね……何か一つ能力授けるとするならば……」

 異次元の魔理沙はぺらぺらと流暢に話した。

「賛成! 絶対に過去の魔理沙ならやってくれるわ。幻想郷で最初の魔理沙。万歳!」

 未来の魔理沙が大げさに手を叩く。

「なっ何よそんなこと言われても私はしがない過去の魔理沙よ。重荷だわ、そんなこと」

 まんざらでもないように、過去の魔理沙は顔を赤くして照れた。

「じゃ、決まりね。過去の魔理沙を――」
「待てよ」

 本当の魔理沙が遮った。何だこの馬鹿げた茶番は。自分を差し置いて秩序なんて本当に馬鹿げている――。魔理沙の心に闘志が宿った。それはたった一つの、絶対的な、かけがえのない燃え上がる一筋の炎。

「何ですか魔理沙さん。聞いたでしょう今の話」
「納得できない」
「は?」
「納得できないって言ってるんだよ! いいかよく聞け私は霧雨魔理沙だ。お前ら不純物だらけのクローンじゃない……。私だけが混じりっ気のない本物なんだよっ! お前らが勝手に決めたことが通ると思ったら大間違いだっ! はぁはぁ……」

 半ば激昂して解き放った。最後の境界線、魔理沙であることは譲れなかったのだ。

「私の言うこと聞いてなかったんですね。残念ね魔理沙さん」
「はは。何こいつ。異次元の言うことに歯向かうの?」
「もうやっちゃおーよこいつ。何言ってんのかわかんない。けけ! ただの魔理沙のくせに!」

 容赦のない罵倒の言葉が、次々と魔理沙に浴びせられる。悪意のある鈍重な波動が、鞭のようにしなり柔肌に傷をつける。それでも魔理沙は負けなかった。まだ最後の希望が残っていたから。どんなに大見得を切っていても、所詮こいつらは――魔理沙だ。

「やっ、やるのかお前ら? このぉ!」
「あら交渉決裂かしら? 残念」
「話し合いで解決できないなんて……さすが劣等人種ね。いいわよ魔理沙。今すぐ引導を渡してあげるわ」

 異次元と未来が蔑み憐れむような目で見てくる。くそっ、絶対に見返してやる。気づかれないように、服のポケットに手を入れる。あった。やっぱり自分は魔理沙の加護を受けているんだ。これなら負けるはずもない。
 魔理沙は八卦炉を手に取った。ありったけの魔力をその右手に充填する。
 先手必勝だ。くらえ――。

「マスタースパーク!」
「え――」

 極太の閃光が、異次元と未来に向かってぶわりと直進照射した。何かをつぶやいていた二人は、そのエネルギーの直撃を受けてもんどりうって倒れこんだ。

「えっ、ちょ、ちょっと? え、ええ? えええっ?」

 過去が舞踏のように手足をばたばたさせて混乱している。こいつはおそらく問題ない。
 異次元と未来の魔理沙の惨状を確認した。体を半分ほど失って倒れているのは異次元。未来も肩越しからぽっかりと穴が開いて、腕が一つちぎれていた。やった。これで終わりだ。勝ったんだ自分は。この魔理沙決定戦に。
 だがひと時の安堵の空間も長くは続かなかった。

「あーあー何してくれてんのよ全く」

 異次元の体がぐらりと持ち上がった。体の大部分を失ったことは、全く意に介していない様子だった。

「いてて……。全くだわ。魔理沙のくせに」

 未来も立ち上がる。こちらも同様にぴんぴんとしている。

「やっ、やっ、やった助かった! ひっひっひっ」

 過去の魔理沙がかなり錯乱していた。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしていて見てられなかった。
 一つわかったことがある。魔理沙は結論を下そうとした。

「へへへ、お前たちこれでわかっただろう? そんな怪我して生きているなんて人間じゃない。魔理沙は正真正銘の人間だ。偽物だ、詐欺師め! わかったんならさっさと私の前から消え去るんだよ。今すぐ、今すぐだ――」
「いやいや。これぐらいセーフセーフ。起り得る想定の範囲内よ。異次元だからこのぐらい朝飯前よ。ねぇ未来の魔理沙さん」
「そうそう! こんなかすり傷ぐらい、たぶん血をたらふく飲めば一日で全快するわ」

 異次元と未来が、不気味な笑みを浮かべて迫ってきていた。そうか、こいつらはあれだ。最初から常識の通じる相手ではなかったんだ。どうする? さっきのマスタースパークで魔力の大部分を使ってしまった。もう一度打っても威力は半分以下だ。

「あーいいこと決めたわ。人間ももっと強くしちゃおうかしら? こんな怪我でひいひい言うくらい脆弱じゃ使えないものねー。そうしましょそうましょっ。おっほほほほほ。私が魔理沙。そして魔理沙を作るのが私。創造紳、それが――」
「うるさいんだぜっ! 私が霧雨魔理沙なんだぜ! 魔理沙を名乗れるのは私だけ……私だけなんだぜっ!」

 ふいに得体の知れない力がみなぎってきた。これは? しかしそれを理解する暇は少しもなかった。

「ピーピーやかましいわよこの寝小便たれのクソガキ。もう面倒だからスキマシュートしちゃうわね。処置は後から考えればいいわ」

 異次元の像がざっと歪んだ。
 来る――。勝負は一瞬で決める。
 背後に黒い裂け目が開いている。
 そんなの気づいているぜ!
 正面の異次元魔理沙。その現在に知るところ幻影。魔理沙は背後の通用口に向かって、ありったけの魔力を放出した。

「はーいスキマに一名様ごあんな」
「消し飛べ!」

 轟音。怪音。肉片が、飛び散った。
 異次元の魔理沙は完膚なきまでに破壊されていた。もしまだ生きていたとしても、再生までにかかる時間は相当なものだろう。異次元の脅威は今ここに立ち消えた。残るは――。
 魔理沙は、じろりと未来と過去の魔理沙に目を向けた。

「ええっ? うっそー? 信じられない。なんでぇー?」

 未来だけが大げさに喚いていた。呆然と立ち尽くしているのは過去。目が、かっと見開かれていた。 

「お前もだ」

 魔理沙は間髪いれずに攻撃を開始した。未来の頭部めがけて、八卦炉の照準をぎりりと合わせる。

「あっ――」

 回避する暇もなかった。レーザーのような光線が、一瞬で未来の脳細胞を破壊しつくしめた。ぐらりと体が揺らめき、音もなく空気のようにそっと床に倒れこんだ。
 これで二人の魔理沙はやっつけた。身近にある脅威はひとまず去ったと言っていい。部屋の隅に目を向ける。過去の魔理沙がぶるぶるとして体育座りをしていた。





「おい」

 魔理沙は過去の魔理沙に声をかけた。いや、過去とは仮の名前であった。単なる連想であったから根本的には過去ではない。まぁ自分と区別できるのなら何でもいいのだが。

「ひひひひ……。あっありえないわこんなこと……。魔理沙が魔理沙をうふ、うふふふ……」

 過去の魔理沙は、先ほどよりも思考をこじらせているようだった。泣きながら笑い怒りながら楽しんでいた。

「おいそこの。悪いけど私は魔理沙だから……消えてもらうぜ」

 何も迷う必要はなかった。それがこの幻想郷の定めであるとわかっていたから。

「まま待ってよ魔理沙。おかしいわよこんなの。どうして魔理沙が異次元と未来の魔理沙を殺すのよ……。いえ、最初から、朝起きた時からおかしかった……。私が魔理沙で……それで……」

 死を間近に迎えた人間とは、どうしてかくも見苦しいのだろう。魔理沙は悲しくなった。

「言い訳は地獄に落ちてからな」

 魔理沙はそう言って、過去の頭部に固い八卦炉をぐっと押付けた。

「ちち違うんだったら! 絶対におかしいってこれ! 私は関係ないんだから……朝起きたら私が魔理沙で……異次元の奴が魔理沙に会いに行こうって言って……。未来もいて私もそれについていって……」
「命乞いは見苦しいぜ。それに最後まで他人のせいにするんだな。心底救えないぜ」

 右手に力を込める。こんな死に際の奴なんか、情けをかけることなんてないのに。こいつは自分を馬鹿にして鼻で笑って見下したんだ。だから、一思いに――。
 頭ではわかっていても、体が動かなかった。魔理沙はふとこの魔理沙の言い分を聞いてみたくなった。ほんの出来心であった。

「本当なんだって! そもそも私が魔理沙なのもおかしいんだって! よくわからないけれど絶対にそうよ。そこの異次元と未来の奴も何か変だった……。ねぇ魔理沙? 私達もしかして取り返しのつかないことを……」

 ――ねぇ魔理沙。
 その言葉はどこか懐かしい響きだった。思えばこの過去の魔理沙は他の二人とはかけ離れている。どうしてだろう? あいつがいて、縁側でお茶飲んで。ああ頭がずきずきと痛む。もうちょっとで、思い出せそう、なのに。

「ひぃ、ひひー! 怖い怖い! 離してよやめてよもー」
「う、動くな動くな……痛っ!」

 暴れる彼女を抑えようとすると、奇妙で不思議な衝撃が魔理沙の肉体を襲った。その事実が、魔理沙の脳を混沌の神の支配する領域へと変容させた。

「お前まだこんな力を……ん? 何だ隠してたのか? や、やっぱりお前も魔理沙じゃないんだな……ちくしょうちくしょう! 少しは信じていたのに……くそっ!」
「ち違うの。これは。ちょっと念じたら何か出て……」
「黙れ黙れ! お前もあいつらと同類だ!」

 一体何に対して自分はここまで怒っているのか。その答えは漠然としすぎてわからなかった。唯一つ言えることは、目の前の泣き顔の自分の頭を、即座に破壊しなければならないということだ。

「残念だぜ魔理沙」

 魔理沙は自分に言い聞かせるように、魔理沙と言い放った。

「やめてよ……考え直してこんなの……」
「さよならだぜ」

 手加減はせず、一瞬で空白に染めてあげた。孤高の寂寥感だけが漂った。未だ超越者の域には程遠かった。

「私……三人も……。これで、終わり?」

 魔理沙はふとむなしくなった。三人も同じ顔を殺めてしまった。でも何の感慨も後悔も沸かなかったのだ。一体、これは――。

「あーーーっ!」

 絶叫が狭い部屋に轟いた。誰だと思ってみると、本を読む魔理沙だ。今まで何をしていたのだろうか。おそらくはずっと自分一人の世界で読書をしていたのだと思う。たぶんおそらく間違いなくそうだと自然に思う。

「ちょっとちょっとぉー。何してんのよ……せっかく私が来てあげたっていうのに。こいつらやっつけて何になろうと思っているの? 神? 馬鹿! あんたは魔理沙でしかないのに……あーもう!」

 本を読む魔理沙は盛大に切れていた。彼女の怒りの矛先はどこへ向かっているのだろう。皆目見当がつかない。

「落ち着けよお前。お前も魔理沙だけどゆっくり考えようぜ」
「悠長なんかにしていられないのよ。事態は一刻を争うのよ。早く、早く……」
「そんなに急いでいるなら、最初からどうにかして欲しいぜ……」

 そうだ。この本読み魔理沙はかなり前にここに来たはずなのに、今になってこうやって切れている。実に腑に落ちない結果である。

「馬鹿! 私は消極的なのよ。あああもう! 早くこの本読みなさいよ!」

 何が何だかわからなかったが、分厚い本でやたらめったら殴られた。首の骨が折れると思うほど側頭部を強打される。このままではこいつにやられてしまう。やはり自分以外の魔理沙は、自分を抹殺するために存在するのだろうか。

「い、痛いぜ……。悪いけど消えてもらうぜ」
「このっ、この、このぉ!」

 体を反らし本読み魔理沙を軽くいなす。どさりと前方に倒れこむ。彼女は息があがっていた。ぜーぜーとあまりにも苦しそうな呼吸の仕方を繰り返す。

「まっ、まっ、まっ――」

 何かを言う前に、魔理沙は無慈悲な鉄槌を彼女に下した。ようやくこの場から魔理沙が消え去った。静寂と安堵。これで終わったのだろうか?
 いや、まだ呪いは終わってはいなかった。周囲にぞくぞくと危機が集結しようとしている。そして今も窓から闖入者が一人――。

「あー間に合った。あれ? もしかして私が一番乗り? だとしたら最高ね。ふふふ、私は人形を操る魔理沙。魔理沙とは前世から赤い糸で結ばれていたのよね……。今二人、魔理沙で二人。キスをして抱き合い愛を分かち合う。そうすれば本当の魔理沙になれる……。魔理沙ってのは素敵ね。誰にも渡したくはない。お揃いの魔理沙。魔理沙、魔理沙。あれれ? 何暗い顔しているの? 私は魔理沙なんだから心配しなくていいわ……。さぁ二人で白いウェディングドレス着てヴァージンロードを……お、お、魔理沙? 私魔理沙よね? あなたが魔理沙だから私……えっ、えっ、えっえっえっ??」

 人形を操る魔理沙は粉微塵に消し飛んだ。異次元から数えてこれで五人。自分はこんなにも――。いや、ここから本当の戦いの始まりなのだ。
 魔理沙は意を決して、明るい扉の外へと躍り出た。ここまで来たなら、是が非でもやるしかないのだ。





 魔理沙邸の周囲には、気持ち悪いほどの数の魔理沙が、今か今かと霧雨魔理沙が現れるのを待ち構えていた。大挙して押し寄せる魔理沙の群集。その異様な光景は、吐き気を催すほどに狂気じみていた。

「おっ、出てきた」
「あいつだ。まずはあいつを。誰よりも!」
 
 どこからともなく声が上がる。徹底して待ち伏せをされていた。どこにも逃げ場はない。その人だかりの中から前に歩み出るもの数名。よほどの手練だろうか。何にせよ一分たりとも油断はできない。

「私は亡霊の魔理沙よ」
「時を止める魔理沙」
「気を使う魔理沙」
「幸せを呼ぶ魔理沙」
「不死身の魔理沙」
「歴史喰いの魔理沙」
「奇跡を呼ぶ魔理沙です!」
「正体不明の魔理沙」
「わちき魔理沙!」
「有頂天の魔理沙」
「空気を読む魔理沙」
「無意識の魔理沙」
「魔理沙なのかー」

 こいつらは全員魔理沙だ。それも一筋縄ではいかないだろう。どんな作戦でいこうか、いや自分は霧雨魔理沙を貫くだけだ。ここまで来て自分を曲げることは即、死に直結する思考であるからだ。

「さぁさぁさぁ。ついに始まりましたね幻想郷の真の魔理沙を決める魔理沙決定戦! 海千山千の魔理沙が今ここに群雄割拠のてんやわんやでございます。勝つのは果たしてどの魔理沙なのか? 参加資格は魔理沙のみ。さぁ皆様こぞって参加くださいませ。おっと申し遅れました私幻想郷最速の魔理沙でございます。もちろん私も魔理沙の座を狙っていますからあしからず。さーはったはった!」

 上空を見上げると、箒に乗った不愉快なドロワーズが大声で演説をしていた。
 そして一人、前に歩み出でた。もちろん魔理沙。しかしその流し目、魔理沙らしからぬ色気があった。指を丸めてちょんと顎に置く仕草、しおらしげにして儚くも妖艶であった。

「おほほほほ。私は心を読む魔理沙でございますの。以後お見知りおきを。私どうしても魔理沙になりたいんですの。魔理沙となった暁には――他の雑多な魔理沙のみなさんはペットにして飼って差し上げましょう。どうですかこの提案? 無駄に命を散らすよりいいんじゃありませんか? ふふ、最終的に勝つのは私。何と言っても心を読む魔理沙でございましょう。異次元なき今、誰がこの幻想郷を統治するのでしょうか? それは私。ええ私以外にありえませんわぁー。私の前にみなさんでひれ伏せばいいんですよひーひひひ」

 どうみても胸糞悪い魔理沙が笑っていた。こいつとさっきの最速野郎は真っ先に倒そうと思った。

「ちょっとちょっと。心を読むさん一人で勝手なこと言わないでくださいよ。幻想郷最速の目の黒い内は勝手なことさせませんよ」
「いーえ勝手じゃありません。私の考える幻想郷国家はとぉっても理想の支配体制ですわ。おーほほほほ」

 愚かな奴らだと思った。どんなに上手に取り繕っても、やはり偽物は欠陥だらけである。こいつらなんかにこの幻想郷で霧雨魔理沙を名乗る資格なんてない。

「静まれ! 私が霧雨魔理沙だぜ! 魔理沙なんだぜ!」

 魔理沙は蟻のような群集に突貫した。蜘蛛の子を散らすようにして他の魔理沙が倒れていく。まさに今ここに魔理沙の時代が始まろうとしていた。
イケイケ咲夜ちゃんのタイムノフィリア症候群
 荘厳なる紅魔館の大図書館の一室で、パチュリー・ノーレッジは物思いに耽っていた。
「あーあれも欲しいわこれも欲しいわ」
 ぺらぺらと分厚い本をめくりながら想像して夢想する。常日頃からそういう癖があった。
「今度は何が欲しいんですか? 今月の出費はもう無理ですからね? 新たな蔵書を五百冊ほど増強しましたし」
 そんなパチュリーの様子を見て、そばを通りかかった小悪魔が言った。
「あはは、そんなことを言ってもね。欲しいものは欲しいのよ。お金がないなんてそれは甘え。奪取すべきは今しかない。ねぇ小悪魔ちゃん? 小悪魔ちゃんのポケットマネーからどーんと大枚はたいて欲しいわ」
「はいはい。冗談はそこまでにしてくださいね。で、一体何が欲しいんですか?」
 小悪魔がぐっと身を乗り出して、主人の読んでいる本を覗き込む。そこには石膏で作られた人型の彫像――素っ裸の男性器を有する少々恥ずかしげな絵が所狭しと描かれていた。
「ふーん。像……ですか。あらパチュリー様。また変な趣味に走ったんですか。勘弁してくださいよ」
「馬鹿ね小悪魔。これは芸術よ。この完成された精緻な黄金比。あなたにはわからないの?」
「申し訳ないのですが私には学がないもので」
「学とかの問題じゃないの。センスよセンス。裸の男の石膏像。美しい、頑強、隆起、美麗。狂おしいほどにそそるわね」
 両手を胸の前に握り締めて祈るような仕草をする。パチュリーは極度の欲しがりやさんだった。欲しいものはごまんとあるし何でも全て手にいれたかった。彼女の所望する物質は時と気分によってめまぐるしく変化する。今日はたまたま開いた本の筋骨隆々の男の像に心を惹かれた按配であった。
「でもこんな像は幻想郷のどこに売っているんでしょうね? 私は見たことがありません」
「ふふん。それを探すのがあなたの仕事よ」
「嫌ですよ私は。あーそうだ忘れていました。書庫の整理の途中だったんだっけ。それでは失礼しますパチュリー様」
「待ちなさいよ小悪魔。まだ話は終わってないわよー」
 立ち去ろうとする小悪魔を細い腕が捕まえる。
「うわー、離してくださーい」
「駄目小悪魔ちゃん。私の愛しい人! むー」
「きゃー何するんですかもう」
 図書館での魔女と悪魔のむつみごと。いつもの変わらぬ紅魔館の日常風景であった。しかしその空気を異界からの闖入者が打ち砕いた。
「ああっ、あああ、あー! しつ失礼します。ああ忙しい忙しい。あー私十六夜咲夜でございます。何かご用はございませんか? ご用はございませんか? ご用は存在しませんか? 私にご用ですね? 今すぐお申しつけくださいませーはははー」
 凄まじい挙動不審の勢いで登場したのは、最近紅魔館のメイドに就任した十六夜咲夜という人間であった。彼女は変わり者だらけの紅魔勢の中でも最高に変わり者であった。
 常に手足をばたつかせて目は爛々と光り輝いている。咲夜の脳内には停滞という言葉は存在しない。息する間も無く何かを求めて蠢き続けているのである。
「早く早く何でもいいですから。早く早くっ、小悪魔様っ、パチュリー様早く早くぅ――」
 口の中でつぶやくようにして言う。咲夜は大変な早口である。普通の人間が一言しゃべる間に何倍もの単語を発することができた。しかしその内容がちゃんと伝わっているかはまるでお構いなしである。
「んーメイドの咲夜ちゃん。今日は第四書庫から第五書庫に本を移しておいて。全部ね」
「ははははい了解いたしました。この十六夜咲夜、身を粉にして尽力して一切の妥協を許すことなく効率的に能率的にうわああ嬉しい嬉しい私にお仕事嬉しいなぁったらんらんそれ突撃――」
 鉄砲玉のような勢いで咲夜が奥へと消えていった。それを呆れたような目で見つめる小悪魔。
「もうパチュリー様。三日前も同じこと言ったでしょう。それに第四から第五なんて移動させる必要ないでしょうに」
「だってね、彼女困っていたから。ずっと動いてないと禁断症状で死んじゃうと思ったから」
 それは大げさ――と言おうと思ったが小悪魔は口をつぐんだ。あの常軌を逸した様子では、何もやることがなくなったら、本当に口から泡を吹いて死んでしまいそうだったからだ。 
「はは。何と言ったらいいのでしょうか。あの新人のメイドさん。人間にしては異常なお変わり者ですね」
「あなたが言うのね小悪魔。いいのよ、彼女は。好きでやってるの。楽しいの、満足してるの。それはもうたっぷりと充実してね」
「そんなもんですかね。私には狂気としか思えませんが」
 狂気という言葉を使ったがそれが正しいとは限らない。だが悪魔の自分から見ても十六夜咲夜は極めて異常であった。主人の目には大して奇異には映らなかったのだろうか。それもまた魔女である彼女が、酷く常識から逸脱した思考の持ち主であることの証明かなと思った。
「狂気ってのは軽々しく使っちゃ駄目よ小悪魔。彼女はそれほど狂ってはいない。現に私は彼女の30パーセントぐらいは理解できるもの」
「はーそうですか。さすがパチュリー様」
 小悪魔は深くおじぎをしてへりくだった。ここでの30パーセントは高いのか低いのかわからない。ただ三割でも理解できる部分があるのは奇妙に思われた。
「それでねー小悪魔。このガチムチのお兄さんの像を探して欲しいんだけど……」
「嫌ですよそんなの。さっきも言いました。それでは」
「あー待ってよ小悪魔ったらもー」
 図書館は静かに時を刻んでいる。奥では人間離れした超人が、空虚な浪費を厳かに演出していた。




「あはぁんやりましたやりました。計1759冊の本を速やかに最低限の労力を持って適当なしつらえた場所に移動せしめました。うーんさすがは瀟洒人間メイドガールの咲夜ちゃん。あっ……今思い出しても私の手際のよさったら憧れます。二十冊同時手足と頭と肩をお腹を使い縦横無尽に駆け回り最大限の実力を出し切った私は女神にもなるのです。ああこうしてはいられない。早くお嬢様を起こしいかなければ。おお忙しい忙しいいそがしいーん」
 十六夜咲夜は駆け出した。時刻は午後五時を回ろうとしている。今から愛するレミリアお嬢様を起こしにいかなければならない。彼女は実に勤勉あり真面目であり並外れたワーカーホリックであり自己愛の塊でもあった。
 咲夜を止めるものは何もない。真にまずいのは歯止めが利かないことである。どこまでもどこまでも理想の自己像を求めて突き進む。最後に待つのが果てしない地獄だったとしても。
「お嬢様ぁー。おはようございますー。お嬢様起きてください起きてください。十六夜咲夜でございます。あはあはあはー!」
「ん……あ? 咲夜? うーん」
 眠い目をこすりながら、紅魔館当主レミリア・スカーレットは大あくびをして眠りから覚めた。吸血鬼というのは夜間が主な活動時間である。しかして午後五時というのは人間いうならば朝方と同じである。
「さーお嬢様。直ぐに着替えて歯を磨いておめかしして散歩してカリスマをみんなに振りまいてお食事をとって紅魔館の執務に当たらなければなりあません。さーお嬢様早く早く」
「んあ。待って咲夜。私まだねむ……」
「駄目です。主としての威厳に関わります。さーさー」
 なおもぐずるレミリアを、咲夜は転がすようにして着替えさせた。髪をとかして歯をみがかせ靴をはかせてあらゆるみだしなみを効果覿面に整えた。
「はーいできました。今日のお嬢様も可愛らしいですよーうふふ」
「ふぁーあ……ありがとう咲夜。でももっとゆっくりして欲しいわ。それにこんな早起きで……」
 またレミリアは大あくびをした。
「いけません。時間を守らぬもの万死に値します。お嬢様は紅魔館の当主なのですからそれぐらいは完璧に100%パーフェクトにこなさなければなりません」
「うん、もうわかったから咲夜」
「それでよろしいのですお嬢様。……ああしまったフランドール様も起こさなければ。そうだ一緒に起こしていれば二倍の効率アップだったのに……。ああ早くやらなきゃとりかえさなきゃ時間を効率を早く早く早く――」
 フランドールのベッドへ向かって咲夜が突っ込む。フィルムを早送りしたかのような咲夜の姿がそこにはあった。




 十六夜咲夜の寝室では甘い嬌声が漏れていた。彼女も人間でもあり年頃の女でもあるから相応の性欲処理をするのである。
「んんっ。はぁはぁん。今日も私は全身全霊をかけて働きづくめでしたぁん。次から次から来る仕事をてきぱきとこなして紅魔館のために多大な恩恵をもたらしましたぁん。はぁん、私ってばすごい、素敵、かっこいい、瀟洒。スーパーメイドのミラクル咲夜ちゃん……。うふふ、でも私はみんなに認められなくてもいいのぉん。私は裏方でいっぱい動いているからぁん。あっでもちょっとは認めて欲しいかもん。そういえば今日のお嬢様の視線とか激ヤバだったわぁん。今思いだしてもぉ……」
 全裸で壁に手をつきながら秘所をまさぐる。ぷっくりと膨らんで赤く充血した肉豆を愛撫しながら、卑猥で淫靡な倒錯した妄想に耽っている。
「ああん。お嬢様がぁ……私の同時仕事を見て……やぁん……そんな羨望のまなざし……いやん。違うんですお嬢さまぁ……私にはこんなことぐらい朝飯前なんですぅ……。本当はフランドール様とお嬢様を同時にお世話もできるんですぅ。ははああああ――いい。すごい、くるぅ。お嬢様、そんなに見つめないでください……そんなに見つめられたら私……。あふぅん、やばい。見ないでくださぁい……。十秒しか節約してませんから私……。そんなの効率化のうちに入りませんから……やん……。あ……え? えええ? お嬢様もぉついに私のこと認めてくれたんですね? 嬉しいお嬢様ぁ……これで私もお嬢様も私と同じ時間を共有……効率化人間の絶対崇高カリスマ瀟洒な万能全能感丸出しでぇ……あんあんあんイクイク! 咲夜ちゃんイッチャウ――――」
 最後に指を女性器深く差し込み、おびただしいほどの快感受け入れる。引き締まった太ももに透明の愛液がつーっとつたっていく。収縮する粘膜の感触を味わいながら、咲夜は甘美なる自慰の余韻をじっくりと楽しんだ。
「あ……はぁ……はぁ……最高ぉ。私ったら、またお嬢様をオカズにしてぇ……んもぉいけない咲夜ちゃん。でへ、でへへへ……待っててくださいねお嬢様。私の頭の中のようにいつか超多忙スーパーカリスマお嬢様にしてあげますからね、うふん」
 咲夜は通常の女性とははるかにかけ離れた妄想で解放していた。快感のスイッチとなる要素の根底にあるものは、あり得ないほどの多忙の状況、そしてそれをこなしていくための効率化の行動である。時間を節約することは、咲夜にとっては気持ちよさを超えた性的な快感である。忙しければ忙しいほどいい。そうすればそれを跳ね除けた時の快感も数倍以上になるからだ。
 加えた愛する主人レミリアへの思考の共有化願望も加わる。咲夜は全ての者が自分のように忙しさで性欲を発散していると信じている。嘘のような話であるが実に本当である。だから周りの者がもっと忙しく立ち回らないか甚だ疑問なのである。
「ふぅ……。あっ一分四十七秒でフィニッシュなんて最高記録ぅー。やったぁー。この節約した時間を使ってまた素敵なことができるし考えられるぅー。私って最高ー抱きしめたいの咲夜ちゃん。私もよ咲夜ちゃん。むぎゅー、むぎゅ」
 時計を見て、自分の自慰行為が最短記録を示したことを素直に喜ぶ。汗と愛液で濡れた体を洗うために浴室へとすべりこむ。ここでも咲夜の脳細胞は恐るべき速度で思考を開始する。どうしたら一秒でも早くシャワーを終えられるか。どれだけ効率的に体の汚れを落とせるか。他の雑事と同時にできることはないか。
 彼女は決して狂人ではないが、かわいそうなほど狂人に近かった。驚くべきほどの思考の早さが全てを無に返す。惜しむべきは彼女自身がそれを自覚することは皆無であることだ。自分が絶対に正しいと思い込む。どんな論理的な指標も、咲夜の前では何の役にもたたない木偶の坊に相違ないのである。
「ふふふーん。おシャワー終了。咲夜ちゃんキレイキレイ。さー早く寝なくちゃ。いつもの通り二時間睡眠。これできっちりばっちりすっきりお目覚めお肌つやつやーん。咲夜ちゃんの考えた絶対的な睡眠理論でーす。栄養素は一片も無駄にはしない。無駄が無駄を呼ぶからなーんも無駄にはしないの。さー寝ながら明日すること一から十までシミュレートしなくちゃーん。あーんやることいっぱいあって最高……咲夜ちゃん最高……生きてるって楽しい! 私はスーパーキューティーミラクル少女の咲夜ちゃん。今日はこんな夢みて寝ちゃおうかな? いいよね? いいよね? うふふっ、うふ、うふふふふ…………」
 全く邪気のない少女の笑みを浮かべて、咲夜はぐっすりと眠りについた。




「掃除掃除掃除ー。どうして掃除ってこんなに楽しいんだろう? らーらららーらーん。もっと私に掃除を与えてもいいのよん掃除の神様ぁ」
 いつもように咲夜能率を第一に考えて業務に徹していた。能率優先といっても決して手を抜いているわけではない。最大限のパフォーマンスを維持しながら最大限の効率を保っているのである。それが十六夜咲夜という存在である。
 しかし完璧すぎるがゆえに、自分の理解できないものは徹底した排除を試みる。絶望的なまでに共感協調能力が欠如しているのである。
「あっ……ああっ! リリー……ホワイトさん!」
 咲夜はその自分の目に映りこんだイレギュラーに攻撃を試みた。リリー・ホワイト。咲夜と同時期にメイドの職についた妖精である。しかし咲夜はリリーの態度に我慢がならなかった。彼女は全体的に怠惰であったから。今も魂が抜けたような死んだ表情をしながら、モップを力なく握り締めて棒立ちしているだけであった。
「……なんですか?」
 リリーは顔をしかめてさも面倒そうに言った。
「リリーさん! いつまでもそんな場所シコシコやっているんですか? 動いてませんよモップ? ほらもっとシャンシャンってやってください。いいですか? 今から私が見本を見せます……それシャンシャンシャーン」
 咲夜は勢いよく手本を見せたが逆効果であった。
「チッ」
「何ですかリリーさん? 今聞こえましたよ? 舌打ちしたでしょ今。いけませんよお嬢様に言いますよ? でも私は寛大だから許してあげるんでーす。私は優しいから何でも出来るから……あっもう時間のロスをしてしまいました……リリーさん、あなたのせいでーあーもうどーしてくれるんですかーもー」
 コロコロと表情を変える咲夜と対象に、リリーは全くといっていいほど表情を変えなかった。数秒後一文字に結ばれた、頑強な口元がゆっくりと地獄の釜の扉のように開いた。
「あーあのですね。私ってば……あれ、あれなんですよね。春……あー春……なんですよ。実は私ってば明るいんですよ。春が来ればですね。そりゃもう……元気溌剌幻想郷バンザーイってですね。だから……今は一時しのぎっていうかぁ……ん……ただ寝るところがあればいいっていうか。本気になっても仕方がないっていうか……」
 その重い口からたどたどしく語られる言葉を、咲夜は鬼のような形相で真っ直ぐに睨みながら聞いていた。
「な、な、何なんですかその言い訳ぇ? はぁ? 何が? 春……ですか? そんなの認めませーん。みーんな一生懸命やっているんです。あなただけがってそれは通りません。紅魔館の発展のためにって思えばそれは素晴らしいことなんですよ? それを何ですか? リリーさん。早く動いてください。せっせと今の五十倍ぐらいの速度で動いてくださいな。いいですか? 私があなたのために貴重な時間を費やしているんですよぉ? 私が、あなたのためにですね。その気持ちわからないんですかぁ? ええ? いくら私が温厚だっていっても怒りますよぉ?」
 リリーは特に心に響いた様子はなく無言だった。この類の輩には、無視を決め込むのが最善とよく理解しているようであった。
「ちょっとなんとか言ったらどうなんですか? もー前にも言ったでしょう? 働くんですよ働き蟻は。それでみんな気持ちいいんですからあなたもそうでしょう? ねーなんとか言ったらどーなんですかーこの、このああうああ――」
 咲夜は明らかに頭に血が上っていた。こめかみに青筋を浮べて目を血走らせながらまくしたてる。未だ仏頂面なリリーの表情も、咲夜のいらだちを否が応にも加速させた。やがて、ぽりぽりと頭をかきながらリリーが口を開いた。
「……春じゃありませんから」
 その答えに数秒停止する。煮えたぎった感情が堰を切ったようにあふれ出していく。
「あーあーあーははははー。わーかりましたリリーさん。盛大にわかりましたよあなたの気持ち。あーもう優しい私の堪忍袋の尾が切れちゃいましたーん。いいですか? 私あなたのために本当に……んもー知らない知らない知らない咲夜ちゃんもう知らないどうなってもしらないーん。げへへ、後悔しちゃえばいいんですよ。ばーか、えへえへ……」
 ばっと振り返って駆け出す咲夜。
「うざ……」
 その声は咲夜の耳には決して届かなかった。赤い廊下は余りにも長すぎて、咲夜への距離ははるかに長大であった。


「お嬢様お嬢様。起きてくださいお嬢様ぁーん」
 咲夜はリリーと別れた後、一目散にレミリアの眠る寝室へと駆け込んだ。
「起きてお嬢様ぁ! お・じょう・さ・ま!」
「ぐっ、ぐるじい……」
 半ば首を絞めるように揺り起こす。ケホケホと空咳をして、半目のレミリアが意識を覚醒した。
「ああっ。お嬢様やっと目覚めてくださいましたね。ああ私、てっきりお嬢様が永遠の眠りについておしまわれたと……おーいおおいおいおいおい」
 咲夜はわざとらしく涙を流して大泣きをした。
「……せっかく寝付いたところなのに何なのよ咲夜。まだ昼間じゃない。ふぁーあ、眠いったらありゃしない。で、何なの? 私をわざわざ起こすだけの用って」
「ああっ、そうなんです大変なんですよ。あわわ一大事です。あの、その、掃除、モップ、妖精、ああははは、で、ん? そう生意気、厚顔無恥、ダラダラいけません。あああのですね、端的に言いますとやめさせて、彼女はゴミクズで使えないんですよ。どんだけかっていうとこーのくらいにですね……」
「んむ……」
 身振りを手振りを交えて説明する咲夜。しかし主人には全くといっていいほど伝わらなかった。
「咲夜。あなたはとても有能だけれどせかせかしすぎるわね。一回息を吸って気持ちを落ち着けてからにして頂戴」
 ほとんどまぶたがくっつきそうな目をしながらレミリアが言う。
「はははははい。すいませんお嬢様。本当にすみませんお嬢様。後で腹を切りますので私、はい。すーーーっ、はーーー。すーーー、はーーーー。あーもう大丈夫です。私ちょっとばかり乱心しておりましたわんうふふふ。えーとそれでですね……リリー・ホワイト! そう、彼女なんです。彼女ったらいけないんです!」
「ふーん。リリーがどうかしたの? ちょっと暗いけどいい子そうじゃない」
「いえ、いえいえいえいえいえ! 全然そんなんじゃありませんって。リリーは妖精の面を被った黒い悪魔でございます。私いつも見逃していましたが今日こそは見過ごすことができませんでした。あの、リリーは恐るべき怠け者、怠惰堕落の化身であります。ことあるごとに仕事をさぼろうとしてお嬢様への忠誠心の欠片も全くございません。近い将来に必ずや過大なる災禍をもたらすゴミ虫のような存在であります。今すぐ今すぐ排除しなければお嬢様の輝かしい威信に傷がつきますわっ。んっ、あの妖精風情がいい気になってぇ……ぷんぷんぷん!」
 レミリアはうんうんと頷く。用件の大体は了解したようである。
「わかったわ咲夜。リリーは確かにそういうところがあるわね。でも、ね。一応は許容範囲よ。紅魔館はそんなにあくせくしなくても回っていけるの。はいこの話はお仕舞い。お休み咲夜……」
「うわああー。まだ寝ないでくださいお嬢様。駄目です! 今すぐやめさせないと謀反が起きてお嬢様を暗殺。いけませんいけません――」
 ベッドに入ろうとする主人の胸倉をつかみぐいぐいと揺り動かす。
「ぐ……はぁ。大げさね咲夜。はぁ……もう眠いから面倒くさいわ。そうね、リリーは今月いっぱいで解雇。そうするわ」
「まぁお嬢様ありがとうございます。あー汚物から生まれた雌豚のリリーを今月いっぱいも住まわせるだなんて……レミリアお嬢様の慈悲のお心は広大無辺な湖よりも遥かに幅広くあああーん」
「うるさい。もう寝るからね」
「はいお嬢様。お休みなさいませ。それでは眠りのキッスを……んむちゅ、ちゅっ」
 嫌がるレミリアの頬を追いかけて、咲夜は何度も何度も接吻をかました。




 次の日咲夜は最高の目覚めを迎えた。体内の老廃物は一切なく精気に満ち溢れた煌きの朝。こぼれる朝日を受けてさえずる小鳥達に向かって、満面の笑みを微笑みを返す。
「ピーチクパーチク! お早う小鳥ちゃん。私もあんな小鳥になってもっと可愛くなりたいなっ。うふっ。今日も最高咲夜ちゃん。顔を洗って歯磨きをしてお着替えしてお化粧してぷるぷるスーパー咲夜ちゃん。今日もどんないいことがあるのかな? あっははははー」
 数分で全ての雑事をパンとコーヒーを頬張る。その時咲夜は重大過ぎる事実に気がついた。そう、十六夜咲夜にとっては死活問題に近い事実である。
「あああー。なんてこと? 今日って今日って……しまったー。昨日から準備しておかなきゃなのに私ったらあきれるほどそっぽでお馬鹿さんでお間抜けさん……どうしようどうしようどうしよう? ど・う・し・よ・う?」
 咲夜の網膜がとらえたのはカレンダーであった。赤いペンでクルリと数字を囲んである。何の事はない、今日という日は休日であった。普通の人間であれば休日とは嬉しいものである。しかし人外の思考を持つ咲夜にとっては、地獄の針の筵に近い苦行であった。
「やばいやばいやばい。何をしようか考えなくちゃ困っちゃう困っちゃう。早くすることしないと死んじゃう死んじゃうの咲夜ちゃん。穴という穴から虫がわいて地面からうじ虫わいてぐちゅぐちゅぐちゅひええ! 怖いの咲夜ちゃん助けて咲夜ちゃんあふあふあふあふあふふふ! 溺れる溺れる咲夜ちゃん。なーんで休みなんてあるのお嬢様。私がいらないっていうのに私をいじめて違う違うの咲夜ちゃん。早くどっかにいかなきゃどっきゅーん!」


 慌てて準備を整えて、咲夜は自室のドアをぶち抜いた。とりあえず歩かなければ走らなければと思った。じっとしているとやんごとなき妄想に取り付かれてしまいそうになるからだ。
「まずは動いて分子分解熱運動! でもまだまだ足りない新陳代謝! 一つや二つじゃ足りないの。だって私はスーパーメイド超人咲夜ちゃんなのだから! さぁ頑張っていくぞ……ん?」
 咲夜はある人影を認めた。リリーだ。昨日と同じ場所で、これまた死んだような顔でモップを握っている。しかしその悲壮感は以前のそれよりも数段深みを増していた。目はうつろで焦点が定まらず、口は半開きで常に細かく震えていた。
「あっ……ああっ! そうか!」
 一瞬で咲夜はリリーの身に起こったことを理解した。そして早速スキップで近寄り大声で声をかける。
「おはようございます。リリーちゃん!」
「あ……」
 リリーの目を見た。意思のない幽霊のようにふらふらと漂っている目。咲夜は自分の勝利を確信した。自分が正しかったと。
「ぬひひひ。言われたんですねお嬢様から。あなたはもうお払い箱なんですよ。だからいわんこっちゃない。私があれほど口をすっぱくして忠告したのですね。あなたが、その善意を邪険にするから。はー歪んだ考えの人って本当に嫌いです。嫌い嫌い嫌い。大好きなのは咲夜ちゃんとお嬢様っ! あはは。でもね、今月いっぱいここにいられるんだからありがたく思いなさいよねー。あのね……本当はお嬢様が一日でリリーさんは解雇って言ったんだけどねぇ……私が泣いて許しをこいて今月いっぱいってたのんだからぁ……ん。あー私ってばなんていい子ちゃん。素敵! みんなから愛される咲夜ちゃん! くっ、くぅぅふふう――。あー何見てるんですかぁ? 私を睨んでもおかど違いですよぉ。あなたがぼけらぼけらしてるからいけないんですよぉ? 私は間違ったことしてませんからね。私はいつでも正しいし一生懸命に勤勉なんですよっ! あはは、本当ならもっともっといじめちゃうんですけどぉ、咲夜ちゃん優しいからこの辺にしておきますねぇ。うふふ、いくらゴミ虫ゴミ小僧さんでも今月だけは紅魔館の一員なんですからね。ひゃふふ、きゃふふふ。あー何ですかその目ぇ? 言いたいことがあるんならはっきり言ったらどうでちゅかぁ? お前のその口はチャック君なんでちゅかぁ? チャックチャック……きゃははは!」
「まだ春……じゃないのに。私来月からどうすれば……」
 重い口をリリーが開く。
「はーん、そんなの私の知ったこっちゃありませんよ。妖精なんでしょぉ? その素敵なよーせいのーみそこーねこーねして何でも臨機応変に対応したらいいじゃないですか? 私を見習ってください。私は生まれてから一分後に全ての人生計画を完了しているんですからね。凡人はもっと努力しなきゃ駄目なんですよ。あーもうこんなに時間をくってしまいましたぁ。いくら休日っていってもゴミのために時間をつぶすなんてありえないありえないぃ! じゃーばいばーい。お馬鹿で愚図のリリーちゃま!」
 振り向いてその場を立ち去る。うきうき気分で満足した咲夜は門番に声をかけて、広い幻想郷に何かを求めて飛び立った。




 咲夜はやたらめったらに走り回っていた。走り続けなければならない。なぜなら一度立ち止まってしまえば、醜悪な魑魅魍魎に近い異形の虫達に全身を喰らい尽くされてしまうからだ。
「私は走る。有酸素運動で全身の筋肉と心臓と肺を有効利用! でもこんなの序の口お茶の子さいさい! もっとエネルギー使わなきゃ私ののーみそ蕩けちゃう。渇望するって素敵! がんがんやる気が湧いてくるもの。早く誰かに会わなきゃ食べられちゃうなったらんらんらん――」
 何の目的も持たずにひた走る。と、そこで道の真ん中をのっしのっしと歩いている白黒の衣装に目を留めた。ああ、と咲夜はこの人物に合点がいった。彼女の名前は霧雨魔理沙。図書館の本を泥棒する意地汚い盗賊である。
「もしもしそこの素敵な霧雨魔理沙さん。御機嫌よう」
「何だ。いきなり声をかけないで欲しいぜ。……誰かと思ったら紅魔館のメイドか。あーそうだ。パチュリーに伝えておいてくれ。借りた本は今度返すってな」
 魔理沙は視線を合わさずにだるそうに言った。
「あはは魔理沙さん。パチュリー様が言ってました。魔理沙さんってゴミでクズでデリカシーがないからもう私の聖域に金輪際近づかないで欲しいって、うふふ」
「パチュリーがそんなこと言うわけないだろ。私達は魔女友達なんだぜ。固い絆で結ばれているんだ」
 真正直な声。咲夜はそれを鼻で笑った。
「あふ、うふうふ。いえ、私の方がパチュリー様のことよく知ってますからぁー。色々と聞くこともあるんですよぉ。魔理沙さんって女の癖にだらしなくてもー繊細さなんって微塵もなくって……。あー口癖の『ぜ』についてもあれこれいってましたよ? もー何をとちくるったか男っぽさアピールとか……もーみんなで呆れてましたぁ。みんな言ってますよぉ。面白いから、笑っているんです。友達だっていっておけばいつでも……。あっあのたまに来る人形使いのアリスさんもですねこの前……」
「もういいよ! お前!」
 大きな声で魔理沙が遮った。そして続けた。
「なぁ……お前確か咲夜って言ったよな? なぁ咲夜? お前って変わってるって言われないか? そんな早口でせかせかして見てられないぜ。一回口を開けば他人の悪口ばっかりで……ん? 生きてて悲しくならないのか?」
 咲夜はにこにこと笑っていた。魔理沙の言葉を右から左へ流し反論を試みる。
「んーいえー変わっているとか全然言われませんー。あーお嬢様にはよく言われるんですよぉー咲夜は仕事できすぎでぇ……可愛いし食べちゃいたいって。んーもし私が変わっているっていうんならーそれは私の魅力のせいかなって思うんですよ。瀟洒なメイドの咲夜ちゃんはみんなから慕われて愛される存在だからぁ。えーっと早口なのは私時間を効率的にですね、何でも早い方がいいからぁ。あー私から見ると他の人は遅すぎるんですよ。何でこんなに暢気にくっちゃべっているんだろうって。時間の無駄ってのは人生の無駄ですからね。一分一秒たりとも無駄にはしたくないんですよ私。せかせかって言いますけどもっともーっと煮詰めて切り詰めて行動したいんですけどね。悪口? 悪口悪口? 違います。どうして私の言葉が悪口になるんでしょうか? いえいえ、忠告です神託ですありがたいんです。私の善意の行動が悪口なんてありえませんわ。世のために人のためお嬢様のため――。あはははーんー私ってば健康すぎて生きてるのが楽しすぎてですねー、私が動かなきゃ誰が動くって感じですね。そして私の影響がみんな伝わったらね、みんながさらによい流れ、循環ですか。海から河口に流れ川をくだりの千客万来呉越同舟。そんな風に、ええ、宇宙へ続く糸なんですよね、つながっているんです。私はそのために――」
「黙れよカス」
 再び魔理沙がドスの聞いた声で遮った。
「いいから今すぐ私の視界から姿を消せ。いいな?」
 そう言って魔理沙は踵を返す。
「あっ待ってください魔理沙さん」
「何だよ。また私の気に触ること言ったら殴るからな」
「何かお仕事ありませんか? でないと私は虫になっちゃうんですよ。ポツポツテラテラリーンってことですよ要約すると」
「知るかよ! 私の前からいなくなるのがお前の仕事だ! クソッ!」
 魔理沙は息をするのもおしい勢いで立ち去った。
 ひゅるりと生暖かい風が咲夜の頬を撫ぜる。
「……はっ、しまった。思考の空白。ピーピーピー。咲夜コンピューターただいま始動します。とりかえさなきゃ今の無駄無駄。魔理沙はゴミゴミインプット。それじゃー突撃開始!」




 妖怪の山の麓では、栗の実がそのとげとげしい保護者から、ぽつりぽつりと豊穣の果実を落としていた。
 咲夜は気まぐれに走り抜けてここに到達した。山のあるところ人が集まる。何が何でも咲夜は何かをしたかった。
「はぁはぁはぁ、ひいひいひぃ。私もう限界です。走るだけじゃ私の脳内麻薬が全然足らないんですよ。あれとこれとそれとどれが足りないんですがね、今すぐ補充してくださいお稲荷さんコンコーン。あら私自分を客観視? 私天才だから虫がよすぎるって虫がわいてくるうわぁん。できれば早くオーバーヒートにきりもみ回転……あらここはどこかしら? 山の中かしらん? ぽーんってどさって落ちてもリンゴの木の実じゃありませんね。あーこれは栗の実ですね。栗……栗栗栗。あはは、栗ってのは皮をむくのがとっても大変なんですよなぜそんなに恥ずかしがり屋さんなんでしょうかね困ります。あーあちらに虫の声を発見しました。人間無視人間虫? おそらく人間だといいな……すたこらさっさと……」


「さぁみんな。今日は山の神様と一緒に栗拾いだ。頑張って協力して拾うんだぞ」
「はーい先生!」
 上白沢慧音が子供達を従えていた。今日は寺子屋の屋外実習として、妖怪の山の栗拾いに訪れていた。紅葉が色美しく彩る今日この日は絶好の日和であった。子供達もにこにことに楽しそうな笑顔を浮かべている。妖怪の山を代表する秋穣子と秋静葉の両名とも自然に打ち解けていた。
 教師としては子供達の安全を願うのは当然のことである。毎日のように慧音はそのことを肝に銘じている。子供達に万が一のことがないように常に鋭敏に目を光らせていた。
「……ん」
 その慧音の視力が不穏な人影をとらえた。見た目は人間の女であった。しかしどうみても妖怪じみていた。舌をべろりと口から出し口角には涎の塊が溜まっている。髪はぐしゃぐしゃにほつれて乱れ目は真っ赤に血走っていた。両腕には爪を食い込ませたような赤い痕がいくつもいくつも刻まれている。嗚咽をするようにひっくひっくとしきりにしゃくりあげている様子が、どう見ても平静のそれとは感じられなかった。彼女の後ろの影には異界へのの扉が――単なる思い過ごしではなく本当にそう思った。
 慧音は警戒してその女に声をかけた。
「待ていそこの女。止まって名を名乗れ」
 声高に言う。女はきょろきょろとして、どこから声がかかったか分からないそぶりをしたが、やがて目を丸くさせてこちらに顔を向けた。
「あ……あああっ。あなたは天使ございますね。私をあっちの世界から引き戻してくれました。あああ誠にあぶのうございました。私は十六夜咲夜という若輩でございます。あいつらったら私の髪をひっぱるんですようひひ。痛いっていってもやめないんですよね。だからこんなに抜けちゃいましてね。肩も腰もちょいずれちゃいましてね、脳みそも軽くいかれて平衡感覚とんちんかん! バランスとるのに一苦労で……ああ、あああ。ありがとうございます。私に話しかけてくれてあっちとこっちでね、もう一つだけだと困っちゃうんですよ私。何か私に出来ることはありませんか? 何でもやりますから今すぐに、何でも……何でもいいんですううう!」
「む……むむ?」
 慧音は首を捻った。この咲夜と名乗った人間の内面を非常に計りかねていたからだ。果たして単に追い払っていいものやら――。妖怪ではないようだがこの落ち着きのなさは至極不気味であった。
「どうしたんですか慧音さん? この方は?」
 周囲で子供の世話をしていた静葉が言った。
「あ、うーん。どうやら彼女は私達の手伝いをしたいようだが……」
 と言ってチラリと咲夜を見やる。下を向きながらぶつぶつと念仏を唱えるようにして唸っている。一目、変質者といってもいいすぎではない。
「いいでしょ慧音さん。ほら子供達も人が多い方がいいって言ってるし。ねーお姉ちゃん?」
 片割れの神の嬢子も加勢する。
「ふむ……」
 そう言われてはと慧音は思った。それにこの何かをしでかしそうな咲夜を放置してはおけなかった。少し落ち着くまで面倒をみようと考えた。
「よし咲夜さん。飛び入りのボランティアということで。子供と一緒に遊びましょう。何簡単なことだよ。山に落ちる栗拾いをすればいいのさ。穏便に、頼むよ」
 と言って慧音は咲夜の肩をポンと叩いた。
「えへ。えへえへへへ。嬉しい私。今まで生きててこんな嬉しいことー。ぐすぐすおいおいおい……」
 咲夜は号泣してその場に崩れ落ちた。
「やっぱり変な人だな。やれやれ」
 しかし慧音のこの予測ははずれることになる。変な人止まりであったならどんなにか楽であったことだろう。


「へーなるほどー。わかりました。こうやって火バサミでイガをぐっとして栗をぽーんですか。面白いですねー。歩きながら紅葉見ながら手もつかって景色も目まぐるしく私の脳も涎垂らしてますよにゅふふふ」
 咲夜は大体正気を取り戻していた。複数のことを同時にすることで彼女の脳は存分に満たされる。多ければ多いほどいい。
「わーお姉ちゃん上手」
「すごいすごい」
 子供達からも歓声が上がる。事実彼女は相当に手が器用であったから、このぐらいは朝飯前であった。足でロックした栗のイガを、火バサミで最小限の力を使いポンと栗の実を吐き出させる。数分とかからずに咲夜の籠には栗が次から次へと溜まっていった。
「上手ですね咲夜さん」
「うわー私達より上手だよ。豊穣の神の才能があるんじゃない?」
 二神がおだてたように言った。
「あはっ、とーぜんですよ私。なんたって何でもできる咲夜ちゃんですからぁ。さーどんどん稼ぎますよ。今までの遅れを取り戻さなくっちゃ……。そーれぽーんぽーんぽーん。んーこれって面白いんですけど何か効率悪いですね。はかがいかないっていうかー。あっ、これを使ったらもっと早くなるんじゃないかなーそーれっ」
 と言って咲夜が取り出したのは銀製のナイフであった。護身のために彼女は常にこのナイフを携行している。料理も得意で手先も器用な咲夜はナイフの扱いに非常に長けていた。
「ほいほいほいっと」
 地面に落ちていた栗のイガがすぱすぱっと切れていく。同時に栗の実がぽーんとあり得ない放物線を描いて籠に吸い込まれていった。それはまるで魔術のようでもあった。
「うわーパチパチパチ」
「お姉ちゃんマジシャンみたーい。すごーい」
 あちこちから拍手が巻き起こる。この賛美に、咲夜はどうにも止まらないほど有頂天になってしまった。
「こんなのまだまだ。咲夜ちゃんの実力発揮はこれからよー。……後ろに三秒後……三、ニ、一、今!」
 銀のナイフが背後に向かって一閃する。栗イガがズバッと切り押されて、一瞬で実と分断されていた。
「えーどうして栗が落ちてくるのがわかったの? まるで後ろに目があるみたい!」
「うふふ。目っていうか。初めに山に入った時から今落ちるってわかってたの。勘ってことじゃなく私だけが持ってる絶対感覚……私って何でもできる咲夜ちゃんだからえへへえへへ」
 気持ち悪いぐらいの笑みを浮かべて陶酔する咲夜。見かねて秋姉妹が近寄ってきた。
「あの咲夜さん」
「えっ、えへぇ? 何ですか? 今私とっても気持ちいいんですよ……うふふ」
「あの咲夜さん。ナイフ、しまってくれませんか? 危ないんで……」
「はぁ? 子供達が喜んでいるんですよ。いいじゃないですか? 現に火バサミを使うより早かったんですよ? 私は正しいことを、子供達が喜んで、効率がよかった。それだけです」
「いやそんなにぶんぶん刃物振り回したら危ないから私は……」
「いいえ。私は完璧無敵のナイフ使いですから他人を一切傷つけることはありません! 私がやってることが正しいんです! これが最も最善な方法なんです! ちんたらやってると日が暮れちゃうんですよもう! あーんそれに誰に向かって口を聞いているんですか? 神ってのはそんなに偉いんですか何様なんですか? ちょっと答えてくださいよぐぐぐっつう」
「え……? 何この人……」
 穣子の発言を咲夜がざっくりと切り下ろした。咲夜の表情が人間よりも妖怪に近く変貌していく。鬼のような形相に穣子はぐっとたじろいだ。
「ちょ、ちょっとお姉ちゃんも何か言ってよー」
「んっ……待って穣子。あっ慧音さんこっちきてください」
 助けを求められた静葉が慧音を呼ぶ。
 実際、咲夜は四面楚歌であった。


「どうした? 何があった?」
 しばらくして慧音が息を切らせながらやって来た。咲夜は憮然として仁王立ちしている。
「いえ何も。子供達が喜んでいるのに。この神様達が私の邪魔をしたんです。ふんっ!」
「なっ、何を言ってるのこの人」
「何もへちまもっ! 私の邪魔をして子供達を惑わすこの悪神めっ。何が、そんな貧相な身なりをして神とか……。ひひひ、崇め奉られておごり高ぶるアホ神ですかぁーあははは……」
「くーっ。私もう怒ったぁ!」
「やめなさい穣子……あなたは黙って」
「何でよっ神が冒涜されているのよ!」
 そんな様子を見て慧音が口を開く。
「む……。いまいち状況がつかめないようだが?」
 視線が静葉に向く。秋の神は半歩前に立って弁舌を開始した。
「あの……。初めは咲夜さんは子供達とそれはもう楽しく栗拾いを楽しんでいました。ええそれはもう理想の先生のようでした。ただ――彼女はふと思いついたことにより、少々道に外れてしまったようですわ。いえ、彼女は本当はとっても子供思いで優しい人なんだと思います。どこまでも気が利いて細部まで目が届きます。いつでも頼りになるという人は何にも換えがたい結晶なのだと思います。けれど、踏み越えていけない一線というのは存在いたしますわ。彼女は子供達に危害が降りかかる心配を、露も考えずナイフを意気揚々と振り回しまわした。菩薩のようかと思っていたその心の内側は、実は夜叉――荼吉尼天だったのでしょうか? 私は彼女が狂気にかられた横顔を見て本気でぞくっとしてしまいました。私は長年神をしていますから様々な人のありよう見てまいりましたが……ああこの方は笑いながら人を殺すのでございます。いえ、人だけではございません。その危害は妖怪はたまた神にさえ及ぶと思うのです。私にはそれが恐ろしくて……ああどうしてこの細腕にこんな力が……。人の子であるのにどうして……」
 そう言いきって静葉はさめざめと泣いた。
「はは、はあぁ? 何ですか何で泣いているんですか? 邪魔されて泣きたいのはこっちですよもう。ん……うふふ……ねぇ……こんな頭のおかしい神様なんかほっといてぇ……お姉さんともっと楽しい栗拾い……しましょ? 籠いっぱいに……いやんなるくらいに……えへへ。そう、止まってなんかいられない……虫がきちゃうからうううう。ねぇ……おいでお姉さんをもっと褒めてちょうだい……ほら」
 咲夜が不気味なオーラを醸し出すと、周囲の子供達がざっと後退った。無理もなかった。妖怪ともつかぬ人間が狂気にかられて光る刃物を握り締めていたからだ。瞳も妖しく濡れて淫らな輝きを放っていた。先ほどまでの優しい笑顔はなく、ある一つの危険な情念に心酔した異常者そのものであった。
「うむ。これで誰が間違っていたかわかったようだな。少し退出願おうか」
 慧音が一歩踏み出すと、奇怪な獣のような声が辺りに響いた。
「ケェーーッ! いひひ、何よ。さっきまで私のことお姉さんお姉さんって言ってたじゃない……。ひひひ、そう……わかったわ。あなた達はそこの悪い神様達に変な信仰植え付けられちゃったのねぇ……。あーんこの世には効率の二文字以外の言葉はないのにうふぐふ。あーもうわかりました。お姉さんがぁ、頭を開いて切り取って、邪悪な考えをくちゅくちゅ吸い出してあげなくちゃそうしなきゃ! うふふ……さぁいらっしゃい。咲夜お姉さんがいいことしてあ・げ・る。きゃ――――」
「この外道めっ! 地獄に落ちろっ!」
 咲夜が子供に飛び掛るより、慧音の頭突きが先だった。
「あぐぅ!」
 腹部に痛打。咲夜はもんどりうって転がった。
「いたいたいたーい。何これぇ……すごく痛い。早く修復しなくちゃ栄養いっぱいとって養生しなくちゃ……。あふっ、私ってばかわいそう……理不尽な仕打ち受けて……。あん誰か助けて私に手を差し伸べて痛いの痛いの。助けてお願い……助けてくれたらキスして接吻してあげる。私の体も自由にしていいからあふふんふん。あ、する時はちゃんと高速効率化じゃないと私満足しないけどああ痛い痛いいたいん誰でもいいから早く助けてに来て……」
 まだ泣き喚く咲夜の髪を慧音がつかむ。そしてぽーんと遠くへ無造作に放り投げた。
「ぐぼっ」
「私の気が変わらない内に失せろ。骨は折れていない。これでも手加減したのだからな」
 言われてみると思ったほど痛くはない。くらくらする頭を持ち上げて何とか地に足を埋めた。
「く、くそ……」
 咲夜はとぼとぼと足を引きずりながら帰った。どうして自分は一生懸命やっているのにこうなるのだろうと思った。きっとこの世界が間違っているはずだと信じたかった。




 思い足取りで我が紅魔館へ帰る。日は暮れかけていたが全然足りなかった。
「美鈴さん」
「あっ、えーっと」
 門番へと声をかける。メイドと門番の関係であるが、今は関係ない。
「門番の仕事一時代わってくださいな。それとパチュリー様から本百冊借りてきてください。何でもいいです。ああ後力のつく食べ物持ってきてください。今すぐです」
「はははい。いや別にいいんですけど……誰でしたっけ? メイドといっても紅魔館は多すぎますから。あはは」
 軽口を叩いた美鈴をぎっと殺意のある目で睨んだ。
「はひっ、すいません」
 猫のように翻って消えていく美鈴。そして十分も立たずに両肩に大量の本を、頭にシュウマイの入った蒸篭を従えた美鈴が戻ってきた。
「ただいま戻りました。これでいいんですか? メイドさん? あいにくシュウマイしか台所にありませんでしたが」
「ええ結構よ。あなたは一生の心の友です美鈴さん」
「あはは。そりゃどうも。じゃ私は裏で油でも売ってますね。では」
 美鈴が立ち去ると、咲夜はふっと息を吐いて深呼吸をした。今日の遅れは絶対に取り返さなければならない。時間はまだまだある。
「あっあっあー。今日は何て最低な日だったのかしら。でもいいの。私は悲劇のヒロイン十六夜咲夜姫ちゃん。きっといつか素敵な王子様が私を救ってくれるから! あーまずは門番門番。門を守るには強くなくちゃいけないの。女でも身を守る術は絶対に必要。えー取り出したりまするのはこの重そうな本。これを一つ多目分量で推測しますと一キログロムの大重量。それをこうやってぐいーって一まとめにして持ち上げますと……ととと。結構重いですね。はぁはぁ……百冊は多すぎましたね……半分の五十冊にしましょう。これで筋肉ムキムキトレーニング! よいしょよいしょ……ああすごいです筋肉のぴちぴち千切れる音が気持ちいいです。切れたら直ぐにたんぱく質を付着させるんです。そうやって筋肉繊維は太く賢くなるんですってよ。だから切れたそばから栄養補給……もぐもぐシュウマイおいひいです。おいしいてのは必要だからおいしいんです絶対そうです。まずいものはあいませんから必要ないんです。栄養が少ない偏っているからまずいんです。鍛えて筋肉食べて筋肉。理想的に忠実に。壊して作って万々歳のめくるめく夢のフルコースでございます。あー本が余りましたねどうしましょうか非効率です。おっと勉強しましょう勉強。両手が塞がっているのにどうやって本をめくるんでしょうか? お口がありましたがシュウマイですね。口でつまんでめくりましょうかそうしましょうか。私のお口って終始忙しいですね。ふーふーふー。うまいシュウマイうまい。栄養万点! 口が減らないって使えば使うほどいいと思うんですね。ああすごいです素敵です。満たされています。私門番しながら筋肉しながら補充しながら学問までしちゃうなんて。あれこれ最高記録じゃないでしょうか。もーこれは今日の無駄なんてぜーんぶ帳消しですねあはは。最初からみんな私に従ってればいいんですよもう。私に私にですね。あーでもこれは最高ですなんて満たされた感情なんでしょうか。今日のオカズはこれに決まりですね。いつも頑張ってる咲夜ちゃん最高です。私はいつだって最高なんです最高最高。お嬢様にもっと気に入られよう頑張れ咲夜ちゃん!」
 


 リリー・ホワイトが紅魔館を去った数日後。
 レミリア・スカーレットは一つの悩みことを抱えたいた。それはメイドである十六夜咲夜のことについてであった。レミリアは中々非常に鈍感な体質であった。だからして咲夜の異常とも思える行動に対してかなり寛容でもあった。
 早すぎる午後五時の目覚めも、全てのことを同時に能率よくさせるための心意気。自分は悪魔だから、彼女は人間だから。そういう垣根があるから、多少は理解しえない壁というものを熟知していたはずだった。
 しかし最近の咲夜の行動は目に余るものがあった。昼間でもお構いなしに起こされて、耳元でずっととりとめのないことを囁かれ続けるのだ。内容は最もなこともあるが、大半は今すぐではなくてもいいことである。起きれば起きたで終始行動を観察され、一挙一動をフィルムに映すかのようにべたべたと付きまとわれる。レミリアはほとほと疲れ果てて憔悴してしまっていた。
「はーカリスマって思ってたけどやっぱり素直にならなきゃね。いくら悪魔でも我慢の限界があるわ」
 自室の椅子に座りながら頬杖をつく。チラと時計を見ると午前三時まで後少し。いつものようにあのせわしない咲夜がお茶の用意に訪れるはずであった。後三秒、三、ニ、一――。
「お嬢様お茶の時間でございます!」
 運命でもないが予測は当たった。うざったいほどの黄色い声で咲夜が登場した。
「さー今日のお茶はすごくおいしいですよ。うふふ。あのですね、産地が……」
「あー咲夜咲夜。今日のお茶はいいから。それよりちょっと話があるの」
 押し止めて咲夜を座らせた。
「まぁお嬢様……話……ですか。まぁ……」
 頬に手を当てて赤面する咲夜。レミリアがこの意味を知ることは絶対にない。
「あのね咲夜」
「はい」
「こういっては何だけど――あなたって気持ち悪い」
「はっ」
 その言葉を聞いた時の表情。レミリアには特に印象的であった。鳩が豆鉄砲がくらったようなとはこの顔であるに違いない。
「聞こえなかったの? あなたって気持ち悪いわ。こう……一緒にいると疲れるわ。私がいうんだからそれはもう確実だわ」
「は、は、はぁあ? えっ、お嬢様? 私……が? え? えええ?」
 咲夜はきょどきょどと首を振って、目を激しく左右に泳がせた。金魚のように口をぱくぱくとして息つぎさえ苦しそうである。
「あ……はぁはぁ。うー、うう」
「どうしたの咲夜? 私の言ったことわかったでしょう? 主人の命令よ。紅魔館にはおいてあげるから、今度から私の身の回りのことは他のメイドにやってもらうわ」
「は……はひ……す……す……ん」
 咲夜は無表情で立ち上がって部屋を辞した。
「ん……もっと食い下がるかと思ったけど案外素直だったわね。ちょっと言い過ぎだったかしら? まぁいいわ……ふぁーあ……これで今日からゆっくりできるわ……」
 レミリアにとって気持ち悪いの一言はほんの些細な出来事であった。しかし咲夜にとってはそうではない。運命を見通すことができるレミリアといえど、ここから生じる現象を予測することは出来なかった。




 咲夜は自室に戻りベッドへと倒れこんだ。息が苦しい。吸って吸って肺を満杯にしているとても苦しい。
「ぁ……はぁ……ん……お嬢様が……私を……きもち……わる……うううう……嘘ですお嬢様ぁああ……ひっくひっく……す……すぅ……う……これ……過呼吸? す……はぁ……吸い込んで酸素、出して二酸化炭素……ゆっくり……おっけー自己修復! ううう……咲夜ちゃんはこんものには負けないんだから……うう、うううううー。気持ち悪いって……お嬢様が? 何で? 私といると疲れる? 何で? いっぱいお嬢様のためにしてあげてるのにーん。うふあはうふふーん。ありえないったらありえない。んー何が違うんだろう? お嬢様ーわたしー、そーしそーあい……運命の糸で結ばれた紅い絆の恋人ぉ。きっと結ばれるからぁ、ん……あ……あああ、あはぁそっか……そうだよね。これはぁお嬢様が私に課した試験なのねぇ。そうそうそう! そー考えれば全てうまくいくからぁ……なーんだ心配して損しちゃったぁ。つまりー、私にもっと忙しくなれってことでしょ? そーゆーことでしょお嬢様? お嬢様に構ってばっかりだとぉ、あんまり私が成長しないからぁ……うふふ。もーお嬢様ったら奥手なんだから……そうやって人の心を弄んで……きゃぁあああいやらしいわお嬢様。そんな操り方されたら私メロメロですぅ。あはっ、あはあはうふふ。そーと決まったらぁ、もーっと忙しくする計画たてなくちゃ……」
 頭から毛布を被って視界を隠して甘美な妄想に耽る。毛布の重さ、それを夢の中で最大限にまで押し広げる。
「あーんむむむむ。おおきぃん……明日からも私を包むこの膨大な重量感っ……。押しつぶされる……それだけでイキそう……。あっ苦しい……駄目そんなにむぎゅってされたらぁ……私、私……。ああ多忙に興奮していっちゃう……やることいっぱいでどんな風に攻略していくか考えるだけで……ん……。あん犯されるう……多忙の触手が私の中にずぶずぶって入ってくるぅ……。駄目そんなに巻きついちゃ……手も足もからめとられてぇ……胸も……やんそんなとこまで私使えないからいくらなんでも……。あああやばいやばいニ穴三穴同時絶頂お仕事やばぁい……。んっんっ、んっイクイクっ! 大いなる宇宙に開発されていっちゃう! いっ……いいん。頭の中めちゃくちゃにされて犯されちゃうう! あはぁ咲夜はあなたの雌豚でございますぅ……好きなだけぶってくださいませ……そして私をあなたの奴隷にしてくださいませ……。ううん、やばい手帳の予定が全部埋まっちゃうん……そんなに詰め込んでも入らないからぁ……無理、絶対無理……そんな大きいの……そんなの入れたら私壊れちゃ――や、あん、入ってくるぅ、おおきいおっきぃ、あ、前から後ろから追い詰められてるぅ、んんっんっ、イクイクイッちゃう! 出る! イクぅ! あはぁイクぅ! 操られてボロボロにされて雌マゾにされちゃうう! やんスケジュールパンパンでお腹もパンパンで……妊娠しちゃう! 妊娠……にんしん、あっ、生まれる、イクイクッ、イク、イク――――」
 毛布をぎゅっと握りしめながら、咲夜は何度も絶頂に達した。咲夜の脳はこの時さらなる進化を遂げていた。それが最終的にどんな結果を生むかも露知らずに。




 咲夜に釘を刺してからはや一週間が過ぎた。あの咲夜のことだから何か小言をぐちぐちと言ってくると思ったが、決してそんなことはなかった。実に平和的な悪魔的でカリスマな生活が戻ってきたのである。
「さてと」
 レミリアは深い息を吐いて立ち上がった。主君とは上に立つものである。その存在感を、いつも如実に誇示しておかなくてはならない。
「久しぶりに紅魔館を一周でもしてみるか」
 扉を開けて外に出る。紅い館の高貴な香りが満ちている。
 スタスタと軽い足音をたてて廊下を歩く。突如違和感――。
 何が違うと言われてもはっきりとはわからないが確かに違う。レミリアはそのズレをいち早く理解しようと頭を回転させた。
「何かおかしいわ。一体?」
 レミリアは帽子をくしゃっとつぶしてうんうんと考えた。
「あっレミリア様」
 偶然通りかかった一人の妖精がそう声をかけた。
「あら御機嫌よう。ちゃんと仕事してる」
「え、ええ……まぁ」
 妙に歯切れが悪いのが気になった。おや、この妖精も何かおかしいなとレミリアは感づいた。おかしいのは何だろう。者? 人? 一体何がおかしいのか。
「はっきりしないわね。何か悩みごとがあるなら言いなさいよ。私が聞いてあげるわ」
「あ、あのですねレミリア様。実は……」
 レミリアは妖精の口に耳をぐっと近づけた。
「メイドの……十六夜咲夜のことなのですが……」
「咲夜がどうかしたの?」
「はい、こう、何といっていいものやら。とにかくおかしいんです」
「おかしいのは元からよ。あの子は」
「いえ。もうはっきりとわかるくらいのおかしさでございます。空間が何となくですね……歪んで……」
「何かむずがゆいわね」
 どうも合点がいかない。空間がと言われても咲夜は人間である。一体ただの人間に何の空間操作ができようか。
「そばで見てみればわかりますよ。ありえなくらい――乖離して――異常ですよあれは。早いんです。とにかく早いんです」
「だから元から彼女は何でも早いわよ。馬鹿らしいぐらいにね」
「いいえ、次元を超えた早さなんですよ。だから私達――」
「何?」
 妖精の顔をぐいと覗き込む。
「それで悩んでいるんですよ。咲夜さんが私達の仕事をほとんど持っていっているんです。恐るべき早さです。現在の館の仕事の八割はあの人がこなしています。恐ろしいっていうよりも理解できないんです。あり得ない。だから他の妖精は最近みんなぐうたらしてますよ。私も恥ずかしながら外の星を見たかっただけで……」
 やっと館に蔓延する違和感の正体に気がついた。いくら夜とはいえメイド達の数が少なすぎる。
「レミリア様……私恐怖を感じていますあの人に。普通の人間とは思えませんわ……。いえ、人間の振りをしたばけも――」
 その瞬間その妖精ははっと口をつぐんだ。妖精の小さな瞳の中を見た。そこには十六夜咲夜の像がしっかりと映りこんでいたからだ。
「咲夜!」
 振り返る――がいない。どこ? 自分が見間違えるはずがない。
「ここですよお嬢様。うふふ」
 振り向いた逆の方向から声が聞こえる。肩を震わせている妖精の隣に、あのにんまりといやらしい笑みを浮かべた咲夜がぼうっと佇んでいた。
「さっ、咲夜……あなた」
「お久しぶりです。お嬢様。私お嬢様のおかげでもっと忙しくなりました。私を鍛えてくれてありがとうございますうふふーん」
 妖精の肩をぼんと叩きながら大声を張り上げている。レミリアはぞっとするような寒気を感じた。自分がただの人間の動きについていけなかったこと、それに少なからず驚愕していた。
「一体あなた何を考えているの?」
「ええ何ですかぁ? 私はいつでもお嬢様と紅魔館のためぇ。うふふ。まだまだ忙しくなりますよー。大変たいへーん。らんららんららーん」
 鼻歌を歌いながら咲夜は立ち去った。妖精の顔が恐ろしく凍りついていた。




 次の日、レミリア自室でくつろいでいると、外から戸を叩く音がした。
「入って」
「失礼しますお嬢様」
 案の定十六夜咲夜であった。相変わらず気色の悪い顔で、手には白い用紙を何枚も抱えている。
「何よこれ」
「お嬢様。紅魔館のメイドは多すぎますわ。いくら膨大な土地と資産があっても無駄は省かなくてはなりません。この際大幅な人員整理をしましょう。働きの悪い者はがんがん首を切ります。少数精鋭の体制をしいた方が士気があがりますわ」
 レミリアは一枚の紙を手に取り眺めた。一人の妖精の勤務態度から趣味思考性癖まで事細かに書かれていた。明らかにストーカーのように張り付いていなければならないようなディープな事実まで。レミリアは数十枚はあるであろう紙の山を見て、呆れたようにため息をついた。
「これ……全部あなたが一人で? 嘘書いたら承知しないわよ?」
「いいえお嬢様。私のすることに嘘偽りはありません。主君への裏切りなど絶対にいたしません」
「ふん……」
 咲夜は妙に落ち着いていて余裕があった。まるで嘘をついているようには見えない。ただこれだけの人数の資料を集めるなど容易なことではない。一体どうやって? 歪み……空間……早い……。昨日の妖精の言ったことが急に思い出された。まさか、咲夜は未知なる特殊な能力を使い、この館の妖精メイドの生活その他を詳細に調査したというのか。
 いくらなんでもそれは蚊帳の外であった。いくら咲夜が超人的に仕事が出来るといっても、ただのか弱い人間のはずである。どう頑張っても無理なはずである。
「咲夜」
「何ですかお嬢様?」
「教えて」
「はい?」
 一人でやきもきしてるのも嫌なので、もう直接聞いてみることにした。奥歯に物が挟まったような状態というのは非常につらい。
「隠さなくてもいいわよ咲夜。人間も稀に能力を持つってことはあることだから」
「何をおっしゃっているのかお嬢様……あ! あのことですね。えへへ。あれですよ。私、ご本で、パチュリー様の、シュウマイ筋肉とご本ですね。目覚めたんだと思います。お勉強、毛布ががーっと。生まれちゃうんです。数学ですか? ぎりぎりまで無限大、微分積分は漸近するって言いますよね? ベクトルとスカラーが混在して虚数は表と裏側がぴったんこ。 あれなんですよ、だから私もっと頑張れるって。おかしいんです、私。流れが、私だけの、うふふ。あはっ、もうお嬢様に教えるのももったいないです。もっとぐつぐつシチューのように煮詰めてから教えてあげますね。んふん」
 へらへらと笑いながら、咲夜はわけのわからないことを述べた。ネジがはずれたような人間。一体全体全く理解できない。
「それでは人員整理の件お願いしますね。お嬢様」
「あ、うん」
 咲夜の並々ならぬ気迫に押されてそれだけ言った。
「では御機嫌よう。うふふふーん」
 パタリと扉が閉じる。後にむなしい静寂が広がる。
 結局能力のことはわからずじまいであったが、咲夜の言う人員整理も最もなことだと思った。
「まいっか。カリスマな紅魔館にもたまには刺激が必要よね。それにしても、ここまで他人の弱いとこを調べられるなんて……」
 渡されたデータの中身を見て、ぶるっと震える。
 おおよそ、血の通った人間の所業ではなかった。




 半月ほどまた月日が経った。紅魔館のメイドの数は以前の半分ほどになっていた。それでも滞りなく通常の業務は遂行されていた。レミリアは不思議でならなかった。これだけ減らせば、さすがの咲夜も音をあげるだろうと思ったがそうではなかった。
 日を追うごとにますます精力活発に館の仕事を行い続けているのであった。その動きを観察してみるとまるで理解できない。あれをしてこれをしてあれとこれが繋がるという、誠に意味不明な構築力なのである。例えて言うならば、ルービックキューブを正規の手順を踏まずにほとんど数手で完成させてしまうような、そんな怪奇理不尽に満ちた異様さであった。
 阿修羅なようなスピードで咲夜の回りでは物事が進行する。それはおいそれと立ち入ってはいけない空間のようであった。
「とはいうものの。紅魔館にとっては別に問題ないわね。少数精鋭、間違ってない。私もいつものように暇だわ」
 レミリアは眠そうな目をして大あくびした。孤軍奮闘、ワンマン。そんな言葉は出てこない。近頃はほとんどの業務を咲夜に任せていた。その方がとても捗るのである。何をやらせても咲夜は万能であった。あの馬鹿みたいな性格をのぞけば、最も有能な部下に違いなかった。
「それにしてもメイドの減りが早いわね。やめろって言ってもすぐやめる妖精ばかりじゃないと思うんだけど……。咲夜は一体どんな説得をしているのかしら?」
 それが不思議だった。妖精にも一応の生活はかかっている。前のリリーのように明らかな理由があれば別だが。
「まーいっか。私はレミリア・スカーレットだしね。ふぁああ……」
「お嬢様、お嬢さまー!」
 大口を開けていると、咲夜が部屋に飛び込んできた。
「うふふ、やりました絶好調です。メイドを今のさらに半分に……ひひひ。私ってば到達しそうなんです。近づいているんですよ真実に! 大丈夫、私めに任せてくれれば万事うまくいきますので。あはは!」
「頼りにしてるわ咲夜」
 レミリアは無責任に言い放った。




 ある日のことであった。レミリアは気まぐれに紅魔館内の大図書館へと足を運んだ。パチュリーはレミリアの友人で、この図書館に長らく居候として住んでいる。いわゆる腐れ縁というやつであろうか。
 性格は少々とっつきが悪くおまけに口も悪い。が、その蓄積された知識にレミリアは一目おいていた。彼女に聞けばこの世界のことはほぼ教えてくれるだろうから。 
「パチェー。入るわよー」
 当然返事はない。真正面に歩き魔女の待つテーブルへと向かう。
「もう返事ぐらいしなさいよ」
「あ、レミィいたの。久しぶりね」
 そう言って視線を合わさずに答える。華奢な友人の目は落ち窪んで今もか細い。
「あなたっているんだかいないんだか。ここに来てないと忘れそうよもう」
「うふふ。忘れちゃってもいいのよ。そしたらもっと本が読めるし」
「何言ってるの。あーそれでね。今日はちょっと相談があるの」
「どんな?」
 本から絶対に目を離そうとはしない。レミリアは息を吸って口を開いた。
「あの咲夜のことなんだけど」
「うん」
「おかしいのよ」
「あはは。彼女は元からおかしいわよ」
 パチュリーはどこかツボに入ったかのようにくっくっと笑った。
「それは重々承知しているんだけど。近頃紅魔館もおかしいのよ」
「それは初耳ね。私の周りは問題ないわ。はい終了」
「んもー真面目に考えてよ」
「はいはい」
「あのね、紅魔館のメイドの数が激減しているのよ。最大時の半分の半分の半分……ううんそれ以下! それでもこの館は回っている。これってどういうことなの? わからないわ? 十六夜咲夜の周りで一体何が起こっているっていうの? ねぇ?」
 レミリアは少々取り乱し、息を荒げて言った。
「少し落ち着きなさいよレミィ」
「はぁはぁ……」
「うーんまず状況を整理した方がいいわよレミィ。日常に支障がないのなら何に心配するのかしら?」
「心配よ。人間のメイドが恐るべきスピードで業務をこなしているのよ。異常よ、奇怪、異変だわ」
「ふふ。まぁいいんじゃない? そういう人間もいるってこと」
「でも……」
「スピード、時間、無限大? はて? やっぱり有限よね。だとすると最終的にはどうなるのかしら?」
「何よパチェまで変なこと言って。私にもわかるように説明してよ」
 とんと本を置くパチュリー。どうやら真面目に答えてくれそうだった。細い指にくるりと紫の髪を絡みつかせながら説明する。
「あのねレミィ。ある組織を例にとるとね。組織全体の収益を支えているのは三割ぐらいの人だけなの。他はたださぼり……ってわけじゃないけど、その一番動いている人に比べたら働きがかなり悪いのよね。うん時には全く動かない奴もいるけどね。私みたいに、あはは」
「それが今何の関係があるの?」
「黙って聞きなさいよ。組織が例えば100人いるとするわね。その100人の能力は組織に入った時点でほとんど差はないの。みんなが同じ能力。この場合だと何割が真面目に働くと思う?」
「うーん……みんな同じだから十割」
「ブー不正解。やっぱり忠実に働くのは三割ぐらいに収束するのよね。必ず自分だけはいいってサボる奴が出る。そこの道端にいる働き蟻さんもそうみたいよ。悲しいことに。優劣ってのはいつでもどこでも存在するのよ。あっちがたてばこちらがたたぬ。面白いわね」
「えーそんなの嘘だって。現に紅魔館のみんなは頑張って……」
 と言ってレミリアは床に視線を落とした。
「本当にそう言えるのレミィ? あなただって吸血鬼なんですもの昼は眠るでしょう? みんな適当に手を抜いているのよ。堕落ってのは恐ろしいわね。他力本願の事なかれ主義――。誰しもが容易く楽な方にと流れちゃうからね……あ、レミィそんな悲しい顔しなくても。大丈夫紅魔館のみんなは五割は本気で動いているわ。門番は門をきっちり守っているし私はあなたが大好きよ。それでいいじゃない」
「うーんそうかな。私もパチェが大好きよ」
「ありがとうレミィ。ん……それを踏まえて今の状況を考えてみると……これはとっても面白いわ。一人の人間が……紅魔館全体を統括する。比率にすると何パーセントかしらね? このあり得ない状況が意味するところ……人智を超えた存在の登場かしら? 私達もうかうかしてられないかもね。うふふ」
「どういうこと?」
「イレギュラーよ。破綻するのも時間の問題。宿主を食いつぶして下克上? でも相手は人間ね……はて?」
「もうパチェったら自分の世界にばっか引きこもって!」
 レミリアは腕組んでへそを曲げた。
 再び読みかけの本に視線を戻すパチュリー。
 と、その時――。
「レミリア様レミリア様ぁ! 大変でございます!」
 一人の妖精が必死の形相で叫びながら転がりこんで来た。
「何? どうしたの?」
「ひいいぃ! もう私限界でございます。あの人の皮を被った悪魔はあああ……みんなあいつにやられて……」
 妖精は顔を泣き腫らしながら訴える。
「何やら一大事みたいね。行きましょうかレミィ。主君はまだあなたよ」
「え、ええ?」
 混乱しているレミィをよそに、動かない図書館は重い腰を上げた。




「ひぃー、ひーひーひー。ひーひひひ! もう限界です十六夜咲夜は。忙しいの通りこして桃源郷であります。あああ、憎い憎い邪魔邪魔邪魔! 私とお嬢様以外誰もいらないのもう。私の仕事をとらないでっ! 全部私がするんだから。ん気持ちいい気持ちいいいん! いっぱいお仕事いいいいいっ! ほらお前も消えるんだよぉ。妖精でも構いやしないから私の空間でねじ込んで捻ってぐちゃって存在こと消しちゃえばいいんだよぉ! 私は目覚めたんだからな? あー初めは時が……ゆっくり……でも心地よくてふわーってして……理解すれば私は私だけの空間でイメージを取り込んで自由に存在を画策することができたんですから。あーはっはは……。時ってのはこうやって手づかみにできるものなんです。私は気づきました。選ばれた唯一のポテンシャル、それが私。相対的に絶対的を司るです。近づくってのはそういうこと。あーイキソウイキソウ……もう少しなんです。極限ぎりぎりまで迫ったらどんなにいとおしいんだろうなぁ? お嬢様はきっとこの高みなのかなぁ? 嬉しいなぁどこなのかなぁ? そのためにはまず……こいつら全部処分処分しなくちゃあなりません。ゴミはゴミ箱妖精箱。殺す殺す全部抹殺。アトランチスからバミューダまで五次元と七十ニ次元に溶かしてあげますよいひひひひ」
 廊下の真ん中で、一人の妖精が咲夜に首根っこをつかまれて悶えていた。顔面を蒼白にしながら、今にも気を失いそうな様子であった。
「咲夜っ!」
 レミリアが紅い絶叫を放った。
「ふーん面白そうねお手並み拝見」
 パチュリーが後から続く。
「あっお嬢様申し訳ございません。今すぐこの妖精めを処分する所存であります。こら、お前、いつも言ってるじゃない。一番効率のいいモップと雑巾とバケツは120度ひし形だってさぁ。一体何度言ったらわかるんですか? すいませんお嬢様。こら、時間と体の使い方もなってませんよ? 穴を利用して貫通しろって言ったじゃないですか? 馬鹿なんですか? つなげたら発光できるじゃないですか。すいませんお嬢様。あれ、いいの咲夜……私、あなたのこと。すいませんお嬢様。いますぐ……やり……ま……」
「このっ!」
 痛打。幼い悪魔の拳が咲夜の腹に打ち込まれる。
 油断していたのか見えていなかったのか、咲夜は回避行動することなく崩れ落ちた。
「あふぇっ? なんでぇ? おじょぉ? さまぁ? あふえ? わらひ、さくや、ですよ。わたし、めざめ、もうすこひ……ときが……あふぐっ!」
 ぐずる咲夜の頬に破壊的な平手打ちが迸る。
「出て行きなさい咲夜。ここから今すぐ……紅魔館から!」
「えへぇ? えふっ、えふ。お、お、あ――――」
 咲夜は突然金切り声を上げて駆け出した。誰も追いつけるものはいなかった。スピードとか錯覚ではない究極的な神通力が展開されていた。
「まっ、待ちなさい咲夜! ちっ逃がした……。何で? 私ずっと見ていたのに」
 ぎりりと唇を噛むレミリア。
「おー何て急展開。人間と悪魔、勝つのはどっちかしら?」
「何暢気なこと言ってるのパチェ。追うわよ!」
「はいはい」
 パチュリーはやる気なく言った。




 十六夜咲夜の自室。室内の至るところに妖精の残骸――というべきか抜け殻の残滓がこびりついていた。
 時を操る力、その発現に咲夜は未曾有の快感を覚えていた。初めはゆっくりであったが次第に技術が増していった。時を限界まで凝縮し狭い範囲の中だけで自分だけが動ける。咲夜は多忙を極め時を極めた。ただし究極の臨界点までは未だ届かなかった。
 そのために彼女は無慈悲な殺戮を行った。難癖をつけてやめさせたのはほんの初めだけ。しだいに他人の荒を探すのも面倒くさくなった。こっちの方が手っ取り早い。何も喋ることはないし簡単だ。妖精などこの時間の渦に飲み込んでしまえば、赤子の手を捻るようなものである。
 でもどうしてお嬢様が邪魔をしたのだろう? 愛するお嬢様のために。もう少しで理想郷に到達できそうだったのに。
「あーあー。嘘。私の目が。あー。いえ、否。あ……また私たら勘違い。いけない咲夜ちゃん。これはお嬢様がくだすった試験。私を遥か高みから試して……うふ。お嬢様は極度の恥ずかしがり屋さんだから……。あはっ、そう……なのですねお嬢様。自分の力で悟りを開けと……そうおっしゃるのですね。いいでしょう、私甘えてました……結局甘えてたんです。横取り強奪火事場泥棒。そんなんじゃお嬢様に笑顔で並べませんよね。そうなんですそうなんです。紅魔館のみんなが優しいから甘えてたんです。はぁ……あ……くる……次元の渦……私を飲み込むセレナーデ。この荒れ狂う潮流に乗ったら私は脱皮できるんですよ……あ……お嬢様、お嬢様ぁ……ひっ、きたっ、止まり……そう? でもとまらな――ひぃ――――」




「それで、咲夜はどうなるの?」
 レミリアが聞いた。
 咲夜の寝室にはパチュリー小悪魔他、博麗霊夢と八雲紫が集まっていた。
 あの後咲夜は自室にこもって篭城の姿勢であった。扉も固く締め切られている。何度叩いても返事がないので、もったいないと思いながら蹴破った。
 そこでレミリアが見たものは――立方体であった。正確には十六夜咲夜が封じ込まれた空間である。どう形容していいのか言葉に窮するが、咲夜はその擬似的な箱の中で、聖母のような笑みを浮かべて固まっていた。
 パチュリーに聞いてもこんな症状知らないわ、と言うので専門家の知恵を扇いだしだいである。
「どーにもこーにも。ただ一つわかること。彼女は生きてるわね。この中でね、たぶん延々と」
 八雲紫がぽつりと言う。
「生きてるって……全然動いてないわよ?」
「いや生きてるわよ。ほんの微細な時間の流れがこの中で構築されているの。彼女だけしか入れないプライベートな密室でね」
 生きている――。そう言われても信じられなかった。まるで彫像のように瞬き一つせず静止しているのだから。
「あきらめなさいよレミリア。それとも何かこいつに思い入れでもあるの?」
 黙っていた霊夢が聞いた。
「いえ……咲夜は優秀だった。誰よりも。そしておかしかった」
「ふん……。」
 霊夢は軽く息を吐いた。そして直ぐに続けた。
「優秀ってのもせつないもんよ。まぁそれよりあんたが無事でよかったわ」
「ありがとう霊夢」
 そう言ってレミリアはもう一度咲夜の箱に目を向けた。色は薄暗い黒。彼女の体をすっぽり包むような空間は、無明の時を刻んでいるように見えた。
「八雲先生!」
「はいなんでしょうパチュリーさん」
 いきなり声をかけられて紫がぴくりと肩を振るわせる。
「この現象について詳しく消極的に説明してください」
「了解しましたパチュリーさん。人間が能力を有すること、本来ならば非常な努力を必要とします。よしんば先天的に目覚めていたとしてもそれに耐えるだけの受け皿がなければならない。つまりこの咲夜ちゃんはちょっと足りなかった。経験不足の少女の体は軽くリミットを越えてしまった。と推測できるわけです。わかりましたかパチュリーさん?」
 パチュリーはそれを聞いてぶんと首を振った。
「いえまだ半分。この不可思議な立方体少女オブジェの組成構造について一言お願いします!」
「なんて難しい質問。紫先生困っちゃう! えーあのこれは非常に難しい質問でございます。時の境界を操るというのは私でも未知の領域ですから。あー多分がんばればできる……いやできません。だって面倒くさいもの。時の空間。彼女は極限までの世界で到達しかけた……それだけが事実です。あそこがあーなってこーなってこーだからこーなるとか先生馬鹿だから一切わかりません。以上!」
 幻想郷の賢者の鶴の一声であった。この場に自然に解散ムードが漂った。
「え、ちょっと。咲夜はこのままどうなるの? ねぇ?」
 うろたえるレミリア。その横でパチュリーがぽんと手を叩いた。
「あ、そういえば私こんな像が欲しかったんだっけ。聖なる十六夜咲夜の極限心理像……なんて名前でいいわね。小悪魔ーこれ図書館に持っていくわよー。あ……固いのねこれ。よかったもっていけるわね。うひひひ……」
「パ、パチェ。いくら咲夜だからってそれは……。それに生きてるか死んでいるかもわからないのに」
「いいのよ私こういうの欲しかったから。あっ女の子にしてはあんよも腕もむっきむっきじゃなーい。こんなに鍛えてたのね。あらほお擦りできないのが残念! 小悪魔、早くこれ持って行きましょうよ」
「了解パチュリー様」
「あっ待って……」
 止めようとしたが、咲夜箱はもう既に部屋の外に移動していた。
 この短い期間あった出来事は一体なんなのだろう。自分はどうすればよかったのか。咲夜が見た極限の世界とはどんな境地なのか。レミリアには考えが及ぶ範囲ではなかった。なぜなら彼女は優秀すぎたから。幻想郷で最も瀟洒なメイドであったはずだ。
「ん……咲夜がいないとなると。明日からは……」
 帽子をぐしゃりとつぶし視界を隠す。そうか。これからは多大なる労力が自分の手にかかることを。楽すぎた生活に慣れきった体に活を入れなければならない。そう、組織とはやはりトップがしっかり見本を見せなければならない。
「今こそ私の力が試される時ね」
 レミリアは大きく吼えた。 

copyright © 2006 小箱の小話 all rights reserved.
Powered by FC2 blog. Template by F.Koshiba.